悟りを開いたことあるけど何か質問ある?at PSY
悟りを開いたことあるけど何か質問ある? - 暇つぶし2ch574:473
11/09/20 12:42:57.91 dW5GXHrt
>>491 >>535 >>566
の回答をお待ちしております。
自我がなければ対話ではなく融合と創造が起きえます。
それはできないとしても少なくとも誠実に対話することはできるはずです。
今あなたのしていることは煩わしいものから目を背けて美しい夢にこもっているだけ。
対話にすらなっていません。
私たちを見てください。
あなたの言いたいことを言うための道具として我々を利用するのではなく我々と対話してください。
それを融合や創造だと自分をごまかすと、幸せに生きていけますね、、。

575:神も仏も名無しさん
11/09/20 15:00:09.48 DxiecMpB
君は対話をしたいのではなくて1を否定したいだけではないの?
1さんのスタンスからすると437の体験は幻想ということになると思う。
ただ幻想もまた一つの現実なのでそれはそれでいいんじゃないですか?
というような解答でしょう。


576:神も仏も名無しさん
11/09/20 16:04:29.28 5iPvHnRz
ナワトビ持ってる子供がそれに絡まっていた

1 「どうすっかいろいろ考えてたんだけどナワトビから手ェ離したら一瞬で解けたワロタwww」
473 「本当か?じゃあおれにも「ナワトビを使って解く方法」を教えてくれ」
1 「え?」

473 「対話にすらなっていません。私たちを見てください。
1 「いや、ナワトビを・・・」
473 「あなたの言いたいことを言うための道具として我々を利用するのではなく我々と対話してください。
    それを融合や創造だと自分をごまかすと、幸せに生きていけますね、、。」
1 「・・・」

577:神も仏も名無しさん
11/09/20 16:47:08.88 INzKXOgJ
>>575
437じゃなくて473でしょう。

578:神も仏も名無しさん
11/09/20 16:57:12.95 apv36ELR
悟りを開かれた方々に聞きたい
今年に入ってから日本では、地震、津波、放射能、そして、台風と、近年稀に見る大災害が多発しています

これらも、全て幻想なのでしょうか?

579:神も仏も名無しさん
11/09/20 17:50:45.03 DxiecMpB
全部幻想だからこそ、全部等価とも言える訳で
神秘体験を追い求める人は屡々目の前の現実を下らないものだと思ったりする
しかし観察すると神秘体験も幻想だし目の前の現実も幻想なので神秘体験が大事なら目の前の現実だって大事なんだよ
釈迦や1さんの瞑想は神秘体験も目の前の現実もちゃんと意識しているのでより完成度の高い瞑想だと思うよ


580:神も仏も名無しさん
11/09/20 18:01:22.70 DxiecMpB
趣味でギターをやってるんだが
ある曲を先生の前で弾くと「楽譜通りになってないよ」
と注意される
自分では楽譜通りのつもりでも全然楽譜と違う弾き方をしてるんだよね
つまり「見てない」んだ。
記憶の世界に生きてるんだよね
記憶の世界に生きている限り、進歩はありえない
「見る」というのは本当に難しい。
自我に捕われず「見る」事ができれば「見落とす」事はないはずだが
難しい。
1さんは、正しく見る為には何が必要だと思いますか?


581:神も仏も名無しさん
11/09/20 18:19:36.34 apv36ELR
>>579
ということは、それらの災害も、
自分が作り出した幻想ということで
よろしいんでしょうか?

582:神も仏も名無しさん
11/09/20 18:23:21.66 DxiecMpB
自分がいなければ「災害」もないじゃん
台風だって生物一般からみたら「恵みの雨」かもしれんぞ


583:473
11/09/20 18:32:09.63 dW5GXHrt
>>575
体験を誇った覚えはありません。
体験はすべからくすべて幻想です。

なにか私が否定をしたでしょうか。
私は1さんの述べたことの矛盾であったり、彼の自我の働きをそのまま捕まえてそれを指摘しています。
彼の自我の働きをすら否定はせずただ指摘しているだけです。

彼は瞑想について借り物の言葉だ語ることはできても、自分の事をしゃべったり他者と対話をするとすぐぼろが出ます。
ぼろが出るからいいのです。
完全無欠な演技が身についていたら手遅れですから。

彼の美しい話に幻惑されないように。
ある程度修行すれば、場合によっては殆ど修行しなくても自分に対する誠実さがなければ彼のように
話をすることは可能です。
こういう美しい話は心地よいですが私やあなたの実際の成長に役には立ちません。
それに本を読めばいつでも読めるようなことです。


584:473
11/09/20 18:35:17.32 dW5GXHrt
もし自分が宇宙そのものだったら台風や地震の事をどう感じるだろうか。
このあたりに幻想を理解するヒントがあるかもしれません。

585:神も仏も名無しさん
11/09/20 18:55:15.58 ddtQ0n53
>>473
結局あなたは何がしたいの?
あなたが1の矛盾点を見つけてそれを示したいのはわかったけど、
だからそれを示して、どうしたいの?

586:473
11/09/20 19:09:36.27 dW5GXHrt
一つは誰もに共通の事です。
他者との関係は自分を知るために役に立つのです。
私は私らしくあるだけです。
光明を得ないまま自分を知るため以外の目的で他者と関わるのは求道者とはいえないと思います。

また1さんが私を見抜いて私の精神の働き指摘でき、その克服を示唆できるのならそれも素晴らしいことです。

もう一つはいつか人類に還ってくることです。
目覚めた人間にはいつかボーティーサットヴァになってもらいたいという願いです。
今あるところにとどまらず、また光明を得るにしても阿羅漢ではなく菩薩であって欲しい。
こちらもただそうしてしまうだけです。

587:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:26:09.76 DxiecMpB
1さん、別に美しい話などしてないだろw


588:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:32:05.38 DxiecMpB
473には何の光明も感じないし、文書に知性の輝きもない、ただ「悟り」と言うコンプレックスがあって、
誰かが悟ったとか言うと嫉妬でもいてもたっても居られないタイプではなかろうか


589:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:34:40.74 ddtQ0n53
>>586
上下2つの段は論外だが、真ん中の一行はどうなることやら
ボディーサーファー?、、、うーんやれやれ

590:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:35:39.52 nAyMB+GL
ama氏って、他人の話を聞いているようで全く聞いてないよね。
間違いを指摘されても、全く聞く耳を持たないみたいだし。
ていうか、他人の考えが理解できない人なんじゃね?
精神科に行ったらアスペルガーって診断が下されそうだな。
そういう性格じゃ、社会で生きるのは大変だったろうなあって思うよ。
その苦しみから逃れるために、すべては幻想、
幻想だから悩む必要もないと片付けるようになったのだろう。

だいたい、現実が幻想だからどうだっていうの?
たとえば、悪夢でうなされている人に、悪夢は幻想だから苦しむ必要はない、
といったところで何の意味もないじゃん。
同じように、現実で苦しんでいる人に、幻想だから苦しむ必要はない、
といったところで何の意味もないんだよ。

591:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:42:02.70 DxiecMpB
悪夢を見てる人がそれを夢だと気付いたら苦しまないどころか自由に操れるだろ


592:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:43:18.89 ICr4jQCX
悟りにも種類や段階があるらしいし、
amaさんも仏陀とか阿羅漢とか名乗ってる訳じゃないんだから問題ないじゃない。
473さんは他人を通して自分の信念を強化しようとしてるように見える。

>>590
言葉というツール自体が万能ではないから齟齬が生まれてるようにしか
自分には思えなかった。
共通の体験や語彙を持ってないと特に観念的なことは難しいというか…。
同じ「現実」や「幻覚」という言葉を使っても、体感しているものは全く違うと予想される。
予想だけど。

593:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:49:14.31 DxiecMpB
473は幸福の科学とかGLAみたいなそっち系のカルト信者じゃないかな


594:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:54:59.13 vU8uPYcM
光明って、昔は光の戦士じゃなかったっけ?

595:神も仏も名無しさん
11/09/20 19:55:59.31 nAyMB+GL
>>592
だいたい、ama氏は自分が得た幸福感みたいなのを延々語ってるだけだよね。
他人を救う(悟りを開かせる)といった心が全く見られない。
菩薩や如来といった仏ってのは、衆生救済が目的なわけでしょ?
ama氏みたいな偽りの覚者は、なぜ、悟りを得たものが衆生を救済しようとしているのか、
という、その本当の意味すらわかってないんだろう。

596:神も仏も名無しさん
11/09/20 20:01:47.21 ICr4jQCX
阿弥陀様みたいに人を救うための誓願を立てて悟った人もいれば、
肝心のお釈迦様みたいに悟ったけど一人でそのまま死のうとして
梵天様から「皆に教えてやれよ!」って言われてる人もいるよ。

597:神も仏も名無しさん
11/09/20 20:04:20.70 DxiecMpB
悟りは個人的な体験なんだからしょうがないじゃん
オリンピックで金メダルを取りたかったら自分で泳ぐ練習しなきゃだめじゃん
1がいくら練習しても、その人が泳げるようになる訳じゃないんだから

598:神も仏も名無しさん
11/09/20 21:17:31.05 apv36ELR
悟リンピック

599:小林 白蓮
11/09/20 22:13:43.43 1/xYtyx4
>>166

※「悟りの定義」は普遍的仏法真理を学び、心の法則を知り、心を調律し、水鏡の
 平静なる心境を維持して、透明で純粋な心の内の水底の般若の智慧を得ること
 であります。

 悟ることで、この世ならざる神仏や霊やあの世を実在として霊的に直視すること
 です。

600:神も仏も名無しさん
11/09/20 22:16:42.29 ddtQ0n53
1の話は
「なんでこんなに当たり前のことに気づかなかったんだろう?」
「なんだなんだ?そんなことかよ!?」
というような、むしろあまりにもあっけないものらしい(>>528)けどこれ分かる?

601:神も仏も名無しさん
11/09/20 22:23:41.20 ddtQ0n53
1の話は
「そのときの私の気づきは、どのようにがんばっても正確な言葉で表現することはできないもの」
らしいので、1をもってしても言葉で詳しく解説し切れないらしい

ということはこういうことだ、これはつまり「悟らないと分からない」
だが「むしろあまりにもあっけないもの」らしいのでよかった
難しい話ではなさそうなのだ

602:神も仏も名無しさん
11/09/20 22:36:17.89 ddtQ0n53
そこでこうしたらどうだろう
1、まずさっさと1の言ってることを経験してしまう
2、本当の悟りの世界とは何なのか教える

603:神も仏も名無しさん
11/09/20 22:40:33.27 DxiecMpB
そうね。だから1さんは例えば幸福の科学というドラマを楽しんでいる人には邪魔をしないようにレスをしなかったんじゃないですかね
ドラマを楽しんでいるときに「それってドラマで作り話だよ」といったら白けるからね


604:473
11/09/20 22:55:13.95 dW5GXHrt
>>592
≫悟りにも種類や段階があるらしいし、
amaさんも仏陀とか阿羅漢とか名乗ってる訳じゃないんだから問題ないじゃない。

悟った人の中でも阿羅漢は一人消えてゆく人、菩薩は教える人という区分です。
彼自身は段階の中での悟りという意味でなく仏陀の悟りという意味で使っているので物議を醸しております。

≫473さんは他人を通して自分の信念を強化しようとしてるように見える。
全くその通りでした。
人様の前に出るときはこの上なく意識的であるべきなのですが、ただいま意識的であればあるほどとんで
もないものと対峙しなければいけない状況でここでは思うことをしゃべりっぱなしにしていました。
とにかく賑やかで見苦しい語り口でした。自我の騒音です。

特に私は賑やかでしたが、あなたのおっしゃったことは人間の誰にも当てはまる永遠の命題です。
人は自分の過去の行動を記憶し、それを繰り返したい保持したいと望み、信念が形成され、
他者を通じてそれを共有したり議論したりしてそれを強めます。

自分の信念に全く毒されていない新しい生をここに書き出せるだろうか。
今はできない。

605:神も仏も名無しさん
11/09/20 22:58:12.30 DxiecMpB
>悟った人の中でも阿羅漢は一人消えてゆく人、菩薩は教える人という区分です。

だからそれは誰が決めたの?


