10/10/10 23:30:18 z/3hCfH70
もっと大人の意見が出てくるかと思えば、まるで子供の喧嘩論だ。
奪ったり、奪われたりするシェアとは どのように存在するのだろうか?
あるとすれば、沿線住民の奪い合いになるわけだ。
つまり、沿線の魅力や経済的価値を創造して行くことに他ならない。
また、共存を否定すると言うことは、沿線内で完結する経済活動の構築と、
他社路線のエリアにある経済的活動拠点を自社内に集約させるか、経済的活動の拠点への進出しかない。
つぶし合いの、シェア争奪戦とはそう言うことだ。
一民間企業の資本力では、企業の資本投下内での完結は不可能な事だ。
そのために、互いの体力を温存するがために談合などの非合法な手段もときとし行われている。
もし手加減無用での暴挙に出るとすれば、非採算部門や収益性の低い部門の売却や統廃合などの手段が先行される。
その結果により、社会資本的な効果は消滅しさらなる格差に進展してしまう。
独占、寡占企業となり得ないのだから、非合法であったとしても談合も含めた共存手法を否定していたら未来への展望は望めない。
現実に、先行して資本投下も行っている。まずはその先行投資を回収して利益に結びつける必要がある。
つまり、こういった手法で同業他社からのシェアを奪い拡大するのが先決と言うことだ。
シェアを奪う相手とは平行して走る路線ではなく、全く方向違いの東急、小田急、京急、京王、京成やそれらと並行するJR沿線に、
居住している住民を、引きつけることであると言うことだ。
今現在、沿線周辺にあるパイを奪い合っても総量はたいしたことがない。
それよりも、沿線周辺の価値や利便性で魅力向上を図り沿線への人口流入の手法の方が大切なことだ。