仏教 議論スレッド 10at PSY
仏教 議論スレッド 10 - 暇つぶし2ch50:神も仏も名無しさん
11/02/13 09:27:27 7JxCfqt6
>>44
「現成これ生なり、生これ現成なり。その現成のとき、生の全現成あらずと
いふことなし、死の全現成にあらずといふことなし。」(正法眼蔵)

51:神も仏も名無しさん
11/02/13 09:42:32 7JxCfqt6
>>47
「迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する
漢あり、迷中又迷の漢あり。諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なり
と覚知することをもちゐず、しかあれど諸仏なり、仏を証しもてゆく。」
(正法眼蔵)

52:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:01:08 Eth5zDVD
>>50-51
正法眼蔵って、凄く釈尊と伝承、師匠から学ぶことを重視してるんだけどね。
なにより、四禅のような三昧体験があるような人への、アドヴァイスとして書かれたものなんだけど。
URLリンク(www28.atwiki.jp)

どう読んでも君の提唱する生命教とは相容れないことは間違いない。

53:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:15:55 7JxCfqt6
>>52
そんなことはない。例えば「現成公案の巻」は、道元自身の奥書によれば、
1233年8月に書かれて、九州の俗弟子、揚光秀に与えられたものである。
これは僧侶たちに対して、禅門の共通語を使って説いたのではなく、俗弟子
に対して平易な例を用いて禅の奥義を示したものである。揚光秀は奥書の
書かれた年を考えてみれば、おそらく一生出家しなかった人と考えられて
いる。

54:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:24:21 7JxCfqt6
>>52
釈迦からは、現成公案のような高度で深い思想は、絶対に出てこない。

55:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:29:18 fim7wn4V
>>54
公案なんて、そもそも必要なのか?

56:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:34:23 Eth5zDVD
>>53
出家してないからって、三昧体験がないわけではない。
在家でも高い境地の人はいくらでもいるんだよ。

正法眼蔵はかなり高度な内容で、とても平易なものではない。
せめて現成公案だけでなく、10個ぐらいは読んでくれや。

この例だけで君の主張は全く話にならない妄想だって分かると思うんだが
URLリンク(www28.atwiki.jp)


この生命教は思い込みが激しくて文が普通に読解できないから仕方ない。

だから、話にならない妄想家と言われてるのが分かんないんだから、困ったもんだ。

57:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:38:29 Eth5zDVD
>>55
公案は方便だよ。三昧がなければ、なぞなぞみたいなもんだけど、三昧体験のある人には分別・戯論を打ち壊す強力な武器になる。

これは『中論』も同じこと。

三昧に達してない人が、その手のものを常識で理解したつもりになってるのは、戯論で戯論を壊す装置を、戯論で戯論を増やす装置にしてるだけ。
タヌポン、生命教は正にそれ。オイラもヤバイ!


58:神も仏も名無しさん
11/02/13 10:55:29 ygnyIkAX
>>57
>三昧に達してない人が、その手のものを常識で理解したつもりになってるのは、
>戯論で戯論を壊す装置を、戯論で戯論を増やす装置にしてるだけ。

耳の痛い台詞ですなw


ついでに苦言を呈せば
>>44 >「これあらばこれあり」という認・・・  はマズイっしょw
後者は「かれ」でないとw

59:神も仏も名無しさん
11/02/13 11:05:18 Eth5zDVD
>>58
>>>44 >「これあらばこれあり」という認・・・  はマズイっしょw

いやいや、これは原語ママですよ。
「これ」という指示代名詞は、名指し、言葉の働く根源状態をよく表していると思う。

例えば、「これ」と指さしながら説かれていることを想起すると分かりやすいと思う。

釈尊のお言葉は、一見すると単純なことを述べておられるように見えて、
重層的にいろんな段階でも対応できるようになっていて、流石ブッダと
驚愕することが沢山ありますが、中でもこの此縁性は最も含蓄の深い言葉ではないかと思われ。



60:神も仏も名無しさん
11/02/13 11:23:45 ygnyIkAX
>>59
水野片山を始め、どちらをも「これ」と訳している者は居ないと思われるが、
その意図も汲むべきでは?(特に「この場面(隠居相手)」に於いてはw)
その使用に際しての曖昧さは日本語の指示代名詞でも同様だが、同一であることが示されているわけではなかろう?
文脈として別個であるから(→時間的先後を加味するから)、「かれ」と訳されているのではないかい?
それとも、中観的には「同一」であることが強調されねばならない?

61:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
11/02/13 11:27:38 GZG3RuOi
>>57
>三昧に達してない人が、

白隠の見性体験を読んでみると、三昧状態で神秘体験をするのだが、
その神秘体験こそが魔境と悟ると、ここで大悟する。
自分ほど悟った人間はいない。と思い込むのだが、
それこそが「迷い」と悟ると、
これを再度の大悟とした。

そういった大悟を繰り返すうちに、もう三昧とか空性体験とかの余分なものが
削げ落ちてきて・・・脱落する。→身心脱落
これで目出度く彼岸ですね。

彼岸は、ひとつの通過点で、その先もあるが・・・
詳しいことは後ほど。

62:てすと
11/02/13 12:07:19 or/bgS21
人間なんて食べて糞して寝るだけの存在でしかないのに、三昧とかただの馬鹿だろ。

63:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:11:08 WsG1w9lP
なんか難しい話してるな。
結局、禅は、山川草木から瓦礫に至るまで、仏性を有することになるわけで、
瓦礫や水も、無駄に扱ってはいけないことになるんだよな。
瓦礫や水も、まぁ私と同じ。

ご隠居は生命に限定してるから、生命教と言われる。
ご隠居的には死して消滅。瓦礫や水は、風景に過ぎない。
釈迦の入滅は、ご隠居的には消滅になるから、ご隠居は唯物だな。



64:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:16:39 Eth5zDVD
>>60
そこはママがいいと思ってる。
「これあらばかれあり」と訳すと意味が損なわれるように思うっす。

生命教とかタヌポンは何書いてもどうせ分からないから、彼に書いてるわけではないです。


65:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:17:16 WsG1w9lP
当たり前だけど、仏教は唯物じゃないから。


66:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:19:28 Eth5zDVD
>>63
山川草木悉有仏性という言葉は、梅原モウちゃんの造語なんだって、
モウちゃん罪深い。

動機は自己顕彰か、商売だろうから。


67:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:22:37 Eth5zDVD
>>62
チベット聖者の言葉に「わしらは喰わにゃならん。寝にゃならん。
クソしにゃならん。他のことはほっておけ」っていうのがあるけど。
当然、世俗的にという限定が暗黙の内にあるのね。


68:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:23:31 WsG1w9lP
>>62
「てすと」は、機械論的だと思う。

欧米か?


69:てすと
11/02/13 12:26:32 or/bgS21
>>63

仏性があろうとなかろうと、
無駄に扱ったら駄目なんだよ。

小学生でもわかること。

行動にいちいち根拠や理由はいらないんだよ。

70:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:28:57 WsG1w9lP
>>66
釈迦って、復元出来ないよなぅ。
てか禅は、老荘でいいんじゃないの?


71:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:29:49 Eth5zDVD
>>68
彼はヴィッパー気質でしょ。


72:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:34:50 WsG1w9lP
>>71
嫁からの逃避を、解脱としているらすぃ。


73:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:36:09 Eth5zDVD
>>70
復元という考えは、原始仏教というかんじ?
それだとキリスト教的だと思わない?
つまり、神の唯一の真実、御言葉を復元するみたいな。

仏教はそういうものでなく、お言葉は尊重するけど、
その内容は、悟った境地の聖者によって伝えられるものとされるので多様ですよ。

禅は老荘じゃないよ。老荘とかヒンドゥーみたいな解釈・見解は野狐禅。
要するに三昧の境地を悟りと勘違いしてるもの。
以上をよく教えてるのが以下の正法眼蔵ね
URLリンク(www28.atwiki.jp)



74:てすと
11/02/13 12:40:14 or/bgS21
ある程度三昧を極めてないと、俺の発言の意味はわからないだろうな。

75:神も仏も名無しさん
11/02/13 12:54:03 WsG1w9lP
>>74
てすとの三昧は、動的無心。


76:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:06:02 7JxCfqt6
>>59
「これあらばこれあり」のどこから此縁性が出てくるのか、自分だけ分った
積りではなく、自分の頭で考えて、他人に分るように説明してみ。

「釈迦が言った」と「書いてあるから」といってそんなに感心することはない。
「真理」は釈迦が言ったから生じるものではない。真理とは「誰が言っても
真理」のことである。勘違いも甚だしい。

釈迦の哲学・思想は、少なくとも竜樹や道元に比べれば、極めて未完成で格段
に程度が低い。スッタニパータに見られるように、病的な厭世観とカルト性のみ。
これは、忌むべきキリスト教の「終末論」に通じる。

>>66
>山川草木悉有仏性という言葉は、梅原モウちゃんの造語なんだって、
>モウちゃん罪深い

道元も同じことを言ってるぞ。道元は「一切衆生悉有」と「仏性」とを、区切って
読んでいる。即ち、「一切衆生もその他の万物」も「仏性」を有するという
意味だ。

これは、生命とその生命を維持する万物とを根源とする「生命教」と同じ
なのだよ。

77:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:13:23 ygnyIkAX
>>64
峻別(断絶)の危険性を怖れれば、その方が良いかもしれない。
その意味で気持ちは解るが、格変化のない日本語での表現に於いては、
言い換えておいた方が良いように思うわけさ。
分析的には、
「認識が常に一回性である、一瞬一瞬の連鎖であることを踏まえ」、「前者の“これ”と後者の“これ”が完全同一なものではない」
ということはあるのだが、それは、(貴方がいみじくも>>59>指さしながら(説かれていることを)想起すると と言うように)、
「何が指示されているか」をきちんと把握し得れば、ということだ。
そうした「別物性」(この言い方は頗るこなれてないが・・w)を「此縁性」として、或いは連関として示すに際しては、
同じ語(「これ」)を重ねる危険性にも注意が払われていいと思うんだw

上で触れた認識の一回性で言えば、
「これ」と言われる時は「今まさに把捉している(=見ている)」というニュアンスを持ち得る。
「かれ」と言った時は、「過去把捉していた、将来把捉する」というニュアンスを持つ。
だから、たとえば、『かれあればこれあり。~』という言い方も実は可能だ。
これは、『今ある「果」についての因や縁の遡及』に注視した形と言える。
対して『これあればかれあり。~』と言った時には、『今ある「因(縁)」から、将来の果を見通す視線』に注視した形と言える。

