11/09/28 14:36:04.48 vkPGou1O
いや悟りが何なのか分かりませんけどね、それはまあどうであってもいいんですが
要は悟りよりも日常を大事に生きるべきだって話のところで
そういう話であれば、薬漬けであっても彼は彼なりに日常を大事に生きてるなら、何も問題ないということになりますよね?
ということなんですよ
851:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:42:10.88 vkPGou1O
彼が悟りの不要を主張するとき
薬漬けの彼が、君と同じ構造で上記のように君に主張してきたら
そのときどう考えますか?ということです
852:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:42:54.01 vkPGou1O
あ、ミス
君が、悟りの不要を主張するとき
薬漬けの彼が、君と同じ構造で上記のように君に主張してきたら
そのときどう考えますか?ということです
853:神も仏も名無しさん
11/09/28 14:44:36.47 KM/Hg2F+
「烏滸がまし」って何かと思って調べたら
「おこがましい」か、難しい漢字知ってるね。
854:神も仏も名無しさん
11/09/28 16:48:38.48 jptNhcNw
薬漬けの話、マトリックス思い出したw
悟った人にかける言葉と、そうでない人にかける言葉って
もしかして逆になったりするもんじゃないかな。
無に還れ⇔無から創造しろ、みたいな。
855:♯syankara
11/09/28 17:40:55.51 w8JZd+9c
悟りが何かと対立するようなものならそれは社会とは別の体験にすぎないし、
また麻薬と何ら変わりのないものだろうね。
悟りは体験ではないし、体験ではないというものでもない。
体験ではないという発想は体験からくる。
体験ではないし、体験ではないものでもない。
体験ではないという言明なら表層の思考との同化から目覚めれば自然と出てくる。
856:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/28 17:50:30.91 w8JZd+9c
トリップってこうかな
857:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/09/28 18:17:44.95 asS40c4J
KasapagjQ2 <= #セBワZ9rI]
BikuniK.pM <= #M|%Ha=op
nmOmn/Gf0. <= #-フ2X-2w4
GasyuuaCRM <= #IZYz?2|!
Orie//j0rs <= #&MHQpC=X
/Binta/4xo <= #+)ルf)#Q3
./Rita//Qs <= #iヘチシhlPa
ZigokuoURg <= #9U-~ZDH:
ZirikiGieg <= #EYgZ#?sh
RiyakuQeWg <= #0メ%D0LiV
Asyurad1kk <= #AミkkP:B「
AnandauZQc <= #hTZWW/jS
Zazen/5wKs <= #c+nBYXWT
Mujyou4gAU <= #;jR,du,セ
Agon//9ByE <= #Kオ=nSGhU
Binta/sJCI <= #&DLb=2v-
Waratakeb2 <= #e%`IV@1X
DarumaG9Fo <= #'Nt+\d?T
BikuniNg3o <= #ep4y*V*n
Uchuu/coyc <= #-6aY?kZ*
30bou/KeDw <= #AS゚4&@1p
Yasya/m6jk <= #Bホチ-;J4;
Ango//PStg <= #j!:3X-/a
ggrks/UC6A <= #PラhVdWCb
Arasi/HTMI <= #u`ZS9gVa
Tarikihh3c <= #シム~~_1;$
Inga//cTIY <= #ooi[NYsE
WarataxhjU <= #AムタS8+MR
ZigokujxMg <= #0&ンzYD~P
SyakyaFRhw <= #nxi#x&bセ
Zange/C8OY <= #Eヘモu4K[c
858:偽イルミナティ
11/09/28 20:21:12.47 tfmLJlmB
日常を大事に生きている人が薬に逃げるとは思わない
そういう部分を無意味に複雑に捉えないかな
例外の様な人物もいるのだとは思うよ
ボブマーレーなんかは確かにかっこいいし
859:神も仏も名無しさん
11/09/28 23:42:39.58 YQxW86Fm
>>855
悟りに対してのそれぞれの解釈が対立してるというだけだね確かに
860:神も仏も名無しさん
11/09/29 02:04:26.40 CM1oGJ6K
>>858
かっこいいよねドラッグって
URLリンク(www.qetic.jp)
URLリンク(www.qetic.jp)
URLリンク(chitekizaisan.blog28.fc2.com)
861:ama
11/09/29 07:55:03.90 18+OpGKX
>>730
> 私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
> しゃべっているという指摘をしたのです。
???
そうなんですか?
そんな主旨のご質問ではなかったと思うのですが・・・。
まあ、いいです。
私は、あまり頭の回転がよろしくありませんので、
その意味では知性に囚われているかもしれません。
また、経験には大いにに囚われています。
自分自身で確かめることが何よりも大切だと思っていますので。
私の好きな言葉にクリシュナムルティの
「もし一冊の本もなく、一人のグルもいなかったら、どうしますか?」
というのがあります。
問題は、その囚われ(条件付け)が自分を苦しめるかどうかですよね。
そして、それは時間が大いに関係しているようです。
1日囚われるのか、1時間囚われるのか、1分なのか、1秒なのか、一瞬なのか。
究極は一瞬がいいですが、まあ、1秒でも1分でも、
要はその囚われに根ざした(その囚われから出発した)思考や行動を起こさなければいいわけですね。
違います?
862: ◆xIpfQokPjM
11/09/29 09:40:11.50 Ig8iUn47
(昔の話のレスから順にやると話が混乱するけどな)
囚われていれば行動や表層の思考以前に、その世界そのものがその囚われになっているでしょう。
その時点でもうどうしようもありません。
「そこまで」の宗教と、「そこから」の宗教は全く異質なものです。
対処療法と根本的な開放は異質なものです。
それが直近のレスの無意識の話につながってきます。
「また苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別のものです。
苦しくないということは大切なことですか?前者のためには苦しみと直面する必要があります。
後者の場合はうまく苦しみを感じないような幻想を持てばいいだけで、瞑想は表層の混乱を鎮めそれの役に足ったりもします。
(できればとりあえず直近のレスまで来てほしいけれど)
863:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/29 09:44:58.41 Ig8iUn47
経験に囚われているということとクリシュナムルティのいうあるがままは全く逆の事でしょう。
それで悟りとおっしゃいますか。
右手のやっていることを左手は知らない。無意識の分裂とはそんなものか。
全く人のことは言えないので自分の1日の行動も見直します。
864:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:16:28.33 8oVzw2XU
1は悟りの瞬間、この世界とか自分とか、何がどうなっているのかを体感して理解した
だが、その理解したものの中に今も居続けていると分かってはいるが、その理解をし続けている事はできていない
ってことじゃね?
865:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:33:33.33 8oVzw2XU
>要はその囚われに根ざした(その囚われから出発した)思考や行動を起こさなければいいわけですね。
違います?
囚われに根ざした思考や行動を起こさなければいい、という囚われ は?
これが473の問いかけか
>>824-823
866:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:34:20.84 8oVzw2XU
>>824-833
867:神も仏も名無しさん
11/09/30 00:49:34.14 8oVzw2XU
てことは473のいいたいことは
1はこの悟りの只中で、垣間見てきてしまった真理を、経験として残してしまっていて
その経験に囚われており、その囚われに囚われないように生きるということは、完全に生きるということではないのではないか
ということ?
経験に囚われない、という思考が無意識の中に刷り込まれてしまったら
それを取り除くのも一苦労しそうだ
ではどのように生きたら完全に生きることができるのか
その場その場にあらゆる思考を挿まず、完全にそれそのものになって対応していく?
ただそれには一回あの経験をして、分かっておかなければならないし
その経験と理解により、つまりこうなってるから、という大きな納得?のようなものが必要か
その後、安心して一生懸命に生き切っていけばいいのかな
868:神も仏も名無しさん
11/09/30 08:40:26.92 IUTKIgnD
>>1
>>861
囚われに基づく行動を控えようって言うのは、生き方のハウツーの話ですよね。
生きているうちはどうしても苦しみを感じてしまうけど、悟りで見えた「法」への方向、
つまり「方法」があるって知っていれば、どんな本もグルさえ必要ない。
だって自分自身を信じればいいだけだから。本とかグルの言葉を使用するのは
自己確認作業や、他人への説得の道具でしかない。でもそれが逆に誤解を招く。
なんだあんたは知識だけじゃないか、・・と。
「苦」の種類として「言葉」も含まれるけど、『囚われ』という言葉ひとつにしても
人によって捉え方は同じじゃないよね。それが、分裂を生み、対立を生むんじゃないかな。
869:神も仏も名無しさん
11/09/30 08:46:44.89 IUTKIgnD
>>868
つまり言いたいことは、言葉で悟りを説明するのは、本当に難しいんじゃないかな。
可能かもしれないけど、不可能かもしれない。
たとえ自分は悟った、と認識している者同士でさえ、意見は違う風に見えたり、
更に昨日の自分、今の自分、明日の自分すら、違っていると思う。
870:神も仏も名無しさん
11/09/30 09:54:19.25 nqIo0fvS
そのような不完全な言葉で
あまねく全ての真理が何世紀も伝播可能だと思う?
amaさんがこのスレで
誰かに悟りを施す事が出来ると思う?
amaさんにも答えてほしいな
871:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 10:09:09.90 P9Im425G
囚われがあって初めて、無意識の執着の働きがあって初めて、
「どうすれば」という迷いが生まれます。
どうすればいいかわかっているのは単純思考の愚か者ですし、
迷いがないというのもまた無意識の葛藤から逃れ単純な思考にはまっているだけの事です。
しかしそれは表面的にではあるが病んでいないだけ素晴らしいことでそれは悟りの一瞥の恩恵でしょう。
自我がなければ自由がある。
迷いはないし迷いがないということすらない原初の自由。最初で最後の自由。
根源的開放。
真実と接触するまでにあらゆる修行が必要ではあります。
修行が不要であるという事実と直面するために信じられないほどの修業が。
究極の努力と絶望の後、一瞬でも自我が止みリアリティーと接触する。
そしてその瞬間にまた自我がそれを定義づけする。
私はない。体験はない。幸福と不幸は一つだ。
こうやって自我は帰ってくる。
自我が止むことによる一瞬のリアリティーとの接触と自我の構造が永遠に止むこと、無意識の思考が完全に意識に照らされることはまた別です。
自我が止むというその時のそのありようと、それを記憶していて語る自我とは全く次元の違う現象なのです。
自我はそれを同じだと勘違いします。自我は非体験が中心であったあれを体験の次元に焼き直してしまうのです。
その時の自我の復権のありようはその人なりにです。私は単純な自我の復権は許しませんでしたが複雑な自我がさも真理を解っているかのように錯覚しています。
872:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 10:11:10.05 P9Im425G
≫経験に囚われない、という思考が無意識の中に刷り込まれてしまったら
それを取り除くのも一苦労しそうだ
完全な覚醒がありでもしない限り経験には囚われているのです。
経験にとらわれまいとすることは事態をより混乱させるだけで、対象無く目覚めることが根本的な解放です。
「究極の努力と絶望の後、一瞬でも自我が止みリアリティーと接触する。」
あの自我の死よもう一度。
≫つまりこうなってるから、という大きな納得?
分かっておいてはならないのです。
わかるという機能、わかるという主体が死んでいれば一回目のリアリティーとの接触ですべて終わるでしょう。
納得するということや「そうか」という感覚は、過去の記憶や経験が感じるものであり、
過去の囚われが過去の囚われからくる古い自分という土台はそのまま、悟りの体験という甘美な重荷を背負うことになります。
意識に統括された知識ではなく、好き勝手に動く無意識の葛藤と矛盾の集合体である自我、主体。
「どのように」ということもそういうことなのです。「どのように」か生きる主体は、自分の過去の全てを夢の世界の執着の全てを運び続けます。
しかしそれもいいのです。
人生の重荷だけは下せませんが全ての重荷を一度に降ろす可能性ならあるのではないでしょうか。
安心に生きるというより不安を降ろせば、不安はありませんし安心もありませんし不安がないということもないでしょう。
私たちは一切の敵なく世界のすべてを自由に愛するべく生まれた存在です。
一個の人間として、家族の一員として便利に生きようとするならば、結局家族の一員であることに縛られて苦しみ続けることになります。
持った物に持たれてしまう。マスターの一人であるミルダッドはおっしゃいます。
ご参考になれば。
873:神も仏も名無しさん
11/09/30 10:14:36.57 IUTKIgnD
>>870
以前した質問に、>>353でamaさんが答えてくれたのあるよ。
誰かにとってきっかけとしてはあるかもしれないね。
874:神も仏も名無しさん
11/09/30 10:47:38.79 IUTKIgnD
>>473
常に「どのように」じゃなく、常に「どうあるか」って選択はあってもいい?
