11/09/21 01:48:26.42 G703Hmct
「大本経」梵天はブラフマンの漢訳ですから同じ意味でヒンズー教のブラフマンは創造神の
ようですが、長部経典では複数の梵天や大梵天が登場します。正に多神ですね。
長部経典の「三明経」ある異教者が釈尊に「死後の存続」を質問した際に、釈尊は「黙して答えません。」言われました。
所謂、無記です。また別の経典では「非我」を説かれましたので、「アートマン」、「魂」は無いと主張する仏教徒が結構
多いです。
つまり、輪廻は信じるけれど魂は認めないという、組み手から見たら不可解な話です。この原因は釈尊の対機説法にあり、
異教や修行途上者と、高弟達とでは異なる説き方をしておられたからのようです。
原始仏教の多くの経典に、肉体を去る意識、また母胎に宿る意識に関する説法がありますので、釈尊は輪廻を説かれております。
般若経の解説書「大智度論」四巻)卒天、人に化け易い神様が預言者としてこの世に誕生されたことはみ教えにもございました。
多分、普通のレベルの魂が再生する場合「と卒天」を経由しないと存じます。
本日(昨日かも)は上野の道場でみ光を沢山いただきましたので、目がさえております。合掌