10/10/04 21:27:01 g4bNqFoB0
台湾新幹線 800T型
台湾新幹線の新車として、サイバーダイン社から納入された、新幹線車両
外観はJR九州の800系に似ているが、中身は別物であり、
フレームには、新開発の金属が用いられ、極めて強固なボディを誇る
特筆すべきは、カメラ、マイクなどを入力インターフェースとする
人工頭脳で、普通に無人運転も可能であるが
この人工頭脳は学習能力も持ち、運転手がバイザーの上に忘れていた、
起動キーを指し示めすと言う芸当を行った記録がある
これら運転手や乗客とのやりとりは、音声認識で可能であり
極端に言えば、素人でも運転可能と言われる
皮膚・・・じゃなくて外壁は、人工皮膚で覆われ、
多少の損傷であれば、自己修復可能であるなど
鉄道車両にしては、奇妙な性能や能力を備える
噂では、未来に生まれる、ある人物の暗殺のために開発されたとも
逆に護衛のために開発されたとも言われるが
詳細は不明である
登場時は、形式番号がT800とミスプリントされていた事でも有名である
101:名無し野電車区
10/10/07 00:24:22 nT1JTgHO0
JR東日本E231系近郊タイプ新潟支社向け
新潟車両センターの115系老朽車置き換え用として、国府津車の増備が終了した2006年2月から翌年1月にかけて新津車両製作所で4連18本が製造された。
仕様は国府津車をベースとしており、車番も既存車の続番となっているが、豪雪地帯を走行する為耐雪構造は強化されている。
座席配置は1・2号車がロングシート、3・4号車がセミクロスシート。
車番は、
クハE231-8069~8086
モハE231-3543~3560
モハE230-1543~1560
クハE230-6069~6086
編成番号はE1~E18 保安装置はATS-P・PsとSNを装備する。
ラインカラーはE127系と同じ緑色の濃淡2色である。
本グループの投入により、115系Y・L編成全車とS編成の非ユニットサッシ車が廃車となり、
弥彦線には代替としてS編成の1500番台車をワンマン改造の上充当した。
4ドア4両固定の収容力を生かし、信越本線や越後線の新潟近郊区間を中心に運用されており、
ラッシュ時には4+4の8両編成での運用も存在する。
102:名無し野電車区
10/10/07 02:38:14 SACvex5AO
EF510-550番台
JR東日本が「カシオペア」「北斗星」牽引用に製造したEF510-500番台の長岡配備型。
それまでEF64 EF81で牽引していた「あけぼの」を全区間スルー牽引化させるために
500番台を追加配備として長岡に配備したもの。
但し東北新幹線が新青森まで開通した際に廃止される事を見越して新造した6両中
551~553号機を除き、日本貨物鉄道からのウェットリース貸与での
リースとなっており、廃止された際に速やかに日本貨物鉄道に返却して
富山機関区に配備する取り決めをしたため、貨物用と同様の装備にしている。
なお新津車両製作所新造車両配給用と郡山工場出入場輸送用として
551~553号機は双頭連結器となっている。
これによりEF64-1030 1031号機は任を解かれて日本貨物鉄道に売却され、
大宮車両所で更新の上EF64-1000を集結させた1030号機は愛知機関区に
1031号機は岡山機関区へ転属された。
103:名無し野電車区
10/10/07 23:50:36 pV2JfPKh0
西武鉄道5000系(史実とは異なる)
西武グループのうち鉄道部門を堤清二氏が、流通部門を義明氏が引き継ぐことになり、
文化人としても知られる清二氏が西武初の特急電車として登場させた。
レッドアローの名にふさわしく赤一色の外見にサイケ調の内装。
「共産党出身だから赤なのか」などの陰口もあったが無事ブルーリボン賞を受賞した。
各種イベント列車にも使用された。
西武新101系(同上)
清二氏の「無印良品」構想に基づいてデザインされた「無印電車」。
クリアラッカー仕上げのアルミ無塗装車体に白基調の内装のシンプルデザイン。
清二氏失脚の90年代まで同社の基本デザインになった。
104:名無し野電車区
10/10/08 21:28:10 WFq5HBMQ0
>>103
社名も変更だ、西武鉄道から、“Reseau Saison” ( レゾン セゾン )に。
105:名無し野電車区
10/10/08 21:33:44 WFq5HBMQ0
>>104 誤記訂正
>レゾン セゾン × → >レゾ セゾン ○
106:名無し野電車区
10/10/08 23:06:22 A5+kEf1g0
>104
>105
セゾンライオンズ
セゾン新宿駅
セゾン園
107:名無し野電車区
10/10/09 10:28:45 0e8xUKgnO
>>104-106
セゾン開発
品川(新高輪 新横浜 苗場)セゾンホテル
セゾン伊豆箱根鉄道
セゾン近江鉄道
セゾン園競輪
108:名無し野電車区
10/10/09 15:03:29 ILkPci360
E235系
JR東日本初のアルミ製通勤車両。
見た目はE233系と似ているがアルミ製である。
日立の「A-Train」を採用している。
その特殊性から新津車両製作所での製造は不可能で、全車両が日立製である。
一部203系の車体を溶かして再利用している車両もあると言われている。
109:名無し野電車区
10/10/09 15:10:23 8K4Sz6Zl0
>>98
尚、西武百貨店やロフトを突然買い戻したことによりセブン&アイ・ホールディングスとの関係が急激に悪化、
西武・近江鉄道沿線から同グループの店舗(イトーヨーカ堂・セブン-イレブン・デニーズ等)が一気に撤退するという事態に発展したらしい。
さらにセブンイレブン店舗にあるマルチコピー機に於いても、ライオンズの観戦チケットや豊島園・シーパラダイス・西武園のチケットの取り扱いを廃止したとか。
110:anorak?
10/10/11 15:59:39 ztT3H7WR0
>>17 >>96に続く平行世界もの
◎国鉄431系交直流近郊形電車
製造年 1970-71 車種 クモハ431(Mc)クハ430(T'ac) 要点 北海道
○1971年に東急系列の定山渓鉄道は全廃され、代って71年に札幌市営地下鉄南北線と共に国鉄定山渓線が開業。
これは、東急が定山渓鉄道(東札幌・定山渓、DC1.5KV)の真駒内~定山渓区間を国鉄に売却した事で実現し、
国鉄は、真駒内から羊ヶ丘、清田区西部、旧千歳線大谷地駅(栄通19丁目)を経由し、現在の札幌貨物ターミナルに至る
新線を建設した。現在の営業区間は平和駅~定山渓温泉駅である。
旧定山渓鉄道区間のインフラを承継したので直流電化であるが、新線区間は函館本線と同じ交流。全線単線である。
この定山渓線用にと新製投入されたのが、431系電車である。
当時の需要予測から二両編成の運用となり、経済的な1M1Tで編成すべく抵抗制御の1M方式を採用。
Mcに全て艤装不可能なので主変圧器と主整流器等の交流区間(50Hz)走行用の装置とパンタグラフをT'acに搭載した
MTaユニットを採用。保守合理化の為、サイリスタ位相制御の711系とは空気バネ台車と主電動機を共通化。
711系には無い勾配抑速発電ブレーキも装備。
車体の意匠は、711系にほぼ準じ、デッキ付の二扉で、車内設備もデッキ寄りが少しロングシートのセミクロスシートで、
主電動機冷却用の雪切り室も存するが、旧定山渓鉄道承継区間の建築限界・車両限界の制限で裾絞りのない狭幅車体で
711系よりは狭い。T'acにトイレ設置、洗面所は無い。
登場後、専ら札幌~定山渓温泉区間の定山渓線運用に充当され、三ユニット連結の六両編成の運行もある。
1987年4月にはJR北海道に承継される。
製造後四十年程経った今現在老朽化が深刻化しているので近年中に新車に置換えられ全車廃車予定である。
111:anorak?
10/10/11 16:04:09 ztT3H7WR0
>>110 誤記訂正
>旧定山渓鉄道区間のインフラを承継したので直流電化であるが、 ×
→ 旧定山渓鉄道区間は同鉄道のインフラを承継したので直流電化であるが、 ○
112:名無し野電車区
10/10/13 15:28:37 /KW/A+zBO
JR東日本E261系
JR東日本がスーパービュー踊り子用に製造した車両。
・・・早い話が、E259系の足回りと、HB-E300系ベースの車体を取り付けた感じの車両である。
内装もHB-E300系とほぼ同じ。
下田寄りの1号車がグリーン車(2列+2列座席)で2号車が簡易コンパートメントになっている。
10両編成を4本製造し、251系を置き換える。
ちなみに、一部の鉄ヲタからは「東北や長野では快速レベルの車両なのに、関東ではA料金徴収の特急かよ!」と叩かれる羽目に・・・。
113:名無し野電車区
10/10/13 19:21:52 XeJiKvD70
>>112
こーゆースレにツッコミ入れるのも何だが…
185系を先に置き換えろよw
114:名無し野電車区
10/10/13 20:52:33 us+BXWxI0
HB-225系
JR西日本がJR東日本に対抗して作った225系のハイブリッド仕様。
車体は225系と同一であるが、ハイブリッドシステムの採用により非電化区間でも走行可能。
勿論130キロ運転も可能である。
223系や225系とも連結可能。
115:名無し野電車区
10/10/13 20:57:12 a7Scfo520
>>113
251系を踊り子用に格下げでいいんじゃね?
しかし185系より215系のほうが湘南ライナーに不適切だよなあ…
116:名無し野電車区
10/10/13 22:23:24 yA51Dcg40
近鉄20100系(2代目)/36000系(南大阪線用)
利用客回復のため「全員着席」を公約にした近鉄が製造した一般用車両。
20100系同様の全車2階建て、ボックスシートでドアは両開き式。
初代と違うのは機器は電動車の中2階に集約しているので中間車両にも1階席があること。
大量投入で通勤時間帯でも全員着席を実現、公約を果たした。
117:名無し野電車区
10/10/14 02:32:49 BCQJ0j7M0
R東日本E219系
211系のローカル転用で余剰となった2階建てサロ(サハE219に改称)
を挟み込んで、波動用兼ライナーとして運用するため、
クモハE219および同100番台のみ製造された。
同じ総2F車の215系にコンセプトは似ているが、
215系のクモハと違って通常の平屋方式である。
コスト低減のため、新潟地区用3ドア車E129系の鋼体をそのまま流用しつつ、
3ドアは不要のため、真ん中のドア部分をJR西日本125系のようにはめ殺している。
座席は183系や485系更新車の廃車発生品を利用しているが、
座席数確保と料金必要のバランスをとるべく、リクライニングは停止のうえ、
ボックス状に固定されている(サハE219も通常は元のシートのままボックス状に固定され、
シート同士背中を向けた間隙を荷物置き場として、網棚が設置できないのを補っている)。
また、クーラー、ドアなども可能な限りE231-500などの部品が流用されている。
同じボックスシートとはいえ、215系とは差がありすぎるため、215系は最ピーク帯のみの
運用となっている。
なお、このE219の投入を期に、首都圏の特急車両使用のライナーは、
すべて特急に格上げされている。
118:名無し野電車区
10/10/15 00:47:18 Paq0lKDA0
叡山電鉄 1100系
叡山電鉄 1200系
京阪電鉄 3200系
叡山電鉄 1100系(2連)
16mの複電圧車(600V/1500V)で京阪本線への直通に使用。
VVVF制御であるが、回生失効用に電気ブレーキも搭載。
車体は全長16mで幅2720mm(裾絞り)で、正面貫通幌付き。(2扉)
叡山電鉄1200系、京阪3200系と併結可能。
車内は2+1の転換クロス。
鞍馬から京阪本線への直通に使用されるが、16m車のため定期運用では樟葉以西は走らない。
臨時特急、臨時快速急行としては中之島まで入線する。
京阪3200系(5連、3連、2連)/叡山電鉄1200系(3連)
2600系の後継車。
京阪3000系の正面貫通幌付きバージョンで、ワンマン運転に対応。
2連から8連まで柔軟に対応ででき、本線及びその支線の全ての運用に使える。
叡山電鉄1200系(3連)は色違い。
叡山電鉄は叡山本線を1500Vに昇圧して京阪への直通運転を開始した。
叡山本線の出町柳 - 八瀬比叡山口は京阪車の8連が乗り入れ可能となった。
なお鞍馬線は京阪車の乗り入れが困難なため、600Vのままとされた。
車庫が修学院にあるため、鞍馬線は修学院-鞍馬とされ、
修学院-宝ヶ池は叡山本線(1500V)と鞍馬線(600V)の複々線となった。
1100系、1200系が修学院車庫の入庫する際には鞍馬線から入庫する。
119:ミウナ2
10/10/15 21:17:18 ePs+CbhCO
会津鉄道HB-AT300型
沿線周辺に尾瀬を抱える会津鉄道は超低排出ガス気動車だけでなく、
現行の鬼怒川温泉から首都圏へ入線させるためにはハイブリッド車両の
投入の必然性から、JR東日本が開発したハイブリッド気動車であるHB-E300系の
技術提供を受けたて投入される第三セクター初のハイブリッド車両である。
基本的にはHB-E300系に準じたものだが、編成は4両である。
元々はマウントエクスプレスのキハ8500型の代替としてだったが、
東武鉄道からの快速(区間快速)から引き継ぐ普通列車用として下今市又は
新藤原から乗り継ぎする形となった。
これにより東武鉄道の快速及び区間快速列車は東武日光と鬼怒川温泉又は
新藤原行きとなり、早朝を除き浅草から新藤原以北の野岩 会津鉄道への
直通はなくなった。
なお4両編成12本配備され、内会津鉄道6本 野岩鉄道が1本 東武鉄道にも
5本投入され、東武鉄道は廃止された熊谷線以来の気動車配備となった。
なお会津鉄道配備車は宝くじ号と福島県及び南会津町 会津若松市第三者所有が各1本ずつ、
野岩鉄道は栃木県及び日光市が第三者所有となっている。
東武も投入したのは6050系の内6000系の改造グループの一部取り替えを
意図したものと思われる。
なお野岩鉄道はHB-YG300系 東武鉄道はHB-キハ400系となっている。
なお検査は会津鉄道が委託するが、最初の定期及び全般検査はハイブリッド車両を
最初に投入されるリゾートしらかみを持つJR東日本秋田車両センターで行う事になっている。
なお東武鉄道はこの車両で特急「南会津」を復活させ、会津田島ではなく
会津若松まで直通を計画している。
またスノーパル 尾瀬夜行2350もこれになる。
なお全車両JR乗り入れも可能で、喜多方や郡山まで直通を計画している他
磐越西線や只見線の臨時列車に貸し出す計画もある。
120:名無し野電車区
10/10/15 21:27:22 BZlNBcRJ0
HB-77系
JR東海が開発した313系ベースのハイブリッド車両。
JR東日本のHB-E300系と同等のハイブリッドシステムを採用。
313系やキハ75・キハ25とも連結可能である。
121:名無し野電車区
10/10/15 21:50:17 cCK1oT3H0
国鉄 北海道総局 DF51
昭和55年、石勝線開通に伴い新造された電気式ディーゼル機関車
形式からもわかるように、DF50からの発展型である
なお、ディーゼル機関車としては初の抑速発電ブレーキを装備し、長い下り坂ではエンジンを
停止させて発電される電力をバッテリーに蓄電するようになっている、ハイブリッドな機関車である
全部で15両が生産され、貨物列車や夜行急行列車の牽引に使用されたが、当時の技術では
そのハイブリッド機能のメンテナンスに手間がかかり現場から嫌われ、更に夜行急行の気動車化や
大出力のDF200の登場により、平成5年に五稜郭機関区へ青函トンネルの救援用機関車として
転属した2両を除き、廃車になった
その後、空前のエコブームが到来し、その発想がテレビで紹介され、D51型蒸気機関車と並ぶほど
有名になったのは、このスレの諸氏にとっては周知の事実であろう
122:名無し野電車区
10/10/16 11:16:49 rDrG+5vw0
HB-202系
JR北海道が開発した735系のハイブリッドバージョン。
735系と同一のアルミ車体である。
編成はHB-202-100+HBT-202-200+HB-202-300で、中間のHBT-202は付随車であるがこれでもキハ201系とほぼ同等の性能を確保している。
先頭車にはエンジンを2基、モーターを4基搭載している。
バッテリーはHBT-202に搭載されている。
721・731・735系やキハ201系とも連結可能である。
123:90
10/10/16 22:28:51 L4iHesQd0
>>110
定山渓鉄道が残っていたら…というのはよくある設定ですね。
名古屋における中央線の役割を果たしたのだろうか?
