【聖イッサ伝】イエスは仏教徒だった!at PSY
【聖イッサ伝】イエスは仏教徒だった! - 暇つぶし2ch2:神も仏も名無しさん
11/06/17 20:45:10.06 T6vGql+z
仏教的な話が聖書に多く登場しているのはそのせいか

3:神も仏も名無しさん
11/06/17 21:07:27.12 YF36eXvP
老子が釈迦になって、そののちイエスになったことは、近所では有名な話。

4:神も仏も名無しさん
11/06/17 21:51:53.36 Igc0Dchy

イエス=仏教徒説は、チベットのヒスミ寺に一連のイエスの足跡を印した古文書が残されており、
ロシア人ジャーナリストのニコラス・ノートヴィッチが写本を公表して一般に知られるようになった。

それによると、イエスは13歳の時に隊商に混じってインドに渡り仏教を学んだという。
イエスはインドでは“聖イッサ”と尊称されていたらしい。

そのあたりの話は「イエスの失われた17年」(立風書房)
に詳しい。
残念ながら絶版だが、“聖イッサ”でググれば関連サイトが色々ヒットすると思う。



5:さんちゅ ◆PyuQX798ps
11/06/17 21:57:53.69 fqFv6CbU
Feelin' good~♪

6:神も仏も名無しさん
11/06/17 22:05:04.16 Igc0Dchy
>>2
その通り。

7:神も仏も名無しさん
11/06/17 23:01:13.02 YF36eXvP
老子の修行法、独り庵にこもって内側を見る。
釈迦の修行法、独り森にこもって内側を見る。
キリストの修行法、独り砂漠にこもって内側を見る。
ニートの修行法、独り家にこもってアニメを観じる。

なんてことだ、みんな仏教徒だったーーなんてーー!



8:神も仏も名無しさん
11/06/17 23:51:00.26 hOPHfAnL
あー なーんだ

9:神も仏も名無しさん
11/06/18 06:56:32.82 A5LVT5/b
仏教にも色々な分派があるが、イエスがインドで修行したのは密教の系統ではないかと思う
即ち、キリスト教の神はユダヤ教のエホバではなく、大日如来のことではないかと
「アーメン」という聖句もユダヤ教由来というより、密教の「オン」が由来なのではないかと思う

また、キリスト教でいう「愛」の概念はユダヤ教のそれより、仏教の「慈悲」の概念に近い

10:神も仏も名無しさん
11/06/18 08:35:10.27 oIOOWpXI
>>9
イエスはチベットにもいったという説があるよね

11:神も仏も名無しさん
11/06/18 09:36:35.66 R7yY3hFY
謎の17年は大工修行ではなくインドで修行してたのが既成事実ですか

12:神も仏も名無しさん
11/06/18 09:44:31.46 R7yY3hFY
そういえば神が遣わしたメシアなのであれば、若き日に教育として遠方の修行へ
導かれるのは当然というわけですね

13:神も仏も名無しさん
11/06/18 09:47:44.85 vv3tgTqK
中根キクの「キリストは日本で死んでいる」思い出したw。
キリストもモーセもマホメットも日本で修行したって設定になっていますけどw。

14:神も仏も名無しさん
11/06/18 09:49:14.83 AyGbNC25
おしむらくは、記録マニアの仏教徒たちが
一言もイエスに関する記述を書き残していないことですね。
たぶん、インド人もびっくりです。本当に自作自演ばかりですね。

15:神も仏も名無しさん
11/06/18 10:02:04.99 e1RFPmLk
記録マニアって仏典が書かれたのは釈迦が亡くなってから何百年も後だが?

16:神も仏も名無しさん
11/06/18 10:03:11.26 vv3tgTqK
キリストも釈迦の教えを学んでいたとは思う。諸行無常とかね。執着を否定する生き方も仏教からかも。

17:神も仏も名無しさん
11/06/18 10:12:42.34 AyGbNC25
仏教は、ブッタを脈々と生み出すことが大事であって、仏典そのものが要らないんだよ。

しかも、キリストが仏教を習って、覚醒したのであれば、それは失敗なんだよw

18:神も仏も名無しさん
11/06/18 10:31:50.67 R7yY3hFY
キリストの話していたアラム語はガンダーラ地域、現在のパキスタンやインドにも
残っているくらいだから自然ですね

19:神も仏も名無しさん
11/06/18 10:44:05.73 AyGbNC25
無我で坊主頭のキリストなんて創造主に説教しだすぞw

20:神も仏も名無しさん
11/06/18 10:50:53.95 R7yY3hFY
アラム文字→パフレヴィー文字→インドに入ってカロシュティー文字 プラフミー文字(梵字)

プラフミー文字→現在インドやスリランカで使われているヒンディ文字やチベット文字、
ビルマ文字、タイ文字

アラビア文字は、アラム文字が少し変化したもの

21:神も仏も名無しさん
11/06/18 11:04:59.37 keGS0BVB
『イエスは仏教徒だった?』 同朋舎 1999.  こういう本もあるね。

こちらも絶版だが、図書館などにあるかもしれない。

22:神も仏も名無しさん
11/06/18 12:00:40.04 WTuEEIq7
以前層化の人間に自慢げに言われたことがあった。
仮にイエスが仏教を学んだのが事実として、
坊さんにならなかったのは仏教に限界を見たからだろと言ったら
答えに窮していた。


23:神も仏も名無しさん
11/06/18 12:12:08.46 keGS0BVB
坊さんになることが仏教徒のゴールではないからな。

24:神も仏も名無しさん
11/06/18 12:23:24.45 WTuEEIq7
イエスが「仏様~」って言ってるかw

25:神も仏も名無しさん
11/06/18 12:55:00.69 A5LVT5/b
>>22
イエスは坊さんではなかったという証拠でも?

26:神も仏も名無しさん
11/06/18 15:01:34.79 A5LVT5/b
イエスは青年時代にエジプトで修行をしていたというのがバチカンの見解だったかな
でも、もしそんな近くに滞在していたなら新約聖書に全く記録が残されていないのも不自然だし、
あれだけの宗教的天才なら、エジプトにも何らかの伝承が残っていてしかるべきだろう

やはりインドとかチベットとか、かなり遠方に出向いていたと考えるのが自然だと思う
実際ヒスミ寺の古文書以外にも、インド各地にイエス来訪を示唆する痕跡が複数残っているようだし

27:神も仏も名無しさん
11/06/18 18:54:29.21 AyGbNC25
いま現在でもそうだけど、
誰も知らないなぞのお経というものは、大金になる。
だから神秘家を相手にした詐欺集団がどこにでもいるんだよ。

密かに釈迦が残したナニナニとか、
青年イエスがベットの下に密かに残したエロ本とか
常時、わんさかと出てくるわけだ。

ナチがシャンバラ詐欺にあって、国を滅ぼしただろう?
それぐらい匠な詐欺なんだよ。

28:神も仏も名無しさん
11/06/18 21:04:34.14 A5LVT5/b
イエスが布教していた教義の本質が仏教だったとしたら、
伝統的なユダヤ教を信奉する者達と相容れなかったのも当然だな

29:神も仏も名無しさん
11/06/18 21:15:11.00 A5LVT5/b
>>21
その本、図書館で読んだことあるよ
付録のページでキリスト教関係者が必死にイエス=仏教徒説を否定しようとしてて笑ったw
しかし彼らもイエスが仏教に触れていた可能性は認めざるを得ないようだった

当時既に中東地域にも仏教が伝わっていた事は歴史学的にも確認されてるからね

30:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 00:04:39.23 N3CLINbs
―森に住み、心静まり~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗~未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)

―彼岸に到着している~神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ―悪魔の征服者です~みずから彼岸に渡りおわり~あなたは善悪の両者に汚されません―(ブッダのことば)
―へびは女に言った~神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです―(創世記)

―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった―(ローマ)

―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである~彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである―(ヨハネの第一)
―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと~わたしに属するものではない―(悪魔との対話)

 人は善悪を知る者となり命の木からも取って食べ、永久に生きるであろうか?

31:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 00:05:58.23 CRABWDOq
彼岸に到達・この世の者ではない(イエス)そうならないと神に信仰ありとされない・・・人格神との対話
 自分の命を憎む者はいない・からし種一粒ほどの信仰もない・信仰を捨て去れ(仏教)

 誰でもこの世の者ではなかったら、地上のものに心を引かれず平安と安らぎの境地に満ち、無量の慈しみに満ち、修行完成者ブッタのように一切の生きとし生ける者をあわれんでいる。神通力の領域に達し、山をも動かす力・あな
 たがたは何でもできるという言葉が真実となる。
 世にもあるように、
   ―信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
   ―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い~正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは」(マタイ)
 
   神に信仰ありと自任するまでもなく、肉だけでない人らしさもある者には、貧しい人々への配慮や衣食住のない人々に衣食住をと心得て働く。

 悪魔は富や肉の欲、目の欲、その他諸々の欲望に関する貪りのため、再び神通力の領域・山をも動かす力のある者に戻れず、「土に帰る・全く消え去る」者となる地上の作用のことで、神と対話しても、この世の者ではない彼岸を
 知っても、信仰対象を抱いて乞う(偶像礼拝)することなく、森や林など静かな所をも楽しむこともして、人間の欲求と活動もない状態で足り満足することもしなければ(命の木からも取って食べ)、永遠はない。


32:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 00:07:26.75 CRABWDOq
誰でもこの世の者でない・彼岸を知り、また、神と対話すれば、「聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり」が悪しき者(妄執)の滅びを乗り越えたつくられざる姿であると知り、偶像礼拝的に対象物・者に乞うことはできず、この世で
は敵意、憎しみ、怨みなどない慈しみが悪しき者(妄執)を乗り越えたつくられざる姿であると知る。

 
 永遠どころか善悪感もない人間用の宗教と、内に清浄なものを持つ人間用の宗教があり、無意識に善悪を知れる者は教えに執着させることもなく、肉の欲~形成されたものの貪りから離れ、聖霊に満ちて荒野・森に住み心静ま
 りを日々の暮らしの中でも喜び、土に帰らない永遠を目指す―― そのように上では決まっている。

33:神も仏も名無しさん
11/06/19 01:05:33.83 JzpDrmml
釈迦もソクラテスも孔子を師と仰いでた

34:神も仏も名無しさん
11/06/19 02:14:00.31 nyMf+gK3
2008-05-24 「チベット問題」の淵源を考える/幽霊のいる英国史・イエスは仏教徒
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

すっげぇディスりようだなおい。

35:神も仏も名無しさん
11/06/19 02:19:46.25 mV+9Cole
イコンやロザリオに十字架で磔刑にされたイエスが彫刻されているが、
この不謹慎な像は一体ナニ、といつも思う。
イエスが磔けられた処刑台は十字架ではなくT字だったとも単なる杭だったとも言われている。
それに開祖が処刑された忌まわしき刑具をシンボルとして採用するというのは不自然。

キリスト教のシンボルとしての十字と刑具としての十字架は実は無関係で、
いずれかの時期に混同されてしまったのではないか?

