11/01/11 16:53:30 01sOSJr50
>>277
先週の話を蒸し返しやがって。
浦町操車場(現青い森セントラルパーク)案は1970年代の話で
八甲田トンネルを出た直線上の先に操車場があり
当時国鉄はそこに新青森駅を設置しようとしていた。
中心街にも比較的近く運用もしやすい上、東北線電化複線化で用地取得済みで
北海道へ延伸しても線形が良く最短距離。
しかし国鉄の提案にも青森市が強硬に反対し
以後数年に亘り青森駅への新幹線誘致運動を展開。
いつの間に誰かが土地取得して戸山団地が造成してるので、国鉄はそこを回避し
浦町操車場は諦め、奥羽線の石江地区を新たな候補地にし青森市と交渉
1980年石江地区を新青森とした。
時刻表の路線図じゃなく地図サイトや書店で地図を見れば
現ルートが距離も長くなり線形も良くなく迂回してるのがわかる。
ミニ新幹線案は1990年代の話で新幹線駅が出来ない在来線沿線自治体は
ミニ新幹線推進派だったが、青森県北海道は望んでなくあくまでもフル規格。
操車場案はミニ新幹線で出てきた案では無い。
新幹線計画が出来て、事業者である国鉄の当初案で進んでいたなら
盛岡以北の並行在来線問題も無く青森開通して大きく発展変貌してたかもしれん。
奥羽線の青森-弘前間も複線化してたね。