以下、本題です。
【所属】JR東日本
【形式】E511系
【製造初年】2005年
【路線】常磐線、水戸線など
【概要】史実のE531系の近郊型
【詳細】常磐線に対してイメージアップが求められていた。つくばエクスプレスの開業が迫っていたのだからなおさらである。
JR化後に導入された415系1500番台(ボデーに>>18の改良が施された、セミクロス車あり)を除いて老朽車が多かったので、まずは415系の取り換えを行った。
そこで、E219系をベースとした車両を設計して投入した。
モータ出力を140kWにすることで、9M6Tでギア比6.06で起動加速度3.0km/hを確保。また、130km/h対応車でもある。
クロスシート車の位置は史実のE531系と同じだが、グリーン車は連結されていない。
他はE219系と瓜二つである。
【関連書き込み】>>13(211系500番台)→>>18(209系)→>>53(E217系)→>>89(E231系)→>>90(E219系)
124:紅瀬桐葉 ◆NsaFkTCU4U
10/10/17 01:11:35 NRt3f6hv0
JR四国3000形
JR四国が土讃線・徳島線用に開発する1500形のハイブリッドバージョン。
車内設備は1500形と同一、窓は固定化されている。最高速度は120km/hに向上。案内表示はLED式。
1200形・1500形と連結可能である。塗装は、ライトグリーンの部分が藍色になっている。
ハイブリッドシステムは、JR東日本のキハE200と同一なもの。
この車両導入で、一部の愛好家からキハ32が全廃されると期待されていたが、徳島にある
キハ40や片運のキハ47を優先的に淘汰することとなったことと、少数しか製造予定が無いため、
キハ32は全廃どころか1両も廃車は発生しない模様。キハ32は全車両松山に転属が決まり、
松山からキハ40系は全廃することが決定。更に、キハ54-0も全車両松山に転属となり、
一部のキハ185-3100は運用離脱させ(若干の車両製造費工面のため)安値で九州に売られる。
松山地区への3000形導入は、予讃線非電化区間・予土線の嵩上げが実現しない限り難しい模様。
尚、この3000形という車両形式は、当初は今年に新型特急車両に使われる予定だったが、
JR四国の経営が切迫しているため、2000系のリニューアルで対応となり幻になった。
(ただし、ハイブリッド特急の4000形に計画を切り替えたという説もある。)
125:anorak?
10/10/17 17:46:02 7mJvLOLW0
>>110に続く平行世界もの
◎JR北海道ED800形交流電気機関車
製造年 2009-2010 要点 国後島 海底トンネル補機
○2000年、ロシアが長年占領していた北方領土の内、国後島、色丹島、歯舞諸島がロシアから日本に返還された。
国後島と択捉島の間の国後水道はロシアの安全保障上最重要箇所なので択捉島については棚上げされた。
返還された三島の中に在る国後のユジノクリリスクなどのロシア人定住地、同島のメンデレーエフ空港、ロシア軍施設は
ロシア領のまま残され、空域もロシアの管理下に。
これは返還交渉の過程での妥協として、沖縄と米軍基地の関係の如く日本国内である北方三島にロシア軍基地が存在し、
しかもロシアの飛び地が存在する事になってしまった。自衛隊や米軍を駐屯させないと約束させられた。
日本政府は三島復帰直後、沖縄本島よりも大きい国後島の長期開発を目的に、国後島を縦貫し、
且つ国後と北海道を鉄道用海底トンネルで連絡する鉄道の建設を決定。
その経路は:根室本線厚床駅~中標津空港~根室標津駅~根室海峡野付水道の海底トンネル~
~国後島泊~国後島ロシア飛地ユジノクリリスク~国後島留夜別ちのみじ。北海道側は旧標津線の復活。
同新路線は、政府機関が第一種鉄道事業者として建設し、JR北海道が第二種鉄道事業者として運行し、
根室本線などの既存の路線と直通運転を行う。
国後と北海道を結ぶ海底トンネルは根室海峡の野付水道に建設し、根室海峡トンネルと称する。
海底部長は約25km。同海底トンネル区間が複線電化区間(交流20KV50Hzの)で、残りは非電化単線。
同トンネルでは建設費低減目的の距離短縮の為に勾配は30‰と、青函よりも厳しい連続急勾配を許容する。
同トンネルでは、気動車やディーゼル機関車牽引列車は無動力状態のまま専用電機で牽引される。
根室海峡トンネルの補機として投入されるのが、ED800形である。
軸配置B-2-B、VVVFインバーダ制御、運転台に貫通扉付きのステンレス製の箱形車体で、
同トンネル通過中防災上エンジン停止させた気動車などの旅客車両に給電する電源装置も搭載する。
北海道・国後連絡新線開通前の2009年に同機の試作車が登場し、青函トンネルなどで試験が実施される。
2011年、待望の“国後線”(根室本線厚床駅~国後島)が開業し、同機は根室海峡トンネルの補機として就役。
126:anorak?
10/10/17 17:49:49 7mJvLOLW0
>>123
どうも、どうも。
>定山渓鉄道が残っていたら…というのはよくある設定ですね。
>名古屋における中央線の役割を果たしたのだろうか?
仰るとおり、妄想としての定番の一つですね。
>>110の様な形態で存続した場合、仰るとおり名古屋の中央線に似た路線配置になりますが、
それに匹敵するまでにはならないと思います。
「もしあの路線が廃止されず存続していたら、もしあの計画が頓挫しなければ、もしあの計画が具体的に実現すれば、
どんな車両が新製投入されるのだろうか?」というのを妄想し、文章化するのは、
それなりに楽しいものです、ストレス解消になるしね。
127:名無し野電車区
10/10/17 20:14:36 0pS8lajN0
E551系(現ほくほく線が北越北線として国鉄時代に開業し、JR東日本に継承されたと想定)
JR東日本が「はくたか」で使用される485系置き換えのため投入した交直両用特急電車。
先んじて投入されたJR西日本681系2000番台、および試験車であるE991系TRY-Zの走行データを受けて設計されている。
製造コスト低減のため車体は普通鋼製とした。また、振り子装置は装備していない。
電動車はE991系と同じくM1-Tp-M2の3両ユニットとし、Tp車に特高圧機器、各M車に自車の制御装置を搭載した。
制御装置はE351系のものをベースに、将来の160km/h走行を見据えて高速仕様とした。
MT比は4M5Tとし、編成は金沢方から
Tsc-M2-Tp-M1-T-M2-Tp-M1-Tc
とした。
128:名無し野電車区
10/10/18 22:13:54 nDNgcm/v0
クハ583・モハ583・モハ582
東北・上越新幹線開業や夜行列車そのものの需要の低下により余剰となった583系寝台電車を座席車に改造した形式。
寝台を撤去し、フリーストップ式リクライニングシートを設置、定員は座席使用時と変わらない。
サシ581を半室ラウンジ室とした個室グリーン車としたサロ580もある。
また天井が高いため開放感のある車内となった。1985年3月から運用に入り、
雷鳥・白鳥など長距離特急を中心に運行され、好評を得た。
しかし、中古車の改造車であるので寿命が短く、2000年までに新鋭の683系などに置き換わった。
129:名無し野電車区
10/10/19 05:16:32 VcTkB1G50
・名鉄300系/名古屋市交通局3000形(史実と異なる)
2003年の小牧線平安通延伸開業に合わせ、4両編成10両が製造された。
名鉄の車両は初となるステンレス車両で市交の車両同様のビードのある車体となった。
但し、先頭部の形状と側面の帯の配色はそれぞれ異なる。
扉位置・間隔は鶴舞線・豊田線用の100/200系と同じで扉間の窓が1枚固定窓となっている。
座席はバケット式のオールロングシートで、1人当りの座席幅を470mmとした事から扉間6人掛けとなった。
名鉄車は裾仕切の大きいプラスチック製の、市交車は金属製の裾仕切が付き、ポールが設けられてた。
なお、座席中央にもポールを設ける事も考えられたが1枚窓の展望の妨げになることから準備施行となった。
地下鉄線内は運行距離が短い事から、名鉄に運行を委託し、ATSなどの設備も名鉄仕様となった。
但し、将来の延伸に備え、ATCの装備も可能となっている。
編成はMT同数の1M方式で2/6/8両に組成する事が可能となっている。
平安通←→小牧
310/7100形(Mc)-320/7200形(T)-330/7300形(M)-340/7600形(Tc)
130:名無し野電車区
10/10/19 06:05:26 VcTkB1G50
…上記の訂正…
"名古屋市交通局3000形"→"名古屋市交通局7000形"
"小牧線平安通延伸開業"→"地下鉄上飯田線開業"
…以下本題…
・名鉄400系・400R系/名古屋市交通局N4000形
先に製造された名鉄300系/名古屋市交通局7000形をベースにし、
地下鉄鶴舞線・名鉄豊田線を走る100系1次車と3000形を置き換える為に製造される。
ともにステンレスブロック車体となり、行先表示器はフルカラーLEDとなった。
扉上には千鳥配置でLCDビジョンが設けられてる。
扉位置・間隔は名鉄100/200系と同じで扉間の窓が1枚固定窓となっている。
座席はバケット式のオールロングシートで、1人当りの座席幅を470mmとした事から扉間6人掛けとなり、
ともに大きいプラスチック製裾仕切が付き、ポールが設けられた。
なお、座席中央にもポールを設けられるよう準備施行となっている。
編成はMT同数の1M方式だが、名鉄車の場合、420形(T)-430形(M)を2組組成する方法をとったため、
豊田方は奇数、上小田井方は偶数となる編成となった。
豊田市←→上小田井
410/N4100形(Mc)-420/N4200形(T)-430/N4300形(M)-420/N4400形(T)-430/N4500形(M)-440/N4600形(Tc)
131:名無し野電車区
10/10/19 06:24:02 VcTkB1G50
・名鉄400R系
名鉄100系に組み込まれてる、VVVF中間車の150形(T)-160形(M)を生かすため、
先頭車のみ400系を新造し、中間車2組4両を新たに中間車として組まれた車両である。
111~116編成の中から12両が4両ずつ3組に組まれ、先頭車3組6両が新造された。
塗装も400系に倣い、グレー塗装に赤帯が施されたものとなる。
一方、これで不足する分は上記の400系1次車として新造された3編成18両である。
豊田市←→上小田井
410形(Mc)-150形(T)-160形(M)-150形(T)-160形(M)-440形(Tc)
132:名無し野電車区
10/10/20 22:29:32 3FGyC/tuO
北総鉄道7400形
げんこつと呼ばれて愛された7000形を7500形に取り替えたものの、未だに
旧住宅都市整備公団(都市基盤公団)から引き継いだ9000形がまだ残っており、
先頭台車を電制化したものの更新などは行ってないために老朽化が進み、
また京成よりリースを受けた7250形(旧京成電鉄3300形)の老朽化が急速に進み、
急行運転で京急に支障が出ているなど2形式の取り替えが急務となった。
7500形を追加し、足りない分は京成より3400形をリースする案もあったが、
成田スカイアクセス開業に先立って北総鉄道にも3050形を配備して取り替える事になった。
そこで登場したのが「北総鉄道版3050形」の7400形である。
車体 車内は「京成グループ新標準車体規格」に準じた3050形だが、
下回りは3050形ではなく京急電鉄新1000形6次車以降の走行装置 電装品になって
京成車と差別化を図った。
(当初は新型スカイライナーAE形の走行装置を計画したが、京急と都が難色を示したため)
8両編成6本が製造されて9000形及び7250形を置き換えた。
なおこの車両はアクセス特急に投入されるため、遂に京成上野~京成高砂間に
北総車が定期運用に入る事になり、京成上野発快速印西牧の原行き
(北総鉄道内急行運転)や特急印旛日本医大行きや朝ラッシュ時に
印旛日本医大発特急上野行き(京成線内通勤特急で女性専用車あり)なども登場する。
133:名無し野電車区
10/10/20 22:35:09 CAkGZYFs0
>>132
7550形のほうがいいんじゃね?
