10/10/25 20:30:27 MhsYbb0G0
JR北海道 オクハテ281 ナハ280
ノロッコ号に使用されているオクハテ50その他トロッコ車輛の老朽化に伴い、キハ281系から
エンジンを降ろして客車化された形式
なお、何をトチ狂ったか、新ノロッコ号は「スーパーノロッコ号」と名前を変え、景勝地は以前にも増して
速度を落とし、時速15km程度になるとともに、それ以外のところでは最高時速130kmで強制振り子を
かまして走行するようになった
なお、乗客の振り落とし防止のため、ノロッコ区間以外は窓が自動的にせりあがってくる機構を採用している
当然、ポリカネード仕様となっている
151:名無し野電車区
10/10/26 01:30:25 kBYFrESj0
東武2000系(日比谷線が20m車対応だった場合)
4ドアの20m車両。後半の車両は8000系に合わせた顔になった。
最後は冷房化され5000系を置き換えた。
営団3000系
上に同じの20m車。
東急7000系(初代)
東急初の20m車両。このため池上線入線が困難で7700系改造・日比谷線撤退後は大井町線に集結した。
152:名無し野電車区
10/10/27 09:29:23 2VtzS9Hc0
南部縦貫鉄道キハ130
新幹線接続鉄道となることに伴い、輸送力強化および路線イメージ向上のため
同社がJR北海道で余剰となったキハ130を3両購入したもの。
改造費用節約のため、内外装とも日高本線時代とほぼ同じ姿を保っている。
12月4日以降は七戸十和田~野辺地を新幹線に接続した30分~1時間ヘッドに
大増発され、3両がフル運用される予定。
ただ、七戸~七戸十和田延長工事および車両購入にかかる費用の大半を
関係地方自治体からの補助金で賄われたため、税金の無駄使いとの批判も強い。
153:名無し野電車区
10/10/28 20:14:45 IbBKPDw00
モハ153-162~、モハ152-162~、クハ153-558~、サハ153-300番台
国鉄が1965年から151・161系を181系に改造した際に発生したMT46を有効利用して製造した153系の最終形態。
以下の相違点がある。
・台車をDT32/TR69に変更
・CPをC-2000に変更
・MG容量を10kVAに変更し、モハ152のみ搭載
サハ153を300番台としたのは100・200番台のMG・CPを撤去して0番台に編入する事を考えていたためらしいが結局実現しなかった。
サロは製造されず、必要なときはサロ163を組み込んでいた。
後にサハ153-300番台は165系や455系に編入された。
車齢が若いためにJR西日本に承継され、6両編成が広島地区で1996年まで活躍した。
154:名無し野電車区
10/10/28 21:20:23 2Nn27ZXy0
413系1000番台・2000番台
北陸本線では581/583系を改造した419系や急行型の471系/457系が普通列車用として使用されていたが、
ドアの狭さやデッキ付きという構造上の理由からラッシュ時には遅延が生じやすく、
また、車内アコモの陳腐化が進み、旅客サービスの低下を招いていた。
これらを改善するため、走行装置を流用し、車体を乗せ換えることで遅延防止と
サービスの向上を図ることとした。この計画に基づき、1991年からJR西日本が改造、投入したのが
この413系1000番台・2000番台である。
419系からの改造車が1000番台、471系列からの改造車が2000番台に付番された。
・クモハ413-1000/2000(Mc)
制御装置が搭載された制御電動車。
・モハ412-1000/2000(M')
パンタグラフ、主変圧器、整流装置を搭載する中間電動車。
・クハ412-1000/2000(Tc')
制御車。3位側にトイレを備える。
床下には補助電源用SIV、空気圧縮機を備える。
車体は213系をベースとした軽量ステンレス車体とし、軽量化、省メンテナンス化を図っている。
両開き扉を片側2か所に配置し、座席はセミクロスシートとしている。
改造とはいえ、実質的に新造に等しいため、利用者からの人気は高い。
その後、パンタグラフが681系と同じ下枠交差型に改められたものの、現在も全車が活躍中である。
155:名無し野電車区
10/10/28 21:53:19 5b36kclr0
>>153
クハ455-550番台
サハ153-300番台を455系の先頭車に改造。
外観はクハ455-500番台と同一。
JR東日本とJR九州に承継されたが2007年に廃車された。
サハ455-300番台
サハ153-300番台を455系に編入。
ドアステップが取り付けられた。
JR西日本に承継され、4両編成に組み込まれたが富山港線以外では使い勝手が悪く2001年に廃車された。
156:名無し野電車区
10/10/29 00:24:08 TLSx6lc+0
東急160型
世田谷線の車庫が火事で車両が全滅し、急遽大阪市電1601形を買い取って使用したもの。
台車は都電のもの、制御器は予備品を使っている。
連結2人乗りに改造されて300型登場まで活躍した。
157:名無し野電車区
10/10/29 01:32:35 6fypkKaI0
N923型
東海道山陽九州新幹線全線開通に伴い新たに導入された7両編成の電気試験車。
N700系ベースで軌道試験車以外は全て電動車であるが九州区間の急勾配に対応するため抑速ブレーキを搭載している。
現在の所東京-鹿児島直通の旅客営業運転の予定が無いため東京駅と鹿児島中央駅の両方へ入るのはこの車両のみとなっている。
JR東海車(東京第2車両所)は0番台JR西日本車(博多総合車両所)は3000番台JR九州車(熊本総合車両所)は8000番台となっている。
700系5000番台
需要の少ない山陽新幹線のこだまではあまり設備投資ができず0系や100系を格下げして使用してきた。
しかしリニューアルをしているとはいえ老朽化が目立つ上最高速度が低く500・700・N700系といった高速の新型車の増加や数年後に迫った九州新幹線の全線開通による直通開始
で速度が遅いこだまがじゃまになることからついに新型車の導入が計画された。
そこで登場したのがこの700系5000番台であるが従来4両ユニットであったものを3両ユニット2組の6連としている。
このため先頭車へも電装品が搭載された。
外部塗装や内装はレールスター用7000番台に準じた仕様であるがコンパートメントと側面のレールスターロゴマークが無いのが特徴である。
座席配置は6両とも2-2の4列となっている。
なお量産先行車の先頭車は電装品を搭載していながらコストダウンのため制御車の723-5001(下り向き)と724-5001(上り向き)となっていたが
故障時の余裕のため量産車では制御電動車となりそれぞれ721-5000と722-500となり先行車も電動改造された。
また最近になり九州区間直通のため抑速ブレーキも搭載しているが現時点では九州区間での定期運用の予定は無い。
最高速度は285㎞であり繁忙期には臨時ひかりへも充当されている。
04年夏から07年秋にかけて15本が製造され全てが博多総合車両所に配置されている。
編成記号はA1-A15となっている。
158:名無し野電車区
10/10/29 10:29:10 4yAJJ1V80
キハ189系広セキ車
九州新幹線開通に伴い、つばめが小倉駅に乗り入れる事になったのに伴い、
GWにキハ189系1編成を使用した臨時特急を小倉~東萩間に運行した所好評だった事から、
地元が「いそかぜ」復活を願い実現する事となった。
利用客数を考慮し2両編成2本が配置された。
多客時にはキハ189-0を中間に差し込んで3両での運行も行われる。
159:名無し野電車区
10/10/30 12:39:24 mnQ225Pm0
115系1700番台
国鉄が1982年から製造した115系のオールロングシート仕様。
415系500番台とほぼ同一の内装に変更されている。
4両編成と7両編成があり、宇都宮線と高崎線の混雑緩和用に導入されたが、一部は新潟・長野地区に転属した。
クモハ115は存在しなかったが後に先頭車化改造で登場した。
160:anorak?
10/10/30 17:57:08 hzVbHkaz0
>>56-57 >>143に続く平行世界モノ
国鉄001系通勤形電車
製造年 1969-71 車種 クハ001(Tc) モハ001(M) サハ001(T) 要点 第三軌条集電
○20世紀前半、東京に民間資本による地下鉄開業、続いて大阪市営地下鉄の開業に触発されてか、
鉄道省も東京駅と帝国の統治中枢を結ぶ地下鉄を建設し、皇紀2600年、1940年に第一期着工区間が都心地下線の名で開業。
それは、東京駅を起点に、皇室苑地、日比谷公園の真ん中を経由し帝国議会議事堂正面に至る路線で、
新設駅は、現在名で、皇居外苑、日比谷公園、国会議事堂。
規格は、既存の車庫の活用且つ第二期で信濃町へ延伸して中央緩行線直通計画により軌間は1067mm、建設費抑制の為の
トンネル断面縮小により直流600V第三軌条集電方式、道路に沿った厳しい線形の許容で車両は一両が16m長で、
開業時は二両編成の運行だが、将来を見越して、大阪に対抗して、十両編成対応である。
第二次世界大戦により第二期工事は凍結され、敗戦後、国鉄に承継されても直ぐには延伸されなかった。
1960年代、通勤五方面作戦の一環として、都心地下線を東京駅から秋葉原経由で上野へ、国会からは信濃町経由で新宿へ、
地下新線での延伸が着手された。建設費削減の為、規格は第三軌条などの従来のままで、地下設置の途中駅も絞り、
つまり駅と経路は、上野~秋葉原~東京~皇居外苑~日比谷公園~国会議事堂~赤坂見附~信濃町~新宿。
70年に延伸開業。延伸を機に従来の都心線専用旧型電車を置換える為に103系を土台とした新型車が導入された。
それが、001系であり、第三軌条集電と架線の両方に対応。
従来の国電新性能車両形式規則では三桁目は1だが、特異な電化方式対応を強調する為に敢えて0に。
都心地下線の特殊性からMM'ユニット方式ではなく、MTユニットの変形を採用。それは、第三軌条用の集電靴と
主電動機の制御装置は各Mに装備するが、MG及びCPなどの補助装置をTcとTに集約し、TcMMMTを一ユニットとした。
車両基地への回送運転に必要な架線用パンタグラフはTcに設置し、屋根上の取り付け部分は一段低い。
車体は両開き三扉の16m長鋼製、運転台に非常口用貫通路。2ユニット連結の6M4Tの十両編成で以て運行。
87年にJR東に承継。冷房改造施工、車両限界により車内の車端に設置。
2000年に新車に置き換えられて全廃。
161:名無し野電車区
10/10/30 19:57:28 eBinkFOm0
225系900番台
JR西日本が製造した225系ベースの「カーボンモノコック電車」。
F1マシンやボーイング787のように車体にカーボンファイバーを採用。
これにより軽量化と車体強度の大幅アップを実現。
しかし車両価格が異常に高いのが難点である。
162:名無し野電車区
10/10/30 20:27:20 KzxMMIPxO
MRC100形電車
オリエンタルランドの子会社、舞浜リゾートラインが製造したモノレール車両。
ただし、初代車両のような日立製作所ではなく、川崎車両カンパニーに発注。
初代車両のキープコンセプトではあるが、外観は多摩都市モノレールのような感じになる。
163:名無し野電車区
10/10/30 20:46:34 KzxMMIPxO
東武50030系
【所属】東武、野岩、会津
6050系の老朽化に対応して201X年に日立製作所によって製造された。
基本ベースは50090系であるが、前面は当形式の併結を前提とし、阪急9000系列を参考としている。
また編成番号において、野岩には「-100」、会津には「-200」が付く。
例:クハ51231-100
164:名無し野電車区
10/10/31 15:23:44 rASmQUxAO
国鉄ヨ7000形
昭和27年に作られたボギー式車掌車である。ワムフ100形を全室車掌室にした
構造で、トイレやストーブは初めから付けられるなど客車並みの装備だった。
車掌車やワフなどの緩急車が2軸式が多い中で唯一ボギー式を採用した。
アメリカの貨物列車の緩急車であるカブースに似た和製カブースだったが、
車重が17トン近くあるために東海道線や東北本線などの幹線系統の
貨物列車にしか使えない欠点があった。
しかしボギー式で客車のようにトイレと車掌室が個別構造になっていたために
特に長距離貨物列車で特に喜ばれた。
2軸式のヨが大量に作られていたために製造は315両で終了したが、
73両はワキ1及び1000とワムフ1及び100からの改造車で、ワム700やレキ1の改造車もある。
台車はTR41A又は41Bだが改造車は種車のTR24を履いている車や、新造車両には
中古台車再利用のTR20を履く車もあるが当初は客車用のTR11を履く計画だった。
昭和39年に80両をコンテナ列車「たから号」の専用車掌車に改造され、緑塗装に変更され、
この際台車はTR63に交換し、17000番台となった。
さらにコキ10000 50000形に対応する改造を行うなどコンテナ列車用の車掌車
としてコキフと併用して使われた。
昭和60年に廃車されたが、17212が車籍なしの機械扱いの救援車として
岩見沢に在籍。
165:名無し野電車区
10/10/31 15:57:25 iE1rKLiY0
キハE113系
JR東日本が開発したキハ110系の2基エンジン車。
新開発の直列4気筒エンジンであるDMD12HZ(360PS)を搭載することによりエンジンの全長が短くなり、20m車体でありながらエンジン2基搭載を実現。
当初は水平対向6気筒エンジンにすることも考えられたが構造が複雑になることから断念された。
急勾配の多い花輪線に投入。
166:名無し野電車区
10/10/31 23:58:43 mNKIWPXP0
E235系
東海道・東北線直通に際し新型近郊車両としてJR東が製造。
かつて来日したオリエント急行を元に全長23.5mまで長さを延伸し、ドア幅は1.5m、ドア間と端部をロングシート換算で1人分の50cm延伸している。
13両編成で10両(うち2両がグリーン車)が基本、3両が付属編成である。
グリーン車の比率が相対的に拡大したため、グリーン車の着席率は上昇した。
323系
上記の西通勤版。こちらは3+3の6両編成が基本である。321系とデザインは基本同じだが、裾が直線なので痩せ気味に見える。
167:名無し野電車区
10/11/01 15:49:57 6FoqdyV80
205系700番台
ご存知九州新幹線全通の節目を迎えたJR九州であるが、
周知のとおり世界的な不況に加え、新幹線の投資で、
JR九州は経営体力が衰えてしまった。
そのため、車両置き換えについてもしわ寄せが生じるようになり、
同社内では小ロットの直流車両(103系1500番台の置き換え)は、
他社からの余剰車が発生しやすいこともあり、
中古車導入の決断が下された。
当初は東京メトロから05系を導入する予定であったが、
同社はすでにインドネシア譲渡が確定しているため断念した。
そこで、JR東日本で余剰の発生した205系中間車を譲り受け、