(「今ここ」という意味で)「これ」という指示の仕方の重要性はあるにしても、
(それが、主観的頷き・観察の上での「如実に見る」ということであったとしても)、
「かれ」という表現が、客観的他者性を惹起し、分別を断絶として助長する可能性を孕んだとしても、
日本語の定型フレーズとしては、別表現にしておくメリットの方が大きいような気もするのだが・・。
 *(まさに、主体的、主観的視座として、「これ(imaM)」 でなければならなかったということはよくわかるが・・。)

78:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:31:35 7JxCfqt6
>>56
>せめて現成公案だけでなく、10個ぐらいは読んでくれや。

「古来、現成公案が解れば正法眼蔵が解るとまでいわれているように、この巻
は正法眼蔵を学ぶものにとって絶好の参究課題であるとともに、汲んでも尽きない
味わいの深い巻である。おそらく道元禅師にとっても特別に愛着のあった巻で
あろう。」(「現代訳 正法眼蔵 (新装版)」(禅文化学院著、平成20年
1月15日誠信書房発行)より)

「日本の仏教者」を自称するのなら、すくなくとも竜樹や道元くらいは熟読
して理解せよ。「釈迦カルト」で洗脳され、思考力、批判力を失った「文献
記載君」の君たちには、理解は困難だとは思うが。

それから、やたらとネット情報など引用するな。誰が書いたか分らないネット
情報など、信用すべきではない。

79:てすと
11/02/13 13:32:44 or/bgS21
釈迦よりも阿佐田哲也の方が凄い。

80:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:41:27 ygnyIkAX
>>77補。

>>64
『ブッダから道元へ』(東京書籍/1992)所収の片山さんの小論読んだことある?
(これを踏まえれば、>>77の〈「これ」と「かれ」の入れ替え〉は乱暴な援用・応用ということになるが・・w)

81:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:47:16 7JxCfqt6
>>77
当時の言葉では、「これ」と「あれ」とが同一の単語であった可能性
はないのか。さもなけれは「これあるからこれあり」では、此縁性など
どこからも生じない。釈迦の言葉だからという理由で無理に引っ張り出そ
うとするのは滑稽。ましてや、「相依性」など到底無理。

此縁性を考えなければ、「これあればこれあり」とは「あるがままの
現実」と解釈するのが、最も合理的である。しかし、釈迦がそこまで
考えることができたかどうかは疑問。

82:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:54:08 ygnyIkAX
>>81
印欧語の格変化を舐めてんじゃねーぞw

83:神も仏も名無しさん
11/02/13 13:58:11 Eth5zDVD
>>80
>『ブッダから道元へ』(東京書籍/1992)所収の片山さんの小論読んだことある?

多分、読んでない。出た時、松本に入れ込んでるヤツと話すために読んだ。

>>81
おいおい、「此縁性」イダッパッチャヤター、イダムプラティヤヤター、キェンニー・ディパツァムってのは
「これあらばこれあり」という伝承句を指す言葉なんだぜ。
何も分からず妄想すんなよ。


84:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:04:25 7JxCfqt6
>>82
いくら格変化しても、「語幹」の意味は変わらない。

いい加減で「文献記載君」は卒業したらどうかね。文献自体の信憑性そのもの
が殆どないのだから。おそらく誤解だらけだろう。

そんなことをするくらいなら、現代の社会にあわせた「自分自身の教義」を
作り上げたほうが、よほど手っ取り早い。

「釈迦の言葉だから、何か深い意味があるに違いない」という根拠の無い
先入観をまず捨て去ることが先決だ。

85:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:05:02 FRjU2OtH
>>71 ビッパー気質ってどんなの?

86:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:07:11 FRjU2OtH
>>79 出目徳が好きだったなw
あとは満州チビw

87:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:08:30 7JxCfqt6
>>83
だから、その伝承句の「意味」を問うているのだよ。

88:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:11:17 FRjU2OtH
>>84 自分自身の教義を作るのも結構だが、それが生命教のようなトンでも教なら、
どうにもならんww

89:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:11:51 ygnyIkAX
>>83
そか。
勿論、(註釈込の)伝統解釈というスタンスからのものではあるがw、一読の価値アリだよ。
特に、当該応答のお題(及び時間性との関連)と、件の定型句理解に於いて。

90:神も仏も名無しさん
11/02/13 14:17:45 7JxCfqt6
>>88
偉大な思想家なら、最終的には「根源」に行き着くものだ。「根源」から離れた
思考をいくらやっても時間の無駄。得られるものは「皆無」である。

91:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:01:09 Eth5zDVD
>>85
否定から入る。からかう。ある程度の能力はある。

>>90
君の場合は、根源も何も普通の日本語が読めんからな~


92:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:01:57 Eth5zDVD
>>89
今度、観てみる。なにせ重要なものだから。


93:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:08:50 BWRB0Vix
URLリンク(www.tibethouse.jp) ←ダライラマ法王のメッセージがランダムに出てきます
以下抜粋

----------------------------------------------------------------------------
私は広島を訪れました。その地で起きた核爆発に関しては、いくらか知識がありましたが、
実際そこに行き、自分の目で見て、当時原爆の被害に遭遇した人々に会ってみると、
聞いて知っているだけのこととは全く異なり、悲嘆にくれてしまいました。
恐ろしい兵器が使われたのです。
私たちは、誰かを敵と思ってしまうことがあるかもしれませんが、
より深いレベルで考えると、敵という人もはやはり人間なのであって、幸福を望み、
幸せになる権利が与えられているのです。
広島の惨劇を目の当たりにし、これについて考えると、
怒りや憎しみでは問題を解決することはできないのだという思いをますます強くしました。
----------------------------------------------------------------------------

>>85
スレの流れから推測するに、
すぐれた感性によって物事の本質を感覚的に知ろうとする性格の人
を指す言葉なのだと思います

94:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:08:51 BNlb6pzP
仏教の根源は
人を自殺に追い込むことだ

95:93
11/02/13 15:13:47 BWRB0Vix
違った(;-;)

96:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:30:13 Eth5zDVD
>>94
違うなあ

>>95
アナタの読みは、素晴らしい。清らかな見方だから。


97:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:37:46 FRjU2OtH
>>95 違いましたか?w

98:神も仏も名無しさん
11/02/13 15:40:51 FRjU2OtH
>>91 なるほどね、てすてに当てはまるなあw

「からかっちゃダメだって」
わかったか? てすとwww

99:神も仏も名無しさん
11/02/13 16:05:36 ygnyIkAX
>>84
ahaM gAmaM hatthinA gacchAmi.
ahaM hatthI gAmaM gacchAmi.
ahaM gAmaM hatthInam gacchAmi.
ahaM hatthiM nAmaM gAmaM gacchami,
私は象に乗って村へ行く。
私は象の居る村へ行く。(私は「象」という村へ行く。/象の爲に(象を目的として)村へ行く。)
私は、象たちの爲に村へ行く。
私は、「象」という名の村へ行く。

この文章を同じだと読むのかい?w
『語幹の意味は全部一緒』だねw

>いくら格変化しても、「語幹」の意味は変わらない。
とかw  アホですかwww

 *( >>ALL 中二つの文は、ちょいと無理があって怪しいかもしれんが・・w )


>>93>>98
URLリンク(www.media-k.co.jp)
URLリンク(d.hatena.ne.jp)
URLリンク(ja.wikipedia.org)(VIP)%E6%9D%BF

100:神も仏も名無しさん
11/02/13 17:12:00 wU7dmFpl
>>99
「象」に対する関係性(が、を、に、で、等等)が変化するだけで、「象」という
語幹は変わらない。

ところで、サンスクリット語の入門書(CD付きw)があったら、教えてください。

101:てすと
11/02/13 17:47:45 V+/Nuf8U
>>98

2ちゃんで他に何をしろとw

102:神も仏も名無しさん
11/02/13 17:55:56 ygnyIkAX
>>100
語幹(の意味)が変わる、などと誰も言ってないw
「文意」が変わる、と言ってんだよ。 タコスケw

103:神も仏も名無しさん
11/02/13 18:10:12 Eth5zDVD
>>102
生命教は、登場する中で、最も理解力がなく妄想力の高い一人なんだから、
まあ、そう熱くなんないで


104:神も仏も名無しさん
11/02/13 18:18:53 wU7dmFpl
>>102

「格変化」とは名詞、代名詞、形容詞などの「単語の形(意味の関係性)」
が変化することでり、「文章の形」が変化することではありません。

ところで、「これあるゆえに、あれある」において、サンスクリット語では
「これ」と「あれ」とが同一語形であることはありえないかについてご教示
ください。

105:神も仏も名無しさん
11/02/13 18:40:18 Eth5zDVD
>>104
お前に教えるのは、妄想を助けるようで、いやなんだが。

日本語のコソアドに照応するようなイエタアヤカがあるから。

妄想すんな。アホなの自覚しろよ。


106:神も仏も名無しさん
11/02/13 18:47:13 wU7dmFpl
>>105
君(?)が言った「これがあるからこれがある」が間違いではないかを確かめる
ためだよ。やはり間違いなのかねw。

107:神も仏も名無しさん
11/02/13 18:53:39 wU7dmFpl
>>105
此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す

– 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)

108:神も仏も名無しさん
11/02/13 19:01:12 ygnyIkAX
>>104
どこの誰が、「文章の形」が変化すること、なんて言ったんだい?w
文意が変わる、と言ってるんだがw

109:神も仏も名無しさん
11/02/13 19:06:16 ygnyIkAX
>>107
パーリ原文は、過去既に二度挙がってるw
貴方はそこに返レスしてるから、必ず目にしている筈なんですけどねぇ・・w

ほんと姑息さでは民主与党答弁以上ですなw

110:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/13 19:20:26 +KH3MAsk
>>42 :神も仏も名無しさん:
>「縁起(相互依存性・関係性)」という抽象概念だから、無自性で空性なのです。
>原始仏教の「因果関係(これあればあれあり)」では、
大乗仏教の空は成立しません。

因果関係と縁起では何処が違うのですか?
両方とも抽象概念ではないでしょうか。

>>43 :神も仏も名無しさん:
>中観派で「これあらばこれあり」という此縁性を否定する人は誰もいない。

しかし素人の私から見ると般若心経では縁起とか因果関係が否定されている感じを受けるのですが・・・

>>44 :神も仏も名無しさん:
>因果が崩壊し、世俗の言語習慣が崩壊する。

現に物理学では因果律は崩壊していますがそれにより科学技術は大発展をしています。

>要するになんでもありの虚無論になってしまう。

そんなことにはならないと思いますが。

>>46 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :

よくわからないです。

>法性とか、本性とか、本質とか、法則とか、それら言語形態を破壊するのが、そもそも空思想ですからね。

ならば法性を破壊する空ですから、「法性も空である」と言う事で良いのではないですか?