134:名無し野電車区
10/10/20 22:49:01 CAkGZYFs0
都営5500形
浅草線の5300形はVVVF車ながらも高速性能が悪く、京成スカイアクセスを走れず京急からも嫌われどうにもならない情況であった。
そこで早くも一部編成を除き置き換えを実施することとなった。
車体はE233系の18m3ドアバージョンとなり、前面デザインは独自設計となっている。
LCD案内は京急仕様としたが、10-300形の流れからドアチャイムはJR仕様である。
床下機器は京急銀1000形ベースとし、同形式の八連と同じく三菱IGBT-VVVFを採用。
但し銀1000形と異なり12連運転は不可能である。
運転台はT型ワンハンドルを採用。
銀1000形とほぼ同等の性能を得たことで京急本線快特や京成アクセス特急など幅広い運用が可能となった。
135:名無し野電車区
10/10/21 01:42:01 lC/A/MJZ0
>134
その型番だとPCCを想像するねw
136:名無し野電車区
10/10/21 02:50:48 A2mGR3obO
相鉄10000系(忠実改変)
平成16年から導入が始まった車両。
メーカーは従来通り日立製作所である。
ただ直角カルダンとは決別しており、将来の整備緩和を伺わせた。
車内はほぼE231系にそっくりであったが、吊革・ドアチャイムが異なる。
また座席は赤系統を採用している。
10両6本60両が導入されている。
なおこの車両の導入で新6000系は全て淘汰されている。
137:名無し野電車区
10/10/21 07:17:16 LZwJ9Pjh0
289系電車(JR西日本)
老朽化した「くろしお」「やくも」用の381系電車置き換え用に投入。
287系同様、683系4000番台の設計コンセプトを存分に取り入れているのが特徴。
そして・・・形式名の呪縛からか、なぜか横軽対策が施されている。JR西日本では、
FF63を投入できる適当な山越え区間を探している
138:.
10/10/21 12:30:25 +mWKUyovO
>>137
つセノハチ
139:名無し野電車区
10/10/22 18:39:51 uMuAv2a30
日本国有鉄道501系 交直流通勤型電車
国鉄常磐線では柿岡の地磁気観測所への影響を考慮し、取手以北が交流電化となっているため103系の乗り入れが出来なくなっていたが、一方で特に土浦・牛久地区での快速電車-いわゆる青電-の延伸の要望は少なくなかった。
このため当時増備が続いていた205系通勤型電車をベースに交直対応を行い、快速電車の土浦延伸を行うために開発された車両が501系である。
(尚、この車両の存在により、史実でのE501系に相当する車両は『E503系』という形式を付与されている)
車体は205系1000番台をベースとしたステンレス製4ドア20m。ドアは大窓タイプとなった。座席はオールロングシートではあるが、長距離運転を行うためにクハ501・500にトイレを装備する。
また、取手以北での踏切区間での衝突事故対策として、運転台スペースを若干拡大してあり、先頭車の運転台直後の座席は6人掛けとなっている。
編成は6M4Tの10連+4M1Tの5連で構成。
車内も205系を基本とするが、ラインデリアのルーバーが私鉄電車で使用されているアルミニウム製の連続したものとなっている。
補助電源装置は190kVAのBLMG。電動空気圧縮機は低騒音タイプのC-2000LAを搭載。
制御方式は界磁添加励磁制御ではあるが、弱界磁領域を20%まで取り高速域での性能を強化している。
主電動機もMT61系ではあるが、出力を150kWに強化されたものを使用する。
駆動方式は中空軸カルダン。ギア比は16:83=1:5.19と小さくされ、駅間距離の長い常磐線に於いて高速運転に向いた設定とされた。
台車は当時研究中であった651系で使われる予定のDT56系ボルスタレス台車を採用。ヨーダンパを搭載し、高速安定性を強化している。
起動加速度は2.5km/h/s、最高運転速度は120km/h。
基本的には上野~土浦間の快速電車に充当されるが、朝夕に勝田電車区からの回送を兼ねて勝田発の列車に充当されることもある。また、付属5連が水戸線で運用することも珍しくない。
501系5000番台
民営化後にE531系の登場を受け、VVVF制御化+130km/h運転対応化を受けた501系。
東洋2レベルIGBT+MT74(120kW)と、205系5000番台に準じた足回りに更新されている。
140:名無し野電車区
10/10/22 22:47:25 ipiRNm+YO
651系追加配備型
スーパーひたちを増発させた上で、485系のひたちをほぼ半減させる
常磐線特急運用の見直しに伴って追加配備したもので、付属編成のない
10両編成に変更された。
追加新形式はサハ650 サハ651-200と仙台方先頭グリーン車のクロ651で、
483/485系全盛期のひたちの編成に回帰した。
付属編成の連結も可能だが、仙台方先頭にグリーン車があるために
付属編成を上野方に連結しなければならない煩雑さから、基本的には
連結せずに10両単独で運用する。
また冷房装置はAU711Cとなり、補助電源装置は120KVAMGから210KVAに増強された。
しかしそのMGは485系の廃車発生品を再利用したものを使用するなど一部は
廃車再利用品が活用されている。
最近では補助電源装置を廃車された205系や253系の再利用品が搭載されたりしている。
2010年1編成が旧国鉄色となったが1編成は休車となっており、
ジョイフルトレインに改装される可能性がある。
有力ではゆうと宴の後継となる可能性が高い。
141:名無し野電車区
10/10/23 09:58:04 aSqWgO2C0
国鉄C30形→C13形
戦時中、「車両統制会」により、小型蒸機の仕様を統一することによる製造の効率化を図って計画された。
B20形と同様、機関車単独の蒸気ブレーキを採用するなど、
構内の入れ替え専用として構造と製造工程の簡略化に主眼が置かれていた。
しかし時局をかんがみて大型機の製造が優先され、ついに戦時中に実機が登場することはなかった。
戦後、輸送力の維持・増強が求められている中、戦地への供出や過酷な運用による故障により、
丙線に入線可能な蒸機が減少していたことから、
本機の計画を大幅に変更、本線運転を可能とするべく設計が見直されることになった。
同時に国鉄従来の形式称号に改められ、C13形となった。
計画時はC(0-6-0)の軸配置であったが、装備の追加など重量増に対応し、1C1(2-6-2)に変更された。
なお、先輪、従輪のばねを変更することで軸重を変えることができる。
C12形に比べ、ボイラー圧力を14.0kg/c㎡から15.0kg/c㎡に高め、牽引力向上を図っている。
142:名無し野電車区
10/10/23 16:25:49 qgAiM8Tp0
国鉄 北海道総局 キクハネ82・キハネ80・キサロネ80
昭和43年、夜行急行の体質改善と車輛運用の効率化のため、道内完結の特急北斗(7連)に
併結し、急行すずらん5・6号として運用するために生産された、気動車寝台車
当初3編成が製造され、好評を博したため、のちに編成のほとんどを寝台化した編成も登場し
昭和47年の札幌オリンピック輸送に合わせて、道内夜行急行の気動車化が終了した
しかしながら、夜行列車の衰退とともに廃車が進み、平成に入ってからは183系との併結可能に
改造されながら運用され、ついに平成15年に全車廃車となった
現在、大宮の鉄道博物館に展示されるためにキクハネ82-2(トップナンバーは昭和57年に事故廃車)
が大宮車輛センターの車庫内で整備待ちしているのは、周知のことであろう
143:anorak?
10/10/23 22:24:26 wq7tVdiN0
>>110-111 >>125に続く平行世界もの
◎JR東日本105系1000番台電車
製造年 1990 要点 ステンレス製 東武熊谷線
○1970年代後半、東武鉄道熊谷線(熊谷~妻沼)の未成線区間(妻沼~西小泉)に関して早期着工を求める地元は、
最終解決として国鉄に東武からの同路線の買収と延伸を請願する事にした。
太田市などの群馬県東毛地域が工場集積地である事から同地域の貨物需要を取り込みたいと思っていた国鉄、
熊谷線を廃止したい東武、地元、各々の利害関係が一致したので、同路線は国鉄に移管され、延伸する事になった。
東武熊谷線の内、熊谷駅・大幡駅区間は国鉄に承継されず、貨物輸送を考慮して高崎線の熊谷貨物ターミナルから
分岐して大幡に至る新線を建設する事になった。大幡以遠は利根川の横断などの未成区間も含む熊谷線と
旧千石河岸線の路盤を流用する事となった。全線単線非電化の鉄道であり、電化準備済み。
1983年に東武鉄道の熊谷線は一旦廃止され、休止期間を経て、国鉄東毛線(熊谷・西小泉)として全線開業した。
国鉄標準のディーゼルカーが使用された。
当時の長期構想としては、西小泉から両毛線へのさらなる延伸があったが、80年の国鉄再建法の影響で凍結。
東毛線は87年のJR東日本承継直後、当時の好景気の影響で利用客が増加し、改善の為に電化されることになった。
電化された同路線用にと製造されたのが、105系1000番台電車である。
製造コスト削減の為に、他路線への205系投入で捻出された103系の部品を再利用した。
つまり、同時期の107系の設計コンセプトを援用・応用し、103系を1M方式のステンレス製車両に更新したものである。
走行システムは従来の105系に準じ、制御装置や台車などの走行系は103系などの廃車派生品を可能な限り使用。
冷房装置を含む車体は新製で、両開きの三扉で、他は同時期の205系500番台にほぼ準拠し、半自動でドアスイッチ設置。
運転台側は、増結の為に貫通扉を設置し、207系900番台にほぼ準じ、スカートと自動解結装置と電気連結器を装備。
McT'cの二両編成を基本とし、需要に応じて増結する。
91年春の電化開業で就役開始。
今現在も現役だが、走行系の老朽化により、車両保守合理化の為に新車に置き換える予定がある。
144:名無し野電車区
10/10/23 23:10:26 rf6Ccn2jO
国鉄 キハネ181 キロハネ180 キサハネ180
キハ82系ベースの寝台気動車(>>142参照)後にキハ181系ベース車も作られた。
こちらは急行「だいせん」と「さんべ」向けであるが、夜行普通列車の「山陰」にも使われた。
九州にも「西海」と「かいもん」向けを計画したものの、山陰線向けの
4両セット10本のみで打ちきられ、向日町と出雲市に配備された。
夜行普通列車「山陰」で使う場合はキロハネのみに寝台をセットし、それ以外は
寝台は使わず座席車扱いで使用した。
キロハネのA寝台は開放式(ブルマン式は無理)で4室配置し、当初3段式を
予定していたB寝台は181系の車体や屋根構造を生かしたい事と、
特急に格上げはせずに急行列車で継続する観点からあえて2段式を採用し、
基本的に寝台は581 583系の寝台構造に準じた。
そのため寝台急行衰退時に寝台を撤去し、普通座席車化が可能だったため
「さんべ」廃止時に181系への予備パーツ拠出のために廃車された1本以外の2編成と
「だいせん」のエーデル車置き換え時に2本がそれぞれ普通座席車化され、
キハ181系2500番台となった。
その際キサハネ180は廃車された他のキハ180から機関を搭載(機関搭載準備を
初めからしており、機関化可能だった)してキハ180に編入された。
寝台用の小窓を埋めなかったため、一目で寝台車改造車と見分けがついた。
出雲車組は改造後山口に転じて「おき」と「いそかぜ」に使われたが、
後継形式キハ187系投入により1編成を除き短期間で廃車された。
向日町車は出雲から転じて来た1編成と共に延命工事を施工した上で
0番台車と混結編成ながら「はまかぜ」に使われ、当然ながらアーバン
ネットワーク塗装も纏っている。
キハ189系登場により、現在残存しているのはキロ180及びキハ180-0混結ながら、
キハ181-2501-キハ180-2502-キハ180-2509-キハ181-2502が最後の活躍を続けている。
寝台のまま波動用にモスボールしている車も5本あり、こちらはきたぐに用の
583系の塗装を纏っている。
145:名無し野電車区
10/10/24 00:39:37 YjrAV4nk0
国鉄 北海道総局 キロ82・キロ89・キハ89
昭和57年、余剰となりつつあったキハ82系をお座敷列車に改造した形式
キロ29・59が既に存在したが、お座敷列車を使った団体旅行が好調なため、中間運転台となる
急行型ベースでは定員に無駄が生じることと、本州で登場したサロンエクスプレス東京のような
フリースペースの要望が高かったことから、大口団体向けに編成トータルでのサービスを考慮した
設計となっている
キロ82は運転台とサービス発電機つき、キロ89は中間お座敷、キハ89はキシ80からの改造で
簡易調理室つきのサロンカーとなっていた
大口団体のほか、冬季にはスキー列車としても使用され、JR化後も青函トンネルを通過して本州まで
顔を出したりと、ひっぱりだこであったが車体の老朽化が問題となり、キハ183系をベースにした改造車に
後進を譲り、平成10年に廃車となった
なお、最後まで国鉄特急塗装で通したため、往年の北海道標準編成風味が人気となっていたことはこの板の
住人諸氏には周知のことであろう
146:名無し野電車区
10/10/24 02:32:02 +yMmfjnA0
嵐電(京福電鉄) 700系(モボ700、クボ750)
地下鉄東西線用16m3扉車(VVVF、複電圧)で正面貫通幌付きの2連。東西線直通時は4連となる。
可動式ドアステップを持ち、嵐電線内ではドアステップを使用する。
京阪京津線直通にも対応。
20xx年○月○日に嵐電は地下鉄東西線への乗り入れを開始した。
東西線への連絡線は太秦広隆寺-太秦天神川で建設され、
嵐山-太秦広隆寺の各駅が16m車の4両編成対応となった。
147:名無し野電車区
10/10/24 20:16:32 beJLwkFF0
HB-E300系(2次車)
ついに引退が発表されたキハ58系「こがね」、「Kenji」の置換え用に投入された。
車体と客室構造は1次車と共通であるが、新形式であるHB-E300-200が登場している。
HB-E300-200は、半個室構造の客室を持つHB-E300-100をベースに、
トイレ設備と車内販売準備室が設けられている。
両者とも3両編成を組み、新「こがね」はHB-E301-5+HB-E300-201+HB-E302-5、
新「Kenji」はHB-E301-6+HB-E300-202+HB-E302-6となる。
148:名無し野電車区
10/10/24 22:20:55 GyLElax5O
HB-E300系トロッコ列車型「ビューコースター風っ子2」
現行キハ40系ベースである「ビューコースター風っ子」の後継型で、HB-E300系を
トロッコ列車仕様にしたもの。
トロッコ列車用の新形式であるHB-E303 HB-E304型及び中間車のHB-E300-500からなる。
当然トロッコ列車と雨天時や冬季に窓を付ける方式は踏襲した。
2本作られ、小牛田だけでなく水郡線営業所にも配備された意義は大きく、
首都圏でのイベントでの貸し出し運転も容易になった点は大きい。
水戸~常陸大子間でのトロッコ列車運転を予定しているが、上野への
直通の野望は捨ててないだけでなく、郡山まで走破した上で磐越東線に入って
いわきを経由して水戸に戻る周回列車にハイブリッドトロッコ列車を投入する野望もある。
なお捻出される現行キハ40系ベースである「ビューコースター風っ子」 は