先頭車化(先頭車の余剰が発生しなかっただけでなく、地下鉄乗り入れ用に非常用貫通路の設置が必要なため)
やVVVF化を行い、205系700番台として導入した(JR東日本でも派生番台が多数発生しているが、
あいている3桁をやりくりのうえあてがった)。
前面は東急1000系に似た平面状のものとなり、前原以西3連分割用は、同系日比直・支線兼用のそれに準じたものとなった。
3連の両側および6連の唐津寄りクハにトイレが設置されたほか、
各車車端部にクロスシートが設置されたが、地下鉄線内の乗降しやすさを考慮して、
東急新7000系に似たカギカッコ型の配置となった。
この205系700番台によってすべて103系1500番台は淘汰され、
オリジナル車の303系に伍して活躍している。
168:名無し野電車区
10/11/01 16:26:48 6FoqdyV80
JR四国121系1000番台・2000番台
JR四国は、民主党の高速値下げ政策の影響を一身に受けて、
車両置き換えにまでしわ寄せが生じるようになった。
ひとまず、車体だけ新しい121系をVVVF化および瀬戸大橋乗り入れ対応を行い、
113系をラッシュ時専用車に回すことで、急場をしのぐこととなった。
台車などは、他社の発生品の譲受も検討されたたが、共通化のため、5000系と同一のものが新調された。
また、瀬戸大橋線対応として、窓の固定化もしくは上段下降式に変更、およびトイレ設置が行われ、1000番台に改番された。
上段下降式に変更された窓は、黒サッシとなったため、その処理と識別を兼ねて窓周りに茶色いフィルムが張られた。
一部の編成はVVVF化のみが施工され、こちらは2000番代となっている。
なお、この一連の改造で車両不足が生じるため、JR西日本から廃車直前の113系4連2本が借り入れられた。
VVVF化以後は、JR化以後の7000系や6000系など、オリジナル系列とも併結が可能となり、より効率的な運用がなされている。
169:名無し野電車区
10/11/01 20:12:46 1WeG9BB10
国鉄 北海道総局 キハ81-1500番台
昭和54年、当初キハ183系として準備していた新型気動車に対し、労働組合が「新形式は労働強化につながる」と
激しい抵抗をしたため、既存の形式として変更して登場した
対照表は
キハ182:キハ80-1500
キハ183:キハ81-1500
キロ182:キロ80-1500
キハ184:キハ83
である。
形式的に同じことから、全車キハ80系との併結が可能なように機能追加して登場した
のちに、売店のないキロ80-2000、ハイデッカー仕様のキロ80-2500、貫通ドアつきのキハ82-1500
なども登場し、状態のいいキハ80系と混結運用されるようになっていった
また、そのため食堂車も遅くまで残り、平成12年まで「唯一の昼行食堂車」として活躍していたのはこのスレの
諸氏には周知のことであろう
170:名無し野電車区
10/11/01 20:28:42 RSw/31sM0
阪急2400系
阪急電鉄が開発した2200系の京都線仕様。
車体は2200系をベースにしているが車体サイズが5300系と同一である(唯一の6000系顔で車体長18900mm*車体幅2850mm車体である)。
電機子チョッパ制御を採用している。
震災後6000系に編入されて形式消滅した2200系とは対照的に原型の電機子チョッパ制御を維持してきたが、1形式1編成のみの異端児で保守が困難となったため2000年にVVVFインバータ制御に改造された。
171:名無し野電車区
10/11/01 20:52:30 G2Sz6O7aO
オナニ931
172:名無し野電車区
10/11/02 09:20:41 RtwUp7xgO
阪急4300系
昭和40年代にかけて関東私鉄で特急列車用の有料ロマンスカーが登場したのを
触発した阪急電鉄が導入した関西私鉄初の有料ロマンスカーである。
東武鉄道の1720系を基本とした車体に2800系の下回りを基本とした構造だが、
近距離運転のためトイレはない。
座席は回転式リクライニングで、テレビも付けられていた。
運転は河原町から梅田までの途中十三までノンストップと高槻市と十三以外
ノンストップの二種類で、120km/h運転であったために並行して走る国鉄の新快速
をも追い抜き、また特急料金が全区間500円均一だったのも人気の一つだった。
登場当時は6両編成で後に8両に増強され、阪神大震災で被災車両がなかったために
神戸線の特急に応援で活躍するなどしたが、2009年から導入を開始された
新型特急列車の10300系の登場により引退した。
4302-4533-4633-4402の4両が正雀車庫にイベント用としてモスボールされている。
阪急10300系
4300系の後継有料特急電車で、JR東日本のE259系車体に9300系の下回りとなった。
貫通式にしたのは非常口としてで、これにより大阪市交堺筋線への乗り入れも
可能となった。
神戸線や宝塚線への有料特急導入の声もあったため神戸線・宝塚線有料特急専用の
10000系も合わせて作られた。
173:名無し野電車区
10/11/04 00:17:26 m+qQaHWS0
阪神631型
戦後復興で阪神が車体大型化などの体質改善を図って63型を導入した。
1946年に20両、47~48年にさらに20両が導入された。
当初はMcTc2両編成であったが、のちにMcTcMcの3両編成に移行している。
同車の導入で一気に大型化に成功したが、1960年代になると赤胴・青胴車の量産が進み、加速が劣るため急行用として赤胴塗装になるも1969年山陽や東武に部品を売却して廃車となった。
174:名無し野電車区
10/11/05 20:33:19 BqxaglKR0
113系3500番台
国鉄が1982年から製造した113系1500番台のオールロングシート仕様。
内装は415系500番台に準ずる。
横須賀・総武緩行線の混雑が激化したため仕方なく投入。
1999年に横須賀・総武緩行線からは撤退し、東海道本線や房総地区に転用された。
175:名無し野電車区
10/11/06 13:27:25 pIoksSV/O
東急3900系
昭和33年に作られた一連の3000系シリーズ最終型で、既に5000系シリーズが
登場していたが並行して製造した。
車体は海坊主と呼ばれた全金車体を採用し、5000系の直角カルダンではなく
平行カルダン式で、当時国鉄で生産体制に入った101系に相当するMT46系を採用
するなど3000系シリーズながら近代化された走行装置を採用。
MCのデハ3900 Mのデハ3930にサハ3950 クハ3950が作られ、開業時に一度
大井町線で使われるも一貫して池上及び目蒲線を離れなかった。
既存の旧式車との連結も可能である。
カルダン車であったために最後まで残存した緑車体で、昭和57年に更新工事で
車内は8000系クラスと同等されるなどして何と平成3年まで目蒲線で使われていた。
実際早い段階から地方私鉄に売却の話はあったが、カルダン車両ゆえに
ことごとく断られ、3700系等を購入した大手の名鉄でさえ断られた。
長野電鉄と松本電鉄が購入有力になるも5000系に鞍替えされる不運も重なった。
そのため冷房のない車両ながら平成まで使わざるを得なかったのである。
その後総合検測車に改装する計画もあったが、7200系で賄えるため長津田に
長らくモスボールされた。
しかしみなとみらい線工事の際にこの車両が試験車両として再整備され、
籍のない機械扱いながら開業まで試運転用に使われていた。
開業後再び放置の上大井町線の延伸の試運転などには関わることなく2007年に
廃車解体されたが、
制御装置と台車と主電動機は電車とバスの博物館に展示されており、
実際に動くシュミレーターであるため、MT46系を実際に動かせる貴重な展示品となっている。
176:名無し野電車区
10/11/06 22:25:15 qtt65CU10
キハ171系
民営化直後、JR西日本が投入した急行型気動車。
車体は213系電車と同様の軽量ステンレス車体で、低いホームに対応してステップが設けられている。
キハ171形(上り寄り片運転台車)とキハ170形(下り寄り片運転台車)でユニットを組む。
なお、キハ170形に和式トイレを設けている。
駆動系は後のキハ120形と共通としつつ、高速性能を高めている。
177:名無し野電車区
10/11/06 22:46:14 qtt65CU10
DD54形500番台
北海道、北東北向けに設計された、DD54の酷寒地仕様。
使用線区の環境にかんがみ、凍結防止ヒーターや旋回窓の採用など、耐寒・耐雪構造が強化されている。
・・・のだが、山陰地区に投入された0番台車の評判が芳しくなく、
設計が終了した時点で計画中止となり、当該線区にはDD51やDE10が投入された。
178:名無し野電車区
10/11/07 00:56:18 AzvaFvAG0
東武7800系カルダン車仕様
1700系の運用で自信をつけた東武が製造した足回りを1700系と同一(歯車比のみ加速重視に変更)の7800系。
1960~61年製造車両が該当する。
車体と足回りがミスマッチなので一分ファンには人気があった。
早期に5000系に車体更新された。
179:名無し野電車区
10/11/07 05:32:22 TkfBLmFW0
JR東海HB101型ハイブリッド気動車
JR東海が次期非電化ローカル主力列車用に開発した気動車。
環境に配慮しJR東日本からハイブリッド機関を導入した他、
沿線の緑化を推し進めるべく三重県のフ口ーラ社と提携し
植物培養液HB101の自動散布装置が車体に装備されている。
180:名無し野電車区
10/11/07 21:05:33 A+X05i3T0
DE50形5000番台
JR貨物がDE10に大規模な機器更新を施したもの。
機関をDF200やDD51更新機で使用されているコマツ製SA12V170-1 (1500PS)に換装したほか、
変速機を大出力に対応できるものに交換した。
これにより、最高速度が95km/hに向上し、本線での貨物列車牽引に適した仕様となった。
(形式がDE50となったのはこれによる)
また、過熱防止のため、搭載されていた死重を撤去し、ラジエーターを追加搭載している。
軸重制限によりDF200が入線できない石北本線で使用されている。
181:名無し野電車区
10/11/07 23:46:16 yQyHIMa/0
>179
Korail100000型ハイブリッド気動車
KorailとロテムがJR東海HB101を便器もといベンチマークして開発したハイブリッド気動車。
沿線の緑化を推し進めるべく有機肥料の自動散布装置が車体に装備されている。
182:名無し野電車区
10/11/08 22:38:27 rm5qu3/T0
東葉高速鉄道3000系
東葉高速鉄道が開発した東京メトロ15000系ベースの新型車両。
車体や機器はほぼ同一だがラインカラーが異なる。
183:名無し野電車区
10/11/10 22:19:50 h9xnRt700
国鉄 北海道総局 キハ151系
昭和57年、余剰となっていたキハ82系を改造し、急行「宗谷」「天北」の体質改善のために生まれた形式
キハ82とキロ80、キハ80を5両編成一組で基本編成とし、偶数号車から便所・洗面所を撤去し、定員の増強が
計られた。
簡易リクライニング化されたが、中間運転台がない分、既存のキハ56・27の編成と座席定員はほぼ同じである。
なお、名寄回転車と自由席車としてキハ56・27の2両を併結して運用されるのが常であった。
184:名無し野電車区
10/11/10 23:06:57 iw8G8m280
JR九州HB270系ハイブリッド気動車「ゆふいんの森IV世(IVはローマ数字の4)」
改造から20年が過ぎ、キハ65から転用の台車も含めて老朽化してきたゆふいんの森1世こと
キハ70/71系気動車の置き換え用として登場した新型気動車。
下回りはJR東日本HB-E300形とほぼ同じシリースハイブリッド方式を採用しているが
車体はキハ70系の流れを汲むレトロヨーロピアンスタイルのアルミ製流線型車体を採用している。
ただしキハ70系と違いバリアフリー対策と車体傾斜システム搭載の関係からハイデッキ構造は廃され
通常のローデッキ構造を採用している。
185:名無し野電車区
10/11/11 00:30:28 Qkpn0WWw0
中国国鉄新勝利7型
観光用に製造された満鉄パシナのレプリカ。
現代技術の粋を集めたのにどういうわけか最高時速100kmと本家以下なのがご愛嬌(幹部が予算をけちった説あり)。
レプリカの客車も製造された。
186:ミウナ2
10/11/11 14:44:53 k0Sgj7jwO
ソ100型
現代版操重車。福知山線事故での教訓と、万一の事故の復旧以外に
分岐器や橋梁の交換や線路切り替えなどの大規模線路工事用途などにも幅広く
使える汎用機として開発した。
規制緩和で70tクラスのラフターも開発可能になった事もあり、国産大手
クレーンメーカー3社と海外メーカーも加わり、65~75t超級ラフター又は
100t超級のオールデレンクレーンのブーム及び旋回体に動力ユニットを
組み合わせた構造で自走も可能となっている。
なお国鉄当時にソ100型はあったため、2代目で形式はハイフン式となっている。
また各旅客会社が異なる形式のクレーンを組み合わせたため、形式もバラバラである。
単独使用も可能だが必ず2両セットで配備され、各1両に控用遊車も必ず連結する。
なおオペレーターをクレーン車リース会社から派遣して運用するために
リース会社の第三者所有にしている旅客会社もある。
ソ100-1~4 KATO製70tラフターがベース。札幌 南福岡に配備された。
ソ101-1 2 KOBELKO製75tラフターがベース。苗穂に配備されている。
ソ102-1 2 TADANO製70tラフターがベース 仙台に配備。
ソ120-1 2 オールテレンクレーン車ベースでTADANOAR1000Mを使用した100t機
配備は田端でリース会社の東京重機㈱がオペレーターで運用する。
ソ150-1 2 神奈川工事区に配備されるゴッドワルド製スーパービートルの後継機で
スーパーヘラクレスが愛称。
外国機で、ドイツリーブヘル製150t吊りの特注車。オペレーターと運用は㈱ミック。
ソ180-1 2 KATO製150t吊りをベースにしている。オペレーターと
運用は㈱内宮運輸機工で配備は尾久。
ソ103-1 2 東海向けでKATO製80t機。配備は名古屋で㈱ミックが運用。
ソ105-1~4 福知山線事故を教訓に西日本が配備した。KATO製120t機で配備は
京都と広島で、㈱サイガが運用する。
ソ110-1 2 多度津に配備されたTADANO製AR1200Mをベースとした100t機。
㈱北四国クレーンが運用する。しかも無償提供車である。
(香川県さぬき市にTADANOの工場があるためと思われる)
187:名無し野電車区
10/11/11 15:00:32 GNZH8m/pO
キハ231
188:名無し野電車区
10/11/11 18:13:53 PhVfH4pL0
キニ65
キハ65ベースの荷物車。
キユニ65
キハ65ベースの郵便荷物合造車。
189:.
