11/01/12 18:38:08 WZKHywAn
無記《むき》とは、判断をしないこと、答えを出さないことであります。
時にお釈迦様は、弟子たちから色々と出される質問の中で、特に形而上学的な問題については判断を示さず、
答えを出さずに沈黙を守ることで、仏教の実践から外れてしまう無用な論争の弊害を避けられることがありました。
特に十無記として、
一、世界は常住であるのか?
二、世界は非常住であるのか?
三、世界は有限であるのか?
四、世界は無限であるのか?
五、霊魂と肉体は同一のものか?
六、霊魂と肉体は別々のものか?
七、如来は死後存在するのか?
八、如来は死後存在しないのか?
九、如来は死後存在しつつ非存在であるのか?
十、如来は死後存在するものでもなく非存在でもないのか?
があります。これらの問いには、「そう」、「そうでない」の二元論でも、また「そうでもあって、そうでもない」、
「そうでもなく、そうでもないものでもない」を加えた四元論でも答えることが不可能であり、これらの問いは、
現実的に実証できない空想的独断のものでしかなく、仏道の実践において何の役にも立たない問いであるとして、お釈迦様は回答を退けられたのであります。
このことは、よく「毒矢の例え」をもって取り上げられます。
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