606:神も仏も名無しさん
11/09/20 23:10:09.90 DxiecMpB
473
君の得意な「対話」の機会ですよ
自我が無ければ融合と創造が可能なんでしょ
君は対話者を選んでいる訳で君の定義だとそれは君の自我が大きく作用している事になるよ


607:小林 白蓮
11/09/20 23:11:03.31 1/xYtyx4
>>118

※「悟るための方法について」

 ①高い志として「仏の悟りを開きたいと」日々決意することです。

 ②一日を一生として日々新しく生きることを、日々新生を誓うことです。 

 ③幸福の科学の仏・法・僧の三宝を帰依することです。
  日々、お祈りをすることです。

 ④大川隆法著の著作の普遍的真理の仏法真理を学び、智慧として腑に落とすこと
  です。そして、心にストックしてゆくことです。

 ⑤反省の習慣化です。心の想念帯は日々チリやホコリが穢れとなり、悟りの妨げ
  になりますので、日々、一瞬一瞬に心の想念帯の穢れを発見したら反省するこ
  とです。

  反省できれば、心が湯上がりのように軽くなります。

 ⑥反省しながら、心の引っ掛かりが無くなって、安らいだ心で瞑想禅定すること。
  気分が悪くなったり、集中できないときは、瞑想を解きます。

  私の場合は、仕事の帰りや休暇の時に、平静なる心で集中できる場合は、数時間
  瞑想禅定をします。義務感ではしません。 

608:偽イルミナティ
11/09/20 23:15:19.88 YBAZ2yAF
amaって人が誰かを悟らせたり出来るんなら意味もあるんだろうけど、
それどころか、悟りそのものを説明さえできないんでしょ
スネオ的な悟りとでも言えば良いのか
様は自慢だよね、これ

609:小林 白蓮
11/09/20 23:15:45.10 1/xYtyx4
>>607 続きます。

 ⑦一時間経ちますと、心の内の上澄みの透明で純粋な部分が見えてきたら、透明で
  純粋な部分だけを観て、平静なる心の持続をして行くことになります。

 ⑧凪いだ心の湖面から水鏡の心の湖面になって、心の湖面の底も透き通って
  ゆらぎの無い心境を維持し、心の湖面の底を観てまいります。

 ⑨水鏡の平静なる心の内に光が射して来るのが分かってまいります。

 ⑩心の内の底の奥から、小さな点のような光が射してきて、継続の日々の中で、
  小さな点のような光が、やがて大きな光が射して心の内が真っ暗だったのが
  明るい光に満たされて、指月の教えのごとく、心の内に満月が観えてきますと、
  それが悟りを開いたことになります。

 ⑪そして、霊天上界からの指導が入り、水鏡の透明で揺るがない純粋な無我の
  心境の質が高まれば、心の内の水鏡の底からコンコンと般若の智慧が泉のよう
  にわいてきて、霊天上界の守護霊からインスピレーションが入り、高級霊か
  らの指導が入るようになります。

 ⑫菩薩の登竜門の阿羅漢の悟りを開いたことになります。
  上求菩提の悟りを開いたら、下化衆生の救済にあたります。
  
  阿羅漢の悟りまでは、誰でもなることが可能です。 

610:神も仏も名無しさん
11/09/20 23:31:03.73 DxiecMpB
1を批判する人の殆どがカルト信者である事が見えてくるな。

カルトは神秘体験による悟りの序列を付ける
信者に「あっけなく悟っ」てしまわれるとビジネスとして成り立たないからだ。



611:神も仏も名無しさん
11/09/20 23:59:35.05 DxiecMpB
1さんの方法は神秘体験というファンタジーを追い求める人に取ってはある意味冷や水を浴びせるような所があるかもしれない。

神秘体験もよく観察し
目の前の現実もよく観察してみなさい
それは全て自分の心が生み出しているものである事に気がつくであろう

そう自覚するのがおそらく1さんや仏陀の言う悟りであるからだ



612:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:07:01.77 9bZl/sGb
そう、そして「そう気がつくもの」も自分の心が生み出しているもの
だから「思考(とそれが作り出す全て)」が消えて、ただ みた とき>>71、分かる

613:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:18:15.54 mPIhvTA9
>>608
悟った人が「悟った」というのは自慢以外の何があるの?
悟ってるんなら、悟ってるって言わなくても
人を導く方法くらい知ってるでしょ。

614:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:18:43.69 tjqi+IVv
今、この世界の中でいかに自由に生きるか

神秘体験を求める人は、現実が生きずらかったり苦しいと感じる人が多いのかもしれない
なので「ここではないどこか」を求めるのであろう。
しかし、結局、我々はこの世界で生きて行くしかない。
(もしくは山奥で一生座禅を組んでいきていくかであろう)

だから目の前の世界を知る事は非常に大事なのだ。

勿論、目に見えない世界を知る事も大事であろう

神秘体験も多いに結構だ。

しかし「この世」が見えず、「あの世」しか見えないのであれば
その人は「この世」に置いて盲目である
なのでまず「この世」を見る事が大事。
そしてどちらも幻想であると知るならば
そのような人は自由であろう

カルトの中にはあの世は実在だがこの世は幻と説く場合が多い
そして教祖はあの世を支配する神なのだというような事を言う
そうなると信者は完全に支配されてしまうだろう
しかしそれも心が生み出した幻想なのである
その根拠は信者や教祖がそう思い込んでいる事以外にないからだ


615:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:28:05.13 mPIhvTA9
世界を幻想だと見極めたところで
幻想を断ち切らなければ、ずっと幻想の中だ。
課題は、どうやって幻想を打ち破るかだよ。

616:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:37:53.44 tjqi+IVv
612
確かに、思考のない世界では、「苦しい」ということがないんだよね
「楽しい」もないけどさ

『案ずるより産むが安し』と言う言葉があるけど

苦悩とは、それがやって来た時にはない。

痛いんだろうなと考えている時は苦悩があるが
痛みを感じている時は痛みがあるだけで
観念化しない限りはそこに苦悩はない

その一瞬、その一瞬の現実の中には苦悩というものはない。
これは竜樹も『中論』の中で強調していたと思う。

「あの人にどう思われただろうか」と思うとき苦悩は生じる
つまり苦悩の正体は自分の「思い」なのである。

ならば心をコントロールすることが出来れば苦悩も消す事が出来る。

ついでに「あの人は俺の事が好きに違いない」と思うと「幸福」を感じるかもしれないが
この幸福感の正体も思考である。
だから思考が変わって「あの人はやっぱり俺が嫌いなんだ」と思うと「苦悩」に変化する可能性がある。
釈迦が「愛は苦痛である」と言うのはこういう事であろう
つまり思考を捨てるならば、苦悩も快楽も消える訳である
そこにあるのは「平安」という境地かもしれない


617:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:42:21.07 tjqi+IVv
615
まさにそこなんですよね。

理屈からすると思考を捨てれば幻想は消えます。
幻想が消えると快楽や苦悩も消えるでしょう

するとそもそもどうやったら思考を捨てられるのかという話しになる



618:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:47:42.82 mPIhvTA9
>>617
まずは思考の前提となる抽象的概念から捨てたらどうでしょう。

619:神も仏も名無しさん
11/09/21 00:54:05.29 tjqi+IVv
森の中で瞑想に耽っている人は、楽しい事ばかり考えているのだから
ある意味「天国」にいると言える。
しかしその天国は思考が生み出したものである。
思考が生み出したものだから何かの拍子に地獄に変わる事もあるだろう
ただ、人の影響を受けない分、好き勝手な幻想に耽られるので、ある意味では幸せなのかもしれない。
我々は山奥に住んでいるわけではないので
その思考は激流のように変化する、地獄や天国を行ったり来たりしているのが現実だろう
根本的な事を言えば、思考が全てを生み出しているのだから
思考が止まるならば、地獄も天国も超越出来る訳である。
この技術を天台仏教では「止観」と言った。
「一切の思考を止めて観る」という瞑想行である


620:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:06:47.28 0nM6nWxt
クリシュナムルティは本物?

621:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:07:32.59 tjqi+IVv
618
ここまで書いてなんだけど、やはり思考と妄想は区別した方がいいような気がする
だって今俺が書いている事も「思考」じゃん
一切の思考が無益だとすると無益な事をしていることになる
実際は思考によって
考えを整理して生活に役立てる事も出来る訳だ
釈迦が菩提樹で瞑想をして悟ったのも
思考といえば思考である
また、一切の知識を捨ててしまえば日常生活は営めないだろう


622:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:18:43.33 tjqi+IVv
釈迦は「正しく見て正しく思考しなさい」と言い八正道を示したが
思考をやめて目の前の事を見る。(正見)
目の前の物事の縁起を考える(正思)
事自体は否定していないと思う。
1さんの「気づき」も
正しく見た結果、正しく思考され、真実が見えたという事ではないかと思う。
決して思考がない訳ではなく、思考はあったが
それはあるがままを見てあるがままに思考したという事ではなかったかと思う。
実際、全ての思考を停止したら生活が成り立たない。
あくまで妄想観念から生じた思考を否定したのであって
正しく思考するならば
恐らくそれは有益なのだ
その思考は苦も楽も齎さない。
知恵と呼ばれるものだろう


623:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:26:59.39 9bZl/sGb
>どうやって幻想を打ち破るか
>どうやったら思考を捨てられるのか
そう考えているのもまた「思考」
「正しく思考」と仰るが、「正しいかどうか判断するもの」が「思考」であるならば、
その正しさの確実性とはどのようなものとなるだろうか

624:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:33:44.58 tjqi+IVv
町の中に住んで自由を得る方法

私が知りたいのはそれなんだ

別に仏教徒でも>1教徒でもない。

単にその方法を知りたいだけだ。

そしてたまたま1さんや仏陀の悟りがそれと関連していると思われるので
興味がある訳です。

我々の心は幻想の激流の中で地獄を作り出したり天国を作り出したりする。

午前中に課長に褒められて有頂天でも午後、部長に「きみぃ。これなってないよ」と言われたら、奈落。というような事がある訳だ。

一つには、思考をコントロールしてポジティブシンキングを続ける。
もう一つは、思考しないで、部長も課長も単なる「情報」として受け取る。すると褒められても嬉しくないし叱られても落ち込まない。平安の境地だろう。
そして為すべき事を淡々とやり続ける


625:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:37:03.98 tjqi+IVv
623
仏教徒の場合だと悟りに関係ある思考はOKだけど関係ない思考は喝!を入れられることになる。

基準は悟りに関係があるかどうか
関係がない事は妄想。



626:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:39:45.75 tjqi+IVv
悟った人じゃないと悟りに関係があるかどうかを
そもそも判定出来ない訳です。
だから師匠について判定してもらう
白隠は「これが悟りですか」と何十回も師匠に尋ねて何十回も殴られたと言うw


627:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:48:17.78 9bZl/sGb
>町の中に住んで自由を得る方法
1の示す理解の下においてはどこに住んでも自由ではないですかね
「こうでなければならない自分」を持つなら山奥に一人でも不自由ではないですか

628:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:48:26.43 mPIhvTA9
自らの思考の輪の中で
グルグル回り続けて疲れませんか?

629:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:57:02.33 mPIhvTA9
>>627
確かに自らの思考や観念からは自由だけど
縁起の法には縛られるよ。

630:神も仏も名無しさん
11/09/21 01:59:20.75 tjqi+IVv
「観念を止めてあらゆる物事を観る」

妄想が生じたら「妄想が生じた」と観察する

妄想が生じる事も精神のありのままの姿なのですから、それもよく観察する。

とにかく全て観察すること

ただ瞑想だけしている訳にも行かないから
人生の目標は決めなくては行けない。
その目標は悟りにネガティブになるものであってはならない
私の場合、悟るという事が一つの目標なので
生活全体を悟りを得る為のものに少しずつ改良していっている所です
沙門果経によると釈迦は「世俗に居ると悟りの妨げになるし
生活で悟りの修業をすると生活の妨げになるので、悟りを得たかったら出家しなさい」と進めたらしいが
現代の仏陀である1さんによると在家でも悟る事は出来るらしいので出来る限りやってみる


631:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:12:05.58 tjqi+IVv
627
要はどこに居ても自由でありたい訳です
もっとも心の原理からすれば、俺はどこにいても自由だと思えば自由なんですけどね
ただ、自由でも、仏陀になる自由というのもあると思うんですよ
「全ての物が見えて、あらゆる事がわかり、なりたいものに自由自在になれる」そういう存在になることが私の自由なのです。
それは縛られているのではないですか?
ええ、そうです。仏陀になることに私は「縛られたい」のです。


632:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:17:12.73 9bZl/sGb
>>629
縁起の法とはなんですか?

>>631
1を理解すると自由になる危険性(笑)がありますよ

633:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:29:35.93 9bZl/sGb
>>630
>「観念を止めてあらゆる物事を観る」
「そのときそのようにして観ている」のは「観念により作られたもの」
(「観念により作られたもの」が「観念を止めてあらゆる物事を観」ようとしている)

>妄想が生じたら「妄想が生じた」と観察する
「妄想が生じた」と気がついているものは「妄想により作られたもの」

>妄想が生じる事も精神のありのままの姿なのですから、それもよく観察する。
「というようによく観察しているもの」は「妄想により作られたもの」

>とにかく全て観察すること
「をしているもの」は「観察対象」と同じ素材(思考により作られたもの)では?

634:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:31:32.10 tjqi+IVv
「なりたいものになる方法」

心が一切を生み出しているとすると
心に働きかければ成りたいものになることは可能です。
古来から真言や座禅など色んな方法がありますが
これらは心が全てを作り出していると言う原理に基づいています。
上杉謙信は真言宗の熱心な信者で「俺は毘沙門天の生まれ変わりだ」と信じ護摩を焚きマントラを唱えていたそうですが
実際に当時の人に軍神とも言われるほど神がかった武将として活躍しました。
心が全てを生み出しているのですからこれは不思議ではありません
毘沙門天に成りたい、なりたい所か俺は毘沙門天だと強く思った謙信は実際に毘沙門天になった訳です。
仏陀に成りたいと思うなら仏陀になるでしょう
最澄は「仏陀になりたいと人が発心した時、もう仏陀になっているのだ」といいました。
ですからまず仏陀になりたいと思うこと
この「思い」だけは仏教でも尊いとされる訳です。

結論出ました。
仏教になりたいという思考だけが善い思考な訳です。この場合ね。
あと余計な事は考えなくていい。
仏教になりたいと考えていれば人は幸せになれるのです
仏教になりたいと思うからこそ1さんとも縁が生まれたりする訳ですからね


635:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:39:28.28 9bZl/sGb
>>631
>要はどこに居ても自由でありたい訳です
>ええ、そうです。仏陀になることに私は「縛られたい」のです。

自由であることは縛られることではないし
縛られることは自由であることではない

>>634
>結論出ました。
そうですね
あなたは混乱そのもので「混乱そのものが選んだ解決方法」を採択している
「混乱そのもの」の世界において採択されたあらゆる選択肢が混乱の下にある

636:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:39:59.15 tjqi+IVv
633
仏陀=物事を自由に見て自在に生きられる人になりたいと思って
物事を見るならば
それは結局、仏陀になることに繋がるはずです
2ちゃんねるを見ても仏陀になりたいと思っている私は1さんを発見しましたが、そうでない人は発見していません
結局、我々は、思考を通じてしか物事を見られません
そもそも思考しないことも思考の作用です。
「あ、妄想しているな」と気づく事はそもそも思考の作用です。
仏陀になる為の思考はOKなのです。


637:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:41:41.62 tjqi+IVv
635
しかしそれも思考ではありませんか?


638:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:47:17.08 tjqi+IVv
仏陀になりたい→あ、こんな馬鹿な事を考えてる場合じゃないな修行しよう→仏陀になる

という因果関係がある訳で、仏陀になりたいという思考が全ての大本です。
仏陀になりたいという思考が無ければ仏陀にはなれません
これはあらゆる重要な仏典の中で主張されてる事でもありますね
仏陀になりたいと発心することが仏陀になる種であると


639:神も仏も名無しさん
11/09/21 02:52:26.85 9bZl/sGb
>>634
>「なりたいものになる方法」
「なりたいものになる」には条件が必要だ
その条件とは 「なりたいものではない」ということ だ
あなたは条件を満たしている

「なりたいものではないあなた」は、以降そこから一歩も動かずそこにそのままある(>>411
「なりたいものになる方法」により「なりたいものになった」のは「なりたいものではないあなた」だ

「なりたいものになる方法」は「なりたいものではないあなた」により編み出された
それは「混乱そのもの」の世界において「混乱そのものが選んだ解決方法」により採択された選択肢である

640:神も仏も名無しさん
11/09/21 03:04:13.51 tjqi+IVv
1さんも仏陀になりたいがまずあったのです
その結果、止観瞑想で悟ったので
その逆ではない。
兎飛びを毎日していたからオリンピックで金メダルを取れた訳ではなく
オリンピックで金メダルを取りたいと思うからトレーニングをする訳です

思考はただ一点「仏陀になりたい」だけ

仏陀になりたいのであればそれ以外の思考は一切無駄ということになります。

私は仏陀になりたいと思っている人なので
要は仏教で言う所のボーディサットバですな

これは菩薩の言葉ですから、ゆめゆめ疑う事なかれ(笑)

1さんと俺は時空を越えれば同じなんだわ
仏陀になりたいと思っている私はいつでも仏陀になれるんだよ

ただ菩薩である俺の方が、1さんより解りやすいでしょ?
悟り切ってないからこそ
仏陀の悟りを言語レベルで大衆に伝える事が出来る。
1さんのように悟ってしまうと語る事がなくなってしまう。
「悟って」としかいいようが無くなってしまう訳だ。
俺も完全に悟ったらこんなふうにペラペラしゃべったりしないと思うもん
どうせ言葉じゃ伝わらないと思うので黙ってると思うぞ


641:神も仏も名無しさん
11/09/21 03:12:26.05 9bZl/sGb
誰もあなたが悟るなと言ってない
むしろこういってる(>>600-602)
1、まずさっさと1の言ってることを経験してしまう
2、本当の悟りの世界とは何なのか教える
どうぞ悟ってくださいな

642:神も仏も名無しさん
11/09/21 03:18:46.18 tjqi+IVv
なるほどなるほど「仏陀になりたい」と思っている私は仏陀ではない

その通り!

仏陀だったら「仏陀になりたい」って思わないからね。

プールに飛び込みたいと思っている人はプールに飛び込んでない人だからね

しかし飛び込もうと思えば飛び込める人でもある訳よ

プールに飛び込みたいと思わない人はプールに飛び込む可能性がないからね



643:神も仏も名無しさん
11/09/21 03:26:06.40 tjqi+IVv
要は仏陀になろうかなどうしようかなとモジモジしている人なんだな

いわば、悟った1さんに、悟りの味を聞いて満足しているような状態だね

海外旅行に行った友人に
どうだった海外は!?
と聞いて、いいなーいきたいなーと言って空想している状態だな



644:神も仏も名無しさん
11/09/21 04:01:56.20 tjqi+IVv
1さんと話しをしたりすることが実は心に働きかけている事なんだよ
海外に行くまえに行った人の話しを聞いたり旅行雑誌を読んで旅行に行きたいという気持ちが熟してくる訳だ
機縁が熟してはじめて旅行に行ける訳です
だから一見無駄な事をやってるように見えても無駄じゃないのね
心に種を蒔いてる訳です


645:神も仏も名無しさん
11/09/21 04:08:42.27 tjqi+IVv
謙信の例で言うと「毘沙門天になりたい」と思っている時点では毘沙門天じゃないんだけど
彫刻の前で祈ったり、仏典を読んだり、マントラを唱える事で心に種を蒔いてる訳です。
そして機縁が熟すると本物の軍神、毘沙門天になる訳です。
因が縁を作りだし果を生じている訳です


646:神も仏も名無しさん
11/09/21 05:23:48.38 EMC4S6wu
現実は妄想であり、また、妄想は現実である
多くの人は、現実は妄想であると、解くが
しかし、妄想もまた現実なのである
それは、妄想が現実になるかもってことでは無くて、
妄想している状態が現実であるということ
私が見ている現実は妄想であるが、
妄想を見ている状態は現実である、といえる
すなわち、色即是空 空即是色である
この世界なんて、妄想だから、無意味だ、なんてのは、全くのくだらん考えで
妄想し続けている状態は、現実なのである
だから、悟ったなんてのは、妄想だけど、
その妄想している状態は、現実なんですよ

647:ama
11/09/21 08:21:34.92 BX+k/q9t
>>486
霊能力の様な物は手に入っていません。

648:ama
11/09/21 08:26:28.39 BX+k/q9t
>>490
> ≫私は、はじめからいないのですから、
> ≫死んだ後も私はいないのです。
> ≫その意味で、「私は死んだらどうなる?」の答えは、
> ≫正確には「何も変わらない」となります。
>
> はじめからいないのであれば
> 「死んだらどうなるという質問」には
> 生まれていないので死ぬこともない
> という答え以外ありません。

はい、おっしゃるとおり、私は生まれていないので、死ぬこともありません。
そして、生まれていないのに、生まれ存在しているように見えています。

649:神も仏も名無しさん
11/09/21 08:26:55.69 UJInd6qU
努力で仏陀になれるならば、皆仏陀になっている。
では、どうしてなれないのだろうか?


650:ama
11/09/21 08:27:44.57 BX+k/q9t
>>490
> 「死んでも何も変わらない」
> って、生まれていないはずなのに何が死ぬんですか。
> 無意識で活動している自我があるから死ぬという観念を持てるのではないでしょうか。
>
>
自分が存在しているという思い込みが死にます。
おっしゃるとおり、自我が、死ぬという観念を持っています。

651:神も仏も名無しさん
11/09/21 08:31:49.86 UJInd6qU
>>650
>自分が存在しているという思い込みが死にます。

失礼ですが、まだ死にきっていないように見受けられますが?

652:ama
11/09/21 08:32:41.32 BX+k/q9t
>>490
> ≫実は生きているときから私は終わっている(つまりいない)のです。
>
> 「終わる」とはなんですか。
> 始まっていなければ終わることはできません。
> 私はないと口では言いつつ、無意識では私の始まりを意識しており深いところでは私があるということ> を知っているからでないと
> 終わるとおっしゃることは不可能です。

おっしゃるとおり、私は始まっていません。
ですから、終わることもありません。
初めから私はいないのです。

653:ama
11/09/21 08:38:52.74 BX+k/q9t
>>491
はい、私は、「私はいて、同時にいない」という意味をあるがままの世界に与えています。
そして、この表現の仕方は、私なりです。
それを観た別の方は、また別の言葉で表現するかもしれません。


654:ama
11/09/21 08:42:49.29 BX+k/q9t
>>493
> 似たようなことが起きたかもしれませんし、別の事が起きたかもしれません。
> ただ、基本的に474にあることはすべて起きましたか?
> それともこの文章が彼のいたずらで嘘が書いてあるのでしょうか。

私なりに書いてみましたので読んでみてください。

さて、私も質問してみます。
彼がいたずらや嘘で書いたかどうかを知る方法はあると思われますか?
あるとすればそれはどのような方法だと思われますか?


655:小林 白蓮
11/09/21 10:36:15.01 LeBVkl4c
>>613

>悟った人が「悟った」というのは自慢以外の何があるの?

※大川先生の教えでは、インド時代のお釈迦様は大悟し仏陀となりました。

 そして、お釈迦様は『「無師独悟」で私は悟りを開いた』と過去の修行仲間に
 悟りの悦びを伝えたところ、過去の修行仲間から、「師がいなくてどうして悟
 ることができるのだ」「自惚れるのも大概にしなさい」と嘲笑されてしまうの
 であります。

 誰もお釈迦様が仏陀になったことを信ぜず、仏陀と認めることができないという
 ことは、悟りを開いた者は自己申告をしないと、「誰も悟っていなかった」で終
 わってしまうのです。

 ですから、周りから、自慢と勘違いされて嘲笑されても、悟りを開いた人は悟りを
 開いた自己申告が必要であります。

656:神も仏も名無しさん
11/09/21 11:18:59.26 UJInd6qU
>>655
>ことは、悟りを開いた者は自己申告をしないと、
>「誰も悟っていなかった」で終わってしまうのです。

そこで終わって何が問題なの?


657:神も仏も名無しさん
11/09/21 11:21:11.87 UJInd6qU
>>655
そもそも釈迦はどうして自分が悟ったことを
他人に伝えなければならなかったの?


658:小林 白蓮
11/09/21 11:56:18.67 LeBVkl4c
>>546

>相談があります
>悟りはどこまで開くことをいうのですか?

※阿羅漢の悟りは、菩薩界の1年生となります。

 人間的修行は如来界までになります。

>入門はしてませんが法と瞑想で
>高次元へ行くことができついに如来の存在を見ました
>私が見てる事を気付いてくれました

※あなた様の如来の存在の姿はどのようなものでしたか?

>難しい会話はまだ出来ません
>悟りはまだ先ですか?

※中には、如来の存在を勘違いしていますので、具体的な内容が分かれば
 ある程度分かると思います。

 あなた様の修行方法も具体性がありませんので、何処かの師について
 修行を積まれているのでしょうか?

659:小林 白蓮
11/09/21 12:19:25.03 LeBVkl4c
>>656

>そこで終わって何が問題なの?

※仏陀の自己申告無いままでは、お釈迦様は仏陀であることが、分からない
 と、仏陀としての使命は果たせないのであります。

>>657

>そもそも釈迦はどうして自分が悟ったことを
>他人に伝えなければならなかったの?

