10/12/17 14:35:21 XAAvArL00
京急300形電車
戦中から終戦直後にかけて18m級車体、正面3枚窓、片側3扉、扉間窓4個のデザインで、
600V/1.500Vの複電圧仕様、18m級の両運転台車両で製造された車両群である。
車体長17.5m車幅2.7m級の半鋼製車。この車体寸法が、その後の京急ばかりか、
都営浅草線や京成グループの18m車標準寸法の元となった。
1942年(昭和17年)に東急デハ5300形として電動車26両と制御車15両、
計41両を予定していたが、戦況の不安から資材調達が難しくなり結局、
電動車デハ10両と制御車クハ10両の計20両のみ新製された。
電動車のデハは、先に車体が完成したのにも関らず、日立製作所製の電気部品が調達できず、
しばらく生麦の車庫で待機し、電気部品が手に入った翌年から営業運転を開始した。
戦災による被害車は奇跡的に1両も無いまま終戦を迎え、終戦直後から営業再開、
1948年に大東急から分離後、電動車の片運転台化、貫通路の設置、
制御車10両も片運転台化、貫通路設置して電動車化、運転台上に菱枠形パンタグラフ設置、
2両固定編成化されデハ300形を名乗りった。
1951年、新たに中間付随車となるサハ300形を10両新造し、
Mc-T-Mcの3両編成10本で急行、各停運用に入った。
1956年には赤・黄の塗装から赤い車体、窓下が白帯の塗装に変更され、
1958年にはホーム延長完成で3両×3両の6両編成5本を組み、主に各停運用にあたった。
1962年、室内更新、アルミサッシ化、尾灯の角形化、蛍光灯の設置、方向幕設置、
1966年に列車無線アンテナ新設、前照灯シールドビーム化改造を実施された。
1972年に半数の5本からサハを抜き、残り5本に組み込んで、
Mc-T-T-Mcの4両編成5本を大師線に転用、サハを外されたMc10両は、
デト40形となった2両を除いて先に、西武所沢工場経由で弘前電気鉄道、近江鉄道、
総武流山電鉄、伊予鉄道などに売却された。
大師線で運用されていた4両編成5本も1980年に大師線運用から外れ全廃、
西武所沢工場経由で各私鉄に売却された。
デト40形になった2両も1988年に廃車解体された。
278:名無し野電車区
10/12/17 20:55:44 Y2bCqK+W0
JRE903系(→E233系9000番台)
2004年に東急車輌で製造された車両。
落成時は10両編成で、後のE233系に準じた仕様となっている。
中央快速線・青梅線で試運転を行い、その後8連化され、現在はE233系9000番台として武蔵野線・京葉線で使用されている。
余剰になった2両はE233系青編成の最終落成車に組み込まれた。
279:名無し野電車区
10/12/17 21:29:35 ISaykUWg0
東武車両
東武グループの鉄道車両製造会社。
昭和2年電車の大量製造が必要となったため設立。
工場は杉戸駅に併設され、以来10系~100系などの特急車を始め通勤電車・電気機関車などを量産した。
他社でも根津嘉一郎を通じて関係があった南海、営団、東京都などに車両を供給していた。
平成5年事業合理化のためアルナ工機と合併し、杉戸の工場は東武杉戸工場と共に現在も廃墟となっている。
280:名無し野電車区
10/12/21 16:00:51 LGkX+jU/0
東武500系
走行機器の老朽化が激しい200系・300系・350系の置き換え用として2008年に登場した。
製造は日立製作所で、JR東日本E257系をベースとした設計となっているが、この形式は200系と同じく高運転台となっている。
走行機器は50000系列に準じている。
車内もE257系をベースとしており、夜行列車にも使用される6両編成の車両は、各車両に荷物置き場を設置している。
2011年までに6連11本(66両)・4連3本(12両)が製造され、200系・300系・350系を置き換える。
これにより、波動用となっていた1800系を廃車とし、余剰となった200系2本を波動用とする。
また、250系については、置き換えを行わず、従来どおり「りょうもう」で運用される。
現在は「りょうもう」「きりふり」と臨時特急「ゆのさと」で使用されているが、2011年からは「しもつけ」臨時列車「尾瀬夜行」「スノーパル」にも使用される予定だ。
281:名無し野電車区
10/12/22 22:10:30 wwoHwdPl0
東急10000系
東横線・田園都市線の有料特急導入に伴い登場した有料特急車両。
JR東日本のE259系の側面を垂直にして細身(車体幅2.8m)にした形態をしているが無塗装ステンレス車体で荷物置場はない。
10両編成で朝晩は中央林間~東武動物公園と元町・中華街~川越市・所沢の通勤特急に、日中は中央林間~日光・鬼怒川温泉と元町・中華街~小川町・西武秩父間の特急に使用される。
東急史上初のトイレ付き車両でもある。
282:名無し野電車区
10/12/23 06:28:34 YAlxRUSTO
いす○鉄道キハ22形
既存のい○み100形の老朽化で、N潟トラン○スの標準気動車を
導入することになったが、そのままじゃ面白くないため
前面デザインをJ○Rキハ20系に似せてつくった。
塗装はもちろん國鐵色。ヘッドライトはブタ鼻。
キハ52が検査入場中でも期待を裏切らない。
283:名無し野電車区
10/12/23 20:24:20 H9twcQWb0
E653系転用改造車
E657系の投入により余剰となったE653系(基本編成)を新潟地区へ転用するため改造したもの。
需要を考慮し、電動車ユニット1組を抜いて5両編成(2M3T)としたほか、クハE653を半室グリーン車に改造している。
また、冗長性向上のため主要機器を更新している。
繁忙期には電動車ユニットが増結される。
284:名無し野電車区
10/12/24 10:00:00 DzrAWqd1O
しЯ束日本、Eスハ43系客車
蒸気機関車に牽引される12系客車の老朽化を見据えたほか、
復元旧型客車を純粋に保存に徹させる目的で開発された。
各部寸法は、かつてのスハ43系に酷似するが、ドアの自動引き戸化、
ブレーキシリンダーの台車への取り付けなどの改良が施されている。
車体は牽引定数を稼ぐためアルミ製としたが、ぶどう色2号で塗られた。
内装には樹脂含浸処理した木材を多用している。
交通弱者対策として荷物合造車風車両を設定、車椅子での乗車を
容易にしたほか、擬似荷物スペースには電源となる燃料電池を搭載した。
形式称号表記のEは、白○印の中に極細い字で書かれ、目立たなくなっている。
285:名無し野電車区
10/12/24 16:30:28 0zbvvcCRO
富士急行7000系 フジサン特急2
現行のフジサン特急2000系は、元JR東日本165系(元パノラマエクスプレス
アルプス)であるために急速に老朽化が進んでいた。
唯一急行型を使用しているしなの鉄道から169系を譲り受ける計画もあったが、
保守部品の枯渇を考慮すると新型車両の投入は必須だった。
そこで富士急は新型フジサン特急用として、各鉄道会社から捻出される特急車両の
ピックアップを開始する。
JR東日本の253系や名鉄の1000系や小田急の7000系及び10000系及び20000系の
ロマンスカー等が候補に上がった。
しかし253系は長年の高速走行で走行装置系はかなり痛め付けられており、
最も欲しがった200番台は転用先が既に決まっていた。
名鉄の1000系パノラマスーパーは5000系化の方針により捻出は不可。
過去に2300系等の譲渡実績から最有力だった小田急ロマンスカーも、
10000系と20000系はハイデッカー構造がホームに対応出来ず、バリアフリーの
観点でも無理なために7000系も加えたものの、連接式で短編成改造が必要だった。
そこへ京成電鉄が成田スカイアクセス開業によりAE100形が捻出となるのを聞く。
パノラマ車両はないが形が富士山に似ている点が決め手となり、富士急は
京成と交渉の上AE121F及び131Fを購入してフジサン特急二代目とする事になった。
改造として
1 8両編成からAE126(136)にAE121(131)の運転台部分を移植して3両編成化
2 車内は富士登山電車の実績から水戸岡氏デザインのものにする
特に座席はJR東日本253系のグリーン車用を再利用した。
1435mmの京成と1067mmの富士急の軌間の問題は、東急で捻出廃車された
9000系及び8090系の廃車発生品で賄った。
改造は東急車両及び東急テクノシステムで施工する。
またこの車両にはATS-Pも搭載されており、新宿への直通も計画している。
2010年にAE121 131の2本が投入されたが来年にはAE161も改造される予定で3本体制となる。
新宿直通が実現した場合、直通特急の愛称は中央本線急行黄金期の列車名である
「かわぐち」が最有力と見られる。
286:名無し野電車区
10/12/24 17:13:31 SNl2wf1C0
E751系転用改造車
E657系導入に伴う常磐線特急の見直しで、651系は廃車、E653系はいわき~仙台で運転されると発表されたが、