十字の本当のルーツは卍ではないかと思う。

36:神も仏も名無しさん
11/06/19 02:24:18.94 nyMf+gK3
イエスが磔刑にされたのが、敗北や忌まわしい事故とは見なされていないからです。
旧約から予言されていた神の計画ということになっています。

こうした前向き解釈はイエス死亡直後から模索されてたと思います。
なにせ木にかけられる死に方は旧約では不浄ですから、
彼ら自身も折り目を付けたかったでしょうし、ユダヤ教徒側からの突っ込みを
かわしたいところでもあったでしょう。

37:神も仏も名無しさん
11/06/19 02:39:10.43 mV+9Cole
>>36
なんかキリスト教の神学体系が整備される過程で後付けされた理由のように思えるな

38:神も仏も名無しさん
11/06/19 02:50:07.12 H24ie0Ag
いえっさは仏教徒と言っても過言ではない

39:神も仏も名無しさん
11/06/19 04:42:31.17 gsLcuBbF
ストイックさと徳目以外に共通点が見当たらない。

内省的な思想や哲学ならどんなものにも備わってるだろうし。

40:神も仏も名無しさん
11/06/19 06:21:55.68 mV+9Cole
イエス(原始キリスト教)はユダヤ教より仏教に近い。
調べれば調べるほど共通項が多くて驚かされる。

41:神も仏も名無しさん
11/06/19 07:40:45.11 Q5+dmpiw
仏教は孤独な哲学です。釈迦は妻子を捨てて修行に出ました。
厳しい断食修行の末、
「人生は苦しみである」
「苦行には意味がない」
「この世の全てには実体がない」
と悟ったそうです。

自分でものを食べないでおいて、「人生は苦しみだ」「苦行に意味はない」というのはどうでしょうか。
やる前に気付くべきだったのではないでしょうか。釈迦の知恵などこの程度のものです。
仏教では考えることを煩悩として忌み嫌っておりますので、こんな当たり前のことも推測できなかったのでしょう。
そして、この世の全てには実体がない、というのをやたら物理学や量子力学と絡めて仏教を持ち上げる
動きがあります。しかし、釈迦が量子力学なんぞ理解していたはずもありません。
昔からの言い伝えにたまたま科学的根拠があった、それだけのことです。

仏教が他の二大宗教と異なる点は神の不在です。キリスト教では三位一体の神を、
イスラム教では唯一絶対神アッラーを崇めます。これらの神は人間を愛してくださる偉大な神です。
偉大な神を意識して生活すればこそ、自分の小ささに気付きます。謙虚に生きることを徳として実感することができます。

これに対して仏教はどうでしょう。仏教は唯我独尊です。本来の意味は違う! とお嘆きの方もおられましょうが、
今日では暴走族の特攻服にする刺繍でしかありません。自分だけが偉いのです。仏教は個人的な宗教です。
家族を捨てて出家するのが仏教です。その他のことは、全て昔の日本の僧侶が付け足したものです。

ここから仏教の暴走が始まります。南無阿弥陀仏と唱えれば救われるとか、南無妙法蓮華経と唱えれば救われるとか、
ただのオカルトになってしまいます。親鸞は何人も妻を迎えてやりたい放題の生活をしました。
もはや仏教でも何でもありません。ただのカルトです。

このカルトを今日では「伝統的な日本仏教」と呼んでいます。こんなものは悪しき伝統でしかありません。
すぐに断ち切るべきです。神不在の即物的世界から脱出して、まことの神を賛美し感謝する生活に戻らねばなりません。
今すぐ仏教からは脱会しましょう。

42:神も仏も名無しさん
11/06/19 08:23:48.88 QZwYO0vv
>これに対して仏教はどうでしょう。仏教は唯我独尊です。本来の意味は違う! とお嘆きの方もおられましょうが、

釈迦は六道輪廻から脱出する方法を教える(とされる)存在であるので「唯我独尊」と主張したことになっています。
もしそれで実際に脱出できるのなら、たしかに天上天下のうちでトップクラスな貴さですね。

>南無阿弥陀仏と唱えれば救われるとか、

浄土は仏になるための修行を行う場所です。そこは地上と比べ物にならないほど修行に適した環境と経典に書いてあります。
しかも阿弥陀という仏陀もいます。パーリ経典でも、釈迦と見えて短時間で悟ることができた話が書いてあります。
最高の環境に最高の先生というわけです。

>南無妙法蓮華経と唱えれば救われるとか、

法華経は様々な仏教の実践に対して応援したり、成仏の約束をする経典です。
功徳と概説とコンセプトを説くお経なので、これ単体では確かに無茶ですね。

43:神も仏も名無しさん
11/06/19 08:53:59.43 mV+9Cole
>>41
イエス=仏教徒説の観点からは、キリスト教の「神」は密教の大日如来のことだと考えられる
また仏教を冒涜することは、それを命懸けで修行し布教したイエスを冒涜することと同義

44:神も仏も名無しさん
11/06/19 09:17:34.22 QZwYO0vv
仏教では創造主や主宰神の類を認めないですね。
仏教の創世神話は「自然形成」です。
イエスが仏教徒だとしても頭に「元」がつくでしょう。
ユダヤ人社会に生まれ、聡明だった彼は外来の思想にも興味を覚えたが、
けっきょく古巣に戻ってきた、といったところでしょうか。

45:神も仏も名無しさん
11/06/19 09:17:58.47 mV+9Cole
確か「シルバーバーチの霊訓」にもイエスは青年期にインドで修行をしていたと記述があったと思う。
まぁどうでもいい事だけど。

46:神も仏も名無しさん
11/06/19 09:21:34.59 QZwYO0vv
イッサ伝の内容はキリスト教的ですね
URLリンク(www.geocities.jp)
仏教については習熟しただけで改宗はしてないようです。

47:神も仏も名無しさん
11/06/19 10:15:50.83 mV+9Cole
仏教を学んだ前後でイエス(イッサ)の教えに変化が無かった、という記述をどう解釈するかだと思う。
仏教から全く影響を受けなかったと仮定すると、仏教を熱心に学んだという話と矛盾が生じる。
他に可能性として考えられるのが、インドに来訪する以前に仏教にある程度習熟していたという事。
当時既に中東地域にもマウリヤ朝アショーカ王の伝導事業によって仏教は伝わっていた。

新約聖書にイエスの生誕を祝福するために東方三博士が来訪したとの記述があるが、
東方=インド、博士=仏教僧と解釈すると、ここでイエスと仏教の接点が生じたと考えられなくもない

48:神も仏も名無しさん
11/06/19 11:16:58.77 mV+9Cole
ルカ福音書に神殿で12歳のイエスが学者を相手に堂々の問答を行ったとの記述がある。
ユダヤ教のラビを相手に何も宗教的素養の無い少年が対等に論争ができるとは考え難く、
当時既に何らかの形で宗教について学んでいた可能性が高い。
ユダヤ教の神学体系に互角以上に太刀打ちできる宗教といえば、当時では仏教くらいだっただろう。

49:神の真理に最も近い存在シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM
11/06/19 11:29:04.53 lHWshICy

その話を史実と捉えることをまず問題視しろよ


50:神も仏も名無しさん
11/06/19 11:32:25.62 mV+9Cole
確かにこの話は史実でなかった可能性もあるがな。

51:神も仏も名無しさん
11/06/19 11:40:47.19 JzpDrmml
キリストはソクラテスの影響を受けている可能性がある

52:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 13:46:27.20 CRABWDOq
宗教は創めから決まっている
>>41
お前こそ、神様と対話していない。神を信じながら、この世と妥協する獣のような者は「うじが尽きない地獄に落ちる」と神が言われた。

 人間が生まれる以前は
   ―森に住み、心静まり~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗~未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
   ―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
   ―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)

 ―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない―(創世記)
  神は肉の者を全く信仰できない人間とし、肉でもある人間(罪人)は―からし種一粒ほどの信仰もない者(新約聖書)となって

       ―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである~彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである―(ヨハネの第一)
     ―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと~わたしに属するものではない―(悪魔との対話) 悪しき者(悪魔)の滅びと戦わねばならない運命となっている


53:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 13:50:36.98 CRABWDOq
聖霊に満ちて荒野・森に住み、心静まり
 ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―(ブッダのことば)

 神は永遠の命のため、大自然のみを創造された。―ユダヤにいる人々は山へ逃げよ―(マルコ)そこに罪を犯し世の中で暮らす人々がいる。
 ―世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となろう―(神々との対話)

 ―この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ―(マルコ)
 ―そこでは月も照らさず、太陽も輝かない―(感興のことば)

  ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)

  神は世の中と妥協せずに、聖霊に満ちて荒野をよしとして熱心になり、「土に帰らず永遠の命の者」になるまで、神への信仰が全くないような人々と自任させた。世と妥協して死んだら終わりの者が、永
  遠に神と関係ない者となるからである。

54:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 13:52:25.65 CRABWDOq
悪しき者(悪魔)の滅び
 ―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一)
 ―世間は妄執によって導かれる~妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)

 世と妥協して、
  ―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである~彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである―(ヨハネの第一)

    神に信仰深いと自任しながら、それらを何も問題ないと人々に示し、また他の人々にも教える者ども、神は牧師や神父であろうと「うじが尽きない地獄に落ちる」と言われた。

>>44
 神は善悪を知れても、世と妥協し
   ―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと~わたしに属するものではない― それらに執着ある世の者どもを土に帰る神と関係ない者と造られた方。
   信仰深いと言わなくとも、聖霊に満ち荒野を大切だとしている人々は、かえって神に信仰深く、神と永遠に生きるかもしれない地を創造した方。「神よ、神よ」と言って世と妥協している者のほうが、
   神に全く信仰ない者とした方。
     ―森に住み、心静まり~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗 神に信仰深くあれと言わずにその行いをした釈尊と修行僧は、神に最も忠実な信者。


55:神も仏も名無しさん
11/06/19 17:03:36.12 p3FQWUI2
ブッタだのキリストだの
何年前のはなしだつーの

56:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 18:20:54.06 CRABWDOq
地上は時代とともに変化しようが、神に変化なし

―肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではなく、世から出たものである~彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである―(ヨハネの第一)
―色かたちと、感受作用と、表象作用と、識別作用と、形成されたものと~わたしに属するものではない―(悪魔との対話) 

  神の語り「人々の富への貪りや、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りへの貪りにあくせく仕えても、地の奴隷・悪魔の呪いの者・神の左で滅び、土に帰る」・・・何も信仰のない死んだら終わりの者と変わらない。


 衣食住・その他人間に必要なもので足り 
  ―森に住み、心静まり~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗~未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
  ―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
  ―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)

   神が創造されたのは、人間が造ったものではないと認識し、大自然は楽しいと喜んだりして、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りから離れることもすれば、永遠の者となれる。聖霊に満ち荒野を心得、永遠の
   命の者になれば、神に信仰ありと認められる。

57:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 18:23:18.46 CRABWDOq
世の者と妥協し、神に信仰深い様子を人々に見せて、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを何も問題ないと人々に思わせる者や、信仰しようとする人に、それらを何も問題ないと教える者は、
  神の敵、怒りの者であり、「うじが尽きない地獄に落ちる」ようにすると。

 その厳しい神に対し、イエスや釈尊は信仰しようとする人々に、自ら《聖霊に満ち荒野・森に住み心静まり》を行って仲保者として心得させるためであり、
   自分の命を憎む者はおらず、肉の思いを全て捨て切れない人々に、神にはからし種一粒ほどの信仰もない、主よ主よと言うなという法を示した。

    「神よ、神よと言いながら、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを全て捨て、聖霊に満ちて荒野を喜ばない者こそ、神の怒り、神の敵の者である」と。その者は「うじが尽きない地獄に落ちる」

    ―この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ―(マルコ)
    ―そこでは月も照らさず、太陽も輝かない―(感興のことば)
      常日頃から聖霊を心得(山に逃げることができ)、月も照らさず太陽も輝かないところの者となれたら、神に信仰ありの者とされる。

  世の中で生きなければならない罪人にとって、そのまま滅びか、忠実に信仰を心得清浄なところに生まれられる者となるか、まだわからないのが人間の状態であると。


58:神も仏も名無しさん
11/06/19 19:01:13.70 GXWsl7ew

長々と書いているところを見ると自分の主張を認めてほしくてたまらないようだ。
面倒くさいから読む気にもならないけど。


59:神も仏も名無しさん
11/06/19 20:37:31.21 2YelmVg6
仏教って神を語らないから清清しいのに

60:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 20:48:33.82 CRABWDOq
自分の主張ではない。

 イエスとブッダの共通点で、宗教は道徳的なことを言っているだけだと判断した自分に対し、実際神が語りに来られ、

―信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い~正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは」(マタイ)

 そういった慈悲やあわれみは人として当たり前のことで、
  
  「神よ、神よと言いながら、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りを全て捨て、聖霊に満ちて荒野を喜ばない者こそ、神の怒り、神の敵の者である」と。その者は「うじが尽きない地獄に落ちる」
     神様は自身の思いを伝えに来られた。だから告げる。


61:神も仏も名無しさん
11/06/19 20:57:17.19 JzpDrmml
こういう不安な時代に宗教の誘導は活発化する
 しかし強引な誘導は問題があるのでは

62:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/19 21:25:39.24 CRABWDOq
>>59
神も土に帰る(死ねば終わりとなる)無関係な者が、信仰深い様子をして《肉の欲・目の欲・持ち物の誇りを捨て去ろうと努めず、
  ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―(ブッダのことば)そのように神が創造されたのは大自然と感じて、世の中と自己との思い煩いを捨て、永遠の者となろうとしな
 い人々に敵意・怒りを抱いていらっしゃる。

 普段は隠れていて、月も照らさず、太陽も輝かないところに生まれられたら神に信仰ありとされる方で、神に信仰深い様子を人々に見せて信じて下さいとか、信仰対象者の有無による争い、神を信じない世は間違ってい
 るとして争うこともない。神を信じた・信じなかったで論争をすることもゆるされず、何も信じないでも、世と自己との思い煩いを捨て去ろうと熱心になり、「よい天気ですね」と清々しい心で挨拶できる人を喜ばれる。

 神は偉大で強く、信じれば何かくれそうで信じる犬のような信者より、御利益は「私の兄弟のような、肉の欲などが満たされない状態でも、それらから離れ何も肉の欲が満たされない状態で足りていること」で、何も信
 じないでも、衣食住のない人に衣食住を心得て働いている人のほうが人として尊重されている。他者への配慮もある人間として無意識に行っている者のほうが、人間らしさがある。