※上求菩提・下化衆生で悟りを開いた者は、衆生救済に当たることに
 なりますから、ニセモノの仏陀も出ますので、本物の仏陀が自己申告
 することで、ニセモノの仏陀が多数出て、衆生を堕地獄の教えの道
 に行かせないためでもあります。 

660:473
11/09/21 12:31:14.62 756GdDIA
>>648-653
べき論の言葉遊びをしているのではありません。
今現在働いているあなたの自我を指摘したのに対して、あなたは自己イメージ、
理論的な自己認識によってつじつまを合わせようとしている。
あなたと同じように語ることなら私にもできるが、自分が体験していないことを語るような無意味なことはしません。

もしあなたが最上の悟りを得ているにかかわらず
>>491 >>535 >>566
で指摘されるような表層で悟ったつもりでも無意識で自我が働いているひとにありがちなと表現をしてしまった場合もあるのですが、
もしそういったミスをした場合は、その釈明はそんな表面的で論理的なものではなく、
もっと深く広がりのある、表層で悟ったつもりでも無意識に自我が残っている段階とその克服についての論述
でしかありえません。
実に薄っぺらな回答です。
で、今回は理論だけで本人の自我が見えないので特に指摘のしようがありません。
ですが、文章全体が死んでいて何も新しいものが無いということ自体が、全編自我といわれても仕方ありません。
正直回答を受けたと認識していません。本から出てきたありがちな言葉であり、あなたの言葉でないから。

661:473
11/09/21 12:40:20.09 756GdDIA
>彼がいたずらや嘘で書いたかどうかを知る方法はあると思われますか?
これは悟った人が、弟子が経典を丸暗記して悟ったふりをした時に
それが嘘の悟りだと見抜くために、体験ならざるものについても道の途上の
体験についても実際に起こることと細部を変えて経典を作る。

というニュアンスの事ですが、それについてのご質問ということでよろしいのでしょうか。






662:473
11/09/21 12:44:52.62 756GdDIA
>>648-653
べき論の言葉遊びをしているのではありません。
あなたの無意識全体、あなたの自我全体による回答ではなく、
あなたの表層の瞑想理論担当マインド個人の回答にすぎません。

663:神も仏も名無しさん
11/09/21 12:58:35.48 UJInd6qU
エゴまる出しの文章で質問されると
答える方も大変だろうね。


664:神も仏も名無しさん
11/09/21 15:13:54.21 rlmwqICx
1が「そのときの私の気づきは、どのようにがんばっても正確な言葉で表現することはできないもの」
といってるのだから、ここでの1との対話というのは元々正確性の限界がある
それなのに473の要求は、不完全なパーツで完全なものを作って見せてくれと延々いってるようなもん
じゃあそういうようなことをやって何がしたいのかというのか聞いてみると>>586とのこと

665:神も仏も名無しさん
11/09/21 15:24:22.70 UJInd6qU
>>664
おそらく彼は、自分の中に正しい答えがあって
その答え通りに1が回答してくれるのを期待してるんだろう。
彼の答えが正しいことを証明するために・・・・・


666:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:09:52.72 rlmwqICx
ID:tjqi+IVv が「仏陀になる為の思考はOKなのです。」と言ってたが
473にも同じように自己根幹と言うか、大本の土台基礎についての注意深さの欠如がある

>私は私らしくあるだけです。
「私らしくある」には「私が必要」
「私は私らしくあるだけだ」とする前に、それが「あるのか」
又「それがないならそもそも可能なことなのか」確認したのか

恐らくしていない、なぜならこうだから
>光明を得ないまま 自分を知るため 以外 の目的で 他者と関わるのは求道者とはいえないと思います。
ということから逆に「自分を知るため」という名目においてならば
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」としている ことが伺える
(「仏陀になる為の思考はOK」として 自我の生き残る聖域 を残すケースと同じ)

>また1さんが私を見抜いて私の精神の働き指摘でき、その克服を示唆できるのならそれも素晴らしいことです。
相手が「あなたが考えた悟り像」に適合するかどうか「判断しているもの」がある
だが本人にはそうしているものがあること を疑問点として認識できない
なぜならその前に前提があるから
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」

667:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:19:48.44 agkalPht
>>473
473さんは光明というものが悟りを得たときに言葉の格言ではなく本当に身に着くものであるとまで
知っているような気がします。ある程度473氏も悟りが進んでいるんじゃないかと思いますので473氏も
悟りの途中の段階まででいいのでその悟りまで導くスレを立ててみてはいかがでしょうか?
道が合ってるのか間違ってるのか分からないけど僕も1さんの悟りは最終的に光明を得て菩薩に至るまでの
途中の道しるべや入門編として読ませていただいています。

473さんの悟りの段階は預流果、一来果、不還果、阿羅漢果で云うとどの辺にあたりますか?
URLリンク(www.j-theravada.net)


668:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:20:47.04 rlmwqICx
>もう一つはいつか人類に還ってくることです。
>目覚めた人間にはいつかボーティーサットヴァになってもらいたいという願いです。
>今あるところにとどまらず、また光明を得るにしても阿羅漢ではなく菩薩であって欲しい。
>こちらもただそうしてしまうだけです。
「ゆくゆくは人類救済」か何かをしたい?ように見受けられるが
「救済できる」なんてのはまさに「混乱している人にしかできない発想」ではないか
(オウムのポアは「救済」だったなあ)

案の定これらの考え方は、その前に敷いた前提(求道者としてなら自我保持OK)
に残った自我から発せられているように思える
「人にこれこれこういうものになって欲しい」などと考える前に、日々の生活をしたらどうです
その方が少なくともあなたにボディサーファーになって欲しいと思われてしまう人が減って平和だ
あなたも「こうあるべきだ」の荷物が減って楽だ
そう思うがね

669:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:25:32.25 rlmwqICx
預流果、一来果、不還果、阿羅漢果、、、
果ばかりあるから果実食いたくなっちゃった
夏も終わり、果実のおいしい季節だよ

670:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:30:43.16 agkalPht
>>666 668
俺の書き込みが素敵な挟まれ方をしたなww

俺は預流果、一来果、不還果、阿羅漢果→菩薩という悟りの段階を信じているよ
まぁ馬鹿にする人もいるのかもしれないが、473氏は悟りに対して真剣で有るがゆえだとは思う。


671:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:52:58.77 tjqi+IVv
真剣というか洗脳されてるだけじゃないか?


672:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:57:08.60 UJInd6qU
>>670
俺も473は悟りに対して真剣なんだと思うよ。
だからこそ473には悟って欲しいし、
その為に、彼にとっては聞きたくない事も書き込むよ。


673:神も仏も名無しさん
11/09/21 16:59:17.98 agkalPht
>>671
洗脳って新興宗教にか?473氏が小林 白蓮みたいに新興宗教に入っているなら洗脳でもいいけど。
小林 白蓮みたいなのが居るから、それで中途半端に本当の事書きながら、大川の話が出てくるから大変困る。

674:小林 白蓮
11/09/21 17:06:23.77 kYyrRvwm
※大川先生の教えによれば、インドの時代のお釈迦様は釈迦弟子達に悟りの階梯で
 教えたことは、菩薩の下段階の1年生までの悟りとして、阿羅漢の悟りとしたの
 です。

 プロの菩薩から如来、如来から仏陀への悟りは、阿羅漢の悟りではありません。

 別段、馬鹿にはしていないけど、釈迦弟子達のレベルに合わせた悟りの階梯であっ
 たということです。

 だから、阿羅漢の悟りが、菩薩から如来を省略して、いきなり、仏としたのです。

 仏にも段階的な使われ方があって、根本仏としての仏と九次元の宇宙界の仏陀
 としての仏と、6次元光明界を卒業して七次元菩薩の下段階の阿羅漢果として
 の仏の方便的使われ方をしています。

675:神も仏も名無しさん
11/09/21 17:14:53.02 agkalPht
>>674
呼んでないよww

俺新興宗教大っ嫌いなんだよね


676:神も仏も名無しさん
11/09/21 17:22:31.27 tjqi+IVv
大別すると悟りに関する言説は
1、梵我一如説
2、空観派
3、中観派

1の梵我一如説は悟りの目的は神と合一とする
ヒンズー教や、神知学、スピリチュアリズムと親和性が高い
空を説く場合もあるが、この世が空であり、あの世は実在とする場合が多い。
グルイズム(いわゆるバクティヨーガ)と結びつきやすい。
しばしばあの世の神であり有人神である教祖が崇拝されている
仏教はヒンズー教の一部とする立場
悟りの基準として神秘体験を重要視する

2はいわゆるヒンズー教と差異化をはかる立場
原始仏教や禅宗などに特徴的
あの世や神秘主義、霊魂神の実在などに批判的な立場を取る

3中観派
密教、大乗仏教の諸派がこれに当たる
あの世や神を全否定はしないが肯定もしない
方便として認める立場
一部方便が逆転して本尊になっているケースもある。浄土系など

1さんは2と3の中間かな
批判派は梵我一如派が多いと思われる


677:473
11/09/21 19:02:33.45 756GdDIA
>>667
そういったことはあまり申告したくないのです。
と申しますのも、私の段階まで来ていない人にそれを言ってもその人はそれを確認するすべがありません。
むしろ自分の達していない段階について先入観を持ってしまいます。
そして、それが理解できる私と同等かもしくは他のタイプで同等以上(他のタイプの判断は同等では無理です)
の人にはあえて言わなくても私の状況は筒抜けです。
私が穏やかに書き込んでも怒りと混乱は筒抜けですし、怒りを書いても穏やかさも筒抜けです。
つまり表出した精神ではなく精神全体の理解がなされてゆくのです。

4つの段階について読んで驚きました。
学者のたわごとかと先入観がありましたが、読んでみると不思議なほどの正確さで瞑想の習熟と実体験について記述されていました。
伝統が見事に保存されています。道の途中で旅を終わりにしないような仕掛けができています。
なるほどテーラワーダさんなんですね。ほとんど同様の内容をOSHOの講和で読みました。(奇跡の探求第2巻)

そしてこの4つの段階は、人間の成長の段階ではなく、悟りの成長の段階なものですから1番目から相当のものです。
それでもなお、煩悩のほとんどは残っている。どんな体験しても、体験は体験にすぎぬと知る無我の光がさしても、自我はほとんどそのまんま。
むしろそこからようやく思考ではなく、自我全体に向かう準備ができたと言えるのです。
その事実を突き付けているあたりが生きた経典だと感じます。



678:473
11/09/21 19:04:03.05 756GdDIA
自分はどこか?
今は怒りについて学んでいたところでした。
油断すると相手の立場を考えず間違いや虚偽に怒りをあらわにするのですが、
自分の虚偽に精通するにつれ相手の立場に立つことができ始めます。
みんな主観では優しくて利他主義で公正なんです。
そのあたり「ゆっくり怒りが減り始めます」という記述にびっくりしました。
怒らないふりと怒りが減ることは全く別の事です。

ですが、たとえ怒りが内にあってもそれを表現しないのは礼儀というもので、
それを怠った私が起こられるのは当然です。
内にに怒りがあれば表層の礼儀などその人の実存にとって意味はなく悟りにおいて意味はありませんが、
内に怒りがあることを知ってなおそれを表現しないのは行であると思います。

穏やかに振舞おうとして自分の怒りがないと思い込むのは誤った道です。
預流果の人ではこの迷いに入ってしまうでしょう。
これを克服したのが不還果なのでありましょう。
そこにたどり着くまでは生徒であり弟子なのです。
自分と他者では自我の構造が、経験が思想が夢が世界が何もかも違うので今の自分では教えることなどできず、
あくまでかかわりの中で己の夢の構造を学んでゆくしかないのだと悟り始めるのが一来果かもしれません。
教えることで自らを損なわないのは不還果からだと思います。これはわからないことですけれど。

679:473
11/09/21 19:44:52.39 756GdDIA
>>654
>彼がいたずらや嘘で書いたかどうかを知る方法はあると思われますか?
前述のような正しい道を進んでいる際にある人には起こるであろう体験に嘘が混じっているという意味でしたら、
その体験をした際細部が違えばそれがわかると思います。

悟りについての言明とは、悟りの障害である人々の人生や悟りについての観念を破壊するようなものの事ではないでしょうか。
故に祖師は時代とともに正反対の表現をかわるがわる行いました。
思考という束縛からの解放について言葉で語るいたづら者のブッダ達。

人の信念を強めるような、あらかじめある気体に合致するような言明は悟りの言明ではありえないのです。
それは場にふさわしくありません。
しかも他者の信念に反して気分を害するだけでは済まない、真理と愛の響きが祖師にはあります。
こちらは私にはありませんし、無い物ねだりになります。

自我で話すほかありません。自我によらないで話そうと思えば、先に光明を得ることになります。
無我との接触と無我のままでの他者との接触はいささか次元が異なるのではないでしょうか。

680:667
11/09/21 20:13:23.99 agkalPht
>>677>>678
そうですか、本当は分かる所まで教えて欲しかったんですけど、話どうもありがとうございました。
悟りの修業頑張ってください

681:小林 白蓮
11/09/21 20:23:57.91 dS323dj5
> ID:agkalPhtさん

※あなた様は私をつかまえて、洗脳呼ばわりしているけど、あなた様も洗脳
 されている事に気づいていただかないと。

 釈迦教団も最初は、新興宗教だってことを忘れてはいけないね。

 新興宗教が洗脳するから大嫌いということは、新興宗教の釈迦教団も
 嫌いということになります。

 大川先生は、お釈迦様の本体・本仏でありますから、本仏の大川先生が
 嫌いだとお釈迦様も嫌いということになりますね。

 悟りの探究者としては如何なものでしょうか?