後に計画が変更され、「スーパーひたち」をE657系で運転することになり、E653系は引き続き「フレッシュひたち」として運転されることとなった。
いわき~仙台については、新幹線延伸によるダイヤ改正で定期運用を失っていたE751系が使用されることとなった。
E751系は新たに勝田電車区の所属となり、6連のまま全車が転属した。
外観は塗装をE653系(オレンジ)と同じにした以外は変更されていない。
またクロハE750形については、半室グリーン車となっていた物を普通車に改造したため、クハE750形へと形式変更している。
内装は前述の通り半室グリーン車を普通車に改造したため、グリーン車と普通車を仕切りを撤去された以外は手を加えられていない。
E751系はいわき~仙台の特急「そうま」で使用される他、一部の普通列車にも使用される予定。
287:名無し野電車区
10/12/24 22:02:04 ujRmRVnT0
>>147に続く
HB-E300系(3次車)
「きらきらうえつ」および「NO.DO.KA」を置き換えるために投入された。
それぞれ4両編成(HB-E301-7+HB-E300-2+HB-E300-301+HB-E302-7)、
3両編成(HB-E301-8+HB-E300-203+HB-E302-8)を組む。
「きらきらうえつ」向けの新形式であるHB-E300形300番台には、和風ラウンジ・ビュフェを設置している。
また、後者は愛称が「シルフィード」に改められた。
288:名無し野電車区
10/12/25 22:52:15 JjhIWN440
土佐電気鉄道650形
車種統一のため本家都電の7000形を購入したもの。
改軌や連結器の装着などの改造が施されている。
これにより300形、100形(2代目)を置き換えた。
現在も冷房化され健在。
289:名無し野電車区
10/12/25 23:51:47 tbAsri030
阪神9350系
9300系のビッグマイナーチェンジ仕様。
1000系と同一の電装品を採用し、3M3Tに変更された。
また方向幕もフルカラーLEDとなっている。
5550系と同様に車体をアルナ車両が製造し、艤装以降は阪神車両メンテナンスが担当している。
前面部は貫通幌を取り付けられる形状に変更され、1000系との連結や近鉄乗り入れも可能となっている。
290:名無し野電車区
10/12/26 03:39:12 N9LVkUfI0
国鉄 クロネ581
いわゆるヨンサントオで登場した一等寝台車。
当時の581系は、寝台座席兼用をコンセプトとしていたが、
一等車については技術的理由で製造されなかった。
ところが、一等寝台車の個室は昼間でも利用できるという
コロンブスの卵としてクロネ581が製造された。
1人用個室はナロネ20のルーメットを
昼間でも利用できるように改良したもので、
通路を挟んで7室ずつ14室が区画され、
昼間の利用として1、2人用個室にも利用できた。
なお、昼間の個室利用には一等座席料金が1人500円加算となった。
また、編成の付け離しの為に貫通式となった。
581・583系ともども田町電車区に配置され、
東京-博多間夜行「あさかぜ」及び
新大阪-博多間昼行「はと」の共通運用から始まり、
特に「あさかぜ」は大幅なスピードアップがなされたこともあって、
「夢の一等車」として人々のあこがれの対象となった。
291:名無し野電車区
10/12/26 03:40:17 N9LVkUfI0
国鉄 クロネ581 (続)
その後の鹿児島・日豊両線電化に伴い、
田町電車区以外に南福岡や鹿児島もに配置され、
夜行「はやぶさ」「富士」と
昼行「つばめ」「みどり」との共通運用も行われたが、
1975年3月の山陽新幹線博多開業時に伴う山陽線昼行特急全廃により、
夜行特急専用車両となった。
1976年7月の長崎・佐世保両線電化により、
東京-長崎・佐世保間「さくら」の583系化に伴い、長崎編成に連結。
なお、東京-熊本・長崎間「みずほ」も583系化されたが、
こちらはグリーン個室座席車(元一等個室座席車)として扱われた。
1980年代には583系B寝台車の寝台2段化や個室化改造も行われる中、
クロネ581は魅力の衰えを見せなかったが、
90年代になるとさすがに車両もオンボロになり、廃車が始まった。
折からの不況もあって、
前述した寝台特急群はことごとく廃止され、
2009年3月の「はやぶさ」「富士」廃止で全廃。
クロネ581も運命を共にした。
有志者の保存の声もあって、
さいたまの交通博物館と大阪の交通科学博物館に各1両が展示されている他、
小規模なネットカフェにも利用されている。
292:名無し野電車区
10/12/26 10:06:17 9n5Ai/sT0
国鉄 サハネ581-700
国鉄時代末期、上記の583系で運用されている東京~九州間の寝台特急
のイメージアップのために改造されたB寝台個室車。
この頃には昼行特急との共通運用もなくなったため、個室は昼間の利用を
考えないものとすることができた。
サハネ581を種車に、車内の座席/寝台を全て撤去して、上下交互に
16室の個室を設置した。
「あさかぜ」に連結され好評を得て、寝台列車個室化が広がるきっかけに
なった。
1993年の博多「あさかぜ」廃止ともに青森に転属、「はくつる」に
連結されたが、「はくつる」客車化と共に引退、廃車となった。
サシ581-700
サハネと同様の過程で国鉄時代末期にグレードアップされた食堂車。
星空風とレトロ風の2種類があった。
1994年に廃車。
サハネ581-500
同様の過程で連結されたロビーカー&シャワー室。
サロ581からの改造車と、サシ581からの改造車がある。
「あさかぜ」だけでなく、「はやぶさ」「富士」「さくら」「みすぼ」
にも連結されたが、列車削減と共に数を減らし、「はやぶさ」「さくら」
の併結化を機に編成から外され、廃車となった。
便乗すまぬ。
293:名無し野電車区
10/12/26 10:19:52 V02lOBWw0
レンタルビュフェ車
70年代に入ると国鉄のビュフェ車も人員不足で非営業が目立ってきたので増収策として外部に貸し出すこととした。
弁当業者が多く入ったが中には衣類や雑貨を売る者もいた。
なおテナント料は光熱費の実費+売上の1割である。
レンタル食堂車
上記が好評だったので食堂車の非営業だった車両も貸し出しした。
スペースが広いため書店やレコード/CD店も入居した。
中でも新幹線のカフェテリアやブルートレインの食堂車で同人誌即売会を期間限定で行ったものもおり話題となった。
294:名無し野電車区
10/12/26 11:33:51 zbiqSNE40
JR東日本クロE531-9001
2005年に登場した車両。
415系で好評だった1900番台のコンセプトをE531系に活かした車両。
先頭形状は他のE531系と変わらないが、二階建てのため天井が高くなっている。
車内はE231系のグリーン車とほぼ同じ設計となっており、デッキも設置されている。
この車両は、特別快速限定で2005年から運用されたが、後に4・5号車に二階建てグリーン車を連結することとなり、
クロE531-9001は2006年12月に東急車輌に入場、中間車化改造をされて、翌年2月に新製車と共に出場し、K411編成の4号車に組み込まれている。
295:名無し野電車区
10/12/26 11:34:33 X43l2ju3O
651系ジョイフルトレイン 二代目リゾートエクスプレスゆう 二代目宴
常磐新型特急車両のE657系投入に伴って651系は廃車される予定だったが、
折しも485系で最初に作られたジョイフルトレインであるリゾートエクスプレスゆうと
宴の老朽化が進んだ事から、651系を下回りとした車両に取り替える事になった。
車体はニューなのはななどに準じた車体とし、座席もお座敷と座席の
切り替え可能にすることで団体用だけでなく臨時特急などにも対応する。
またクロ650にはディーゼル発電機が搭載され、非電化路線で発電することで
ディーゼル機関車に直接連結させて牽引させることもできる。
いずれも編成は6両で二代目リゾートエクスプレスゆうは勝田車両センターに、
二代目宴は小山車両センターに配置された。
なお勝田車両センターにある波動用485系の移動も兼ねているため、
1500番台車の車両が大宮へ転属された。
二代目宴には東武ATSも搭載されており、日光方面の団体列車で東武を
使用したり、臨時のきぬがわや日光にも使われる噂もある。
また長野にも651系が運ばれたと言う話もあり、フリーザの取り替えか?の噂もある。
296:名無し野電車区
10/12/26 11:44:34 A5jgXR130
阪急10300系
阪急電鉄が製造した京都線用のロングシート車。
9300系と同一車体であるが、9000系と同様のロングシートとなっている。
また車体をアルナ車両が製造したため鋼製車体に逆戻りしてしまっている。
297:名無し野電車区
10/12/26 16:41:36 d22BGJS80
東武鉄道/会津鉄道 キハ200系
