11/09/09 12:29:53.00 i1mP6Kvc
いや、満足も不満もなにもないか
下手なたとえ話なんかするもんじゃないわな
224:神も仏も名無しさん
11/09/09 12:50:41.17 JGqYGlMa
>>222
何を言っているのか全然分からない。
ここまでの書き込みで1を悟った人だと断定するのは難しい。
みんな、どこかで聞いたような話だからね。
225:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:14:27.41 i1mP6Kvc
>>224
1が悟ったかどうか
悟ってるなら話を聞く、悟ってないなら聞かない
だからその前に、本当に悟ってるかどうか確認してからにする というのはどうなんだろか
そういうのは、まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、
226:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:20:34.96 ZRrPl5ns
>>223
おっしゃりたいことはよく分かりますが、根本的な部分を理解出来ていない人には、例えになっていることすら分からない文章ですね。
最初から読んでいて、腑に落ちない点。
・ama氏がここまでの境地に達しておきながら、何故「死に対する恐怖=生に対する執着」があるのか。
・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
この部分だけ私と真逆だったので、よければ説いていただきたい。
227:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:21:08.69 i1mP6Kvc
自分が持ってる答え が正しいから 相手が出すもの がそれにあってるかどうか?
仮に相手が 何も持ってない ならば、その方法でどうやって 真 を確認できる?
方法自体に欠陥がある場合は、方法Aが正しいかどうか確認する方法B が必要だ
しかし 方法Bが問題ない はどうやって確証を得られる?
ならばそもそも、とある 方法 を取って得られるものかどうか ということも疑問になるのでは?
228:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:35:31.71 RwKc8gW6
1さんは言語表現が得意ではなさそうなので私が推測して答えますと
「死」は幻想だと悟りを開いた1さんは当然知っている訳です。
なので子供がジェットコースターで楽しむように
悟りを開いた1さんは幻想にすぎない死の恐怖を楽しんでおられるのではないでしょうか
229:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:49:55.44 PdNpBSML
悟ったヤツなどいない
なに勘違いしてんだか
悟る悟らぬは言語上の仮の表現
悟ったら、それは悟っていない証拠である
悟りの条件は「本人をまじかに見て」納得する以外方法はない
悟った人に出会えば、即、だれでも阿羅漢果をえたり
不可思議な神通力を見たり
無上のこの上ない悟りを求める不退転菩薩の境地が「パッ」とあらわれるはず
修行させるようなグルや宗教指導者は二流、三流もいいとこで
超A級スナイパーゴルゴ13のような
超一流のサッドグルは、出逢っただけで「悟り」を伝授できる
スレ主もそうゆう人なのでしょう
230:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:55:17.01 ZRrPl5ns
「悟り」という言葉にとらわれているから難しくなるんじゃないでしょうか。
そのせいで、悟るには何か決まり事があるかのように錯覚してしまうと思います。
人間の数だけ悟りがあり、それは他と比較するものではないのでは。
自分自身のこと、どれだけ知っていますか。
「自分のことは自分が一番よく分かる」なんてよく言いますが、本当に理解出来ている人がどれぐらいいるでしょう。
自分のことすら理解出来ずに、他の何を理解出来ましょうか。
悟りを外に求めているようでは、いつまで経っても手に入りません。
まずは己を知る。
自分の内側に広がる広大な宇宙を探検してみてください。
そこに貴方が求める悟りがあると思います。
231:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:56:14.44 RwKc8gW6
1さんの悟りの内容がどこかで聞いたような話しだからこそ信用できるとも言えます。
それは悟りを開いた先人たちの言葉に叶う悟りであるということだからです。
そしてその中の第一人者である釈迦も、悟りがそんなに難しい事だとは言っていないように思います。
ミカンを意識を集中して食えとか歩く時歩いている事を意識しろとか
要は余計な観念を挟まず今、この瞬間の現実を意識して生きろと言っているように思います。
そしてそれがダイナミックで空なる宇宙の実相を悟る唯一の方法という事なのでしょう
我々は知識としては華厳経を読んだりして知ってる訳だが
そろそろ現実の宇宙を悟りの目で見るという実習期間に入る訳だ
そして1さんはある種、悟り学校の卒業生であり教官みたいな存在だろう。
と勝手に私は位置付けさせて頂いてます(笑)
232:神も仏も名無しさん
11/09/09 15:07:21.90 nGtK39T8
>>226
なんで 既に自分が手持ちを持ってるつーこと に対して なぞめき をもたんの?
徹底的に 相手 と 自分の手持ち をバトルさせるより
徹底的に なぜかもってる「自分の手持ち」の襟首掴んで詰問しつくす をした方がいいんでないの?
233:神も仏も名無しさん
11/09/09 15:15:04.03 ZRrPl5ns
>>232
単純に、彼がその心境に至った経緯を知りたかったのですが、そうですね、愚問でした。
234:神も仏も名無しさん
11/09/09 15:26:22.41 RwKc8gW6
認知科学者の苫米地さんは潜在的な情報量が最高度の認識を「空」だと言っているのだが
要は1さんが悟った時の意識状態だと思うんだな
「スコトーマ」が完全に無くなっている状態ね
という訳でかつて悟った1さんが今も悟りの中に居るのかというと少し疑問がある
それは王さんが今もプロで五十五本ホームランを打っているかという問題でもある
1さんの悟りはスレタイにもあるように「過去形」である
勿論、過去三冠王を取った事がある人は凄いしその経験の価値には変わりないが
最終的には人類は常に悟りの境地にいるように進化するのではないか
また、1さんに聞きたいのですが、いったん悟りの境地に入った1さんは
今もその気になれば悟りに入れるのでしょうか
それとも野球選手みたいに気力体力精神力が充実した一時期だけの特殊な経験になるのでしょうか
出来るにしてもよっぽど準備しないと無理とか
或は今も精進を重ね十年前よりもさらに深い瞑想が出来るようになったのでしょうか
235:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:01:05.52 nGtK39T8
例えば山とか行って大自然あるとする
そんでそれに対して「どうやったらこれを大自然にできるか」
ってブルドーザーに乗ってブオブオふかしながら考え込んじゃってるわけ
おい、おりろよ、と
もうおまえがどうこう考える前に(というかそういうあれこれしなければ)
目の前にパーフェクトのそれがあるで?と
236:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:15:13.04 RwKc8gW6
その転倒して考え込まない為の方法論が瞑想なんだと思うよ。
リハビリトレーニングだな。
237:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:31:15.85 RwKc8gW6
そしてその場合は降りろよと言う人が悟ってることが条件で
ブルドーザーから降りても意識が転倒していることは変わらないから
転倒したことをやりはじめる
その辺の事情はショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』という古い哲学書に分析されている。一読して見るとよいと思う。
つまり我々の生存意志が世界を転倒して解釈しているということなんだよ
だから生のままの無邪気な人間性に戻れば悟れるというのは違う
空海なども言うようにトンジンチの塊である無邪気な子供の世界が一番転倒しているのである
238:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:44:50.30 RwKc8gW6
俺は悟ってないけど悟ってない世界の分析については1さんより詳しいということは有り得ると思う。
239:神も仏も名無しさん
11/09/09 17:18:05.95 Zlx0D4uV
ブルドーザーから降りる、というのは 局面においての思考というツールとのお別れ をさす
局面において 思考、および思考により構築された物理的精神的構造物
これらに依っていない という状態での 理解とか認識 をさした
この 主体(これは思考による精神的構造物)のない認識 において得た理解 を経た以降、
当事者が「生存意志が世界を転倒して解釈」することは、理解 の中に十分に含まれておりそれは重大な問題とはならない
安心して 年齢相応、社会相応、環境相応の 適切な?トンジンチに身を浸して喜怒哀楽しながら
究極的にはノープロブレム で生きる
240:神も仏も名無しさん
11/09/09 20:40:11.10 b5VNjqbg
>>225
>1が悟ったかどうか
>悟ってるなら話を聞く、悟ってないなら聞かない
>だからその前に、本当に悟ってるかどうか確認してからにする というのはどうなんだろか
誰もそんな事書いてないだろ。
これだけの書き込みで悟っているかどうか判断するのは難しいって言ってるだけで。
自称悟り人はいっぱい見てきたが
書き込みが増えれば増えるほどボロが出てきたりするからね。
自分で悟ってるっていう人は確率的にとても胡散臭い。
241:神も仏も名無しさん
11/09/09 20:45:46.70 b5VNjqbg
ここにいるのは俺以外
もしかして、みんな自作自演なのか?
242:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:02:24.43 RwKc8gW6
悟ったか悟ってないかは
こっちも知識があるからある程度わかるのよ
いわば悟り業界の”目利き”みたいなもんだよ
243:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:13:46.91 WXk4zxO7
「悟っているかどうか判断する」という視点は、おかしい
徹底的に問う において 「ここは問わない」という聖域(自分の考える「悟り像」とかの自分なりの正解肢)
というものを握ってスタート となってるから
今までにえた、知識も経験も礼儀やら態度やら常識やら、ぜーんぶ不要
ぜーんぶ徹底的に洗う っつー作業すっときに、この一個だけは洗わなくても良い は一切なし! なのよ
244:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:27:47.09 WXk4zxO7
答え を持ってる奴ができるのは 探求 じゃなくて 答え合わせ なんですわ
245:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:33:37.12 RwKc8gW6
いざ悟ろうと言う場合はそうだろうが
ある人が釈迦伝来のいわゆる悟りを得ているかどうかを第三者が判断するには
判定者に釈迦伝来の悟りの知識が無ければ判断出来る訳がない。
万が一相手の悟りが釈迦を越えた悟りである場合も判定者が最低でも釈迦の悟りを知らなくては判定が出来ない
246:神も仏も名無しさん
11/09/09 22:11:19.65 WXk4zxO7
じゃ一番初めの釈迦はなんで 「釈迦の悟り」を知らない のに あなたにおいて 釈迦は悟った となれてんの
釈迦は 「釈迦伝来の悟り」を悟ったわけではないんじゃないの
釈迦がいつぞやにおいて悟ったことは何だったのか
その何か が
「釈迦の悟り以降にできて積み上げられていったもののこと」とかなら それで良いと思うけど
「その前からずっとそうで、そして今もある何かのこと」 だったときは 局面においては釈迦すら無関係 なんじゃないの?
247:神も仏も名無しさん
11/09/10 01:02:58.30 dsWuVihT
>>243
>「悟っているかどうか判断する」という視点は、おかしい
>徹底的に問う において 「ここは問わない」という聖域(自分の考える「悟り像」とかの自分なりの正解肢)
>というものを握ってスタート となってるから
判りにくい文章だな。
「悟っているかどうか判断する」ことと
「聖域というものを握ってスタート」ことと、どう繋がるんだ?
そもそも何で君は1が悟ってるって思うんだい?
もしかして君の考えと1の考えが同じだったからかい?
248:ama
11/09/10 08:49:12.93 SYDyNs24
>>185
私も五感、特に皮膚感覚が
自我(中心)を存在せしめている根源だと思っていました。
ところがこの皮膚感覚をよく見てみると分かるのですが、
皮膚感覚はただの皮膚感覚です。
それは、ただ、それ、だけ、のことなのですね。
問題は、その皮膚感覚を自我として関連付けている思考にあります。
皮膚感覚を境に内と外に分け、
内を自分、外を世界、と勝手に決め付けているのは誰なのか?
ということです。
249:ama
11/09/10 08:50:54.97 SYDyNs24
>>185
そしてこのことに気づくためには、言葉やイメージ無しに、
それを、ただ、見てみる必要があります。
「誰なのか?」と書きましたが、「誰なのか?」と考えたのでは分かりません。
ただ、「誰なのか?」のような姿勢は必要です。
一切の前提を一旦脇に置いておいて確かめてみるということです。
「私には何も分からない」という姿勢で始めるということです。
250:神も仏も名無しさん
11/09/10 14:07:18.31 K4jgQ1Uh
>>248-249
どうも
おれも185どう答えようかなあって思いながら忘れてた
>>247
>そもそも何で君は1が悟ってるって思うんだい?
いろいろあるだろうけど 差し当たり、少なくとも問うにあたり聖域持ってないから かなあ
これをみて安易に じゃあ聖域持たない=悟ってる なのかよ とはならない
なぜならそういう人は「聖域持たない」を持ってるから
何も持たない は 何も持たない も 持たない
文字も言葉も思考も、目的も努力も意思も知識も ありとあらゆる何もかも を 持たない
251:神も仏も名無しさん
11/09/10 14:19:06.41 K4jgQ1Uh
>「悟っているかどうか判断する」ことと「聖域というものを握ってスタート」ことと、どう繋がるんだ?
繋がるかどうかしらんけどどっちも見えない前提を握ってる
変な前提2つ
1 そもそもこの問いがどういうものなのか分からない時点において その誰かが「判断できる」というものである としている点
2 それをその当事者が、既に発動地点において握り締めていながらも意識ができていない点
(自分自身の判断は正しい という根拠はないのに、暗にそこはセーフゾーンになってる)
252:神も仏も名無しさん
11/09/10 14:28:02.10 K4jgQ1Uh
繋がるといえば 悟る と同義に 今を認識する というのがあると思う
悟るというのは今の認識 のことかなあ と
今 をどうやって認識するか、できるか、ということ
生きる において 常に、そして今後も、今 しかない という中において
だから 今 を認識するということは =生きる とは何か、今を生きるとは ということにも繋がると思う
253:神も仏も名無しさん
11/09/10 15:41:35.00 dsWuVihT
>>252
認識って何だい?
五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけなのに
その刺激から何を認識すればイイの?
254:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:33:35.98 K4jgQ1Uh
>>253
>その刺激から何を認識すればイイの?