682:神も仏も名無しさん
11/09/21 20:32:41.39 agkalPht
>>釈迦教団も最初は、新興宗教だってことを忘れてはいけないね。

釈迦は宗教が余りで回ってなかった時に仏教を作ったでしょ。
今は新しく宗教を作らなくても既存のものでいい宗教、宗派見つかるはずなので新しく宗教作る必要がない。
新しい宗教を作るのは金設けと有名になりたい、とこんなところが理由だ。

>>新興宗教が洗脳するから大嫌いということは、新興宗教の釈迦教団も 嫌いということになります。

新興宗教は嫌いだけど釈迦教団が仏教の事を云うなら好きだけど

>>大川先生は、お釈迦様の本体・本仏でありますから、本仏の大川先生が 嫌いだとお釈迦様も嫌いということになりますね。

大川先生はお釈迦様の本体でも本仏でもありません。これが洗脳というものですよ~

>>悟りの探究者としては如何なものでしょうか?

如何もなにもあなた、幸福の科学に洗脳されちゃってますよww






683:小林 白蓮
11/09/21 21:46:22.39 dS323dj5
>>682

>釈迦は宗教が余りで回ってなかった時に仏教を作ったでしょ。

※それは、新興宗教釈迦教団で弟子たちを仏の教えで洗脳しています。

>今は新しく宗教を作らなくても既存のものでいい宗教、宗派見つかるはずなので
>新しく宗教作る必要がない。

※大川先生の教えは、既存の宗教は、末法の宗教ですから、悟れる教えが玉石混交で
 は悟ることも悟れません。

 檀家で集まってワイワイ楽しくやる分にはよいのかも知れません。

 悟りを求める場合は限りなく難しいものになります。

>新しい宗教を作るのは金設けと有名になりたい、とこんなところが理由だ。

※あなたは、ゴシップ・マスコミ洗脳されて、思考停止しています。
 八正道の正見・正思・正語ができていないようですね。

>新興宗教は嫌いだけど釈迦教団が仏教の事を云うなら好きだけど

※矛盾していますね。

684:小林 白蓮
11/09/21 21:47:46.51 dS323dj5
>>683 続きます。

>大川先生はお釈迦様の本体でも本仏でもありません。これが洗脳というものですよ~

※あなた様もまちがった偏見による洗脳で、猜疑心で本仏の大川先生を否定する
 ことは、お釈迦様を否定することになり、自らを否定することになります。

 仏陀再誕としてインドやネパールでは、ウエルカム波動で四万人が会場に来て、
 僧侶も沢山お見えになり、インド中がテレビ生中継で御法話され、仏陀再誕と
 して迎え入れてくれています。

 本仏の大川先生をニセモノ呼ばわりしますと、無知無明の大罪となりますので、
 注意をしてください。
 
>如何もなにもあなた、幸福の科学に洗脳されちゃってますよww

※アジャンタ石窟寺院にある過去七仏と未来仏がありますが、未来仏は金の王冠を
 かぶって、金の腕輪をしています。未来仏こそ1億5千万年ごとに地上に再誕する
 本仏こそ大川先生です。

 正法の時代を創る本仏の大川先生の仏法真理は善悪を分つ判断力となる正しい価値
 基準は素晴らしい仏の教えであり、大いに洗脳されてください。

 本仏の大川先生を信じたほうが200%間違いありません。

 本仏の大川先生を信じたほうが、あなた様が永遠の後悔をせずにすみます。

685:通行人さん@無名タレント
11/09/21 22:10:37.23 5rjWz04R
自灯明・法灯明という言葉は修行者なら大変な助けになります。
仏性は、自分以外の外側には見つけられない気がします。

しかし外側は、内側を見つける「きっかけ」になり得ます。
そのきっかけは、人それぞれで、もしかしたら日常にもあります。

でももし答えを見つけようとするならば、
時間と空間がある限り、答え自体は外側にはありません。

686:神も仏も名無しさん
11/09/21 22:32:25.81 agkalPht
>>683 >>684
小林 白蓮さん

人柄は良さそうな人なのに可哀想です。あと日本中で大川 隆法を仏陀だと思ってる人は幸福の科学の信者だけですよ人口の1%もいません

洗脳とはかくも怖ろしいものかとただ唖然とするばかりであります。小林 白蓮さんが教団の命令による犯罪で道を踏み外さないようにただ祈るばかりです。

あと小林 白蓮さんに言える事は日本で幸福の科学が社会での信用を得る事ですね、それが出来なければ幸福の科学は否定され続けるだけでしょう。

でも大川 隆法が仏陀だとか教え込まれるんですか・・・これはひどい



687:神も仏も名無しさん
11/09/22 00:25:18.34 f91p8usM
みんな言いたいこと言い終わったかね?

688:神も仏も名無しさん
11/09/22 00:28:59.93 WV/KAQm/
小林白蓮も473も自分の信じるものに
疑念を持たない点では一緒だなあ。


689:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:02:44.45 rYNI+ET4
まったくだ
自分の考えで、他を見ているのがわからんのかね
全部自分だろうが

690:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:17:54.45 f91p8usM
頭の悪い私でも、それらを信じている人に、全部幻想だよ、などと言ってみたところで反感を買うだけであることは分かりました。
「みんなドラマを楽しんでいる」
「いいじゃないか」
一方、私は、これらに気づいて安心し、OK、もういいや、と思いました。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
そんなところでしょうか。
>>528-530)

691:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:24:10.67 rYNI+ET4
人は、自分の思考を使ってしか、世界を知ることができないからね
どんだけ、他人が間違っているなんて言っても、それは、全部自分の思考なんだから、どうしようもない
それだけの、ことだよ

692:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:25:58.39 WV/KAQm/
>>690
現実や見えている世界が「幻想」だと言っても
言われた人が「幻想」だと思えないから拒絶反応が出てるだけで
決して悪気があっての事じゃないよ。
できれば、幻想を打ち破る方法を教えてあげて
その人の幻想を打ち破れれば納得してくれる人も増えるよ。

693:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:29:16.56 npgDoAXb
判断停止して物事を観察することです。



694:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:35:27.58 WV/KAQm/
>>693
言葉にすると簡単だけど
実際にはどうすれば良いのか分からない事ってあるよね。
「判断停止して物事を観察すること」も、そのひとつ。

695:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:41:16.96 rYNI+ET4
>>694
そうだね
判断しないという判断、をしてしまう事もあるからね

696:神も仏も名無しさん
11/09/22 01:47:13.34 f91p8usM
1は何歳ぐらいからこういうものを考え始めて
何歳くらいのときに悟ったんだろう
wikiによると釈迦は29歳で出家、35歳で悟り80で死んだらしい
意外と長生きしてるなこの爺さん

697:473
11/09/22 02:23:58.16 j4m4vurC
全編自我の弁明にしか聞こえないのは同じことを語る祖師と比べれば明らかですがもう一点

頭の悪い私でも、それらを信じている人に、全部幻想だよ、などと言ってみたところで反感を買うだけであることは分かりました。
「みんなドラマを楽しんでいる」
「いいじゃないか」
一方、私は、これらに気づいて安心し、OK、もういいや、と思いました。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
そんなところでしょうか。
>>528-530)

悟りの一瞥を得て初めて自我を持てる。
それまでは自我などなく思考の群れがあるだけだ。

そして自我を持っている人だけが自我を失える。
失うと全体性があると聞いている。

1さんは自我を得た際に自我に閉じこもることを選択してしまったようです。
自らを失い他者や世界すべてと融合しそして消えてゆくような自我の方向性ではなく、
世界から隔絶しただ一人幸せであるような自我の方向性に。
oshoの言葉を別の角度で表現するとこうなります。

自分がないのではなくそれは自分しかないのではあるまいか。
自分がなく全体であるということと、自分しかなく他者とのかかわりを捨てるということは一見似た認識をもたらす。

別に悪いことではない。誰も迷惑は受けない。
だけど光明ではない。ありふれた自我で知性的な人間であれば飽きる。

698:神も仏も名無しさん
11/09/22 02:48:25.26 rYNI+ET4
>>697
自分がないことと、自分しかないことは、同じことですぞ

699:神も仏も名無しさん
11/09/22 03:49:22.65 npgDoAXb
473は対話能力がゼロだな。

700:神も仏も名無しさん
11/09/22 04:00:29.45 rYNI+ET4
>>699
まあ、この様な場所の対話は、形式のみ
自分自身との、対話ができるなら、気づきが訪れるだろう
全てを自分の思考として、それを理解することだよ

701:神も仏も名無しさん
11/09/22 04:26:09.75 f91p8usM
1「よく見たらあなたが世界を救済する救世主、仏陀そのものでした」
全員「今までごめんなさい 私と世界を救ってください」
みたいな展開を待ってるのだろうか

702:ama
11/09/22 07:24:48.25 YWh3jnK4
>>523
すみません、私は、そういった概念を学んだことがないので分かりません。
また、知りたいとも思いません。

> それと子供の頃からの宇宙や存在に対する疑問はどの程度のものだったのでしょうか
子供のころはSF大好き少年で、空想の世界で遊ぶのが好きでした。
よく、宇宙はどうして存在するのだろう、と考えていました。
果てはあるのだろうか、とかとか。
そもそも存在するって何?みたいな。
そして、絶対なにか答えがあるはずだと強く信じていました。
今思い出すと面白いなあと思うのですが、答えが無いなら無いなりの答えがあるはずだ、
のように考えていました。
あと、目が見えることがとても不思議でした。
見える世界には広大なスペースがあって、その中に人や家や海や山などが入っているのに、
そんな巨大ものが、こんなに小さくて白くて、外から見てもただの白い塊の中に
入ってしまっていることが不思議でしょうがなかったのを覚えています。

703:神も仏も名無しさん
11/09/22 08:04:26.14 7M2HRDdf
>>701
俺も何でこんなところに尼さんが?とは思うが
たぶん2chが負の感情が集まる腐った掲示板だ、ということを知らんのだろう。
そのうち嫌気がさしていなくなるに5ペリカ。

704:神も仏も名無しさん
11/09/22 08:27:16.40 QTkBUo6e
>>697
そもそも自我って自分の力で、どうにか出来るモノなの?

705:小林白蓮
11/09/22 11:00:45.34 ys85s7oy
>>668

※現代において、世界人類の魂を救済をするのは本仏の大川先生であります。

 私たちは、本仏への感謝報恩の心で、救済のお手伝いをしていますが、自我
 の発露ではなく、救済のお手伝いをしている心境は無我で、実践は無私なる
 心です。
 
 大川先生の教えでは、無我なる心の質の高さが、無私の心の質の高さと連動し
 て、救済力としてのよき感化力は大きなものになります。

あなた様の「(オウムのポアは「救済」だったなあ)」と認識している考え
 方は、正しい価値基準としての善悪の判断力がない人によくある考え方です。

 オウム教の教えにも正しさの一端はあるのかもしれないけど、ポア思想は煩悩
 は肉体が死んでしまえば無くなるから救済の一環と勘違いした悪しき思想と悪
 しき行為であります。

※使命感として「世人を照らす光となれ」ということで、無私・無我で、本仏で
 ある大川先生の人類の魂の救済のお手伝いをしています。

※「こうあるべきだ」と言われて、参考になさる人もいますし、荷物を背負って
 いる負担感の人は不愉快に思って欲望の自由に走る方もられます。

 それは、選択の自由ではありますが、自己責任が伴います。

706:神も仏も名無しさん
11/09/22 13:02:00.04 AbzLW1VD
>>703
ama氏って男じゃないの?尼のamaとは違うだろ。
子供のころはSF大好き少年、だったって言ってるし。
名前から女と勘違いして鼻の下を延ばしてる奴が多そうだな。

707:神も仏も名無しさん
11/09/22 13:03:04.23 AbzLW1VD
おっと延ばすじゃなくて伸ばすだったか。

708:473
11/09/22 16:35:42.46 j4m4vurC
自分の経験によってでなく、相手の立場にも立ってみようと、
互いの立場を混ぜ込んでゆこうとすると、自分の見識を捨てようとすると
たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
人前でなくてもこの恐怖がわかるのなら、、。

>>697さん
本人にとっては似たようなことですが全く質の違うことですし
なにより我々他人から見ればその違いは明らかです。

自分がないということは全宇宙であることでしょうし、
自分しかないということは自分の殻に閉じこもり他者の影響をシャットアウトすることです。

瞑想が起こると他者の思考を鎮めることが可能になります。
しかしここでシャットアウトの方向に行くのが、瞑想が起きた人の落ち込む罠です。
これをさんざん語られていた人は堕ちたくても落ちれない。
いや、さんざん語られていても最初は有頂天になって自分の小悟を大悟だと思い込もうとするんだよなあ。
7回ぐらい生まれ変わるのが平均って仏陀は仰ってるのでしたっけ。
そういう意味では10年なんてまだまだ飽きないだろうなあ。

709:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:05:01.62 rYNI+ET4
>>708
さて、他者の思考とはなんでしょう
自分の脳の中に、他者の思考が存在するのでしょうか?
それは、他者と思っている、自分の思考ではないでしょうか?

