11/04/27 08:10:44.45 ZAedRAE1
>>410 破門さん
>>イヤおかしい、親鸞上人は、弥陀に頼めば、往生まちがいなし!
>>地獄は一定住み家ぞかし! これは、往生の主体のことでは?
だから言ったでしょう 弥陀を神道的感覚でとらえるものとは全く違うんですよ
「弥陀に頼む」ではなく「弥陀をたのむ」
阿弥陀さまっていう神様がいて願い事を兼ねえてもらうために お供え物して拝んでって
世界じゃないんです 弥陀に頼んで往生させてくれーっていうのは あなたのように
こちら側が念仏唱えたから 極楽往生という果を得る という「見返り」を求めているわけでしょう
通常の私達の感覚の「信心」とは違うんです 末那識も阿頼耶識も私達の意識の中にありますから
そこから法話を展開される師もいらっしゃいます
弥陀をたのむとは、向きをかえるなり。
「華山に向いて花を看、明月に向いて明月を観る」というごとく、
機(自分)の方に向かわずして、必ずたすけてやろうとある大悲に向かう
一念が「後生たすけたまへの弥陀をたのむ」こころなり
(一蓮院秀存師)
この向きを変えるのが骨折れることなんですが・・・
親鸞は「無慚無愧のこの身」だから地獄一定と自身を底辺に置かれているんですよ 自力無効の
我が身をとことん自覚されているのではないでしょうか それでも一向に構わない
弥陀の光明はそこまで及んでいますから
私はこのように理解していますが 間違っていただいているかどうかもわかりません
「聞」を重ねないとムリですね この世界は
>>439さん 根気よくご説明してくださいましてありがとうございます