11/04/24 00:53:53.81 KMzFL7Qs
大昔、ESPの新聞の出初めの頃、「石井開祖」を空海になぞらえて「空海のような活躍」
と持ち上げていたのを思い出します。
ところが弘法大師空海はワンタッチではなかった。
一夜にして力が降ってきたのではなかった。
弘法大師は、18歳で大学を飛び出し、厳しい修行を山野で行っていたはずです。
その後、30歳ぐらいで唐へ行き、外国人なのに、弟子で唯一、師匠の恵果から、全ての法を伝授された。
修法を通して、宇宙の理と通じ、一体となり、国や人を救うことがワンタッチでいいはずがない。
日蓮聖人も、数々の不思議に遭遇し、また祈祷で(対立者ともいえる地頭の)病気さえ治癒させた。
日蓮聖人の遺文の中には、身延入山当時の「けかちすべし」(飢え死にするだろう)との文言があります。
綿入れを贈られ、子供のように喜ぶ礼状の文面もあります。
それほど窮していたのでしょう。
開目抄には、どうして天は自分にこんな苦難を与えるのか、加護がないのかと疑問を記しています。
しかし、その彼も、歴史上ただ一人佐渡流刑から帰還してます
(もう一人の例外世阿弥は帰還後に死亡)。物凄い精神力と加護があったのだと思います。
ちなみに、この種の(ESPのような)エネルギーに魅了される人は、伝統的な宗教の能力者の
パワーが(といっても限られた人々)、ワンタッチものとは、比較にならないほど、強く清い
場合がある、ということを全く体験したことがないのだと思います。
商業グッズのパワーは、その種のホンモノと比べるとおもちゃです。昼行灯みたいなもの。
幣束や、お札からは、かなりのパワーが出ているものがあります。
一瞬にして場を浄化させてしまうものがあります。鮮烈というか。
怖いくらい威厳に満ちています。
本当に有害な何物かを、埒外へ追い出してしまいます。
それは、それは、物凄いですよ。パワーの強さはともかく、きれいさは、人がからむ脂ぎった
パワーとは次元を異にします。