11/09/21 19:02:33.45 756GdDIA
>>667
そういったことはあまり申告したくないのです。
と申しますのも、私の段階まで来ていない人にそれを言ってもその人はそれを確認するすべがありません。
むしろ自分の達していない段階について先入観を持ってしまいます。
そして、それが理解できる私と同等かもしくは他のタイプで同等以上(他のタイプの判断は同等では無理です)
の人にはあえて言わなくても私の状況は筒抜けです。
私が穏やかに書き込んでも怒りと混乱は筒抜けですし、怒りを書いても穏やかさも筒抜けです。
つまり表出した精神ではなく精神全体の理解がなされてゆくのです。
4つの段階について読んで驚きました。
学者のたわごとかと先入観がありましたが、読んでみると不思議なほどの正確さで瞑想の習熟と実体験について記述されていました。
伝統が見事に保存されています。道の途中で旅を終わりにしないような仕掛けができています。
なるほどテーラワーダさんなんですね。ほとんど同様の内容をOSHOの講和で読みました。(奇跡の探求第2巻)
そしてこの4つの段階は、人間の成長の段階ではなく、悟りの成長の段階なものですから1番目から相当のものです。
それでもなお、煩悩のほとんどは残っている。どんな体験しても、体験は体験にすぎぬと知る無我の光がさしても、自我はほとんどそのまんま。
むしろそこからようやく思考ではなく、自我全体に向かう準備ができたと言えるのです。
その事実を突き付けているあたりが生きた経典だと感じます。