11/02/15 01:12:02 gQYq7Omx
>>155
托鉢については、そういう意味で言ったのではありません。素朴実在論とは、
目に見える(知覚できる)対象がそのまま実在であるという信念ですが、
その信念がなければ、差し出された托鉢が果たして実在であるか否かが判断
できず、受け取り様がないということです。どんなに偉い宗教家でも、腹が
減っている時、目の前の飯を、これは果たして実在か、などと判断して食う
者はいません。人類は、「(必要な場合は観測装置を使用して)五感で知覚
できる対象が実在」であると判断して生存してきました。若し、目の前の大
地が実在しないのなら、一瞬にして奈落の底です。このことは、釈迦でも
イエスでも、例外ではありません。