【聖イッサ伝】イエスは仏教徒だった!at PSY
【聖イッサ伝】イエスは仏教徒だった! - 暇つぶし2ch229:神も仏も名無しさん
11/07/06 10:55:52.18 dg9lwwHp
「ロゴス(言)を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、神の子となる力を与えたのである」

とヨハネ福音書にあります。
この「ロゴス(言)」をイエスないしはイエスの言葉のことだと解釈している方が多いと思います。
しかし、これは些か無理があると思います。
「はじめに言ありき」
という部分と論理的に矛盾するからです。
この「ロゴス(言)」はあらゆる物に先んじて存在した、という事ですから、言ってみれば

「宇宙の根本原理」

のようなものであると解釈する方が論理的に筋が通ります。

230:神も仏も名無しさん
11/07/06 11:06:48.61 dg9lwwHp
「ロゴス(言)」をイエスないしはイエスの言葉と解釈すると、
イエスを信仰した者だけが“神の子”となる資格を与えられる、という意味になり、
なんとも他力本願な印象となります。

しかし「ロゴス(言)」を「宇宙の根本原理(仏教でいう“法”)」と解釈すると、どうでしょうか?
これを受け入れるという事は則ち、悟りを開くという事とほぼ同義となります。
一転して自力本願的な印象となる訳です。

231:神も仏も名無しさん
11/07/06 11:13:38.60 bm4Ub857
他宗教からネタを集めて新宗教を作り、挙げ句
真理は我らだけにあるとは、何と愚かな宗教なのだろうw

宗教は根底では一つに繋がっていますな。各教でバラバラの枝葉はどうでもいいことで

232:神も仏も名無しさん
11/07/06 11:39:40.91 dg9lwwHp
ヨハネ福音書の記述通り「ロゴス(言)」があらゆる物に先んじて存在したとすると、
「神」とは「ロゴス(言)」が形象化・擬人化されたものと考える事ができるだろう。

これは則ち、
ブラフマンとブラフマー
(ないしは法と大日如来)
の関係にそっくりそのまま相当すると考えられる。

233:神も仏も名無しさん
11/07/06 12:08:56.31 KBf3G5xX
このスレは面白いね。
博学な人たちも多くてためになる。
地味に長く続いて欲しいものだ。

234:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/06 22:51:05.52 ehCl+lF5
人格神に信仰深いとされる人は、ほとんどいない。五欲の対象も所有物もない世界で、喜びに満ちているから。人間に愛情深い神は存在せず、離欲を求められる。

―思考の及ばない静かな境地は―(感興のことば)
―この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった―(コリント)

―悪魔の征服者~煩悩の潜在的な可能力を断って、みずから彼岸に渡り終わり~善悪の両者に汚されません―(ブッダのことば)
―へびは女に言った~神のように善悪を知る者となることを―(創世記)

―草や木にも種類の区別あることを知れ~小さなものでも、大きなものでも、四足獣でも~腹を足としていて背の長いはうもの~水の中に生まれ水に棲む魚ども~翼を乗物として虚空を飛ぶ鳥どもにも、
種類の区別あることを知れ―(ブッダのことば)
―地は青草と~種類にしたがって~海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された~地は生き物を種類に
したがっていだせ、家畜と、這うものとを―(創世記)
―究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達して~いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも~一切の生きとし生けるものは、幸せであれ―
 (ブッダのことば)


235:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/06 22:52:38.63 ehCl+lF5
―何ものかを信ずることなく、作られざるものを知り、生死の絆を断ち、善悪をなすによしくなく、欲求を捨て去った人、かれこそ実に最上の人である。村でも、林にせよ、低地にせよ、平地にせよ、聖
者の住む土地は楽しい、人のいない林は楽しい。世人の楽しまないところにおいて、愛著なき人々は楽しむであろう―(真理のことば)

 作られざる存在と共に在り、作られざる状態・清浄な状態であるなら、死もなく世と自己との苦悩から解き放たれて、神通力の領域・山をも動かす力に達し、悪を厭い・悪から離れ、平安の境地・無
 量の慈しみに達している。

  ―不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである―(ローマ)

 信じる信じないに関係なく、人の思考に従わずとも、快楽やあくせくした営みから離れて、神が創造された大自然の静かな場所で安らぎを楽しむことは、作られざる清浄な状態・不朽の神とともに在る。
 安らぎを楽しめ、つくられざる状態を喜べるようにしたのが、神の愛。

