10/12/28 20:40:13 ps4Gw2Sj
さて、イエスがペテロに天の国の鍵を授けたのは、マタイでいうと16章に書かれてある。
しかし、その後を読むと、マタイだと26章に、ペテロの否認の話が出てくる。
ペテロは、イエスが捕らえられた後、ゲツセマネの園で、
「イエスの仲間ではないか?」と問われ、
自分の命惜しさのあまりに、呪いの言葉さえ口にしながら、
「そんな人は知らない」と3度も言った。
しかも、それをイエスに予告されていた、というのに。
普通なら、ここでペテロはイエスから授けられた「天の国の鍵」を捨ててしまった、
と考えるべきだろう。
だが、カトリックはこの記述は無視して、16章の記述ばかりを主張する。
あまりにも都合が良過ぎるのではないか。
自分達に都合のいい記述だけを主張し、
都合の悪い記述は無視する。
これはおかしいのではないか。