 世で暮らしている限り、まだ信仰のない愚か者として自任している人間のほうが、まだ神はゆるされて敵意や怒りを抱いていらっしゃらない。

63:神も仏も名無しさん
11/06/19 22:26:56.99 mV+9Cole
あの~、ここはイエス=仏教徒説について議論するスレなんですけど・・・

64:神も仏も名無しさん
11/06/19 22:30:14.55 fAfYrqff
まるでリンゴだな。

65:神も仏も名無しさん
11/06/20 08:31:18.41 o7+dsZis
空海は唐に渡った時にネストリウス派キリスト教と接触したとも言われている
恐らく密教とイエスの教えに同質性を感じ興味を持ったのではないかと思う

原始キリスト教から変質していったカトリックやプロテスタントであれば興味を持ったかどうかだが

66:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/20 19:41:24.82 yHoi3rrC
イエスは仏教徒ではない。

 決して死を味わうことのない、この世の者ではないものからの言葉=彼岸からの言葉

 一切のものが悪から離れ、平安に満ち、地上のものに心を引かれず、思い煩いもなく、安らぎに満ちている。
  
 ―平安の境地に達して~いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも~一切の生きとし生けるものは、幸せであれ~上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき
 慈しみを行うべし―(ブッダのことば)
 ―人のいない林は楽しい~愛著なき人々は楽しむであろう。かれらは快楽を求めないからである―(真理のことば)

  創めはそういう者として存在し、神も霊のことしか思われず、貪ることにより土に帰る(消える)人間となった。


67:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/20 19:43:01.59 yHoi3rrC
―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ~そのあいだ何も食べず―(ルカ)

 神通力の領域に達し―この山にむかって「ここからあそこに移れ」と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう―(マタイ)
   不死の領域に達し、神に愛される存在となった。

 不死の領域に達すれば、―あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ~いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深い
 ように、あなたがたも慈悲深い者となれ―(ルカ)となり肉体があれば地の人々もあわれむようになり、

  神は霊のことしか思われず、人間のことを思われないが、肉の欲の貪りのため土に帰らない者なら、平安の境地に達し肉の思いもなく悪もなく、一切のものの思い煩いを厭うようになる。
   地上の者は、他者には救われることはないが、つくられざるもののようにすれば、くどくどと祈って願い事を叶えようとする無意味な宗教より救われる。

    唯一の神として不死の清浄な領域を神として戒めの言葉を説いた。他者から学ぶことはなく、教えの根拠は、清浄な領域があるから。

68:神も仏も名無しさん
11/06/20 19:58:28.98 fvWt1wem
キリスト様っていうのは七つの大罪を一つもおかしてないのか?
そんな人生楽しいの?

69:神も仏も名無しさん
11/06/20 20:09:27.76 xIKJdeP/
>>47
東方三博士とは占星術を行う者のことを指すようですが…

70:神も仏も名無しさん
11/06/21 06:09:05.11 lkjwJFle
密教僧→不思議な術を行う賢人→占星術師
と変化して伝わったのかもしれないね

71:神も仏も名無しさん
11/06/21 12:03:35.29 lkjwJFle
新約聖書には仏典から拝借したとしか考えられない記述があまりにも多い。
ここからは一般にはあまり知られていない新約聖書と仏典の驚愕の類似点を、
毎日少しずつ書き記していきたいと思う。

72:神も仏も名無しさん
11/06/21 12:17:18.90 lkjwJFle
【新約聖書と仏典の類似性①(処女受胎)】

・摩耶(釈迦の母)が釈迦を身篭るまでは処女だったとの記述(「仏本行集経」「方広大荘厳経」)

→処女マリアがイエスを受胎したとの記述
(「マタイ福音書」「ルカ福音書」)


※蛇足だが、摩耶(マーヤ)とマリアの発音も酷似

73:神も仏も名無しさん
11/06/21 14:10:16.18 Vai5mRSw
オリエント圏の人間による宗教という点で相似があるのは確かだと思う。
神の有無が仏教とは決定的に違うのだが…

74:神も仏も名無しさん
11/06/21 14:39:00.14 lkjwJFle
>>73
密教には帝釈天やら七福神やら鬼子母神やら、たくさん神が出てくるじゃない
それらの神々もすべて宇宙の真理たる大日如来が形を変えて顕現したものと考えれば、
一神教的であると考えられないこともない

75:神も仏も名無しさん
11/06/21 16:12:52.31 Vai5mRSw
密教は7世紀の成立だからどうか…
強いて言うならユダヤ教-仏教派がキリスト

76:神も仏も名無しさん
11/06/21 17:05:44.64 lkjwJFle
密教の教理体系がある程度まで確立したのが7世紀ということであって、
紀元前には既に大乗仏教の一部に密儀的要素が取り入れられていた。
まぁそれを密教と呼んでしまったら、厳密性を欠いているかもしれないが

イエスが修行したとも言われるユダヤ教エッセネ派は仏教の影響を受けていた可能性もあるね

77:神も仏も名無しさん
11/06/21 17:50:33.77 85Ku166/
キリスト教は仏教の慈愛を学ばねばなるまい。
イエスを仏教徒とみなし初歩に立ち返るのも良い手立てだ。

あらゆる武力征服、残虐非道、黒人奴隷、苦力の売買、阿片戦争や南ア戦争の暴挙、
インドでの略奪と暴挙、アジア隷属化、2つの世界大戦
・・・・・・・・・・を行ったのはキリスト教国である。

78:神も仏も名無しさん
11/06/21 18:21:54.39 85Ku166/
世界に誇るアレクサンドリア図書館を破壊したのもキリスト教徒
ギリシャやローマの誇った素晴らしい文明や美術品を破壊したのもキリスト教徒
十字軍でアラブ人を虐殺しまくった挙句に人食いまでやらかしたのもキリスト教徒
魔女狩りで何の罪もない女性を徹底的に拷問して殺しまくったのもキリスト教徒
大航海時代にインディアンやアフリカ人を大量に虐殺し奴隷として輸出したのもキリスト教徒
テンプル騎士団をハメて借金を踏み倒して全員皆殺しにしたのもキリスト教
スイス経由で「共産主義」革命指導者のユダ公に資金を送り続けていたのもキリスト教

宗教として破綻しているのは明白だ。
仏教組織に取り込ませ丸刈りにし再出発させるべきだろう。
共産主義とキリスト教が酷似しているのは調べれば誰でも分かる。

79:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/21 23:32:29.77 tDUEemrZ
不死の境地を体験したこともなく、人格神とも対話したこともないから、分派・分裂という愚かさとなる。イエスは仏教徒ではない。

 人間の原因 ―妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(仏)
       ―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(聖)

 清浄な境地 ―森に住み、心静まり~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗~未来のことにあくせくすることもなく―(仏)
       ―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(聖)
       ―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(聖)

 平安の境地 ―この平安の境地に達して~一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ~上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし―(仏)
       ― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―
       ―敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。いと高き者は、恩を知らぬ者にも、悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲
       深い者となれ―(聖)

80:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/21 23:35:14.88 tDUEemrZ
学び修めた ―学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(仏)
  賢明な人 ―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し―(聖)

 自然にもあ ―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても―(聖)
  るような ―言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいのである―(仏)
    心 
 
      ―人のいない林は楽しい~愛著なき人々は楽しむであろう。かれらは快楽を求めないからである―すでに自己が自分のものではない―(仏)
      ―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―(仏)
   
    信仰対象は世に関係ないものではなく、人の内にあるものだから自然に現れる。世からも自己からも遠ざかり離れた真実の自身は、そのように安らぎに満ち平安に満ち、この世では静かな所を楽しんだりする。
    また、他者への配慮ある者となる。

  ーすべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(仏)

81:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/21 23:36:45.26 tDUEemrZ
金や物や快感への貪り、自分の思考に執着し、他者を制しようとすることは悪しき者・妄執によるもの。

それらへの貪りを慎み、―今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった―(仏)健康的な精神となるよう常に心がけ、世と自己との思い煩いを離れようと熱心な人は、悪からも離れる。

  他者への信仰(神)も、物や五感への貪りから離れ、世と自己との思い煩いから離れ、下界の者でないようにすることを望まれている。

  罪汚れの多い人間がそれぞれの思いで信仰のことを話すのは罪汚れを世にもたらすだけで、

   ―森に住み、心静まり~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗~未来のことにあくせくすることもなく― 釈尊と修行者の行いを少しでも見習えと。

82:神も仏も名無しさん
11/06/21 23:46:05.47 whrb5iPq
>>72
酷似っていう程かなあ。ヘブライ語だとミリアムだし。
>>76
密教のネタ元のヒンドゥーが怪しいんじゃないの。
クリシュナの設定がかなりキリストとかぶる。
>>77
科学・技術の発展度も念頭におくべきでしょ。
野心があっても手段がなければ実行はできない。
手段があってこそ野心も刺激される。

83:神も仏も名無しさん
11/06/21 23:50:26.30 whrb5iPq
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
>例えば『仏本行集経』(第六巻)には、「未だかつて産生せず」と書かれてあり、
>『方広大荘厳経』(第一巻)にも、「未だかつて孕育(よういく)せず」と書かれてありますから、

これって妊娠・出産経験が無いってだけじゃあ……

84:神も仏も名無しさん
11/06/22 07:18:33.02 e2e9dbXE
>>83
そこだけ部分的に見るとそうともとれるんだけどね(笑)。

85:神も仏も名無しさん
11/06/22 07:44:43.28 e2e9dbXE
【新約聖書と仏典の共通性②(予知夢)】

・摩耶が菩薩(釈迦の前世)が胎内に入る告知を夢に見て妊娠(「過去現在因果経」など)

→マリアが聖霊によって身重になるとの告知を夢に見て妊娠(「マタイ福音書」「ルカ福音書」)

86:神も仏も名無しさん
11/06/22 12:46:55.47 236ypPE0
>>84
そのあたりの記述を見てきたけど実際セクロスしてないよ、とは書いてないんだが。

セクロスなしで生まれてきた、という話があるなら、それが反映された部分も出てくるはず。
インドは男女関係に厳しいし、しかも王族。ヴィドゥーダバの場合、母親が誰かってことで
かなりエグいストーリーが展開されてる。イエスが「ヨセフの息子」と
呼ばれずに「マリアの息子」と呼ばれるようなシーンはあるの?
>>85
偉人誕生の予知夢、とかそんな特別なものでもないでしょ。
URLリンク(www5.tok2.com)

87:神も仏も名無しさん
11/06/22 15:32:24.68 e2e9dbXE
「仏本行集経」「方広大荘厳経」の記述や「過去現在因果経」の説話などから
摩耶の処女受胎を暗示していると読み取れるというのが一般的解釈ではないかと思うんだが。
もちろん露骨にSEXしたかしてないかなんて書いてないけどね。

88:神も仏も名無しさん
11/06/22 17:14:06.44 LO7oBnYk
キリストが仏教徒なわけがない
>>2
仏教が聖書に似ているのではなくむしろ仏教がキリスト教の影響を受けている
>>42南無阿弥陀仏の思想はキリスト教から受けたものである
キリストは仏教徒ではなかったが空海は実はキリスト教徒だった
空海は般若三蔵から伝道されキリスト教徒になったという学説はほとんどの学者の間で意見が一致している
南無阿弥陀仏と唱えると極楽往生できるという思想はキリストの教え「主の名を呼び求める者は、誰でも救われる」というキリスト教信仰がインドに来てそれが仏教思想に影響した物とみられる

89:神も仏も名無しさん
11/06/22 19:55:40.89 2IPJGUjs
>>87
暗示?便利な言葉だな~。いったいどこで「一般的」になっているのやら。

子供が生まれる、という記述に両親のセックスが明記されないのは当たり前。
だって普通セックスなしに子供は生まれてこないから。書く必要がない。
普通なら起こらない事だからこそ、福音書にはきちんと明記されている。
>>88
>空海は実はキリスト教徒だった

キリスト教徒が雨乞いしたり呪術を駆使したりするんですかそうですか。
いったいどの世界の「ほとんどの学者」が言ってるの?

>「主の名を呼び求める者は、誰でも救われる」

心の底から救いを求めれば、聖なる存在が救ってくれる、という思想に
特定の起源なんて必要なの?「実践し尽くすことが困難な教え」
「聖なる存在が人間に対する強い愛や慈しみを持つという教え」
という条件が揃えば、どこの世界でも成立するでしょ。

90:神も仏も名無しさん
11/06/22 20:57:36.59 e2e9dbXE
>>89
摩耶の処女受胎説について。
俺は宗教学者ではないから厳密な学術的根拠を尋ねられても答えかねるが、Wikiにはそう書かれてる。
ということは、一般的解釈であるとは言えるだろう。
もちろん異論は認めるよ。

91:神も仏も名無しさん
11/06/22 21:20:08.74 e2e9dbXE
>>88
空海がネストリウス派キリスト教に接触した可能性は考えられるが、
キリスト教に改宗しという説を主張する学者なんて寡聞にして知らないな。

仮にそうだとして、最終的に空海がキリスト教を捨てて密教を選んだ理由は何?
仏教の方がキリスト教より優れていたから、という結論以外導かれないけどいいの?

