11/09/19 14:58:11.34 9q4VyyD+
> あなたは家の近くまで来たがもう達成したと思い込む。
> 最後の瞬間にあなたは生と同化してしまった。
> だれが死などと同化したがるだろう。
そのころたしか、自分がいないという感覚に色んな意味付けとか判断といったものをしていたと思います。
それがまた私を混乱させていたのでしょう。
その感覚によって幸せになれると思い、それを追い求めました。
ところが追いかければ追いかけるほどそれは手に入りませんでした。
そのころの私にとってそれは、面白い感覚、程度のものでした。
数年後、道を歩いていて、その感覚の中にいながらも、意味付けや判断を行わず、ただ未知の中にい続けたとき、
それまで疑問に思っていたことが、突然、分かってしまいました。
知識としてではなく、体験的に、です。
それは、まったく目の前にありました。
「なんでこんなに当たり前のことに気づかなかったんだろう?」
とそんな感じでした。
「なんだなんだ?そんなことかよ!?」
と思わず声に出して叫んでしまったのを今でも覚えています。
それまで悟りや自分や世界などについて仕入れていた情報は、間違ってはいないけど、正確でもなく、
「ああ、確かにそのように表現するしかないなあ」
というのが素朴な感想でした。
そのときの私の気づきは、どのようにがんばっても正確な言葉で表現することはできないものでした。
同時に言葉自体が初めから壊れていることにも気づきました。
「色即是空であり同時に空即是色であるとは、そういうことだったのか」
「私が世界であるとは、そういうことだったのか」
「宇宙とひとつになるとは、そういうことだったのか」
「前世や死後や神や○○や××やetc・・・、何もかもが私の(私達の)創造物であり、ドラマだったんだ」
頭の悪い私でも、それらを信じている人に、全部幻想だよ、などと言ってみたところで反感を買うだけであることは分かりました。
「みんなドラマを楽しんでいる」
「いいじゃないか」
そんな感じ。