当初会津鉄道への売却が有力視されたが、密かにわたらせ渓谷鉄道に
前橋から桐生を経由して足尾への直通やイベントでの貸し出しも含めた
交渉を打診した結果、わたらせ渓谷鉄道が購入することになった。
149:名無し野電車区
10/10/25 11:08:26 dmiqsRZH0
JR九州 キハ185系5000番台
キハ185系の動力システムを、キハ220形200番台と同じ仕様に改造して誕生した。
機関換装車としては珍しく出力が低下している(1両あたり500馬力から450馬力)が、
機関1個分軽くなっているので、パワーウエイトレシオはあまり変わっていない。
JR九州にとって何よりも嬉しいのは、オーバーヒートが発生しにくくなり、
列車の遅延・運休の可能性が大幅に低下したことである。
(キハ220形200番台は強化された冷却装置を装備している)
150:名無し野電車区
10/10/25 20:30:27 MhsYbb0G0
JR北海道 オクハテ281 ナハ280
ノロッコ号に使用されているオクハテ50その他トロッコ車輛の老朽化に伴い、キハ281系から
エンジンを降ろして客車化された形式
なお、何をトチ狂ったか、新ノロッコ号は「スーパーノロッコ号」と名前を変え、景勝地は以前にも増して
速度を落とし、時速15km程度になるとともに、それ以外のところでは最高時速130kmで強制振り子を
かまして走行するようになった
なお、乗客の振り落とし防止のため、ノロッコ区間以外は窓が自動的にせりあがってくる機構を採用している
当然、ポリカネード仕様となっている
151:名無し野電車区
10/10/26 01:30:25 kBYFrESj0
東武2000系(日比谷線が20m車対応だった場合)
4ドアの20m車両。後半の車両は8000系に合わせた顔になった。
最後は冷房化され5000系を置き換えた。
営団3000系
上に同じの20m車。
東急7000系(初代)
東急初の20m車両。このため池上線入線が困難で7700系改造・日比谷線撤退後は大井町線に集結した。
152:名無し野電車区
10/10/27 09:29:23 2VtzS9Hc0
南部縦貫鉄道キハ130
新幹線接続鉄道となることに伴い、輸送力強化および路線イメージ向上のため
同社がJR北海道で余剰となったキハ130を3両購入したもの。
改造費用節約のため、内外装とも日高本線時代とほぼ同じ姿を保っている。
12月4日以降は七戸十和田~野辺地を新幹線に接続した30分~1時間ヘッドに
大増発され、3両がフル運用される予定。
ただ、七戸~七戸十和田延長工事および車両購入にかかる費用の大半を
関係地方自治体からの補助金で賄われたため、税金の無駄使いとの批判も強い。
153:名無し野電車区
10/10/28 20:14:45 IbBKPDw00
モハ153-162~、モハ152-162~、クハ153-558~、サハ153-300番台
国鉄が1965年から151・161系を181系に改造した際に発生したMT46を有効利用して製造した153系の最終形態。
以下の相違点がある。
・台車をDT32/TR69に変更
・CPをC-2000に変更
・MG容量を10kVAに変更し、モハ152のみ搭載
サハ153を300番台としたのは100・200番台のMG・CPを撤去して0番台に編入する事を考えていたためらしいが結局実現しなかった。
サロは製造されず、必要なときはサロ163を組み込んでいた。
後にサハ153-300番台は165系や455系に編入された。
車齢が若いためにJR西日本に承継され、6両編成が広島地区で1996年まで活躍した。
154:名無し野電車区
10/10/28 21:20:23 2Nn27ZXy0
413系1000番台・2000番台
北陸本線では581/583系を改造した419系や急行型の471系/457系が普通列車用として使用されていたが、
ドアの狭さやデッキ付きという構造上の理由からラッシュ時には遅延が生じやすく、
また、車内アコモの陳腐化が進み、旅客サービスの低下を招いていた。
これらを改善するため、走行装置を流用し、車体を乗せ換えることで遅延防止と
サービスの向上を図ることとした。この計画に基づき、1991年からJR西日本が改造、投入したのが
この413系1000番台・2000番台である。
419系からの改造車が1000番台、471系列からの改造車が2000番台に付番された。
・クモハ413-1000/2000(Mc)
制御装置が搭載された制御電動車。
・モハ412-1000/2000(M')
パンタグラフ、主変圧器、整流装置を搭載する中間電動車。
・クハ412-1000/2000(Tc')
制御車。3位側にトイレを備える。
床下には補助電源用SIV、空気圧縮機を備える。
車体は213系をベースとした軽量ステンレス車体とし、軽量化、省メンテナンス化を図っている。
両開き扉を片側2か所に配置し、座席はセミクロスシートとしている。
改造とはいえ、実質的に新造に等しいため、利用者からの人気は高い。
その後、パンタグラフが681系と同じ下枠交差型に改められたものの、現在も全車が活躍中である。
155:名無し野電車区
10/10/28 21:53:19 5b36kclr0
>>153
クハ455-550番台
サハ153-300番台を455系の先頭車に改造。
外観はクハ455-500番台と同一。
JR東日本とJR九州に承継されたが2007年に廃車された。
サハ455-300番台
サハ153-300番台を455系に編入。
ドアステップが取り付けられた。
JR西日本に承継され、4両編成に組み込まれたが富山港線以外では使い勝手が悪く2001年に廃車された。
156:名無し野電車区
10/10/29 00:24:08 TLSx6lc+0
東急160型
世田谷線の車庫が火事で車両が全滅し、急遽大阪市電1601形を買い取って使用したもの。
台車は都電のもの、制御器は予備品を使っている。
連結2人乗りに改造されて300型登場まで活躍した。
157:名無し野電車区
10/10/29 01:32:35 6fypkKaI0
N923型
東海道山陽九州新幹線全線開通に伴い新たに導入された7両編成の電気試験車。
N700系ベースで軌道試験車以外は全て電動車であるが九州区間の急勾配に対応するため抑速ブレーキを搭載している。
現在の所東京-鹿児島直通の旅客営業運転の予定が無いため東京駅と鹿児島中央駅の両方へ入るのはこの車両のみとなっている。
JR東海車(東京第2車両所)は0番台JR西日本車(博多総合車両所)は3000番台JR九州車(熊本総合車両所)は8000番台となっている。
700系5000番台
需要の少ない山陽新幹線のこだまではあまり設備投資ができず0系や100系を格下げして使用してきた。
しかしリニューアルをしているとはいえ老朽化が目立つ上最高速度が低く500・700・N700系といった高速の新型車の増加や数年後に迫った九州新幹線の全線開通による直通開始
で速度が遅いこだまがじゃまになることからついに新型車の導入が計画された。
そこで登場したのがこの700系5000番台であるが従来4両ユニットであったものを3両ユニット2組の6連としている。
このため先頭車へも電装品が搭載された。
外部塗装や内装はレールスター用7000番台に準じた仕様であるがコンパートメントと側面のレールスターロゴマークが無いのが特徴である。
座席配置は6両とも2-2の4列となっている。
なお量産先行車の先頭車は電装品を搭載していながらコストダウンのため制御車の723-5001(下り向き)と724-5001(上り向き)となっていたが
故障時の余裕のため量産車では制御電動車となりそれぞれ721-5000と722-500となり先行車も電動改造された。
また最近になり九州区間直通のため抑速ブレーキも搭載しているが現時点では九州区間での定期運用の予定は無い。
最高速度は285㎞であり繁忙期には臨時ひかりへも充当されている。
04年夏から07年秋にかけて15本が製造され全てが博多総合車両所に配置されている。
編成記号はA1-A15となっている。
158:名無し野電車区
10/10/29 10:29:10 4yAJJ1V80
キハ189系広セキ車
九州新幹線開通に伴い、つばめが小倉駅に乗り入れる事になったのに伴い、
GWにキハ189系1編成を使用した臨時特急を小倉~東萩間に運行した所好評だった事から、
地元が「いそかぜ」復活を願い実現する事となった。
利用客数を考慮し2両編成2本が配置された。
多客時にはキハ189-0を中間に差し込んで3両での運行も行われる。
159:名無し野電車区
10/10/30 12:39:24 mnQ225Pm0
115系1700番台
国鉄が1982年から製造した115系のオールロングシート仕様。
415系500番台とほぼ同一の内装に変更されている。
4両編成と7両編成があり、宇都宮線と高崎線の混雑緩和用に導入されたが、一部は新潟・長野地区に転属した。
クモハ115は存在しなかったが後に先頭車化改造で登場した。
160:anorak?
10/10/30 17:57:08 hzVbHkaz0
>>56-57 >>143に続く平行世界モノ
国鉄001系通勤形電車
製造年 1969-71 車種 クハ001(Tc) モハ001(M) サハ001(T) 要点 第三軌条集電
○20世紀前半、東京に民間資本による地下鉄開業、続いて大阪市営地下鉄の開業に触発されてか、
鉄道省も東京駅と帝国の統治中枢を結ぶ地下鉄を建設し、皇紀2600年、1940年に第一期着工区間が都心地下線の名で開業。
それは、東京駅を起点に、皇室苑地、日比谷公園の真ん中を経由し帝国議会議事堂正面に至る路線で、
新設駅は、現在名で、皇居外苑、日比谷公園、国会議事堂。
規格は、既存の車庫の活用且つ第二期で信濃町へ延伸して中央緩行線直通計画により軌間は1067mm、建設費抑制の為の
トンネル断面縮小により直流600V第三軌条集電方式、道路に沿った厳しい線形の許容で車両は一両が16m長で、
開業時は二両編成の運行だが、将来を見越して、大阪に対抗して、十両編成対応である。
第二次世界大戦により第二期工事は凍結され、敗戦後、国鉄に承継されても直ぐには延伸されなかった。
1960年代、通勤五方面作戦の一環として、都心地下線を東京駅から秋葉原経由で上野へ、国会からは信濃町経由で新宿へ、
地下新線での延伸が着手された。建設費削減の為、規格は第三軌条などの従来のままで、地下設置の途中駅も絞り、
つまり駅と経路は、上野~秋葉原~東京~皇居外苑~日比谷公園~国会議事堂~赤坂見附~信濃町~新宿。
70年に延伸開業。延伸を機に従来の都心線専用旧型電車を置換える為に103系を土台とした新型車が導入された。
それが、001系であり、第三軌条集電と架線の両方に対応。
従来の国電新性能車両形式規則では三桁目は1だが、特異な電化方式対応を強調する為に敢えて0に。
都心地下線の特殊性からMM'ユニット方式ではなく、MTユニットの変形を採用。それは、第三軌条用の集電靴と
主電動機の制御装置は各Mに装備するが、MG及びCPなどの補助装置をTcとTに集約し、TcMMMTを一ユニットとした。
車両基地への回送運転に必要な架線用パンタグラフはTcに設置し、屋根上の取り付け部分は一段低い。
車体は両開き三扉の16m長鋼製、運転台に非常口用貫通路。2ユニット連結の6M4Tの十両編成で以て運行。
87年にJR東に承継。冷房改造施工、車両限界により車内の車端に設置。
2000年に新車に置き換えられて全廃。
161:名無し野電車区
10/10/30 19:57:28 eBinkFOm0
225系900番台
JR西日本が製造した225系ベースの「カーボンモノコック電車」。
F1マシンやボーイング787のように車体にカーボンファイバーを採用。
これにより軽量化と車体強度の大幅アップを実現。
しかし車両価格が異常に高いのが難点である。
162:名無し野電車区
10/10/30 20:27:20 KzxMMIPxO
MRC100形電車
オリエンタルランドの子会社、舞浜リゾートラインが製造したモノレール車両。
ただし、初代車両のような日立製作所ではなく、川崎車両カンパニーに発注。
初代車両のキープコンセプトではあるが、外観は多摩都市モノレールのような感じになる。
163:名無し野電車区
10/10/30 20:46:34 KzxMMIPxO
東武50030系
【所属】東武、野岩、会津
6050系の老朽化に対応して201X年に日立製作所によって製造された。
基本ベースは50090系であるが、前面は当形式の併結を前提とし、阪急9000系列を参考としている。
また編成番号において、野岩には「-100」、会津には「-200」が付く。
例:クハ51231-100
164:名無し野電車区
10/10/31 15:23:44 rASmQUxAO
国鉄ヨ7000形
昭和27年に作られたボギー式車掌車である。ワムフ100形を全室車掌室にした
構造で、トイレやストーブは初めから付けられるなど客車並みの装備だった。
車掌車やワフなどの緩急車が2軸式が多い中で唯一ボギー式を採用した。
アメリカの貨物列車の緩急車であるカブースに似た和製カブースだったが、
車重が17トン近くあるために東海道線や東北本線などの幹線系統の
貨物列車にしか使えない欠点があった。
しかしボギー式で客車のようにトイレと車掌室が個別構造になっていたために
特に長距離貨物列車で特に喜ばれた。
2軸式のヨが大量に作られていたために製造は315両で終了したが、
73両はワキ1及び1000とワムフ1及び100からの改造車で、ワム700やレキ1の改造車もある。
台車はTR41A又は41Bだが改造車は種車のTR24を履いている車や、新造車両には
中古台車再利用のTR20を履く車もあるが当初は客車用のTR11を履く計画だった。
昭和39年に80両をコンテナ列車「たから号」の専用車掌車に改造され、緑塗装に変更され、
この際台車はTR63に交換し、17000番台となった。
さらにコキ10000 50000形に対応する改造を行うなどコンテナ列車用の車掌車
としてコキフと併用して使われた。
昭和60年に廃車されたが、17212が車籍なしの機械扱いの救援車として
岩見沢に在籍。
165:名無し野電車区
10/10/31 15:57:25 iE1rKLiY0
キハE113系
JR東日本が開発したキハ110系の2基エンジン車。
新開発の直列4気筒エンジンであるDMD12HZ(360PS)を搭載することによりエンジンの全長が短くなり、20m車体でありながらエンジン2基搭載を実現。
当初は水平対向6気筒エンジンにすることも考えられたが構造が複雑になることから断念された。
急勾配の多い花輪線に投入。
166:名無し野電車区
10/10/31 23:58:43 mNKIWPXP0
E235系
東海道・東北線直通に際し新型近郊車両としてJR東が製造。
かつて来日したオリエント急行を元に全長23.5mまで長さを延伸し、ドア幅は1.5m、ドア間と端部をロングシート換算で1人分の50cm延伸している。
13両編成で10両(うち2両がグリーン車)が基本、3両が付属編成である。
グリーン車の比率が相対的に拡大したため、グリーン車の着席率は上昇した。
323系
上記の西通勤版。こちらは3+3の6両編成が基本である。321系とデザインは基本同じだが、裾が直線なので痩せ気味に見える。
167:名無し野電車区
10/11/01 15:49:57 6FoqdyV80
205系700番台
ご存知九州新幹線全通の節目を迎えたJR九州であるが、
周知のとおり世界的な不況に加え、新幹線の投資で、
JR九州は経営体力が衰えてしまった。