92:神も仏も名無しさん
11/06/22 21:38:26.17 2IPJGUjs
>>90
wikipediaを過大評価しすぎ。
見てきたけど、案の定出典はないな。

ちょっとテーラワーダ協会の掲示板で聞いてくるわ。

93:神も仏も名無しさん
11/06/22 21:59:48.88 e2e9dbXE
>>92
Wiki情報は一般的解釈ではあると思うが、絶対視などしていないよ。
同じくテーラワーダの解釈が絶対だとも思わないしね。
あくまでも解釈のレベルの話だから、様々な見方が存在するのは自然だと思う。

94:神も仏も名無しさん
11/06/22 22:10:57.84 2IPJGUjs
wikipediaの、あの項目に書き込んだ人達の書き込みが「一般的な解釈」とすることを
「過大評価」といったんだけど。

95:神も仏も名無しさん
11/06/22 22:26:46.54 e2e9dbXE
宗教学者も多く見ているだろうから、荒唐無稽な珍説であれば修正が入るのではないかな?
まぁWikiについて議論するスレではないから、本題に戻そう。

96:神も仏も名無しさん
11/06/22 22:32:01.67 i6axLa66
そうであったらwikipediaを課題で使用するのが禁じられたりはしないよ。

97:神も仏も名無しさん
11/06/22 22:36:59.71 e2e9dbXE
>>96
スレの進行にご協力お願いしますね。

98:神も仏も名無しさん
11/06/23 07:02:34.24 x0bPK8om
ちなみに「聖イッサ伝」にはマリアが処女かどうかを示唆する記述は無い。
というか、マリアのマの字も書かれていない。

そもそも現実的に考えると医学の見地からはありえないことだから、
イエスの神聖性を強調するために、他の宗教などを参考にして挿入された話なのだろうね。

99:神も仏も名無しさん
11/06/23 09:37:37.06 x0bPK8om
【聖書→仏典の類似性③(血筋)】

・釈迦は王族の血筋(浄飯王の息子)

→イエスは王族(ダビデ家)の血筋
(「マタイ福音書」など)

100:神も仏も名無しさん
11/06/24 08:49:09.14 jNjr0mXC
>>89
>>91
空海は洗礼を受けた記録があり、空海の開いた真言宗の高野山で多数の聖書が読まれたことも明らかにされました
空海は混合宗教者であったため密教やキリスト教や稲荷神社も信じていました

101:神も仏も名無しさん
11/06/24 08:55:50.17 jNjr0mXC
>>74
密教はバラモン教、ゾロアスター教、景教などな混合宗教です
明らかに仏教と違います

102:神も仏も名無しさん
11/06/24 09:10:22.90 jNjr0mXC
>>89
>>100
正確に説明すると空海は表向きにキリスト教徒になりませんでした。
空海に伝道した般若三蔵は般若心経と旧約聖書は同根の経典という混合宗教的な考え方がありました。
その考え方も般若三蔵から空海に伝わりそれ以来、空海にキリスト教的な思想が混合しました

103:神も仏も名無しさん
11/06/24 09:32:16.39 JpJEAfBM
【聖書≡仏典の類似性④(誕生の祝福)】
・各地の仙人達が釈迦の生誕を祝福するために来訪し、宝物を献上
(「過去現在因果経」など)

→東方の国の博士達がイエスの生誕を祝福するために来訪し、宝物を献上
(「マタイ福音書」など)

104:神も仏も名無しさん
11/06/24 09:32:19.54 jNjr0mXC
>>77
それはキリスト教のせいではない
キリスト教にそのようなことを行っていいという教えはない
「殺すなかれ」申命記5:17
「自分で復讐をしないで、神の怒りに任せなさい」ローマの信徒への手紙12:19
こちらも逆に聞くがなぜ日本が仏教国なのに真珠湾攻撃をしたのか
そのようなことをするのは宗教に関して無知な者たちである

105:神も仏も名無しさん
11/06/24 10:15:50.76 JpJEAfBM
>>100
空海がキリスト教の洗礼を受けたとか高野山で聖書を読んだなどという記録は存在しない。
景教と何らかの接点があった可能性は考えられるけどね

>>101
密教は釈迦の原初的な教えと異なる部分も少なくないが、教義の基本は紛れもなく仏教だよw。

>>102
般若三蔵はキリスト教徒と交流を持っていたが、彼自身は仏教僧。
仏教→イエスの影響を考えれば、同根の宗教であるという発想は自然なものだろうね。

106:神も仏も名無しさん
11/06/24 10:28:14.29 03NPGGRU
キリストって何が楽しくてメシアになったんだろ

107:神も仏も名無しさん
11/06/24 10:36:35.05 jNjr0mXC
>>105
真言宗では法要の最初の時胸で十字を切ることなどはキリスト教の影響を受けている
詳しくはこのサイトでURLリンク(www.ne.jp)

108:神も仏も名無しさん
11/06/24 10:41:53.34 jNjr0mXC
URLリンク(www2.biglobe.ne.jp)
いろは歌はキリスト教の思想の歌

109:神も仏も名無しさん
11/06/24 10:47:51.74 JpJEAfBM
>>107
それが何故キリスト教の影響だと言えるの?
密教に元々存在した所作である可能性の方が遥かに高いと思うよ。

110:神も仏も名無しさん
11/06/24 11:03:55.67 03NPGGRU
阿弥陀はキリストって今頃言ってるって古いねここの人たち
ぷっw

111:神も仏も名無しさん
11/06/24 11:39:43.39 576JWOXf
>>103
箔をつける常套手段で類似を云々することに意味はない。
>>104
聖絶が記載された申命記から引用とか、皮肉か?
>>107
縦と横に手を動かすだけの単純な所作と、棒を二つ合わせただけの単純なデザインに
特定の起源が必要なもんなのか?

112:神も仏も名無しさん
11/06/24 11:54:25.02 NSDMmGFz
インド諸宗教の呪文「オーム」(AUM) (仏教やヒンドゥー教)
とアーメンはやや似ている

113:神も仏も名無しさん
11/06/24 11:58:38.72 03NPGGRU
そのうちカゴメ歌はなんかキリスト臭いとか言い出すなw古いんだよ

114:神も仏も名無しさん
11/06/24 12:14:03.01 JpJEAfBM
>>111
>箔をつける常套手段で類似を云々することに意味はない。

まぁ、ここだけ見るとそう思う人もいるだろうけどねw

115:神も仏も名無しさん
11/06/24 12:20:14.55 1r0x9Ejh
カゴメ歌はなんかトマト臭いな♪

116:神も仏も名無しさん
11/06/24 13:08:24.66 576JWOXf
>>103
過去現在因果経を読んでみたら
URLリンク(www.archive.org)
アジタ仙人は、釈迦は将来すごいやつになるよ、と予言しただけで何もくれずに去ってしまったんだが。

117:神も仏も名無しさん
11/06/24 13:48:16.94 JpJEAfBM
>>116
いや、ここで言っている仙人というのは阿私陀仙人のことじゃないよ。
「八方の緒仙人、宝を奉じて来り獻ず」
とい描写があるでしょ。

118:神も仏も名無しさん
11/06/24 13:51:56.42 jNjr0mXC
【仏教】99%の経典は偽経・偽書です!
このようなスレがあった
スレリンク(psy板)

119:神も仏も名無しさん
11/06/24 14:14:25.00 JpJEAfBM
>>118
仏典の記述がイエスの思想や聖書の記述に何らかの示唆を与えたかどうかを議論したいわけで、
多くの仏典が偽経かどうかということは、ここでは重要ではないんだ。

120:神も仏も名無しさん
11/06/24 14:49:41.18 jNjr0mXC
>>119
ほうほうそういう事か
じゃあ経典や聖書の著者は誰?

121:神も仏も名無しさん
11/06/24 15:15:08.44 JpJEAfBM
>>120
そういうスレチな話ばかり振ってくるなら以後スルーさせてもらうのでよろしく。

122:神も仏も名無しさん
11/06/24 15:19:29.00 576JWOXf
>>117
「五、瑞應」の節のところで確認した。
>>120
不明。いちおう伝承はあるが、正確に
書いた人を特定できるほどの情報はない。

123:神も仏も名無しさん
11/06/24 15:26:00.07 jNjr0mXC
>>121
OK
俺がいくら言っても信じてくれないと思うから諦めるわ(笑)
まずキリストが仏教徒っていう学説は絶対に信じないから

124:神も仏も名無しさん
11/06/24 16:15:03.17 JpJEAfBM
>>123
キリスト教徒の方なのかな?

まず否定ありきでは客観性の無い単なる感情論の域を出ないと思うよ。
頭ごなしに進化論を否定しようと必死な方々と同じようにね。

125:たろすけ ◆JRCMycYHTZw5
11/06/24 17:23:07.56 ebUBmQf9
ブッダやイエスの言ったことは、それぞれの性格に依るところの『生命の教え』なんだと思うよ。
光に包まれた彼らが、それぞれの資質や場と状況に応じて巧みに方便を用いて、真理を説く。

それは体系化された仏教やら、キリスト教とは質を異にした、
彼らの人生から滲み出た『人生の解決案』だよ。
両方とも『人生教(笑)』なんだから、似ている所も違う所もあって当たり前だと思うけどな。

126:神も仏も名無しさん
11/06/25 11:59:01.64 RVmW9kVE
【仏典→聖書の類似性⑥(預言)】

・釈迦は幼児期に、将来救世主となる事を王宮にて阿私陀仙人により預言される。
(「過去現在因果経」など)

→イエスは幼児期に、将来救世主となる事を神殿にて抱神者シメオンにより預言される
(「ルカ福音書」)

127:神も仏も名無しさん
11/06/25 22:03:02.91 RVmW9kVE
(補足)

・釈迦は生誕を長宿の婦人により祝福される
(「仏所行讃」)

→イエスは生誕を老女預言者アンナにより祝福される
(「ルカ福音書」)

128:神も仏も名無しさん
11/06/26 09:17:39.69 fwVA/LnF
【仏典→聖書の類似性⑦(神童)】

・釈迦は少年時代に宮殿にて教師達と問答をし、賢明な受け答えで彼らを驚嘆させる。
(「過去現在因果経」)

→イエスは少年時代に神殿にて学者達と問答をし、賢明な受け答えで彼らを驚嘆させる。
(「ルカ福音書」)

129:神も仏も名無しさん
11/06/26 09:24:32.66 TSGNBGHn
キリストも 釈迦も
ソクラテスの真似をしたに違いない
やっぱり すべての思想は
ギリシャ哲学 ゾロアスター教に起源を持つ

130:神も仏も名無しさん
11/06/26 15:09:08.73 h8EoLkY9
>>129
それはないでしょ

131:神も仏も名無しさん
11/06/27 08:13:31.27 gn0pJCg6
【仏典→聖書の類似まとめ①】

◎受胎告知
・マーヤが天のお告げを夢に見てシャカを受胎
 ~「過去現在因果経」~
→マリヤが天のお告げを夢に見てイエスを受胎
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎処女懐胎
・マーヤが処女のままシャカを受胎した事を暗示する記述
 ~「仏本行集経」「方広大荘厳経」「過去現在因果経」~
→マリヤが処女のままイエスを受胎した事を明示する記述
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~
◎降誕
・マーヤの帰郷中にシャカ生誕
 ~「過去現在因果経」~
→マリヤの帰郷中にイエス生誕
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎王統譜
・シャカは王族の血筋(シャカ族)
 ~「過去現在因果経」
→イエスは王族の血筋(ダビデ家)
 ~「マタイ福音書」~


132:神も仏も名無しさん
11/06/27 08:21:51.13 gn0pJCg6
【仏典→聖書の類似まとめ②】

◎東方博士の礼拝
・各地の仙人達がシャカの生誕を祝福するために来訪し、宝物を献上
 ~「過去現在因果経」~
→東方の国の博士達がイエスの生誕を祝福するために来訪し、宝物を献上
(「マタイ福音書」など)

◎神殿奉献
・釈迦は幼児期に、将来救世主となる事を宮殿にて阿私陀仙人により預言される。
 ~「過去現在因果経」~
→イエスは幼児期に、将来救世主となる事を神殿にて抱神者シメオンにより預言される
 ~「ルカ福音書」~

