11/05/24 19:23:18.45 aN9EZ3ZA0
飯田出身、都内(都心)在住の人間だが・・・。
飯田下伊那の元々の人間は飯田市街の連中は武家。周囲の山中の部落は落ち武者部落
ということで、士族出身が多く、気位がとても高い・・・が物腰おだやかで、ストレ
ートな物言いを避けるため、腹に一物もってニッコリしている連中ではある。
一方、上伊那(伊那市)の連中は元々農民で、無教養、無文化で物言いストレートで
強欲。
かつての非生産層である僧侶、神官を擁した土壌の違い(そのままお寺や神社の数のちがい)
もあって、人種的には全く相容れない飯田市と、その周辺の伊那人、諏訪人となっている。
伊那谷出身の東京財界人もなんと東京飯田人会に入りたがるというこの矛盾。いかに伊那市が
粗野で無教養な土地柄であるかが判る。
伊那谷の文化中心は2つしかない。かつて勝った飯田市丘の上と、かつて負けたその周囲の山に
隠遁した落ち武者のすむ環状のエリアだ。中川、大鹿、遠山、南信濃、清内路・・・文化の薫り
高い里山集落となって残っている。