そのため、車両置き換えについてもしわ寄せが生じるようになり、
同社内では小ロットの直流車両(103系1500番台の置き換え)は、
他社からの余剰車が発生しやすいこともあり、
中古車導入の決断が下された。
当初は東京メトロから05系を導入する予定であったが、
同社はすでにインドネシア譲渡が確定しているため断念した。
そこで、JR東日本で余剰の発生した205系中間車を譲り受け、
先頭車化(先頭車の余剰が発生しなかっただけでなく、地下鉄乗り入れ用に非常用貫通路の設置が必要なため)
やVVVF化を行い、205系700番台として導入した(JR東日本でも派生番台が多数発生しているが、
あいている3桁をやりくりのうえあてがった)。
前面は東急1000系に似た平面状のものとなり、前原以西3連分割用は、同系日比直・支線兼用のそれに準じたものとなった。
3連の両側および6連の唐津寄りクハにトイレが設置されたほか、
各車車端部にクロスシートが設置されたが、地下鉄線内の乗降しやすさを考慮して、
東急新7000系に似たカギカッコ型の配置となった。
この205系700番台によってすべて103系1500番台は淘汰され、
オリジナル車の303系に伍して活躍している。
168:名無し野電車区
10/11/01 16:26:48 6FoqdyV80
JR四国121系1000番台・2000番台
JR四国は、民主党の高速値下げ政策の影響を一身に受けて、
車両置き換えにまでしわ寄せが生じるようになった。
ひとまず、車体だけ新しい121系をVVVF化および瀬戸大橋乗り入れ対応を行い、
113系をラッシュ時専用車に回すことで、急場をしのぐこととなった。
台車などは、他社の発生品の譲受も検討されたたが、共通化のため、5000系と同一のものが新調された。
また、瀬戸大橋線対応として、窓の固定化もしくは上段下降式に変更、およびトイレ設置が行われ、1000番台に改番された。
上段下降式に変更された窓は、黒サッシとなったため、その処理と識別を兼ねて窓周りに茶色いフィルムが張られた。
一部の編成はVVVF化のみが施工され、こちらは2000番代となっている。
なお、この一連の改造で車両不足が生じるため、JR西日本から廃車直前の113系4連2本が借り入れられた。
VVVF化以後は、JR化以後の7000系や6000系など、オリジナル系列とも併結が可能となり、より効率的な運用がなされている。
169:名無し野電車区
10/11/01 20:12:46 1WeG9BB10
国鉄 北海道総局 キハ81-1500番台
昭和54年、当初キハ183系として準備していた新型気動車に対し、労働組合が「新形式は労働強化につながる」と
激しい抵抗をしたため、既存の形式として変更して登場した
対照表は
キハ182:キハ80-1500
キハ183:キハ81-1500
キロ182:キロ80-1500
キハ184:キハ83
である。
形式的に同じことから、全車キハ80系との併結が可能なように機能追加して登場した
のちに、売店のないキロ80-2000、ハイデッカー仕様のキロ80-2500、貫通ドアつきのキハ82-1500
なども登場し、状態のいいキハ80系と混結運用されるようになっていった
また、そのため食堂車も遅くまで残り、平成12年まで「唯一の昼行食堂車」として活躍していたのはこのスレの
諸氏には周知のことであろう
170:名無し野電車区
10/11/01 20:28:42 RSw/31sM0
阪急2400系
阪急電鉄が開発した2200系の京都線仕様。
車体は2200系をベースにしているが車体サイズが5300系と同一である(唯一の6000系顔で車体長18900mm*車体幅2850mm車体である)。
電機子チョッパ制御を採用している。
震災後6000系に編入されて形式消滅した2200系とは対照的に原型の電機子チョッパ制御を維持してきたが、1形式1編成のみの異端児で保守が困難となったため2000年にVVVFインバータ制御に改造された。
171:名無し野電車区
10/11/01 20:52:30 G2Sz6O7aO
オナニ931
172:名無し野電車区
10/11/02 09:20:41 RtwUp7xgO
阪急4300系
昭和40年代にかけて関東私鉄で特急列車用の有料ロマンスカーが登場したのを
触発した阪急電鉄が導入した関西私鉄初の有料ロマンスカーである。
東武鉄道の1720系を基本とした車体に2800系の下回りを基本とした構造だが、
近距離運転のためトイレはない。
座席は回転式リクライニングで、テレビも付けられていた。
運転は河原町から梅田までの途中十三までノンストップと高槻市と十三以外
ノンストップの二種類で、120km/h運転であったために並行して走る国鉄の新快速
をも追い抜き、また特急料金が全区間500円均一だったのも人気の一つだった。
登場当時は6両編成で後に8両に増強され、阪神大震災で被災車両がなかったために
神戸線の特急に応援で活躍するなどしたが、2009年から導入を開始された
新型特急列車の10300系の登場により引退した。
4302-4533-4633-4402の4両が正雀車庫にイベント用としてモスボールされている。
阪急10300系
4300系の後継有料特急電車で、JR東日本のE259系車体に9300系の下回りとなった。
貫通式にしたのは非常口としてで、これにより大阪市交堺筋線への乗り入れも
可能となった。
神戸線や宝塚線への有料特急導入の声もあったため神戸線・宝塚線有料特急専用の
10000系も合わせて作られた。
173:名無し野電車区
10/11/04 00:17:26 m+qQaHWS0
阪神631型
戦後復興で阪神が車体大型化などの体質改善を図って63型を導入した。
1946年に20両、47~48年にさらに20両が導入された。
当初はMcTc2両編成であったが、のちにMcTcMcの3両編成に移行している。
同車の導入で一気に大型化に成功したが、1960年代になると赤胴・青胴車の量産が進み、加速が劣るため急行用として赤胴塗装になるも1969年山陽や東武に部品を売却して廃車となった。
174:名無し野電車区
10/11/05 20:33:19 BqxaglKR0
113系3500番台
国鉄が1982年から製造した113系1500番台のオールロングシート仕様。
内装は415系500番台に準ずる。
横須賀・総武緩行線の混雑が激化したため仕方なく投入。
1999年に横須賀・総武緩行線からは撤退し、東海道本線や房総地区に転用された。
175:名無し野電車区
10/11/06 13:27:25 pIoksSV/O
東急3900系
昭和33年に作られた一連の3000系シリーズ最終型で、既に5000系シリーズが
登場していたが並行して製造した。
車体は海坊主と呼ばれた全金車体を採用し、5000系の直角カルダンではなく
平行カルダン式で、当時国鉄で生産体制に入った101系に相当するMT46系を採用
するなど3000系シリーズながら近代化された走行装置を採用。
MCのデハ3900 Mのデハ3930にサハ3950 クハ3950が作られ、開業時に一度
大井町線で使われるも一貫して池上及び目蒲線を離れなかった。
既存の旧式車との連結も可能である。
カルダン車であったために最後まで残存した緑車体で、昭和57年に更新工事で
車内は8000系クラスと同等されるなどして何と平成3年まで目蒲線で使われていた。
実際早い段階から地方私鉄に売却の話はあったが、カルダン車両ゆえに
ことごとく断られ、3700系等を購入した大手の名鉄でさえ断られた。
長野電鉄と松本電鉄が購入有力になるも5000系に鞍替えされる不運も重なった。
そのため冷房のない車両ながら平成まで使わざるを得なかったのである。
その後総合検測車に改装する計画もあったが、7200系で賄えるため長津田に
長らくモスボールされた。
しかしみなとみらい線工事の際にこの車両が試験車両として再整備され、
籍のない機械扱いながら開業まで試運転用に使われていた。
開業後再び放置の上大井町線の延伸の試運転などには関わることなく2007年に
廃車解体されたが、
制御装置と台車と主電動機は電車とバスの博物館に展示されており、
実際に動くシュミレーターであるため、MT46系を実際に動かせる貴重な展示品となっている。
176:名無し野電車区
10/11/06 22:25:15 qtt65CU10
キハ171系
民営化直後、JR西日本が投入した急行型気動車。
車体は213系電車と同様の軽量ステンレス車体で、低いホームに対応してステップが設けられている。
キハ171形(上り寄り片運転台車)とキハ170形(下り寄り片運転台車)でユニットを組む。
なお、キハ170形に和式トイレを設けている。
駆動系は後のキハ120形と共通としつつ、高速性能を高めている。
177:名無し野電車区
10/11/06 22:46:14 qtt65CU10
DD54形500番台
北海道、北東北向けに設計された、DD54の酷寒地仕様。
使用線区の環境にかんがみ、凍結防止ヒーターや旋回窓の採用など、耐寒・耐雪構造が強化されている。
・・・のだが、山陰地区に投入された0番台車の評判が芳しくなく、
設計が終了した時点で計画中止となり、当該線区にはDD51やDE10が投入された。
178:名無し野電車区
10/11/07 00:56:18 AzvaFvAG0
東武7800系カルダン車仕様
1700系の運用で自信をつけた東武が製造した足回りを1700系と同一(歯車比のみ加速重視に変更)の7800系。
1960~61年製造車両が該当する。
車体と足回りがミスマッチなので一分ファンには人気があった。
早期に5000系に車体更新された。
179:名無し野電車区
10/11/07 05:32:22 TkfBLmFW0
JR東海HB101型ハイブリッド気動車
JR東海が次期非電化ローカル主力列車用に開発した気動車。
環境に配慮しJR東日本からハイブリッド機関を導入した他、
沿線の緑化を推し進めるべく三重県のフ口ーラ社と提携し
植物培養液HB101の自動散布装置が車体に装備されている。
180:名無し野電車区
10/11/07 21:05:33 A+X05i3T0
DE50形5000番台
JR貨物がDE10に大規模な機器更新を施したもの。
機関をDF200やDD51更新機で使用されているコマツ製SA12V170-1 (1500PS)に換装したほか、
変速機を大出力に対応できるものに交換した。
これにより、最高速度が95km/hに向上し、本線での貨物列車牽引に適した仕様となった。
(形式がDE50となったのはこれによる)
また、過熱防止のため、搭載されていた死重を撤去し、ラジエーターを追加搭載している。
軸重制限によりDF200が入線できない石北本線で使用されている。
181:名無し野電車区
10/11/07 23:46:16 yQyHIMa/0
>179
Korail100000型ハイブリッド気動車
KorailとロテムがJR東海HB101を便器もといベンチマークして開発したハイブリッド気動車。
沿線の緑化を推し進めるべく有機肥料の自動散布装置が車体に装備されている。
182:名無し野電車区
10/11/08 22:38:27 rm5qu3/T0
東葉高速鉄道3000系
東葉高速鉄道が開発した東京メトロ15000系ベースの新型車両。
車体や機器はほぼ同一だがラインカラーが異なる。
183:名無し野電車区
10/11/10 22:19:50 h9xnRt700
国鉄 北海道総局 キハ151系
昭和57年、余剰となっていたキハ82系を改造し、急行「宗谷」「天北」の体質改善のために生まれた形式
キハ82とキロ80、キハ80を5両編成一組で基本編成とし、偶数号車から便所・洗面所を撤去し、定員の増強が
計られた。
簡易リクライニング化されたが、中間運転台がない分、既存のキハ56・27の編成と座席定員はほぼ同じである。
なお、名寄回転車と自由席車としてキハ56・27の2両を併結して運用されるのが常であった。
184:名無し野電車区
10/11/10 23:06:57 iw8G8m280
JR九州HB270系ハイブリッド気動車「ゆふいんの森IV世(IVはローマ数字の4)」
改造から20年が過ぎ、キハ65から転用の台車も含めて老朽化してきたゆふいんの森1世こと
キハ70/71系気動車の置き換え用として登場した新型気動車。
下回りはJR東日本HB-E300形とほぼ同じシリースハイブリッド方式を採用しているが
車体はキハ70系の流れを汲むレトロヨーロピアンスタイルのアルミ製流線型車体を採用している。
ただしキハ70系と違いバリアフリー対策と車体傾斜システム搭載の関係からハイデッキ構造は廃され
通常のローデッキ構造を採用している。
185:名無し野電車区
10/11/11 00:30:28 Qkpn0WWw0
中国国鉄新勝利7型
観光用に製造された満鉄パシナのレプリカ。
現代技術の粋を集めたのにどういうわけか最高時速100kmと本家以下なのがご愛嬌(幹部が予算をけちった説あり)。
レプリカの客車も製造された。
186:ミウナ2
10/11/11 14:44:53 k0Sgj7jwO
ソ100型
現代版操重車。福知山線事故での教訓と、万一の事故の復旧以外に
分岐器や橋梁の交換や線路切り替えなどの大規模線路工事用途などにも幅広く
使える汎用機として開発した。
規制緩和で70tクラスのラフターも開発可能になった事もあり、国産大手
クレーンメーカー3社と海外メーカーも加わり、65~75t超級ラフター又は
100t超級のオールデレンクレーンのブーム及び旋回体に動力ユニットを
組み合わせた構造で自走も可能となっている。
なお国鉄当時にソ100型はあったため、2代目で形式はハイフン式となっている。
また各旅客会社が異なる形式のクレーンを組み合わせたため、形式もバラバラである。
単独使用も可能だが必ず2両セットで配備され、各1両に控用遊車も必ず連結する。
なおオペレーターをクレーン車リース会社から派遣して運用するために
リース会社の第三者所有にしている旅客会社もある。
ソ100-1~4 KATO製70tラフターがベース。札幌 南福岡に配備された。
ソ101-1 2 KOBELKO製75tラフターがベース。苗穂に配備されている。
ソ102-1 2 TADANO製70tラフターがベース 仙台に配備。
ソ120-1 2 オールテレンクレーン車ベースでTADANOAR1000Mを使用した100t機
配備は田端でリース会社の東京重機㈱がオペレーターで運用する。
ソ150-1 2 神奈川工事区に配備されるゴッドワルド製スーパービートルの後継機で
スーパーヘラクレスが愛称。
外国機で、ドイツリーブヘル製150t吊りの特注車。オペレーターと運用は㈱ミック。
ソ180-1 2 KATO製150t吊りをベースにしている。オペレーターと
運用は㈱内宮運輸機工で配備は尾久。
ソ103-1 2 東海向けでKATO製80t機。配備は名古屋で㈱ミックが運用。
ソ105-1~4 福知山線事故を教訓に西日本が配備した。KATO製120t機で配備は
京都と広島で、㈱サイガが運用する。
ソ110-1 2 多度津に配備されたTADANO製AR1200Mをベースとした100t機。
㈱北四国クレーンが運用する。しかも無償提供車である。
(香川県さぬき市にTADANOの工場があるためと思われる)
187:名無し野電車区
10/11/11 15:00:32 GNZH8m/pO
キハ231
188:名無し野電車区
10/11/11 18:13:53 PhVfH4pL0
キニ65
キハ65ベースの荷物車。
キユニ65
キハ65ベースの郵便荷物合造車。
189:.