そしたら「どのように」は自然とついてくる。
875:神も仏も名無しさん
11/09/30 11:28:38.33 488XMpC7
>>874
「どうでもイイ」って選択も含めて欲しいよ。
「どうでもイイ」って思えたら
「どのように」も「どうあるか」も全部どうでもよくなる。
876:神も仏も名無しさん
11/09/30 18:26:41.27 IUTKIgnD
>>875
それもありだよね。
877:神も仏も名無しさん
11/09/30 21:34:44.76 XzMCZTcB
>>872
>「どのように」ということもそういうことなのです。
>「どのように」か生きる主体は、自分の過去の全てを夢の世界の執着の全てを運び続けます。
ここのところから
次の流れに行くのは
>人生の重荷だけは下せませんが全ての重荷を一度に降ろす可能性ならあるのではないでしょうか。
>安心に生きるというより不安を降ろせば、不安はありませんし安心もありませんし不安がないということもないでしょう。
どうかと思う
つまり右も左もダメだから全部捨てる、というような若干粗雑な印象というか
>一度に降ろす可能性
一気に安心も不安も取り除いてしまうというのはどういうことなのか
非人間的なものになることを推奨しているような印象もある
精神病患者には不安も安心も執着もない者がいるだろうが、彼らを目指せというのか
そういうことではなく
私しかいない、私しかいなかった、私というものすらなかった、分けるものがなかった
分けられない一つが様々な形をして現れているだけに過ぎなかった
そのことに安心して、その理解を背負わず、つまり一生懸命に瞬間瞬間に完全に身を投じて生き切る
そうして今を全うし続けて常に満タンに生きる、そういうことなのだろうかと思った
んでちなみにマスターとかは知らない
878:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 21:48:51.65 P9Im425G
そのように生きることができれば素晴らしい体験にたくさん出会われることでしょう。
そういった生の経験を積めば荷を降ろせば降ろすほどそれが自然とわき出ることに、畢竟いかにうまく生きるかより
いかに自分自身がその障害でしかないかということも解ってきます。
そしてその何もないところからこそあなたが知っているもしくはまだ知らないかもしれない素敵な生が湧き出てきます。
安心と不安を降ろすことは安心も不安もなく安心も不安がないということもないという理解であり、
またそういう理解も理解する人も存在しないということです。
879:神も仏も名無しさん
11/09/30 21:52:04.04 XzMCZTcB
イメージとしては溶接工
溶接部?の火花のところが目の前の仕事や物事や感情など
目の前の物事(溶接部火花)に完全に集中一体化しているとき、自我や過去や悟りとは~つまり思考の入り込む余地はない
彼自体はそこにいるが、物事と完全に一体化しているので過去が形成した彼というものはいない、そこに教えも何もない状態
だがこうやって生きる前に、一度見ておかなければ、分かり切れないのではないかと思った
何もないを分かり、だからこそ安心してその理解すら捨てて生き切る、ができるのでは、と思った
逃避で忘我ならそれこそ薬でも宗教でも何でもあるので
880:神も仏も名無しさん
11/09/30 21:56:56.92 XzMCZTcB
>>878
そっかやっぱそうなんだ
んじゃ禅でもしてちょっくらどうなのか見てくっかなあ
ところでじゃあ473はこんなところで何をしてるの?っと
881:473 ◆xIpfQokPjM
11/09/30 22:20:40.40 P9Im425G
日々迷っています。
なぜか今はここでやり取りをしているみたいです。
自分がはまってしまっているときはどうすればいいのかわからないのに、
人がはまっているのを見ると案外どうすればいいのか解る、、いや思い出すのです。
そしてそれがほかならぬ自分のためになります。
きっと何か不思議なものが自分とみなさんを助けてくれるのです。
というときもあれば、自分ができもしないことをできるつもりになって得意に他人にやり方をとうとうと語ることもあるかもしれません。
≫いちどみておかなければ
宗教の修業をすれば強烈な体験があなたをまっているし、その先に、いやその元にその一度見て一度理解することがあります。
自分に合った修行と日々の留意の2つがあれば、2つが調和すれば。あとは起こるままに。
882:神も仏も名無しさん
11/09/30 23:55:03.83 5hcQgFs1
>>878
>そしてその何もないところからこそあなたが知っているもしくはまだ知らないかもしれない素敵な生が湧き出てきます。
「生」に素敵は無くてもイイんじゃないの?
ただの「生」のどこがいけないの?
883:神も仏も名無しさん
11/10/01 00:01:46.67 52xA+Bll
>>881
自分にただ起こる様々な出来事を「体験」と名付け
あたかも自分の為に用意されていると感じるのは
エゴを喜ばしているに過ぎないと受け取りなさい。
884:ama
11/10/01 08:47:24.49 L402hn8X
>>730
> 自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
> それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。
このスレで書いているときは、かなりの自我モードですので、
自我の色んな色がが出ていると思います。
おっしゃるとおり、たとえば「私はいて私はいない」という考えに囚われていると、
究極に達することは出来ません。
この状態で、私は今究極に達していると思うなら、それは自己欺瞞ですね。
> まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。
たしかに、私が私(自我)について分かっていることは、そんなに多くありません。
> 自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
> 単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はとい> う構造は別のことです。
なるほど、私(自我)の全体像を把握することと、ひとつひとつの思考に気づいていることとは、別のことということですね。
私(自我)にはさまざまな一面がありますが、ひとつひとつ単体で観るのではなく、総合的に把握する必要がある、ということでよろしいでしょうか?
要は、簡単に言うと、1個や2個ではなくもっともっとたくさんあるのだから、
その全部を観て把握しないと、真の悟りはない、つまり、真の自由は無く、葛藤からの開放も無い、
ということでよろしいでしょうか?
私も、ひとつひとつ観ていくことは大切だと思います。
地道にひとつひとつ観ていくしかないわけです。
そして、それは、他者との関係において、人生に起こるさまざまな出来事との関係において、
見えてくるんですよね。
885:ama
11/10/01 11:56:10.31 L402hn8X
>>731
> ≫表現できる言葉があるのでしょうか?
> 光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
> 言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
> あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
> むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
> そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。
同感です。
> あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。
総合的に観るとは、過去に生きることではありませんよね?
まあ、お掃除は必要でしょうが、お掃除が生きる目的でもありませんでしょうし・・・。
886:ama
11/10/01 11:57:40.62 L402hn8X
>>747
> > ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。
>
> ≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
>
> いえ、話が通ってません。
> 複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
> 表層で一時的に主人になってる思考=私
> 後者から目覚めて初めて前者に取り掛かる準備ができるということです。
なるほど、理解しました。
> ちょっと過去レスを読み直してみてください。
> どうもやはりご自身のペースでしゃべりたいことをしゃべっているだけで私の述べていることを把握できていません。
申し訳ないです。
通訳が欲しいです。(哀)
887:ama
11/10/01 12:09:02.68 L402hn8X
>>750
> ≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
> うん?自我をつかってしゃべるほかないということにおけるレスですかこれは。
> それとも
> 私がないとき悟りがある悟りがあるとき私はないという話においての私ですか。
瞑想状態において、消えていくモノのことを言っています。
888:ama
11/10/01 12:10:57.89 L402hn8X
>>755
> 全方位からの視点でも手に入れた?