2002年、会津鉄道が「AIZUマウントエクスプレス」という鬼怒川温泉から会津若松まで
直通する優等列車の設定を計画した際、東武鉄道側が「どうせなら浅草から直通の特急にしようぜ」
ということになり、両鉄道共同で発注した特急用気動車
下回りは、JR北海道のキハ281系と同じ強制振り子式で、加速力も電車並みとすることにより
浅草口での他の列車と同等のダイヤ編成が可能なようにした。
また、山間部を走行する野岩鉄道、会津鉄道、JR只見線では、振り子機能を発揮し時間短縮が可能になった。
車体は現行200系と同じ作りになっており、気動車のため煤煙を考慮し、ボディが白地からグレーががった色になった。
列車名も「AIZUマウントエクスプレスきぬ」とし、浅草~会津若松間を約3時間で結ぶこととなった。
2008年、けごん系統の新宿乗り入れの際、同時に新宿発着の「スペーシアAIZUマウントエクスプレスきぬ」が増発された。
轟音を響かせて、湘南新宿ラインを爆走してゆく姿は、首都圏在住のこのスレの住人には周知のことであろう。
298:名無し野電車区
10/12/26 17:03:43 zbiqSNE40
京阪850形
石山坂本線の600形を置き換えるために2005年に登場した。
落成当初からワンマン運転に対応しており、各ドア上には京阪初となるLCD案内表示器が設置されている。
電気機器はVVVFを除いて800形と共通となっている。
日立製作所製造で、車体はA-train規格のアルミ製となった。
塗装は800形と同じとなっている。
2007年までに2連10本が落成し、600形を置き換えた。
299:名無し野電車区
10/12/29 08:27:23 QrFA395m0
保守
300:名無し野電車区
10/12/30 11:02:04 p5gjBrfj0
東急200系(2代目)
ペコちゃん200形を現代の技術で復活させたもの。
整備が面倒だった先代の反省を踏まえ、汎用部品で構成され、メンテナンスしやすく設計されている。
またエアコンとドアスロープも装備した。
国内数社のほか海外へも輸出されている。
301:名無し野電車区
10/12/30 13:27:45 tY8iGOivO
213系1000番台 211系1500・3500番台 6100番台
選手同士のトレードはプロ野球などではつきものであるが、それをJRの旅客鉄道間の
電車同士でやってしまった前代未聞の事件である。
JR東海は213系を関西線で使われていたが朝ラッシュ時にしか使われず、
313系も投入された事からその処遇に困っていた。
一方JR東日本は元々165系の下回りを再利用した107系の老朽化が急速に進んだ事や
E231系投入により一部高崎線等に残る211系にセミクロスの1000番台が残っており、
オールロングシートに揃えたい中で障壁となっていた。
東海も同じ211系でもトイレのない5000番台などもあり、3両編成に出来て
かつトイレ付は魅力だった。
そして107系の取り替えと1000番台を追い出したいJR東日本と3両編成に出来て
トイレ付の211系が欲しい東海との思惑が一致。
2009年前代未聞の旅客鉄道会社同士との電車トレードとなった。
トレードの対象となったのは高崎車両センターにあった211系1000番台5両編成7本と3000番台3本で、
3両編成にした上で静岡と1大垣に放出。
見返りに213系5000番台14本全部と211系6000番台のクモハ211のみ6両全部を
神領及び静岡から高崎車両センターへ放出するトレードである。
トレードで得た3000番台は静岡 1000番台は大垣に配置した。
形式はそのまま又は3000番台は5000番台に編入も検討されたが、
1000番台は1500番台に、3000番台は3500番台となった。
特に改造は行わないが、原則的に5000番台との連結は出来ないために1000番台は0番台がある
大垣に配置し、ロングシートの3000番台は静岡に配置したものと思われる。
静岡車も3両単独で運用出来る運用に限定され、御殿場線などでも使われている。
302:名無し野電車区
10/12/30 13:47:35 tY8iGOivO
>>301続き
一方東日本は労せず107系の取り替えが出来る車を手に入ったことで
2ドアである点からそれを生かして信越線の高崎~横川含めて吾妻線全線と
上越線の渋川~水上と両毛線の伊勢崎~小山間のワンマン運転化に着手。
なお東日本では一般的にない転換クロスシートは廃車されたサハ211-3000の
座席を再利用して全てロングシート化した。
電装品も東日本とは異なる点も冷房や補助電源を廃車された209系のものを
再利用し、走行装置系は改造中だった武蔵野線の205系の発生品や
253系の廃車発生品のを再利用した。
1M車の6000番台は東日本車の共通化改造した上でクハ210-3000と連結させた。
実は高崎ではなく新潟と長野に配置させる計画もあった。
この場合上越線や弥彦線や越後線及び中央本線で使われていたと思われ、
0番台を改造した2連の115系やミニエコーのクモハ123も取り替えていた可能性がある。
303:名無し野電車区
10/12/30 16:29:42 i4FtWsV+0
EF65形1500番台
JR貨物が1989年から製造を開始したEF65。
1000番台がベースであるが、側面のナンバープレートの位置がEF81形500番台と同様に中央から右側に変更されている。
304:名無し野電車区
10/12/30 17:47:54 N8gMEbEiO
721系9次車
快速エアポートの増発と711系の置き換え用。
今回はクハ721-6000とクハ721-6200が新区分番台として登場。この先頭車は2003年に登場した8次車に準じているため戸袋窓が廃止され、
前面窓下部のライトは731系に準じたものに変更されている。
またスカートも731系と同様のものとなったため、在来車とは顔つきがかなり異なる。
行先、種別表示はフルカラーLEDが採用されており、視認性の向上を図っている。
また車内も8次車に準じているためデッキが廃止され
エアカーテンやパーティションが装備されている。
編成は6両のみであり、全車両新造車のものと
F5201~5203などの編成から捻出した8次車を中間に組み込んだ編成が存在する。
なお9次車の登場により8次車を抜き取られた編成については3両に短縮されて
函館本線末端部や室蘭本線に残る711系の一部を置き換える予定となっている。
305:名無し野電車区
10/12/30 19:58:23 +0W6nTVAI
国鉄→JR各社、ED63形、ED95→ED63-900番台、直流電気機関車
昭和55年、国鉄が30年以上経過した旧型旅客機EF58、貨物機EF15、16、の置き換え、更に将来をにらみ、あえて新形汎用直流電気機関車を新製する事にした。
軸配置B-2-B、機関車重量84t
動輪上重量56~67.2t、動輪直径1120mm
台車DT138、中間台車TR103D
機関車出力2600kW
主電動機形式MT56、650kW×4
最高運転速度110km/h
動力伝達方式、1段歯車減速、コロ軸、吊り掛式
制御方式、重連総括、電気子チョッパ、他励磁界全並列接続、連続制御、軸重移動補填、回生、発電併用ブレーキ
補機電源、三相インバータ190kVA、(SIV)
列車暖房装置(電気式)、三相交流440V
ED75以上の性能、EF65以上の速度性能、1200tの貨物列車を10パーミルで勾配上速度55km/h、550tの客車列車を平坦線上速度105km/h、中間台車で動輪上軸重を14t~16.8t、ブルートレインの特急旅客列車から長大貨物列車まで。幹線から低級支線まで使用可能な万能機
試作機ED95-1→ED63-901
昭和57年ED95-1で試作、車体がEF66の縮小型貫通扉、デッキ付き、1年間試験後、量産化改造でED63-901に。
量産機、ED63-1~30、
昭和58年から量産開始、東海道線、山陽本線、ブルートレインの東京=下関間牽引や東海道線、山陽本線、一般貨物列車用
高崎、上越、東北本線黒磯までの旧型電機置き換え用、瀬野=八本松EF59取り替え用。
ED63-31~40、軽軸重、飯田線、身延線、中央線用、
早速ブルートレイン牽引に抜擢されたが60/3改正でロビーカー増結とブルートレインのスピードアップのため牽引機がEF66に換えられて東海道線ブルートレイン牽引から、出雲、瀬戸を残し撤退、関西ブルートレイン牽引機としては活躍。
JR化後、東日本、西日本、貨物にED63は分散。
JR貨物では増備機として100番台を新製
ED63-100~110
JR貨物が民営化後平成元年~平成4年に増備
GTOチョッパ、列車暖房装置が無い、塗色が貨物標準色、運転室に冷房装置がある、の違いがある。 現在でも全機健在。
306:名無し野電車区
10/12/30 20:01:06 +0W6nTVAI
国鉄DE50量産型、
試作車DE50-1が伯備線で試験後、本格的量産したもの、山陰線でDD54
を置き換えた。量産機にはSGが装着された。
DE50-2~100まで製造された。
