11/10/01 08:47:24.49 L402hn8X
>>730
> 自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
> それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。
このスレで書いているときは、かなりの自我モードですので、
自我の色んな色がが出ていると思います。
おっしゃるとおり、たとえば「私はいて私はいない」という考えに囚われていると、
究極に達することは出来ません。
この状態で、私は今究極に達していると思うなら、それは自己欺瞞ですね。
> まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。
たしかに、私が私(自我)について分かっていることは、そんなに多くありません。
> 自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
> 単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はとい> う構造は別のことです。
なるほど、私(自我)の全体像を把握することと、ひとつひとつの思考に気づいていることとは、別のことということですね。
私(自我)にはさまざまな一面がありますが、ひとつひとつ単体で観るのではなく、総合的に把握する必要がある、ということでよろしいでしょうか?
要は、簡単に言うと、1個や2個ではなくもっともっとたくさんあるのだから、
その全部を観て把握しないと、真の悟りはない、つまり、真の自由は無く、葛藤からの開放も無い、
ということでよろしいでしょうか?
私も、ひとつひとつ観ていくことは大切だと思います。
地道にひとつひとつ観ていくしかないわけです。
そして、それは、他者との関係において、人生に起こるさまざまな出来事との関係において、
見えてくるんですよね。