> 余計な情報が入りすぎて気持ち悪くならない?
いえ、そのようなものは手に入れていません。
889:ama
11/10/01 12:11:47.59 L402hn8X
>>768
> セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?
セックスしてください。
890:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:16:37.27 +aJPMo/K
>>882-885
宗教には3つの次元があり、そこで直面することも求められるものも全く異質なものです。
人間は平等です。
私が過去に、もしくは過去生で行ったとてつもない修行や、幾度となく苦しみに目覚めること。
そして幸福に染まらないよう耐えること。
そういったことを同量やらないでそれを行った人と同じものが見えたら逆に不平等ではありませんか。
まず、社会の次元です。
ここで、大成功したが故の空しさ、もしくは自分自身にあまりに振り回されすぎ自分自身に心底うんざりしていること、
もしくは愛と良い意味での責任に満ちた充実した人生でありその先を希求するハートが高鳴る。
など社会において宗教に入る条件を満たしておく必要があります。
第一の次元
その条件を満たしてこそ、とてつもない修行と日々の留意が可能になります。
日々の留意は社会から見れば狂気です。これをするほどの動機が自分の中にあるでしょうか。
その修行と留意の中でとてつもない体験を何度も得て、そしてそれを体験すればするほど繰り返しを求める
ようになりそれに苦しんでいく中で、ある日ふと体験とは夢に過ぎないものであるという真実の一瞥を得ます。
瞑想が起きるのです。
891:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:31:00.30 +aJPMo/K
第一の次元の修業はなんでもいいです。
既存の真っ当な宗教組織のもと掃除を繰り返したり、oshoのダイナミック瞑想でもいいです。
oshoの指導者、組織は死んでいるが技法は生きています。得やすいものほど価値があるのが真実の世界の法則です。
第2の次元
表層の思考と同化しないことがある程度自らの意志でできるようになります。
この時点でほとんどの修業は意味をなさなくなります。
それが瞑想でも「何かをする何か意図を持つ」ということはこの次元の人にとっては
同じことだからです。
今までばらばらだった自分の無意識を調整して、目覚めたのはいいですが相変わらず眠りやすい自分を
一つ一つ理解してゆく局面です。
たしかに思考を一つ一つ理解してゆくしかありません。
しかし今主人になってしまった表層の欲望に対してではなく、無意識の一つの欲望に取り掛かる事も可能です。
892:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:35:20.47 +aJPMo/K
第3の次元
これは言葉を超えています。
数千数万数億のあらゆる思考や感情の記憶全てを意識の光で照らす覚醒。
どうしても思考は相対するもう一つの思考しか見れません。
瞑想が起きた人の思考は「2元対立の夢」にはまらず「一つずつ別の思考を順番に吟味してゆくこと」はできるでしょう
どうしても数億の思考を同時に照らす何かが必要なのです。
もしこれがなければ私は私のままチャンスがありません。
表層の思考、夢にとらわれなければ無意識の総体である自我の働きをようやく利用できます。
これですら表層の思考に同化するより大分真っ当であり、また欲望に振り回され欠乏に悲しむこともなく、
また他者に救いを求めることもなく良くも悪くも自己の総体に落ち着くことができます。
そうあってこそ無意識の総体とそれがつくるあらゆる世界、自分、いやあらゆる認識が、
主体と客体の束縛がなかったし、無かったということもなかったのでしょう。
宗教には社会での準備も含めて4つの段階があり、各々全く別の事です。
真実において光明を得た人において段階はないのですが、実際人間の精神の特性からかこれらの段階を
踏むことが「多い」 かと思います。
今自分がいる段階以以上の話題は全く理解できないし、理解できないことこそ賢明さ、誠実さです。
多くの場合理解を超えたことを自分の経験で定義してしまい歩みが止まってしまいます。
今現在この人はどの段階にいてそしてどの段階の事を語っているかということを理解しなければ
無意味な言葉の争いになってしまいます。
(本当はその人にふさわしいこと以外混乱するから語ってはいけないのですがoshoは混乱させるためにそうしていたし
匿名掲示板なんだからそうするほかないし、それらの混乱は私の理性も研ぎ澄まされる)
893:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:39:37.41 +aJPMo/K
≫総合的に観るとは、過去に生きることではありませんよね?
今現在私は時間に生きています。
今無意識を直接すべて見ることができればいいのですがそれはできません。
しかし直近192時間の行動というより直近192時間の喜びや苦しみや希望や失望を
思い返せばそれは自分の無意識の状態を図るチャンスになれます。
最終的には「今」全ての無意識をとらえる覚醒がいるのですが、
現時点では無意識を把握するため過去の自分の動向を参考にしています。
894:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 12:51:26.35 +aJPMo/K
無意識を把握することは不可能なのだと感じます。
無意識が私であり、無意識が世界を作っています。
無意識を認識することは認識者を認識することであり、それは認識者とあらゆる認識の死です。
しかしその死からこそ生があふれていると祖師は説きました。
895:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/01 13:37:00.16 +aJPMo/K
>>768
> セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?
セックスをしたいという自分にとどまってなにもしないでいてそこで自分に起こっていることを感じてください。
そういった蓄積があればいざセックスをした時セックスと自分自身への深い理解も生まれると思います。
セックスを敵視する理由は何もありません。
欲望がある時は、なにもせず欲望にとどまり、またあるときにはそれを行い楽しみ理解も深まると思います。
たった一つの極端な答えがあるわけではありません。
セックスの欲望、男女の愛はよくて2人の、基本的には一人の閉鎖した欲望です。
万人に向かう愛と閉鎖した欲望の帰結が全く異なることは意識は知っているはずなのです。
意識はそちらに向かうし、思考はいつも閉鎖的な欲望を追い家族や社会や世界からの報いを受けるのです。
896:神も仏も名無しさん
11/10/01 13:57:34.33 SbiBcNK7
>>886
>通訳が欲しいです。(哀)
やっぱりamaさんでも、そう思うんだ・・・
実は俺もずっと前からそう思ってた!!
