11/08/31 20:52:53.85 fixKWi9d
>>593 観念によって考えればどこまでも無限遡及に陥るじゃろう。
それは記憶の対象となる見る行為に、言葉とイメージを投射しているからなのじゃ。
記憶を見るのと、実際に今そこにあるものを観る事、観察する事は違うのじゃ。
それが記憶であると知らずに見れば、誤って認識している事になる。
記憶をその過程を含めて全体を観察すれば、それはもはや自己同一性を無くすのじゃ。
そしてそれが己ではなく、己でもないと気づき、記憶による認識をも滅すれば、もはや観る事すらも無くなるのじゃ。
それを観るものは無い。
観るという事すらない。
対象も無く、観る対象も観る事も無い時、その主体も無いのじゃ。
そしてそれこそが本来の観る事なのじゃ。
対象も行為も無く主体も無く、記憶に依存した認識も無い時、無限に遡及する事もまた無くなるのじゃ。
>>598 おぬしには負けるがのう。わっはっはっは。
>>604 好きなように考えていいのじゃ。
そしてそれに囚われない事が肝心じゃ。
賢者は一つの意見に囚われず、常に臨機応変なのじゃ。