111:神も仏も名無しさん
11/02/13 19:58:45 wU7dmFpl
>>110
>因果関係と縁起では何処が違うのですか?
>両方とも抽象概念ではないでしょうか。

広義に解すればそうかも知れませんが、「因」が一方向的に「果」を生じる
のですから、やはり大乗の空ではなく、実体関係だと思う。竜樹の空は、因も
果もない相互依存性・関係性です。この意味で、業報や12縁起も、一方向性
であり、大乗の空ではない。

112:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:07:06 ygnyIkAX
>>110
>若心経では縁起とか因果関係が否定されている感じを
少し、仏教から距離を置いた言い方をすれば
≪「事象そのもの」「事象の連鎖そのもの」を予断無く見たとき、
 そこに「楔」を打ち込むが如き抽出作業(「これが因、これが果」等)無きこと≫を心経は云うからです。
≪縁起する諸法を、そうした抽出作業無しに見なさい≫というのが心経だからです。
そこにはもはや、因も果も、そして縁起ということさえも無く、ただ諸法の空なることだけが見られるからです。
そこを悟りの境地とするので、心経始め般若経典群の空思想の流れは、全てを否定する姿として見えてしまうのです。

>現に物理学では因果律は崩壊していますが
因果律が崩壊してたら、怖くて電車も乗れやしないw

>そんなことにはならないと思いますが。
「行為」というのは、基本的に何らかの期待される果を目指して行われるものです。
「こうすれば、こうなる」ということが法則的に定まっている、予測されるから、
或る行為が爲されるわけです。もし、そこにそのような予測が立たなければ、
行為する意欲は失われます。 (「どうせ無理だし・・」という“あきらめ”も近いものがあります。)
貧困層のアナーキーな志向性、或いは無気力な空気、等も、そういうことに依拠している筈です。
そういう意味で、虚無的(≒ニヒリズム)な世界観になる、ということじゃないかな?
全てが、そのような予測不能性、不可能性に覆われてしまう、と。
発言者じゃないんで推測だけどw

113:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:07:22 Eth5zDVD
>>109
>ほんと姑息さでは民主与党答弁以上ですなw

姑息なんじゃなくて、天然なだけでしょ。

あれだけ最初から誤解指摘され、ほんとに短文すら読めないのを皆に認識されても、正論のつもりだから。

タヌポンは、狸だけど生命教は天然だからなあ

114:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:09:57 ygnyIkAX
>>113
       lヽ ノ l        l l l ヽ   ヽ
  )'ーーノ(  | |  | 、      / l| l ハヽ  |ー‐''"l
 / D  | | |/| ハ  / / ,/ /|ノ /l / l l l| l  D ヽ
 l   ・  i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'"   `'メ、_lノ| /  ・  /
 |  V  l  トー-トヽ| |ノ ''"´`   rー-/// |  V |
 |  ・   |/     | l ||、 ''"""  j ""''/ | |ヽl  ・ |
 |  D   |       | l | ヽ,   ―   / | | l  D  |
 |   !!  |     / | | |   ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | |  !! |
ノー‐---、,|    / │l、l         |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
 /        / ノ⌒ヾ、  ヽ    ノハ,      |
,/      ,イーf'´ /´  \ | ,/´ |ヽl      |
     /-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ    |  l
   ,/   | ヽ  \  _,ノーf' ´  ノノ  ヽ   | |
、_    _ ‐''l  `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_   _,ノ ノ
   ̄ ̄   |           /


今更だがw

115:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:16:04 Eth5zDVD
>>110
>しかし素人の私から見ると般若心経では縁起とか因果関係が否定されている感じを受けるのですが・・・

いえいえ、誤解ですよ。例えば、縁起するという、「これあらばこれあり」にあてはめて、
「毒をのんだから死んだ」という場合、
毒にしても死にしても、空ですが、言語習慣として仮設されるだけです。
実体的な毒が、死に作用したという素朴実在論の因果関係ではありません。

>>>44 :神も仏も名無しさん:
>>因果が崩壊し、世俗の言語習慣が崩壊する。
>
>現に物理学では因果律は崩壊していますがそれにより科学技術は大発展をしています。

因果律が崩壊したのではなく、実在論やアルケー、物の基体が無かった、
つまり、実在論や本質主義が崩壊しただけのことでしょう。
ところが、西洋思想は実在論、本質主義だから、説明体系が構築できない。
そこで一部の科学者は仏教に接近しているわけですが、
大部分の科学者は、相変わらず実在論、本質主義による説明の筋道を模索しているというのが、
素人の所見です。

>>要するになんでもありの虚無論になってしまう。
>
>そんなことにはならないと思いますが。

ならなければ、いいのですが、空を虚無論、なんでもありとか、
現状肯定の根拠にする人は後を絶ちません。
唯の誤解ですが。


116:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:17:02 Eth5zDVD
>>114
どういう意味?


117:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:18:31 ygnyIkAX
>>116
つID:Eth5zDVD

URLリンク(www.media-k.co.jp)

118:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:34:50 v2Q03K+/
怒りは自然な感情だ、と思っている人は是非読んでください
怒りは人工的な感情だ、と思っている人は読む必要はありません

戦争は無くならない、と思っている人は是非読んでください
戦争は無くせる、と思っている人は読む必要はありません

虐めの原因は虐められる側にもある、と思っている人は是非読んでください
虐めの原因は100%虐める側にある、と思っている人は読む必要はありません

真実は一つだけ、と思っている人は是非読んでください
真実は人の数だけある、と思っている人は読む必要はありません

感情自己責任論  URLリンク(sky.geocities.jp)

119:神も仏も名無しさん
11/02/13 20:40:58 Eth5zDVD
>>117
あんたもすきね~

さっぱりわからない?


120:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
11/02/13 20:54:24 GZG3RuOi
>>110
>ならば法性を破壊する空ですから、「法性も空である」と言う事で良いのではないですか?

いやいや、それはオカシイですね。

そもそも空とは、非有であり非無です。
つまり思惟における対象を越えて得られる無分別智のことですから、
法性とか、そういった一連の“名称&形態”そのものが寂滅した位相のことでありますね。

また、違ったアプローチも可能なのですが・・・
例えばですね、
「法性も空」であると仮定したとします。
法性とは、非法性において「法性」である訳ですね。
(論理的にはそうなります)
つまり、「法性とは、非法性において法性である」。となります。
ならば、
非法性を定義しなければなりません。
もし、定義不可なら、論理自体が成り立ちません。

ようするに、法性とは対象化において法性であるが、
空は、そもそも対象化不可の位相(無分別智)ですから、
「法性ならば、すでに法性そのものは寂滅します」。
なんにしても、論法的に空を定義することは不可です。

121:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/13 20:59:28 +KH3MAsk
>>111 :神も仏も名無しさん:
>竜樹の空は、因も果もない相互依存性・関係性です。

では「空」は相互依存性・関係性のことを言うのですか?

>>112 :神も仏も名無しさん:

まず確認しておきたいのですが、因果律と言うのは一意的決定論のことを言います。
原因と結果が一意的に決定していると言う意味です。
その逆が非決定論で例を挙げると確率です、同じ原因でも何通りかの結果がありうるという立場です。
「これあらばこれあり」と言うのは決定論であり「これあらばこれしかない」と言う意味だと解釈できます。
もし非決定なら「これあらばこれかもしれない」と言う表現になり、全く因果性を表さなくなります。
縁起と言うのは一意的決定論の事だと断言してもいいのではないでしょうか。

そこで因果律の崩壊ですが物質現象が一意的に確定できないと言う量子論が現実の科学技術を支えています。

>因果律が崩壊してたら、怖くて電車も乗れやしないw

わずかの確率で事故にあうが、それは予測できない、と言う感じです。

>「行為」というのは、基本的に何らかの期待される果を目指して行われるものです。

まさにこのことを問題にしているのではないでしょうか。
其の期待が裏切られるときに人は苦しむわけです。
努力と成果の関係を一意的に期待する事が煩悩なのではないですか?

行為?食べるときに目的を問うでしょうか?
逆に農業のような産業には強い目的意識があります。
このため仏教は産業に対して余り肯定的でないのでは無いですか?


122:神も仏も名無しさん
11/02/13 21:06:34 Eth5zDVD
>>121
その因果律は、前提として実在論、外界に自立的に実在するものが、
個々に作用し現象するという考え方ですね。

ところが、仏教の縁起はそう考えません。
一水四見ということがよく言われます。
人にとって水に見えるものが、魚には人の空気、
神々には甘露、餓鬼には血膿、地獄の住人にはマグマのようなものに見えるとされます。

これとコペンハーゲン解釈でしたか、二重スリットでしたかの観測は照応するように思えます。

恐らく、マチウ・リカールの『掌の中の無限』を読まれるといいでしょう。
原書のフランス語か、英訳がいいと思います。
和訳は仏教関係の部分に誤訳が多いので残念です。


123:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/13 21:13:09 +KH3MAsk
>>115 :神も仏も名無しさん:
>素朴実在論の因果関係ではありません。

しかし、色 受想行識 眼耳鼻舌身意 色聲香味觸法
と言うように極めて具体的に例を挙げて否定しているのは素朴実在論の因果関係を否定していると受け止めた方が自然なのでは?