897:ama
11/10/01 14:48:32.25 L402hn8X
>>788
>>amaさんご苦労様
> このスレ、主のamaさんが居ないとね
恐れ入ります。
898:ama
11/10/01 14:49:24.13 L402hn8X
>>791
> 前者の質問はその質問を何故したのか聞きたいです。
> この質問は私に関してのものではなくあなたに関してのものではないでしょうか。
はい、まったくもって私に対する問いです。
この2つの問いは、同じことを私に問うています。
本や話などで悟りやその方法などについて聞いたとしても、
結局私は何も無いところから始めるしかないことに気づかせてくれます。
私は無力であることに気づかせてくれるわけです。
そして、そこにこそ、悟りへの入り口があったわけです。
899:ama
11/10/01 14:50:29.75 L402hn8X
>>792
私の場合は、悟り自体やそのプロセスや方法論などに関するいろんな言葉で頭がいっぱいになっているときに、この言葉が気づかせてくれました。
今、という瞬間には悟りもプロセスも方法も何も無い、ということに。
900:ama
11/10/01 15:03:13.30 L402hn8X
>>801
素晴らしい経典ですね。
901:ama
11/10/01 15:07:35.23 L402hn8X
>>802
まったく退屈しません。
悟りの達成ゲームもこれまたスリリング&エキサイティングです。
ただ、悟ってしまうと特定の現象刺激は必要としません。
(「必要な自分」というものを選択することは出来ます。)
必要とはしませんが、向こうから勝手にやってきます。
そして、去っていきます。
来るもの拒まず去るもの追わずです。
執着し、もう一度味わいたいと思ったときに、苦しみが生まれます。
悟ると、慢性的な退屈感 空虚感 虚無感は無くなります。
それを望まない限りは・・・。
902:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/10/01 16:17:09.82 5EhJe1tZ
Flowing Water 2 Hours
URLリンク(www.youtube.com)
903:神も仏も名無しさん
11/10/01 16:52:04.62 SbiBcNK7
>>1
悟ってしまうと、悟りについて思ったり
悟りを人に伝えようとか、悟りについて答えようとか
なんかもうどうでもよくなりませんか?
904:ama
11/10/02 16:02:18.46 HmHNOCdF
>>824
たしかに私は無意識からの影響を受けていると思われますので、
その意味では無意識が語っているとも言えるのでしょう。
私に分かるのはその程度です。
あまりそういうことを意識して書いていません。
ただ、私らしく語る、自然に語る、リラックスして語る、それだけです。
それが、無意識なのか、そうでないのかと聞かれると、正直よく分かりませんし、どちらでもいいです。
もちろん、無意識の思考があり、その中には私の自由を奪うものがあることは理解しています。
問題となるのは、無意識の役に立たない思考であって、無意識の思考すべてではないですよね?
役に立たない思考の真っ只中にいて、それに気づいていないときは、私は自由を奪われます。
まるで眠っているような状態です。
そして、何かが起きてそれに気づかせてくれます。
おっしゃっている無意識とは、その無意識のことでよろしいですね?
私が自分に役に立たない思考を持っていて、それに気づかないで生活していると、
必ずそれを気づかせてくれる何か出来事が起こります。
役に立たない思考は、ほとんどの場合、価値判断であり、後天的に刷り込まれたものです。
その根本は自己否定のようです。
欠乏感からくる恐怖ですね。
簡単に言うと「何かが足りない」感のようなもの。
そりゃ苦しいに決まってます。
なぜ、そんな役に立たない考えを、私は後生大事に持ち続けているのでしょう?
何かがおかしいのです。
本来、私達は足りないところなど無いはずですよね。
なのに足りないと思っている。
ここは、笑うところです。
笑うしかありません。(笑)
905:ama
11/10/02 16:04:15.98 HmHNOCdF
>>824
で、473さんは、そのような思考を抱えたままでは悟りは起こらない、
とおっしゃっているようにお見受けしました。
(違ったらすみません。)
私が申し上げている悟りは、
深い瞑想状態において起こる「それ」、もしくは、
目を覚ましているときに起こる「それ」、もしくは、
今を生きているときに起こる「それ」を指してします。
私がそこにいるとき、生き生きとしていますし、色んなものがよく観えます。
もちろん、無意識から出てきた役に立たない思考もよく観えます。
役に立たない思考は、それに気づいて手放せば一瞬で消えてしまいますし、
もうそれを選ばないでいいのだということも分かります。
答えが自分の中にあることも分かりますので、方向性がブレることもありません。
思考を前もってテストして、それを採用するかどうかを決めることも出来ます。
とても静かで、しなければならないことは無いことも良く分かります。
まあ、とにかく色々と特典が満載です。(笑)
自由に生きようとするとき、私に出来ることはないので、
私のいないそのスペースは唯一の私のよりどころです。
お掃除する場合も、苦しいと能率も悪いし、おざなりになってしまいますが、
お掃除自体が楽しいなら、能率もグンと上がりますし、とってもきれいになったりします。
あるいは、RPGのようなものでしょうか。
すべてのコインを取りきってからクリアするのと、
コインを残してとりあえずクリアしておき、後でコインを取りに戻る。
(あまり良いたとえではないですね。(苦笑))
906:ama
11/10/02 16:29:46.20 HmHNOCdF
>>827
> 1さんは寝ているときも含めて、
> もしくは少なくとも起きているときはずっと悟っているのですか?
いえ、そんなことはありません。
> 24時間のうち目的を追ったり、意識を失って無意識に物事に熱中したりということは全く無いのですか?
いえいえ、よくあります。
> 私は素直な話そういう時間は普通にありますから、悟りの方より悟っていない時間と、悟ってない時間の原因である
> 自分にとって未知である無意識にうごめく思考の方を話題にします。
分かります。
ただ、そのためにも、悟っていることが、目を覚ましていることが、大切なのではないですか?
> 悟っていない時間があり、その原因を無意識の深層にに抱えているのなら悟りについてばかり語るのは
> 「こうあるべき」姿へのこだわりではないでしょうか。
> という意味の質問になります。
そこにいないとちゃんと観えないので、こだわっていると言えばこだわっているのかもしれませんが、
でもこだわるとそこにいれないので、やっぱりこだわってはいないと思います。
無意識から湧き出てくる役に立たない思考と同化せずにちゃんと観るには、そこにいないと観えなくないですか?
907:ama
11/10/02 16:44:12.05 HmHNOCdF
>>828
あまり深い意味は無いです。
「こうあるべき」と言いたいのではなく、その方が楽だったから、これからもそうするつもり、
くらいの意味です。
おっしゃるとおり、今、どうかが大切ですね。
一瞬、一瞬です。
908:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/02 16:51:49.16 HmHNOCdF
>>830
トリップのテスト。
909:神も仏も名無しさん
11/10/02 17:45:38.51 K0jtFwHU
amaさんに質問です。
仏教では、悟りを啓いた人は俗世間を離れて出家者の生活に入ってしまうように説かれていますが、
amaさんは今どのような生活をされていますか?