「五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけ」なのに
それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
それはなんだろう、それは本当にあるのか、あるとすればそればなんでそういえるのか
それはなんであるとされているのだろう、いつ、どのようにして出来上がっていったのだろう
それらはどのような特性を持つのか、それらの作用とはどういうものか
どのような影響があるのか、と
そして、こんなあれこれを「考えている」のは 「何」なのか
「考えているもの」が「考える」、「対象としているもの」は、
「考えているもの」とは別のものとしているが、それは「別のもの」といえるのか と
255:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:48:31.35 K4jgQ1Uh
つまり手をつけてしまったこの 問い に対しての対処方法として
向き合った瞬間、無言で即、既にはじめから「問わず」に用いていたツール 「思考」
これに対して、問いに対しての接触→レスポンス(即思考) を根本的に見直すことを求められる
それはそもそも、この問いへの向き合い方として正しかったのか、と
256:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:53:25.06 K4jgQ1Uh
そもそも「思考」(および思考により構築された物理的精神的構造物)
によって(をもって)太刀打ちできる類の問いだったのか と
257:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:58:15.27 dsWuVihT
>>254
>それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
そこまで考えてて、どうして「ある」って信じられるんだろう。
258:神も仏も名無しさん
11/09/10 17:04:21.79 K4jgQ1Uh
まあなんていうか「ある」とも「ない」ともせず
この状況は一体どういうことなのか とみてみる
>そこまで考えてて、どうして「ある」って信じられるんだろう。
「考えて」しまったら「考えているもの」が既にそこに「ある」から、
それはなんだろう、と(考えてみる→?)←このへんが>>254-255のとこ
259:中益マン
11/09/10 17:23:51.48 aQZpHKB8
アポロンは人望がなさすぎて革命家にはむいとらん。
本多正信みたいな参謀だったら力を発揮するタイプだろう
260:神も仏も名無しさん
11/09/10 17:24:32.68 aQZpHKB8
間違えた。失礼
261:ama
11/09/10 21:23:14.62 SYDyNs24
>>195
観察する対象は目の前のものに限定しない方が良いと思います。
262:ama
11/09/10 21:24:16.97 SYDyNs24
>>198
解決します。
263:ama
11/09/10 21:25:29.85 SYDyNs24
>>226
> ・ama氏がここまでの境地に達しておきながら、何故「死に対する恐怖=生に対する執着」があるのか。
死に方によります。
痛いのとか苦しいのとかは嫌ですね。
その意味で死に対する恐怖というよりも、
痛みや苦しみに対する恐怖といった方が正しいでしょう。
そして、今のところ、
痛みや苦しみに対する恐怖は色々役に立っています。
264:ama
11/09/10 21:26:56.41 SYDyNs24
>>226
> ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
脳が無くなれば、私が存在するという思考がなくなりますので、
世界もなくなります。
そもそも私達が現在認識しているこの世界すら実際には存在していないのに、
死んだら世界が存在するようになるというのもおかしな話ですよね。
265:神も仏も名無しさん
11/09/10 21:34:55.39 dsWuVihT
>>264
脳が無くても、意識や思考がなくても
存在は残るんじゃないの?
まあ、いずれ存在も世界に溶けるんだけど・・・
266:ZERO
11/09/11 00:39:00.19 PCAq5Vts
こんにちは。1さんいつも丁寧にお答えいただきありがとうご座います。
さて、今、歩行禅を意識して一時間ほど外を散歩してまいりました。
しかし、本当に歩行に意識が行ったのはせいぜい15分程度で、何かの拍子にすぐに
観念イメージが生まれ、そのイメージを操作し、さならる観念を生み出し・・・何かの拍子で観念していることに
気がつき、また歩行に意識を戻す。と言うような感じです。
その間、車のライトなどが、道の看板とかに当たり、ピカッと光るのですが、その瞬間がなぜか人間が横切るように見えたりします。
それは幻想なのですが、一瞬人に見える訳です。途中に寺があり、寺の境内で水を飲み、帰ってきたのですが、墓場を横切ると、人が墓場の横に立っており
じっとこっちを見ているようなイメージをしているわけです。もちろんイメージですが、脳はある条件に対してそれに対応したイメージを自然に作り出します。
と言うようなことを考えて、また、歩行から意識がずれて、それに気がつき、歩行に意識を戻します。
これは歩行とは関係ない私の感想です。
歩行の感想の方が多くなくてはならない気がしますが、歩行を始めると観念は何故起こるのかと言うことをつい観念的に考えてしまうようです。
この場合、歩行そのものに意識を集中するべきでしょうか。
「歩行に意識を集中するにはどうすればいいか」とか「何故、観念は生まれるのだろう」と言うような思考も無い方がいいわけですか?
267:ZERO
11/09/11 00:50:29.58 PCAq5Vts
歩行をしていると、その単純なリズムゆえに、変成意識状態になり、幻想世界に入り込みやすくなる。
歩行に意識が集中できないのは、まず、歩行そのものに意識を抽象世界に持っていくような作用があるからだと思う。
それと、観念が生まれて行く過程も観察した。
観念は、まず、自我意識が縁となって生まれる。
例えば、ふと、明日のことを思う、明日の自分を思う。すると他人との関係が思い浮かぶ、その関係に対処している自分が思い浮かぶ。
と言うような形で、幻想世界へといざなわれていく。
自分を意識すると、それに応じた幻想世界が生じる。
「2ちゃんねる」のあるスレの書き込んだ自分を意識すると、それに応じて世界が想起される。
つまり、「自我を意識したときに観念が生まれる」
歩行を意識すれば意識は足先などにある。
しかし、自我を意識すればそれに応じた観念世界が発生してくる。
そういう関係にあることがわかりました。
つまり、自我を意識しなければ、観念は生じないと言うことになります。
自我を意識しなければ「部長」もいなければ「近所の知り合い」も存在しません。
つま先だけ意識していれば、つま先が意識されています。
しかし自我を意識すると、2ちゃんねるが現れたり、同僚の顔が浮かんだり、友達の顔が浮かんだりするわけです。
268:ama
11/09/11 07:05:35.26 ryfF9iYb
>>234
思考モードに入っているとき以外は悟っています。
観ることをやめて考え始めたとたんに悟りから遠ざかります。
鋭敏に観ている瞬間瞬間だけ悟っています。
悟りは、ある意味とても困難であり、
ある意味とて簡単なことだったりします。
分析したり、比較したり、分類したり、
などのようなことを始めると、
それはすぐに遠ざかってしまいますが、
ただ、シンプルに生きるだけで、
それはやってきます。
私の瞑想は普通の生活の中でただ観ることなのですが、
最近は、より鮮明に観えます。
269:ama
11/09/11 08:22:16.61 ryfF9iYb
>>254
> 「五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけ」なのに
> それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
長年の垢のようなものです。
何度も何度も繰り返し慢性的に、
それが自分であると自分に言い聞かせてきたわけですから、
ある日、私はいないと思い込んだところで、
どうしたって自動的に自分があるという結論が出てくるのですね。
普段気づいていない透明な思考のなせる業です。
270:神も仏も名無しさん
11/09/11 09:44:09.60 sWYxeIqu
ama様初めまして。
質問させてください。
無我を体感するためにどんな洞察?瞑想?手法がいいですか?
271:神も仏も名無しさん
11/09/11 09:59:03.45 yCR8GCfT
水が水の中で水に水を説明している
272:神も仏も名無しさん
11/09/11 10:07:58.10 yCR8GCfT
>>269
ども
>何度も何度も繰り返し慢性的に、それが自分であると自分に言い聞かせてきた
そうですね
そのミスりかた(どのように間違うか)は>>184で記してみました
まずはじめに 即(問わずの場所に)、仮想の存在「自分」という、主体、見る側 を存在させ て、
それから「それ」が 見る、考える(とかその他の認識とか)とやってく ので 中々見えにくい
273:神も仏も名無しさん
11/09/11 11:29:31.31 G0P8R4v1
1さんへ
1さんも悟りの境地を犠牲にして時には「考える」訳ですが、どんなときに考えるのでしょうか
そしてそれは精神機能の堕落としての価値しかないのでしょうか
それとも社会が正見、正思と言ってるように
正しく考える事は有意義な事だと言えますか?