でとりあえず素朴実在論を否定して、其の後でどう捉えなおすかといった時に・・混乱しています。

>なんでもありとか、

そうですよ、その場合全て選択は自己責任になるとも考えられます。
虚無論になる理由は無いはずです。

>現状肯定の根拠にする人は後を絶ちません。

現状肯定がもし出来るなら、自殺する人も居ないし、苦しむ人も一人も居ません。

>> 120 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
>法性とか・・・・それら言語形態を破壊するのが、そもそも空思想ですからね。

と言う事だったので「法性」と言う言語を破壊する(空)なのですねと聞きました。



124:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
11/02/13 21:14:39 GZG3RuOi
>>121
>そこで因果律の崩壊ですが物質現象が一意的に確定できないと言う量子論が現実の科学技術を支えています。

中論においては既に因果律は崩壊してますね。

時制のプロセスは全く考える必要性はないです。
しかし縁起は別ですね。






125:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
11/02/13 21:18:23 GZG3RuOi
>>123
>と言う事だったので「法性」と言う言語を破壊する(空)なのですねと聞きました。

そうですね。そのとおりです。

では、おやすみ。




126:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/13 21:27:16 +KH3MAsk
>>122 :神も仏も名無しさん:
>その因果律は、前提として実在論・・・・

はいおっしゃるとおりだと思います。
現に「因果律が崩壊してたら、怖くて電車も乗れやしないw 」とおっしゃる人も居て素朴実在論を信じている人が居ます。
そう言う人が多いこで般若心経(中観)は素朴実在論を徹底的にしつこく否定したと思います。
仏教は嘘八百ではないと思います、現実に即した教えだと思います。
素朴実在の否定はあれはお経の中のことで現実には適応できないと言うのであれば残念なことだと思います。

>一水四見ということがよく言われます。

それはやはりあくまでも人間の一主観の一面的見方の域を出ていません。
所詮「私」から見た水、魚、空気であることは明らかだからです。
観測点は一箇所です。

127:神も仏も名無しさん
11/02/13 21:32:40 ygnyIkAX
>>121
因果の拾い上げは恣意的です。(そこに、現代科学、物理学の限界があるのかもしれませんw)

>縁起と言うのは一意的決定論の事だと断言してもいいのではないでしょうか
ざっくりとした、且つ俗っぽい喩えになりますが、
朝、いつも食べている食パンが無く、御飯と味噌汁だった。このような事象に出会った時、
・自分にA:「朝はパンでないと駄目だ。以降の気分やモチベーションが全て台無しになる」
という想い(=思い込み)があれば、B:「なぜ買い足しておかなかった!」という妻への怒りの念が生じることでしょう。
・しかし、そこに「パンでなくとも良い」「買い足す余裕がなかった」「人間だもの、気付かない時もあるか・・」
という要素Xが加われば、怒りの念Bは生じないことでしょう。
前者に於いては、Aという固執した想いが、Bという怒りを生じさせています。
これを「これあればかれあり」「AればBあり」と言うことができます。
しかし、後者に於いてはそうはなりません。なぜでしょう?w
また、そもそも、Aを因、Bを果とすることからして、妥当な因果の抽出でしょうか?
Aによる果は、C:「仕事に身が入らず、ケアレスミスを連発した」というものかもしれません。

縁起とは、単なる因果律ではありません。まさに「縁のもの」だから「縁起」なのです。
因果(因果律)は縁起の一部にしか過ぎません。
上記の例でも様々なバリエーションが夢想できますが、
AやB或いはCやXがどのような内容であろうとも共通する点があります。
それが「これあればかれあり云々」なわけです。その意味で「因果」である(「一因一果」である)、≒一意的である、と言い得るわけです。
(ほんとはもっと厳密ですが・・w)

128:神も仏も名無しさん
11/02/13 21:36:14 Eth5zDVD
>>123
いやいや、縁起は初めから、本来仏教であれば素朴実在論ではないのです。
素朴実在論で縁起を解釈しているなら、それは縁起ではありません。


129:神も仏も名無しさん
11/02/13 21:40:52 Eth5zDVD
>>126
ですから、本来仏教全てが素朴実在論を否定しています。
ただ、教えでも常識寄りの見方から、極めて高い見方まで様々です。
例えば、無常という見方は、素朴実在論に近い見方です。
これは凡夫の認識に合わせた教えだからです。

知覚は人によって違うと仏教は捉えます。

例えば、精神異常者が凡人と見えるものが違うように、
三昧体験などで、見えるものが違うと仏教は考えます。



130:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/13 23:34:59 +KH3MAsk
>>127 :神も仏も名無しさん:

ABC全て因果律だと思います、直接にも間接にも因果律は関連すると言われております。
A→B→C・・・・→Z のばあいA→CとかA→Z と捉えても因果律は成り立たねばならないからです。

>縁起とは、単なる因果律ではありません。まさに「縁のもの」だから「縁起」なのです。

今ひとつ判りません。

>因果(因果律)は縁起の一部にしか過ぎません。

では因果律と縁起とはどう違うのですか?

>

>>128 :神も仏も名無しさん:
>それは縁起ではありません。

ではどう縁起を解釈したら良いのですか?

>>129 :神も仏も名無しさん:
>知覚は人によって違うと仏教は捉えます。

それは解ります。
素朴実在論と縁起はどう違うのですか?

131:てすと
11/02/13 23:46:22 ZgQxAW3E
>>130

因果律と縁起は全く違います。


因果律は過去から現在。現代から未来。

縁起は同時です。


時制の違いです。

132:神も仏も名無しさん
11/02/13 23:52:13 wU7dmFpl
>>128
人間は、素朴実在論によらなければ生存できない。釈迦も、僧侶も例外ではない。
托鉢も、素朴実在論によらなければ受け取れない。釈迦が、「世界を空と観ぜ
よ」と言った時、その前提となる世界は、素朴実在論による世界である。もし
その世界が「幻の世界」なら、「空と観ぜよ」は同義反復。

>>129
健常者の知覚はほぼ同一である。だから社会が成立し得る。仏教とは、知覚を
狂わし、狂気を発生する営みなのか。そうであれば、仏教は人間にとって無益・
有害な代物以外の何物でもない。

縁起が、素朴実在論による実在物を対象にしないのなら、縁起の対象は一体何か。
「幻」がどのように縁起するのか。縁起概念は、この世界では通用しないものに
なってしまう。

133:てすと
11/02/13 23:57:31 ZgQxAW3E
>>130


>素朴実在論と縁起はどう違うのですか?

網の目は実際には中空であり網の目という物質は存在していません。

縁起は実在論ではなく、全ては網の目のように他に依存してなりたっているという事です。

人間は1気圧の大気の微妙なバランスによってなりたっており、条件がかわれば消滅します。
人間の存在に大気など環境諸条件を含むのが縁起の考え方、箱庭の思考実験により人間の周りの環境を考慮しないで抜き出して時間を止めたのが実在論です。





134:神も仏も名無しさん
11/02/14 03:50:56 3qbjv0uO
>>131
因果も同時だよ。
現象面で考えるから、同時にならない。



135:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
11/02/14 06:13:04 T1vbZp8m
>>130
>ではどう縁起を解釈したら良いのですか?

縁起において「これ」と「かれ」が生じる。
縁起がなければ「これ」と「かれ」は生じない。
(中観にとっては、ここのとこが重要です)→素朴実在論の否定
ならば、「これ」と「かれ」は自性ではない。
といふ、論法上の実有論否定のことですね。

また「生じる」も論法上の仮定の説示であることを
「不生不滅」において否定する。

つまり、論理的には縁起の説明は不可ですよね。
しかし人間は、論理的不可であっても理解することは可能です。
(これがつまり思惟を超える、ですよね)
縁起と空は不可分ですね。

136:神も仏も名無しさん
11/02/14 07:09:19 reNeqBbD
>>130
既に説明してますよ。よく読んでください。

では、単純に言い換えて対比してみましょう。
素朴実在論のばあい、
外界が自立的に個々に実在していて、それに名前が付けられている。
だから、認識する場合、実在対象が実在する脳に知覚されるといった因果関係です。
物理的因果関係は、実在物によって、別の実在物が影響されたり、発生したりすると考えます。
最も典型的なのは原子還元主義だと思います。

これに対して縁起の場合、
実在物は何もありません。
過去の業と諸縁の力が、言語習慣と結びついて名づけられ、認識されると考えます。
ですから、本来は空で、無我、無自性、本質や実体がないとされるわけです。
『般若心経』などは、こちらを強調しています。

ですが、因果律はあります。こちらは言語習慣どうりです。
言語習慣というのは、それぞれの習慣、言い習わし、仕来りで適当に形成されたものですが、それは否定しようもなくあるがままあるものです。

認識する場合、過去の業が諸縁と結びついて言語習慣通り意味分節されて認識されます。
対象の因果関係も、業と諸縁と言語習慣がそのように意味分節されて立ち現れ認識されると考えます。
ですから、外界対象も自立して実在しているのではなく、意識も自立して実在しているのではなく、ただ縁起しているだけと考えます。

過去の業というのは、例えば、人の認識機能を持っていると言った、限定された能力、環境、時間なども含みます。
こちらも本質的に習慣と考えられます。



137:てすと
11/02/14 09:06:00 Ix9KB9rw
>>132

>健常者の知覚はほぼ同一である。だから社会が成立し得る。

ガリレオの知覚を大衆は理解できなかった。
だからといって釈迦がガリレオだとは思わないが、社会が成立しうるのは天才がリードしてきたからであり、
大衆知覚の同一性はあとから補完されるにすぎない。

>>134
因果は縁起ではなく無常からくる考えだから、変化には⊿tが必要なので同時じゃない。

>>136

>過去の業と諸縁の力が、言語習慣と結びついて名づけられ、認識されると考えます。

仏教用語を説明するのに別の仏教用語を使う人は基本的に信頼されないから控えた方がいいと思う。

138:神も仏も名無しさん
11/02/14 10:44:20 ryep1KF1
>137
ガリレオの視覚も他の健常者の視覚と同じ。彼はその健常者の視覚を以って、
望遠鏡を利用して天体をより注意深く観察することにより地動説を発見した。

社会の構成員の知覚がそれぞれ大幅に異なっていたら、交通信号による
交通整理もできないw。視力検査表も色盲検査表も意味が無い。建物も
建てられないし、電車にも乗れないし、飛行機も落下する。

社会を維持しているのは、無数の名も無い生活者たちである。釈迦も、
イエスも、いかなる天才たちも、これらの生活者たちから生存に必要な物資と
サービスを提供されなければ、そもそも生存できなかった。

「人は、パンがなければ生きられない」のである。

139:神も仏も名無しさん
11/02/14 11:17:22 ryep1KF1
>>136
「言語習慣」という言葉は意味不明だから、使わないほうがよい。「言語」及び「習慣」の
意味か。それとも「習慣としての言語」という意味か。「言語」も広い意味では習慣の
一部ではあるが、「共同体における成員間の意思伝達の手段」という意味で、他の「習慣」
とは区別して使用される。

「対象物の知覚」と「知覚された対象物の意味・性質・名称」とは区別すべき。前者は、
実在(それが何であれ)を判断するための先天的な機能。後者は、「共同体における成員間
の共通の合意の学習の結果」に基づく。例えば、四つ足で動く物体を知覚することにより、
その実在を判断するが、その対象物が、犬であるか、猫であるか、それとも牛であるかは、
あくまで共同体における合意の学習の結果による判断(観念作用)である。両者を混同すべき
ではない。

縁起やその他のいかなる思考も、素朴実在論による実在の判断に基づき、それを観念化
したに過ぎない。釈迦の「世界を空と観ぜよ」も、その極く一例に過ぎない。釈迦も、
素朴実在論によらばければ、そもそも生存できず、したがって仏教も発生し得なかった。