◎神童
・釈迦は少年時代に宮殿にて教師達と問答をし、賢明な受け答えで彼らを驚嘆させる。
 ~「過去現在因果経」~
→イエスは少年時代に神殿にて学者達と問答をし、賢明な受け答えで彼らを驚嘆させる。
 ~「ルカ福音書」~


聖書にイエスの成人以前の記述は多くないが、それでもこれだけ仏典との類似がみられる。
成人以後の記述については更に多くの類似がみられるので、時間のあるときに少しずつ書いてみたい。

133:神も仏も名無しさん
11/06/27 10:56:45.99 gn0pJCg6
俺は単なる宗教ヲタに過ぎないので、仏典や聖書の研究者ならより多くの類似を指摘できると思う。
仏典は何万巻もあるそうだし、聖書も外典が多数存在するようなので。

もし研究者の方が御覧になってましたら、情報を提供して頂ければ幸いです。

134:神も仏も名無しさん
11/06/28 02:12:21.30 3fBGL+Kp
ヨイショ記事なんだから似てて当たり前。

マーヤとマリヤが似てるのは面白い。

それを言ったら、ブラフマンとその妻サラスバテイ、
アブラハムとその妻サラも似てるよな。

135:神も仏も名無しさん
11/06/28 05:16:47.20 TruZ6Ral
面白いw
ちなみに「聖イッサ伝」によるとイエスがインドで学んだ仏教の宗派は、
ブラフマン(インド版・天地創造の神) を主神とする大乗仏教の一派だったらしい。

136:神も仏も名無しさん
11/06/28 05:37:16.40 TruZ6Ral
【仏典→聖書の類似(洗礼)】

・シャカは頭に水を注ぐ灌頂を受け、天から祝福される
 ~「過去現在因果経」~
→イエスは頭に水を注ぐ洗礼を受け、天から祝福される
 ~「マルコ福音書」「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

137:神も仏も名無しさん
11/06/28 05:43:23.10 C42dDzuO
ブラフマンを主神とする仏教は部派にも大乗にも存在しない。
ブラフマンは相対化されていて、「唯一にして崇高な」という扱いからは程遠い。
彼が学んだというパーリ語で読める仏典にも唯一神・創造神の概念はない。
仏教の創世神話では、創造を行う神は登場せず、
いちど世界が滅ぶと、また世界とそこに住む衆生が自然に生成するだけ。

138:神も仏も名無しさん
11/06/28 07:00:57.75 TruZ6Ral
ブラフマンを主神とする仏教は「確認されていない」という方が正確ではないかな?
梵天(ブラフマン)は釈迦の守護神ともいえる仏教と非常に縁の深い神だから、
それを信仰対象とする宗派が歴史上一度も存在しなかったとは言い切れないと思うな。

「聖イッサ伝」にはイエスはインドに着く前から唯一神について語っていたと述べられているから、
これを正伝と仮定すると、元々の唯一神的観念が彼の仏教思想に混入した可能性も示唆されると思う。
そうだとすると、ヴェーダンタに於けるブラフマンの概念と異なるのは当然じゃないかな。

139:神も仏も名無しさん
11/06/28 07:34:43.40 C42dDzuO
単に大黒様のように祀られるのと、「唯一にして崇高な」ものとして扱うのには雲泥の差がある。
パーリや大乗の教えにはそのような記述はない。
イエスが学んだ、とされる経典は、現行のものとは誤差・異伝レベルではなく、
根本的に発想が違う別宗教の聖典ということになる。

140:神も仏も名無しさん
11/06/28 09:17:04.12 TruZ6Ral
旧約聖書は当然インド来訪以前に何らかの形で学んでいたのではないかな?
仏教系という説もあるユダヤ教エッセネ派などに接触していた可能性も考えられるし。
「聖イッサ伝」には特に描かれていないけれどね。

密教や浄土教も他の宗教の影響が大きいが、教義の基本を外していないから仏教に分類されるよね?
同様に、ブラフマンを絶対唯一の神とする以外の点も幅広く鑑みて、
イエスの言行がどれほど仏教の教義と類似しているかも重要ではないかな。

141:神も仏も名無しさん
11/06/28 10:03:33.60 C42dDzuO
>同様に、ブラフマンを絶対唯一の神とする以外の点も幅広く鑑みて、

この時点で教義の基本を外している。セム系唯一神やブラフマンの場合、
神としての頭数の問題に留まらない。縁起に縛られない神を認めるかどうかだから。
エロヒムを神とするか宇宙人とするか位の違いがある。

イッサ伝に資料として念頭に置く程の価値があるとは思えない。
写本の存在を認めるというメンバーが香ばしすぎる。

142:神も仏も名無しさん
11/06/28 10:52:39.76 TruZ6Ral
>>141
うーん、ちょっと論旨が飲み込めないな。
素人でも分かるように論証してくれると助かる。

143:神も仏も名無しさん
11/06/28 11:12:23.01 C42dDzuO
>>137から書いている通り。「聖イッサ伝に出てくる仏教」は仏教の教義の基本を外している。
ヒンドゥーのブラフマン説を採用しても非仏教、セム系の唯一神論を採用しても非仏教になる。

・聖イッサ伝の信頼性は怪しい。

144:神も仏も名無しさん
11/06/28 11:23:26.75 C42dDzuO
簡単に言うと、仏教の教義上、原因も条件も無く存在できるものを認め事ができない。
縁起という根本教理に反する。

唯一神教では言えば、二人目の唯一神を認める位の逸脱。
(だからこそキリスト教は新約聖書の記載と唯一神論を
どうにか両立させようとして三位一体説を作り上げている)

これ以上簡単に書くのは自分の手にあまる。他の書き方も思いつかない。
URLリンク(hpcgi1.nifty.com)
こちらで研究者のひとに尋ねてほしい。

145:神も仏も名無しさん
11/06/28 11:39:05.77 TruZ6Ral
>>143-144
なるほど、わざわざありがとう。

俺はイエスの述べる「神」はユダヤ教の神よりも、密教の大日如来と概念的に近いかなと考えてる。
だから真言宗を仏教の範疇に入れるのならば、イエスの教えも仏教的といえるのでは、という見解。

146:神も仏も名無しさん
11/06/28 12:25:43.13 TruZ6Ral
イエスの述べる「神」と大日如来との相似についてはスレ後半で論証する予定なので待ってて。
一応その立場からすると、イエスの述べる「神」と縁起の法とは特に矛盾はしない。

まぁスマナサーラ師あたりからすると、密教は仏教の基本を外しまくってるんだろうけどw。

147:神も仏も名無しさん
11/06/28 12:37:43.14 5BA4u8X+
> イエスの述べる「神」はユダヤ教の神よりも、密教の大日如来と概念的に近いかなと

イエスの説法ってどことなく無神論的だから
仏教的な神に置き換えた方が自然なんだよね。イエスは自分や神に
へこへこしろとは言ってない。

148:神も仏も名無しさん
11/06/28 13:02:21.30 TruZ6Ral
>>147
確かに。

149:神も仏も名無しさん
11/06/28 13:05:59.10 tLUrJ0NN

>イエスの説法ってどことなく無神論的だから

えっ? どこが?


150:神も仏も名無しさん
11/06/28 13:06:52.46 tLUrJ0NN

>確かに。

えっ? どこが?


151:神も仏も名無しさん
11/06/28 13:12:15.42 TruZ6Ral
そのあたりも含めて少しずつ論証していくからw。

152:神も仏も名無しさん
11/06/28 15:48:24.36 68WhcHcm
神の国というものをこの世に実現しろと言った
神や死後の世界がどうのではなくな
結局、宗教家から無神論(神を冒涜する者)の汚名を着せられた。(マタイ伝26-65)

153:神も仏も名無しさん
11/06/28 19:34:59.44 TruZ6Ral
「聖イッサ伝」の原本自体が果たして存在するのかどうか疑問を持つ人もいるだろうが、
これはノートヴィッチ以外に複数の信頼の置ける人物の証言があるので、ほぼ間違いないと思う。
宗教学者のスワミ・アベーダナンダ、民族学者のニコラス・レーリッヒらはそれぞれ別々の時期に
チベットにて原本から写し書きをし、内容もノートヴィッチのものと大筋で一致した。
他に目撃だけの情報が多数あるらしい。

154:神も仏も名無しさん
11/06/28 19:45:15.44 tLUrJ0NN

「神の子、キリストだ」と言っているのに、なんで無神論なんですか。

イスラム教徒がキリスト教やユダヤ教の神を冒涜するような発言をしたら
無神論者になるんですか。


155:神も仏も名無しさん
11/06/28 19:45:16.58 TruZ6Ral
アメリカ最高裁判所判事ウィリアム・ダグラス、
カリフォルニア州立大学人類学教授ロバート・ラヴィッツ、
アメリカの探検家エドワード・ノアックらは、チベットのヒミスやレーなどで
イッサ来訪の民間伝承が広く浸透している事を現地調査で確認している。
あちらでは聖俗問わず有名な話らしい。

156:神も仏も名無しさん
11/06/28 20:13:28.67 PO8ZbgzO
アーメンはエジプト神話のアメン神から来ていたりして。

157:神も仏も名無しさん
11/06/28 20:18:14.91 TruZ6Ral
無神論というか、イエスはユダヤ教の神とは異なる「神」の概念を提示したように思うな。
まぁいずれ詳しく書くつもり。

158:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/28 21:26:24.04 B8/WSZmG
実際に人格神の語りを聞くが、神は神の右である霊の国しか信仰深さを認めていない。地上のものに心を引かれた人間など、神に信仰ありと一切認めない。

―森に住み、心静まり、清浄な行者~日に一食を取るだけであるが、その顔色は~明朗~未来のことにあくせくすることもなく―(神々との対話)
  ―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(マタイ)
  ―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(ルカ)

 そういった行為を人が行わないと神に信仰ありとされない。地上は神にとって呪いの地、神の左、悪魔の子、罪人=監獄の囚人として、神にとって不義な者の住む世界でしかない。しかし、全く救い
 がないかといえばそうではない。

        ―見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない―(創世記)


159:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/28 21:27:57.89 B8/WSZmG
命の木
 不義な世とこの身に執着しない
  ―あなたがたのいのちは、どんなものであるか~しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない―(ヤコブ)
  ―世と世の欲とは過ぎ去る―(ヨハネの第一)
  ―この身は泡沫のごとしと見よ~世の中は泡沫のごとしと見よ―(感興のことば)
     聖霊に満ちて荒野・森に住み心静まり清浄な行者のように、自己と世の中のことから遠ざかり、清浄な行為もしたりする。


善悪
 ―そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)―だれにも負担をかけまいと、日夜、苦労し努力し働き続けた―(テサロニケ)
 ―学び修めた賢明な人は、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々~施しとして与えよ―(神々との対話)
 ―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し~正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは―(マタイ)


160:神の真理に最も近い存在シモン・グノーシス ◆/bVPRrlaFM
11/06/28 21:29:15.76 3lE+pqSH

現存する史料でキリストの教えを再構成しようというのが元々無理。
パウロは勝手な十字架の神学でオナってるだけだし、最古の福音書すら
紀元70年年代で、キリストの死から40年は経ってる。

161:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/28 21:31:21.64 B8/WSZmG
神は誰が命の木からも取って食べ、善悪を知れる人間となった者が善を受け入れ悪から離れようとするかわからない。
 ―もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、「抜け出して海に植われ」と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう―(ルカ)
  神の厳しさを知り、神を簡単に信仰できる存在でないと人間に認めさせようとした。肉の思いを全て捨て去ろうとしないと、神には信仰ありと認めてもらえないのである。

 ―この世の有様は過ぎ去る―(コリント)―過ぎ去るものは虚妄―(ブッダのことば)

 ―意識もそなえ心もある一尋の身体に即して~世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう~この世をもかの世をも望まない―(神々との対話)
 ―その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから―(ルカ)

  朽ちる人間の思いは神に敵対する。朽ちないもののように生きて、世界の終極に至る人となり、朽ちないものとなりはじめて信仰ありとされる。
   偶像礼拝は貪欲他ならない。朽ちる人間の心で信仰しても、永久に神を知れず、ただ清浄な心だけで知れるからである。今、清浄な心も得ようとしないと、人間の諸々の活動により
   汚されてしまう。―すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること、これが仏の教えである。わかち与える人には功徳が増大する―(感興のことば)

 信じただけでは、生活活動をしている以上、誰でも神の敵である。神人間が思う以上に厳しい存在であるので、救いの満ちも同じようになった。

162:神も仏も名無しさん
11/06/28 21:32:49.88 tLUrJ0NN
>>158
あんたの書き込みは独りよがりでよくわからないな。

>地上は神にとって呪いの地

なんだこれ? 


163:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/28 22:33:33.90 B8/WSZmG
私が思う地の感想ではない。人格神が語った言葉である。私はそれらがある(物質的な喜びに満ちた)良い世の中と思っていたが、神が語りに来られた。
 
 肉の欲、目の欲、持ち物の誇りがある世。人々の富の貪りのため、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りにあくせくする世は、地の奴隷・滅びの者・悪魔の子・神の左の者であると。
 神を信じて、善悪感の生じる行いをしたからといって神に信仰ありとされない。
  
  神を信じながら、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りなどを何も問題ないように人々に示し、神を信じようとする者に、それらを何も問題ないと教える者は、
   「うじが尽きない地獄に落ちる」と言われた。

 多くの人々は何も信じないでそれらをよしとして、「土に帰る者」と決められていたのである。    


164:神も仏も名無しさん
11/06/29 00:58:57.66 f2chwHWa
>>157
>無神論というか、イエスはユダヤ教の神とは異なる「神」の概念を提示したように思うな。

当たり前だわな。

>>163
あのさ、じいさんなんだろうけど、「思慮」じゃなくて「電波」にしたら?

神はどうして呪いの地を創ったのですか。




165:神も仏も名無しさん
11/06/29 01:25:16.30 V5Uusb/H
>>154
神がいようともその意思の介入が人類に要らない、起こらないと考えるのも
無神論の一つ。
神に祈る、頼る、より自助努力を説く仏教は無神論的。イエスもそれに似てる。

166:神も仏も名無しさん
11/06/29 01:49:15.05 f2chwHWa
>>165
だめだ、こりゃ。


167:神も仏も名無しさん
11/06/29 06:51:07.48 YI9lLJVk
>>165
なるほど。

168:神も仏も名無しさん
11/06/29 07:15:04.18 YI9lLJVk
【仏典→聖書の類似(悪魔の誘惑①)】

・シャカ空腹時に悪魔が出現し誘惑されるが、「喜びを食料とする」と切り返す。
 ~「相応部教典」「小部教典」~

→イエス空腹時に悪魔が出現し誘惑されるが、「神の言葉で生きる」と切り返す。
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

169:神も仏も名無しさん
11/06/29 11:02:27.37 YI9lLJVk
学術的には何の価値も無いけど、イエスのインド来訪を主張する神秘主義者って多いみたいだね。

エドガー・ケイシー、ラジニーシ、サイババ、グルジェフ、
神智学教会、「シルバーバーチの霊訓」、フリーメイソン、アハマディア

そっち方面あまり詳しくないけど、他にもいるのかな?

170:神も仏も名無しさん
11/06/29 12:20:43.10 FGLsSZGe
スワミ・アベーダーナンダのいるラーマクリシュナ教団も追加だね。

171:神も仏も名無しさん
11/06/29 12:35:44.73 iJb/8NSo
田川建三か誰かの本で見たけど、初期のキリスト教徒は
周囲の人々から「無神論者」と見なされていたそうだよ

172:神も仏も名無しさん
11/06/29 12:50:36.21 FGLsSZGe
そりゃ、その人達が信じていた神々を否定するからね。

173:神も仏も名無しさん
11/06/29 13:40:59.06 YI9lLJVk
ユダヤ教のヤハウェ神は比較的人格神的傾向が強い印象があるんだけど、
イエスの述べる「神」は森羅万象の根本原理(仏教でいう“法”)を擬人化したような印象がある。
保守的なユダヤ教徒と相容れなかった原因の一端がその辺りにあるような気がするんだよね。

174:神も仏も名無しさん
11/06/29 13:57:59.37 f2chwHWa
>>171
よってイエスは無神論的ってのが、あんたの結論か。
お粗末。


175:神も仏も名無しさん
11/06/29 14:36:00.36 YI9lLJVk
>>174
そう言うけど、自分自身も
「だめだこりゃ」「お粗末」
とかそんなんばっかりで、論理的に議論できてないよね?

176:神も仏も名無しさん
11/06/29 20:45:26.58 YI9lLJVk
「タルムード・イマヌエル」という外伝にもイエスのインド来訪が記されているらしい。
まだ邦訳は出てないみたいだけど

177:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/29 21:55:04.10 FonMGXxM
>>164
お前は神と話をしていないから、神に対して無知なまま、神が語る動物と同じ獣のような人間。

―神は、罪を犯した御使いたちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた―(ペテロ)

 神は下界はこの世であると言われた。―ひとを下界に結びつける五つの束縛―(ブッダ最後の旅)仏教もこの世を下界と説いている。

神は神のもので満足しなかった罪人を悪いこともしでかすかもしれないそのままの人間とし、―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている― ようにされた。神の許可がないなら、悪もしでかすかもしれないその
ままの人間は存在しない。

―あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う~神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる―(ヤコブ)

 肉の欲、目の欲、持ち物の誇りあるこの世を悪しき者の配下とし、悪のないものから悪をしでかすかもしれない人間を許可し、「土に帰る者」として放置しておかれた。

178:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/29 21:56:54.13 FonMGXxM
イエス(救い主)はそのイスラエルに対し、神の義を示し、全てを受け入れることのできない人間を誇れないものとした。神は言われた「平和になった」と。
 神は不義で土に帰る者にも平和を与えようとされた。しかし、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りあるこの世で、神が愛で人間が欲楽に満ちた幸せを望んでいるのではないと断言されたのである。それらのために、悪いことも
 行えるような人間にされた。

 通常、「土に帰る人間」も、他人に負担をかけまいとして働くことは良いこと、死んだら終わりの人間の命の大切さ尊さ、衣食住のない人々に衣食住をといって人々に必要なもののために働くこと、自分のことだけで他人
 のことを一切無視して他者への配慮も全くない者は、決して良い人間ではないなど、愛に反する行為は人間なら悪いとするのが当然であるとされた。

 何も信じず死ぬ者でさえ、多くはむさぼり人殺しをすることは悪く、愛に反する行為は悪いと知ったのである。

今神は、人々の富への貪り、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りへの貪りのためにあくせく働くことは、地の奴隷、悪魔の子として、奴隷であると明言された。死んだら終わりの肉の者がすること。

 聖霊に満ち荒野・・・神を信仰する人々が、快感や享楽から離れて、足ることで感謝したり、世との交渉に深入りせずに世と自己との思い煩いを捨て去るよう信仰に熱心になり、楽しみとして神が創造された大自然を喜び
           人々の貪りにあくせくすることなく、「今日もよい天気ですね」と清々しい笑顔で挨拶し健康的な心でいれば、―何事も思い煩ってはいけない― 死ぬ不義な人間たちと同一視されない。
   
 信仰により命の木からも取って食べ熱心になるかどうかで、永久に生きるものとなるかもしれない人間の存在。神の義はこの世でも霊の国でも、世と自己とに思い煩わない心であると。

179:前世は一在家
11/06/30 00:11:01.24 6a0BEpWP
>>138
>梵天(ブラフマン)は釈迦の守護神ともいえる仏教と非常に縁の深い神だから、
>それを信仰対象とする宗派が歴史上一度も存在しなかったとは言い切れないと思うな。

横レスで失礼します。
原始仏典の長部経典の中の「大本経」に詳しく梵天のことが記載されておりますね。

(概要)
・過去に7人の仏が存在した。
・最初の仏は悟った後、その法を衆生に伝えることを断念しようとした。
・その時、大梵天の中の一方が現れて、仏を説得した。
・大梵天は神眼にて世界中をサーチし、仏の教えが分かる人達を提示した。
・仏もまた神通力にて仏の教えが分かる人達を確認し、最初の法輪に立ち上がった。

後の梵天勧請の元ネタとなった経典かと思いますが、長部経典では大梵天達、梵天達、
神々と文献上は所謂「多神教」ですね。
仏陀を心変わりさせて下さった大梵天の人類愛には感謝の合掌です。


180:前世は一在家
11/06/30 00:19:12.12 6a0BEpWP
>>131
>【仏典→聖書の類似】

◎因果の法
・原始仏典には多数説法有り cf.縁起の法
→善い種には善い果実、蒔いた種は刈り取らねばならない
 ~新約聖書~

◎人は神仏に成り得る
・人は仏子。仏子は仏になり得る
 ~法華経~
→神の国は人の内(within)にある
 ~「ルカの福音書」~


181:前世は一在家
11/06/30 00:32:58.20 6a0BEpWP
>>1
>このスレでは「イエス=仏教徒」説について様々な角度から真剣に議論していきましょう。

>【仏典→聖書の類似】

仏典と聖書との類似性は私も色々と調べておりますが、「イエス=仏教徒」説には
賛同しておりませんのであしからず。

元々共通する法(真理)を聖者達が悟って、それぞれの伝え方(譬え話、方便)にて
人々に伝えたと認識しておりますので。


182:神も仏も名無しさん
11/06/30 06:44:58.25 7q7wmQ/8
>>179-181
なるほどー。
他にも色々教えてもらえると嬉しいです。

183:神も仏も名無しさん
11/06/30 07:03:11.29 7q7wmQ/8
【仏典→聖書の類似(悪魔の誘惑②)】

・悪魔が物質欲・権力欲を掻き立てるべくシャカを誘惑するが、「愛欲を断ち切れ」と切り返す
 ~「マーラ・サムユッタ」~

→悪魔が物質欲・権力欲を掻き立てるべくイエスを誘惑するが、「神のみに仕えよ」と切り返す
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

184:神も仏も名無しさん
11/06/30 11:11:24.99 wbF8+WRo
前世は一在家(源伸)

このおじさんは、崇教真光ですねw



185:神も仏も名無しさん
11/06/30 11:49:41.70 7q7wmQ/8
ノートヴィッチの論敵であるマックス・ミューラーがロテリ枢機卿に意見を求めたところ、
バチカン図書館には宣教師達がインド、アラビア、中国、エジプトなど世界各地から持ち帰った
「聖イッサ伝」と同様の古文書が63巻ほど収蔵されている、と語ったらしい。
「聖イッサ伝」否定派だったミューラーの著書にそう書かれているそうなので間違いないと思う。

どうもイエスのインド来訪の伝承は珍しいものではないようだ。

186:神も仏も名無しさん
11/06/30 12:20:34.34 +62P7i8g
一在家あるところサロメあり

187:神も仏も名無しさん
11/06/30 12:31:24.24 JhpYtmnl
>>174
そういう意味でいったつもりはありません。

188:神も仏も名無しさん
11/06/30 13:19:34.33 7q7wmQ/8
グルジェフはチベット滞在期間が長かったから、イエス来訪の民間伝承は聞いていたんだろうな
スリランカにもイエスが仏教修行に来たという民間伝承があるらしい

189:神も仏も名無しさん
11/06/30 21:41:26.37 7q7wmQ/8
先日ブラフマンについて議論になったので、少し調べてみた。
古代インドでのブラフマンとは、神とはいっても、“宇宙の根本原理”を表す概念であったようだ。
人格神的性格が与えられたのは時代を下ってから。
(なんでも、前者を「ブラフマン」後者を「ブラフマー」と呼んで区別することがあるらしい。)
従って、この段階までのブラフマンは唯一神と捉えて問題無い。

ヒンドゥー教の神々の内の一つとして相対化されてしまったのは、もっと時代を下ってから。

「聖イッサ伝」で描写されているイエスの念頭にあった「神」は、
宇宙の根本原理としてのブラフマンだったのかもしれない。そう仮定した方が辻褄が合うし。

190:神も仏も名無しさん
11/06/30 22:00:11.58 KNN/l22F
イエスが世に出てきたってことは、イエスは大乗仏教徒なの?

191:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/30 23:15:06.79 uelzydml
―この世は虚妄の束縛を受けていて、未来に変化する可能性のあるもののごとくに見られる。愚者らは煩悩に束縛されていて、暗黒に覆われている。かれらには無が有であるかのごとくに見られている。真理を見る人には
何ものも存在しない。人々は自我観念にたより、また他人という観念にとらわれている―(感興のことば)

―人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安―(ピリピ)
―父には、変化とか回転の影とかいうものはない―(ヤコブ)
―この平安の境地に達して―(ブッダのことば)

 人の思いを生み出したのが他者。しかも、妄執。悪しき者に従い人間の境地を得たから、―過ぎ去るものは虚妄―この世の有様は過ぎ去る―ような心を得ないと、考えられたこと、造られたものにいくら執着しても、不
 浄な心が増す構造。

―世間は妄執によって導かれる~妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(神々との対話)
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一)

192:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/06/30 23:19:35.10 uelzydml
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは~未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)
―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな~一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(聖)
―イエスは聖霊に満ちて~荒野~―昼のあいだは宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜をすごしておられた―(聖)

 清浄は清浄としてその行為を信仰とすること。

―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する―(神々との対話)

 釈尊やイエスは清浄領域に達して、神通力の領域に達し、山をも動かす力と一つになったが、その領域に達して労働をしなかった。不浄領域の人間の思いは、人々に必要なものを得させるため。

 学び修めた ―学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(仏)
  賢明な人 ―空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し―(聖)

   快楽や欲楽から離れた無意識に行われている、人々の幸福や安穏、安楽な暮らしを心得る行為が大衆の救い。内に住まわせた霊の行為しかないから、多くの人々が無意識に行っていることもある。それに背かないよ
   うにすること。

193:神も仏も名無しさん
11/07/01 00:01:50.43 j6AI+E+y
J・ゴンダの「インド思想史」によると
ヴェーダにおけるブラフマンは、ヴェーダを唱える祭司階級が扱う呪的なエネルギーでもある。
「ヴェーダの文句・讃頌・祭司などに内在する力」が辿れるうちで最も古い語義だという。
ブラフマンはバラモン階級そのものを指す言葉でもある。
バラモンたちは賛歌を唱え、祭式を行うことでブラフマンを活用し、神々に力を与え、喜ばせる。
ブラフマンは敵である悪人を倒すためにも用いられる。
神々も自分の属性に合わせてブラフマンをあやつる。ブラフマンは自然現象を成立させる原動力でもある。
天や虚空であるとも、潜在力とも人格的存在ともされる。
創造原理としては「無」が「有」であろうとする欲として生じたとも、
原初の宇宙そのものであり、神々が発生した源とも言われる。

194:神も仏も名無しさん
11/07/01 06:19:09.45 evEZxsql
>>190
イエスが仏教徒だったと仮定すると、やはり大乗仏教的だと言えるんじゃないかな

195:前世は一在家
11/07/01 06:46:50.13 pgwNBzqF
>>192 :思慮 ◆AIOdk12HhuOj :2011/06/30(木) 23:19:35
>釈尊やイエスは清浄領域に達して、神通力の領域に達し、山をも動かす力と一つに
>なったが、その領域に達して労働をしなかった。

両聖者は労働の代わりに、人々(衆生)救済をして回られたということでしょう。

釈尊は三明智を用いた対機説法にて50年近く四諦と八正道を説いて歩かれました。
イエスも病を癒し、悪霊を追い払いながら教えを説いて歩かれました。

「働く」代わりに「傍を楽に」させたということでしょう。←天理教より引用



196:神も仏も名無しさん
11/07/01 14:09:55.52 evEZxsql
インド渡来云々以前に、イエスがエジプトに滞在していたことは聖書にも記述があるが、
そこで仏教に触れていた可能性も十分に考えられる。

紀元前3世紀にはマウリヤ朝アショーカ王の布教政策で、エジプトにも仏教が伝わっていたことが
ほぼ確実視されている。
仏教の年代記「マハーヴァンサ」に記された仏教布教の中心地「アラサッタ」は
「アレクサンドリア」を指していることが定説となっている。
また、紀元前2世紀のスリランカの大塔には、アラサッタからギリシア系の修行僧が
3万人やってきたことが記されているらしい。


197:神も仏も名無しさん
11/07/01 15:26:37.81 evEZxsql
イエスの時代には、アレクサンドリアにギリシア語で「テラウペタイ」と呼ばれる集団が存在した。
これはサンスクリット語で「テーラワーダ(上座仏教)」に由来するという説がある。
大プリニウス、フィロン、ヨセフォスらの記録によると、
エッセネ派はこのテラウペイと同じ信仰を持っていたという。
エッセネ派については、

・厳格な戒律
・菜食主義
・不殺生
・女人禁制
・集団生活

など仏教的な特徴があったとされている。
また彼らはエルサレム神殿への礼拝を拒み、水清めの儀式を行っていたという。

198:神も仏も名無しさん
11/07/01 15:52:10.14 evEZxsql
ユダヤ教の宗教書「タルムード」には、イエスは青年時代にエジプトで魔術修行をしていた
と明記されている。
ここで言う「魔術」とは、ユダヤ教から見た異教のことであると考えられなくもない。

199:神も仏も名無しさん
11/07/01 20:42:28.66 mOPJPdfF
エッセネ派は厳律というような、漠然としたイメージしかなかったけど
神殿礼拝を拒んでいたとは知らなかった

200:神も仏も名無しさん
11/07/01 21:50:02.06 mOPJPdfF
ユダヤ教そのものも、当時の色々な流行思想を受けているそうだから
仏教的なものが流入していても不思議ではないね

201:神も仏も名無しさん
11/07/01 22:04:27.56 InLjsmSo
懐かしいなw 

昔、‘イシャヤ’のアセンション・アティチュードという瞑想法があった。
インドだったかヒマラヤだったかに、弟子のヨハネが設立したイーシャ教団というのが残っていて、
そこに一子相伝で伝えられている原初のキリストの教えとしての瞑想法だと。

ところでシュタイナーだったか忘れたが、イエスは仏陀の生まれ変わりだと言っていたような記憶がある。
仏教の総仕上げをするためにイエスとして転生したと。

そのキリスト教はご承知の通り形骸化に形骸化を重ね、
そして20世紀後半にA Course In Miraclesが登場し、仏陀(その後のイーシャ、イッサ)の教えは完成する。


202:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/01 22:33:15.68 gMAfYJQ4
>>195
神は地上のことより、身体のない清浄な世界を義として求めている。
 ―この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう―(ヨハネ)
 ―身を修めて、死ぬ時の到来を願っている人、かれは自己を制した人である―(ブッダのことば)

しかし、父母から離れの奥義のように、清浄な世界の国のものからも、不浄な全世界にしたものからも独立しなければいけない。
 ―自分自身を憎んだ者は、いまだかって、ひとりもいない―(エペソ)
 ―どの方向に心でさがし求めていても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれ自己がいとしいのである―(感興のことば)

 
      ―葬儀などやるな―(ブッダ最後の旅)
      ―死人を葬ることは、死人―(マタイ)

      ―多くの呪文をやたらにつぶやいていても 内心は汚物に汚れ―(悪魔との対話)
      ―見えのために長い祈りをする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう―(ルカ)

      ―献供をささげる~梵天の召し上がる食物ではない―(悪魔との対話)
      ―人々が供える物は、悪霊ども~神ならぬ者に供える―(コリント)

203:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/01 22:34:49.54 gMAfYJQ4
病を治すにも宗教行為に頼ることはできず、清浄な国のもののように肉欲の貪りから離れ、自己に思い煩わないようにして安静にする。イエスも釈尊も不死の境地に達して、自己に囚われない勇敢な姿を人々に示して、肉の
思いを制することにより、何でもできる力強い存在と共に在る現実を説いた。勝利と信仰の御利益は自分自身に克つこと。

 ―誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ~在家の生活を営む人~もしもこの世に誠実、自制、施与、耐え忍びよりも―(ブッダのことば)
 ―肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく―(エペソ)
   人の病気を治すのも、誠実に仕える人間である。宗教行事・行為は、神仏に忠実ではないのである。

―「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない~もしも愚者がみずから愚かであると考えれば、すなわち賢者である―(真理のことば)
―今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが、それは、今の時に、神の義を示すためであった~すると、どこにわたしたちの誇りがあるのか。全くない―(ローマ人)

 肉欲を全て捨て去った信仰深い清浄な国は素晴らしいところである。しかし、多くの人々は自分を愛し、何かしたい目的のために愚かになり、宗教行為・行事で神などに御利益を求めることができなくなった。

―わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたくしにはいかなる悪をも存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ―(ブッダのことば)
  主よ、主よと言わずに教えに従え(イエス)御利益どころか、何かしたいことのある人類は、人間自身がよくならないと幸せにもなれないという世界にしてしまった。

204:携帯一在家
11/07/01 22:39:46.52 o2mGf8jz
エッセネ派は人には光の霊と闇の霊が宿るから、神にも獣にもなり得ると説いてました。
人には仏性と欲心が宿るということでしょう。

205:神も仏も名無しさん
11/07/01 22:45:40.79 evEZxsql
>>201
釈迦は輪廻から解脱したわけだから、転生することはないはずだけどね。
実は仏典にもイエスの降誕は預言されていた、という説があるのでいずれ紹介したいと思う。

206:神も仏も名無しさん
11/07/01 23:54:00.68 InLjsmSo
>>205
そうなんだけどね。
ただ、ACIM(A Course In Miracles)の解説書と言われている、
『神の使者』か『不死というあなたの現実』という本のどちらかの中で、
仏陀はやり残したことを完遂するためにもう一度だけ転生した、
という記述があり、なかなか興味深い符号だと思った。

207:神も仏も名無しさん
11/07/02 07:12:04.75 q4I7OLwX
>>206
ACIMというのは初めて知った。
イエスとチャネリングして得たメッセージらしいけど、どことなく仏教的な印象も感じられるよね。

イエスから霊的指導を受けているというシルバーバーチの霊訓もどことなく仏教に近い印象だった。
涅槃という用語を使ったり、輪廻転生を主張したり、神は法則だと言ったり。
イエスが青年時代にインドに渡って霊的修行を行っていた事も明記されている。
反面、現行のキリスト教はボロボロに非難しまくりなんだよね。

208:神も仏も名無しさん
11/07/02 18:50:13.25 q4I7OLwX
【仏典→聖書の類似(水上歩行)】

・水上を歩み寄る姿を見て怯える弟子達に、シャカは「私だ」と声をかけ彼らの舟に乗り込む。
 ~「大品(マハーヴァガ)」~

→・水上を歩み寄る姿を見て怯える弟子達に、イエスは「私だ」と声をかけ彼らの舟に乗り込む。
 ~「マタイ福音書」「マルコ福音書」「ヨハネ福音書」~

209:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/02 19:11:36.57 pUz7cJKG
―聞かれたことは聞かれただけのものであると知り、考えられたことはまた同様に考えられただけのものであると知り―(感興のことば)
―言語表現だけのものとして、仮にそのような表現をしてもよいのである―(神々との対話)

―イエスは聖霊に満ちて~荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた―(ルカ)
―森に住み、心静まり、清浄な行者たちは~未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(神々との対話)

 神が創造された大自然は、清浄領域である不死に近い。そこで肉欲を断ち、悪しき者の試みに勝てば、不死の領域に生まれることができる。身体を得ながら、不死の領域=清浄領域=神の義の者に至った。
―みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与え下さい~わたしたちを試みにあわせないで、悪しき者からお救いください―

―信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ~貧窮なる人々、旅行く人々、宿無き人々、乞う人々に施しとして与えよ―(神々との対話)
―わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い~正しい者たちは答えて言うであろう、「主よ、いつ、わたしたちは」(マタイ)
 

210:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/02 19:14:52.70 pUz7cJKG
私が宗教は慈悲とか愛とかあわれみで、人々の悪い行いをなくし、よく働いて人間の幸せを得られるように思っていた頃、神が実際指導に現れて、困っている人を助けることは善いこと、目の前の人を愛することは善いこと
とすることは、人間として当たり前のことであると。やっと人らしくなった程度。

「世は創から罪」である、人々の富(金)の貪欲のため、肉の欲・目の欲・持ち物の誇りのためあくせく仕えても、地の奴隷・悪魔の子として、「土に帰る・ちりになる」と。神は、それらのある地を悪もしでかすかもしれ
ない人間を許可し、善だけにならぬように呪った。
人々は何も信じないで、「死んだら終わり」を知り、人間の命の大切さ・尊さを自然に得た。

人間として当たり前の善悪を知り、聖霊に満ちて荒野(世の創から神が創造されたのは大自然のみ)であると知り、永遠の命は世と世にあるものではない、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りではない、一日の苦労はその日一日
だけで十分であるという言葉を受け入れ、悪しき者に勝ち、永遠の命の者となること。

 イエスは世の創から予定されていた神の義を示す役割で、自然のままで知れるかもしれないが、地上で罪をゆるす権威で神の義の国を示し、聞けない人を誇れないようにした。

世と世にあるもの、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、神の指導で造られたものではなく、死ぬ人間が肉欲を満たすために造られたのだという。神は世の貪りの人々を善人にする望みもないと言われた。

211:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/02 19:21:13.89 pUz7cJKG
釈尊が修行者に荒野で修行させ、この世で離欲を達成し妄執を乗り越えることを指導したように、在俗信者にそれらの行いを尊敬させ自制させたように、永遠の命の者となる信仰は、世の創から同じである。神も人の欲求に
は甘くなかった。

 イエスを信じれば地上の罪はゆるされたというのではなく、地上で罪をゆるさなければ、天上での神の義の国がわからなかったからということ。

 世と世にあるものとを喜び、人間の喜びを楽しみとしている人々は、何も信仰のない者と同じだ。そういった人々は信仰から去れと。

212:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/02 22:47:19.57 pUz7cJKG
仏教慈悲と足ることを知り
 ―平安の境地に達して~足ることを知り~一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ~母が己が独り子を命を賭けても護るような~上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行
 うべし~この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(ブッダのことば)