特徴はDMP81Zの2000PSを1基搭載、DT140・DT131F、変速機DW7、JR化後、北海道
、東日本、西日本、九州に分散。
国鉄DF51型
DD51では、蒸気のC62、D52、D62、E50、E60(架空)他の
大型蒸気置き換えにはやや性能が不足したため。
昭和46年に試作機DF51-1が完成し、昭和47年度から少しずつ
昭和52年度までDF51-2~50まで製造された。
足回りは3軸ボギーのDT132A、2基、機関はDML61ZB
で1350PS(後1500PS)、変速機DW2系、
使用線区は室蘭、千歳線、函館本線小樽~長万部が主で。
北上、釜石線でも若干使われた。
JR化後、北海道、貨物に引き継がれ、ブルートレイン北斗星、
エルム、日本海、トワイライトエクスプレスを、DF51が単機で
牽引するのは北海道名物、貨物でも新型のDF200と並び活躍中だが。
最高速度95km/hが限界のため、特急貨物からはDF200に置き換えられて。
退きつつある。
追記、DF51はDML61ZB1350PS×2基で合計2700PS
初期の1~10は2700PSやがて出力アップで3000PSに。
11~50までDML61ZBが1500×2に出力アップされて
合計3000PSに向上、1067mmでは世界最強のディーゼル機関車
直、DF51、DE50は海外輸出も考えられて。
DF51はインドネシア、台湾で、DE50は、台湾、フィリピン、インドネシア、
他1000mmゲージに改めてベトナム、タイ、ミャンマー、マレーシア、にDE50
が輸出された。
307:名無し野電車区
10/12/30 22:37:52 i4FtWsV+0
225系1000番台・5500系
JR西日本とJR四国が瀬戸大橋線の快速マリンライナー用に開発した225系。
足回りは0番台と同様である。
JR西日本保有分が225系1000番台を、JR四国保有分が5500系を名乗る。
いずれも3両編成だが、5500系は2階建てグリーン車を連結した関係上中間車が4個モーターになっているのが特徴である。
308:名無し野電車区
10/12/31 08:07:51 /pMGYuIwO
ED500-902・903
日立製作所の試作機的要素が強い901号機とは別に作られたもので、
川崎重工・三菱電機製の902号機と東芝製の903号機も作られた。
川重・三菱はEF210をD型にしたような形で、より汎用性に重視した設計で、
東芝は日立製作所同様に独自に開発した車体を自社製の電気品を組み合わせた。
日立製作所で作られた901号機と同様に試験が行われた。
量産されなかった901号機とは対照的にこちらは少数量産化される事になった。
しかし用途は本線系ではなく限られた区間のみの用途してだった。
ED510-1~9
川崎重工・三菱電機製の試作機はそのままの形で量産化された。
しかし用途はEF81-300・400取り替えの関門トンネル間での使用で、
幡生~福岡貨物ターミナル間が原則だが、最近ED76に代わっては長崎線の
鍋島や鹿児島線の八代まで足を伸ばしている。
関門トンネル内の海水による塩害に対応するため再びステンレス車体となったが
コルゲートなしの一枚板となってJR貨物標準色で塗装されているために
一見するとステンレス車体とは見分けがつかない。
9両が製造されて量産化改造した901号機とともに門司機関区に配備された。
ED300-1~3
東芝で試作された903号機は直流用となって量産された。しかし用途は
EF67型に代わるセノハチ補機用途としてである。
何よりも初めから回生ブレーキがついていたのも決め手だった。
試作機では4300KW出せた出力は3000KWに落とされている。
走行解放はしないため、上り方のデッキは初めから作らずに製造された。
EF67型の内EF60型改造グループの0番台の取り替え目的のために3両のみ作られた。
903号機も901号機に改番の上で量産化改造された。
なお東芝で独自に開発した車体は後にEH200型に生かされることになる。
309:名無し野電車区
10/12/31 09:08:05 NR4WzDOw0
クヤ/モヤ201系
しR最後の砦、千ケヨのK1+K51をベースに
省エネ車黎明期に確率されつつあった技術継承の為、
技術メンテナンス系新任社員育成用に改造された形式
また、昨今の軽量形通勤車両(E231/E233系列)の
画一的デザインから来る旅客の誤乗対策や、踏切事故等で破損した場合の長期休車がしばしば発生しており、
オーダーから生産に時間がかかる現状を鑑み、鋼製車体の事故修復の容易さの利点を生かし、
ステンレス車体に代わる、さらなる安価でメンテナンス性に優れた新たな素材を一部部材または同デザインの新車体と取替することとし、
技術検討、使用することで、以後の新世代車体の開発技術検討に生かす予定。
尚、車体メーカーについては、通勤車の外注先である東急車輌・川崎重工業において2社の競作(コンペ)とする。
310:名無し野電車区
10/12/31 17:17:11 carn4Lpo0
東京メトロ13000系
日比谷線は長らく03系で統一されていたが、
ホームドア設置も検討され5ドア車を雌車にしてしまい評判が悪かった。
そこで18m4ドア車の本系列へ置き換えを実施することとなった。
13000系は日比谷線初のLCD案内を搭載し、運転台ではT型ワンハンドルを採用。
制御装置は三菱製IPM-IGBT-VVVFである(東西線15000系同様PMSM採用は見送られた)。
これにより03系は全編成が置き換えられ、地方私鉄への譲渡も行われるものと思われる(譲渡先までは思いつかん)。
東武70000系
日比谷線の4ドア化に伴い東武も20000系列の置き換えが必要となったため製造。
50000系列の18m版で運転台や走行機器は50000系列に準ずるが、東武初のLCD案内を採用。
これにより20000系列は全編成が置き換えられ、支線区への転属または伊予鉄道等へ譲渡される。
311:名無し野電車区
10/12/31 23:38:07 OjtH+kiY0
東武D51形
戦時輸送用に省線と同型車を導入した。
伊勢崎線系統がメインだが東上線にも1両が配備されている。
後に廃車となり、現在は森林公園に1両、東武動物公園に1両が保存されている。
312:名無し野電車区
11/01/01 00:05:06 lNS9lC7sI
台湾鉄路管理局
40SPK24000(スハフ14) 35SPK24000(オハフ15) 35SP24000(オハ14)
(復興号用客車)
40SPK14000(スハフ14) 35SPK14000(オハフ15) 35SP14000(オハ14)
(莒光号用客車)
台湾鉄路管理局は1990年代、客車列車の冷房化による復興号増発、莒光号増発の
ため新型車両投入と平行して、JR各社で余剰化していた14系客車座席車を譲受して
全車自由席復興号増発と一部座席取り替えて莒光号用客車にあてる事にした。
改造内容は車内案内を中国語、台湾語に、復興号用客車は座席カバーをビニールに
莒光号用客車は座席をリクライニング座席に取り替え、通路に絨毯をしく。
台湾鉄路管理局客車では初の自動扉、ディーゼル発電機搭載の分散電源による固定編成
屋根上の分散冷房と異彩を放っていた。莒光号用のオレンジ、復興号用のブルーに塗られた
元日本の14系座席車は日本からの鉄道ファンの興味の対象になった。
原材では座席交換や改造により 40FPK14000(スハフ14) 35FPK14000(オハフ15) 35FP14000(オハ14)
に改造されつつあり、改造客車は新莒光号で使われているが。
一部復興号用の中には老朽化や部品取りで廃車が発生している。
313:名無し野電車区
11/01/01 00:42:58 PQCUEfHk0
DD13形700番台
国鉄が1968年から製造したDD13の最終形態。
ヘッドライトがDD51と同様の角型に変更されている。
JR東日本と西日本に承継されたが1989年に廃車となった。
314:名無し野電車区
11/01/01 16:47:48 HFhSQZRuO
DD22型
DD51を半分に切ったようなDD20型とは別にDD13とDD51の中間型したようなもので
DD51を縮小したような外観が特徴。機関は800馬力を2基搭載する。
入替用として当初12両のみ製造される予定だったが、DD54型のトラブルが
多発した事から取り急ぎ同出力級を出せたのがこれしかおらず、緊急に製造が
増やされて結果的には36両製造された。
当初は60両製造される予定だったがDD51型の増産やSGがなく旅客には
不向きだったために使い勝手が利くDE10シリーズの製造開始により打ち切られた。
主に汐留 新鶴見 新小岩 武蔵野などの大きな貨物ヤードの入れ換えや
亜幹線の貨物用に使われ、清水港線や和田岬線でも使われたが、
前者は廃止で運命を共にして廃車され、後者はDE10に取り替えられて廃車された。
承継されたのはJR東日本にあった4両でDD14及びDD53などの除雪用機関車の
補助プッシャー用途でしか使われず、やはりDE10に取り替えられて平成9年に廃車された。