140:神も仏も名無しさん
11/02/14 11:27:12 EMnXZmXQ
諸行無常栄枯盛衰生者必滅・・・有名な言葉ですね。うーん、味わい深い・・

「ソロモンによる伝導の書」の一部の要約としてよく知られていますね。

141:神も仏も名無しさん
11/02/14 11:28:04 BJVURZBV
>>137
> 因果は縁起ではなく無常からくる考えだから、変化には⊿tが必要なので同時じゃない。
「因果倶時 因果異時」でググると幸せになれるかもな。

142:神も仏も名無しさん
11/02/14 11:43:30 ryep1KF1
>>140
>諸行無常栄枯盛衰生者必滅・・・有名な言葉ですね。うーん、味わい深い・・

それらもすべて「素朴実在論」による判断であるw。

なお、旧約聖書の「コヘレトの言葉」で使われる「空」と、大乗仏教における「空」とは、
その意味と性質が全く異なる。前者は単に「無い」「空しい」という意味。

>>141
釈迦仏教(小乗仏教)における「縁起」と、大乗の竜樹の「縁起(空)」とは、その
意味が本質的に異なるから、常に区別すべきである。竜樹は、釈迦の「縁起」を
換骨奪胎し、コペルニクス的転回を行ったのである。

143:神も仏も名無しさん
11/02/14 14:03:22 3qbjv0uO
>>137
これから起こる現象について言ってるんじゃなくて、
すでに起こったこと・・・例えば、成長した木『A』があったとする。
この『A』には、種Aと芽Aが存在することになる。
種Aが幻想ならば、芽Aと、木Aも、幻想というこになるよね?
逆もしかり。木Aが幻想ならば、芽Aも種Aも幻想ということになる。

もし、種A 芽A 木A いずれか実在するものならば、残りの二つも、
実在のもの、ということになる。

144:てすと
11/02/14 14:28:24 Ix9KB9rw
>>143

>木Aが幻想ならば、芽Aも種Aも幻想ということになる。

なぜ?木Aが幻だと芽A種Aが幻想なの?
実存する芽Aを観て「ここに木Aがある」と狂った人が言ったとして、芽Aは存在するでしょ。

>成長した木『A』があったとする。この『A』には、種Aと芽Aが存在することになる。

なぜ種Aと芽Aだけなの?重力も太陽光も大気も土も存在することになるよね?
木Aが存在するということは「無限の原因」が存在するという事であり、原因が無限に薄まるから因果律は厳密には崩壊している。。

おけ屋がもうかったのは風が吹いたというのと、太った原因は食べ過ぎ、というのは使い方が違うんだけどね。

145:てすと
11/02/14 14:43:52 Ix9KB9rw
>>138

ちなみに地動説を最初に提唱したのは、カトリック司祭のコペルニクス。
イエスもなかなかやるじゃないか。

>社会の構成員の知覚がそれぞれ大幅に異なっていたら、交通信号による
交通整理もできないw。

信号機の切り替えシステムは普通の人はしらない。

社会の構成員が知覚できるのではなく「馬鹿でもわかるように」知覚しやすいように、賢い奴が作ってるわけ。
信号を渡る奴と信号システムを作る者とでは会話が違うわけ。

池上彰がなんで受けるのかというと、馬鹿にもわかりやすく難しい事をつたえる技術があるから。

釈迦は馬鹿と賢い奴で説法を使い分けていて、口伝以外で文字に残しちゃいけないよといったのに、
だれかが文字に残したから馬鹿が難しい説法に触れて勘違いするようになったの。

146:神も仏も名無しさん
11/02/14 15:14:58 3qbjv0uO
>>144
>実存する芽Aを観て「ここに木Aがある」と狂った人が言ったとして、芽Aは存在するでしょ。

例えば狂った人が実在する芽Aを見て、『木A』と認識した場合、それは「実在する芽A」 ということじゃなくて、
『実在する芽Aを木Aと誤認したもの』=幻覚の木B であって、
実在する芽A上に存在する、木Aじゃない。

幻覚の木Bには、当然、幻覚の芽Bと、幻覚の種Bが、存在することになる。


>なぜ種Aと芽Aだけなの?重力も太陽光も大気も土も存在することになるよね?

もちろん、種と芽だけじゃなくて、それにまつわる色々なものも存在することになる。
じゃあ、そういうのをまとめて、『種Aが存在する宇宙』 『芽Aが存在する宇宙』 『木Aが存在する宇宙』 ということにしよう。
『木Aが存在する宇宙』があるということは、『芽Aが存在する宇宙』があるということになり、
『芽Aが存在する宇宙』があるということは、『種Aが存在する宇宙』があるということになる。

もし『木Aが存在する宇宙』が幻想であるとするならば、『芽Aが存在する宇宙』も、『種Aが存在する宇宙』も、
「幻想」ということになる。

147:神も仏も名無しさん
11/02/14 16:29:45 zkuf/Ave
>>145
>イエスもなかなかやるじゃないか。

冗談じゃない。コペルニクスやガリレオを迫害したのはキリスト教会w。
同じく地動説を唱えたブルーノは異端として火あぶりにされた。イエスも、
「神の言葉とは異なる」という理由で、当然、迫害に加担したであろう。

バチカンがガリレオ裁判の誤りを認めたのは、つい数年前。

「真理は、キリスト教を離れることによってのみ得られる。」

148:神も仏も名無しさん
11/02/14 17:00:47 IkgJfADu
>>145
>口伝以外で文字に残しちゃいけないよといったのに

ダウト。
そのような伝承はありませぬ。

149:てすと
11/02/14 19:08:28 Ix9KB9rw
>>147

馬鹿な話だ。教会が金を吸い上げたから司祭は潤沢な生活環境で研究に打ち込む事が出来た。

発見したあと死刑になろうがなんだろうがそんな事は関係ない。

真理は一度でも発見して継承されれば発見者が死のうと残るから問題ない。

だから真理の発見はイエスのおかげ。

150:神も仏も名無しさん
11/02/14 19:42:41 IkgJfADu
>>130
>ABC全て・・・・・・からです。
Xはどこへ? また、「B→C」ではなかった筈ですが?
「A→B」ということも「A→C」ということもある、という話ではありませんでしたか?
貴方の主張は≪「Aならば必ずBである」というものでなければならない≫だったと思いますが、
Bである場合もCである場合もある時、必ずしも一対一、或いは一意的・決定的ではありませんが?

また仮に、横道・枝道の無い、一本道の流れとして見たとしても、
まさにそのように、AtoZのどこを因とし、どこを果とするかは恣意的だと言ったのです。
そうした楔を打ち込まない時、中論の(中観の)縁起となるわけです。
だから、心経のような謂いが可能となり、重々無尽の縁起、華厳的法界の構築が可能となるわけです。
因も果もなく、ただ「諸法が縁起しているだけ」という世界が・・。
 *(「時制」もまた楔の一つですので、これを捨象すれば、悠久の昔から未来永劫まで、
   過去も未来も無く、ありありと生き続ける法身、法性を言うこともできます。
   縁起が同時だという発言は、ここにのみ依拠することができるものです。
   *ただ、ここが「常住する」という反縁起的考え方と接点を持ってしまうのです。)

>今ひとつ判りません
貴方のフィールドに合わせた表現をするなら、Xという「変数」の存在を無視するから解らなくなるのです。
≪条件(≒変数)によって、因と果の結び付きが、「それ以外に無い」「決定的・一意的」なものとなるケースがある≫
ということです。ですから、決定論的でもありませんし、問答無用の一意的連関ではないのです。
だから、「縁のもの」(条件(≒変数)に依拠するもの)と表現したのです。

>では因果律と縁起とはどう違うのですか?
上で述べたように、(変数の作用を考慮するが故に)、
「縁起」は「因果(因果律)」を包括するのです。(だから、「(論理的)同時性」を言うことが可能なのです。)
先の例と絡めれば、Xを因と「見做す」ことがあってもよいのです。
片山一良的に言うなら、仏教は「因果関係」を説くものでなく、『縁果関係』を説くものなのです。

151:神も仏も名無しさん
11/02/14 20:25:09 5JFEdgHl
>>150
>、『縁果関係』を説くものなのです

「果」という言葉を使った時点で、すでにおかしい。「因」も「果」も縁起に
支配されているのだから、縁起によって「果」が生じるとしたら、実体論、
常在論になってしまう。「因」も「果」もない抽象的関係性が「縁起(空)」
である。

小乗的には、そういわざるを得ないのかもしれないが。

152:神も仏も名無しさん
11/02/14 20:41:31 IkgJfADu
仏教 議論スレッド 8
62 2/3 sage 2010/11/20(土) 14:22:32 ID:1dISWLbT
スレリンク(psy板:660番)
>「因」と「果」という「実体」が前提とされ
それが思い込みだと何度言ったら理解するのでしょうw
【「実体」である必要は全くありません】。
寧ろ、《なぜ、『「実体」である』『「実体」でなければならない』と考え得るのか》、不思議でなりませんw
そういえば、
「実体」絡みの話も、貴方が逃亡(スルー)したから議論が止まったのですよ?w
《「中道」は「道の両端」、「両端は実体」》の話も、貴方が逃亡(スルー)したから議論が止まったのですよ?w
《これあればかれあり》の話も(過去スレに原文挙がってますけどね・・今更ですがw)、
《(「あれ」「これ」「かれ」等)「代名詞」の指示対象は「実体」》の話も、
《原文・原典無視の翻訳依拠かと思えば、更に現代的再解釈こそが至高》も、
《対象を認識する際、刹那に静止させると、そこに「実体」がある》《高速度カメラ云々》の話も、
貴方が逃亡(スルー)したから議論が止まったのですよ?w
《生命現象の観察は、その根源を何ら担保しない》という指摘も、
《「死」は、根源性を担保しない》という指摘も
《「苦」は機能である》《○○という機能》の話も、
《貴方は「因果無き生活・生」を送っているのですか、貴方の生に因果は無いんですか》という問いも、
《岩波辞書執筆者》《執筆者選定》の話も、《仏教及び釈尊への現代的批判》の話も、
《諸行無常》についても、《自灯明法灯明の私のレス》も、《無明=生命》についても、
どれもこれもどれもこれも、てめぇが【スルーして】、【違う話題へシフトして】るだけだろがw
どれもこれも、既に【「論破」と言ってもいいくらいの「きっちりした反論」】をしてるんだよ。
それらを悉くスルーしておいて、いけしゃあしゃあと同じ問いをしてくんじゃねーよ。ボケナスが・・。
てめぇが「無知」で「世間知らず」だと言ったことの意味する所はな、
『社会的人間として、大人として、対話をする者としての、礼儀やマナー、文脈の把握等』に決定的に欠けているってとこだ。
どれだけ非礼の極みを尽くせば気が済むんだ?
てめぇには、「屑」という言葉さえ勿体無い。

153:てすと
11/02/14 21:19:36 Ix9KB9rw
「自然の摂理は決して人間が万能ナイフを作るような貧しい振るまい方はせず、
それぞれに個別の目的を持つものを作ります。多くの用途を持つ道具ではなく、
たった一つの用途をもつ道具こそ何にも増して役に立つからです。」

アリストテレス


うーん、素晴らしい。その通り。

154:神も仏も名無しさん
11/02/14 22:50:30 taew1y/r
質問ですが何故仏教スレでキリスト教の正当性とかイエスが神とか議論になるのか
よくわかりません。池上某みたいに優しく教えてください。

155:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/14 23:53:00 STjeKHEO
>>131 :てすと:
>縁起は同時です。

月と地球は互いに引き合っていますが、これは明らかに同時です。ならば月と地球の引き合いは縁起ですか?