10/11/12 16:53:26 DtgirwduO
東急8642F永久磁石同期電動機試験:
特殊過ぎていらない子状態の8642FのVVVFユニット4両を改造。
その後、9000系と2000系の副都心線直通後の更新改造に使われ、2000系の東武乗り入れ禁止解除。
新造車両では、東急8000系(2代)に採用予定。
東武50000系ローカル線編成永久磁石同期電動機試験編成:
佐野線・小泉線・桐生線・伊勢崎ローカル向けの513xxF及び、東上ローカル・越生線及び宇都宮線向けの514xxF(森林1編成/新栃木1編成)及び、亀戸・大師線向けの512xxFに試験搭載。
本格採用は日比谷線直通用新型車の60000系及び、快速用新型車の600系、また、9000/10000/10030のVVVF改造にも採用予定。
JR東日本E231系永久磁石同期電動機更新編成/DDM更新編成:
E217系のIGBT更新と209系の廃車及びローカル転用が一段落して、E233/235系の投入時期に、走行距離が長く、走行機器の劣化の延命により、永久磁石同期電動機更新又はDDM改造をした物。
京成3500形永久磁石同期電動機試験編成:
金町線を走る廃車前提の3500形を改造。(理由は用途終了後に廃車すれば良いのと、4連の為にユニット数が少数で済む)
4連で成田スカイアクセスを走ったりも…。。。
量産は3500/3600置き換え用の3100形。
京急600形永久磁石同期電動機試験編成:
600形の機器更新を前提とした、試験で4連の650形で試験後、8連及び残りの4連及び、1500/1700形の更新にも採用予定。
190:名無し野電車区
10/11/13 06:35:10 vZrLD5Z9O
チキ100-101型
元々コキ5500型であるために老朽化が進んだチキ5500型を置き換えるために
JR東日本が開発したロングレール輸送用の事業用貨車である。
当初はJR北海道のチ50000 チラ50000同様にコキ50000から改造する予定だったが、
JR貨物よりコキ100系を買い上げて改造することに変更された。
その中でも目をつけたのは4両で1セットになっているコキ100-101 コキ102-103
で、2セット組み合わせた8両を1セットとして組成する形にした。
コキ100-101型から4両の5セット20両とコキ102-103から3セット12両の計32両改造された。
レールを固定する装置はチキ5500型と同じ物を使うが最大積載本数は30本で
荷重は48tとなっている。無論走行しながら降ろす事も可能で、投下装置も装着された。
チキ102型
25mレール運搬車で、チキ6000型及びコキ10000型改造で老朽化が進んだ
チキ5200型を置き換えるために作られた。
やはりコキ100系改造車で、改造された60両中コキ104から52両が改造され、
5000番台は全車改造された。
残りは2両1セットのコキ105より4セット8両が改造された。
必ず2両1セットで運用し、荷重は50tで最大積載本数は25mレールで32本。
191:名無し野電車区
10/11/14 17:59:10 8lPc6Eem0
キロ27形2000番台
国鉄でキロ27の冷房用発電エンジンを4VKに取り替えたもの。
キハ58系と混用された。
JR西日本に承継され、一部はキロハ27に改造された。
空気バネ台車であるため乗り心地が良かった。
192:名無し野電車区
10/11/14 18:47:39 8lPc6Eem0
近鉄4000系
近鉄が開発した5200系の南大阪線バージョン。
通常南大阪線用の車両は形式名の千の位が「6」になるが、特殊な車両であることから例外とされた。
2両編成で、トイレはない。
足回りは6400系と同様である。
主に急行や団体列車で使用される。
193:名無し野電車区
10/11/14 20:34:13 rCXDrKlNO
>179
これ以上、鹿身事故を増やしてどうするの?
あっそうか!わかります。
東海の新ビジネスですね。ぶつかって来た鹿を(ゴニョゴニョ
194:名無し野電車区
10/11/14 20:48:10 ClRLl2c/O
オナラ931
195:.
10/11/15 12:54:15 cajvp7sbO
JR東日本E931系電車:
JR東日本がポストE235系や209/E217/701/E127/E501といった走ルンですグループやE231/E233/E531/E721系といったJR東日本初期標準車両グループの車両寿命を考慮して試作。
E931系A編成:
通勤タイプをベースにしている。
DDM駆動。
製造は新津車両製造所
所属は川越車両センター
E931系B編成:
近郊タイプをベースにしている。
永久磁石同期電動機を従来方式が(WN/TD継手)で搭載。
製造は川崎重工業
所属は大宮総合車両センター
E931系C編成:
通勤タイプ寒冷地仕様をベースにしている。
殆ど走行システムは従来方式をふしゅう。
製造は東急車輌
所属は三鷹車両センター
E931系D編成:
交直流両用、走行システムはB編成をベース。
アルミ車体
製造は日立製作所
所属は田町車両センター(→東京第二車両センター田町支所(尾久車両センターとの統合))
ちなみに、JR倒壊は393系(391系は313/373系の次世代高速度試験)として、JR西日本は921系として計画されている。
また、E931系のフィードバック車両のしなの鉄道・IGR青い森鉄道へのリースや肥薩オレンジ鉄道や北陸新幹線並行在来線会社へのOEMも計画している(北陸及び肥薩については西日本も計画)。
196:.
10/11/15 13:00:33 cajvp7sbO
JR東日本キハE210/FCV-E310形燃料電池車両:
八高線に導入予定の燃料電池車両。
NEトレインの燃料電池試験の量産
JR東日本BT-E001形蓄電池車両:
久留里線に導入予定の蓄電池車両。
スマート電池トレインの量産
197:名無し野電車区
10/11/15 21:15:25 pzEn/bWn0
国鉄 北海道総局 キロ21
昭和53年、キハ40-100の投入により余剰となったキハ21のうち、比較的程度のいい車輛が
亜幹線急行用のグリーン車に改造された形式
中よりドアの位置は変わらず、デッキがつけられ、1エンド側運転台側に乗務員室と荷物保管庫が、
2エンド側運転台側に便所と洗面所が設けられ、ドアから内側部分がグリーン室となった
座席は、亜幹線用ということでえんじ色のモケットの転換クロスシートとなっているが、中央の排気管
立ち上げ部の座席は固定されている
また、便所・洗面所脇戸袋窓部分には2人掛けのロングシートがそのまま残され、モケットはえんじ色に変更
され、座席定員としてカウントされている
「非冷房」「ロングシートつき」グリーン車として、鉄道ファンには注目されたが、「急行グリーン車」としてはさすがに
見栄えが悪く、乗車率が悪かったことも重なり、改造からわずか3年で荷物車などに改造されたが、肝心の小荷物輸送の
廃止により、昭和57年に全車廃車となった
5両が釧路、3両が旭川、5両が苗穂に配置され、急行しれとこ、ノサップ、なよろ、らいでんに連結されて使用された
198:名無し野電車区
10/11/15 23:53:23 InlgXO1F0
国鉄キロ67
66・67系用のグリーン車として登場。
リクライニングシートでキロ28の車体(アルミサッシ2段窓)にキハ67の足回り。
後にデッキ撤去、転換クロス化して一般車化され、キハ67系100番代とされた。
199:名無し野電車区
10/11/16 16:40:30 Fc54lFmuO
京葉臨海鉄道KHD300型ハイブリッド機関車
JR貨物が開発中のハイブリッド機関車であるHD300型の京葉臨海鉄道型で、
KD55型及びKD60型の後継機関車として導入した。
導入の背景には千葉県におけるディーゼル規制に際して直噴ディーゼル型などを
導入したものの、抜本的対策にはハイブリッド機関車の導入が不可欠と
判断したものと思われる。
当初千葉県で大多喜など豊富に産出される液化天然ガスを燃料にして、
DE10や余剰のDE15を購入して液化天然ガス燃料車に改造を施す計画であったが、
パワーが足りず改造費用が莫大になることから、ハイブリッド機関車
先進国のカナダよりユニオンパフィシック鉄道などにも導入されている
ハイブリッド機関車のGG20B型を5両購入する計画もあったが、JRの1067mmに
変更する必要や車両限界が大きすぎで入れず、輸入と改造費用で1両10億と
莫大な額になることからそれぞれ見送られ、そこへJR貨物がHD300型を
開発中と聞き後継機関車に白羽の矢を立てた。
量産型製造開始と同時に作られ8両製造された。
捻出されるKD55及び60型の内、KD55型の旧国鉄DD13型及び100番台車は鹿島臨海鉄道へ
KD55型の200番台車及びKD60型は神奈川臨海鉄道へそれぞれ売却された。
200:名無し野電車区
10/11/16 22:11:34 fjc5KX8V0
クモハ484形
東北方面に投入された485系は、磐越西線の線路有効長や奥羽本線の板谷峠などの制約により
「ひばり」「やまびこ」(12両編成)と「あいづ」「やまばと」(9両編成)で車両の共通運用ができなかった。
そこで、「ひばり」「やまびこ」を基本9両(TscM'MM'MTdM'MTc)+付属3両(M'cMTc)の編成とし、
運用の効率化を図ることになった。これにあたって投入されたのがクモハ484形である。
モハ484形をベースに、後位側に回送用運転台が設けられている。
回送運転を前提として、ATSは設置されなかった。
後の輸送力増強(13両貫通編成化)や特急列車の統廃合により余剰となり、
運転台を撤去しモハ484形へ転入するなど短命に終わった。
201:名無し野電車区
10/11/18 11:26:17 2+5u6AgfO
スロハ43
「つばめ」「はと」専用として計画されたもう一つの形式で、スハ44とスロ60を
合わせた44系の2等3等合造車で昭和28年に11両作られた。
しかし特急用客車とは言え重量がありすぎ、3等は固定クロスで2等が
回転クロスでしかもドアが1ヶ所しかなく運用に難があることや
より軽量なナロ10型の登場もあってわずか3年で外された。
後に「はつかり」「さくら」「みずほ」などで作られたが最後まで残ったのは
「銀河」に使われていた3両のみで20系化されるまで使われていた。
なおその後スロハ43-8のみは梅小路に保管されていたために西日本に継承され、
嵯峨野観光鉄道の専用車にする計画もあったが現在も走行可能状態に維持されている。
今後はイベント用に復元する予定で、かつての「つばめ」の両雄である
マイテ49との組み合わせに期待されている。
残り8両は昭和40年代中にマニ36型で3両・マニ37型で2両・普通緩急車に
格下げた上でスハネ16型にTR47を供出してTR34と交換してスハフ32
(オハ48にすると3軸車形式になるために窓が狭窓のためにスハ32系として
編入された)にされた車が3両と全て他形式に改造された。
202:名無し野電車区
10/11/19 02:46:50 2ERxLbHQ0
age
203:anorak?
10/11/20 18:32:18 4VnAj4re0
>>17 >56-57 >>110-111 >>143 >>160に続く平行世界もの(架空路線込み)
◎東京都交通局14-000形電車
製造年 2004- 要点 14号線 西武新宿線直通
○1985年、東京圏の鉄軌道整備に関する運輸政策審議会答申第7号で、東京の地下鉄14号線及び同路線と西武新宿線との
相互直通運転が提言された(as fiction)
経路は現駅名等で、西武新宿~新宿三丁目~国立競技場~永田町~内幸町~汐留~臨海方面。
営団地下鉄(現・東京地下鉄)が他の複数の路線の整備で手一杯であり、かつ営団と東京都交通局との運営路線の
均衡の観点から、この14号線は東京都交通局が運営する事になった。
都交通局の財政悪化により12号線の建設に集中すべく14号線は暫く着工されず、バブル崩壊後の景気対策の一環として
90年代後半に第一期区間として西武新宿~永田町区間が着工開始された。
14号線の西武新宿駅は隣接するJRの路線群の地下に設置し、西武線と並行して新大久保辺りで西武線と合流。
2005年に都営地下鉄14号線の第一期区間が開業し、西武鉄道新宿線との相互直通を開始した。
因みに14号線永田町駅の駅名には(赤坂プリンスホテル前)と併記され、西武新宿も(歌舞伎町)と。
この14号線用にと都交通局が新造投入したのが、14-000形である。
14-000は、都交通局の厳しい財政事情による車両製造費軽減の追求の結果、同時期の都営新宿線用の10-300の設計を
狭軌と西武直通対応の仕様へと流用したものであり、即ち、10-300と同じ意匠で、違いは、台車・車輪が狭軌対応、
信号は西武直通対応、車体のラインカラーだけである。同車は5M3Tの八両編成。
14-000と10-300は共にJR東日本のE231系を標準車両として基に設計されているので、一部はJR東の新津車両製作所で製造。
開業の前年から量産され、開業時に就役開始し、西武新宿線への直通運用は専ら各停である。
都交通局の厳しい財政事情、及び東京の地下鉄一元化構想の影響で、2010年時点、14号線の永田町以遠の延伸は
凍結されている。なお、バブルの頃の西武新宿線の複々線化としての地下急行線構想は消滅。
204:名無し野電車区
10/11/20 19:08:59 bg/G6jHp0
国鉄ナハ11-900番台
サロ153-900、キハ35-900と並ぶステンレス試作客車。
901~910の10両が製造され、尾久に配置された。
「津軽」「八甲田」等の急行に組み込まれたが、編成中の1両がステンレス無塗装であり、
編成美をぶち壊していた為、撮影するファンからの評判は余り良くなかった。
昭和45年辺りから青15号に塗装され出し、尾久からの転出も始まった。
しかし、静ヌマに転属したトップナンバー、ナハ11-2901は廃車まで無塗装のままであった。
昭和57年3月に、大ミハのナハ11-2909が廃車となり、国鉄線上からは消滅した。
現在、大井川鐡道に譲渡されたナハ11-2910が、ぶどう色2号を纏って活躍している。
205:名無し野電車区
10/11/20 21:12:03 POzClgMpO
オハ11 オハフ11
ナロ10型に冷房を取り付けたオロ11型と同じやり方でナハ11 ナハフ11
に冷房を取り付けたもの。
給電は各車両にディーゼル発電機を搭載して給電する。
ナハ10 ナハフ10も含めて改造する予定だったが、改造されたのは
ナハ11から改造された18両ナハフ11から改造された12両のみで、
重量の関係上電気暖房も取り付けられない(取り付けるとスになる
のを怖れて)ために蒸気暖房のままで使われていた。
そのため使用は九州に限られ、急行「日南」や「西海」などで使われていた。
電気暖房がないために東北などで使えず、九州地区の普通列車や急行及び
本州では山陰線で使われていた。
昭和54年までに最後まで残った米子にいた5両(オハ11-7・10・17 オハフ11-5・8)が
廃車となった5両は解体されずに大井川鐵道に売却された。
大鐵の客車初の冷房車に期待が上がるも、重量が難で機関車がC11-227又は190に
3両以上でE10型電気機関車に後補機の助けが必要になった。
206:名無し野電車区
10/11/21 09:11:15 z5x9eWTZ0
阪急5100系・6000系ロマンスカー仕様
神戸線で新快速への対抗を行うために扉間に転換クロスシートを装備して製造された。
識別しやすいよう屋根が当初から白塗りになっている。
207:名無し野電車区
10/11/21 15:55:11 JYrWhBOU0
413系1000番台(史実の415系800番台に相当)
221系、223系の投入により第1線を退いた117系を北陸方面向けに交直両用化改造したもの。
改造にあたって、福知山電車区に所属していた485系から主変圧器、主整流装置など、
特高圧機器の供出を受けている。
輸送需要に合わせ、
クハ412-1000(←クハ116)+モハ412-1000(←モハ116)+クモハ413-1000(←モハ117)
の3両編成とした。
208:名無し野電車区
10/11/21 20:05:16 QrU3hEY10
キハ26形2000・2300・2400番台・キハ55形冷改車
国鉄でキハ55・26に冷房改造を施工。
キハ26の床下に4VKを設置しており、番号は+2000になっている。
キハ58系と混用された。
JR四国に3両が承継されたものの1991年に廃車されてしまった。
209:名無し野電車区
10/11/21 21:55:47 DlM434jj0
キハ43500形 キロ43600形(キハ13 キロ13)
バッド車が1953~60年にRDCの日本版としてサイズを日本国鉄に合わせて車体幅2.8m、全長21.3mとした。
デザインもRDC1そのまま。
地方幹線の急行に使用されたが普通車のキハ13でも転換クロス(キロ13はリクライニング)、冷暖房完備なので山陰・九州などで臨時特急に使用されたこともある。
1980年~87年に廃車されたがオールステンレス車体の傷みがほぼ無いことから島原鉄道と北近畿タンゴ鉄道が引き取りエンジンを換装するなどして現在も使用中。
210:名無し野電車区
10/11/23 20:36:02 q+oxc8Wu0
キハ39
国鉄でキハ28を両運転台化改造したもの。
4VKを搭載しているためキハ53-1000番台とは異なり単行でも冷房の使用が可能である。
ワンマン化に適した構造ではあったものの出力不足が災いし2002年に全車廃車された。
211:名無し野電車区
10/11/23 23:42:22 q+oxc8Wu0
203系1000番台
JR東日本が1991年に製造した203系。
形式は「203系」を名乗っているが207系900番台と同一車体(但しドア窓は大型)である。
足回りは203系100番台と同様で、JR化後に製造された唯一の電機子チョッパ車である。
モーターはMT60を内扇型に変更したMT60Bを搭載。
東西線乗り入れ用に2編成のみが製造された。
E231系800番台投入後も活躍していたが、E233系2000番台に置き換えられることが決定した。
212:名無し野電車区
10/11/24 03:00:04 d0Mky2At0
JR東海・西日本・九州1000系/DB430型
フランスや中国に対抗して日立・シーメンスが共同開発した高速車両。
営業最高速度380kmでドイツの試験線では時速530kmをマークした。
車体幅や長さをフレキシブルに変化させられる設計が特徴。
現在日本・ドイツの他スペイン・ポルトガル・イギリス・デンマーク・ポーランド・南ア・インドに導入されている。
213:名無し野電車区
10/11/24 20:57:15 PcdsrEgV0
キハE233系
JR東日本が開発したE233系の気動車バージョン。
先頭車のキハE233と中間車のキハE232がある。
エンジンはJR東日本史上最強を誇るDMF18HZ(620PS)を搭載(エンジンを2基搭載する案も出たが車体長が21.3mとなってしまい電車のE233系と揃わない事から断念された)。
電車のE233系や後述のHB-E233系と連結可能。
HB-E233系
JR東日本が開発したE233系のハイブリッド車バージョン。
先頭車のHB-E233と中間車のHB-E232がある。
やはりDMF18HZ(620PS)を搭載しており、加速度は気動車史上最強の3.0km/h/sを誇る。
電車のE233系やキハE233系と連結可能。
214:anorak?