また、正しく考えるとはどういう事をいいますか?
274:神も仏も名無しさん
11/09/11 11:30:13.01 G0P8R4v1
社会が→釈迦が
275:神も仏も名無しさん
11/09/11 18:01:25.17 PCAq5Vts
日常生活で、観察をするというのは、動作をいったん停止する必要がありますか?
それとも日常生活の動作を観察すればいいでしょうか?
掃除をしている場合など、ゴミを観察していれば掃除になりませんが、具体的にどのように観察していますか?
276:ama
11/09/11 19:04:00.08 ryfF9iYb
>>265
物質を体験するためには体が必要ですよね。
何かが存在しているという認識自体が、
思考の産物なのです。
277:神も仏も名無しさん
11/09/11 19:08:13.86 G0P8R4v1
意識抜きに存在はありえないということは科学的にも証明されてるからね
278:ama
11/09/11 19:17:24.17 ryfF9iYb
>>266
歩行そのものに意識を集中すべきです。
どのような思考も邪魔になりますので、
無い方が良いです。
といっても無理に消す必要はありません。
ほおって置くと(気づくだけで)、
自然に消えますので。
歩行に対する観念、つまり解釈やイメージ、判断や結論といったものがあると、
その体験は実際のものとは別のものになってしまいます。
純粋にそれを行為するためには一切の思考が邪魔になります。
279:ama
11/09/11 19:19:32.31 ryfF9iYb
コツは、瞬間瞬間を観ることです。
持続させてはいけません。
時間の経過は思考の得意とするところです。
一瞬一瞬の中に本当のものがあります。
一方、歩行にこだわるとこれまたいけません。
私は、悟るために、座って瞑想するとか、
わざわざ歩きに出かけるとか、
といった作為的な行為はあまりお勧めしません。
悟ることを目的としない行為の中でこそ悟れたりします。
得意先に行くために歩く、
買い物に行くために歩く、
といった生活に密着した行為の方が
悟りにはよっぽど役に立ったりします。
280:ama
11/09/11 19:21:06.81 ryfF9iYb
悟るための方法があると、
それに引っ張られてしまい自由を失います。
私が自由であるときに悟りは訪れます。
ちなみに、悟りの中にあるときは、
悟りという概念も観念もありません。
悟りというもの自体意識していません。
ただシンプルに生きているだけです。
281:神も仏も名無しさん
11/09/11 19:24:08.80 PCAq5Vts
では、それはただ生きているだけと何が違うのでしょうか?
普通に生活すること=悟りだとすると、9割方の人は悟っていることになります。
282:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:08:58.66 6/8bnKxT
おれもさっきメシ後の皿洗いしながら思ってたんだけど
この悟りというのは、一周まわったらもともとの初めの地点に戻ってくる
それで悟ってないかというと、やっぱりそいつは悟ってる
んで悟ったやつと、悟ってない奴と、外面的に、行動的にどう違うんだ? ということだが、特に違いはないと思う
ただ、片方は、根本的なところで 迷ってない ということなのだ
だから悟った奴は超人的な力を持つとか、神通力を手に入れる、などというやつは何か勘違いしている
悟った奴だって、間違うし、解けない問題があるし、貧乏だったりもするし、ギャンブルやったり、女のケツ追っかけてビンタされたりもする
大いに普通の人間だ
283:偽イルミナティ
11/09/11 20:35:21.37 YSgMa9J9
問題はamaって人に明確な体験が伴っていない
もしくは体験そのものを語れていない所にある
肝心な部分を自分自身でもぼかしながらしか話せていない
すんごく詐欺師っぽい
284:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:44:01.69 K1UdWRZA
>>276
>何かが存在しているという認識自体が、
>思考の産物なのです。
「存在」が残ると書いたのは
それ以外に書きようがなかったためで、
認識とは違います。
あなたが語れば語るほど、遠ざかって行くようで
とても残念です。
285:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:51:12.24 dCAJ4IC+
自分の理解や認識に合わないと
拒絶反応を示す人がチラホラ出てくるものですね
286:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:51:29.99 6/8bnKxT
まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、(>>227)
なんで 既に自分が手持ちを持ってるつーこと に対して なぞめき をもたんの?
徹底的に 相手 と 自分の手持ち をバトルさせるより
徹底的に なぜかもってる「自分の手持ち」の襟首掴んで詰問しつくす をした方がいいんでないの?(>>232)
287:神も仏も名無しさん
11/09/11 21:08:02.11 K1UdWRZA
>>286
>まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
>じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
>その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、
これって、そのままあなたの事だろ。
自分の「悟り像」と合っていたから、そこまで擁護するんだろ。
288:神も仏も名無しさん
11/09/11 21:44:09.31 6/8bnKxT
合わせる ためには あらなければならない
ない というもの に あわせられない
あわせられるなら、それは ある ものだ
ある というものは ない というものではない
289:神も仏も名無しさん
11/09/11 21:46:25.63 6/8bnKxT
ない というものに よっている というのは
何かに よっている とも よっていない ともいえる(>>282)
290:偽イルミナティ
11/09/12 00:00:47.98 YSgMa9J9
説明にならない説明じゃ説明じゃない
東電の対応にも似た悟り観だな
291:小林白蓮
11/09/12 00:04:08.80 D9bJ+1gs
※悟りを開くには、そもそも「お釈迦様のように悟りたい」という高邁な高い志が
必要なのです。
「悟りたい」という志のない人は、悟ることは難しかろうと思います。
292:小林白蓮
11/09/12 00:29:31.88 Q4RP9aV3
※大川先生の教えのお陰で悟りを開くことができたということであります。
悟りを開くとは、心の解放とは自由自在な心であって、限りなく純粋に
透明な心の無我なる心境の質を高めてゆくなかに、能動的な心から受動
的な心で瞬間瞬間の水鏡の純粋で透明な平静なる心の持続の中に至福な
永遠の今を感じてゆくことになります。
努力精進の果てに予期せぬときに、悟りを開くことになります。
降魔成道の魔と配下との水鏡の心の武器で耐え忍んでいるとき、魔や
配下は消え去り、段々と魂が上昇と自己拡大の中に、今までに味わった
ことのない感覚をもって宇宙大となったとき、長年「お釈迦様のように
悟りたい」という高い志が成就した瞬間の悦びでありました。
293:神も仏も名無しさん
11/09/12 00:35:06.60 yaeLYWHY
ところでお釈迦さんだったらこう言うオカルト系マニアやカルト系信者が来ても論理的に諭して非を自ずから悟らせたようだが
こう言う芸当は1は余り得意じゃないのかね
294:神も仏も名無しさん
11/09/12 00:48:05.56 OHq0gMDZ
>>293
本当に悟っていれば、自分の見ている世界や感覚をそのまま伝えることが
反論や諭しになるはずだけどね。
295:神も仏も名無しさん
11/09/12 10:28:55.69 h2bHg+Yb
説明にならない悟りが悟りって話もある。
至高の体験をして、沈黙を守る。
悟りとはこうだって、前提的な状態を提示すればその観念に囚われる可能性もあります。
だから、釈尊は無記をつらぬいた・・・のかもしれない。
296:小林白蓮
11/09/12 11:05:08.61 C9KDfFc6
※大川先生の教えでは、お釈尊様は、一生涯の間に、八万四千の悟りの法門を弟子
達に直説金口で説かれています。
お釈尊様入滅後、口伝の伝承によって弟子から後代の弟子へと伝えていった歴史
があります。
「無記」は、修行を放り投げ、心を欲望の自由で怠惰に錆びつかせていた方が、
お釈迦様に対して質問した内容が「宇宙について」のような質問で、質問した
相手の心を見れば、光なく穢れていたことを六大通力で瞬時に見抜き、自らの
仏道修行を放り投げている者に、悟りの奥義は教えるわけにいかないので、
毒矢の例えとも絡みますが、質問者自らの心を正すのが先であるという意味
で、お釈迦様はその質問者に対して何も言わなかったということです。
それが、お釈迦様入滅後、後代の弟子から弟子へ口伝伝承していましたが、
その後、古代の仏典に「「無記」と書き込まれたように推察いたします。
ちなみに、大川先生は、経典書籍を700冊以上を超えて、質的な内容にあって
は、お釈迦様の八万四千の悟りの法門を超えているという推察いたします。
297:神も仏も名無しさん
11/09/12 11:26:23.30 tAoCXWnK
テスト
298:神も仏も名無しさん
11/09/12 12:46:13.95 lpWO7+iN
>>290-294
なんで「そういうもんだ」となってるの?