>>132 :神も仏も名無しさん:
>托鉢も、素朴実在論によらなければ受け取れない。

そんなことは無いと思います、普通に受け取ればいいし、現実に受け取っています。
素朴実在論が否定されても世間は昔のままです、論で生きてるわけではないでしょう。

>>133 :てすと:
>縁起は実在論ではなく、全ては網の目のように他に依存してなりたっているという事です。

成る程よく判ります、大気の話。
事象の因果関係ではなく条件(縁)のことですね、私なりに理解すると因果の要素(条件=縁)を中心にする見方と言うことでしょうか。
有難うございます、その辺でもう少し考えます。

ちなみにその場合「これあらばこれあり」と言うのは不適切な感じですね。


156:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/15 00:15:56 kYK47jMb
>>135 :机龍之介 ◆
>論理的不可であっても理解することは可能です。

どういう理解ですか?
「空が何故青いのか」は論理的不可でも理解することは可能だと思います。同様に縁起が有る事は理解(納得)することは出来ます。
しかし宗教的に中心的な考えとして取り上げる意味が分からないのです。
私が考えうる意味は因果の一意性(絶対性)を否定するだけの意味です。
空もそうだと思います、ただ単に実在しない(本質は無い)という否定の意味だけだと思います。

>>136 :神も仏も名無しさん:
>外界対象も自立して実在しているのではなく、意識も自立して実在しているのではなく、ただ縁起しているだけと考えます。

はい分かりました。
其のときに縁起と捉える意味が実在の否定だけの意味なのか、事象の関係の本質だと言う意味なのか、わからないのです。

例えば業と認識に一意的な縁起は有るのでしょうか?
まあ「良い事をすればよい結果になる」と言う事は言えるのか?
と言う疑問です。






157:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/15 00:21:19 kYK47jMb
>>150 :神も仏も名無しさん:
最初にお断りしておきますが、私は因果律を否定する考えです。
なぜなら因果律(一意的決定論)はビッグバンから未来永劫全ての事象は一意的に決まっていると言う考えだからです。
恣意的にどの時点をとっても全ての関連性が確定していると言う考えです。

>≪条件(≒変数)によって、因と果の結び付きが、「それ以外に無い」「決定的・一意的」なものとなるケースがある≫

因果律とか決定論と言うのは全ての初期条件を因と言ってます。
変数も勿論含まれて居ます。
「事象は先行する事象のみによって(一意的に)決定する」と言う事らしいです。

>「縁起」は「因果(因果律)」を包括するのです。

因果でない部分の縁起とはどういうケースですか?

158:神も仏も名無しさん
11/02/15 00:22:24 AaAkXr6O
禅問答状態

159:てすと
11/02/15 00:32:40 9qosn1Qr
>>157

海岸の波のように球形を伝わってくるものは、初期条件や根本原因を必要としません。

あと、例え未来が決まっていても、
現状を解決しようとする自分の行動も決まっているという事なので、決まってない未来と決まっている未来の差はなく同じです。

160:神も仏も名無しさん
11/02/15 00:40:09 pG4qrYuQ
んじゃ、俺もちっと聞いてみようかねww
>>157
>最初にお断りしておきますが、私は因果律を否定する考えです。

ってことは、あなたはあれですかね? ファインマン的な確率の総和
として世界を捉えているのかな?

161:神も仏も名無しさん
11/02/15 01:12:02 gQYq7Omx
>>155

托鉢については、そういう意味で言ったのではありません。素朴実在論とは、
目に見える(知覚できる)対象がそのまま実在であるという信念ですが、
その信念がなければ、差し出された托鉢が果たして実在であるか否かが判断
できず、受け取り様がないということです。どんなに偉い宗教家でも、腹が
減っている時、目の前の飯を、これは果たして実在か、などと判断して食う
者はいません。人類は、「(必要な場合は観測装置を使用して)五感で知覚
できる対象が実在」であると判断して生存してきました。若し、目の前の大
地が実在しないのなら、一瞬にして奈落の底です。このことは、釈迦でも
イエスでも、例外ではありません。

162:神も仏も名無しさん
11/02/15 01:33:47 gQYq7Omx
>>152
その殆どは、小乗の貴殿と大乗の私との考え方の相違ではありませんか。

そうであれば、修行者の貴殿がそれほどカリカリすることはないでしょう。
修行が足りないといわれますよw。

なお、ここは「日本の」仏教スレですから、専ら大乗に準拠して議論して
ほしいものです。私は日本人ですから、小乗の議論はスルーせざるを得ません。

163:神も仏も名無しさん
11/02/15 01:52:36 pG4qrYuQ
>>162 あのなあ、アホ隠居w
セブンが言ってるのは、「反論に詰まると、すぐ論点をずらして逃げに周り、
それさえも出来なくなると逃走。そして、ほとぼり冷めた頃、また同じことを
繰り返す」という、お前の姑息さを批判しているのww
セブンに限らず、ほぼ全ての者に指摘されてきたろうが?ww
いい加減にわかれやw

164:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:00:26 gQYq7Omx
>>163
反論は、すべてのレスを通じてしていると思うが、宗教に嵌った方には理解
できないだけです。

通常の知能の持ち主が、前レスや現レスから容易に回答が得られる質問や、
一読して明晰な理解が不能な質問には、回答は控えさせていただいています。
一度きりの人生の貴重な時間の無駄ですから。ここは幼稚園の「お勉強」の
場ではないはずです。

165:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:05:07 pG4qrYuQ
>>164
>反論は、すべてのレスを通じてしていると思うが・・・・

またそうやってウソつくww
そのうそつきクセも批判対象ねw
お前が「既に回答済み」として逃げ出したとき、しばしば俺は
「その回答のレス番提示よろしく。」といってるのに『唯の一度も』
それができたことなかったよなww

閻魔に舌抜かれるぞwwww

166:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:05:22 gQYq7Omx
>>168
「論点をずらして逃げ回った」覚えは、一度もありません。「現代人としての
異なった視点」からの見方、考え方を提示しているだけです。質問者が、その
宗教ゆえに、をれを「受け入れられない」だけです。

167:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:10:59 pG4qrYuQ
>>166
>「論点をずらして逃げ回った」覚えは、一度もありません

そりゃあ、お前は3歩、歩いたら忘れてしまう「ニワトリ隠居」だから
『覚えはない』のかもしれんなww
病院行って、認知症の検査してもらえw

>。「現代人としての
異なった視点」からの見方、考え方を提示しているだけです

wwww、「現代人はセクハラやレイプを肯定してませんが?」
偏向性の強い、お前独自のトンでも視点を「現代人の視点」なんて
いうなよ、アホww

168:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:14:35 gQYq7Omx
>>165
私は仕事で多忙の身ですから、自分の前レスなど一切記録していません。
すべて、書きっ放しです。

質問者が、すべての前レスをまず読んで、そこから通常人(非宗教者)の
常識ではどうしても回答が導き出せない事項のみを質問していただくことを
希望します。

169:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:21:18 pG4qrYuQ
>>168
>・・・質問していただくことを
希望します。

いやいや、お前に何かを「質問」しようと思う者など、このスレには
いないと思うぞ。
全て、お前が他人の書き込みに、横から「全く頓珍漢なレスをつけたり、
大うそ喚いたり」するから、叩かれてきたんだろうが?w

170:93
11/02/15 02:24:27 nErKkSN7
>>157
ビッグバン時の宇宙とビッグバン後のある時点での宇宙(例えば現時点での宇宙)を完全に把握し、
その間を完璧に繋げる方程式を作る事ができれば、理論上未来は完全予測可能だと思います

ただし、これは直感ですが、その方程式は少なくとも宇宙全体に存在する全生命数くらいは変数を使用する気がします

171:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:28:59 pG4qrYuQ
>>170 横レスですまんけど、
その発想は既に成立しないことが分かっています。
(詳細は、ベル不等式の破れによる「隠れた変数の否定」を参照のこと)

172:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:44:56 gQYq7Omx
>>167
>「現代人はセクハラやレイプを肯定してませんが?」

人間の生命の発露としての性欲を、人為的な観念によって抑圧・否定する
ことを批判しているのです。生命からは(生命からのみ)、同時に、
相手の生命に対する思いやりも発生しますから、「レイプ」など生じえ
ません。但し、異性に対する自然の愛着心の発露である「セクハラ」を観念で
規制・規制するのは全くの誤りですね。そんなことをすると、人類は滅亡します。

性欲を「悪」と考える宗教が、全くの倒錯に陥っているのです。
キリスト教的に言えば、性欲は、人類の存続のために創造主が与えた
最大の恩寵なのですから、それを否定することは、創造の否定・冒涜
となります。

殆どの大学が「セクハラ委員会」などを設け、女性からのセクハラの
訴えがあれば、待ってましたとばかり乗り出して、男性側を有無を言わさず
「悪人・犯罪者扱い」にする。これって異常とは思いませんか。嘘の
セクハラ申告によって人生を破滅させられた男性も多数いることを、
忘れないでください。

女性からのセクハラの訴えがあれば、問答無用で男性を有罪とする警察も
裁判所も、思考停止の同罪です。

これはセクハラを申告した女子大学生から直接に聞いたことですが、
「セクハラ申告で男から賠償金をせしめるのが、一番手っ取り早い営利
の方法」だと嘯いていました。

[セクハラ概念」は、アメリカのフェミニズム判例の猿真似に過ぎない
のです。日本人の思考ではありません。源氏物語を読んでください。
夜這いで訴えられた男がいますかw。