10/11/12 16:53:26 DtgirwduO
東急8642F永久磁石同期電動機試験:
特殊過ぎていらない子状態の8642FのVVVFユニット4両を改造。
その後、9000系と2000系の副都心線直通後の更新改造に使われ、2000系の東武乗り入れ禁止解除。
新造車両では、東急8000系(2代)に採用予定。
東武50000系ローカル線編成永久磁石同期電動機試験編成:
佐野線・小泉線・桐生線・伊勢崎ローカル向けの513xxF及び、東上ローカル・越生線及び宇都宮線向けの514xxF(森林1編成/新栃木1編成)及び、亀戸・大師線向けの512xxFに試験搭載。
本格採用は日比谷線直通用新型車の60000系及び、快速用新型車の600系、また、9000/10000/10030のVVVF改造にも採用予定。
JR東日本E231系永久磁石同期電動機更新編成/DDM更新編成:
E217系のIGBT更新と209系の廃車及びローカル転用が一段落して、E233/235系の投入時期に、走行距離が長く、走行機器の劣化の延命により、永久磁石同期電動機更新又はDDM改造をした物。
京成3500形永久磁石同期電動機試験編成:
金町線を走る廃車前提の3500形を改造。(理由は用途終了後に廃車すれば良いのと、4連の為にユニット数が少数で済む)
4連で成田スカイアクセスを走ったりも…。。。
量産は3500/3600置き換え用の3100形。
京急600形永久磁石同期電動機試験編成:
600形の機器更新を前提とした、試験で4連の650形で試験後、8連及び残りの4連及び、1500/1700形の更新にも採用予定。
190:名無し野電車区
10/11/13 06:35:10 vZrLD5Z9O
チキ100-101型
元々コキ5500型であるために老朽化が進んだチキ5500型を置き換えるために
JR東日本が開発したロングレール輸送用の事業用貨車である。
当初はJR北海道のチ50000 チラ50000同様にコキ50000から改造する予定だったが、
JR貨物よりコキ100系を買い上げて改造することに変更された。
その中でも目をつけたのは4両で1セットになっているコキ100-101 コキ102-103
で、2セット組み合わせた8両を1セットとして組成する形にした。
コキ100-101型から4両の5セット20両とコキ102-103から3セット12両の計32両改造された。
レールを固定する装置はチキ5500型と同じ物を使うが最大積載本数は30本で
荷重は48tとなっている。無論走行しながら降ろす事も可能で、投下装置も装着された。
チキ102型
25mレール運搬車で、チキ6000型及びコキ10000型改造で老朽化が進んだ
チキ5200型を置き換えるために作られた。
やはりコキ100系改造車で、改造された60両中コキ104から52両が改造され、
5000番台は全車改造された。
残りは2両1セットのコキ105より4セット8両が改造された。
必ず2両1セットで運用し、荷重は50tで最大積載本数は25mレールで32本。
191:名無し野電車区
10/11/14 17:59:10 8lPc6Eem0
キロ27形2000番台
国鉄でキロ27の冷房用発電エンジンを4VKに取り替えたもの。
キハ58系と混用された。
JR西日本に承継され、一部はキロハ27に改造された。
空気バネ台車であるため乗り心地が良かった。
192:名無し野電車区
10/11/14 18:47:39 8lPc6Eem0
近鉄4000系
近鉄が開発した5200系の南大阪線バージョン。
通常南大阪線用の車両は形式名の千の位が「6」になるが、特殊な車両であることから例外とされた。
2両編成で、トイレはない。
足回りは6400系と同様である。
主に急行や団体列車で使用される。
193:名無し野電車区
10/11/14 20:34:13 rCXDrKlNO
>179
これ以上、鹿身事故を増やしてどうするの?
あっそうか!わかります。
東海の新ビジネスですね。ぶつかって来た鹿を(ゴニョゴニョ
194:名無し野電車区
10/11/14 20:48:10 ClRLl2c/O
オナラ931
195:.
10/11/15 12:54:15 cajvp7sbO
JR東日本E931系電車:
JR東日本がポストE235系や209/E217/701/E127/E501といった走ルンですグループやE231/E233/E531/E721系といったJR東日本初期標準車両グループの車両寿命を考慮して試作。
E931系A編成:
通勤タイプをベースにしている。
DDM駆動。
製造は新津車両製造所
所属は川越車両センター
E931系B編成:
近郊タイプをベースにしている。
永久磁石同期電動機を従来方式が(WN/TD継手)で搭載。
製造は川崎重工業
所属は大宮総合車両センター
E931系C編成:
通勤タイプ寒冷地仕様をベースにしている。
殆ど走行システムは従来方式をふしゅう。
製造は東急車輌
所属は三鷹車両センター
E931系D編成:
交直流両用、走行システムはB編成をベース。
アルミ車体
製造は日立製作所
所属は田町車両センター(→東京第二車両センター田町支所(尾久車両センターとの統合))
ちなみに、JR倒壊は393系(391系は313/373系の次世代高速度試験)として、JR西日本は921系として計画されている。
また、E931系のフィードバック車両のしなの鉄道・IGR青い森鉄道へのリースや肥薩オレンジ鉄道や北陸新幹線並行在来線会社へのOEMも計画している(北陸及び肥薩については西日本も計画)。
196:.
10/11/15 13:00:33 cajvp7sbO
JR東日本キハE210/FCV-E310形燃料電池車両:
八高線に導入予定の燃料電池車両。
NEトレインの燃料電池試験の量産
JR東日本BT-E001形蓄電池車両:
久留里線に導入予定の蓄電池車両。
スマート電池トレインの量産
197:名無し野電車区
10/11/15 21:15:25 pzEn/bWn0
国鉄 北海道総局 キロ21
昭和53年、キハ40-100の投入により余剰となったキハ21のうち、比較的程度のいい車輛が
亜幹線急行用のグリーン車に改造された形式
中よりドアの位置は変わらず、デッキがつけられ、1エンド側運転台側に乗務員室と荷物保管庫が、
2エンド側運転台側に便所と洗面所が設けられ、ドアから内側部分がグリーン室となった
座席は、亜幹線用ということでえんじ色のモケットの転換クロスシートとなっているが、中央の排気管
立ち上げ部の座席は固定されている
また、便所・洗面所脇戸袋窓部分には2人掛けのロングシートがそのまま残され、モケットはえんじ色に変更
され、座席定員としてカウントされている
「非冷房」「ロングシートつき」グリーン車として、鉄道ファンには注目されたが、「急行グリーン車」としてはさすがに
見栄えが悪く、乗車率が悪かったことも重なり、改造からわずか3年で荷物車などに改造されたが、肝心の小荷物輸送の
廃止により、昭和57年に全車廃車となった
5両が釧路、3両が旭川、5両が苗穂に配置され、急行しれとこ、ノサップ、なよろ、らいでんに連結されて使用された
198:名無し野電車区
10/11/15 23:53:23 InlgXO1F0
国鉄キロ67
66・67系用のグリーン車として登場。
リクライニングシートでキロ28の車体(アルミサッシ2段窓)にキハ67の足回り。
後にデッキ撤去、転換クロス化して一般車化され、キハ67系100番代とされた。
199:名無し野電車区
10/11/16 16:40:30 Fc54lFmuO
京葉臨海鉄道KHD300型ハイブリッド機関車
JR貨物が開発中のハイブリッド機関車であるHD300型の京葉臨海鉄道型で、
KD55型及びKD60型の後継機関車として導入した。
導入の背景には千葉県におけるディーゼル規制に際して直噴ディーゼル型などを
導入したものの、抜本的対策にはハイブリッド機関車の導入が不可欠と
判断したものと思われる。
当初千葉県で大多喜など豊富に産出される液化天然ガスを燃料にして、
DE10や余剰のDE15を購入して液化天然ガス燃料車に改造を施す計画であったが、
パワーが足りず改造費用が莫大になることから、ハイブリッド機関車
先進国のカナダよりユニオンパフィシック鉄道などにも導入されている
ハイブリッド機関車のGG20B型を5両購入する計画もあったが、JRの1067mmに
変更する必要や車両限界が大きすぎで入れず、輸入と改造費用で1両10億と
莫大な額になることからそれぞれ見送られ、そこへJR貨物がHD300型を
開発中と聞き後継機関車に白羽の矢を立てた。
量産型製造開始と同時に作られ8両製造された。
捻出されるKD55及び60型の内、KD55型の旧国鉄DD13型及び100番台車は鹿島臨海鉄道へ
KD55型の200番台車及びKD60型は神奈川臨海鉄道へそれぞれ売却された。
200:名無し野電車区
10/11/16 22:11:34 fjc5KX8V0
クモハ484形
東北方面に投入された485系は、磐越西線の線路有効長や奥羽本線の板谷峠などの制約により
「ひばり」「やまびこ」(12両編成)と「あいづ」「やまばと」(9両編成)で車両の共通運用ができなかった。
そこで、「ひばり」「やまびこ」を基本9両(TscM'MM'MTdM'MTc)+付属3両(M'cMTc)の編成とし、
運用の効率化を図ることになった。これにあたって投入されたのがクモハ484形である。
モハ484形をベースに、後位側に回送用運転台が設けられている。
回送運転を前提として、ATSは設置されなかった。
後の輸送力増強(13両貫通編成化)や特急列車の統廃合により余剰となり、
運転台を撤去しモハ484形へ転入するなど短命に終わった。
201:名無し野電車区
10/11/18 11:26:17 2+5u6AgfO
スロハ43
「つばめ」「はと」専用として計画されたもう一つの形式で、スハ44とスロ60を
合わせた44系の2等3等合造車で昭和28年に11両作られた。
しかし特急用客車とは言え重量がありすぎ、3等は固定クロスで2等が
回転クロスでしかもドアが1ヶ所しかなく運用に難があることや
より軽量なナロ10型の登場もあってわずか3年で外された。
後に「はつかり」「さくら」「みずほ」などで作られたが最後まで残ったのは
「銀河」に使われていた3両のみで20系化されるまで使われていた。
なおその後スロハ43-8のみは梅小路に保管されていたために西日本に継承され、
嵯峨野観光鉄道の専用車にする計画もあったが現在も走行可能状態に維持されている。
今後はイベント用に復元する予定で、かつての「つばめ」の両雄である
マイテ49との組み合わせに期待されている。
残り8両は昭和40年代中にマニ36型で3両・マニ37型で2両・普通緩急車に
格下げた上でスハネ16型にTR47を供出してTR34と交換してスハフ32
(オハ48にすると3軸車形式になるために窓が狭窓のためにスハ32系として
編入された)にされた車が3両と全て他形式に改造された。
202:名無し野電車区
10/11/19 02:46:50 2ERxLbHQ0
age
203:anorak?
