仏教 議論スレッド 10at PSY
仏教 議論スレッド 10 - 暇つぶし2ch203:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/16 00:13:21 7X9odSPu
>>187 :神も仏も名無しさん:
>「五感で知覚できる対象」をそのまま実在物と信じることです。

実在物と信じなくても食べることは出来るでしょう?
美味しいと思い、お腹も一杯になるでしょう。
実在性は無用の観念なのです。

>「無もまた無」と、無も否定しています。

はい、その理由は空性という本性がある、とか空こそ本質であるとか空こそ真理であるといった、ただの実在性の否定の意味の「空」が有に捉えられる誤用を避けるためだと思われます。

>「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。

このような考えです、このような誤用は広く行われていて、仏教語辞典などにも「絶対否定の絶対肯定への転換を語る」などとあります。
般若心経の全体の流れからして全く反する解釈だと思います。
「無もまた無」と言うのはその様な有の蘇りをも防ぐ意味があると考えます。

>>190 :てすと:2011/02/15(火) 21:37:44 ID:UWeLIVtW
> それなら解釈も無いはずなんだけど。

そうですね、それで特に問題は無いと思います。

204:神も仏も名無しさん
11/02/16 00:24:51 cT2n4Yb3
>>200
>空」が即現象界(空相)、というのはおかしいと思います。

ならば、「色即是空」だけでよいはず。何故わざわざ「空即是色」を併置した
のか。私は、この併置こそが、大乗仏教の真髄であると思います。

仏教学者も、最近では「空即是色」のほうが重視されているといっています。

「色即是空・空即是色」は、古今に比類するもののない、優れた「存在論」です。

205:神も仏も名無しさん
11/02/16 00:35:34 cT2n4Yb3
>>203
>実在物と信じなくても食べることは出来るでしょう?

実在物(五感で知覚される対象物)でなければ、いくら食べたつもりになっても、
結局は餓死します。

霞を食っては生きられず、幻の女を抱いても子供は生まれません。

「生命の維持に直接の関係があるか否か」が、実在・非実在のテストです。

206:神も仏も名無しさん
11/02/16 00:39:57 ZM7p5rw9
>>204
「空即是色」の色は、実相のことじゃないですかね?
最初の「色」を、人間の我で見る世界・・・・「現象界」(色)とすると、、
最後の「色」は、法の目で見る世界・・・・「実相」、ということだと思います。


「自分で見るということが無ければ、よく一切の真実の法を見るであろう。
法に於いて見るのであれば、その人が見るということは無いのである。」
                                -華厳経

>私は、この併置こそが、大乗仏教の真髄であると思います。

私もそう思います。

207:神も仏も名無しさん
11/02/16 01:13:57 cT2n4Yb3
>>206
併置された「色」という言葉に全く異なった意味を持たせるのであれば、そもそも、
「文章」として成立しない悪文であるということになり、「存在論」として
無意味です。

「法の目」とは具体的には何ですか。人間の目は関与しないのですか。
人間こそ、「法」の一部ではないのですか。

208:神も仏も名無しさん
11/02/16 01:27:31 cT2n4Yb3
>>206
人間の自然の知覚こそ「法」なのです。「法の目で見る」とは、「関係性(縁起)において見よ」
ということではないでしょうか。

人間が人間を除外したら、それは「根拠のない」単なるでっち上げ、空想、妄想ということ
になりませんか。

やはり前レスでの仏教語辞典の定義のように解しないと、「色即是空・空即是色」は、
「人間界における真理」にはなり得ません。

209:神も仏も名無しさん
11/02/16 01:51:20 cT2n4Yb3
>>203
>「無もまた無」と言うのはその様な有の蘇りをも防ぐ意味があると考えます。

「無もまた無」は「二重否定」で「有」になりますw。

仏教は、それほど「無」に執着しているのでしょうか。それでは煩悩に過ぎません。
「厳然とした有だが、執着すべき自性はない」と言ってるだけではありませんか。


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