11/04/28 12:31:23.79 nUtFTO5+
>>232
敬意も崇拝も対象を敬う点は同じだ
「敬う」という精神的な行為における価値判断の根拠は
宗教的な上位者への服従を源にしている
つまり完全に盲目的でない敬意というものは存在しない
対象に対するを批判を許容するかしないかについて、
許容しないから崇拝、許容すれば敬意という定義は妥当かもしれない
崇拝の場合、崇拝の対象への批判は許容できないので禁止となる
批判禁止は他者の行動への強制だ
「おれはこいつが嫌いだ(または好きだ)」というのは個人の好み
「おまえもこいつを嫌え(または好きになれ)」というのは強制
前者は憲法で保障され後者は禁止される
「嫌いと言うな」は後者と同じ