11/01/22 22:55:06 gVdSEFjY
私の知る限り、世界は法と巡り合わせが全てだ。
運良く善人に、運悪く悪人となった人は知っているが選んでそうなった人を私は知らない。
もしも自分を選べるなら、誰も傷つけず皆に好かれて幸せに生きるそんな自分に私は生まれただろう。
だけれど生まれも育ちも出会いも知識も経験も、全ては巡り合わせが決めること。
特別と呼べるほどの生まれも才能も出会いも経験も何もなかった、だから私は凡俗だ。
そんな凡俗な私だけれども、一つ気づいたことがある。
人生は山あり谷ありグネグネと曲がりくねった蛇の道だけど、脇道ない一本道なんだということを。
法と巡り合わせが全てなら、全てのことは必然だ。
全てのことが決まっているって意味じゃない。
一つと一つが法のもとで巡りあったなら二つになる。三つは選べない。当然だ。
おなじ時間、おなじ場所、おなじ巡り合わせにおなじ私が出会ったら、おなじ選択をする。これも当然。
人は過去を振り返ったとき、違う選択ができたんじゃないかと思って後悔する。
だけど違う。人はいつだって当然の選択をしているから、他の道なんてない。
人生は脇道のない一本道だ。
だから、終端に立ったとき別の道なんてなかったのだと知っていれば未練に思うこともない。
どれほど簡単に手に入るようにみえても全てはかなわない夢、出来ないことだったのだと知っているから諦められる。
臨終の床で諦めるための知恵があるなら誰だってちゃんと成仏できる。そう悟った。
異論は認める。