11/07/06 14:21:21.90 5JHkaVyl
大乗経典は、すべて釈迦とは何の関係もない。 富永仲基で、この説は現在も
論破されていない。
釈迦は、サトリをひらいてから、みずからを如来と称したが、べつに
えらぶってそう自称したわけでもなく、またその当時 如来ということばも
そのような神秘的意味はなかった。単に法(真理)と一体化した人、という
意味で、げんにこの人は、自分の死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬語
を使ったそうです。
大乗仏教では、釈迦は仏陀という真理そのものになる以前、一階級下の菩薩
の呼称でよばれていました。菩薩とは仏智を得るべく努めて、ほぼ完成に近い
段階の人ということです。大乗仏教以後、菩薩は観念化し、人を救うための
存在もしくは機能そのもになりました。
釈迦の仏教とは何も関係ないことです。
現代の新興宗教もすべて釈迦とは関係のないものです。
サトリ(解脱)などは、何億人に一人の天才にして可能なもので、
釈迦さんはどういうつもりで法をすすめてまわったのでしょうね?
過去も現在も未来においても解脱できたのは(できるのは)釈迦さんただ一人と
思わなかったのでしょうかね?