173:神も仏も名無しさん
11/02/15 02:52:58 gQYq7Omx
女性は、妊娠という大きな役目と負担がありますから、最初は拒否するのが
自然の理です。セクハラ概念は、「最初から男に体を許すあばずれ女だけを相
手にせよ」と奨励しているのと同じですw。

174:神も仏も名無しさん
11/02/15 09:06:21 At2L1nUW
>>172
横レスだが、これが論点ずらしじゃなくて何なんだ?w

>「論点をずらして逃げ回った」覚えは、一度もありません。「現代人としての
>異なった視点」からの見方、考え方を提示しているだけです。
と言うご隠居の意見に対し、
「セクハラやレイプを肯定する事は、現代人としての視点からはかけ離れた物だ」と指摘されているのに、
「セクハラやレイプは【生命】から発するものだから悪ではない」といくら訴えても、論点が違うだろw
「悪か、どうか」ではなく、「現代人としての視点としてどうか」を議論しているんだよ。
論点をずらさずに反論するなら、「セクハラやレイプの肯定は、現代人の一般常識だ」と立証しなければ意味が無いw
まあ、それが無理だから、論点をずらして誤魔化しているんだろうがw

175:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
11/02/15 09:38:18 1FlAPHOH
>>156
いい質問ですね。

>しかし宗教的に中心的な考えとして取り上げる意味が分からないのです。
>ただ単に実在しない(本質は無い)という否定の意味だけだと思います。

縁起はいくらでも説明(論理)できますけど、“縁起”に自ら立ち会う(体験)ということはあまりないですね。
これは作為的に出来るもんじゃないし、しかし無我とか無常といふのは
縁において自らが生起する瞬間において、そこに絶対的否定や、また同時に絶対的肯定が内在していることを
覚知できるんじゃないでしょうか?
これが宗教的な意義になるかと思いますね。

>私が考えうる意味は因果の一意性(絶対性)を否定するだけの意味です。

そもそも因果といふのは、バラモン教からの流れですね。
正法眼蔵も否定してるし(木が灰になるプロセス)
また中論でも明確に否定してますね(三時否定)

禅的には「不昧因果」ですよね。


176:神も仏も名無しさん
11/02/15 11:54:56 0ShemgZm
>>174
随分と「セクハラ・レイプ」に執着されているが、現代人だからこそ、視点は様々ですよ。
国民が皆民主党に賛成していますか。

私は、同じく現代人として、人間の生物的生命という「根源」から、「セクハラ概念」と
いう「輸入思想」「借り物思想」を批判しているのです。常に根源に立ち返り批判しなければ、
人間は誤った方向に向います。まさに「論点中の論点」といえます。

宗教という超古代の思想については、何おかいわんやです。現代人なら「古代の借り物思想」に
対しては、批判するのは当然。人類は、前代の思想を批判し、改善することにより進歩して
きました。宗教も例外ではありえないでしょう。

宗教は、あくまで「当時の状態における、当時の人間に対して」説かれたものです。科学の
驚異的進歩により、社会はdrasticに変化したのに、宗教のみは数千年間無批判ということ
自体が異常だとは思いませんか。根源からの批判は不必要なのですか。


177:神も仏も名無しさん
11/02/15 12:44:59 At2L1nUW
>>176
予想通りの反応だなw
現代に生きている人間の意見なら、「現代人の視点」だと言いたいんだろ?w
だが、いま議論しているのは、お前さんの意見が、「現代人を代表するか」という所だよ。

たとえば、
「俺はキリスト教徒(アーメンと言ったことがある!)だけど、
 キリスト教徒の視点から意見を言えば、全人類は滅びるべきだ!」とか、
「私は仏教徒(仏壇に手を合わせた事がある)だけど、
 仏教の視点から意見を言えば、ポイ捨てをした人間は無間地獄に落ちる!」とか、
集団の中央値からずれた人間が、全体を代表しているかのように言うのは、滑稽極まりない。
ご隠居も、現代人としては非常に極端で、異端ともいうべきなのに、
さも現代人全てを代表しているかのように書いているから、批判されるんだよw

だから、以後、意見を言う場合には、「現代人としての視点から見れば」ではなく、
「生命教の視点から見れば」と言うようにしろよw

178:神も仏も名無しさん
11/02/15 13:03:03 pFZfA8Od
>>154
ナントカさんみたいに優しく教えましょう

世界60数億人およびキリスト教徒から見れば、仏教は少数派のカルトにすぎないからです

179:神も仏も名無しさん
11/02/15 17:59:47 M414yyj4
>>177
「現代人を代表する」などとは言っていない。「現代人だからこそ、視点は
様々です」と言っているではないか。

しかし、「大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と無批判に
信じ込む宗教者(別名「文献記載君」)に、現代人としての知性と批判力
が欠けていることは、確かだな。彼等の批判は、当該宗教の枠内での批判で
あり、肝心の開祖の思想は絶対に批判できないのだから、批判でも論争でもな
く、従って論点も存在しない。

生命以外に、「すべての人間に共通する普遍の事実」があれば挙げてみよ。
分らなければ、死んでみて試せ。

180:神も仏も名無しさん
11/02/15 18:21:10 AOW7liv4
>>179
語るに落ちとるなw

>現代人だからこそ、視点は様々  ならば、
仮に「A、B、C、D、E」という視点があったとしよう。そして、そのうちの『どマイナーなw』Eが隠居だ。
AやBが多数派で、世論(=現代人の価値観)の大勢を占めているとしよう。
その中で、君は、≪自分の「マイナーな視点」を「正しい」ものとして主張する≫かい?
まず一点、質問しておこうw

181:神も仏も名無しさん
11/02/15 20:21:55 Q6cOycq0
>>180
「正しい」「正しくない」「マイナー」「メイジャー」など、誰も言っては
いないぞ。唯「生命」の根源性を指摘しているだけ。

そうやって、1個人の思想から、根源を離れた観念的な「精神性」を求める
宗教は、不自然である。せっせと生きて、時には道端のお地蔵さんでも拝む
のが自然の生き方。

いま、「世界ふれあい街歩き」というDVDを40枚購入して観ているが、
何の屈託も無く毎日をひたむきに生きている東洋系の人々のほうが、貧しくて
大雑把だけども、心が休まるね。「東洋の心」をもっと大切にしたいものだ。

182:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/15 20:36:25 kYK47jMb
>>161 :神も仏も名無しさん:
>差し出された托鉢が果たして実在であるか否かが判断できず、受け取り様がないということです。

そのまま素直に受け取ればよいではないですか?
実在かどうかを見極めなければ受け取れないって・・・
なんか毒矢のたとえみたいです・
実在でなくて皆さん現に奈落に沈まないで生活しているでしょう。
実在性は生活に不可欠なものでない・・と言うのが中観の考えでは?

ちなみに素朴実在論とか科学的実在論と呼ばれるものが物質や外界や客観を対象にし、観念実在論は概念や観念を対象にするらしいです。

般若心経では「色即是空」「空中无色」で物質や外界や客観の(絶対的?本質的?)実在性を否定し、「无受想行識」で概念や観念の(絶対的?本質的?)実在性を否定して居るのだと解釈します。


>>175 :机龍之介
>縁起はいくらでも説明(論理)できますけど・・・・

説明された感じがしません。
貴方は・・・・

>>135 :机龍之介
>論理的には縁起の説明は不可ですよね。

と言っていましたので。

183:神も仏も名無しさん
11/02/15 20:36:44 pWz3DSl7
仏教勢力が強くなると
その地域は弱体化する

184:神も仏も名無しさん
11/02/15 20:43:34 At2L1nUW
>>181
>「正しい」「正しくない」「マイナー」「メイジャー」など、誰も言っては
>いないぞ。唯「生命」の根源性を指摘しているだけ。

おい、自爆しているぞwww
堂々と、「論点と関係ない話をして、論点ずらしをしています」と宣言されても対応に困るぜw

185:神も仏も名無しさん
11/02/15 21:01:06 AOW7liv4
>>181
>・・・など、誰も言ってはいないぞ。
承知していますw
改めて問うているのです。新規論点構築の為の準備です。
で、どうなんですか?w

 ※「正しさ」には言及してますねw
  >>179>「大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と無批判に信じ込む
 ※「>大昔の」という括りで、『現代的価値観でない→現代に於いては「マイナー」な視点である』
  とは言及してますね。
  裏を返せば、『現代的価値観が、現代に於いては「メジャー」である』
  とは言及してますね。

 あれ? 「正しい」「正しくない」とか「メジャー」「マイナー」について言ってるじゃんw

186:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/15 21:02:12 kYK47jMb
私の般若心経の解釈は・・・

全ての客観(事象)に絶対的(本質的)実在(自性)は無い。
全ての主観(感覚、観念)に絶対的(本質的)実在(自性)は無い。
そうであるならばそれらの関連である因果には因果的(一意)決定性は無い。無明、生老病死、苦集滅道の真理も無い。
縁起(=因果)と言うこだわり(?礙)もない。
もともと得られるべきものは何も無いからである(以無所得故)

以上

187:神も仏も名無しさん
11/02/15 21:06:27 Q6cOycq0
>>182
>そのまま素直に受け取ればよいではないですか?
それが「素朴実在論」ですw。「五感で知覚できる対象」をそのまま実在物
と信じることです。五感にも誤りがありえますが、それは例外的な現象で、
「錯覚(誤った知覚)」「知覚異常」「幻覚」「妄想」として、是正・治療の
対象となります。

般若経は竜樹以前のもので、竜樹の「縁起・空」の原理は、まだ反映されて
いないように思います。竜樹の原理は、「もろもろの存在」の構成原理を
見出したものであり、すべての存在は、相対的(相互依存・関係性)という
抽象観念により構成されているのだから、そのもの自体の「自性」はなく、
執着する必要はない、ということです。「非実在」「幻」などと言っている
のではありません。若し「幻」であれば、大乗仏教は、非現実的な妄想の
宗教になってしまいます。竜樹は「世間の慣習」や「物理現象」を、無条件
の前提としています。

「色即是空」「空即是色」の意味は、「この世界は、人間の目に映じただけの
世界だから、『本当に』存在するのかどうかなどは、人間にはわからない。しかし
その世界こそ、人間が過去、現在、未来において生きることのできる唯一の世界だ」
と解します。「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。
さらに、「無もまた無」と、無も否定しています。

188:神も仏も名無しさん
11/02/15 21:29:45 Q6cOycq0
>>185
>大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と無批判に信じ込む