あなたは、わたしの文章を、読んで、わたしの思考と思うかもしれないが、
それは、あなたの脳で変換されます

そこらへんを追求すれば
自分がいないことと、自分しかいないことがどういうものか、わかるかもしれません

710:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:19:23.80 npgDoAXb
473
「仏陀の言葉」なんて後世の人が編集したのかもしれないし
それを真に受けるのは危険ですよ
一切空というのは仏陀も空ということで
仏陀なるものを盲目的に信じるのも迷いという事になるでしょう
そういう訳で、貴方も目の前のことをまず「観る」事から始めたらどうでしょうか


711:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:36:22.23 AbzLW1VD
他人や世界のすべては自分のつくりだしたもの、と思ってる奴ならば、
わざわざこんなところに書き込みをして他人から返事をもらおうとするわけがない。
自分の力では制御できないもの、こそが他人や現実の世界なんだよ。
それとも何か?すべては幻影と思っている奴は、
他人や世界を自分の力ですべてコントロールできると考えているおめでたい奴なのか?

本当に悟った奴にとって、この世が幻想であろうとそうでなかろうとどうでもいいこと。
希望もなければ絶望もないわけだから、過去も現在も未来も、どうでもいいことなんだよ。
幻想に囚われている奴ってのは、幻想ということにしなければ精神を保てないってこと。
幻想を理由にして苦しみから逃れようとしている偽の覚者。

712:神も仏も名無しさん
11/09/22 17:41:14.41 AbzLW1VD
「空」を「哲学的な無」と勘違いしてる奴は、物理学を勉強しろよ。特に量子論。
真空とは何を意味しているのか、偶然とは何を意味してるのか、
答えを知れば自ずとわかるだろうよ。

713:473
11/09/22 18:00:24.73 j4m4vurC
>>709
他者の思考についての言明ではありません。
思考というものは特に誰のものでもなく出したり入ったりします。
ここで述べたのは全ての経験からくる価値観や情動や世界観やそういうものの事です。
思考単品でしたら当たり前のようにやり取りがあります。
それをどう認識しどういう立場を与えるかは全ての経験からくる価値観や情動や世界観=自我
が関わります。

>>710
先ほどテーラワーダ仏教の悟りの段階についてレスしたのですが、
そのうちの前半が驚くほど自分の経験に合致していたし、良い意味でとても厳しいものでもあり、
ブッダは自分よりは信頼できる方なので、生まれ変わりを知りもしないのに使ってみました。
真に受けていないように冗談として語っています。
知ってたら自分の認識から自分の言葉で書くのですけど。

>>712
仰ることには大変同意できます。
幻想という言葉を他人のために自然なタイミングで使うのはおかしなことではありませんが、
自分のためのタイミングで頻繁に使うのだとしたらあなたのおっしゃる動機が働いているとみるのが自然でしょう。
それ故に解放は自他という区別が存在しない状態でしかありえないと祖師は語るようです。

他人と自分という分断を作り出しました。
自分がある以上、世界の残りの部分は他人でしかありえません。
全体性か自他の関係かではないでしょうか。

全体性というアナロジーか空というアナロジーを使うかは祖師の好みにより、
また弟子も向いた方に落ち着くかと思います。

714:473
11/09/22 18:35:25.92 j4m4vurC
>>709
でもやっちゃってました。
「他者の思考」という言明は瞑想のものではありません。
仰る通り思考は思考です。

瞑想が起きただけでは全ての経験からくる価値観や情動や世界観=自我
からは自由になれませんが、自分のものも他人のものもなく思考からは自由になれます。
故に思考との同化、自分の思考=思想信念というものは無くなります。

瞑想が失われれば寝ぼけて信念に同化してしまいますが、自発的にその影響から逃れられます。で、また瞑想が失われて、、。


715:神も仏も名無しさん
11/09/22 21:42:15.66 z8DgNxBO
何を言いたいのか分からない
分かる人いますか

716:神も仏も名無しさん
11/09/23 00:42:00.98 frCMMTyZ
>>715
言葉の意味は判るけど
何を言いたいのかが良く解らない。
つくづく言葉の限界を感じる。

717:神も仏も名無しさん
11/09/23 01:16:20.81 9/e/gv7C
自分の脳みその中にいる他人は、他人そのものではなくて他人の像だってことでしょ
でも、普通に生きてると、それが他人そのものだと思ってしまう
要するに、他人がどのように見えたとしても、自分の思考でしかない
逆をいうと、自分の思考を他人に投影していると言える

もし、それを理解できたら、
乗り越えられるんじゃないかな

718:神も仏も名無しさん
11/09/23 02:00:33.85 4oKxlQrz
>>715
473の言っていることは俺もよくわからん。
ま、わかる部分だけ読めばいいんでないの。

719:神も仏も名無しさん
11/09/23 02:14:24.31 kt8e8BqJ
瞑想状態が持続しないで通常意識になっちゃうということでしょう


720:神も仏も名無しさん
11/09/23 02:52:28.04 4oKxlQrz
あとさあ、いい加減、他人や現実は幻想だから、
自分がつくりだしたものだからどうのとか言うのやめて欲しいですわ。

たとえば、自分が一生懸命、時間とお金をかけてつくった家が災害で全壊したとする。
その家はもちろん自分のものだ。自分のものだからといって喜べるのか?
あるいは、自分のからだに悪性腫瘍ができたとする。
その腫瘍は自分のもの(あるいは自分が作り出したもの)でしょ?
自分のものだからといって喜べるのか?
あるいはまた、愛する人が死んだとする。
幻想だからといって喜べるのか?悲しみも感じなくなるのか?
そんな非人間的で感情を殺した奴が、悟った、と言ったところで、
何の意味もないし、馬鹿か、としか言いようがない。

自分のものだろうが他人のものだろうが、嫌なものは嫌なだけ。
現実が幻想とわかれば苦しみは消える、なんてことは有り得ない話だね。
苦しみを消すには、その大元になる存在を消すしかない。
だからこそ、悟りを得た者は愛着のある物や趣味、愛する人を捨てるんだよ。

721:神も仏も名無しさん
11/09/23 03:25:20.01 frCMMTyZ
>>720
悟ると全ての執着が消えて何かどうでもよくなるよ。
執着する対象が無くなるって言ったほうが近いかな。

>たとえば、自分が一生懸命、時間とお金をかけてつくった家が災害で全壊したとする。
>その家はもちろん自分のものだ。自分のものだからといって喜べるのか?
こんな時も喜びはしないが、全てを受け入れて起こったことはしょうがない
と自然に思えるようになるよ。

>だからこそ、悟りを得た者は愛着のある物や趣味、愛する人を捨てるんだよ。
捨てるわけじゃないが、どうでもよくなるんだ。

722:ama
11/09/23 10:20:22.71 imA4BWje
>>535
> 自我が死につつあるとき、それを自我が解説しだして結局自我が玉座に座る。
これは起こりがちですね。
そして、解説せずに、そこにい続けると、完全な静寂があるんですよね。
(ちろん「完全な静寂」も解説です。)

> 別に何も起きてはいない。起きていると認識するのが自我であり精神です。
まったくです。
また「何も起きていない」というのがポイントだったりしますよね。

> 鏡のような精神ってご存知ですか?
いえ、存じません。

> 目覚めた人間は現実そっくりの夢を見ることが可能でそれを真実と混同するのです。
>
>
夢は現実とそっくりだったり、非現実的だったりします。
夢とはそんなものじゃないのですか?
現実そっくりだったりしても、目が覚めると夢だったと分かりますから、混同することはありませんが・・・。

723:ama
11/09/23 10:21:58.13 imA4BWje
>>535
>> よって、至福は、とても静かです。
>> そして、至福は死です。
>> それゆえに最強です。
>> これが、最近の私の体験です。
>
> いや、幸せは体験でありはかないものですが、
> 至福は体験ではなくそれそのものであることとそもそも定義としてあったのに、
> 「至福が私の体験」ですか?
> 結局体験者である自我が体験しているだけとまた白状してますよ。
至福、という言葉は少しだけ違和感があって、私的には、静寂、と言った方がしっくりとくるのですが、
まあ、とりあえず至福としておきます。
で、
それそのものを誰かにお伝えするには、解説するしかないですよね。
そこにいるとき、体験者はいないのですが、それを解説するとき、
「至福だった」といわざるを得ず、あるいは、「静かだった」などといわざるを得ないわけです。
ご指摘の通り、解説するのは自我です。
では、そこにい続けるとき、至福や静寂があるのか?
ということですよね。
そこにい続けるとき、「私はその中にいる」とか、「その中にい続けよう」とか、「思考を観よう」とか、「思考が起こった」とかとか、
などのようなモノがあるのか?ということを確かめたいと思うわけです。
(もちろん思考が起こっているようには見えますが。)
おっしゃる通り、至福(静寂)は、体験ではありません。
それそのものです。
ですから、至福(静寂)自体は、私でもありませんし、それそのものですらありません。
それは、私の知っているものでしょうか?
表現できる言葉があるのでしょうか?
473さんの観たもの(体験したもの、気づいたもの、まあなんでもいいのですが)は、
やっぱり、私、だったのでしょうか?
いえ、それを、「私」と呼ぶなら、それは、もちろん私です。
表現の仕方は自由ですから・・・。
ですよね?

724:神も仏も名無しさん
11/09/23 10:42:04.30 kt8e8BqJ
1さん
自分がやってるビジネスが計画通り行かなくて凹んでるんですが
悟ればそれも楽しめる心境になるものでしょうか


725:ama
11/09/23 10:56:32.11 imA4BWje
>>544
分かりません。


726:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:16:01.95 kt8e8BqJ
わからないというと?



727:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:18:17.60 kt8e8BqJ
1さんは悟れば人生が楽しくなるとおっしゃってましたが


728:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:30:54.64 t8Erb5sR
真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ

729:神も仏も名無しさん
11/09/23 11:59:48.46 kt8e8BqJ
商売で成功する方法を教えて欲しいわけではなく
どんな状況であろうと、客観的に物事を捉えられ判断する方法を求めていますが
1さんの悟りは特にそういう事とは関係ないのでしょうか?