10/11/25 22:16:13 sEnCcptZ0
>>203に続く平行世界もの
◎JR西日本207系3000番台電車
製造年 2003 要点 片奈連絡線 セミクロスシート
○1989年、大阪圏の鉄軌道整備に関する運輸政策審議会答申第10号で、
片町線(学研都心線)の京田辺と奈良線の長池を結ぶ片奈連絡線が提言されたのを受け、
京都府が主体となって上下分離方式で以て建設され、2003年度にJRの路線として開業。
片奈連絡線は、奈良線長池駅木津寄りで奈良線から分岐し、京田辺駅大住寄りで片町線と合流する単線電化路線。
よって、奈良線の京都や宇治などの長池駅以北から片奈連絡線経由で片町線の松井山手や京橋などの京田辺以西への
直通列車は、京田辺で進行方向を転換する。
奈良線の宇治~長池区間及び片町線の松井山手~京田辺間の複線化も実施。
片奈連絡線の開業に伴いJR東西線・片町線(学研都心線)と奈良線宇治直通列車が設定される事となり、
この直通列車用にと、207系3000番台が新造された。
同車両は、同時期に量産中の2000番台を基礎に、JR東日本のE231系の近郊形と同様に、扉間にボックスシートを設置した
セミクロスシートを採用し、これ即ち、競合する京阪に対する競争力向上の為である。
クハ206-3000(Tc')は将来に便所を設置出来る準備がされている。
「京橋/宇治←T'cTMc→木津」の三両編成で、これで以て片奈連絡線と奈良線を単独運行し、
JR東西線・片町線での運行では京田辺にて木津寄りに207系の他の番台の四両編成を連結する。
同車両は、奈良線の宇治・城陽~片奈連絡線~学研都市線・JR東西線の直通の快速列車に専ら就役している。
215:名無し野電車区
10/11/25 22:33:38 TJ7xPzMO0
JR北海道 キハ480-500 キハ400-500
JR九州の「いさぶろう・しんぺい」号に触発されて、新得~富良野間を結ぶ普通列車を
すべて観光用にすべく登場した形式
形式からわかるとおり、かつて急行用にエンジンをパワーアップしたキハ48・40の車体を
再改造し、車体中央部に立席の展望窓をつけた
同区間を走る普通列車は全てこれになり、ワンマン運転でトゥインクルレディが乗車し、観光案内と
車内販売に従事する
そのための販売カウンターも設置されている
シートは種車のリクライニングシートを流用しているが、一部(2列分)は地元住民優先席として
ロングシート化されている
ロングシートの地元住民優先席と、1列分4席以外は全て指定席として運用されている
新狩勝トンネルの帯広側などの景勝地で停車案内があるほか、幾寅などでの見学停車もあり
車輛とともに新たな観光ルートとして脚光を浴びているのは、このスレの住人には周知のことであろう
216:名無し野電車区
10/11/28 01:46:30 pCdJ+Ntt0
キハ581系
寝台気動車として登場。
車体デザインは電車の583系とほぼ同様。
キハ52の試験結果から動力車をDD51クラスの機関車的な大馬力エンジン搭載車かつ荷物車とし、寝台車両・食堂車は付随車としている。
またA寝台もナロネ20的な個室車両として実現した。
先頭のキニ581・中間のキサハネ581・キサロネ581・キサシ581から構成されている。
1969年から73年まで製造され、非電化区間のあった彗星・あかつき・出雲など参院・九州の夜行特急とにちりんなどの昼行特急に使用された。
電化の進展により急行用に利用されるようになり、だいせん・さんべなどに転用された。
現在は鉄道博物館と交通科学博物館にキニ581が保存されている。
217:名無し野電車区
10/11/28 14:12:04 P9bqZZkk0
マシ25形(史実のオシ24形700番台に相当)
国鉄末期、寝台特急のグレードアップ改造に合わせて登場した新型食堂車。
余剰となっていたサシ581形から台車などを流用し、車体を新造する形で製造された。
「食事をするだけでなく、くつろげるスペース」をコンセプトに、オリエントをイメージした
赤、白と木目の内装となり、車端部にはラウンジ風のソファーを設けていた。
設備面では、電気レンジの出力強化と増設、電気冷蔵庫の搭載など、従来の食堂車に比べて
調理設備を充実させ、様々なメニューに対応できるよう配慮された。
これらの重装備化とロビーカーの連結により、牽引機がEF66に変更された。
218:名無し野電車区
10/11/28 14:52:35 P9bqZZkk0
581/583系500番台
青森運転所に投入された583系について、耐寒耐雪構造が十分でないとの意見をうけて改造したもの。
隙間風対策として前面貫通路を閉鎖し、正面は1枚の板でおおわれている。
分割・併合運転を見越して設置された貫通扉であったが、当時は長大編成での運転が前提であり、
特に問題はないと判断された。また、客用扉を引き戸化し、冬季の着雪・凍結防止を図っている。
このほか中間のサハネ581形に予備のMG・CPを搭載した。
219:名無し野電車区
10/11/28 20:16:02 7fLVagcS0
20系客車座席車編成
昭和34年、20系特急は「あさかぜ」「さくら」の2往復のみだったが、寝台の需要が多い
反面、座席車の人気はいまひとつだった。そこで寝台車増結/座席車削減の過程で、
マニ20-ナハフ20-ナロ20-ナロ20-ナシ20-ナハフ21-ナハ20-ナハフ20
の8連3本が捻出された。電源車と方転ナハフが2両続けて丸妻なのはご愛嬌。
「かもめ」「はつかり」「つばさ」と流浪の生涯を送ったのは皆さんご承知のとおり。
220:名無し野電車区
10/11/28 21:14:31 Z1IXey9C0
東武鉄道100系特急形電車(史実とは異なる)
東上鉄道は東武鉄道による買収の後、悲願の長岡延伸を果たし、さらに新潟市内への延長までも実現させた。
新潟延長と同時に東武東上線には池袋-新潟間を結ぶ座席指定特急「上越」が設定され、上越線の国鉄特急と激しい乗客の奪い合いを繰り広げた。
当初は設備の充実や、山岳区間での線形の良さもあり、国鉄特急に対して若干の優位を保っていたものの、
(東上線の高崎~長岡間は将来の速度向上を視野に入れ、長大トンネルと高架橋を主体として建設されており、
最小曲線半径は2500m・最急勾配は10パーミル、全区間立体交差という高規格になっている)
1982年に上越新幹線が開業し、さらに85年に上野延長がなされると新幹線との速度差は歴然となり、乗客減に悩まされた。
但し東武側も手をこまねいていたわけではなく、1720系「DRC」に出力強化を行った上で高崎~長岡間に限り130km/h運転
(尚、当時の私鉄では最高速の運転となっている)を行うなどを行ってはいたものの、
1720系という車両自体が陳腐化していること、何より新幹線との速度差を縮めるには限界が見えていたということもあり、日光線系統共々新型特急電車への置き換えが決定した。
新型特急電車への要求事項としては、「上越新幹線との正面からの対抗」が最優先事項として挙げられた。
このため、
・池袋-新潟間を遅くとも3時間30分以下、可能であらば3時間を切って走破可能な性能
・そのため、在来線最速の160km/hを営業速度とする
・最高速の向上のみならず、素早く最高速に到達することが可能な加減速性能
・踏切があるため最高速度が制限される関東地区に於いても速度向上を可能とするため、車体傾斜制御を採用する
・一般車・特別車共に国鉄の新幹線電車を凌駕する設備を備える
という点が特に強く要求された。
この計画の下に開発された車両が100系特急形電車である。
編成は東上線系統用が10連、日光線系統用が6連となっており、どちらもオールM方式となっている。
車体は東武鉄道で初めて全アルミニウム合金製のものを採用。ドア数は片側2ドアとし、乗降性の向上も図っている(また、揺動の大きな車端部を客室として使用しないという意図もある)。
221:名無し野電車区
10/11/28 21:15:13 Z1IXey9C0
座席は一般車が1100mm・4列配置の回転リクライニングシート、特別車の開放室ユニットが1450mm・3列配置の回転リクライニングシート、特別車の個室ユニットが4人用個室×6室となっている。
日光線用の3号車及び東上線用の5号車の半室は売店及びビュッフェとなっており、食事類の提供が可能である。
車内には東武鉄道で初のLED式情報装置を搭載した。
トイレは洋式タイプとなっている。
パンタグラフは下枠交差型のものを採用。台車とは逆L字形のフレームで直結され、車体傾斜時の離線を防いでいる。
制御方式は日本の座席指定特急では初めてVVVFインバータ制御を採用した。4500V/2000A級の大容量GTOサイリスタを用いた日立製作所製のVVVFインバータ装置により、インバータ一台辺り4個の主電動機を制御する。
補助電源装置は190kVAのDC-DCコンバータとSIVを組み合わせたものを使用。電動空気圧縮機は低騒音型のHS-20系列。振り子台車のため空気使用量が増加するため、CP搭載車は1両につき2台の圧縮機を装備する。
主電動機はTM-90(史実とは異なる)を搭載。160km/hという、私鉄電車としては前代未聞の高速運転に耐えうる性能とするため、連続定格出力は230kW・連続定格回転数は3600rpm、許容回転数は6800rpmとなっている。
駆動装置には東武鉄道では唯一のWN方式が採用されている。ギア比は19:82=1:4.19と高速向けに設定。また、高速運転時の騒音を低減させるため、やまば歯車を使用している。
台車は制御付き振り子装置を搭載するTRS-90(これも史実とは異なる)を使用。ヨーダンパ付きのボルスタレス台車である。軸箱支持方式はSミンデン方式。車輪径は低重心化のため810mmとなっている。
ブレーキシステムは全電気指令式の回生/発電併用ブレーキ。回生失効時には即座に発電ブレーキに切り替えられる。基礎ブレーキ装置は油圧式キャリパを用いた車輪ディスクブレーキとなっている。
起動加速度は2.5km/h/sと通勤型電車並に設定され、また定格速度は約150km/hと非常に高く設定されている。最高運転速度は160km/h、設計最高速度は245km/hと新幹線電車並となっている。
減速度は常用4.6・非常5.4。
保安装置は東武ATS及び東武ATC。
現在では6連の日光線系統用が日光線特急「きぬ」「けごん」の運用に、そして10連の東上線系統用が池袋-新潟間の特急「上越」の運用に投入されている。
222:名無し野電車区
10/11/29 03:44:51 Q749WB7l0
JR東海&九州寝台新幹線N700系18000番台
構想倒れになっていた寝台新幹線が201X年に東京~鹿児島中央に
登場した。ベース車両はJR九州8連仕様のN700系8000番台。通常は
8連1本だが、繁忙期には2編成を連結した16連で運行。ただ繁忙期
にあっても博多では1編成が切り離され、九州新幹線内は1編成8両
のみで鹿児島中央まで走る。当初から寝台新幹線に懐疑的なJR東海
の意向をJR九州が押し切る形で実現したもので、万一営業的に失敗
した事も想定して車両を通常の8000番台に戻せる様、窓や扉の切り
抜き位置や大きさは8000番台と同一。窓や扉として使わない箇所は
ボディ同色板で埋めて使用する工夫も。しかし、JR九州が寝台設備
におごった快適性と静粛性、軽量性の技術は秀逸で、後述の深夜帯
減速運転も手伝い、劇的な安眠環境を実現した。
ダイヤも東京21時過ぎに発車し、新富士と掛川と三河安城を除く
かつてのこだま停車駅に停車した後、山陽区間は保線への配慮で
単線運転。更に24時-翌朝6時まで最速120km/h(一部トンネル区間
は170km/h)減速運転とした。小倉を明朝6時前に到着、博多から
九州新幹線へ乗入れ、終着駅の鹿児島中央へは朝8時過ぎに着く
航空便の空白時間帯を見事にカバーするダイヤを実現。かつ通常
の新幹線料金プラス僅か\3150と言う格安料金設定が当たり平均
乗車率70%を達成、文字通り寝台列車の起死回生打となった。
223:名無し野電車区
10/11/29 21:51:27 TjSQHgO40
HB-E400系
JR東日本は地方線区の駅舎リニューアル工事や設備更新工事などにおいて、
作業を効率化、迅速化し、コスト削減を図ることとした。
これにあたり、搬入~作業~撤収を円滑に進めるための専用車両が導入された。
HB-E401-0
運転台付き動力車。HB-E300系で屋根上にあった機器は運転台後ろに設けた機器室に搭載している。
後位側には作業員控室及びトイレが設けられている。
また作業時の安全確保のため、後位側屋根上に架線接地用パンタグラフを搭載している。
HB-E402-0
基本構造はHB-E401と同じで、後位側は資材積載スペースになっている。
HB-E400-0
中間動力車。機器室のほかは資材積載スペース。
トラック搭載クレーン(いわゆるユニック)や投光器が設けられている。
必要に応じて複数両連結される。
224:名無し野電車区
10/11/30 01:10:24 rMqNIII90
ユニットステーション
かつてのカプセル駅の再来。
設置やメンテを考慮し、在来線でも建材輸送できる様になっているのが特徴。
またトイレもバリアフリーでウォシュレットを利用できる、非接触IC対応の券売機・改札機を設置できるなど現代のサービスに対応している。
田舎の駅の改築を想定して開発されたが、住宅として購入・利用するファンもいる。
225:名無し野電車区
10/11/30 20:31:57 nCj7CmTn0
50系52形
50系客車の暖地仕様。主に九州に配置された。
乗降の便を考慮して、両開き扉を片側2か所に配置した。
民営化の際にも全車が生き残っていたが、新型電車・気動車の投入により
運用を退いていった。
226:anorak?
