11/01/21 20:14:24 Xo38DPQm
>>529 おぬしが死から眼を逸らさない事を知っているのならそれで良いのじゃ。
死を想い、死を超えようとする事が正しい動機と言える故にわしは死を説くのじゃ。
マハリシは修行などはしていなかったが、死を恐れ、それを探求する事で悟りを得た。
死を想い、死を超えようとする情熱があれば、修行さえも本来は必要ではないのじゃ。
死から眼を逸らさなければ、おぬしにはまだ大きな可能性が残されておる。
死の恐怖から眼を逸らし、知識を集めて自我を守る者にはもはや僅かな可能性しか残されていないのじゃ。
死を想い、それを探求しつづけるのじゃ。
そうすればいつかそれが正しい道そのものであったと知るじゃろう。
>>530 わしが死を超えたと言う幻想に浸り込んでおり、死は死とともに消え去るというおぬしの幻想が正しいとなぜ思うのじゃ?