730:473
11/09/23 14:26:02.48 D7fvEkuM
≫ご指摘の通り、解説するのは自我です。

私はそういう意味で自我を指摘したのではなく、全くあなたは自我にとらわれて、知性に経験にとらわれて
しゃべっているという指摘をしたのです。
別に誰もがそうなのですが、自分は自我を脱しているというつもりになっていると問題です。
便宜的な人格を使うということと、自我にとらわれているということは当然別の話であり、別に私でなくても、
比較的知性的な書き込みをした人は「対話能力がない」「アスペルガー」と批判するでもなく分析していたでしょう。
自分が自我にとらわれているとわかっていれば、わかっているなりの事を語ればいいのです。
それに気付かずに究極に達したと思って語ることは自己欺瞞です。

そのあたりお話が通じていないので申し訳ないですがご返答になっておりません。
また「ということ」
ということにこだわるということは全く知的な理解にこだわっていることの現れに見えます。
素直に言うのはいいことです。突っ込まれないようにテクニックが発達したらおしまいです。

まだあなたは自我についてよくわかっていないのではないでしょうか。
自我を得ても自我と同化しているうちは自我を把握することはできません。
単体の思考と、感情と記憶と経験の集合体であり価値観と信念と夢と幻想の世界を織りなす自我はという構造は別のことです。
光明を得た人は思考を使うでしょうが、自我はないでしょう。自我は錯覚と迷いの構造です。それを使う必要性などないのではないでしょうか。
自我がないからこそ後述する適切な思考の使い方が初めて可能になるのではないでしょうか。
これについても先ほどまで多くを語りました。

731:473
11/09/23 14:27:09.19 D7fvEkuM
≫表現できる言葉があるのでしょうか?
光明どころか瞑想についても語ることは不可能で、それについて語るのは冗談程度のものでしょう。
言葉で瞑想は表現できませんし、もちろん伝えることもできません。
あれは道に人を誘うための冗談のようなもの。言葉で表せないものを言葉にするのだから。
むしろ言葉は、虚偽を、信念を混乱させ緩やかに解体するようなロジックとして使われるべきではないでしょうか。
そうすることによってのみ実際に他者は彼自身の意識で瞑想に至るのです。

そして光明にしろ瞑想にしろそれを伝えるのは、この場合は自らを証明するのはロジックではなく響きになります。
響きと「すでにある固定観念を破壊するもの、相手に感応している、ロジックより響き、新しい、融合様々な形。」
というその人の総合的な実存のレベルです。自分の場合、響きより後者の人間の総合的な理解方で表現しています。
あなたは瞑想の部分だけ自分から抜き出したいようですが人間は総合的にみるほかありません。

また、ロジックではなく体験を重視して語るなら、私、ではなく彼が、全体がすべて行うという表現を本物のそちらのタイプの人は使います。
光明を得たマスターも、小悟を得た人も、、。
全体性をいなくても認識していなくても、「私」が全体性に比してちっぽけだと感じる祈りの道の小悟のひとは私、ではなく「彼」を使うでしょう。
ただこれは、いわゆる仏教の道ではなく祈りのスーフィーの道ですので安易に鞍替えするものでもないかと思います。

そして>>697がこの話に言いうるもっと具体的な形です。でも一連のレスで非常に多くの角度から語っており、あまり言い残した感はありません。

732:473
11/09/23 14:32:36.36 D7fvEkuM
>>717
私たちは利己的な、嘘をつく他者を邪悪だと思うことがありますが、当の邪悪だと思われている人は、
「みんなやってるんだから」「しかたない」「本当はやりたくないんだ」「無自覚」「これが常識」
という主観であり、善良な一般市民のつもりで生きています。
するとその人への評価とその人自身の自己評価に大きなずれが生じます。(話が通じない)
邪悪な行為をあえてやる人はおらず、それは弱さであり、常識であり、無意識なのです。

しかし、こういったことを理解することは不可能です。こういったことを考えても何も変わらないのです。
他者の主観をいくら考えようとしても、奇跡の探求を何回も読んでも全く理解は進まないのです。
(グルジェフもあえて多くを語らずただワークをさせました。)
理解するためには思索ではなく自己の根本的な変化が必要なのです。

私たちが理解しなければならないことは私たち自身が、
思考、感情、感覚という分裂、あらゆる欲望と記憶の分裂を内に秘めており、
他人との争いがどうこうというより、私たち自身の内側で主導権争いが絶えず行われているということです。
自分の中で戦争が起きている限り、他者とも戦争するほかありません。

私の中で主導権争いに勝った思考や感覚が一時的に私を名乗り、負けた思考は敵役として他者に投影されます。
かくして他者は自分の抑圧した欲望をあてはめられて邪悪と認識され批判されるのです。

また主導権に勝った思考や感覚がそれを自分の意志だと思っている限り、他人にも意志があると勘違いしてしまいます。
話せばわかると思ってしまうのです。
いえ、他者に意志はなくすべて無意識と常識でしかたなく起こっており変化の余地はありません。

これも起こっていることの一端に過ぎずとにかく自分の内部分裂の理解がカギになります。

733:473
11/09/23 14:34:27.00 D7fvEkuM
>>720
そもそも人は死んでしまいます。
変化、変化こそが宇宙の本性であり、停滞や安定はほんの例外にすぎません。
長持ちする、永遠に続くものがあると思い込むのが悲劇の始まりで、人類は
集団でその間違いを美化して共有するものだから悲劇は増す一方です。

人は死ぬ。50年後の死を受け入れるのも明日の死を受け入れるのも大した違いはないと思いませんか?
死を受け入れると感情の働き方が全く違ってきます。
死を受け入れないことが迷いであり、実際にある死を実際に単にあるものとみているのが明晰な意識です。
このあるものをあると受け入れるというだけの事に、それも一瞬でも受け入れるということに相当の修業を要します。

一時的なものでもそれは人生観を変えます。


734:473
11/09/23 14:40:19.52 D7fvEkuM
ロジックではなく体験を重視して語るなら

ではなく

人間の総合的な理解という方向性ではなく
瞑想の体験そのもので何かを伝えたいなら、
いや、ひとの観念を緩やかに解体し鎮め、人々に瞑想に目覚めるように誘導するなら

彼という表現が出るような実存でもって、彼という主体を使うのが適していると思います。
正しい実存で使われた彼という表現は人の自我を、思考を鎮めます。
実は1さんにはそれが向いているのかもしれません。

735:小林白蓮
11/09/23 16:27:21.49 dANHig7u
>>728

>真我の位置はどこらへん?後ろ?のどこ

※それはある意味、心はどこらへん?後ろ?のどこと述べているのと一緒であります。

  大川先生の教えでは、私たちの心の場所は、胸元の中央にあり、心臓の横にあり
  ます。

  私たちは、仏から分かれた仏の子であります。

  仏の子人間に限らず、仏性として仏と同じような性質が心の奥に宿っています。

  仏性こそ真我であります。

 真我の仏性を磨きをかけることこそ、悟りに到る仏道修行の本義であります。

736:神も仏も名無しさん
11/09/24 02:48:11.48 e/6ppmYr
OSHOってバグワン・シュリ・ラジニーシのこと?
473のいう「祖師」ってこの人のことかな

737:神も仏も名無しさん
11/09/24 12:37:32.80 HxMp8yqj
悟りは自身が感じるモノで、開いたり閉じたりするモノではない


738:ama
11/09/24 13:31:46.06 WXXxA0oo
>>546

私が申し上げている悟りは、葛藤なく自由に楽に生きることです。

私も入門をしたことはありません。
高次元へは行ったことがありませんし、
如来の存在を見たこともありません。
私も難しい会話は苦手です。(苦笑)

悟りは今ここにありますので、先に行く必要はありません。
逆に、まったくのゼロに戻ってみるといいかもしれません。

739:ama
11/09/24 13:33:20.88 WXXxA0oo
>>566
> 無条件の至福が起き、あらゆる体験の儚さを認識し、それそのものであるような瞑想が起きる。
> けれどそういうスペースから結局帰ってきてしまうわけです。
> あなたはそれを正直におっしゃってましたね。
> 結局元に戻ってそれを体験として記憶するのです。

おっしゃるとおりです。

> そのスペースにいるときだけがあなたなのではありません。

いえ、そのスペースにいるときは、私はいないと申し上げています。

> 体験を超えたものもあなたですが、体験しているのもそれを説明してしまおうとしたり、
> 意味を共有したいと望むのもまたあなたなのです。その全体において自分を理解せねば自己欺瞞に陥ります。

同感です。
自分を理解するというのは大きなテーマですね。
理解とは価値判断とは違うわけですが、
どのようにすれば、本当の意味での理解が出来ると思われますか?

> それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。

記憶にあるもの全ては私ですね。

740:ama
11/09/24 13:35:00.61 WXXxA0oo
>>566
> 誰だって一番いいところだけ抜き取ればいくらでも良く見せられます。
> あなたは自分の宝物を分かち合いたいのでしょう。
> その気持ちはわかりますが。あなたの本当の持ち物はあなた全体なのです。
> 宝物だけあげる訳にはいかないのです。実存の譲渡においてはあなたはあなた全部を上げるしかありません。

私は大した宝物を持っていません。
悟りも悟りの体験も宝物ではありません。
言うまでもないことだと思いますが、
そんなものは捨ててしまった方が、よっぽど役にたったりしますよね。
つまり、悟ったことなどないものとして、常に新しく確かめてみないと、そこにはいられないわけです。
ただ、みなさんにとって、悟りの方向に進むもしくは最後の局面を飛び越えるもしくはすでに飛び越えていることに気づくもしくは戻っていることに気づくきっかけになるようなことがお話できればとは思います。(成功しているかどうかは分かりませんが・・・(苦笑))
あるいは、人によっては悟りなどというものは、忘れてしまった方が良い場合もあります。
釈迦であれOSHOであれ誰であれ、悟った(といわれている)人が語ったことは宝物のように扱われます。
これは諸刃の剣で、役に立つ面もあるのですが、それによって悟りから遠ざかったりもします。
その意味で、私の話などは、ゴミ箱にでも捨てた方が、その行為をもってして悟れたりするかもしれません。

> ≫私が死んでいるときに思考が消えていきます
>
> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。

おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
あるいは、その他諸々の思考です。
あるいは、その思考に意味をつけたり判断したりしている者です。
あるいは、「この思考はどこから生まれてくるのだろう」とか「見えない思考があるはずだからもっと見てやろう」のように、ただ気づいている状態から出てしまっている(戻ってしまっている)思考です。
もっと言えばそれを「思考」だとか「記憶」だとか「あった」とか「見えた」とか「ん?」とか「あっ!」などのように考えている思考です。

741:ama
11/09/24 13:42:25.37 WXXxA0oo
>>566
> 一片の思考との同化が無くなると、目に見える言葉で把握できる思考は静まります。鎮めることができます。

おっしゃっている同化とは、それに引っ張られ、それを自分と思い込み、自分であるかのようにその思考を採用することですね。

> しかしその状態において本当の意味での私、目に見えない思考の集合体は相変わらず機能しているのです。

目に見えない思考の集合体とは、記憶(思い出せないことも含めて)と言い換えてもよろしいでしょうか?

> そしてこの無意識の言葉にならない思考全てが静まった時、私は消えるのだと思います。

おっしゃるとおり、無意識の言葉にならない思考(記憶)が全て静まったとき私は消えます。
ところが、そのときに私が存在するかどうかを確認すると私は存在します。
思考が動くわけです。(人は見たいものを見る。)
ですから、その中にいるそのときは、私が存在するかどうかを確認することができません。
そして、それが、私が存在しないということなのです。

あと、確認ですが、無意識の言葉にならない思考全てが静まるといっても、記憶がなくなってしまうわけではないですから、
無意識の言葉にならない思考全ては、出てこないだけであいかわらず存在はしていますよね。

742:ama
11/09/24 13:44:28.65 WXXxA0oo
>>566
> 私が消えたら思考が消えるというのは順序が逆でしょう。
まあ、私も思考も同じものですから、順序を問題にしてもしょうがないのかもしれません。
ここで申し上げたかったのは、私が力を与えなければ思考は消えていくという意味です。
解説したり、判断したりすると、その思考は思考として強まりますよね。
でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。
ないのです。
なにもない。
で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
申し上げるまでもなく、大切なことは、それをどのように呼ぶかではなく、
本当はどうなのかを確かめることですよね。
とはいえ、確かめると確かめている人はいなくなってしまいますし、
いない状態で確かめようとすると確かめる人が出現するのですが・・・。
そして、このことをもってして確かめることが出来たりするわけです。

> 私が消えたら思考が消えるという言明は、
> 思考の同化が消えて目覚めが起きて、無意識の集合体である統一された自己が生まれるプロセスを示しています。

「思考の同化が消えて目覚めが起きて」というのは、
それがどのような思考(私のように見えるもの)であってもそれを判断せずに観ること、
つまり、それと自分を同一視せず、切り離し、過ぎ去らせることですね。
ただ、無意識の集合体である統一された自己の出現というプロセスは、誰にでも起こることではなさそうです。
単に、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、誰にでも起こると思います。

743:ama
11/09/24 13:48:14.63 WXXxA0oo
>>566
> 他者の影響に過ぎない偽りの自己が消え、あなたの本質が核である統一された自己の誕生です。
> そして思考が静まればそれすら消えるのでしょう。

他者の影響に過ぎない偽りの自己というのは、生まれてから後天的に刷り込まれた思考、
つまり、親や教師やマスコミなどから植えつけられた思考のことですね。
私の本質が核である統一された自己というのは、上記で言うところのスペースでしょうか?
もし、違うとおっしゃるなら、そのようなものは出現させなくても悟れます。
少なくとも私には必要ありませんでした。
あるいは、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、私にも起こりました。

744:小林白蓮
11/09/24 14:12:22.65 UgJk1IXe
※悟っているかどうかは、降魔成道をして宇宙即我の悟りの体験をしていることです。
 降魔成道無くして、宇宙即我の悟りの体験をすることはありません。