10/12/01 22:16:18 USaUyHOt0
>>214に
◎国鉄ED81形交直流電気機関車 50系4000番台客車
登場年1985-86 本四淡路線 プッシュプル オクハ50
○1970年代、本四架橋の神戸・鳴門ルートに沿って本四淡路線が着工されたが、
明石海峡は技術的・政治的理由で道路・鉄道併用橋から鉄道は海底トンネルへと計画が変更。
このトンネルの経路は、海峡の海底渓谷を避ける為、明石海峡大橋との近傍並行ではなく、大阪湾側須磨浦。
本四淡路線は、経路は駅名で山陽本線鷹取~須磨名谷~淡路夢舞台~洲本~福良~鳴門線鳴門、
明石と鳴門の渡海区間が青函と同様に四国新幹線との共用となる計画上、鷹取以外は、
鳴門線と高徳線徳島・池谷間も含め全線交流電化(20kV60Hz)。
破綻下の国鉄の計画では、鷹取~徳島間直通ローカル旅客列車は、高価な交直流電車の新造ではなく、
余剰車利用の電機牽引客車で、
機回し省力目的に運転台付き客車での遠隔操作による後方電機の推進運転も、
脱線リスク回避の為EC211のTc'TTM'Mcの様に客車三両編成以下限定で、多客期以外に実施。
それ用にと、ED76-0改造のED81と、PC50-0改造のPC50-4000が登場。
国鉄標準の交直流電気車では抵抗制御の直流車が土台なので交流専用車で得られる高い粘着性能などの
交流電化の各利点は享受出来ず、
そこで、ED81は交流用と直流用の制御装置を両方搭載して交流と直流で制御を切替える事に。
それは、種車の制御装置のED79-0と同様の更新でかつ客車暖房用SGからEGへの換装で生じた空きに、
直流電化の駅・操車場構内での低速走行用に最低限な抵抗制御等の装置を搭載。
故に交流と直流では出力と最高速度は異なり、直流下は本線走行不可、EF30と逆。
連続勾配の海底トンネル用に交流回生ブレーキ搭載、
推進運転用客車と定常連結する運転台側のみに非常用貫通扉と遠隔制御用ジャンパ。
PC50-4000は、電暖、冷房、循環式便所、推進運転制御引き通し線などの改造、
制御車オクハ50はオハフの業務室側を運転台に。
86年に本四淡路線が鳴門~淡路大磯間で暫定開業し、ED81+オハ50-4000*2+オクハ50-4000の編成で就役。
87年同路線と同車両らはJR四国に承継。
88年全線開業、同車両らの運用は鷹取まで拡大、同機は貨物も牽引。
2001年から電車に徐々に置換されて08年に完了、波動と貨物用分を除き大半が廃車となった。
227:名無し野電車区
10/12/02 20:29:23 GjLT+dc10
キハ82系JR東日本仕様
JR東日本に承継されたキハ82系。
JR東日本では1988年以降DMH17H形エンジンを一掃するべく機関更新を実施していたが、キハ82の場合発電エンジンも同時に換装されてDMF13HS-Gとなった(これにより5両給電に変更された)。
またブレーキも強化されており、最高速度が110km/hに向上している。
盛岡に配置され、特急「陸中」「よねしろ」や団体臨時列車などで活躍していた。
機関換装と同時に車両更新工事を施工していたことから他社のキハ82オリジナル車が廃車になっても暫く生き残り、最後は特急「秋田リレー号」で活躍し、1998年に全車廃車された。
228:名無し野電車区
10/12/03 12:51:03 1sERxdO+0
R東日本 オハフ・オハ・オクハ51形1000・2000番台
動態保存的に維持されている旧型客車の稼働率を下げて将来にわたって温存すべく、
それを補う意味で作られた「なんちゃって旧型客車」。
JR北海道が学園都市線電化で余剰となったキハ140系列を譲り受けて、客車に復元したものである。
道内仕様で窓が狭くて旧客を髣髴させるところがあり、
かつ酷寒に耐えるよう頑丈なつくりであったことが決め手となった。
かつての50系5000番台の一部ばりに、単純にそのままオールボックスシートに変更したもの
(1000番台、塗装は青15号)と、
飾りのシルヘッダーを貼り付け、室内も難燃木材を使用して、かつての半鋼製車を模したもの
(2000番台、塗装はぶどう色2号)に大別される。
なお、両者共通仕様として、
床置きクーラーの設置(運用によっては、雰囲気のため作動させない場合もある)。
エンジン・台車はJR北海道がキハ40系などの更新で使用したため、211系サハの廃車で余剰となった台車に変更
運用効率化のため、一部はDC時代に設置された運転台を逆行運転ができるよう残存
などとなっている。
229:名無し野電車区
10/12/03 22:49:01 iG0mQY400
キハ141・142形500番台
JR北海道でオハ50を改造して作ったPDC。
種車の違いからドア位置が異なる。
キハ33とは異なり車端部を切断し運転台ブロックを接合するという工法を用いたため前位寄りのドア位置が左右対称で、乗務員室とデッキを有する。
客室が長い分座席定員が若干多い。
キハ141はトイレを後付けしている。
キハ143形0・50番台
こちらはオハ50をキハ143に改造したもの。
内装は上記のキハ141・142形500番台とほぼ同じである。
230:名無し野電車区
10/12/04 01:03:32 GvF5/OB/0
キハ181系1000番代
キハ181の電気式バージョン。
モーターなどは485系のものを利用している。
国鉄の電化が遅れた四国では本車両を電車と呼ぶことがあり、特に某県では史上鉄輪鉄軌条の「電車」は本車両のみである。
231:名無し野電車区
10/12/04 09:03:29 LdC50JR50
武州高速鉄道 2000系
従来、京浜東北線王子駅に乗り入れていた武州鉄道が、営団地下鉄南北線への乗り入れに
伴い社名変更のうえ直通するために投入された新型車両
営団を通して東急目黒線まで乗り入れる
標準的な4ドア通勤型でATO運転対応となっているほか、車体には「BR」マークがつく
232:名無し野電車区
10/12/04 09:41:57 DmsI6nZq0
東武50030系
東武50000系シリーズの日比谷線直通向け車両。
従来の車両と同じく18m3扉の規格となっている。
車体・車内などは50000系シリーズにあわせた仕様となっている。
車内には、東武鉄道初となる、LCD車内案内装置を搭載している。
2011年度末までに8両編成13本(104両)を日立製作所で製造予定。
このうち、50031F・50032Fは編成の前後2両を5扉車とする。
これにより20000系は全車廃車となり、200050・20070系は9000系・10000系と同様に更新工事を行う。
233:名無し野電車区
10/12/04 14:49:04 K7gj5g3G0
>>229
訂正
乗務員室→乗務員室扉
追記
ドア位置が車端部に寄ってしまっており札沼線のラッシュ輸送には若干不向きで、座席数が多い事から近年は波動輸送用に使われる事が多い。
234:名無し野電車区
10/12/04 22:17:52 DS0Meuva0
東武鉄道 8000系 新車体修繕工事車
○野田線悲喜こもごも
老朽化した8000系の置き換えが急務になっていた東武鉄道。
50000系列の大量投入と、その玉突き転配で本線系統は何とかなったものの、問題は伊勢崎・日光線系統や東上本線から追われた8000系の巣窟、東武野田線であった。
順当に考えれば10000系列が入線しても良さそうな野田線だが、実は回生制動による電力負荷の変化に変電所が対応しておらず、10000系以降の車両の入線が不可能という致命的な問題を抱えていた。
初期車登場から50年、初期の修繕工事からは約20年を過ぎた8000系の車内は、一部を除いて陳腐どころかただのオンボロと化していた。
そこで東武鉄道は、新系列の投入による置換えが不可能な野田線の8000系に、9000系や10000系リニューアル車と同等の新車体修繕工事を施工し、ソフト面での改善を図ることとした。
外見上は、前照灯が全車HIDに統一された他、行先表示器も、前面の種別表示幕を除きフルカラーLED化された。また、田の字型の2段式側窓をJR西日本N40施工車のそれと同等の窓サッシに交換している。
内装は50000系列をベースに、冷房装置交換、内壁・床の張替、座席クッションの更新、荷棚パイプ化や、ドア上LED案内表示器の設置、車椅子スペース新設(一部)など、徹底的な更新が実施された。
「後30年は使える」。新車体修繕工事を受けた新生8000系を見た東武関係者はそう豪語したという。
画して誕生した8000系新修繕工事施工車は、見た目はともかく内装はほぼ新車と同等であり、一般の野田線利用客にさえ大きな衝撃を与えた。
ただし、制御装置は当然従来と同じものの為、駅停車後にツンとくるレジンの香りは相変わらずである。
一方、(別の方向で)衝撃を受けた鉄道趣味界隈では、JR西日本の「体質改善N40」に因み、「体質改善N80車」と呼んでいるとかいないとか。
235:名無し野電車区
10/12/05 10:57:41 oEyKcSZyO
JR九州511系
北九州周辺及び関門間の輸送改善を目的に投入された車両。
・・・早い話が811系の交直両用版である。内装は100番台に準じたオールクロスシート。
交流区間(=九州管内)では、811系、813系、815系、817系との併結も可能。
主に下関~荒尾を結ぶ快速を中心に使用中。
236:名無し野電車区
10/12/05 23:48:14 g7/HUt1e0
京急1800形→300形
大東急時代に導入された京急版63形。
番号は当初小田急と通しで、山陽のものと同様に台車が標準軌になっている他は小田急のものと同じである。
同車導入のため線路規格を大幅に改良する必要があったため、運用区間が当初限定されていた。
後に全車両電動車になり、車体更新で正面はデハ400類似のデザインになった。
最後は空港線に集められ、1977年廃車。部品取り用に秩父鉄道が数量購入した。
237:名無し野電車区
10/12/06 03:57:36 784nFFoy0
国鉄 キハ63系
昭和22年、戦後の車輛不足のため鉄道輸送は混乱を極めていた。
また、石炭不足のため蒸気機関車牽引による列車が軒並み運休の憂き目にもあっていた。
そのため、国鉄では地方都市部の近郊列車を気動車化し、長距離列車用に客車をねん出する方策を
実施することとした。
首都圏では、モハ63系を投入していたため、同じ車体を利用しRTOから供与された戦車用のディーゼルエンジンを
搭載した標準型気動車を作成したのが、この形式である。
キハ62:運転台なしの中間気動車
キハ63:片運転台つきの気動車
キサハ62:エンジンなしの中間気動車
札幌、仙台、新潟、名古屋、福岡地区に投入され、無煙化されたため乗客からは比較的好評をもって迎えられたが
やはりシャーマンのエンジンを2台積んでいるとはいえ、馬力不足は否めず、戦後の混乱も収まってきた昭和20年代
後半からは敬遠されはじめ、特に札幌・仙台・新潟地区では4ドアデッキなしで冬の寒さから乗客からは不評を買い始めたため
昭和30年には名古屋・福岡地区へ集中配置されたが、同地区でも新型10系気動車の投入により余剰となり、最終的には
千葉地区へ、エンジンをDMH17系へ換装のうえ、転配されることとなった。
千葉地区ではその後、総括制御装置の取り付け改造、先頭車の貫通ドア化などにより、10系20系気動車との併結を
行うなど積極的に利用され、昭和56年まで久留里線で最後のキハ63が5両運用されていた。
大宮の鉄道博物館に、ぶどう色に戻されたキハ63-25が展示されているのはこのスレの諸氏には周知のことであろう。
238:名無し野電車区
10/12/06 03:58:16 3cG2MUen0
い
239:名無し野電車区
10/12/06 21:19:55 ggRGPhhC0
東武600系&西武40000系
どちらも観光用のクロス車(ちょうどどちらも東武6050の一部新造車を除き、機器利用の抵抗制御車)
を置き換えるべく、共同で設計・規格した車両。
車体は日立A-TRAIN規格の4ドア車で、可変シートを持つ東武50090系をそのまま応用する形で
4連で導入されたが、前面は近鉄シリーズ21汎用系に準じた貫通式となっており、
東武600系は、10000系列や30000系とも通りぬけ及び併結が可能となっている。
また、両者とも長時間停車の頻度を考慮して、ドアが半自動となったほか、
日光・秩父より先頭車にトイレが設置されている。
西武はすでに一般車は幅広の30000系に移行しているが、通常幅の20000系を導入した実績があるため、
それと共通性があることから、本系列では東武との共同を優先して通常幅に出戻っている。
東武600系が在来者との併決を考慮したのは前述したが、西武40000系は都心寄り区間で一般車の増結
を考慮する必要があったものの、近年の新系列は長編成が多いため、2000系と併結できるよう
ブレーキ読み替え装置が設置されている。
運用は、座席の質が向上したのを気に、都心寄り区間から乗車の場合は、着席券300円が課されるようになった。
東武は区間快速として南栗橋、西武は快速急行として飯能でそれぞれ一般車を切り離し、
以遠の区間は料金不要で利用できる。
240:名無し野電車区
10/12/06 21:29:56 2hujfXoh0
50系1000番台
国鉄末期に和田岬線の客車列車を置き換えるため余剰の50系客車を3ドア化したもの。
片一方のみ3ドア化した上でオールロングシート化している。
また各車両に小型発電エンジンを増設した(区間が短すぎる上に自動ドア装備であり車軸発電機では対応できないことが判明したため)。
1990年にキハ35形300番台が登場したためもう一方の側面も3ドア化した上で播但線のラッシュ輸送用に転用されたが、1995年に廃車された。
