11/10/22 22:03:43.03 itYVL6UF
>>435
www
>その原理を、心的現象に対して「準用」しているだけ
ならば、竜樹は「心的現象」の存在を認め、且つ、「そこにも縁起がある」(この言い回しの是非は措くとして)、
としているのじゃないかい?w
でなければ「準用」の意味がないwww
どうも勘違いをなさっているようですが、(今上がった語句を用いれば)、
「心的現象」が、石や山やリンゴや鈴木さん、のように存在すると言っている者は誰も居ないんですよ。
別の事象だということは皆さん百も承知なのです。
また、心的現象が手品の如く「物質現象」を生み出し得るなんて言ってる人も(少なくともここには)居ないのです。
世の中には、新興宗教系、心霊系オカルト系として大勢いらっしゃるかもしれませんが・・w
いずれにしろ、別の事象ではあるけれども「存在している」という前提で世界観を構築するわけです。
そうでなければ、(貴方も讃した)“内観”だって成立しませんw
夏休みの宿題で読書感想文を書かされた経験はありませんか?
作者の意図は、どのような存在形式でしょう?
これを、生命維持に関係ないからと排除していていは社会は(というより人間関係が)成り立ちません。
人は、そうした『無形な部分、非物質的な部分』での遣り取りで、関係性を保つからです。
(別に贈り物を用いても構いませんがw、それも、【無形な部分を物品で表現して、伝えようとしている】わけです。)
ああ、論語にもあったでしょうか・・?
ちょっとマイナー気味な禅語を挙げておきましょう。(以前も一回書いたかな?)
礼は玉帛に非ざれば表れず、楽は鐘鼓に非ざれば伝わらず。
まさに貴方の主張と相似形ですが、決して
【礼など無い!妄想だ!】【楽など無い!妄想だ!】という一句でないことは明らかですよね?w