なお国鉄当時と最終残存機は一部臨海鉄道に譲渡されており、
神奈川臨海鉄道に2両と京葉臨海鉄道に4両が譲渡されて現役。
但し京葉臨海鉄道は平成24年にハイブリッド機関車を投入する計画で、
HD-KD80型に取り替えられる予定。
315:名無し野電車区
11/01/01 23:50:04 C+4lNNB60
ED78形5000番台
JR東日本でED78を標準軌用に改造。
台車を交換しただけでなく交流25000Vも走行可能な設計となっている。
当初は故障時の救援用に作られたが、実際には落ち葉掃きや構内入れ替えで使用されるに留まり結局2両しか改造されなかった上に2001年に廃車された。
316:名無し野電車区
11/01/02 00:09:06 5zuQnLJN0
DD10 2号機
1935年、国産初の電気式ディーゼル機関車DD10が完成していたが、
戦時統制により燃料油に事欠く状況となったことから、1940年代にはほとんど稼働することがなかった。
そこで、少しでも燃費を改善することが考えられ1942年に制作された。
電動機には直流複巻電動機を使用し、鉛蓄電池を搭載することにより制動時の電力を回収する機構が
試作された。
もっとも、半導体技術もない当時、低速ではほとんど回生電力が得られないことがわかり、機構が複雑なため
取扱いが難しく、ほとんど稼働しないままに終わった。
317:名無し野電車区
11/01/02 00:16:10 IQmoJQGuO
スティールウォーター市の再開発事業に伴い市一体の高架鉄道も一新され登場した片側3扉の新型ステンレス製車両。
郊外へはアムトラック線を走行し最高速度は160km/hに達する。
運行形態はユニット制を採用し、閑散時は1ユニットの4両で運行、朝夕通勤時間帯は2ユニットを連結しての8両編成、3ユニットを連結しての12両編成など柔軟な編成を組む。
STM-002型との併合も可能。
新型で一見万能車両のようだが、地下区間のBライン・Fラインは集電方式が第三軌条式となっており、さらに急曲線が多いためデッドライン指定を受け、20m級のこの車両は進入不可となっている。
STM-003型 0シリーズ(0番台)
編成:4両 1ユニット (2M2T)
起動加速度:3.5km/h/s
営業最高速度:
スティールウォーターメトロ線(A・C・K・Rライン) 80km/h(曲線通過+15km/h)
アムトラック線 160km/h(曲線通過+15km/h)
設計最高速度:170km/h(曲線通過+15km/h)
運転台:2ハンドル式
前面仕様:貫通型
座席配置:転換式クロスシート
編成定員(0シリーズ):
立席 320人
座席 200人
計 520人
最大寸法:
全長 20,000mm(19,500mm)
全幅 3,000mm(2,650mm)
全高 3,660mm
318:名無し野電車区
11/01/02 00:18:29 IQmoJQGuO
編成質量:122.5t(0シリーズ)
軌間:1,465mm(標準軌)
電気方式:架空電車線方式 交流11,000V (25Hz)
交流25,000V (60Hz)
集電装置:シングルアーム式パンタグラフ(AI-59C)
編成出力:180kW×4=720kW(かご形三相誘導電動機)
制御装置:PWMコンバータ+VVVFインバータ制御 (GTOサイリスタ素子)
1シリーズ(1番台)以降はIGBT素子を採用
駆動装置:TD継手式中実軸平行カルダン駆動方式
台車:ロールゴム式ボルスタレス台車 CH-50T (ヨーダンパ装備)
1シリーズ(1番台)以降は軸梁式ボルスタレス台車を採用
ブレーキ方式:発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ
保安装置:MTS (METRO TRAIN SYSTEM)
製造メーカー:
アルターインダストリーズ
スティールウォーター交通局鉄道車両部門
319:名無し野電車区
11/01/02 12:00:42 /BBUOUvGO
東武鉄道50030系 50080系
東上線に投入されたTJライナーを本線にも投入して欲しい声に応えて登場した
50070系の本線仕様型。
50080系は30000系同様の6+4連型で、半蔵門線直通対応を残す30000系と共に
太田・東武宇都宮行きに投入する。
日中の間合いでは半蔵門線直通運用に入る。
東上線と同じく定員制で始発は押上。浅草からは次の曳舟からの乗車になる。
停車駅は押上より曳舟 北千住 草加 越谷 春日部 東武動物公園で、
日光線新栃木行きは南栗橋 板倉東洋大前 栃木に、伊勢崎線太田行きは
東武動物公園より久喜 加須 館林 足利市に停車する。
(東武宇都宮行きは新栃木より壬生とおもちゃのまちのみ)
伊勢崎線方面はTIライナー 日光線方面はTNライナーとなる。
これにより特急しもつけ及び南栗橋行ききりふりは廃止され、春日部行き
けごんも一部ライナー化される。
320:名無し野電車区
11/01/02 13:13:26 mj/0hnNFI
大阪市営地下鉄30系北急2000形編入車
北大阪急行電鉄で新型車8000形が導入され
在来の2000形に廃車が始まっていた。
一方大阪市営地下鉄では30系より古い50系を廃車促進と。
30系と同一性能の北急2000形52両を御堂筋線9両化の際一括購入して
新型車両新20系登場迄の繋ぎとして30系を増備する事にした。
編入は御堂筋線9両編成が5本45両、余剰の7両は他線区で30系セミステンレス車と混結して
編成を組む事になった。これにより50系や二代目100形が廃車された。
性能は他の30系と同じだが、車体が丸みおびたり、乗務員室後ろや客扉の窓ガラスが大きい
座席がモケット張で柔らかい、化粧板が阪急に近い茶系の化粧板など特徴があった。
後々新20系が製造開始されると他の30系同様に廃車が始まり、1993年に元北急2000形編入
の30系グループは全車廃車された。
321:anorak?
11/01/02 14:33:05 zWQ6V+bi0
謹賀新年!迎春!
>>258に続く平行世界もの
◎大山観光電鉄200形電車
2006年
○いにしえからの山岳信仰の有名な対象の一つである丹沢山系の大山、
その大山の阿夫利神社と大山寺への参拝の足となるのが小田急傘下の大山観光電鉄である。
大山観光電鉄は、鋼索線(阿夫利神社~大山ケーブル)と鉄道線(小田急伊勢原駅~大山門前町)から成る。
鉄道線は、軌間1067mm、直流1.5kV、最急勾配50‰の登山鉄道である。
2005年頃に鉄道線の老朽車の取り替えが検討された。
製造費用削減を目的に、同路線と南海高野線高野下・極楽橋区間が線形や建築・車両限界等の路線環境が類似しており、
なおかつ大都市ターミナルへの直通サービスも実施している事から、南海2300系の設計を流用した新車導入となった。
それが、200形電車である。
信号系と後述する小田急車両との併結運転仕様を除いて、二列+一列の転換クロスシートを含めて南海2300系とは
ほぼ同一仕様である。
2006年に就役。
同路線(小田急伊勢原駅~大山門前町)内のみの運用のみならず、伊勢原から親会社小田急線に乗り入れる運用、
すなわち、新宿~大山門前町区間の臨時直通快速急行にも使用される。
この臨時直通快速急行の運用の際、新宿・伊勢原間は小田急の通勤電車と併結運転する。
322:名無し野電車区
11/01/02 22:36:05 mj/0hnNFI
南海21201系⇒21001系編入車
1973年(昭和48年)1500Vに昇圧すると、南海は昇圧後休車となった
21201系の新しい車体の活用法として、21001系に改造編入か
新たに電気子チョッパー制御の試作ズームカーに改造かの案があり。
両者検討されたが、結局性能統一のため、昇圧後の21001系と同一の制御器、電気機器
、ブレーキ装置、台車、MMを新製、更に21001系と同じ日立製集中冷房装置、75KVA
のMGを新製して冷房改造して21001系最終番台に編入された。
改造、改番は
モハ21201⇒モハ21033
モハ21202⇒モハ21036
モハ21203⇒モハ21034
サハ21801⇒モハ21035(電装)
編成は
昇圧前 モハ21201=モハ21203=サハ21801=モハ21202
昇圧後 モハ21033=モハ21034=モハ21035=モハ21036
に改造
改造後も他の21000系、22000系に混じり活躍したが新型ズームカー2000系の新造が
始まると、改造車のため老朽化が進みが早かったためか、1990年に真っ先に廃車された。
323:名無し野電車区
11/01/02 23:06:41 mj/0hnNFI
南海ED5201型更新機
1984年南海電鉄の貨物輸送全廃により廃車予定が急遽泉州沖に
関西国際空港建設とその近くに米軍基地の移転が決まり。
ED5201型4両は更新修理で延命させて、関西国際空港建設の貨物輸送や
米軍基地関連貨物輸送、空港線建設工事用、岸里=玉出間高架国際に使用する事にした。
関西国際空港線完成、関西国際空港開業後、貨物輸送が全廃された後は。