241:名無し野電車区
10/12/06 22:07:33 BFPWH0Bv0
和田岬動く歩道
和田岬のサッカー輸送は地下鉄海岸線には荷が重く、また貨物廃止の今JR和田岬線も鉄輪のままではもったいないということで
JR和田岬線を複線の屋根と壁付き動く歩道に置き換えたもの。
しかし、鉄道扱いで有料である。
動く歩道も鉄製の道なので鉄道といえなくもない。
朝6時から夜0時半まで動いている。
242:名無し野電車区
10/12/07 01:30:57 meapEr630
>237
発想はいいんだけど、形式名が気動車っぽくない。
強引にぶちこむならキハ43600あたりか……。あとエンジン二機車と
付随車の編成より、全車1エンジンの方がそれっぽいかな。
243:名無し野電車区
10/12/07 17:51:48 67HKIVpS0
小田急2200形電車
国鉄払下げ63形の1800形運用でホーム延伸が急ピッチで進んだ1954年8月11日に登場し、
1800形に続く20m級4扉大型車で片扉だが小田急新造量産初の20m車で、
通勤形車両の20m級標準車体は朝のラッシュ輸送に絶大な威力を発揮した。
1958年まで、デハ2201-2240の4両固定編成10本・計40両製造された。
直角カルダン駆動方式及び乗り心地を改善するアルストムリンク式台車、
高いブレーキ性能の得られる電磁直通ブレーキ(HSC-Dブレーキ)を導入すると共に、
1基の制御器で2両分8基のモーターを制御する「1C8M制御」を採用し、
2両の電動車でユニットを組む「MM’ユニット方式」として機器の集約化を図った。
戦後日本の電車において普遍化した技術をいち早く採用した先進的な電車である。
先頭車の正面は傾斜のない2枚窓非貫通式で、そこはかとなく動物的な印象があり、
「ネコ」という愛称で呼ばれていた。
1964年に一部の編成、2233-2240までの8両が試験的要素で台車をFS203Aから、
ディスクブレーキがむき出しになっているパイオニアIII形に交換され、
2236-2240の4両が冷房試験目的で1971年に車体に補強を施し、
京急と同じ三菱電機の集中冷房装置CU-71が搭載され異色を放った。
後年は4×4の8両編成で急行を担当することが多く、ネコ急行と呼ばれ、
相模大野までは大ネコ、相模大野で箱根湯本・江ノ島に分割すると小ネコ急行と呼ばれたり、
同じ20m大形車の2320形2両編成と6両編成で各停に使用されたりした。
20m級4扉車の為、廃車は遅く、1990年から始めり、1994年までに全車が廃車となった。
他社への譲渡は2205-2232までが2両編成8本に短縮され秩父鉄道に譲渡、
余剰となった中間車の解体は大野総合車両所で行なわれ、2201-2202-2203-2204の4両が、
登場当時の塗装に復元され喜多見電車基地、台車交換された2233-2236の4両が末期姿で海老名検車区、
冷房改造された2236-2240の4両も末期姿で大野総合車両所で保存されている。
244:名無し野電車区
10/12/08 01:26:17 iflTTCdd0
京阪P-6形改
P-6のうち2両を1937年ドイツから技術導入した直角カルダン駆動方式に改造したもの。
超特急に使用され、また試験運転で時速133kmの日本記録を打ち立てた。
戦時中部品不足で制御車扱いになったが戦後再度部品購入を行って電動車に戻り阪急1000系の基礎となった。
245:名無し野電車区
10/12/08 10:49:16 B2oYbbIr0
小田急2300形電車
小田急初の特急ロマンスカー地位を不動にした車両、1700形が導入され以後、
特急の利用者数は増加の一途をたどり、1954年頃には更なる増備が要望され、
1955年に登場した車体長20m4両固定編成6本・計24両製造された2300形。
客用扉は先頭車は中間車より側面脇に片1扉、中間車は先頭車より側面脇に片1扉が設置され、
正面は2200形と同様の前面2枚窓であるが、2300形では窓部分に傾斜をつける、
「湘南形」スタイルとなり、前照灯が埋め込み式1灯で、その脇に複音汽笛が2個装備された。
また、窓左右上部に尾灯が設けられたほか、種別表示灯が正面左右下部に設置され、
駆動方式は2200形と同じカルダン駆動方式で登場した。
だが登場当初から「つなぎ役」としての役割で、新形特急車両の3000形SE車が4編成揃った、
1959年には特急運用から外され、2320形とともに2200形と同じく、
片4扉ロングシートの通勤車両へ改造され、改造の内容は正面は2400形と同様の貫通形に改造、
4両固定2本、2200形・2400形の増結用として2両固定8本に改造を施され、
中間車の先頭車よりに設置されていたパンタグラフも4両固定編成は2200形と同じく、
新宿向きの先頭車の運転台上、小田原向きの中間車は新宿向きに移設、
2両固定編成は2309・10、2313・14、2317・18、2321・22を
方向転換させ番号を入れ替え、パンタグラフも新宿向き運転台上に移設させ、
2311、2315、2319、2323もパンタグラフを新宿向きに移設する大改造となった。
2300形の廃車解体は2200形と同じく1990年から大野総合車両所で始まり、
2200形より早い、1993年には完了した。
246:名無し野電車区
10/12/08 12:39:21 B2oYbbIr0
小田急2320形電車
2300形と同じく特急運用の補助運行や団体客運用など多目的運用目的で1958年から、
正面は翌年登場の2400形と似た貫通形前面ながら貫通扉の窓が運転窓に比べ、
上下に伸びた変形窓で運転席と反対側の窓内側にはサボ受けの枠が設置されていて、
20m両開き2扉のセミクロスシート4両固定編成4本で製造されたのが2320形。
停車時間の増加を防ぐ目的で、1.300mmの両開き扉を小田急では初めて採用した。
この2320形からメンテナンス面の制約がある直角カルダン駆動方式に代わって、
後の2400形にも採用されるWN平行カルダン駆動方式を採用した。
平日は通勤、土休日のみ特急運用・団体客運用を中心に使用されていたが、
登場翌年の1959年には新形特急車両3000形SE車が揃い、特急運用からも外され、
団体客運用は2300形が充てられたので完全に運用余剰となったので通勤運用に入るが、
年々沿線人口の急増、利用客の増加で朝夕のラッシュ通勤運用に2扉セミクロスシートは、
運用体形が非常に悪く、1963年に3100形NSE車が導入されると、
2300形とともに1963年から片4扉ロングシート、正面は2400形と同様の貫通形前面、
行先表示器は2300形・2400形と違い、貫通扉から前面に出っ張るタイプ、
2200形・2300形、2400形の増結用として2両固定編成8本の通勤車両へ改造された。
2200形や2300形と同じ1990年に廃車が始まり全車、
大野総合車両所で1993年までに解体された。
247:名無し野電車区
10/12/08 13:38:55 9gPD+lgp0
南海モハ1571形・サハ3871形
電車線の1500V昇圧に向けて7000系列の増備を行っていた南海だが
その途上で車両計画の狂いにより4連3本が不足することになって
しまった。
そのため、本来の計画では本線系から吊り掛け車を一掃する計画
だったものが4連4本残存することになり、将来の機器更新を前提
として、車体を新造し急場を凌ぐこととなった。
モーターは当時廃車が進んで予備に余裕のあったMT40形を使用し
不足分は当時の国鉄天王寺鉄道管理局より購入した。車体は7101
系を参考としたため4扉梁開きで冷房も搭載しての出場となった。
上記要因により、早々に機器更新が予想されていたものの、その
後の車両需給事情に振り回され、結局平成22年現在も本線普通車
に現役であり時折8連で急行・空港急行にも投入される。
全車自由席の特急運用は平成19年に入ったのが最後となっている。
248:名無し野電車区
10/12/08 14:47:45 jaVrGYHh0
オハフ50形900番台
国鉄で50系客車に試験的に運転台を取り付けたもの。
ヨーロッパ諸国の列車のように機回しの手間を省くべく運転台機器を取り付け、客車から機関車を制御できるようにした。
しかしプッシュ運転(機関車が押す)では安定性の問題から最高速度が85km/hになってしまう事と入線できる線区が限定される事(急カーブが多いと脱線しやすい)が判明したため量産化されなかった。
249:名無し野電車区
10/12/08 17:58:59 B2oYbbIr0
小田急2400形電車
小田急では全電動車式高性能車の問題、全電動車方式の高加減速車は機器類を多数搭載するため、
製造・保守のコストが高く、大量増備には向かないという欠点があったが、克服する策も見つからず、
全電動車方式以外で乗客の増加に対応するには以前からのMT比1:1方式で車輌開発するしか道が無く、
小田急電鉄は1959年に上記の課題を抱えたまま一次的打開策としても急増加する乗客に対応する為、
MT比1:1方式で2400形を急開発、翌年の1960年1月20日から通勤輸送に投入した。
2400形は20m級4両固定編成で正面貫通式、前照2灯化、片開き4扉、2段窓の車体デザインは、
後に片4扉に改造される2300形、先行丸写しで2300形が2400形を模範した。
WN平行カルダン駆動方式で2200形と同じアルストムリンク式台車のFS-330を採用、
電動車と制御車では車輪径寸法が全く異なり、電動車には車輪径910mm、制御車には車輪径810mm、
重量も電動車と制御車では異なり、電動車と付随車での車輪径を変える手法は、
その後2600形・5000形、さらには特急車の3100形NSE車にも引き継がれている。
2400形は増加する通勤輸送需要に時宜を得て投入され、所期の成功を収めたが、
2200形、2300形、2320形の扉・窓配置と大差無く、新製車両とは言えないほど、
機能優先で平凡であり、影口で複製品、バッタ物と呼ばれたり不名誉な仇名が付けられた。
製造数は1959年から1963年までに18編成72両が製造された。
1961年12月、脱線した2400形5編成のクハ2459・60、デハ2409・10が、
住友ミンデン空気ばね台車FS-340に変更された。
1968年に2400形14編成のクハ2477・78、デハ2427・28に、
CU-12型分散式冷房装置、クハは5台、デハは4台が試験的に搭載され、
9編成のクハ2467・68、デハ2417・18に京王5000系と同じく、
日立製FTUR-375-301型集中式冷房装置が試験的に登載された。
他の2400形は最後まで非冷房であった。
廃車解体は1994年から大野総合車両所始まり、1998年に終了した。
250:名無し野電車区
10/12/08 20:27:31 AUe+UhJf0
国鉄 551系急行型寝台電車
全線架線下を走る夜行客車急行の体質改善のために投入された形式
急行用電車である451・455系との併結も可能にし、座席車はそれら昼行用車輛を当てた
運用形態を想定し、581系などからの反省から、昼夜兼行ではなく夜行専用として使用する
ことを前提にした車内配置(同時期の14系客車等と同等)にした。
クハネ551、モハネ550、モハネ551、サハネ550、サロネ550が生産され、上野を発着する
夜行急行群が置きかえられた。
また、上野~仙台間の急行「新星」や、上野~秋田間の急行「天の川」などは、中間にサロネを
2両連結したうえで、全車寝台車で運行されたり、クモハ455・モハ454・サロ450と寝台車8連の
急行「銀河」のような、パワフル急行なども登場した。
急行列車の衰退とともに活躍の場が狭まる・・・と思いきや、B寝台の2段化と同時に581系よりも
寝台としての体質改善が進んだせいで逆に特急寝台列車に登用される場面も増え、平成初期には
大量にシュプール号に投入されたりと活躍を見せた。
現在でも、新潟~大阪間の急行「きたぐに」、上野~青森間の特急「あけぼの」などで活躍しているのは
周知のことであろう。
251:名無し野電車区
10/12/09 15:27:38 sgoQkrbt0
小田急2600形電車
小田急小田原線の輸送人員は、1960年代に入ると毎年10%ずつ増加するようになり、
朝夕のラッシュ混雑は2200形を始め20m4扉車を優先的に投入してるにも関らず、
20m以下の旧型車まで投入しないと需要が追いつかない状態に陥っていたので、
新型2400形に続き、新たな車輌を開発、20m以下の旧型車を置き換える必要に迫った。
新型車輌は2400形の1:1方式を引続き採用するとともに、4両から6両の長編製化され、
6両4M2T方式の新形式で2600形を開発投入することが1963年末に決定した。
正面と車体幅は2400形と変らず、正面貫通扉脇はそれまでの小田急貫通型の伝統に従い、
手すりが設けられ、国鉄101系電車と同様の両開き4扉を新たに採用、
戸袋窓の幅は285mmと国鉄101系の419mmより狭くなっているほか、
窓の高さは国鉄101系の870mmに対して900mmと設定し、
両開きの為、乗務員室の後部は戸袋窓が開口しない為、屋根上の通風器は押込式の上、
戸袋窓は外側を鎧戸とした通風口とすることで、この箇所の換気性能を確保した。
2400形では発電ブレーキ時に抵抗器から発生する熱に問題が生じたため、
2600形では抵抗器に自然通風式ではなく強制通風式を採用した。
台車は2400形と同じ電動車が車輪径910mm、制御車が車輪径810mmで、
FS360で2200形からの実績があるアルストムリンク式空気バネ台車である。
2400形では中間電動車のパンタグラフは先頭車よりに装備されていたが、