もし悟りを啓いても通常の生活が行えるなら、それは悟りが完全ではないからか、
完全な悟りを得ても常に悟っていられるわけではないからか、
それか今の時代が当時とは違い、悟りを啓いても殺生など不必要な事をせずに生きられる時代だからか、
あるいは何か他に思い当たることがありますか?
910:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/02 20:11:34.99 HmHNOCdF
>>838
最初はニュース記事かなにかで「○○だけど質問ある?」というのを見かけて
面白そうだと思ったのがきっかけです。
「悟り」でこれをやるとどうなるのだろう?と思ったわけです。
ですから興味本位です。
911:神も仏も名無しさん
11/10/02 20:19:34.74 OcDMv/Pu
>>910
これで納得しました。
言葉で伝わらないものを、どうして答える気になったのか疑問だったので。
912:神も仏も名無しさん
11/10/02 22:04:44.67 KNfyySkk
言葉で伝わらないものを伝えることができたら不十分だと思うが
「人からの話では分からないものだ」と伝えられたなら十分だ
913:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/02 22:09:45.42 HmHNOCdF
>>862
> (昔の話のレスから順にやると話が混乱するけどな)
ちゃんと答えろという指令が下っておりますので。(苦笑)
> 囚われていれば行動や表層の思考以前に、その世界そのものがその囚われになっているでしょう。
> その時点でもうどうしようもありません。
おっしゃっている囚われというのは、梅干を見て唾液が出たり、
ボールが飛んできたときに体が勝手に動いたりするのも含まれるのでしょうか?
あるいは、漫才の掛け合いのように、条件反射的にああいえばこういう、というのは含まれるでしょうか?
> 「また苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別のものです。
> 苦しくないということは大切なことですか?前者のためには苦しみと直面する必要があります。
> 後者の場合はうまく苦しみを感じないような幻想を持てばいいだけで、瞑想は表層の混乱を鎮めそれの役に足ったりもします。
私も苦しみをしっかりと感じ味わいつくすことは大切だと思います。
おっしゃるとおり、「苦しみが存在しない」ことと「苦しみを感じないという体験」は別です。
原因となる思考が無ければ苦しみは生まれませんもんね。
ここで申し上げているのは、囚われに気づかないでいると、囚われている時間が長くなり、
表層の思考がそれに引っ張られて混乱し、行動もおかしくなってしまうということです。
あと、囚われていることにも囚われないようにしたいものです。
914:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/02 22:20:11.94 HmHNOCdF
>>870
いえ、思いません。
915:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/02 22:24:27.36 HmHNOCdF
>>903
おっしゃるとおり、どうでもよくなります。
916:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/02 23:07:46.88 HmHNOCdF
>>909
> 仏教では、悟りを啓いた人は俗世間を離れて出家者の生活に入ってしまうように説かれていますが、
> amaさんは今どのような生活をされていますか?
一般的な普通の生活をしています。
ただ、朝食は食べません。
動物もめったに食べません。
その方が体調が良いので。
ビールは飲みます。
テレビは見ません。
(ありません。)
でも動画サイトでデスノートは見ます。
(あまり理解できていません。(哀))
> もし悟りを啓いても通常の生活が行えるなら、それは悟りが完全ではないからか、
> 完全な悟りを得ても常に悟っていられるわけではないからか、
> それか今の時代が当時とは違い、悟りを啓いても殺生など不必要な事をせずに生きられる時代だからか、>
> あるいは何か他に思い当たることがありますか?
悟っても生活は極めて普通です。
逆に普通でなくなる理由が思い当たりません。
ある意味普通でないのはその内面です。
住むところを奪われても笑っていられたりしますので、
これは普通ではありません。
917:神も仏も名無しさん
11/10/02 23:17:32.34 2faWN5ZI
>>916
悟ったら「生きる」ということにも執着しなくなるのでしょうか。
918:神も仏も名無しさん
11/10/02 23:32:07.06 KNfyySkk
追いつきワロタw
919:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/02 23:42:25.77 k2IMqrHW
目覚めたのなら目覚めについて語る必要はなく目覚めを遠ざけてしまうでしょう。
目覚めた人間はいかに目覚めるか、また目覚めとは何かもう語る必要はない。
むしろそれはせっかくの目覚めを損なう。
目覚めなければ語りようのないことを語り、目覚めについてではなく自他を揺り動かし眠りから覚ますようなことを語る。
これはいかにしてということない気づきに目覚めた人たちにふさわしい語り方のように思う。
もう目覚めの定義は必要なく、目覚めなければ語りようのないことを目覚めて語る。
≫世間
我々の中にある世間性が災いの種かと思います。
これさえなければ世間の煩わしさもトイレに行く手間も違いが無くなってしまうでしょう。
そしてまた悟りが個人的なものであるゆえんでしょう。
920:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/02 23:57:53.33 k2IMqrHW
つまり相手によりけり。
目覚めについて語ることが適切な相手、もはや無意味な相手と、そもそもまだ語ることが早い相手がおり、また時と場合も影響します。
まだ早い相手に語ると壮大に誤解し本人にも周りにも悪影響が出ます。
(これはこのスレッドを最初から読んでみるとamaさんの言葉がどういう人にどういう形で賛同されており、
それがその人にも周りにも災難であったかがわかるでしょう)
また、もはや無意味な相手に語ってもそれは適切でないしあなたもその相手も目覚めという夢にいざなってしまう危険があるだけです。
適切な相手に適切に語る時だけそれは意味を持ちます。
921:神も仏も名無しさん
11/10/03 01:05:25.34 rUS2gKmb
>>1
このスレもレス900超えたけど、
悟りを上手く伝えられたと思う?
次もスレ立てる?
メンドクサイ人も多いからもう止める?
922:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/03 01:34:51.52 U+Xo6STL
≫おっしゃっている囚われというのは、梅干を見て唾液が出たり、
ボールが飛んできたときに体が勝手に動いたりするのも含まれるのでしょうか?