 大川先生の教えのように、この世からあの世に移行するとき、肉体は死んでも霊
 として新たな生の始まりであり、この世とあの世を越えた神仏の働きや高級霊の
 背後を直視して、高級霊のインスピレーションを受けれるかであります。

 そして、反省を突き詰めた姿として、心の内に満月のような仏性を直視できるか
 であります。 

745:神も仏も名無しさん
11/09/24 14:15:43.52 /SxK3NOL
この1の絶対的安心に基づいてる感触
なんでそうなのかというと、何もない からだ
何もない んだから失う心配もない(失うには失うものが必要)
脅される不安もない(脅される対象がないのでされようがない)

それに比べて473よ
何をそんなに怖がっているのさ>>708
>自分の経験によってでなく、相手の立場にも立ってみようと、
>互いの立場を混ぜ込んでゆこうとすると、自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
>人前でなくてもこの恐怖がわかるのなら、、。

746:神も仏も名無しさん
11/09/24 14:44:58.59 Tg4I4rWD
仏陀は、誰某は、、ああいったこういった、、、
そうやって積み上げていった自分の見識を捨てようとすると
>たまらなく怖い。訳が分からなくなる。
だからもっとしっかりとした見識を、経験を、もっともっと高く積み上げていく
それを捨てようとすると起こる恐怖と一緒に

747:473
11/09/24 14:54:34.63 PduxhH8e
≫で、473さんは、そのスペースをやっぱり私(私そのもの?もしくは体験しない私?)と呼ぶのでしょうか?
そこから始まるのでって、それを呼ぶ理由はありません。
肉体として社会生活をする私を私と呼ぶだけで足ります。
一つの冗談として存在するわけでもなく存在しないわけでもない無上の悟りなどと、
維摩経のヴィルマルキールティは語っておりました。

> ここであなたの言う私、は私ではなく一片の思考にすぎません。

≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。

いえ、話が通ってません。
複数の思考と記憶と夢の構造である無意識の集大成である自我=私
表層で一時的に主人になってる思考=私
後者から目覚めて初めて前者に取り掛かる準備ができるということです。

ちょっと過去レスを読み直してみてください。
どうもやはりご自身のペースでしゃべりたいことをしゃべっているだけで私の述べていることを把握できていません。

≫ただ、無意識の集合体である統一された自己の出現というプロセスは、誰にでも起こることではなさそうです。
単に、どのような自分であっても全てを認める、というプロセスのことなら、誰にでも起こると思います。
表層的な自己認識と同化していると、無意識の自分を知らないし受け入れられません。
自分の全てを受け入れるということは無意識を受け入れられる、無意識を知っている、表層意識が主人ではないということになります。
(瞑想が失われると表層意識が主人になってしまうがまあ自由に取り戻せる)
これは方向を変えただけで同じことを意味していると思います。

≫> それもあなたの一部ですが、24時間だか1週間だかそれを合計してのあなたです。
悟りは現れたり失われたりだとか、映画なども見るとおっしゃられていたはずですが。
無論私もそうなのですけど。

748:473
11/09/24 15:05:46.98 PduxhH8e
ああ、真ん中あたりまちがったかも。
話が通ってるのか。

間違いを指摘したのに、
「はいそういう意味です」ですか。
なんと調子のいい。しかも言葉の間違いではなく知っている人なら間違えないであろう人間の精神の事実関係の間違いなのに。
まったくそんな意味であなたは語ってない。逆の意味や明らかに異なる意味で語っていた。
もう何言っても、自分の自我に都合のいいように解釈して持論がより隙がないよう磨かれてゆくだけか。

まあそれもよい。

持論を信じ込む人間に恐怖はない。
持論があれば、無明があれば恐怖がある。
無明が消えるまで恐怖は友だ。

749:473
11/09/24 15:11:15.43 PduxhH8e
私が提示しました

私の本質が核である統一された自己というのは

(でも、ただひたすらにそのスペースにい続けるとき、思考自体ありません。)

というようなスペースによって(意識によって)ばらばらだった無意識がつながって一個の自我になるという意味合いです。
一個になったときその人のタイプによって統一の現れ方はずいぶん異なります。
そもそも多くの知識があるかどうかで統一された際の矛盾の激しさは異なりますから。
そういう人は物事を信じ込むという時間の無駄をしないのが美点ではありますが。

750:473
11/09/24 15:20:26.02 PduxhH8e
何かがおかしい。

≫おっしゃるとおり私が申し上げている「私」とは、一片の思考です。
うん?自我をつかってしゃべるほかないということにおけるレスですかこれは。
それとも
私がないとき悟りがある悟りがあるとき私はないという話においての私ですか。

前者だったらさんざん一片の思考としてではなく、自己閉鎖的な自我としてあらゆる人があらゆる角度で指摘してて、
あなたは自分の言明がそういう印象を与えることに気づいてすらいないようですが。
例え悟っていてもまわり無視のテープレコーダーに意味があるかな。
それならせいぜい質の良いテープが(本が)いくらでもあります。


751:神も仏も名無しさん
11/09/24 15:43:24.11 1ausCk87
まあ要は今を生きなさいということだ。
別に1は偉くもないし
普通の人間だよ
悟りを普通ならぬものに持ち上げるのはオカルト


752:神も仏も名無しさん
11/09/24 20:02:29.50 Rre5YxRm
何かがおかしい473

753:神も仏も名無しさん
11/09/24 21:25:22.19 Rre5YxRm
473の思考が、理解不能な悟りを怖がってしまい
体系づけてどうにか自我の思考の範疇で飼い慣らそうとしてる

754:神も仏も名無しさん
11/09/24 21:44:58.59 1ausCk87
1の悟りは要するに今この現実を認識するというもので、オカルトでも超能力でもない
俺らは物事を過去の記憶を投影して見ているものだからな
つまり過去に生きている。
目の前のものをよく見るというのは現在を見るという事で
現在に生きるということでもある


755:神も仏も名無しさん
11/09/24 21:58:08.84 iGvLld0O
全く読まずにレス
>>1
全方位からの視点でも手に入れた?
余計な情報が入りすぎて気持ち悪くならない?

756:神も仏も名無しさん
11/09/24 22:15:17.83 Rre5YxRm
多分、「悟りっていわれるものがどうということもないものだった」
とすると非常にまずいことになる理由 が、473にはあるんだろうと思う
そういうわけで473は、1より、その理由と向き合ったほうが良いのではないかな
その理由とひとまず向き合わずにすむからと、延々と1を批判し続けても仕方ないよ

まあここまであれこれ説明できるんだから本人も自分がどうしてこんなことをしてるのか多少自覚はあるんだろうけどね

757:神も仏も名無しさん
11/09/25 00:40:19.39 W7PqIhIF
正直1も473も、そろそろ違った視点から悟りを語ってくれないかな。
同じ所を繰り返されるのは飽きた。

758:神も仏も名無しさん
11/09/25 01:36:43.38 6LfAOIyP
ただ1に関しても、一度自我が解体した経験があるというだけで
とりわけ優れた才能があったり知性が高かったりという人ではないようである
釈迦が凄いのは単に悟っただけでなくて
それを説明する能力があり、高いカリスマや知識、知能、教養などが備わっていたという所にあるんじゃないだろうか


759:神も仏も名無しさん
11/09/25 02:15:42.41 r05g0FrO
説明する能力、高いカリスマや知識、知能、教養 か、、、
それらを乗せる土台がどういうものかで、カルト教祖、独裁者、にもなる
分かりやすく上に乗せられたものより、その下、何に基づいてるのか かな

そして「それがすごいと思うことができる基礎」がこちら側に無いと、そう思うことも不可能だったわけだから
なぜ自分がその部分をすごいと感嘆するように既にセッティングされているのか を考えてみたりするなあ

760:神も仏も名無しさん
11/09/25 02:53:10.96 6LfAOIyP
じゃあ凄いじゃなくていいよ
違いがあるということね


761:神も仏も名無しさん
11/09/25 03:21:39.45 Q0glC/nE
違いが分かる男の、ゴールドブレンド

762:神も仏も名無しさん
11/09/25 09:43:21.66 TeK1SOAZ
悟るとは、自分は無価値でただの肉の塊に過ぎないって認めることでしょ

763:473
11/09/25 12:03:59.79 3Cx5Jt7F
悟りなんか道の第一歩目でしかない。
だけど究極について説明する力だけ生えるから危険だ。

今までの大まかな流れは1さんに対しては、
それを盲信して他者を批判するような人がシンパだった。
そして知性的に物事を見て特に誰も盲信もしないし批判もしないような人は
対話能力のなさを指摘していた。
みんな彼の悟り云々ではなく自我、それも対話能力が他者のレスの内容を理解しない未成熟な自我を指摘していただけ。
悟り云々の問題ではなかった。
(まあその未成熟な自我と悟りという光明への第一歩は矛盾しないと述べていたわけだし、テーラワーダのリンクは素晴らしかった。貼った人感謝)

ただそれだけのこと。
悟った人はただ当たり前の人であります。悟りなんかに全く構わずただ普通にしゃべるだけでその
当り前さが出てきて、わかる人にはわかります。
ただ当たり前の人であるということはどんなとてつもないこともできるかと思います。

私も自分の悟りではなく自分の自我を気にはしています。
正面から相手取るとむしろ強化されてしまうのでのんびりしていればいいのですが、
目覚めている≫自我を気にする≫≫ボーっとしてとらわれる という順ですね。

また、みんなと仲良くする人間関係、嘘をつかないつかせないルールの人間関係、
宗教において真理を婉曲に描写し、虚偽を解体してゆく人間関係
これらのルールが矛盾するので内部で混乱と恐怖が起こります。

そして私の通常の生活では、この3つのうちの一つが主導権を取って行動するので、
いつも「行動が極端に」なってしまいます。これが人間の姿かとおもいます。
1さんも最初の頃の自分自身の現状の暴露と瞑想についての言明が全く別人みたいでしょ。
でもこれは私の場合とまた違いますね。人によっていまカギとなってる内部対立は異なりますから。

764:473
11/09/25 12:24:30.91 3Cx5Jt7F
そしてこの深層の混乱が収まれば、うまくやっていけるというより、自分の中がすっきりするというより
他人という対象そのもの自分という主観そのものが無くなってるでしょう。
(それに触れたことぐらいはあります。)
ほぼそれはそのまま光明かもしれない。
そこまで至っていないしそもそも語ることもできない悟りや光明を描写するより、
それへの妨げについて論じるほうが実効性があるように思う。
実際各時代の祖師もその時代の人の社会固定観念、光明への固定観念を解体すべくその時代の常識の逆をついてしゃべったのであり、
実は今私がやっていることと方向性は似ていたのです。
より私の方が複雑なのは、現代人が複雑で情報過多になっているからです。

だからもっと1さんに今の自分における具体的な質問をしたらどうかなと。
そうしたら私がないからということ以外で答えるほかないでしょう。
それが皆さんにとっても有益でしょうし。
1さんの実体としての本当のいいところ(と悪いところも)が出ると思います。

765:神も仏も名無しさん
11/09/25 13:15:14.85 6LfAOIyP
悟ると心理的に平安になり、平安だからIQも上がり、色んな事に冷静に対処出来るということはあると思うが
それ以上でも以下でもないな。
要は悟って何をするかだよね


766:神も仏も名無しさん
11/09/25 14:25:02.35 prYOeQ5P
悟って何をするか?
ただ生きるだけだよ
何か大層な物語でも描いてるのか?人を救うとかなんたらかんたら

767:神も仏も名無しさん
11/09/25 14:57:00.55 yYbnNLF1
1をあれこれつついても普通の人と何も変わらんぜ
>それが皆さんにとっても有益
「473にとって」では?

>1さんの実体としての本当のいいところ(と悪いところも)が出ると思います。
あなたには、「事象a(1さん)」に対し、ある何かが手持ちの尺度を用いて何らかのジャッジを下すという構造
判断をx、結果をb(良い、悪い)の ax=b という構造がある
ありのままに見れば、なんのことはない a=a(1さん=1さん)だ
だがそこにおいての介在(判断x)とは何か 思考、自我では?(>>409-411)

そもそもそれが良いとか悪いとかいう話ではない
単に、自我の働きとはそういうものだということだ
ただそれを自覚してない(できない?)とややこしいものになる

自覚がない理由は前に書いた あなたには自ら吐露した前提がある
「求道者としてなら強烈な自我を保持しつつ他者と関わるのはOK」(>>666
なぜこれを持ってるか については人に聞くより自分に聞いたほうがいいかと

768:光 ◆DlyW/s8ibQ
11/09/25 16:04:49.66 8C0FlPa/
困ってます!
助けてください!


セックスしたくてたまらないですがどうしたらいいですか!?


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