10/11/20 18:32:18 4VnAj4re0
>>17 >56-57 >>110-111 >>143 >>160に続く平行世界もの(架空路線込み)
◎東京都交通局14-000形電車
製造年 2004- 要点 14号線 西武新宿線直通
○1985年、東京圏の鉄軌道整備に関する運輸政策審議会答申第7号で、東京の地下鉄14号線及び同路線と西武新宿線との
相互直通運転が提言された(as fiction)
経路は現駅名等で、西武新宿~新宿三丁目~国立競技場~永田町~内幸町~汐留~臨海方面。
営団地下鉄(現・東京地下鉄)が他の複数の路線の整備で手一杯であり、かつ営団と東京都交通局との運営路線の
均衡の観点から、この14号線は東京都交通局が運営する事になった。
都交通局の財政悪化により12号線の建設に集中すべく14号線は暫く着工されず、バブル崩壊後の景気対策の一環として
90年代後半に第一期区間として西武新宿~永田町区間が着工開始された。
14号線の西武新宿駅は隣接するJRの路線群の地下に設置し、西武線と並行して新大久保辺りで西武線と合流。
2005年に都営地下鉄14号線の第一期区間が開業し、西武鉄道新宿線との相互直通を開始した。
因みに14号線永田町駅の駅名には(赤坂プリンスホテル前)と併記され、西武新宿も(歌舞伎町)と。
この14号線用にと都交通局が新造投入したのが、14-000形である。
14-000は、都交通局の厳しい財政事情による車両製造費軽減の追求の結果、同時期の都営新宿線用の10-300の設計を
狭軌と西武直通対応の仕様へと流用したものであり、即ち、10-300と同じ意匠で、違いは、台車・車輪が狭軌対応、
信号は西武直通対応、車体のラインカラーだけである。同車は5M3Tの八両編成。
14-000と10-300は共にJR東日本のE231系を標準車両として基に設計されているので、一部はJR東の新津車両製作所で製造。
開業の前年から量産され、開業時に就役開始し、西武新宿線への直通運用は専ら各停である。
都交通局の厳しい財政事情、及び東京の地下鉄一元化構想の影響で、2010年時点、14号線の永田町以遠の延伸は
凍結されている。なお、バブルの頃の西武新宿線の複々線化としての地下急行線構想は消滅。
204:名無し野電車区
10/11/20 19:08:59 bg/G6jHp0
国鉄ナハ11-900番台
サロ153-900、キハ35-900と並ぶステンレス試作客車。
901~910の10両が製造され、尾久に配置された。
「津軽」「八甲田」等の急行に組み込まれたが、編成中の1両がステンレス無塗装であり、
編成美をぶち壊していた為、撮影するファンからの評判は余り良くなかった。
昭和45年辺りから青15号に塗装され出し、尾久からの転出も始まった。
しかし、静ヌマに転属したトップナンバー、ナハ11-2901は廃車まで無塗装のままであった。
昭和57年3月に、大ミハのナハ11-2909が廃車となり、国鉄線上からは消滅した。
現在、大井川鐡道に譲渡されたナハ11-2910が、ぶどう色2号を纏って活躍している。
205:名無し野電車区
10/11/20 21:12:03 POzClgMpO
オハ11 オハフ11
ナロ10型に冷房を取り付けたオロ11型と同じやり方でナハ11 ナハフ11
に冷房を取り付けたもの。
給電は各車両にディーゼル発電機を搭載して給電する。
ナハ10 ナハフ10も含めて改造する予定だったが、改造されたのは
ナハ11から改造された18両ナハフ11から改造された12両のみで、
重量の関係上電気暖房も取り付けられない(取り付けるとスになる
のを怖れて)ために蒸気暖房のままで使われていた。
そのため使用は九州に限られ、急行「日南」や「西海」などで使われていた。
電気暖房がないために東北などで使えず、九州地区の普通列車や急行及び
本州では山陰線で使われていた。
昭和54年までに最後まで残った米子にいた5両(オハ11-7・10・17 オハフ11-5・8)が
廃車となった5両は解体されずに大井川鐵道に売却された。
大鐵の客車初の冷房車に期待が上がるも、重量が難で機関車がC11-227又は190に
3両以上でE10型電気機関車に後補機の助けが必要になった。
206:名無し野電車区
10/11/21 09:11:15 z5x9eWTZ0
阪急5100系・6000系ロマンスカー仕様
神戸線で新快速への対抗を行うために扉間に転換クロスシートを装備して製造された。
識別しやすいよう屋根が当初から白塗りになっている。
207:名無し野電車区
10/11/21 15:55:11 JYrWhBOU0
413系1000番台(史実の415系800番台に相当)
221系、223系の投入により第1線を退いた117系を北陸方面向けに交直両用化改造したもの。
改造にあたって、福知山電車区に所属していた485系から主変圧器、主整流装置など、
特高圧機器の供出を受けている。
輸送需要に合わせ、
クハ412-1000(←クハ116)+モハ412-1000(←モハ116)+クモハ413-1000(←モハ117)
の3両編成とした。
208:名無し野電車区
10/11/21 20:05:16 QrU3hEY10
キハ26形2000・2300・2400番台・キハ55形冷改車
国鉄でキハ55・26に冷房改造を施工。
キハ26の床下に4VKを設置しており、番号は+2000になっている。
キハ58系と混用された。
JR四国に3両が承継されたものの1991年に廃車されてしまった。
209:名無し野電車区
10/11/21 21:55:47 DlM434jj0
キハ43500形 キロ43600形(キハ13 キロ13)
バッド車が1953~60年にRDCの日本版としてサイズを日本国鉄に合わせて車体幅2.8m、全長21.3mとした。
デザインもRDC1そのまま。
地方幹線の急行に使用されたが普通車のキハ13でも転換クロス(キロ13はリクライニング)、冷暖房完備なので山陰・九州などで臨時特急に使用されたこともある。
1980年~87年に廃車されたがオールステンレス車体の傷みがほぼ無いことから島原鉄道と北近畿タンゴ鉄道が引き取りエンジンを換装するなどして現在も使用中。
210:名無し野電車区
10/11/23 20:36:02 q+oxc8Wu0
キハ39
国鉄でキハ28を両運転台化改造したもの。
4VKを搭載しているためキハ53-1000番台とは異なり単行でも冷房の使用が可能である。
ワンマン化に適した構造ではあったものの出力不足が災いし2002年に全車廃車された。
211:名無し野電車区
10/11/23 23:42:22 q+oxc8Wu0
203系1000番台
JR東日本が1991年に製造した203系。
形式は「203系」を名乗っているが207系900番台と同一車体(但しドア窓は大型)である。
足回りは203系100番台と同様で、JR化後に製造された唯一の電機子チョッパ車である。
モーターはMT60を内扇型に変更したMT60Bを搭載。
東西線乗り入れ用に2編成のみが製造された。
E231系800番台投入後も活躍していたが、E233系2000番台に置き換えられることが決定した。
212:名無し野電車区
10/11/24 03:00:04 d0Mky2At0
JR東海・西日本・九州1000系/DB430型
フランスや中国に対抗して日立・シーメンスが共同開発した高速車両。
営業最高速度380kmでドイツの試験線では時速530kmをマークした。
車体幅や長さをフレキシブルに変化させられる設計が特徴。
現在日本・ドイツの他スペイン・ポルトガル・イギリス・デンマーク・ポーランド・南ア・インドに導入されている。
213:名無し野電車区
10/11/24 20:57:15 PcdsrEgV0
キハE233系
JR東日本が開発したE233系の気動車バージョン。
先頭車のキハE233と中間車のキハE232がある。
エンジンはJR東日本史上最強を誇るDMF18HZ(620PS)を搭載(エンジンを2基搭載する案も出たが車体長が21.3mとなってしまい電車のE233系と揃わない事から断念された)。
電車のE233系や後述のHB-E233系と連結可能。
HB-E233系
JR東日本が開発したE233系のハイブリッド車バージョン。
先頭車のHB-E233と中間車のHB-E232がある。
やはりDMF18HZ(620PS)を搭載しており、加速度は気動車史上最強の3.0km/h/sを誇る。
電車のE233系やキハE233系と連結可能。
214:anorak?
10/11/25 22:16:13 sEnCcptZ0
>>203に続く平行世界もの
◎JR西日本207系3000番台電車
製造年 2003 要点 片奈連絡線 セミクロスシート
○1989年、大阪圏の鉄軌道整備に関する運輸政策審議会答申第10号で、
片町線(学研都心線)の京田辺と奈良線の長池を結ぶ片奈連絡線が提言されたのを受け、
京都府が主体となって上下分離方式で以て建設され、2003年度にJRの路線として開業。
片奈連絡線は、奈良線長池駅木津寄りで奈良線から分岐し、京田辺駅大住寄りで片町線と合流する単線電化路線。
よって、奈良線の京都や宇治などの長池駅以北から片奈連絡線経由で片町線の松井山手や京橋などの京田辺以西への
直通列車は、京田辺で進行方向を転換する。
奈良線の宇治~長池区間及び片町線の松井山手~京田辺間の複線化も実施。
片奈連絡線の開業に伴いJR東西線・片町線(学研都心線)と奈良線宇治直通列車が設定される事となり、
この直通列車用にと、207系3000番台が新造された。
同車両は、同時期に量産中の2000番台を基礎に、JR東日本のE231系の近郊形と同様に、扉間にボックスシートを設置した
セミクロスシートを採用し、これ即ち、競合する京阪に対する競争力向上の為である。
クハ206-3000(Tc')は将来に便所を設置出来る準備がされている。
「京橋/宇治←T'cTMc→木津」の三両編成で、これで以て片奈連絡線と奈良線を単独運行し、
JR東西線・片町線での運行では京田辺にて木津寄りに207系の他の番台の四両編成を連結する。
同車両は、奈良線の宇治・城陽~片奈連絡線~学研都市線・JR東西線の直通の快速列車に専ら就役している。
215:名無し野電車区
10/11/25 22:33:38 TJ7xPzMO0
JR北海道 キハ480-500 キハ400-500
JR九州の「いさぶろう・しんぺい」号に触発されて、新得~富良野間を結ぶ普通列車を
すべて観光用にすべく登場した形式
形式からわかるとおり、かつて急行用にエンジンをパワーアップしたキハ48・40の車体を
再改造し、車体中央部に立席の展望窓をつけた
同区間を走る普通列車は全てこれになり、ワンマン運転でトゥインクルレディが乗車し、観光案内と
車内販売に従事する
そのための販売カウンターも設置されている
シートは種車のリクライニングシートを流用しているが、一部(2列分)は地元住民優先席として
ロングシート化されている
ロングシートの地元住民優先席と、1列分4席以外は全て指定席として運用されている
新狩勝トンネルの帯広側などの景勝地で停車案内があるほか、幾寅などでの見学停車もあり
車輛とともに新たな観光ルートとして脚光を浴びているのは、このスレの住人には周知のことであろう
216:名無し野電車区
10/11/28 01:46:30 pCdJ+Ntt0
キハ581系
寝台気動車として登場。
車体デザインは電車の583系とほぼ同様。
キハ52の試験結果から動力車をDD51クラスの機関車的な大馬力エンジン搭載車かつ荷物車とし、寝台車両・食堂車は付随車としている。
またA寝台もナロネ20的な個室車両として実現した。
先頭のキニ581・中間のキサハネ581・キサロネ581・キサシ581から構成されている。
1969年から73年まで製造され、非電化区間のあった彗星・あかつき・出雲など参院・九州の夜行特急とにちりんなどの昼行特急に使用された。
電化の進展により急行用に利用されるようになり、だいせん・さんべなどに転用された。
現在は鉄道博物館と交通科学博物館にキニ581が保存されている。
217:名無し野電車区
10/11/28 14:12:04 P9bqZZkk0
マシ25形(史実のオシ24形700番台に相当)
国鉄末期、寝台特急のグレードアップ改造に合わせて登場した新型食堂車。
余剰となっていたサシ581形から台車などを流用し、車体を新造する形で製造された。
「食事をするだけでなく、くつろげるスペース」をコンセプトに、オリエントをイメージした
赤、白と木目の内装となり、車端部にはラウンジ風のソファーを設けていた。
設備面では、電気レンジの出力強化と増設、電気冷蔵庫の搭載など、従来の食堂車に比べて
調理設備を充実させ、様々なメニューに対応できるよう配慮された。
これらの重装備化とロビーカーの連結により、牽引機がEF66に変更された。
218:名無し野電車区
10/11/28 14:52:35 P9bqZZkk0
581/583系500番台
青森運転所に投入された583系について、耐寒耐雪構造が十分でないとの意見をうけて改造したもの。
隙間風対策として前面貫通路を閉鎖し、正面は1枚の板でおおわれている。
分割・併合運転を見越して設置された貫通扉であったが、当時は長大編成での運転が前提であり、
特に問題はないと判断された。また、客用扉を引き戸化し、冬季の着雪・凍結防止を図っている。
このほか中間のサハネ581形に予備のMG・CPを搭載した。
219:名無し野電車区
10/11/28 20:16:02 7fLVagcS0
20系客車座席車編成
昭和34年、20系特急は「あさかぜ」「さくら」の2往復のみだったが、寝台の需要が多い
反面、座席車の人気はいまひとつだった。そこで寝台車増結/座席車削減の過程で、
マニ20-ナハフ20-ナロ20-ナロ20-ナシ20-ナハフ21-ナハ20-ナハフ20
の8連3本が捻出された。電源車と方転ナハフが2両続けて丸妻なのはご愛嬌。
「かもめ」「はつかり」「つばさ」と流浪の生涯を送ったのは皆さんご承知のとおり。
220:名無し野電車区
10/11/28 21:14:31 Z1IXey9C0
東武鉄道100系特急形電車(史実とは異なる)
東上鉄道は東武鉄道による買収の後、悲願の長岡延伸を果たし、さらに新潟市内への延長までも実現させた。
新潟延長と同時に東武東上線には池袋-新潟間を結ぶ座席指定特急「上越」が設定され、上越線の国鉄特急と激しい乗客の奪い合いを繰り広げた。
当初は設備の充実や、山岳区間での線形の良さもあり、国鉄特急に対して若干の優位を保っていたものの、
(東上線の高崎~長岡間は将来の速度向上を視野に入れ、長大トンネルと高架橋を主体として建設されており、
最小曲線半径は2500m・最急勾配は10パーミル、全区間立体交差という高規格になっている)
1982年に上越新幹線が開業し、さらに85年に上野延長がなされると新幹線との速度差は歴然となり、乗客減に悩まされた。
但し東武側も手をこまねいていたわけではなく、1720系「DRC」に出力強化を行った上で高崎~長岡間に限り130km/h運転
(尚、当時の私鉄では最高速の運転となっている)を行うなどを行ってはいたものの、
1720系という車両自体が陳腐化していること、何より新幹線との速度差を縮めるには限界が見えていたということもあり、日光線系統共々新型特急電車への置き換えが決定した。
新型特急電車への要求事項としては、「上越新幹線との正面からの対抗」が最優先事項として挙げられた。
このため、
・池袋-新潟間を遅くとも3時間30分以下、可能であらば3時間を切って走破可能な性能
・そのため、在来線最速の160km/hを営業速度とする
・最高速の向上のみならず、素早く最高速に到達することが可能な加減速性能
・踏切があるため最高速度が制限される関東地区に於いても速度向上を可能とするため、車体傾斜制御を採用する
・一般車・特別車共に国鉄の新幹線電車を凌駕する設備を備える
という点が特に強く要求された。
この計画の下に開発された車両が100系特急形電車である。
編成は東上線系統用が10連、日光線系統用が6連となっており、どちらもオールM方式となっている。
車体は東武鉄道で初めて全アルミニウム合金製のものを採用。ドア数は片側2ドアとし、乗降性の向上も図っている(また、揺動の大きな車端部を客室として使用しないという意図もある)。
221:名無し野電車区
10/11/28 21:15:13 Z1IXey9C0
座席は一般車が1100mm・4列配置の回転リクライニングシート、特別車の開放室ユニットが1450mm・3列配置の回転リクライニングシート、特別車の個室ユニットが4人用個室×6室となっている。
日光線用の3号車及び東上線用の5号車の半室は売店及びビュッフェとなっており、食事類の提供が可能である。
車内には東武鉄道で初のLED式情報装置を搭載した。
トイレは洋式タイプとなっている。
パンタグラフは下枠交差型のものを採用。台車とは逆L字形のフレームで直結され、車体傾斜時の離線を防いでいる。
制御方式は日本の座席指定特急では初めてVVVFインバータ制御を採用した。4500V/2000A級の大容量GTOサイリスタを用いた日立製作所製のVVVFインバータ装置により、インバータ一台辺り4個の主電動機を制御する。
補助電源装置は190kVAのDC-DCコンバータとSIVを組み合わせたものを使用。電動空気圧縮機は低騒音型のHS-20系列。振り子台車のため空気使用量が増加するため、CP搭載車は1両につき2台の圧縮機を装備する。
主電動機はTM-90(史実とは異なる)を搭載。160km/hという、私鉄電車としては前代未聞の高速運転に耐えうる性能とするため、連続定格出力は230kW・連続定格回転数は3600rpm、許容回転数は6800rpmとなっている。
駆動装置には東武鉄道では唯一のWN方式が採用されている。ギア比は19:82=1:4.19と高速向けに設定。また、高速運転時の騒音を低減させるため、やまば歯車を使用している。
台車は制御付き振り子装置を搭載するTRS-90(これも史実とは異なる)を使用。ヨーダンパ付きのボルスタレス台車である。軸箱支持方式はSミンデン方式。車輪径は低重心化のため810mmとなっている。
ブレーキシステムは全電気指令式の回生/発電併用ブレーキ。回生失効時には即座に発電ブレーキに切り替えられる。基礎ブレーキ装置は油圧式キャリパを用いた車輪ディスクブレーキとなっている。
起動加速度は2.5km/h/sと通勤型電車並に設定され、また定格速度は約150km/hと非常に高く設定されている。最高運転速度は160km/h、設計最高速度は245km/hと新幹線電車並となっている。
減速度は常用4.6・非常5.4。
保安装置は東武ATS及び東武ATC。
現在では6連の日光線系統用が日光線特急「きぬ」「けごん」の運用に、そして10連の東上線系統用が池袋-新潟間の特急「上越」の運用に投入されている。
222:名無し野電車区
10/11/29 03:44:51 Q749WB7l0
JR東海&九州寝台新幹線N700系18000番台
構想倒れになっていた寝台新幹線が201X年に東京~鹿児島中央に
登場した。ベース車両はJR九州8連仕様のN700系8000番台。通常は
8連1本だが、繁忙期には2編成を連結した16連で運行。ただ繁忙期
にあっても博多では1編成が切り離され、九州新幹線内は1編成8両
のみで鹿児島中央まで走る。当初から寝台新幹線に懐疑的なJR東海
の意向をJR九州が押し切る形で実現したもので、万一営業的に失敗
した事も想定して車両を通常の8000番台に戻せる様、窓や扉の切り
抜き位置や大きさは8000番台と同一。窓や扉として使わない箇所は
ボディ同色板で埋めて使用する工夫も。しかし、JR九州が寝台設備
におごった快適性と静粛性、軽量性の技術は秀逸で、後述の深夜帯
減速運転も手伝い、劇的な安眠環境を実現した。
ダイヤも東京21時過ぎに発車し、新富士と掛川と三河安城を除く
かつてのこだま停車駅に停車した後、山陽区間は保線への配慮で
単線運転。更に24時-翌朝6時まで最速120km/h(一部トンネル区間
は170km/h)減速運転とした。小倉を明朝6時前に到着、博多から
九州新幹線へ乗入れ、終着駅の鹿児島中央へは朝8時過ぎに着く
航空便の空白時間帯を見事にカバーするダイヤを実現。かつ通常
の新幹線料金プラス僅か\3150と言う格安料金設定が当たり平均
乗車率70%を達成、文字通り寝台列車の起死回生打となった。
223:名無し野電車区
10/11/29 21:51:27 TjSQHgO40
HB-E400系
JR東日本は地方線区の駅舎リニューアル工事や設備更新工事などにおいて、
作業を効率化、迅速化し、コスト削減を図ることとした。
これにあたり、搬入~作業~撤収を円滑に進めるための専用車両が導入された。
HB-E401-0
運転台付き動力車。HB-E300系で屋根上にあった機器は運転台後ろに設けた機器室に搭載している。
後位側には作業員控室及びトイレが設けられている。
また作業時の安全確保のため、後位側屋根上に架線接地用パンタグラフを搭載している。
HB-E402-0
基本構造はHB-E401と同じで、後位側は資材積載スペースになっている。
HB-E400-0
中間動力車。機器室のほかは資材積載スペース。
トラック搭載クレーン(いわゆるユニック)や投光器が設けられている。
必要に応じて複数両連結される。
224:名無し野電車区
10/11/30 01:10:24 rMqNIII90
ユニットステーション
かつてのカプセル駅の再来。
設置やメンテを考慮し、在来線でも建材輸送できる様になっているのが特徴。
またトイレもバリアフリーでウォシュレットを利用できる、非接触IC対応の券売機・改札機を設置できるなど現代のサービスに対応している。
田舎の駅の改築を想定して開発されたが、住宅として購入・利用するファンもいる。
225:名無し野電車区
10/11/30 20:31:57 nCj7CmTn0
50系52形
50系客車の暖地仕様。主に九州に配置された。
乗降の便を考慮して、両開き扉を片側2か所に配置した。
民営化の際にも全車が生き残っていたが、新型電車・気動車の投入により
運用を退いていった。
226:anorak?