2600形では新宿方の中間電動車M1・M2・M3の小田原方に装備、
M4だけパンタ無しとされ1964年から製造が開始、運用も始り、
1968年までに合計120両20本が製造された。
252:名無し野電車区
10/12/09 15:33:33 sgoQkrbt0
登場時は他20m級車と同じ「ダークブルーとオレンジイエロー」の塗装で登場、
1966年11月から1968年5月にかけて1編成・2編成・15編成・16編成が、
「小田急百貨店全館完成記念列車」として「白地にスカーレットのツートンに金色」の、
「お買い物電車」特別塗装となったが、1969年から順次「白地にロイヤルブルー帯」の、
新標準塗装に変更されていった。
登場以来冷房装置未搭載だったが、2400形の各型冷房試験結果をもとに、
1971年から1979年にかけて三菱電機の集中冷房装置CU-71が搭載された。
1977年から排障器(スカート)を設置し始めたのだが、15編成までは設置して、
16編成以降は設置されなかった。
1982年3月から6月にかけては向ヶ丘遊園で行なわれている「フラワーショー」が、
20周年を迎え、「白地とロイヤルブルーの帯に赤・橙色の花と黄緑色の葉」の、
「フラワートレイン」として9編成の側面全面に塗装されて運行された。
1985年には18編成がVVVFインバータ制御の現車試験に使用された。
1994年にVVVF化された18編成のクハはTS818、デハはTS818Aに
台車交換が行なわれている。
登場以来、箱根登山鉄道線小田原~箱根湯本間への入線は行われていなかったが、
1986年頃に側窓の改造(下段が1段しか上昇しないようにした)が全編成に、
施工されてからは入線するようになった。
1980年代後期から1990年代初期に掛けて車体の劣化部分の補修、
および窓枠Nゴムの交換などが行われた。
廃車は1999年に初期車輌から始め始まり、編成全車が廃車されたのは2003年6月で、
動態保存対象の19編成以外は大野総合車両所で解体された。
2003年10月には動態保存の19編成が登場から1971年までの、
ダークブルーとオレンジイエローの旧塗装に戻されて営業運転に入り、
鉄道ファン以外の乗客からも注目された。ただし、塗り分け位置が異なっていたほか、
旧塗装時代は冷房装置が装備されてされておらず、窓ガラスは白色Hゴム支持であった。
19編成は現在も喜多見検車区で動態保存されている。
253:名無し野電車区
10/12/09 20:11:38 EYHQ+Vxh0
JR東日本 キハE251系特急形気動車
JR東日本が水郡線に特急「くじかわ」、及び磐越東線に特急「浜通り」を新設するために久しぶりに製造した特急形気動車。
常磐線特急用の新型車両E657系のロールアウトとほぼ同時期にデビューしているが、
E657系投入と同時に常磐線特急の運行系統がいわき駅を境に分断されることが決定しているため、
一部では「常磐線沿線の利用者を東北新幹線に誘導するための列車ではないか?」との説が囁かれている。
(尚、キハE251系の編成数がグリーン車付きの8+4連と、地方交通線の特急用車両としては比較的長い編成であること、
双方の列車が「ひたち」と同一ホームでの乗り換えが可能なように設定されていることや、東北新幹線の速達列車に合わせた時刻に郡山に到着すること、
また「くじがわ」「浜通り」と東北新幹線列車の間で乗り継ぎ割引及び多種多様な割引切符が新設されたことも、この噂の信憑性を高めている)
編成は基本編成が8連、付属編成が4連。基本編成にはグリーン車キロ251形を連結している。
車体はキハE130系気動車をベースとした、軽量ステンレス製の20m級車体。ドア数は片側2ドア。
座席はE257系のものと同一の座面スライド機構付き回転式リクライニングシート。普通車は960mmピッチ、グリーン車は1160mmピッチ。どちらも4列配置である。
トイレは車椅子対応の大型真空洋式タイプ。
主機関はキハE130系に搭載された低公害型の機関(450PS)を採用。高速走行を視野に入れ、2エンジン方式となっている。
変速機は直結5段のものを使用。最終段減速比は小さく設定され、高速性能を強化している。
台車もE257系をベースとしたものを使用。また、各車両に車体間ダンパが搭載され、乗り心地の向上を図っている。
起動加速度は2.3km/h/s、最高運転速度は130km/hと新型電車特急並の性能を有する。
水郡線には8連・4連の双方が、磐越東線には8連のみが配備されている。
254:名無し野電車区
10/12/10 01:48:17 PWKsRXVS0
大阪市交通局 二20系・66系・70系・80系
地下鉄事業黒字化を目指す大阪市がバリアフリー化の高さに目をつけて荷物輸送を開始した。
これに伴い輸送対応の改造をした車両には二の称号が付いている。
早朝・日中・深夜にコンビニや宅配便の荷物を輸送できるよう座席の収納化や台車の固定金具設置を行なっている。
当初は各編成1両が対応。
255:名無し野電車区
10/12/10 17:55:51 Ct4Tm6+c0
小田急4000形電車 (初代)
1960年代に入ると通勤輸送の急増の中で20m以下の小型・中型旧車両は、
1950年代に更新改造されてるとはいえ、2ドア、3ドアではラッシュ時には使いづらく、
電動機などは更新されていたことから再利用し、1966年から1974年にかけて、
2600形と同型の20mの車体を組み合わせた車両を登場させることになった。
見た目は新型車でもモーターの駆動方式は旧型の吊り掛け式であったが、
制御器などの機器は新規に製作されたもので、ブレーキシステムも電磁直通ブレーキを、
採用するなど旧型流用の割には、ほぼ新造製造に近かった。
台車は新造時点で旧型車からは転用せず、ディスクブレーキがむき出しになっている、
パイオニアⅢ-706形を採用、吊り掛け式で、空気バネを採用していたのは特筆に価する。
当初はローカル各停用で制御車と中間電動車の4M2T6両で製造を始めたが、
1967年末に小田原線・江ノ島線ともに急ピッチで進めていたホーム拡張が完成、
最大8両から10両停車も可能になり、各停・急行も10化可能になったので、
新たに増結用として制御車と中間電動車の2M2T4両も製造され、
1968年から朝のラッシュ輸送に6+4の10両編成で急行などにも使用されると、
編成中に24基ある吊り掛け式モーターを唸らせて運行される姿は国鉄・私鉄ともに、
新性能化が進み、吊り掛け旧型車が減って行く中で、特異な存在となり、
70年代終盤、国鉄主要路線から長編成の吊り掛け旧型車は完全に姿を消し、
京急400形の定期運用10両運転は既に消滅していたこともあって、
当時の日本では他に類を見ないものであった。
小田急で急行・各停ともに10両編成を組んだのは4000形が始めてであった。
256:名無し野電車区
10/12/10 18:01:11 Ct4Tm6+c0
1971年に2600形冷房化と続き4000形も冷房化が実施され、
1977年にかけて集中冷房装置CU-71が登載された。
新規製造車では6両7編成、4両8編成から冷房が登載され実質、新規製造冷房車となった。
小田急初の新規製造冷房車は吊り掛けの忘れ形見と言われる4000形となった。
既に運用されていた6両6編成、4両7編成までも順次、冷房改造されたいった。
1970年新規製造分から制御車はTS-710、中間電動車はTS-709の、
パイオニアⅢ改良版に変更され、既に運用に入っていた編成も1972年の冷房化と同時に、
710・709に台車交換して冷房搭載後の車重増にも対応している。
最終的には、合計92両(6両編成10本・4両編成8本)となった。
6両1編成のクハ4001・デハ4101・4201・4301・4401・クハ4051、
6両2編成のクハ4002・デハ4102・4202・4302・4402・クハ4052は、
登場時に小田急百貨店全館完成記念として2600形とともに、金と赤の派手な塗装で登場し、
2600形とともに「お買い物電車」として運用された。
1975年、これまで手動であった正面と側面の方向幕が自動化された。
手動方向幕は白地に黒文字であったのに対し、自動化された方向幕は黒地に白抜き文字であった。
1990年からVVVFインバータ制御方式による高性能化が全車に行われ、
制御車はTS826T、中間電動車はTS826のペデスタル式の新しい台車に交換され、
制御車、中間電動車の基礎ブレーキに、外付けディスクブレーキが採用された。
高性能化前は、加速性能が極端に違うために他形式編成との相互連結はできなかったが、
この改造で可能になったが、吊り掛け時代から他形式編成と併結することは無かった。
廃車は2003年12月から始まり、海老名検車区で動態保存の6両8編成以外は、
2006年2月10日までに大野総合車両所で解体された。
257:名無し野電車区
10/12/10 22:04:28 v1Snofht0
>>250
JR西日本551系体質改善車
出雲、瀬戸の置き換えにあたり、JR西日本では
551系の空間の広さを活かし、車体更新、VVVF化によるMT比変更の上
24系等で行われたような2段式個室改造を施した
交流区間乗り入れ可能、分割併合可能なため
「彗星」「なは」「あかつき」にも充当され今に至る。
258:anorak?
10/12/11 02:11:09 ia4as9j00
>>92 >>96 >>226に続く平行世界もの
◎国鉄713系1000番台交流近郊形電車
登場年 1985 車種 クモハ713形1000番台(Mc) クハ712-500(T'c) 要点 50系客車改造
○1970年代前半、国鉄は、山陰本線福知山以西、姫新線、津山線、因美線、姫新線のこれらを、費用対効果の観点から
北陸と同様の交流で以て一気にまとめて電化する事を当初は計画したのだが、財政の悪化で投資が絞られる事となり、
山陰線の福知山・城崎間及び伯耆大山・知井宮間並びに伯備線のみが直流電化される事になった。
一方、取り残された鳥取県と鳥取市は、「県庁所在地に電車が無いのは・・・」云々と国鉄に電化を必死に陳情し、
鳥取県の某政治家(死去後の跡継ぎの息子は鉄道・軍事マニアの衆議院議員)の尽力によって、
かろうじて山陰線鳥取・末恒区間と因美線鳥取・郡家区間のみが交流電化され、86年春に開業となった。
この電化は他の電化路線とは接続せず、かなり長期的に孤立したものと予想されたので、投入されるのは、
国鉄の財政破綻寸前下を反映して高価な交直流両用車ではなく、より安い交流専用車が選ばれ、
それが713系1000番である。
同車は、製造費低減の為に廃車発生品を可能な限り活用し、かつMcは新造だがT'cは50系客車からの改造となった。
新造のMcについては、制御系は同系900番台を踏襲するが、台車はボルスタレスで、車体はステンレス製、裾絞りなしの
長方形断面、ステップ付きの半自動式両開き扉三つ、ユニットサッシ窓、運転台前面は貫通扉付きで後の121系に準じる。
車内設備はオールロングシートで、ドア脇の椅子と境界に袖仕切と風防設置、冷房有り、トイレ無し。
一方のT'cは、オハフ50を種車に電車の先頭付随車としての最低限の改造を施し、車掌室を運転室にして前面は105系に
準じ、屋根に後の50系5000番台と同様の分散式冷房装置を搭載し、車内設備は種車のままとした。
McT'cの二両三編成が登場し、電化開業時に就役開始。87年にJR西日本に承継。
PC50改造車のT'c712-500の経年劣化が顕在化したので、2003年に、余剰となったサハ213に運転台とトイレを取り付け
などのクハ212-100にほぼ準じたT'c712-1000として改造し、T'c-500を置き換え廃車し、
そして全車をワンマン運転対応とし、現在に至る。
259:名無し野電車区
10/12/11 02:16:39 8tTMLAnf0
アルストム・シーメンス・日立
TGV Eurasie/ICE Eurasien/ユーラシア新幹線
20XX年、タタール海峡・稚泊トンネル開業に伴いロンドン・セントパンクラス/パリ北~ベルリン中央~東京間を走行するユーラシア高速鉄道が運行を開始。
同列車に使用されるのが上記3社が共同開発した車両である。
車体サイズはUIC規格を採用。複数電源対応し、シベリアでの停電に備えて電源車の連結も考慮されている。
全車個室・シャワー付きで1等/A寝台車にはバスルームも用意されている。
最高時速400kmでアクティブサスペンション付き。
食堂車を含めた12両編成となっている。
ロテム・中国南車・1フィアット
KTX eurasia/CRH 欧亜/Pendolino eurasia
上記に対抗してローマ~イスタンブール~テヘラン~ペキン~プサン間に開業したユーラシア中央鉄道に使用するために上記3社が開発した。
全車強制振り子式で最高時速410km、電源車両が常時連結され、全車両にバスルームを備える。
車体サイズはUIC規格である。
振り子式で車体が若干小さめのせいか、20両編成となっている。
260:名無し野電車区
10/12/11 10:12:59 KXsD21yZ0
185系400番台
房総方面の急行列車格上げに向け投入された185系。
153系、165系を置き換えている。
クハ185にATCを搭載していること(そのため定員が減っている)から新番台が起こされた。
E257系500番台投入後は、首都圏の波動輸送用183/189系を置き換え、各地に顔を出している。
261:名無し野電車区
10/12/11 15:01:22 Cwur8FO/0
>>260
貫通顔だったら面白いね
東京トンネルが貫通車限定だったのっていつまでだっけ?