新車搬入や南海ATSとJR西ATS-SWを搭載している事から。
空港線乗り入れたりして保線に使用、一説にはなにわ筋線建設工事用の
工事用貨物輸送に使用する噂が立っているが。
老朽化から置き換え用に6000系モハ改造の電機に置き換えとか。
324:名無し野電車区
11/01/05 15:55:46 eNv5eYvJ0
西武鉄道E5210型
(西武秩父線のセメント輸送が存続したとして)
老朽化するE851型の代替機として2006年、4両が三菱電機・川崎重工業で製作されたF級電機である。
基本構造や走行装置並びに性能はJR貨物のEF510及びEF210-100番台を基本設計とする。
前面はEF510と同じ構造でパンタグラフはEF210-100番台2次車のFPS-4形を基本としたシングルアーム式を採用。
主電動機はEF210・EF510のFMT-4型を基本とした三相かご形誘導電動機を6つ釣り掛け式で装架、
台車はEF510のFD7N、FD8Aを基本とした空気バネボルスタレス台車である。
制御装置もEF210-100番台やEF510と同じ三菱電機製IGBT-VVVFインバータ(1C1M)を採用。
塗装はE851を意匠とした朱色とクリーム色の塗りわけを採用し、また側面には丸窓が5つ並ぶ。
保安装置は西武型ATSに加えJR貨物のATS-PF、ATS-SFも装備し、武蔵野線にも乗り入れる。
325:名無し野電車区
11/01/05 22:29:47 TzOsdZ2zI
奥多摩電鉄1020形⇒国鉄ED37⇒東武4020形4023
1944年奥多摩電鉄買収時に買収した1020形電機は省線⇒国鉄形式を付けられる
事なく西国立機関区(後の立川機関区)に配置され、青梅線、南武線で貨物列車の牽引用に使用された。
一時、作並機関区(仙山線)に転属したが、1952年(昭和27年)1月に宇部線に移り
国鉄形式ED37を付番される予定が、自社で東芝型同型機ED4010、ED4020形4両を
保有していた東武鉄道が払い下げを申請、同じく東芝型同型機保有し払い下げ申請して
いた西武鉄道、名古屋鉄道、南海電気鉄道と競合したが。
結局東武鉄道が落札し。1952年(昭和27年)末東武鉄道に払い下げられる事になった。
東武鉄道ではED4020形の追番ED4023を与えられ。
以後他のED4010型、ED4020型4両と同じく伊勢崎線貨物輸送に使用されて。
台車交換、ATS取付など他機同様の改造が行われ。
入替用に転じたのも他機同様、廃車は1984年3月30日に廃車された。
326:名無し野電車区
11/01/07 23:44:15 zZRPplxz0
167系1000番台
国鉄が1971年に製造した167系のATC仕様。
以下の相違点がある。
・製造時から冷房搭載(MGは両方のクハに搭載)
・側面方向幕取りつけ
・ATC搭載によりクハの定員が2名減少
・モハ166のパンタグラフ部分が低屋根でなくなり、PS23を搭載
・A-A基準を満たすために難燃性強化
塗装は青15号と黄5号という通称「修学旅行スカ色」であり、異彩を放っていたが後に通常のスカ色となった。
6両編成で、主に千葉~関西方面への修学旅行列車で使用されたが、1980年代以降は専ら臨時急行で使用されていた。
全車がJR東日本に承継され、現在でも幕張区に所属している。
327:名無し野電車区
11/01/08 00:13:22 sqVredlz0
南海サハ4811形・クハ4881形
電気機関車による客車輸送拡大を図り1953~54年サハ20両・クハ4両製造された。
車体はサハ4801形と同等で、クハ4851形はプッシュプル運転が出来るように運転台が取り付けられているのが特徴。
南海型ELと組んで本線・高野線で1973年まで使用された。
サハ4831形・クハ4891形
上記の軽量客車仕様で1956~58年にサハ15両・クハ5両製造。
国鉄の10系タイプではなく南海11001系タイプの車体構造となっている(ドア間転換クロス・デッキなし)。
ただし、トイレがサハの車体端に付いているなどの違いがある。
昇圧の際6101系同様のモーターと冷房を取り付けて急行向け電車4801系となり、1994年の関空開業まで本線・高野線の急行/区間急行に使用された。
328:名無し野電車区
11/01/08 00:13:32 ZZtr5W7g0
サハ211-5100番台
JR東日本で余剰となったサハ211-3000番台をJR東海が購入し、5000番台に編入する改造を施工。
補助電源が異なるため(3000番台がAC440V、5000番台がDC600V)電源変換インバータを取り付けた。
床下のナイフスイッチの操作で0番台の編成に組み込む事も可能である。
冷房装置がAU75Gのままであるため異様に目立つ存在になっている。
329:名無し野電車区
11/01/08 11:23:41 u4RvMTqT0
サハ204-200番台
京浜東北線へのE233系1000番台投入で余剰となったサハ208-0番台をサハ204に編入改造したもの。
改造内容は制御回路の変更程度で、外観は100番台に似ている。
改造後、それまで埼京線や横浜線の205系で6扉車の無かった編成に組み込まれ、両線の205系全編成への6扉車組み込みが達成された。
なお、横浜線に既に在籍していたサハ204-30は200番台に置き換えられ埼京線に転出。同線のサハ204は209系タイプに統一された。
このため埼京線には0番台と200番台が混結されている編成が1本だけある。
330:名無し野電車区
11/01/08 14:10:57 i+h28cu60
国鉄 オハネ583系
昭和45年、陳腐化してきた20系の後継となる14系寝台車の計画が持ち上がったが
折からの財政悪化のため、その製造は遅れることとなった
しかしながら、特に九州ブルトレの体質改善は急務を要すると判断した国鉄本社は、
寝台幅が格段に向上している583系に目をつけ、生産途中の車輛に電装品をつけずに
客車として使用することにより、安く体質改善を図ることとした。
形式は、客車初の3ケタとし、基本的に583系そのままの番号を付与した。
オハネフ583
オハネ582
オハネ583
オロネ582
オロネ582-1000
オロ582
オシ582
このうち、オロネ582は、モハネ582を2段化したA寝台、オロネ582-1000はサハネ582を
個室A寝台化した構造となっている。
サービス電源などはMG、CPをそのまま利用することとし、オハネ582にパンタグラフを装備し、交直
切り替え装置を乗せて、架線から集電する構造となっていた。
全区間電化区間を走行する「あさかぜ」から順次投入され、電化区間の延伸に伴い「さくら」「みずほ」
「はやぶさ」などにも投入されていった。
昭和50年、遅れていた14系及び24系の落成により再び九州ブルトレが客車化されると、電装化され
そのまま東北特急の増発に回され、東北初の個室A寝台が好評を博した。
JR化後、全車JR東日本に継承されたが、青函トンネル開通により東北特急から撤退し、平成10年までに
全車廃車となった。
331:名無し野電車区
11/01/08 14:49:53 iHzQ3OgK0
サハE232-1500番台
JR東日本で余剰となった6ドア車のサハE230-500番台をE233系に編入改造。
改造は制御回路の変更程度である。
ドア窓の形状が違うため異様に目立つ存在となっている。
332:名無し野電車区
11/01/09 10:49:34 7FJpXaIY0
オロネ11
マロネ29の10系寝台車バージョン。新製時より冷房を搭載。
寝台収納時はロングシートとなる。上段寝台用の覗き窓が設けられ、居住性が向上した。
ナハ11-200番台
オロネ11の普通車化改造車。非便所側のデッキ仕切りと上段寝台を撤去し、覗き窓は埋められた。
また、通勤輸送を考慮して吊革と荷物棚下のつかみ棒が新設された。
ロングシート・冷房付きであることからラッシュ時や夏場に重宝され、
50系登場後もMR管増設と自動ドア設置を実施されて50系編成に組み込まれ(塗色は青15号のまま)、
2001年まで使用された。
333:名無し野電車区
11/01/09 11:14:29 rdmyfKwL0
国鉄 北海道総局 キハ80-500 キロ82
昭和48年、空前の北海道旅行ブームにより、特急列車も連日満席が続いていた。
しかしながら、その利用率は普通車に限定され、グリーン車のほうは空席が目立つ状態であった。
さまざまな施策により、なんとかグリーン車の利用率向上を図ったがことごと失敗したため
グリーン車の定員減と普通車の定員増を図る目的で、定員の少ないキハ82と中間車のキロ80を
取り変える形で改造された形式である。
改造は最小限ですませることとし、両者の座席を取り変えるだけにし、外見はグリーンマークがあるか
ないかの違い程度となった。
キシ80とキハ82-500の連結位置を変更し、キロ82+キシ80+キハ80-500+キハ80・・・という順序になった。
これにより、登場時よりの懸案であった「グリーン車通り抜け」を排除するという副産物も生まれ、好評を持って迎えられた。