299:294
11/09/12 13:00:43.31 N+CMgCi8
>>298
小林白蓮と一緒にすんなよ!!
300:神も仏も名無しさん
11/09/12 17:28:09.84 NgcLjrly
「そういうもんだ」=
>本当に悟っていれば、○○になるはずだ
301:本当にあった怖い名無し
11/09/12 18:54:22.13 RCbCHS8s
>1さんへ
・人生で、あらゆる感情は捨てて理性だけで判断し行動すべきだと思いますか?
・悟ると「何が」終わりだと思いますか?
・世の中の苦しみを、自分の内面に常に顧みてしまいますか?
その場合、対処されますか? やはりただ観るだけですか?
・悟りを説くことで他人が悟ることは可能だと思いますか?
・悟りの体験の前に非常な「苦痛」はありましたか?
・悟りはある意味危険であったと思いますか?
いっぱい質問してすみません。
302:神も仏も名無しさん
11/09/12 19:40:56.92 4yIi8TT/
基本的になんもないことをなんかあるように説明しろといわれても難しいわな
303:ama
11/09/12 20:33:54.40 vSj/2rRu
>>270
生活の中でありとあらゆるものを観ることです。
自分の思考に気づくことです。
自分の体を感じてみることです。
視覚や触覚などの五感を一切の思考無しに
ただただ感じてみることです。
そためには、鋭敏である必要があります。
瞬間瞬間に意識を向け、とどまらないことです。
一方、手法にこだわらないことも大切です。
鋭敏であれば手法にこだわることもありません。
無我という観念に気づいてみることも役に立ちます。
自分が無我というものにどのようなイメージを持っているかに気づき、
それを手放します。
304:ama
11/09/12 20:47:20.37 vSj/2rRu
>>273
生活をするためには色々考えなければなりませんよね。
「洗剤を買っておかなきゃ」という思考はとても役に立ちます。
その意味で、計画を立てたり物事を比較・分類したりする必要のあるときや、
特に仕事をしているときなどは、たくさん考えます。
また、このスレのようなやり取りでは、
言葉にならないことを無理に言葉で表現しようとするわけですから、
出来るだけ正確に誤解の無いようにと弱い頭を悩ませております。
思考を道具として使う分には精神衛生上の問題はありません。
価値判断などによってその思考に引っ張られ自由を奪われることが問題です。
305:ama
11/09/12 20:48:33.44 vSj/2rRu
自分を楽にする思考は有意義だと思いますし、
それは正しい思考と言えるでしょう。
たとえば、マイナス思考の人がプラス思考に切り替えることに成功して、
見違えるように生き生きし出したとか、
プラス思考でもダメなときに、
ゼロ思考に切り替えて肩の力が抜けたとか、
とかとか・・・。
思考を道具として使いこなせているか、
その思考に引っ張られていないか、など、
つまりは役に立っているか立っていないかが
判断のしどころだと思います。
思考による、精神の開放は、
限界はありますが一定の効果もあります。
そしてこの限界を超えることを
悟りとか覚醒とか言ったりするんですよね。
306:ama
11/09/12 20:54:08.93 vSj/2rRu
>>275
動作をいったん停止する必要はありません。
日常生活の中での動作や思考を観察します。
観察は一瞬です。
ゴミを見つめているときは、ボーっとしているか、
考えているかのどちらかではありませんか?
どちらも観察ではありません。
私の申し上げている観察というのは、
初めて見るような姿勢で言葉無しにイメージ無しに、
一切の前提無しに、それを観るということです。
そして、ゴミを、前提無しに観ると、
とんでもないことに気づいたりします。
ただし、何かを得ようとして観察すると、
得たいものは得られなかったりもします。
307:ama
11/09/12 20:55:56.74 vSj/2rRu
>>281
悟ると生きるのがとても楽になります。
9割の方がそうなら、こんなに素晴らしいことはないと思いますよ。
308:神も仏も名無しさん
11/09/12 21:41:12.15 yaeLYWHY
じゃあ「悟り」よりも場合によっては「思考」の方が凄いというケースもありえる訳ですね
思考には「原子爆弾」を開発したり「宇宙の起源」を突き止めたりすることも可能な訳ですから
すると「悟り」だけではなくて「思考」も同じ位「偉い」のではないか
悟りと思考は同格でありそれぞれを伸ばして行く必要があると
アインシュタインと釈迦どっちが偉いかみたいな話で、どっちも偉いという結論になるわけです
309:神も仏も名無しさん
11/09/12 21:51:17.97 yaeLYWHY
思考の超人アインシュタインと悟りの超人釈迦を兼ね備えた人物が居たら、さらなるスーパー超人ということになりますね
ユングがタイプ論という性格分析の著作を残してますが、それによると釈迦は直観の達人
アインシュタインは直観-思考タイプだと思います。
アインシュタインが釈迦ばりの直観力を持ってたら量子論を超えるような新理論を完成させていたかも知れないし
釈迦がアインシュタインばりの思考力があれば
あの時点で原子爆弾や原子炉が開発され、電気文明が成立していたかもしれない
310:神も仏も名無しさん
11/09/12 22:08:49.45 OHq0gMDZ
>>306
ゴミは前提無しに見ると、そのまんまのゴミじゃないの?
