11/04/18 02:05:42.35 Xmh4RzHx
前述の
・ごく短期間ならば局地的な勝利は可能、数ヶ月は持ち堪えられる
・その間に、少しでもマシな条件で講和を結ぶ
これをもし奇跡的に成功させていたのなら、ある程度の権益も残した上で戦前の国体も存続
出来たかも知れない、と考えられるかも知れません。
しかし、連合国は用意周到に包囲網を形成し日本の資源の供給路を絶ってから、全ての権益を放棄
した上での完全な武装解除まで要求しかねなかった状況で、絶対に開戦に踏み切らせる為の条件を
突きつけた訳です。(踏み切らなければ条件を更に厳しくするのみです)
もし奇跡的な外交手腕を発揮し続け、全ての歯車が最初から最後まで最高の形で噛み合い続けたと
しても冒頭の基本戦略の実現は難しかったでしょう。
満州国・台湾・朝鮮半島・樺太・千島列島・北海道の一部島嶼部(北方四島)これらはどう転んでも
守り切れた公算は低いと言わざるを得ません、南方の支配地域に関しては言わずもがなです。
樺太や千島はロシアが最初から自国の領土に組み入れるつもりで侵攻し、米国もそれを認めています。
当初の予定では北海道までは攻めとる気だった様です。
絶対分捕るつもりで攻める気満々の火事場泥棒に対し、少々違う対応をした所で「じゃあ要りません」
と言って彼らが引き下がった訳がないでしょう。
大戦末期の敗戦に向けての動きに関しては、確かに上手く行っていないどころかむしろ酷い物です。
しかし「現場は負ける事を前提に被害を最小限に抑えて撤退して行く」など許されていません。
ただ軍上層部も前線の指揮官達も「命を軽く扱い過ぎた」誹りは免れないでしょう。