しかしながら、乗務員室がグリーン車から離れてしまったため、検札が不便になったとの苦情が車掌区から寄せられ、更に
昭和50年代に入ると「フルムーン夫婦グリーンパス」の爆発的な人気により定員減となったクリーン車に苦情が殺到するようになり
一部特急ではキロ82を増結するような事態も発生するようになってしまった。
晩年の苦情も、昭和54年にキハ183系が登場してからは影をひそめ、昭和62年のおおとり・オホーツクからの撤退以後
キロ82は座席もそのままで普通車に格下げされ、キハ82-500を名乗り、最終的に波動輸送用に残った5両の両先頭車として
活躍し、臨時北斗81・82号として運用されるようになった際には「グリーン車の座席に普通料金で乗れるお得な車輛」として
再び人気を博するようになった。
平成に入り全車廃車となり、現在小樽の鉄道博物館にキハ82-501が休憩所として使用されているのは周知のことであろう。
334:名無し野電車区
11/01/09 13:35:18 eOQ/TyJx0
>>327
南海本線に区間急行が出来たのは平成に入ってからなので、
この記事の年代では「(赤)準急」とするのが正解
335:名無し野電車区
11/01/09 14:24:21 rdmyfKwL0
国鉄 北海道総局 キロユニ27
昭和50年、老朽化してきたキハユニ26の置き換えと、輸送力過剰となっていた急行ちとせの
グリーン車を外すために製造された、荷物郵便グリーン車の合造車
キハ27をベースに、前方2/3を荷物室と郵便室に、後ろ1/3をグリーン客室とした。
客室のみならず荷物室や郵便室も冷房化され、塗装は急行塗装となっている。
車端部に客用ドアが設置され、トイレ洗面所を介して客室に入る構造となっているが、スペースの
関係で乗務員室は設置されておらず、となりに連結されるキハ56・27の中間運転台を車掌室として
使用するように指定されていた。
全部で7両製造され、急行ちとせの一部に連結されるほかは普通列車に連結されて運用された。
普通列車で使用される場合は、たいていの場合グリーン室は閉鎖扱いされていたが、ごくたまに
車掌によっては開放されることもあった。
急行ちとせでの荷物輸送廃止後は、車齢も若かったことから3両がアルファコンチネンタルエクスプレスの
種車となったり、のちに登場する快速ミッドナイトの種車の一部となり、現存する車輛は1両もない。
336:名無し野電車区
11/01/09 22:56:18 +J/Rjj+GI
国鉄C64形試作旅客蒸気機関車
戦後国鉄は電化計画を発表し蒸気機関車を置き換える
計画であったが、南アフリカ国鉄の1829mm動輪で1067mm
軌間では世界最速の最高速度113~115km/hで走行した事。
太平洋戦争中占領したインドネシアのC53機関車も四シリンダー複式ながら。
最高速度100km/h~110km/hで運行していたのに。
計画では1850mm動輪のKC51、KC54を計画していた国鉄は
刺激されて。
おりしも製造再開していた戦後形C59、C60新造を
ベースにKC51、KC54の1850mm動輪を採用し。
2軸従台車、燃焼室付16kgボイラーで近代化し。
ブレーキ装置を先輪、動輪、従輪に両抱き合わせ式にして
強化し、最高運転時を日本内地の1067mm最速の110km/h運行を
目標にした物。
1950~1951年にかけて試作試験機関車として
C64-1、C64-2が製造され、ただちに客車を牽いて高速試験に
使われた。
スハ42系客車を10両牽いた場合は最高速度110km/hを達成し
客車7両牽引した場合は最高速度120km/hを達成。
そしてC62が機関車単機で129km/h出した事に刺激されて。
スハ42系客車4両牽引で125km/h、そして機関車単機では133km/h
の狭軌1067mmでは南アフリカ、インドネシア、ニュージーランド、を越えた記録をだした。
後々ナハ10系客車編成や20系客車編成をC64形蒸気機関車に牽引させて
最高速度120km/hの高速試験をやる予定だが何故か中止にされた。
337:名無し野電車区
11/01/10 01:06:27 UFDXQz8v0
ポルトガル国鉄(CP)4500系
ラテン系ヨーロッパ諸国でポルトガルだけ自前開発の高速鉄道がなかったため奮起して開発した電車。
試作車は4両編成、量産型は10両編成を予定し、最高時速350kmで強制振り子式と画期的だが標準軌車両のためスペインとの標準軌新線が完成しないと試運転も出来ず現段階では宝の持ち腐れとなっている。
338:名無し野電車区
11/01/11 13:34:00 ZmQ0Y5M50
JR西日本323系
満を持して225系の通勤型版として製造された車両。
225系同様、車体の強度対策からドア間が東武10030系のような独立した2枚窓に変更されている。
最大の特徴としては、全区間7連化で遊んでいる207系の先頭車を活用すべく、
今回は中間車のみを一部先頭車準備仕様で製造している。
(当該部分は戸袋のすぐ隣から鋼体が独立しており、その部分が207系の変位貫通路対応とされている)
ただし、起動時の消費電力の関係で運用線区の限られる207系の仕様をかんがみて、
電動車は編成内では207系で統一するよう、複雑な組み換えが行われている。
また、321系は0.5M方式を基本とするが、323系は通常の1M方式も対応できるような
設計となっている。
<投入前>
Mc207-T207-Tc206 * 3
Tc207-M207-M206-Tc206 * 3
<投入後>
・引き続き学研都市線で使用
Mc207-T207-T207-T207-M207-M206-Tc206*1
Mc207-T323-T323-T322-M207-M206-Tc206*2
・阪和線・大和路線などで使用
Tc207-M323-M322-Tc206*3
なお、207系の更新時には、再度組み換えを行う予定である。
339:名無し野電車区
11/01/11 18:45:32 zx35rpeg0
321系1000番台
JR西日本が製造した321系の阪和線バージョン。
4両編成と6両編成があり、いずれもオールMである。
帯の色は223系0番台と同じグラデーションである。
半自動ドアスイッチが取り付けられておらず、代わりに3/4閉回路を搭載している。
また225系と同様につり革がオレンジ色の大型のものに変更されている。
340:名無し野電車区
11/01/11 21:34:19 Ps69J3vf0
>>241
しかし動く歩道の特性上、「実際は鉄軌道の上を動力車を用いて走らせるのとランニングコストはさほど変りないのでは?」という試算の結果も出ているとかいないとか。
(動く歩道という特性上、営業時間中は利用者がいなくともモーターを稼働させたままにする必要があるためというのが主な原因らしい。
センサーを設けて利用者がいる時のみ稼働させるということにしても、延長がキロ単位になるため結局は連続稼動のときと変りないとも)
341:名無し野電車区
11/01/12 23:32:02 uI1gomh+O
JR東海313系3500番台
115系の置き換えを目的に、静岡地区の身延線や御殿場線用に投入。
・・・早い話がセミクロス(ボックス)仕様の3000番台の3両バージョンである。ワンマン非対応。
342:名無し野電車区
11/01/14 20:15:33 6bdnZQSO0
キハ48形9000番台
JR北海道とJR東日本とJR東海とJR西日本がAKB48と共同開発したキハ48ベースのジョイフルトレインで「KHA48」という愛称がある。
内装や外装のデザインは全て秋元康やAKB48のメンバーがプロデュースした。
コンセプトは「乗りに行けるアイドル」。
48両もあるという日本の鉄道史上最大規模のジョイフルトレインであるが、48両編成での運転は不可能なため実際の運転では適宜選抜(2両~10両)を行う。
選抜方法は職員が適当に選ぶ方法から利用客による選抜総選挙など様々。
ごく稀に未改造のキハ48を繋ぐ事があり、利用客からは「研究生」と呼ばれているらしい。
他形式(キハ40やキハ47など)との連結は禁止されている(厳密には機関車とは連結可だが他の気動車との連結は禁止)。
キハ48がいない四国や九州にも乗り入れることがある。
343:名無し野電車区
11/01/15 09:56:02 Zj/NcQXg0
キハ52系、キロハ52系
キハ25を強力小型エンジン2基搭載
3扉特急にも適用
JR倒壊火災気動車:(現行キハ52とは関係なし)
344:名無し野電車区
11/01/15 12:17:08 umjRuU6T0
E233系9000番台
JR東日本が製造したE233系の永久磁石同期電動機試験車。
主電動機が永久磁石同期電動機に変更されている。
またMT比が4M6Tに逆戻りしているが、永久磁石同期電動機は個別制御が必須であるため「4M6Tでも冗長性を確保できる」という判断とコスト低減から導入に踏み切った。
また4M6Tであっても加速度3.0km/h/sを出す事が可能な仕様となっている。
345:anorak?