善悪の判断力ある人間・思考・意向・悪いこともしでかすかもしれない人間(その状態で神を信じる罪人)
 ―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)
 金が欲しい、物が欲しい、快楽を得たい、―「おれがいるのだ」という慢心―他者(神)悪いことをしでかすかもしれない人間にされ、働くことも可能な人間にした(人間の状態は全て他者によるもの)
 が、人々の貪欲のためにあくせく仕えることも、地の奴隷・悪魔の子として神の愛から離れる知識。


236:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/06 22:55:18.49 ehCl+lF5
平安の境地に従い、生ける者の幸福と安穏・安楽な暮らしのため、清浄領域から離れ、働けるような人間にしたが、神の右の世界の者からすれば、人々の貪欲のためにあくせくする人々の世は「狂った世」
であると。人々の富への貪り、自由きままな肉の欲や目の欲、持ち物の誇りにあくせくし仕えることは、働くことも可能にした神にとっても、喜ばれるどころか、地の奴隷・悪魔の子として批判される。

 ―神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである―(エペソ)

 天にあるものは、快楽や肉の欲・目の欲・持ち物の誇りなど喜ぶに足りない素晴らしい清浄な喜びで、神通力・山をも動かす力が真実となる。地では必要なもののために愚かになり労働する人間の姿。
 人々の安穏・安楽・快適な暮らしのために苦労し努力し働くことで救われるが、貪りのためにあくせくして悩み苦しみを生み出す世は、天にもなく、地にもないようにするのが世の救い。

      ―世間は妄執によって導かれる~妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(仏)―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(聖)

   つくられざる状態・清浄な状態をよしとして受け入れ、他者(神)よりつくられた状態を清める。肉だけの思いは決して清浄でないし、偶像を抱いて信じ、私と神とできる心の状態は、不浄にな
   ってからだ。わたしたちの父は悪をもしでかすかもしれない人間にしたので、聖霊に満ち荒野の聖霊により清める・森に住み心静まり(仏教)をよしとして心の清浄に努められる人間にもした。

 快楽を貪ったり、酒を飲んだり、世の貪欲なことに悩んでいる人々より―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちもよく起き上がった―信じなくとも、そういった人のほうが健康的
 だと思うような人間にした。

237:神も仏も名無しさん
11/07/07 12:24:41.00 QRdm8Zfw
まだ肝心の聖イッサ伝についてあまり書いていなかったので、要点を抜き書きしてみたいと思う。

238:神も仏も名無しさん
11/07/07 13:22:48.95 QRdm8Zfw
イエスは13歳の時に仏陀の法を学ぶために商人とともにインドへ出発した。
14歳の時にはインドに到着、彼の噂は北インドに広がった。
ラージプータナを過ぎた時、ジャイナ教信者は自分らの間に留まるよう懇願したが、
イエスは彼らの誤った信仰を捨てジャガナートへ行った。
そこにはクリシュナの遺骸が安置されており、バラモン達がイエスを歓迎した。
(続く)

239:神も仏も名無しさん
11/07/07 19:46:02.17 rRByn/e7
本当かな?

240:神も仏も名無しさん
11/07/08 10:33:08.05 h64wH8aL
バラモン達はイエスにヴェーダ、聖典、病気治療、悪霊払いの方法を教えた。
イエスは6年間をジャガナート、ラージャグリハ、ベナレス、その他の聖地で過ごした。
イエスはヴァイシャシュードラと暮らし聖典を講じたので、誰もがイエスを愛した。
しかしバラモンとクシャトリアはイエスに彼らに近付かぬよう告げた。
彼らは神に定められた生涯賎しい存在なのだと。
そして神に従わぬならイエスに天罰が下るであろうと恫喝した。
(続く)

241:神も仏も名無しさん
11/07/08 17:03:53.94 uijzlI6z
ブッダとキリストは一つなり。

242:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/09 00:19:04.59 2vxdQ6s5
―思考の及ばない静かな境地は―(感興のことば)
―この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった―(コリント)

―われらは一物をも所有していない~光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
―上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである~地上のものに心を引かれてはならない―(コロサイ)

 神の右の存在、釈尊・イエスと神に信仰深い者の行いは一つである。

―イエスは聖霊に満ちて~荒野― 一日の苦労は、その日一日だけで十分―    ―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは~未来のことにあくせくすることもなく―(仏)
―何を食べようか~何を着ようかと言って思いわずらうな―(聖)        ―何を食べようか~憂いに導く思慮を抑制せよ―(仏)

―あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ~その乏しい中から、持っている生活費全部を入れた―(聖)
   ―乏しき中からわかち与える人は、法を実践することになるであろう。千の供儀をなす人々の百千の供儀も、そのような行いをなす人の功徳の百分の一にも値しない―(仏)


243:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/09 00:20:23.96 2vxdQ6s5
―罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり―(仏)
―悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい―(聖)

―足ることを知り、わずかの食物で暮らし、雑務少なく、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく―(仏)
―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(聖)

     ―全世界は悪しき者の配下―(聖)―世間は妄執によって導かれる~妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(仏)

 神は、神が創造された大自然に満足し、足ることを知らぬ人間となったので、全世界を悪しき者の配下・世間のものたち全てを妄執に従属させた。足らないでいるものども全てを悪いことをしでかすかもしれない存在にしたの
 である。
 ―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(聖)―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは~未来のことにあくせくすることもなく―(仏)
  
  足らないであくせくする人々は神の愛の内になく、自ら森や林の中で楽しむことを常にしなくとも、無一物で、森に住み心静まり清浄行をよしと認めない人々は、仏教者ではない。

244:神も仏も名無しさん
11/07/09 09:15:53.87 lvPJI3nV
>>243
思慮さんのカキコいつもスルーしてるんですけど(笑)、これ凄いですね。

245:神も仏も名無しさん
11/07/10 11:46:25.74 DumTj1EN
【聖イッサ伝要旨①】
イエスは13歳の時に仏陀の法を学ぶために商人とともにインドへ出発した。
14歳の時にはインドに到着、不思議な少年の噂は北インドに広がった。
ラージプータナを過ぎた時、ジャイナ教信者はイエスに自分らの間に留まるよう懇願した。
しかしイエスは彼らの誤った信仰を捨てジャガナートへ向かう。
そこにはクリシュナの遺骸が安置されており、バラモン達がイエスを歓迎した。
バラモン達はイエスにヴェーダ、聖典、病気治療、悪霊払いの方法を教えた。
イエスは6年間の歳月をジャガナート、ラージャグリハ、ベナレス、その他の聖地で過ごす。
イエスはヴァイシャ、シュードラと暮らし彼らに聖典を講じたので、誰もが彼を愛した。
しかしバラモンとクシャトリアは、イエスに彼らに近付かぬよう告げた。
彼らは神に定められた生涯賎しい存在なのだと。
そして神に従わぬならイエスに天罰が下るであろうと恫喝した。
(続く)

246:神も仏も名無しさん
11/07/10 11:49:18.52 NjQz0o70
こういう世論誘導をしたがるやつの目的は何だろう
 

247:神も仏も名無しさん
11/07/10 12:03:25.90 DumTj1EN
【聖イッサ伝要旨②】
イエスはバラモンやクシャトリアに逆らい、シュードラのもとに赴き道を説いた。
イエスは同じ人間から権利を奪う卑劣な行為を罵った。
万人が神に愛され、神のもとに平等なのだと。
イエスはヴェーダやプラーナが神から発したものだとする考えを否定した。
更にブラフマンがヴィシヌやシヴァに化身するというバラモンの三神一体論をも否定、
神は唯一にして不可分であると説いた。

(※この部分から、イエスの説く神が宇宙の根本原理たるブラフマンであることが推察される。)

248:神も仏も名無しさん
11/07/10 12:27:24.32 DumTj1EN
【聖イッサ伝要旨③】
イエスは全宇宙の魂たる唯一神という原理が全てを創造したと説いた。
また、バラモンやクシャトリアの権威とシュードラやヴァイシャへの差別を明確に否定。
シュードラとヴァイシャはイエスの言葉に感激して聞き入った。
イエスは偶像崇拝、ヴェーダの権威をも否定、彼らに隣人愛、不偸盗等を説いた。

しかしバラモンとクシャトリアは、イエスの説法の内容を知り彼を生かしてはおけないと考えた。
(続く)

249:神も仏も名無しさん
11/07/10 16:05:00.38 DumTj1EN
※ただ、ヨハネ福音書の
「初めにロゴス(言)ありき」
という部分がヴェーダの出だしにある
「初めに言葉があった」
という部分と全く同じ意味内容なので、イエスがヴェーダを完全否定していたとは考えられない。


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