それは「宗教者」のことを言っているのです。「正しい・正しくない」
「善・悪」「清浄・不浄」「聖・俗」「霊・肉」と、専ら観念により
「二項対立」を作り出しているのが宗教です(スッタニパータ参照)。

それらの「すべて」を渾然一体として含み、具体的状況に対応して自在に変化
し、生存・共生を維持するのが「生命」です。

189:てすと
11/02/15 21:35:03 UWeLIVtW
>>188

生命の存在には生命の死が必要なんだから、生存と共生は二項対立だろ。

生命を食べずにどうやって生きてるの?w

190:てすと
11/02/15 21:37:44 UWeLIVtW
>>186

>私の般若心経の解釈は・・・


それなら解釈も無いはずなんだけど。

191:神も仏も名無しさん
11/02/15 21:38:17 AOW7liv4
>>188
いやいやいやw
当該文章は、「大昔の人が言ったからといって正しいわけではない」という文ですよね?
それは、「大昔の人の言ったことは正しくない、或いは正しくないことがある」ということですよね?
これは、
≪大昔の人の言説が二項対立かどうかではなく、
 【「貴方が」(≒現代人が)、「ある事柄」(大昔の言説)を、「正しいか正しくないか」「峻別している」】≫
ということですが?
貴方自身が、二項構成に基づいて、「正しいかただしくないか」と、大昔の言説を判断していませんか?
だから>>180と問うたのですが、お答えは頂けないようですね・・w

192:神も仏も名無しさん
11/02/15 21:44:49 Q6cOycq0
>>189
そこが、竜樹の「相対性原理(縁起・空)」の出番ですw。「生があるから
死がある・死があるから生がある」「苦があるから楽がある・楽があるから
苦がある」。

しかし死ねば、二項対立も相対性原理も「考えられなく」なりますから、
すべての煩いは無と成り、永遠の平安と休息が訪れます。

193:神も仏も名無しさん
11/02/15 21:53:27 Q6cOycq0
>>191
「正しい・正しくない」などと言ってるのではなく、「時代の変化に
応じて、洗いなおすべき」と言っているのです。大昔の御釈迦さんに、
コンピュータ時代の現代まで予測させるのは、無理であり、可哀想では
ありませんかw。

194:神も仏も名無しさん
11/02/15 22:03:31 AOW7liv4
>>193
いやいやいやいやw
>>179>「大昔の人間である釈迦やイエスが言ったから正しい」と・・・』
と言ってますよね?w
当該文章は、「大昔の人が言ったからといって正しいわけではない」という文ですよね?
それは、「大昔の人の言ったことは正しくない、或いは正しくないことがある」ということですよね?
【「貴方が」、「ある事柄」を、「正しいか正しくないか」「峻別しなければ出てこない台詞】ですよね?
或る事柄が【「正しい」わけではない】と、明確に「正しさ」について(線引き基準として)言及してるじゃないですかw

195:神も仏も名無しさん
11/02/15 22:09:54 vOjC3Pgu
隠居が自分の言動のどこが矛盾しているか 指摘されているのを
「全く理解できてない」
に3000点www

196:神も仏も名無しさん
11/02/15 22:19:31 At2L1nUW
散々言われて理解しするけど、「無視して、無かったことにする」に5000点

197:神も仏も名無しさん
11/02/15 22:30:54 Q6cOycq0
>>194
全く理解できていませんね。わたしは、「正しい・正しくない」と繰り返す
釈迦や宗教者の「口真似」をしただけです。

「正しさ」という物が存在するわけではありません。「正しさ」とは、百人
百様の解釈が可能な「観念語」で、「特定の状況に適応する、特定の行為の
属性」に過ぎません。

西洋哲学の祖といわれるソクラテスも誤解したことです。彼は、「勇気」「正義」
「美」とは何かを、有識者に聞いて回ったが、誰も「実例」を挙げるだけで
「定義」ができなかったので、彼等を「無知」としたが、無知なのはソクラテス
だった。その理由は、上述の通り。

「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない。」(小林秀雄)

198:てすと
11/02/15 22:41:49 UWeLIVtW
>>197

「生きていればそれでいい。生命なぞ、ない。」(てすと)

199:てすと
11/02/15 23:04:25 UWeLIVtW
もうネタ切れだぁあああ

空とか縁起とか因果とか飽きたよ~~

仏教ジョーク考えようよ。それか仏典ミスコンテスト。

超訳「ブッダ」とか、仏教用語しりとりとか。

つまら~~~~~ん。このスレに宴会部長はいないのかぁ~~~っ!



200:神も仏も名無しさん
11/02/15 23:21:05 Vfz6u/2R
>>187
>「色即是空」「空即是色」の意味は、「この世界は、人間の目に映じただけの
>世界だから、『本当に』存在するのかどうかなどは、人間にはわからない。しかし
>その世界こそ、人間が過去、現在、未来において生きることのできる唯一の世界だ」
>と解します。「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。

この解釈はまちがってると思いますね。
最初の「色」は、現象界(空相)、でいいと思いますが、
「空」が即現象界(空相)、というのはおかしいと思います。

201:神も仏も名無しさん
11/02/15 23:46:21 pOC3ljyb
宗教ジョークを作ろう
スレリンク(psy板)

202:神も仏も名無しさん
11/02/15 23:58:26 pOC3ljyb
◆GIKONEKO.E #k闢餠膜y
◆FREEDOM/Ww #Iマミs糎楮
◆CERBERUSDo #F凸鐚スB
◆PERRINE/m. #0,ヨ乾#]u
◆TheManko36 #Iネ'/}Λ操
◆Salomon/a6 #∴ゥ;蘭麥
◆focus.ruleLb : #xvINdZX0F.q"
◆0751643792 : #到WT{1付
◆1164382666 : #WMv@G!YM
◆1340116436 : #;={セ!7*v
◆1643296042 : #t!(V:.サp
◆4901643396 : #ヌカルム;4菅
◆5916437396 : #嘸ep儁神
◆6903164386 : #IfjiPe9ヲ
◆7446164372 : #?Iラ伐C]弌
◆7884616432 : #=;31r+(]
◆Snitzel.7g #uケツ]蘗@]
◆snitzel/cM #=ィ(GA送D
◆AimAtVipl2 #Xォ熾_p]J
◆Falbrav/7k #蕃゙+松kF
◆PakuPakulg #偃イ剱O楹
◆POKOPOKOFA #斡ノ*揺х
◆Perrine.Pk #「!ヌG+8v!
◆Perrine.cE ##728490150705340C
◆sakamotoYU #ヲ{$@)p浸
◆oW/witches #E)モ(Wб#
◆GERTRUD.Vo #rト騁7)w/
◆F15EagleI6 #裸コE1匿セ
◆Railgun/s. #S發唳p=
◆Windows7FY #西ホF輛'@

203:南無中観寺 ◆YdAHdhovBA
11/02/16 00:13:21 7X9odSPu
>>187 :神も仏も名無しさん:
>「五感で知覚できる対象」をそのまま実在物と信じることです。

実在物と信じなくても食べることは出来るでしょう?
美味しいと思い、お腹も一杯になるでしょう。
実在性は無用の観念なのです。

>「無もまた無」と、無も否定しています。

はい、その理由は空性という本性がある、とか空こそ本質であるとか空こそ真理であるといった、ただの実在性の否定の意味の「空」が有に捉えられる誤用を避けるためだと思われます。

>「色即是空」に「空即是色」を併置したところがミソです。

このような考えです、このような誤用は広く行われていて、仏教語辞典などにも「絶対否定の絶対肯定への転換を語る」などとあります。
般若心経の全体の流れからして全く反する解釈だと思います。
「無もまた無」と言うのはその様な有の蘇りをも防ぐ意味があると考えます。

>>190 :てすと:2011/02/15(火) 21:37:44 ID:UWeLIVtW
> それなら解釈も無いはずなんだけど。

そうですね、それで特に問題は無いと思います。

204:神も仏も名無しさん
11/02/16 00:24:51 cT2n4Yb3
>>200
>空」が即現象界(空相)、というのはおかしいと思います。

ならば、「色即是空」だけでよいはず。何故わざわざ「空即是色」を併置した
のか。私は、この併置こそが、大乗仏教の真髄であると思います。

仏教学者も、最近では「空即是色」のほうが重視されているといっています。

「色即是空・空即是色」は、古今に比類するもののない、優れた「存在論」です。

205:神も仏も名無しさん
11/02/16 00:35:34 cT2n4Yb3
>>203
>実在物と信じなくても食べることは出来るでしょう?

実在物(五感で知覚される対象物)でなければ、いくら食べたつもりになっても、
結局は餓死します。

霞を食っては生きられず、幻の女を抱いても子供は生まれません。

「生命の維持に直接の関係があるか否か」が、実在・非実在のテストです。

206:神も仏も名無しさん
11/02/16 00:39:57 ZM7p5rw9
>>204
「空即是色」の色は、実相のことじゃないですかね?
最初の「色」を、人間の我で見る世界・・・・「現象界」(色)とすると、、
最後の「色」は、法の目で見る世界・・・・「実相」、ということだと思います。


「自分で見るということが無ければ、よく一切の真実の法を見るであろう。
法に於いて見るのであれば、その人が見るということは無いのである。」
                                -華厳経

>私は、この併置こそが、大乗仏教の真髄であると思います。

私もそう思います。

207:神も仏も名無しさん
11/02/16 01:13:57 cT2n4Yb3
>>206
併置された「色」という言葉に全く異なった意味を持たせるのであれば、そもそも、
「文章」として成立しない悪文であるということになり、「存在論」として
無意味です。

「法の目」とは具体的には何ですか。人間の目は関与しないのですか。
人間こそ、「法」の一部ではないのですか。

208:神も仏も名無しさん
11/02/16 01:27:31 cT2n4Yb3
>>206
人間の自然の知覚こそ「法」なのです。「法の目で見る」とは、「関係性(縁起)において見よ」
ということではないでしょうか。

人間が人間を除外したら、それは「根拠のない」単なるでっち上げ、空想、妄想ということ
になりませんか。

やはり前レスでの仏教語辞典の定義のように解しないと、「色即是空・空即是色」は、
「人間界における真理」にはなり得ません。

209:神も仏も名無しさん
11/02/16 01:51:20 cT2n4Yb3
>>203
>「無もまた無」と言うのはその様な有の蘇りをも防ぐ意味があると考えます。

「無もまた無」は「二重否定」で「有」になりますw。

仏教は、それほど「無」に執着しているのでしょうか。それでは煩悩に過ぎません。
「厳然とした有だが、執着すべき自性はない」と言ってるだけではありませんか。


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