311:神も仏も名無しさん
11/09/12 23:01:21.82 yaeLYWHY
ゴミって観念だよ
経済的効用があるかないかで区別されるんだから
例えばよく2ちゃんねるで「おれってカスだな」「死ね屑」とか言ってるが、経済的効用を自分に当て嵌める事に慣れすぎてるんだよ
前提(社会的洗脳)無しに見たら、屑どころか宝石だったということは有り得る訳です
312:神も仏も名無しさん
11/09/13 00:37:53.49 DOmmnVJE
>>311
ゴミは観念だって分かってるけど、
観念抜きで表現するときは何て言えばイイ?
もちろん宝石も観念だよね。
313:神も仏も名無しさん
11/09/13 00:39:58.07 +CXWe88O
「空」だね。
宝石も沢山あれば石ころだしゴミだからね
314:神も仏も名無しさん
11/09/13 00:41:19.92 DOmmnVJE
>>313
君、ユーモアのセンスあるね。
315:神も仏も名無しさん
11/09/13 01:58:19.92 YLJ6LYOY
「偉いかどうか」ではなく「思考には思考のポジションがある」 それだけのこと
むしろ なぜ既に「どっちが上か」という尺度をもってたのか、をみてみては?
316:神も仏も名無しさん
11/09/13 02:25:02.68 SDyXf2Nv
偉いってあくまでも便宜上の表現ですよ。
悟りの方が偉いと言う価値観を批判する為にそう書いている訳
317:神も仏も名無しさん
11/09/13 09:50:54.46 6aj5rXXm
>>1
痛みも幻想と分かってるのに何故それを嫌がるの?
悟りにはレベルがあり、まだ浅いってこと?
318:神も仏も名無しさん
11/09/13 11:11:54.20 MeH3YCQ7
仏陀→悟りを開いた、空海→悟りを開いた、この両者とも悟りを開いた後もただの凡人で有る事は
有りえないと思うしただ自分の気持ちを満たせただけだとは思わない。天満宮で願掛けができたり、
寺では護摩での祈祷が出来たりする事から考えると、悟れば寺などで使う何かしらの力が手に入ると
思ってる、それが悟りだろう。
1さんはまだどんな力も持ってはいないようだから、悟りにはやはりレベルがあるんだと思う。
天満宮や寺に行きときに願掛けをする事があるような人であるならわかるだろう。本物の悟りは寺や
天満宮など祈るところにある。
319:神も仏も名無しさん
11/09/13 11:42:30.52 ozrQ7lTE
結局、意識上の悟りなんだよなあ。
320:小林白蓮
11/09/13 11:52:42.55 rooOP7YY
>>319
>結局、意識上の悟りなんだよなあ。
※形而上の悟りですね。
321:神も仏も名無しさん
11/09/13 13:21:38.36 +CXWe88O
意識上じゃない悟りってどんなんよ
催眠術や夢を見て悟った神秘体験だと言っても
それは催眠術であり夢に過ぎないよ
322:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:13:51.92 ozrQ7lTE
>>321
自己は意識の有る無しに関係なく存在する。
意識の無い状態でも自己は「ある」のです。
分かりにくいのでアンカー付けて下さい。
323:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:24:20.78 ozrQ7lTE
>>320
形而上の悟りについては書き込んでないよ。
324:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:25:59.50 +CXWe88O
意識のない状態の自己をどうやって認識したんだよ
もし体験したというならそれも意識があるからだろよ
325:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:27:06.58 +CXWe88O
形而上の意味がわかってないんじゃないの小林は
326:小林白蓮
11/09/13 16:35:31.10 VvvDqlbJ
>>321
※大川先生によれば、肉体にまつわる自己の意識ではなく、霊的認識に
立つ意識であります。
多くの悟りを求める方々は、肉体にまつわる自己の意識にとらわれるから
見当違いになるのです。
肉体の五感が伴うところの自分という意識ではなく、神仏やあの世や霊を
実在と直視する霊的認識に立った高次な意識が悟りということです。
ですから、この世のみに価値観をおいている考え方を捨てなければなら
ないということです。
白紙の心で大川先生の教えである仏法真理を学び、仏法真理の実践を
積み重ねつつ、過去に成した過ちの反省と、未来へ新生する誓いでも
あります。
それが、悟りを探究し努力精進する前提となります。
327:小林白蓮
11/09/13 16:38:18.94 VvvDqlbJ
>>325
※あなた様のお考えの形而上の意味とは何でしょうか?
328:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:04:21.49 ozrQ7lTE
>>324
>意識のない状態の自己をどうやって認識したんだよ
認識は意識や思考がするもので、意識のない状態では認識は無いでしょう。
ここで質問なのですが、あなたは自分の存在を自分の認識によって確認しているのですか?
自分の存在は認識しなくても確認できるでしょ。
329:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:26:21.30 +CXWe88O
いや確認出来ないでしょ
確認という作業がそもそも認識能力を前提しているのだから
330:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:33:30.11 ozrQ7lTE
>>329
>いや確認出来ないでしょ
自分の存在が分からないってのは、ちょっと問題ですねえ。
331:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:41:01.00 +CXWe88O
わからない人もいるのさ。それを自己を見ない人。つまり認識を無視する人だな。
332:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:43:03.00 ozrQ7lTE
>>331
何か、良く解らない答えですね。
333:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:45:25.55 +CXWe88O
じゃあ君は自己の存在をどうやって確認したの?
334:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:46:40.90 6vPXwI4L
特に質問は無い
335:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:49:24.08 ozrQ7lTE
>>333
確認するも何も、ここに「いる」じゃないですか。
336:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:53:25.90 +CXWe88O
それは貴方が意識するから「いる」んでしょう
337:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:56:24.23 ozrQ7lTE
>>336
それが不思議な事に意識しなくても、ここに「いる」んですよ。
338:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:56:59.09 +CXWe88O
意識してるじゃんw
339:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:04:26.41 ozrQ7lTE
>>338
なんだ、それだけかよ。
センス無いなあ・・・・・・
340:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:08:31.50 +CXWe88O
それだけかよって君全然論破出来てないじゃん
「すいません。私が間違ってました。おっしゃる通り意識抜きに存在はありません」と言えばいいだけの話しだよ
そうじゃないというなら反論を出しなさい。
341:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:14:04.74 +CXWe88O
もし君が人間の意識と無関係に存在者が存在する事を証明出来たら仏教論理も量子力学も崩壊するし
今年のノーベル賞受賞は間違いないだろう
342:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:35:13.89 ZkBnEorI
自己がどうのという議論が続いているみたいだが、ただ単に、
1.意識+無意識=自己
とするか、
2.意識=自己
の違いでしょ。意識を「生きている間」、無意識を「死んだ後」に置き換えてもいい。
どっちが正しいかなんてわかるはすがないよ。
というかおそらく、見方によってはどっちも正しいし、
間違いでもあるってだけのことだろう。
343:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:59:19.55 ZkBnEorI
悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言うんじゃないの?
全てを見通せる力(智慧)を持つとか、幸せの状態にあることを言うんじゃないと思うよ。
実は俺もちょっぴり悟ったような気はしてるんだが、たぶん間違いではないと思う。
俺が悟ったんじゃねぇかって思ったのは、骨壺にオヤジの遺骨と遺品を納めたときだな。
ああ、死んだらなんも残らねぇんだなあと。
その瞬間、夢や希望、それに絶望なども全部消え失せたよ。
これがいわゆる空という状態なんじゃね?