完全な覚醒そのものである人はこれにとらわれていないでしょうが、我々無意識が残っている存在はこういったことの記憶が
観念として無意識で活動しており、生命への体への、人間存在への執着を作り出しています。
完全な覚醒である人はただその状況である時体の知恵でもって反射します。
しかし我々はそれについての観念で自己を縛り、生に執着してしまってはいないでしょうか。
起こる前から無意識に、無意識で身構えてしまっているのです。
923:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/03 01:41:21.05 U+Xo6STL
ヨーガの教えで、仏教の教えでもありますが、
体は心の中にあり、心は体より大きいという基本的な真実を説きます。
全ては心次第であり体がどうなろうと心は何の影響も受けないというのが心の本来の姿であり、
心が体の影響を受けるというのは心自体が望まなければ、執着しなければ起きえないことらしいのです。
しかし我々は未だに体に影響された心を持っており、それが迷いであるようなのです。
自我が自己逃避の必要から何らかの希望を持つ必要性にとらわれていなければ、甘いものも酒も必要ありませんし、
動画で他者の人生で他者が持つ希望を疑似体験する必要もないのです。
924:神も仏も名無しさん
11/10/03 16:51:07.54 1WE0bfRA
>>923
心ってあるように感じるけど本当にあるの?
ただの思い込みじゃない?
925:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/03 17:17:46.59 U+Xo6STL
心に束縛されていることを認識した後に心の存在を疑うことは素晴らしい。
自らが心に束縛されているとこに気づかぬ人間にも、その束縛が存在しないブッダにとっても心は存在しない。
しかしそれは全く別の事です。
心によって心の束縛から逃れようとすることをやめれば確かに心の存在そのものが疑わしい。
926:909
11/10/03 19:15:37.82 AsCIKl3L
>>916
お答えありがとうございました。
私は仏教が好きなのですが、素直なところ
もし悟れても民間で働きたいと思っていたので、
amaさんのような方もいて安心しました。
927:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/10/03 22:10:39.03 +RRYKb2y
ジョセフ・スティグリッツが語る金融危機と規制、経済の不均衡、中国、ドルの将来
URLリンク(www.asahi.com)
928:神も仏も名無しさん
11/10/04 03:16:20.06 uYR6rcB/
>>1
どういう職業に就いたらいいのか知りたい
全く分からない
929:神も仏も名無しさん
11/10/04 03:46:15.97 uYR6rcB/
生活するにはある程度の金が要る
金を稼ぐには、当たり前だが所属している会社などに最も利益が受けられるように考えなければならない
自分の会社や自分を実体として認め、それらへ自己投影することなどが求められる
例えば、会社の利益=自分の利益などのように
働く以上どこも同じような仕組みだ
自分や自社の確立を前提に、いかにそれら以外を犠牲にして自己利益を上げられるか
そういった諸々の自己利潤追求が求められている
これらは今まで話されてきた悟りの内容と相反するものだ
1や473はこれらについてどう思う?
そして今現在あなた方はこういうことに関して現実にそれぞれどう対応している?
930:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/04 08:54:59.52 z0tU7CkC
>>917
執着しなくなります。
931:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/04 08:57:18.14 z0tU7CkC
>>921
> このスレもレス900超えたけど、
> 悟りを上手く伝えられたと思う?
まったく思いません。
> 次もスレ立てる?
いえ、これにて終了です。
> メンドクサイ人も多いからもう止める?
いえ、いろんな意味でメンドクサイ人が多い方が逆に続ける意義があるのかもしれません。
932:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/04 08:59:48.55 z0tU7CkC
>>928
やりたいことがあるなら、単純にやりたいことをすればいいと思います。
無ければ、無理に職業に就く必要はありません。
無いけど、生活のために必要ということなら、やりたいことを探しましょう。
いろいろやってみることで、今までは思いもしなかったことが自分に向いていることを発見したりもします。
いろんな問題が絡み合っていると、混乱したりします。
職業の問題ではなく、自分の中にある恐れの問題だったりもします。
933:神も仏も名無しさん
11/10/04 12:00:21.16 dHTgBjIT
>>931
続けてほしいと思っていますが
次スレを立てたら続けてレスしてもらえないのでしょうか
934:神も仏も名無しさん
11/10/04 20:50:44.29 +Fr/FbJH
>>901
>悟ると、慢性的な退屈感 空虚感 虚無感は無くなります
これほんとにそうだと思う。
見てる限りama氏ってそんなに外れてないと思う。
般若心経や証道歌とか無門関等の公案とかわかるんじゃない?
935:神も仏も名無しさん
11/10/04 22:34:32.67 6HOtVjcA
>>1
悟る前のことについて詳しく
936:神も仏も名無しさん
11/10/05 00:57:17.66 VoTqj/YC
amaさんに聞きたいのですが、念戒定って修められてます?
自我の育成(飼い慣らし)ってどうされています?
一日、何時間ぐらいニルヴァーナの状態に戻れますか?
あるいは、最後に戻ったのは何年前ですか?
悟りを開くことよりも、悟りを保ち続けることのほうが難しいですよね。
937:神も仏も名無しさん
11/10/05 01:49:45.55 DF7fMelV
>>936
横レスごめんなさい。
気になったので質問させて下さい。
悟りって1度悟ったらそのままじゃないの?
悟りの状態がずっと続いてるっていうのはおかしいの?
俺ずっと続いてるんだけど、どうしよう。
938:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/10/05 01:51:24.95 /dhQlet3
>>937
(#/__)/ドテ
939:神も仏も名無しさん
11/10/05 02:11:09.05 VoTqj/YC
>>937
>悟りの状態がずっと続いてるっていうのはおかしいの?
世尊キタコレ!あなたはきっと偉大な魂だ。
それは非常に素晴らしい状態だから、そのまま保って。
そしてその喜びを身体と精神と魂に巡らせ、三位一体の
状態の心の力を使って、肉体の本当の力を呼び起こし、
伝説の虹の体を手に入れてくれ。
死の影を破り、輪廻を超え、人類で数人しか到達していない
偉大な領域に是非にも旅立ってくれ。
私は仮の宿としての自我に戻ってきて日常を過ごしているんだ。
この自我は強固な要塞みたいなものだから、特に不便はしないし、
慣れた揺りかごなんだ。
狭いし、窮屈だし、不自由だけどね!
外の世界は広くて自由で温かくて花開く素晴らしい世界だけど、
春になっても布団にもぐるのみたいなんだ。
春眠、暁を覚えずだぉ
なので、悟りの状態がずっと続いている状態にしたいんだ。
940:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/05 08:31:40.72 4m2xIw8k
>>929
真の自己利益というのは、自由に葛藤無く生きることですが、
それが必ずしも会社の方向性と違うとは限りません。
お客さんを喜ばせることに心血を注ぐ営業マンが、営業成績をあげることはよくあることで、
その場合は、それが彼の開花であり結実です。
もちろん、反社会的な企業もあるでしょう。
嫌なら離れるしかありません。
職業というものは、自由な精神で見てみると、驚くほどたくさんの選択肢があることに気づきます。
必ずしも、私にはこの会社しかない、わけではないのですね。
私は、どのような会社にいても、自分の花を咲かせ、自分の歌を歌うことは出来ると思います。
ただ、自分の歌を歌っているつもりで、実は恐怖に根ざした行動であることはままありますので、よくよく観てみることが大切だと思います。
お答えになっていますでしょうか?