10/12/01 22:16:18 USaUyHOt0
>>214に
◎国鉄ED81形交直流電気機関車 50系4000番台客車
登場年1985-86 本四淡路線 プッシュプル オクハ50
○1970年代、本四架橋の神戸・鳴門ルートに沿って本四淡路線が着工されたが、
明石海峡は技術的・政治的理由で道路・鉄道併用橋から鉄道は海底トンネルへと計画が変更。
このトンネルの経路は、海峡の海底渓谷を避ける為、明石海峡大橋との近傍並行ではなく、大阪湾側須磨浦。
本四淡路線は、経路は駅名で山陽本線鷹取~須磨名谷~淡路夢舞台~洲本~福良~鳴門線鳴門、
明石と鳴門の渡海区間が青函と同様に四国新幹線との共用となる計画上、鷹取以外は、
鳴門線と高徳線徳島・池谷間も含め全線交流電化(20kV60Hz)。
破綻下の国鉄の計画では、鷹取~徳島間直通ローカル旅客列車は、高価な交直流電車の新造ではなく、
余剰車利用の電機牽引客車で、
機回し省力目的に運転台付き客車での遠隔操作による後方電機の推進運転も、
脱線リスク回避の為EC211のTc'TTM'Mcの様に客車三両編成以下限定で、多客期以外に実施。
それ用にと、ED76-0改造のED81と、PC50-0改造のPC50-4000が登場。
国鉄標準の交直流電気車では抵抗制御の直流車が土台なので交流専用車で得られる高い粘着性能などの
交流電化の各利点は享受出来ず、
そこで、ED81は交流用と直流用の制御装置を両方搭載して交流と直流で制御を切替える事に。
それは、種車の制御装置のED79-0と同様の更新でかつ客車暖房用SGからEGへの換装で生じた空きに、
直流電化の駅・操車場構内での低速走行用に最低限な抵抗制御等の装置を搭載。
故に交流と直流では出力と最高速度は異なり、直流下は本線走行不可、EF30と逆。
連続勾配の海底トンネル用に交流回生ブレーキ搭載、
推進運転用客車と定常連結する運転台側のみに非常用貫通扉と遠隔制御用ジャンパ。
PC50-4000は、電暖、冷房、循環式便所、推進運転制御引き通し線などの改造、
制御車オクハ50はオハフの業務室側を運転台に。
86年に本四淡路線が鳴門~淡路大磯間で暫定開業し、ED81+オハ50-4000*2+オクハ50-4000の編成で就役。
87年同路線と同車両らはJR四国に承継。
88年全線開業、同車両らの運用は鷹取まで拡大、同機は貨物も牽引。
2001年から電車に徐々に置換されて08年に完了、波動と貨物用分を除き大半が廃車となった。
227:名無し野電車区
10/12/02 20:29:23 GjLT+dc10
キハ82系JR東日本仕様
JR東日本に承継されたキハ82系。
JR東日本では1988年以降DMH17H形エンジンを一掃するべく機関更新を実施していたが、キハ82の場合発電エンジンも同時に換装されてDMF13HS-Gとなった(これにより5両給電に変更された)。
またブレーキも強化されており、最高速度が110km/hに向上している。
盛岡に配置され、特急「陸中」「よねしろ」や団体臨時列車などで活躍していた。
機関換装と同時に車両更新工事を施工していたことから他社のキハ82オリジナル車が廃車になっても暫く生き残り、最後は特急「秋田リレー号」で活躍し、1998年に全車廃車された。
228:名無し野電車区
10/12/03 12:51:03 1sERxdO+0
R東日本 オハフ・オハ・オクハ51形1000・2000番台
動態保存的に維持されている旧型客車の稼働率を下げて将来にわたって温存すべく、
それを補う意味で作られた「なんちゃって旧型客車」。
JR北海道が学園都市線電化で余剰となったキハ140系列を譲り受けて、客車に復元したものである。
道内仕様で窓が狭くて旧客を髣髴させるところがあり、
かつ酷寒に耐えるよう頑丈なつくりであったことが決め手となった。
かつての50系5000番台の一部ばりに、単純にそのままオールボックスシートに変更したもの
(1000番台、塗装は青15号)と、
飾りのシルヘッダーを貼り付け、室内も難燃木材を使用して、かつての半鋼製車を模したもの
(2000番台、塗装はぶどう色2号)に大別される。
なお、両者共通仕様として、
床置きクーラーの設置(運用によっては、雰囲気のため作動させない場合もある)。
エンジン・台車はJR北海道がキハ40系などの更新で使用したため、211系サハの廃車で余剰となった台車に変更
運用効率化のため、一部はDC時代に設置された運転台を逆行運転ができるよう残存
などとなっている。
229:名無し野電車区
10/12/03 22:49:01 iG0mQY400
キハ141・142形500番台
JR北海道でオハ50を改造して作ったPDC。
種車の違いからドア位置が異なる。
キハ33とは異なり車端部を切断し運転台ブロックを接合するという工法を用いたため前位寄りのドア位置が左右対称で、乗務員室とデッキを有する。
客室が長い分座席定員が若干多い。
キハ141はトイレを後付けしている。
キハ143形0・50番台
こちらはオハ50をキハ143に改造したもの。
内装は上記のキハ141・142形500番台とほぼ同じである。
230:名無し野電車区
10/12/04 01:03:32 GvF5/OB/0
キハ181系1000番代
キハ181の電気式バージョン。
モーターなどは485系のものを利用している。
国鉄の電化が遅れた四国では本車両を電車と呼ぶことがあり、特に某県では史上鉄輪鉄軌条の「電車」は本車両のみである。
231:名無し野電車区
10/12/04 09:03:29 LdC50JR50
武州高速鉄道 2000系
従来、京浜東北線王子駅に乗り入れていた武州鉄道が、営団地下鉄南北線への乗り入れに
伴い社名変更のうえ直通するために投入された新型車両
営団を通して東急目黒線まで乗り入れる
標準的な4ドア通勤型でATO運転対応となっているほか、車体には「BR」マークがつく
232:名無し野電車区
10/12/04 09:41:57 DmsI6nZq0
東武50030系
東武50000系シリーズの日比谷線直通向け車両。
従来の車両と同じく18m3扉の規格となっている。
車体・車内などは50000系シリーズにあわせた仕様となっている。
車内には、東武鉄道初となる、LCD車内案内装置を搭載している。
2011年度末までに8両編成13本(104両)を日立製作所で製造予定。
このうち、50031F・50032Fは編成の前後2両を5扉車とする。
これにより20000系は全車廃車となり、200050・20070系は9000系・10000系と同様に更新工事を行う。
233:名無し野電車区
10/12/04 14:49:04 K7gj5g3G0
>>229
訂正
乗務員室→乗務員室扉
追記
ドア位置が車端部に寄ってしまっており札沼線のラッシュ輸送には若干不向きで、座席数が多い事から近年は波動輸送用に使われる事が多い。
234:名無し野電車区
10/12/04 22:17:52 DS0Meuva0
東武鉄道 8000系 新車体修繕工事車
○野田線悲喜こもごも
老朽化した8000系の置き換えが急務になっていた東武鉄道。
50000系列の大量投入と、その玉突き転配で本線系統は何とかなったものの、問題は伊勢崎・日光線系統や東上本線から追われた8000系の巣窟、東武野田線であった。
順当に考えれば10000系列が入線しても良さそうな野田線だが、実は回生制動による電力負荷の変化に変電所が対応しておらず、10000系以降の車両の入線が不可能という致命的な問題を抱えていた。
初期車登場から50年、初期の修繕工事からは約20年を過ぎた8000系の車内は、一部を除いて陳腐どころかただのオンボロと化していた。
そこで東武鉄道は、新系列の投入による置換えが不可能な野田線の8000系に、9000系や10000系リニューアル車と同等の新車体修繕工事を施工し、ソフト面での改善を図ることとした。
外見上は、前照灯が全車HIDに統一された他、行先表示器も、前面の種別表示幕を除きフルカラーLED化された。また、田の字型の2段式側窓をJR西日本N40施工車のそれと同等の窓サッシに交換している。
内装は50000系列をベースに、冷房装置交換、内壁・床の張替、座席クッションの更新、荷棚パイプ化や、ドア上LED案内表示器の設置、車椅子スペース新設(一部)など、徹底的な更新が実施された。
「後30年は使える」。新車体修繕工事を受けた新生8000系を見た東武関係者はそう豪語したという。
画して誕生した8000系新修繕工事施工車は、見た目はともかく内装はほぼ新車と同等であり、一般の野田線利用客にさえ大きな衝撃を与えた。
ただし、制御装置は当然従来と同じものの為、駅停車後にツンとくるレジンの香りは相変わらずである。
一方、(別の方向で)衝撃を受けた鉄道趣味界隈では、JR西日本の「体質改善N40」に因み、「体質改善N80車」と呼んでいるとかいないとか。
235:名無し野電車区
10/12/05 10:57:41 oEyKcSZyO
JR九州511系
北九州周辺及び関門間の輸送改善を目的に投入された車両。
・・・早い話が811系の交直両用版である。内装は100番台に準じたオールクロスシート。
交流区間(=九州管内)では、811系、813系、815系、817系との併結も可能。
主に下関~荒尾を結ぶ快速を中心に使用中。
236:名無し野電車区
10/12/05 23:48:14 g7/HUt1e0
京急1800形→300形
大東急時代に導入された京急版63形。
番号は当初小田急と通しで、山陽のものと同様に台車が標準軌になっている他は小田急のものと同じである。
同車導入のため線路規格を大幅に改良する必要があったため、運用区間が当初限定されていた。
後に全車両電動車になり、車体更新で正面はデハ400類似のデザインになった。
最後は空港線に集められ、1977年廃車。部品取り用に秩父鉄道が数量購入した。
237:名無し野電車区
10/12/06 03:57:36 784nFFoy0
国鉄 キハ63系
昭和22年、戦後の車輛不足のため鉄道輸送は混乱を極めていた。
また、石炭不足のため蒸気機関車牽引による列車が軒並み運休の憂き目にもあっていた。
そのため、国鉄では地方都市部の近郊列車を気動車化し、長距離列車用に客車をねん出する方策を
実施することとした。
首都圏では、モハ63系を投入していたため、同じ車体を利用しRTOから供与された戦車用のディーゼルエンジンを
搭載した標準型気動車を作成したのが、この形式である。
キハ62:運転台なしの中間気動車
キハ63:片運転台つきの気動車
キサハ62:エンジンなしの中間気動車
札幌、仙台、新潟、名古屋、福岡地区に投入され、無煙化されたため乗客からは比較的好評をもって迎えられたが
やはりシャーマンのエンジンを2台積んでいるとはいえ、馬力不足は否めず、戦後の混乱も収まってきた昭和20年代
後半からは敬遠されはじめ、特に札幌・仙台・新潟地区では4ドアデッキなしで冬の寒さから乗客からは不評を買い始めたため
昭和30年には名古屋・福岡地区へ集中配置されたが、同地区でも新型10系気動車の投入により余剰となり、最終的には
千葉地区へ、エンジンをDMH17系へ換装のうえ、転配されることとなった。
千葉地区ではその後、総括制御装置の取り付け改造、先頭車の貫通ドア化などにより、10系20系気動車との併結を
行うなど積極的に利用され、昭和56年まで久留里線で最後のキハ63が5両運用されていた。
大宮の鉄道博物館に、ぶどう色に戻されたキハ63-25が展示されているのはこのスレの諸氏には周知のことであろう。