いつ死んでもいいという状態になると、基本的に恐怖っつーもんがなくなる。
誰かに殺されようが、あるいは誰かを殺そうがどうでもよくなるんだよね。
ただし、ここで誤解しないでほしいのは、恐怖と苦痛は違うってこと。
恐怖はなくても、誰だって敵に捕まって、自殺できない状態で拷問を受けるようなことになったら、
そりゃー嫌だろうよ。
344:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:10:22.43 DOmmnVJE
>>340
論破しなきゃならない理由がないからなあ。
君の理解が正しかろうと間違っていようと俺には関係ないしね。
君の理解が正しければ君は悟るだろうし
君の理解が間違えていれば君は悟れない。
どっちに転んでも俺には関係の無い話だからね・・・
345:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:35:47.77 MeH3YCQ7
>>343
その瞬間、夢や希望、それに絶望なども全部消え失せたよ。
これがいわゆる空という状態なんじゃね?
虚無じゃないですか?
URLリンク(kotobank.jp)
そのままの状態は健康に悪いから人との付き合いを多くする、友人とコンサートや舞台
ディズニーランド等にいくとか気分転換した方がいいね。ひどいと鬱病にかかるよ
346:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:41:50.26 DOmmnVJE
>>341
>もし君が人間の意識と無関係に存在者が存在する事を証明出来たら仏教論理も量子力学も崩壊するし
>今年のノーベル賞受賞は間違いないだろう
その前に、意識が存在することを証明する方が先じゃない?
347:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:54:49.79 PTXnzdOM
量子力学は専門外なので知りませんが
仏教理論はヒンズー教によってすでに
崩壊しています
ヴェーダーンタ派の余裕の勝利宣言です
釈迦も竜樹も過去の人です
348:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:11:41.59 +CXWe88O
つか何で根拠を言わないで勝利宣言だけするんだろうな
ちなみにベータンダ哲学の何が仏教に勝利したの?
根拠は私の信仰ですというのは無しな
349:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:22:24.79 ZkBnEorI
>>345
いや、鬱状態とは完全に違うよ。
別に、悲観してるわけでも死にたいわけでもないし。
望みなんてなくなるんで、望みが叶えられないからといって悲観する必要もないし。
鬱の場合ならセロトニンだかノルアドレナリンなどの不足が原因らしいから、
悟りを開くよりも病院に行ったほうがいいだろうけどね。
空の状態になったからといって、楽しいことが楽しくなくなるわけじゃないよ。
美味しいものを食べたら美味しいと感じるのはごく自然なこと。
とにかくこの感覚はなってみないとわからんと思うよ。
勉強したり、修行をしたからといって得られるもんじゃない。
逆に、何もしてないのに、いきなり「悟る」ことはあるだろうね。
意図的に悟りたいのなら、いつでも死ねる状態を作ればいいんじゃないのかな。
所有物や趣味のこだわりをなくす(つまり捨てる)とか。
350:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:46:33.24 PTXnzdOM
ヴェーダーンタ派の見解を自分で学びましょう
他人に依存はダメです
351:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:54:05.86 +CXWe88O
じゃあ君は仏教を学びなさい。その上で論評しなさい。
352:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:57:35.38 +CXWe88O
どうせシャンカラだの二流の哲学者を持ち出してアートマンは永遠だの低レベルなオカルトを述べるのだろうが
それはもう仏教に完全に論破されている
353:ama
11/09/13 21:36:58.44 3Ea0e2C2
>>301
> ・人生で、あらゆる感情は捨てて理性だけで判断し行動すべきだと思いますか?
まったく思いません。
> ・悟ると「何が」終わりだと思いますか?
古い自分が終わります。
> ・世の中の苦しみを、自分の内面に常に顧みてしまいますか?
常にではありませんが、
世の中の苦しみの原因を自分の中に見つけることはあります。
> その場合、対処されますか? やはりただ観るだけですか?
自分に出来ることは行動に移します。
> ・悟りを説くことで他人が悟ることは可能だと思いますか?
悟りの説法を聞くこと自体で悟りを得ることは出来ませんが、
それがきっかけになるという意味では可能だと思います。
> ・悟りの体験の前に非常な「苦痛」はありましたか?
精神的な苦痛は通過しました。
> ・悟りはある意味危険であったと思いますか?
特に危険は無いと思います。
354:神も仏も名無しさん
11/09/13 21:38:41.43 MeH3YCQ7
とりあえず、坐禅をしているとアルファ波という、リラックスしている脳波の状態になるということであります。実は、これは非常に難しい。
この脳波は、「忙しく脳を働かせている状態」と「意識が無くなる状態」の間にある状態であり、長く保ち続けられるものではないのです。
URLリンク(blog.livedoor.jp)
ちゃんと禅が組めてるか測定してみればわかるかもね。
アルファー波についてはテレビで坊さんに実際に禅を組んでもらって測った事もあったけど出てた。
355:本当にあった怖い名無し
11/09/13 21:56:40.77 vCYfjiaJ
>>353
お答えありがとうございました。
356:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:19:22.04 PTXnzdOM
自分の時計だけは正確だと思ってるのがうじゃうじゃいるね
ここもだめだな
釈迦も竜樹も三流弁士だよ
そんなヤツラのたわごとはもう論破されてる
学ぶ気もせんな
ここもだめだな
ここもだめだな(ケラケラ)
史ね
357:ama
11/09/13 22:23:37.76 3Ea0e2C2
>310
前提とは「○○である」のような結論のことを言っています。
つまり過去に得た情報ですね。
ゴミの記憶無しにゴミを見たとき、
それは未知のものですよね。
ということは・・・
たとえば記憶の無い赤ん坊が世界を見たとき、
どのように見えるのでしょう?
物の存在を認識することは出来るでしょうか?
奥行きを認識することは出来るでしょうか?
そしてこのことから私には何が分かるのでしょう?
358:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:25:02.33 PkO7nT+G
>>349
すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。
つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。
虚無主義?
359:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:26:24.97 PkO7nT+G
>>356
どこがいいの?
360:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:33:25.30 DOmmnVJE
>>357
知らんがな。
361:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:35:08.18 PTXnzdOM
くだらんな
ブッダ、竜樹、キリスト、マルクス
なんとみごとな糞のかたまりよ・・・
いつまでこんな前世期の遺物から甘い汁を吸おうとしてるやら
全員逝ってよし
こんな俗物どもをいっさい相手としない漢はいないのか?
やはり日本人は死んだほうがよい
362:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:41:23.78 PkO7nT+G
>>343
>悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言う
ちがう
>実は俺もちょっぴり悟ったような気はしてるんだが、たぶん間違いではないと思う。
まちがい
>意図的に悟りたいのなら、いつでも死ねる状態を作ればいいんじゃないのかな。
やくざ
>所有物や趣味のこだわりをなくす(つまり捨てる)とか。
しなくていい
363:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:54:08.18 MeH3YCQ7
>>361
それで師とする人は見つかったのかい?麻原彰晃とか言うんじゃないのか
元オウム信者とか
364:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:58:11.01 MeH3YCQ7
>>361
こんな俗物どもをいっさい相手としない漢はいないのか?