11/01/15 15:56:53 0xpX19yU0
>>321に続く平行世界もの
◎国鉄キハ38形500番台
製造年 1987
○1987年4月の国鉄分割民営化―JR発足を控えた86年度に、継承するJR各社の経営基盤強化を目的に
日本各地に様々な新車が投入された。
特に、低性能な老朽車が多い上に厳しい経営環境が予想される北海道、四国、九州の三島に対して集中的に。
86年末にJR各社の経営シミュレーションを再度行った結果、JR西日本管轄となる中国地方にも新車として、
キハ38形500番台を投入する事が急遽決定された。
0番台との相違点は、軽量ステンレス製車体、広域運用を考慮して耐寒耐雪が強化され、
寒風対策として乗降口と座席の境界に大きな袖仕切りを設置したなどである。
トイレ付きの500番台とトイレ無しの1500番台で組んだ二両編成を基本とする。
車両の外観は、同期の207系900番台電車に似ている。
三扉オールロングシート車なので津山線岡山口と吉備線、芸備線広島口に集中投入され、
これらの路線の大都市圏内での列車増発が87年3月の地域限定ダイヤ改正として実施された。
87年4月以後、同車両はJR西日本に承継されるが、増備されなかった。
◎国鉄キハ66・67形2000番台
1980 キハ47の大出力
○1980年、国鉄大隅線桜島支線(海潟温泉~桜島港)並びに国鉄桜島航路(桜島連絡船、桜島港~鹿児島駅)が開業。
当路線は活火山桜島の麓を国道224号と共に通るので火山灰対策として冷房車、後発なので競合との競争力強化の為の
速度向上等の要求を満たす新車キハ66・67形2000番台が投入された。
便所はキハ66に冷房用発電機はキハ67に設置と共に駆動システムは筑豊向けの0番台を踏襲するが、
車体の意匠はキハ47にほぼ準じ、台車はコイルバネで固定セミクロスシート。火山灰対策に運転台窓に庇。
キハ47(220PS)の大出力版(440PS)が実態であって、労働組合対策として、キハ68・69とならず、
キハ66・67の新区分番台となった。
87年4月にJR九州に承継。後にエンジンと変速機の換装等の更新を経て現役。
346:名無し野電車区
11/01/15 16:06:20 Il5cRBOR0
>>342
K編成、H編成、A編成がローテーションで定期運用に入るんですねわかります。
347:名無し野電車区
11/01/17 01:05:34 mOWz1R520
JRキハ300(HB-E300)形1000BANDAI
JR6社がバンダイナムコとタイアップして導入したジョイフルトレイン。
アイドルマスターのキャラクターをモチーフにしており、各キャラのイメージカラーに合わせたラッピングが施されている。
両運転台・貫通型であり、自由な編成組成が可能である。
以下のように増備され現在16両が在籍している。
先行試作車1両(小鳥)
1次量産車10両(初期10名、なお美希のみ1年遅れて製造)
2次量産車2両(響、貴音)
3次量産車3両(愛、絵理、涼)
臨時列車として「とかち」「あずさ」「ひびき」「はるか」「あい」の運転実績がある。
348:名無し野電車区
11/01/17 20:23:05 fcN0M+pJ0
架空の列車ってここで良い?
上野発信越線経由福井行き寝台特急とか
349:名無し野電車区
11/01/18 20:08:05 dzJSnLqS0
>>348
架空列車は鉄道総合にスレがありますよ
350:名無し野電車区
11/01/19 03:16:59 hSElyFVY0
東京地下鉄12000系
方南町駅が、ホーム延伸に伴い6両編成が入線可能になり、
支線の分離運転体制から荻窪行き・方南町行き交互運転に変更されたため
運用増に対応すべく投入。車体は02系、機器類は16000系に準じていて、
1編成のみが投入された。これにより、02系支線対応車1編成が訓練車に格下げされ、
残る2編成は連結の上、6両固定編成扱いとされた。
351:名無し野電車区
11/01/19 15:32:57 R4+vMdkV0
>>34>>51
電動車ユニットを横川方に配置するために471・473・475・457系とは逆向きであったため併結が出来ず限定運用が組まれていた。
急行廃止後の1985年に正方向とされ併結可能になったがこれにより碓氷峠の通過が不可能になった。
352:名無し野電車区
11/01/19 17:55:36 71E7kHhA0
>>349
ここだね、ありがとう。
架空の列車を考える
スレリンク(train板)
353:名無し野電車区
11/01/19 22:38:06 oxdnCo1K0
大阪市営地下鉄5100形(51系)
プルマン社が日本進出第1段として1960年製造したもの。
車体のレイアウトは50系と同じだが、足回りや窓などのデザインはシカゴ地下鉄2000形に似ている。
大阪市営地下鉄唯一の直角カルダン車両であった。
御堂筋線→谷町線と移動し、1988年まで使用された。
営団2100形
第2段として1961~62年に製造された。
銀座線用であり、レイアウトは2000形と同じである。
こちらは1992年まで使用された。
354:名無し野電車区
11/01/19 23:44:31 vWi3ZHHp0
541系
JR西日本が開発した「ドクターWEST」の電車版。
クモヤ541とクヤ540でペアを組む。
走行機器は521系がベースである。
355:名無し野電車区
11/01/21 21:09:37 j0zPdN020
109系
国鉄が開発した103系の碓氷峠対応バージョン。
EF63との協調運転にも対応する。
一部では「マルキュー系」と呼ばれているらしい。
団体臨時列車で渋谷駅に乗り入れたこともある。
356:名無し野電車区
11/01/22 13:18:47 D36fn6Z50
211系はE233系導入に伴い、北関東や甲信越に転用となったが、
余剰となった2階建てサロは、他系列に転用改造されることとなった。
サロE500・E501
E501系は、東北縦貫線乗り入れ車確保のため、
両先頭車のセミクロス化、ラインカラーの変更などを行い、
上野口に出戻りとなったが、そこで必要なサロはもともと少数の
イレギュラーな存在のため、ちょうど余剰の発生した
211系の改造でまかなわれることとなった。
改造内容は主に制御回路の変更だが、この改造には
捻出されて廃車となったサハの部品が一部活用されている。
なお、E501系は最高速度が120kmのままなので、
上野口乗り入れはラッシュ時に限られている。
(日中は土浦折り返し・同以北で1運用だけ入る)
サハ185-500・550
常磐線E657系投入で、捻出された651系は
オーソドックスな設備ゆえに、大半が解体された253系と違い、
積極的に活用となったが、その性能や設備を生かして
最高110kmでダイヤ構成上足を引っ張っていた185系に代わり
極力特急運用につくこととなったため、
185系が波動用に転用されることとなった。
そこで余剰となっていたサロ212・213が
185系にサハとして転用され、ラッシュ時のライナー運用で
輸送力の確保に貢献することとなった。
357:名無し野電車区
11/01/22 17:06:05 xPt9d/rA0
JR東日本 E241系 直流特急形電車
○名鉄・南海にヒントを得た次世代特急車両
高速道路の土休日上限1000円・一部無料化によって打撃を受けたJR東日本の特急列車群。
特に、上野を発着する高崎・上越・吾妻線方面特急の乗車率低下は著しく、また充当される車両自体も経年劣化が進行しており、何らかの抜本的な対策が必要であった。
そこでJRが目を付けたのが、名鉄や南海が実施している「一部特別車特急」であった。
これに対応する新系列特急車両として登場したのがE241系特急形電車である。
車体は日立A-Trainシステムを採用したアルミダブルスキン構造。制御機器等はE233系3000番台と同品を使用し、コスト削減に留意した。
最高速度は120km/h。ただし高崎・上越線内での連続停車を考慮し、起動加速度は2.5km/h/sと高め。
編成は185系200番台と同じ7両(4M3T)。高崎側から前3両を指定席・グリーン席、後4両を自由席とし、自由席料金を最大500円に引き下げた。
室内は前3両が2扉(片開き)、後ろ4両が2扉(両開き)の構成とし、デッキも後4両は簡易パーテーションに留め、シートも転換クロスシートとすることで差別化を図っている。
また、奇数号車には電動車いす対応の大型トイレを、一部号車には女性専用トイレや多目的室も設置している。
JR始まって以来の珍妙なコンセプトの車両となったE241系は、当初の計画通り、特急「草津」「水上」「あかぎ」に投入された。
このコンセプトが災いしてか、口の悪いファンの間では「新特急」ならぬ「珍特急」と呼ばれているとかいないとか…。