10/12/29 09:56:13 UnzOdEmr
おっと。回答者は自分の所属を書くんだったな。
つまり、喜怒哀楽、愛憎の感情がある限りにおいて、
人間は罪と救済に『常に怯え』、感情のある限りにおいて
『永遠に救われない』のである。
釈尊はその相対感情を滅するところに人間の真の救済を説いた。
だがな、俺はそれも違うと思う。
なぜなら神がその喜怒哀楽の感情を設けたのだ。
そして、喜怒哀楽がなければそれを人間と言えるのだろうか?
人間の救済とは『単なる選別』であって、その後『永遠に楽しむ』
なんて保障は皆無なのだ。
ということで俺は思う。
宗教人が常に不満に思う、この不完全な我と我が身よ。
神の造形はこれほどに美しいではないか。
生命が誕生し、滅び行く様よ。
これこそ、神の最高傑作ではないか。
だからこそ、敢えて言おう。
今、このとき、救いは我らの内にあるのだ、と。