10/11/21 05:55:01 B5roLpeO0
私は高校生のころから東京が好きで、月1回は遊びに出掛けていました。
当時は沼津駅から東京駅への直通電車が毎時1本運行されており、片道2時間強の道のりも
東京に着いてからのことを想像すれば、あまり苦になりませんでした。
そんな東京好きの私は、高校卒業後、広島大学夜間部に進学し、下宿。
学生生活を満喫した後は、そのまま都内の会社に就職し、そこで横浜生まれ、東京育ちの
B子さんと知り合いました。
彼女は実に家庭的な女性で、交際を重ねるにつれ、私は次第に将来のことを意識するように
なっていきました。
そんなある日、彼女の実家に挨拶がてら遊びに行くと、早々、彼女の母に「貴方、出身はどこ?」と聞かれ、
笑顔で「沼津市です」と答えたところ、苦い顔で「沼津市ですか、箱根の西側の…、向こう側の…」と言われました。
私は嫌な予感を感じながらも「そうです。よくご存知で。でも沼津から東京って意外と近いのですよ」と
返しましたが、反応はあまり私に対して好意的なものではありませんでした。
この日を境に、彼女との距離はどこか遠くなり、1か月後、彼女のほうから別れ話があり、
2人の交際は終わりました。
私はそれが原因でひどく落ち込み、3か月ほど憂鬱な毎日を過ごしていましたが、ようやく
前向きになろうとしたちょうどそのとき、
B子が熱海在住の男と婚約したとの噂を職場の同僚から聞き、
言葉では言い表せないような、「劣等感」が私の中を駆け巡りました。
これほどの劣等感を感じたのは生まれて初めてでした。私は何もかもが嫌になり、
気分転換も兼ね、休暇を取って、実家のある沼津へ帰省することにしました。
帰省には毎回車を使っていましたが、無性に電車で帰ってみたくなり、
列車が長い長い丹那トンネルを抜けて函南に停車した瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ出し、
思わず「オレ、せめて丹那の東側の熱海に生まれたかったよ、お母さん」と叫んでしまいました。
周囲の乗客は私の奇声に驚いていましたが、山地の壁を自覚せずにはいられなかったのです。
その日から、私は「東海人」として生きていくことを誓い、職場を変え、現在実家から静岡市の零細会社に勤務しています。