 しかし、―世の中のどこにも、わたしは害いを見ない~それ故に、一切の生きとし生けるものどもを憐れみながら―(悪魔との対話)

恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである
 ―敵を愛し、憎む者に親切にせよ~いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ~人をさばくな~人を罪に定めるな~ゆる
 してやれ―(ルカ)

  神が人間的な慈悲を望まれているのではなく、―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテ)ということであり、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りや富を得ようとあくせくする世の中は、平安の境地から
  離れて、慈悲とは正反対の性質の人間としてもありと許可された。神自身は世の中のどこにも、わたしは害いを見ないような方で、「土に帰る人々」をそのままに放置しておかれる。

 誰でも外的な存在から離れて、人間の幸福や安穏、安楽な暮らしに努めれば、人間の行いによって、世の中がよくなるという仏教の教え。
 ―人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである・・この奥義は大きい―(エペソ) 足ることを知らない人々と悪をもしでかすかもしれないようにされた私たちの父、豊かな暮らしと神の左と呼ば
 れる私たちが、そう簡単に信じられる存在ではなかったのである。

何も信じず、属しようと努める者でもなく、そのまま死んだら終わりの人々も、神の第二の摂理であった。


213:うんこ ◆boczq1J3PY
11/07/03 02:57:12.76 eiaTvmRO
まいとれーや、と、じーざすくらいすと

お誕生日いっしょだね

214:神も仏も名無しさん
11/07/03 08:06:16.20 LpYCOsyh
>>213
「賢愚経」にマイトレーヤ(弥勒)に関する興味深い描写がある。

ベナレス王国の大臣の家に弥勒という少年がいた。
王はその子の評判があまりに高いので、成長した後かならず王位を奪うと恐れた。
そこで王は弥勒を殺してしまおうと、大臣に連れてくるように命じた。
大臣はパータリプトラ王国の多くの弟子を抱える波婆梨のところへ弥勒を逃がした。
弥勒は並の修行僧が一年がかりで習得する内容を一日で覚え、
一年もかからずにバラモン教の聖典を全て習ってしまったという。
波婆梨は弥勒らを王舎城へ派遣したが、彼らは釈迦の説法を聞き直ちに弟子となってしまった。

215:神も仏も名無しさん
11/07/03 08:25:11.08 LpYCOsyh
ある日釈迦は「当来の弥勒の世」について預言した。

「時が満ちある婆羅門の家に一人の男子が生まれる。
名を弥勒(メッティーヤ)という。
その男子は出家修行をして最高の悟りに達し、説法を始める。
それにより多くの人を悟らせるであろう。」

それを聞いた弥勒は座より立ち上がり釈迦の前にひざまづき願い出た。
「私がその弥勒世尊になりたいのです」

釈迦はそれを許した。
「お前はまさしく弥勒菩薩となるべし」

216:神も仏も名無しさん
11/07/03 08:42:35.51 LpYCOsyh
弥勒の少年時代のエピソードはイエスの少年時代を強く想起させる。

遠い未来、西方の高貴な家に生まれるという伝承もイエスと符合。
(56億7000万年後というのは俗説。インドから見てパレスチナは西方。イエスはダビデ家の血筋。)

マイトレーヤ(弥勒)をパーリ語でメッティーヤというが、これはメシヤを連想させる。

神智学ではイエスはマイトレーヤの天啓を受けたとしているらしい。

217:神も仏も名無しさん
11/07/04 08:24:12.39 xZi37HVd
【仏典→聖書の類似(給食の奇蹟)】

・シャカは僅かな食料で大人数の飢えを満たし、なお十二籠のパン屑が余った
~「ジャータカ」「法苑珠林」~

→イエスは僅かな食料で大人数の飢えを満たし、なお十二籠のパン屑が余った
~「マルコ福音書」「マタイ福音書」「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」~

218:思慮 ◆AIOdk12HhuOj
11/07/04 22:19:22.90 Q6j0bNUP
―光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう―(真理のことば)
―主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかもしれない―(創世記)
―多くの神、多くの主があるようではあるが、わたしたちは、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント)

 われわれとは、父子聖霊のひとりの神ではなく、―上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである~地上のものに心を引かれてはならない―(コロサイ)

 神々という人格神は、地上のものに心を引かれず、地上のものに心を引かれた人間を、神の左・悪魔の子と非難しに来られた。

〔神いわく―下女の汚れた衣のように~罪汚れなくして、常に浄らかさを求めている人には、毛先ほどの悪でも、雲ほどに大きく見えるのである~そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない―(悪魔との対話)
 ―あなたのだれにも負担をかけまいと、日夜、苦労し努力し働き続けた―(テサロニケ)―肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい―(ユダ)

神を信じながら、地上のものに心を引かれることをよしとする悪。神に気がかりにならないように「からし種一粒ほどの信仰もない人間」となって自己集中して生きねばならない多くの人々。仲保者が必要なことは、人格神も
知っている。

219:神も仏も名無しさん
11/07/05 11:01:43.18 TG7MZw74
【仏典→聖書の類似:降誕】
◎受胎告知
・マーヤが天のお告げを夢に見てシャカを受胎。夫の浄飯王にも緒天による告知。
 ~「過去現在因果経」~
→マリヤが天のお告げを夢に見てイエスを受胎。夫のヨセフにも天使による告知。
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎処女懐胎
・マーヤが処女のままシャカを受胎した事を暗示する記述。
 ~「仏本行集経」「方広大荘厳経」「過去現在因果経」等多数~
→マリヤが処女のままイエスを受胎した事を明示する記述。
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎降誕
・マーヤの帰郷中にシャカ生誕、一面明るくなり天女達が空中にて音楽を鳴らし祝福。
 ~「過去現在因果経」~
→マリヤの帰郷中にイエス生誕、一面明るくなり天使達が空中にて賛美歌を唄い祝福。
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎王統譜
・シャカは王族の血筋(シャカ族)。
 ~「過去現在因果経」
→イエスは王族の血筋(ダビデ家)。
 ~「マタイ福音書」~

220:神も仏も名無しさん
11/07/05 11:02:38.48 TG7MZw74
【仏典→聖書の類似:少年期】
◎東方博士の礼拝
・各地の仙人達がシャカの生誕を祝福するために来訪し、宝物を献上。
 ~「過去現在因果経」~
→東方の博士達がイエスの生誕を祝福するために来訪し、宝物を献上。
 ~「マタイ福音書」等 ~

◎神殿奉献
・シャカは幼児期に、将来救世主となる事を宮殿にてアシタ仙の抱かれ預言される。
 ~「過去現在因果経」等~
→イエスは幼児期に、将来救世主となる事を神殿にてシメオンの抱かれ預言される。
 ~「ルカ福音書」~

◎神童
・シャカは少年時代に宮殿にて教師達と問答をし、賢明な受け答えで彼らを驚嘆させる。
 ~「過去現在因果経」~
→イエスは少年時代に神殿にて学者達と問答をし、賢明な受け答えで彼らを驚嘆させる。
 ~「ルカ福音書」~

221:神も仏も名無しさん
11/07/05 11:03:12.48 TG7MZw74
【仏典→聖書の類似:成年期】
◎洗礼
・シャカは頭に水を注ぐ灌頂を受け、天から祝福される
 ~「過去現在因果経」~
→イエスは頭に水を注ぐ洗礼を受け、天から祝福される
 ~「マルコ福音書」「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎悪魔の誘惑
・シャカ空腹時に悪魔が出現し誘惑されるが、「喜びを食料とするのである」と切り返す。
 ~「相応部教典」「小部教典」~
・悪魔が物質欲・権力欲を掻き立てるべくシャカを誘惑するが、「愛欲を断ち切れ」と切り返す
 ~「マーラ・サムユッタ」~

→イエス空腹時に悪魔が出現し誘惑されるが、「神の言葉で生きるのである」と切り返す。
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~→悪魔が物質欲・権力欲を掻き立てるべくイエスを誘惑するが、「神のみに仕えよ」と切り返す
 ~「マタイ福音書」「ルカ福音書」~

◎水上歩行
・水上を歩み寄る姿を見て怯える弟子達に、シャカは「私だ」と声をかけ彼らの舟に乗り込む。
 ~「大品(マハーヴァガ)」~
→・水上を歩み寄る姿を見て怯える弟子達に、イエスは「私だ」と声をかけ彼らの舟に乗り込む。
 ~「マタイ福音書」「マルコ福音書」「ヨハネ福音書」~

◎給食の奇蹟
・シャカはごく僅かな食料で大人数の飢えを満たし、なお十二籠のパン屑が余った。
 ~「ジャータカ」「法苑珠林」~
→イエスはごく僅かな食料で大人数の飢えを満たし、なお十二籠のパン屑が余った。
 ~「マルコ福音書」「マタイ福音書」「ルカ福音書」「ヨハネ福音書」~

222:神も仏も名無しさん
11/07/05 11:23:44.87 TG7MZw74
>>219-221を見てもらえば、イエスが説法を始めるまでの重要場面のほとんどについて、
引用か?と疑いたくなるほど類似の描写が仏典中に存在することが解ると思う。
もし仏典を幅広く研究している方々なら、遥かに多くの類似を指摘できることだろう。

釈迦とイエスは一つの真理を異なる角度から述べただけなので教義面で似るのは当然、
との御意見もある。
俺もその点に関して反論するつもりはない。
ただ、行動面の描写がこれほど似るのは単なる偶然の一致を遥かに超えている、
と感じるのは俺だけではないだろう。

223:神も仏も名無しさん
11/07/05 11:44:51.92 TG7MZw74
仏典との類似が指摘できる描写は、ほとんどが「マタイ福音書」「ルカ福音書」のものであることに
お気づきの方も多いと思う。
両福音書は共通のネタ本(Q資料)があったのではないか、という学説が有力である。
すると、Q資料は現存の福音書より更に仏典に近い(あるいは仏典そのものの)内容であった、
という可能性も示唆されると思う。

それについては、スレ後半で検証してみたい。

224:前世は一在家
11/07/05 22:07:51.89 Zb1uSrRc
>>223
>すると、Q資料は現存の福音書より更に仏典に近い(あるいは仏典そのものの)内容であった、
>という可能性も示唆されると思う。

第二次世界大戦後に発見されたトマスの福音書はヨハネの福音書よりも
古いとの学説もあり、半数以上が共観福音書と内容がかぶっております
ので、ますますQ資料の存在の可能性が高まっておりますね。

トマスの福音書は更に仏典に近い感があります。

イエスは言われた。”人々があなたがたに[どこから来たのか]と尋ねるなら
ば、こう言いなさい。[わたしたちは光から来た。光が自ら生ずる場所から。
それは立って彼らの像において現れた]。彼らがあなたがたに[あなたがたは
だれか]と言うならば、[わたしたちは彼の子らである。わたしたちは生ける
父の選ばれた者たちである]と言いなさい。彼らがあなたがたに[あなたがた
の中にあるあなたがたの父の徴は何か]と尋ねるならば、[それは運動と休息
である]と彼らに言いなさい”

法華経の説く法(真理)の「人は仏子であり、やがて仏になり得る」を想起させる
教えかと存じます。


225:神も仏も名無しさん
11/07/06 00:28:14.57 dg9lwwHp
>>224
確かに言っていることの本質は同じですね。

226:前世は一在家
11/07/06 06:11:39.32 eshKQASK
>>225
>確かに言っていることの本質は同じですね。

第2次世界大戦後に死海近くのクムランの洞窟から壺に入った多くの文献が発見され、
「死海文書」と呼ばれております。

ヨルダン川でパリサイ派やサドカイ派には「蝮の子孫」だと罵倒して洗礼を拒絶した
洗礼者ヨハネはユダヤ教エッセネ派だったという研究論文が多いようですが、
そのエッセネ派の宗教規則要覧も死海文書の中に含まれておりました。

1QS(第1洞窟発見のクムランテキストの宗規要覧)
3:18 God placed on him the two spirits so that they walk with them.
3:19 From the dwelling place of light (is) the generation of the truth.
From the fountain of darkness (is) the generation of the deceit.
3:20 In the hand of the Prince of lights (is) the dominion over all the truth so that they walk on the paths of light.
In the hand of the Angel of darkness (is) all dominion over the sons of deceit so that they walk on the paths of darkness.

人は光の霊と闇の霊とを宿して創造されたと記載されております。
近年発見されましたマリアの福音書でも、人には心魂と欲心とがあると記されております。

ニケーア公会議以前の原始キリスト教団では信じられていた教えが、公会議後の焚書により
現代のキリスト教には残っておりませんが、次々に古文献が復活している様を
嬉しく感じる次第です。



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