183-1000もすいごう等に入った当初は両国止まりだったな
262:260
10/12/11 21:14:18 KXsD21yZ0
貫通路必要なの忘れてた…orz
ありがとう>>261
実際に貫通路あったら373系みたいな感じだろうか
263:名無し野電車区
10/12/12 13:05:15 11IgYPDw0
近鉄5820形伊賀特急仕様
1971年の大河ドラマ「春の坂道」に合わせて運転された伊賀特急(伊賀神戸~伊賀上野、停車駅は上野市)に合わせて5820形を養老線から伊賀線に転属させ、再度特急用に使用したもの。
カラーリングを特急色にしたほか、特急ヘッドマークの装着などを行った。
利用率がいまいちだったせいか翌年のダイヤ改正で特急は廃止され、5820形も養老線に戻った。
264:名無し野電車区
10/12/12 20:08:51 d6DJjc8d0
しなの鉄道213系5000番台
しなの鉄道は老朽化した169系を置き換えるべく、JR東海から213系5000番台を購入した。
投入にあたり、ワンマン運転対応機器(運転台のドア開閉スイッチ、自動放送装置)の装備、
ドア上に液晶ディスプレイ設置などの改造が行われている。
快速「しなのサンライズ」・「しなのサンセット」のほか、日中を中心に小諸~軽井沢間の普通列車に使用されている。
265:名無し野電車区
10/12/13 15:04:00 ouJKbvfA0
小田急5000形電車
1971年、優等列車(急行・準急)向けの新電車製造構想が持ち上がったが、
翌年からの地下鉄千代田線直通運転開始による乗り入れ新規車輌9000形製造決定と増備、
旧型車代替えの4000形製造が未だ完了して無いことなどから、
いったん本形式の製造構想は中止されたが、9000形の必要両数が満たされた、
1974年に立ち消えとなった優等列車の5000形製造に踏み切ることになった。
同形式では車体幅を車両限界一杯の2.900mmまで拡大し、車体裾を絞り込み、
正面のデザインは2600形、4000形と変更はなく、車体幅が広くなったために、
正面窓の寸法が広げられ、2600形や4000形の前面部分は半径5000mmに対し、
5000形では6000mmと緩やかなカーブとした。
客室側窓を今までの2段上昇式から9000形で採用した一段下降式を採用し、
側面ドアと戸袋窓の支持方法をHゴム方式から押え金方式へ変更した。
制御方式は2400形、2600形と同じく、発電ブレーキは強制通風式を採用し、
台車は電動車が車輪径910mmのFS375、制御車が車輪径810mmのFS075で、
基礎制動装置は全台車が両抱き式踏面ブレーキ(クラスプ式)である。
冷房装置は2600形、4000形が登載した集中式冷房装置から機器騒音低減、
9000形登載による実績などを考慮して、集約分散式CU-12B型を各車5基搭載、
全車両、製造段階から排障器(スカート)を設置した。
4両編成を5000形、6両編成を5200形と、一見すると別形式表記だが、
小田急での正式形式はどちらも5000形であり、あくまで俗称である。
最終的には4両編成が11本、6両編成が16本計140両が製造された。
1995年頃から機器・車内設備について大掛かりな改修を施し、
パンタグラフをシングルアームに変更、全車にドアチャイムを設置したのも、
5000形と5200形が小田急初であった。
2600形と初代4000形の全廃で、5000形と5200形は、
「小田急顔」として唯一残存する形式となったが、2006年から廃車が始めり、
初期車輌から大野総合車両所で解体が始まり、今後も新形式増備のたびに、廃車が進められる予定。
266:名無し野電車区
10/12/14 02:08:05 QtFZmUEL0
東京都電7000形高性能化仕様
東京都ではPcc5500形等が不調だった原因をヒアリングした結果、大阪・名古屋などと比較して職員への研修不十分な点や車体サイズ・部品の特殊性にあると分析した。
これを受けて1957年7000形初期車を改造して東芝が量産した直角カルダン駆動(40kw×4)・間接非自動制御・防音台車への機器交換を行った(同時に運転台・正面窓も改造)。
特に課題であった制御器のレスポンスについては従来機器をベースに同等の反応が出るように改良を行なっている。
乗り心地が向上したため乗客にも好評で各車庫に順次研修を行いながら1963年までに後期車を含め改造を完了した(余剰となった旧部品は2000/2500形の改軌と1500形の改造に充てられた)。
現在は車体など更新を重ねながら荒川線で一部が残存している。
267:名無し野電車区
10/12/14 21:12:16 hR+uPUh10
JR東日本E127系200番台
JR東日本E127系電車の高崎支社向け仕様で、
同支社管内で運用されている115系・107系の取り替えを目的に製造
基本的には、新潟地区に投入された0番台とほぼ同仕様ではあるが、以下の点が異なる。
1.客用扉のステップが無い(0番台は存在)
2.ワンマン機器は設置準備のみ(0番台は設置済み)
3.運転台は半室構造への改造を前提とした全室構造(0番台は半室構造)
4.パンタグラフはシングルアーム式(0番台は下枠交差式)
なお、車体帯色は、107系に準じた緑とピンクとなっている。
全車高崎車両センターに配置され、上越線(高崎~水上)・吾妻線・信越線(高崎~横川)・
両毛線で運用されるほか、両毛線から宇都宮線(小山~黒磯)に直通する運用もある。
268:名無し野電車区
10/12/14 22:10:38 71GdnY920
サハ165-500番台
国鉄でサロ165を格下げ改造したもの。
内装を固定クロスシートに変更した。
窓枠は全車交換済み。
JR東日本に承継されたが、ドア幅が狭い事からラッシュ時に使いづらく1993年に廃車された。
臨時大垣夜行に使われた事もあるという。
269:名無し野電車区
10/12/15 20:50:21 0T1eEC/60
JR北海道 スロ14 スロネ14
会社発足時に、「持参金」代わりに国鉄から移譲されたサロ481、サハネ581をそれぞれ
客車化した車輛
長期間、苗穂駅の側線に留置され、鉄くずとして売却しようか検討していたが、91年の湾岸戦争
勃発による海外旅行から北海道旅行へのシフトと、青函トンネル人気、そして折からのバブル景気に
より、急行はまなすを中心に道内夜行急行群は空前の満席状態が続いていたため、予備の車輛を
増結しても間に合わない状態だったため、くだんの留置車輛を急きょ14系化し、増結車として投入
することとなった
改造は最小限としたため、塗装こそ14系に合わせたものとしたが外見はそのままで、かろうじて
サハネ581をサロネ581と同様の2段化し、14系からの電源供給を受けられるようにしただけで
増結車輛として連結された
最盛期には、寝台特急「エルム」へ組み込まれたりもした
しかし、空前の北海道観光ブームもバブル崩壊とともに去り、その重量からDD51の牽引定数を
度々オーバーし、はまなすでも重連運用を強いられることから現場サイドからも敬遠されるようになり
末期はお座敷化され波動輸送や団体輸送に使われたが、平成12年に全車廃車となった
スロネ14の2・3の2両が、富良野郊外でライダーハウスとして使われていたが、平成19年以降目撃情報はない
270:名無し野電車区
10/12/16 02:07:45 V6JfSC800
小田急1820形
小田急で1700形増備後も特急増発が必要となったため、1800形のうち戦災廃車を購入した2両と名鉄入線の1両を車体更新の際特急仕様に改造したもの。
クモハ2両の間にサハ1両を挟んだ形でドア割や内装は1700形と同じだが、窓や正面は1800形と同じで全車両20mなのが異なる。
3000形増備後は1800形に改造・編入されて秩父鉄道に譲渡された。
271:名無し野電車区
10/12/16 20:14:06 QM1FXP8a0
サハ451・455-500番台
サロ451・サロ455を普通車格下げ改造。
内装はセミクロスシートに変更された。
JR西日本に承継されたもののドア幅の狭さがボトルネックとなり富山港線の増結用でしか使われず、2001年に全車廃車された。
272:名無し野電車区
10/12/16 22:22:22 uagjsaOj0
サハ152
1972年に国鉄でサロ152を格下げ改造したもの。
内装を固定クロスシートに変更した。
全車宮原電車区に配置され新快速に用いられたが、
ドア幅が狭い事と下降窓による車体の腐食が災いしたせいか、
1975年に全車廃車された。
273:名無し野電車区
10/12/17 00:57:40 TWeNGL5n0
JR九州I800系
利用客増のために増備。
800系と名乗ってはいるが実はドイツのICE3であり、水戸岡氏たっての頼みで導入された。
信号方式などは全て新幹線仕様にしており、車体幅もロシア向け同様に新幹線サイズになっている。
全8両編成でビストロも付いている。最高時速320km。
274:名無し野電車区
10/12/17 12:36:14 XAAvArL00
京浜急行デハ230形電車
京浜急行電鉄の前身のひとつである湘南電気鉄道が導入したデ1形、
京浜電気鉄道デ50形、デ100形が後に京急230形電車として統合された。
湘南電気鉄道デ1形
1930年(昭和5年)に湘南電気鉄道の開業に伴う完全新規設計の新造車として、
神戸の川崎車両兵庫工場で1-40の計30両が製造、230形の基本となった車両。
当初は扉間中央部に固定式クロスシートの両運転台車であった。
京浜電鉄への乗り入れを考慮して直流600V/1.500Vの複電圧仕様として、
各種機器が設計され、台車の軸受にローラーベアリングを採用、新造の時点では、
東京地下鉄道との直通運転が計画されており、台車に第三軌条用のコレクターシュー(集電靴)の、
取り付け準備も行われていた。換気装置は吸い出し式のお碗形通風機を装備した。
京浜電気鉄道デ50形
1931年、相互乗り入れを考慮して600V/1.500Vの複電圧仕様、
浦賀-品川直通に合わせて汽車製造会社で50-76の計26両が製造、
2扉セミクロスシート両運転台車で、京浜初の鉄道線規格車両であったが、
鉄道省の理解が得られず台枠構造が変更されたため、レール面から車体裾までの高さが、
湘南デ1形より25cm高くなった。この車両から京浜電鉄は菱枠パンタグラフを採用した。
換気装置は吸い出し式のガーランド形通風機を装備した。
京浜電気鉄道デ100形
1940年にデ50形と同じく、乗り入れ用として設計された3扉ロングシート車で、
100-120の計20両が汽車製造会社で製造された。
外寸はデ50形に準じ、東京地下鉄道1000形電車とほぼ同形となったほか、
溶接組み立ての使用範囲が拡大され車体からリベットが無くなった。
ただし制御装置は従来車が弱め界磁付き自動加速制御器を搭載していたのに対し、
本車は京浜の在来車との混用の都合や部品調達難から、旧来のHL式制御器+、
SMEブレーキにグレードダウンした他、モーター定格出力も低下するなど、
戦争の影響によると思われるいくつかの仕様変更が実施されている。
換気装置は吸い出し式のガーランド形通風機を装備した。
275:名無し野電車区
10/12/17 14:09:24 XAAvArL00
デ1形、デ50形、デ100形ともに車体長16m、車幅2.5mの車体規格は、
設計当時の東京地下鉄道・東京高速鉄道の車両規格と似せて製造されている。
運転台は半室式の両運転台で、妻面は丸妻三枚窓、側窓は高さ1.052mm・幅760mm、
大型の上段上昇、下段上昇の2段窓、窓配置d2D(1)6(1)D3の湘南デ1形、京浜デ50形と
d1D(1)2(1)D3(1)D2の京浜デ100形の半鋼製車体を備える。
車掌台側端部は妻窓直前まで座席を設置、座席は湘南電鉄デ1、京浜電鉄デ50形が扉間中央部に、
16名分の固定式クロスシートを備え、それ以外はロングシートである。
主電動機は直巻電動機で、吊り掛け式の駆動装置と組み合わせて、デ1形が東洋電機製造、
デ50形、デ100形が三菱電機、台車は湘南電鉄デ1形がMCB-R、京浜電鉄デ50形以降が、
汽車製造2HEと呼ばれる、ボールドウィンAA形を模倣した台車を装着する。
ブレーキは湘南デ1形がウェスティングハウス・エアーブレーキ社のAMM自動空気ブレーキ、
デ50形、デ100形は日本エヤーブレーキ社製のSME非常弁付き直通ブレーキを搭載する。
集電装置としてデ1形・デ50形・デ100形の各形式は東洋電機製造の、
C2菱枠パンタグラフを各車の浦賀寄りに1基ずつ搭載する。
276:名無し野電車区
10/12/17 14:10:35 XAAvArL00
デ1形、デ50形、デ100形は新造以来、主力車として両社線で使用、1両単行で運転されていたが、
軍港横須賀を控える湘南電鉄の沿線事情もあり、徐々に輸送量が増大した1930年代後半には、
2両編成での運転が増加、1942年に大東急併合されると形式番号の整理により、
デ1形、デ50形、デ100形はデハ5200形に改番統合された。
1948年に大東急解体により京浜急行電鉄が誕生し、同年内に形式番号が改正され、
デハ5200形はデハ230形に形式番号が整理改正された。
1954年には扉の交換、片運転台化、貫通路の設置、乗務員室の全室化、押込式通風機など、
大幅な更新修繕が行われ、電動車24両を電装解除して中間車化、サハ230形として、
Mc-T-T-Mcの4両編成12本、Mc-Mcの2両編成14本とした。
1956年には赤い車体、窓下の白帯に変更され、1965年には前照灯のシールドビーム化、
1966年から方向幕設置、4両12本、Mc-Mc2×2両の4両7本が大師線運用に入り、
1973年に廃車が始まり、1978年3月で全廃された。
廃車後、2両14本のデハ230形が香川県の高松琴平電気鉄道に譲渡され、
30形として使用されたが、2007年7月に志度線用の2両を最後に全車廃車となった。
保存車はデハ230が湘南電鉄デ1形に復元され、久里浜工場で静態保存されている他、
デハ268がホビーセンターカトーに静態保存されている。
277:名無し野電車区
10/12/17 14:35:21 XAAvArL00
京急300形電車
戦中から終戦直後にかけて18m級車体、正面3枚窓、片側3扉、扉間窓4個のデザインで、
600V/1.500Vの複電圧仕様、18m級の両運転台車両で製造された車両群である。
車体長17.5m車幅2.7m級の半鋼製車。この車体寸法が、その後の京急ばかりか、
都営浅草線や京成グループの18m車標準寸法の元となった。
1942年(昭和17年)に東急デハ5300形として電動車26両と制御車15両、
計41両を予定していたが、戦況の不安から資材調達が難しくなり結局、
電動車デハ10両と制御車クハ10両の計20両のみ新製された。
電動車のデハは、先に車体が完成したのにも関らず、日立製作所製の電気部品が調達できず、
しばらく生麦の車庫で待機し、電気部品が手に入った翌年から営業運転を開始した。
戦災による被害車は奇跡的に1両も無いまま終戦を迎え、終戦直後から営業再開、
1948年に大東急から分離後、電動車の片運転台化、貫通路の設置、
制御車10両も片運転台化、貫通路設置して電動車化、運転台上に菱枠形パンタグラフ設置、
2両固定編成化されデハ300形を名乗りった。
1951年、新たに中間付随車となるサハ300形を10両新造し、
Mc-T-Mcの3両編成10本で急行、各停運用に入った。
1956年には赤・黄の塗装から赤い車体、窓下が白帯の塗装に変更され、
1958年にはホーム延長完成で3両×3両の6両編成5本を組み、主に各停運用にあたった。
1962年、室内更新、アルミサッシ化、尾灯の角形化、蛍光灯の設置、方向幕設置、
1966年に列車無線アンテナ新設、前照灯シールドビーム化改造を実施された。
1972年に半数の5本からサハを抜き、残り5本に組み込んで、
Mc-T-T-Mcの4両編成5本を大師線に転用、サハを外されたMc10両は、
デト40形となった2両を除いて先に、西武所沢工場経由で弘前電気鉄道、近江鉄道、
総武流山電鉄、伊予鉄道などに売却された。
大師線で運用されていた4両編成5本も1980年に大師線運用から外れ全廃、
西武所沢工場経由で各私鉄に売却された。
デト40形になった2両も1988年に廃車解体された。