11/01/12 15:46:32 G5FkzzUb
>>306
真理には三種類あります。
民事上の真理、道徳上の真理、霊性上の真理です。民事上の真理は、司法的公正や国の
統治にかかわることで、おおむね正義と平等に関係があります。道徳上の真理は、各人の
生活における社会や連帯の問題で、おおむね誠実や実直にかんすることです。
また個別的にもいろいろ道徳上のことがらに関係してきます。霊性上の真理とは、天界と
教会にかんすることで、おおむね(愛の善)と、(信仰の真理)に関係してきます。
人にはそれぞれ、(いのち)の三段階があります。民事上の真理によって、理性の第一段階が
開かれ、道徳上の真理によって、理性の第二段階が開かれ、霊性上の真理によって、理性の
第三段階が開かれます。しかし、理性がそれぞれの真理によって、開かれたり、形成されたり
するのは、人がその真理を知ることによってではなく、その真理にしたがって生きることによ
ります。
その真理にしたがって生きるとは、その真理を霊的な情愛で愛することです。その真理を霊的な
情愛で愛するとは、(正義と平等)を正義と平等のために愛し、(誠実と実直)を誠実と実直の
ために愛し、(善と真理)を善と真理のために愛することです。
それにたいし、以上の真理にそって生きながらも、その真理を肉的な情愛から愛することは、
自分のため、自分の名誉・名声のため、また利得のために愛することになります。したがって、
人が以上の真理を、肉的愛から愛すれば愛するほど、理性的でなくなり、真理を愛さないで
自分を愛し、しかも真理を召使のように、自分自身に仕えさせるようになります。
真理が召使になると、人の中に入って行かず、人の(いのち)の段階、つまり第一段階さえ開く
ことはありません。科学的知識が物質の(かたち)のもとに留まるように、記憶のうちに留まるだ
けで、肉の愛である自己愛とつながっていきます。