現在、私は一生懸命会社の仕事をしています。
そしてそれは会社の利益と一致しています。
そして、私が一生懸命仕事をすることは、今を生きることであり、自分の歌を歌うことでもあります。
また、自分の中の恐怖と向き合い、余計な思考に気づくのにも役立っています。
会社が利潤を追求する以上は必ず目標があります。
ところが、目標があっても無くても目の前のことに集中することに変わりはありません。
であるなら、目標は一旦脇においておいたほうが、実は、完成度の高い仕事が出来たりします。
941:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/05 08:34:57.21 4m2xIw8k
>>933
了解しました。
それでは、その2を立てます。
942:ama ◆BmUbLWewsM
11/10/05 08:35:37.54 4m2xIw8k
>>934
般若心経しか知りません。
といっても、日本語訳を理解しているのが、「色即是空・空即是色」だけです。
943:神も仏も名無しさん
11/10/05 08:42:47.60 QDrtJjaL
>>939
荒唐無稽な話に聞こえるだろうけど
悟りについて必要な項目は
「世界は実在しない」と「私は実在しない」の2つだけ。
無意識の領域にある自我のプログラム(ルール)の中で
この2項目が変更されれば時間は掛かるが自動的に悟りは起きる。
944:933
11/10/05 10:40:47.03 53mA+8UP
>>941
ありがとうございます
945:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/05 15:00:27.02 SJUtxC9c
目が覚めると様々なことが見えてきます。
自己逃避のための贅沢にあまりに多くのエネルギーが無駄にされ、あらゆる無駄なものが作られる。
人はそれに逃避し快楽を得るが、人間の意識の成長という観点からはマイナスの存在で
そういったものや食べ物をつくることと自分の利害が一致したことなどないです。
純粋に生計を立てるために仕事をすればいいかもしれません。
仏教であれば自分一人しかいない感覚で、異邦人の感覚で淡々と生計を立てるために仕事をすればよいでしょうし、
それはヴァガバットギーターでクリシュナがアルジュナに戦争の中でもひとは究極に達すると導いた道にもつながるでしょう。
もしくは淡々と自らの愛情を仕事に注げるのでしたらただ愛が道です。
いかに仕事に愛情を注げるか、家族に愛情を注げるかだけしか目に入らないような方でしたらただその導きに従えば
最終的に自分の仕事の影響や社会の産業の実態を客観的に見つつそれと葛藤しないで付き合えるという次元に到達するでしょう。
946:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/05 15:09:04.21 SJUtxC9c
家族を捨てて農産物を作っても、その仕事をやろうと思ってた誰かを世俗の仕事に追いやって自分がその仕事をするだけの事です。
労働力は余っており、そもそも無駄なものばかり作る世の中ですから、生活保護を受ける人の方が働く人より人間社会全体には貢献しています。
生活必需品を作るための労働力が不足すればその限りではありませんが、それに必要な労働力は非常に限られています。
正直、自分の労働もしくは非労働において人間社会がどうなろうと関係の無いことです。
彼らは彼らの論理でただ破滅にひた走ります。
我々は地球とかかわりを持つべきですが、人類とまともに付き合うべきではありません。
ほっておけばよいのです。
947:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/05 15:21:08.16 SJUtxC9c
生きなければいけないから、死ぬのは苦痛だから仕事をするのは仕方ない。
いかに仕事をするかが大切だ。
という前提を私も持ちがちではありました。
死ぬのは痛いというのも無条件の前提ではなく思考にすぎないのです。
これを単純に思考としてみなければ人は体への執着、飢えへの恐怖から逃れるべく何らかの目的に
逃避せざるを得ないでしょう。
体への執着があるということは、人間社会に貢献したいという理性や正義や愛という執着も同時に無意識に抱えることになります。
するとお金稼ぎと真の意味での社会的道義は必ず対立します。
対立しない人間は社会に流通している考え方に染まっておりその点無意識であるというだけの事です。
意識的であれば社会で正しいといわれるあらゆる考え方が人類にとって破壊的であることに気づかないことは不可能です。
それは物質的資源的にも精神的にも全くもってそうなのです。
948:473 ◆xIpfQokPjM
11/10/05 15:25:01.19 SJUtxC9c
故に体への執着痛みへの恐怖を前提としてしまったところからの思考は社会の通念と本人の意識、良心などの執着も同時に
抱えざるを得ず必然的にそれ同士の葛藤を避けられないのです。
社会で葛藤なく生きる方法は2つしかなく、
無意識に世の中の考え方に染まるか、(自分の仕事が物質的に精神的に人間にどんな影響があるかは直視しないしできない)
覚醒して社会の通念も体への執着も意識と良心からくる真のの社会的道義すらも
まとめて捨ててしまうかしかありません。
また覚醒は捨てる思考を選べません。覚えてしまったこと見てしまったことは部分的に忘れることは不可能なのです。
部分的に忘れるためにはそれを選択するマインドが必要なのですが、マインドはマインドと対立するだけで消すことはできません。
故に無選択、無差別に全ての執着を消し去るか、全く無意識に個々の観念に同化するかどちらかしかないのです。
そして中間的段階として意識的に自己内部の矛盾を見るという悟っても光明を得ていない人間の段階があるのです。
故に仕事や仕事と対立する良心ではなく、問題の根本である死という思考からだという思考を見守ることが始まりとして必要なのです。
949:v・。・V わん♪ ◆WhiteFoxEM
11/10/05 17:39:20.32 DXm81aPb
[M/V]"カラ" KARA - MR.
URLリンク(www.youtube.com)
950:神も仏も名無しさん
11/10/05 18:46:29.51 wyxZ4v2R
どんだけ怪しい集団に成り下がってんだよこのスレは
そしてどんだけの人数が悟り開いた気になってんだよ、、、
951:安堂
11/10/05 18:49:45.26 ybDxfbol
>>950
すばらしいスレです。
473はまさに奇跡です。
知ることのない者が知ることはない。
952:神も仏も名無しさん
11/10/05 21:56:06.88 DF7fMelV
>>950
このスレは1と473とその他だから、たいして人数いないと思うよ。
同じ言葉を使っていながら人と人とは分かり合えないって事が
よく分かる良いスレだと思うよ。
953:神も仏も名無しさん
11/10/05 22:23:45.56 547N6ZRQ
>同じ言葉を使っていながら人と人とは分かり合えないって事が
>よく分かる良いスレだと思うよ。
wwwwww 確かに