やはり日本人は死んだほうがよい
なんで日本人は死んだ方がよいという答えに至るのか唐突すぎてその思考がわからん
365:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:15:59.55 oUSoCd40
良くはわからないけれど
自分への嫌悪感をここにいる人に求めてるんじゃないかな?
366:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:20:25.97 MeH3YCQ7
>>365
自分への嫌悪感をここにいる人に求めてるんじゃないかな?
よくわからないけど、嫌ってあげればいいの?
367:270
11/09/13 23:31:30.33 5W1oZOr1
ama様、ご回答ありがとうございました。
>>357についてですが、赤ちゃんが世界を認識するとき男女の区別とか自分と母の
区別とかしない。
例えば、分娩室で目を開けた赤ちゃんはその部屋の印象を名前で区別せずに一枚の絵の
ように認識する。その風景画には自分も溶け込んでいる・・・
そんな感じのことを仰ってるのですか?
368:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:37:21.81 oUSoCd40
>>366
ごめんなさい なんだか訳のわからない文になっていますね。
>>361は
かまってもらいたがっている、そしてかまってもらった人を否定することで、自己を保とうとしている。
とまぁ書き込んでみましたが、なんだかどうでもよくなったのでおいとまします。
369:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:49:23.83 PkO7nT+G
>>367
>記憶の無い赤ん坊が世界を見た
これは 今すでに全員そうだ といってる
(270、今あなたも記憶の無い赤ん坊と同じだ、と)
記憶とは何か
記憶とは過去だ、過去とは何か
過去 とは 思考の産物である自我 の「思考」の中にしか存在しないものだ
では今とは何か、今とは常にあって、これからもそれしかないものだ
では今 を 過去の産物である自我 が認識できるか できない
過去の産物である自我 ができるのは 常に 過去(記憶=自我)を介した地点からのアプローチだけだ
では 今 を認識するにはどうしたらいいか
過去の産物である自我 を介すな ということ
370:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:03:05.39 YygdFH4b
記憶の無い赤ん坊 とは 今を認識する人 のこと
今 の中に 過去というフィルターを介さずに ただ 出会ってみたらどうか といってる
そうやってそれを見てみたらどうか と
そのときは、過去を背負ってアプローチしていないので全てが新しい(当たり前)
そういうとき、過去の蓄積である自我 が存在していない
ゆえに、自我が持つ「ツール」であり、「生みの親」だった「思考」もない
ということは、「思考」の作り上げたありとあらゆる精神的構造物(主義、悟り像、記憶、経典、修行、理想、、、)
これらは一切何もない
371:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:06:16.59 YygdFH4b
さかのぼって>>343
>悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言うんじゃないの?
よってこれは間違ってる
「死ぬもの」が ない ので 死ねない
372:270
11/09/14 00:10:24.99 9YXqfksR
>>370
そこらへんは理解しています。
でも、ありがとう。
373:270
11/09/14 00:18:14.33 9YXqfksR
>>371
でも、いつでも死ねる状態であって、マイナス思考がなければ、悟りに近いと思いますよ。
あとは、自分が「誕生した」って誤った見解を打ち破れば預流果には至れるような気がします。
374:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:26:40.57 pjSROAIn
論理的な思考をこねクリ回しても悟りには届かないよ。
375:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:41:13.01 YygdFH4b
「いつでも死ねる状態のもの」 とはなんだろうか
なんで そこ に それ があるんだろう
376:神も仏も名無しさん
11/09/14 01:18:27.56 YygdFH4b
>>374
これこれこういう方法だと届く、という「正解肢」があると?
その先で得られるのは、「その正解肢に到るために作り出されたもの」
がいざなった「とある一定の形式により導き出されたもの」では?
それは、「悟りが何なのか分からない人」が、「これが悟りです」といわれて、
なぜか(その「分からない人」が)「そうだその通り、それが悟りだ(「悟りが何なのか分からない人」が答えを決めた)」となり
「その悟り」をより深く知識・体験として構築、「学習」をしている図 では?
(「なぜ」そんなことを自分がしているのか(求めているのか)突き詰めて考えてみるといい、と思う)
しかし、悟りとは何なのか「探求」する場合、そうはならない
なぜなら「悟りが何なのか分からない人」は「分からない」から
377:神も仏も名無しさん
11/09/14 01:42:30.37 pjSROAIn
>>376
悟りを探求している時点で道を間違えているよ。
378:神も仏も名無しさん
11/09/14 02:00:43.05 YygdFH4b
>>377
いわれてみると確かに・・・なんつったらいいのかな?
379:神も仏も名無しさん
11/09/14 06:14:38.17 93JGEWFk
>>375
「いつでも死ねる状態」ってのは、希望・願望や絶望のない状態、つまり、
「やりたいことをすべてやり終えた状態」と一緒でしょ。
ただし、いつでも死ねる状態だからといって、死にたくなるわけじゃないし、
死のうとも思わないよ。
じゃあ、なんで生きてるのかといえば、それは「自分を求める人がいる」、
あるいは「自分を求める人がいるかもしれない」から。
生きているというより生かされてるという表現のほうがいいかもね。
結局、悟りを開いた人の行き着く先は、衆生が求める存在、
つまり神や仏のような存在になるんだよ。
380:神も仏も名無しさん
11/09/14 07:23:28.95 WffvwfNd
>>377
では何が正しい道なのでしょうか
381:神も仏も名無しさん
11/09/14 09:23:39.41 20ERBfNV
>>380
正しい道っていうモノは無いよ。
そもそも、悟りがどこから起こるのかも含めて、
悟りが何かみんな良く分かってないからね。
でも、ヒントとして・・・
自分の外に有るもの(世界・観念・概念・言葉等)の中には自己は無いよ。
自分の中に有るもの(思考・感情・意識・想念等)の中に自己は無いよ。
382:神も仏も名無しさん
11/09/14 09:51:39.19 DN38DgkE
全てを味わい尽したら、もう戻る意味も無くなる。
不毛な争いも必要なくなる、飽きるまで味わえばいいよ。
383:神も仏も名無しさん
11/09/14 09:52:30.74 DN38DgkE
誤爆しました。
384:神も仏も名無しさん
11/09/14 14:00:09.62 PJQWfPGY
>>379
「いつでも死ねる状態とは何なのか、どのような状態のことか」
という質問ではなく
いつでも死ねる状態 「のもの」 が暗に認められているが
なんで そこ に それ があるのか てことね
「自分を求める人がいるから生きてる」?
何かに「求められている」というのは、「求められている」というだけ なのに
それが「だから死なない」とか「生きる理由」 などに変換されているのはなぜだろう?
「他人からの評価やニーズの重要度」を不自然に高めているのはなんでだろう?
人から一切求められていないということは、生きる価値がない ということなのだろうか?
なぜそういう考え方をするような、とある価値観の尺度 を自分は握り締めているのだろうか?
この尺度に基づいた先にある、悟りや神や仏?などは、
やはり、それらを最高潮に成し遂げているスーパースターとして描かれている、、、
それが、「その尺度が描き出す」、「その尺度による答え」となっている
ところでそれはともかく「なぜ」そんなことを自分がしているのか(求めているのか)
突き詰めて考えてみるほうがいい、と思う
385:神も仏も名無しさん
11/09/14 14:11:28.43 PJQWfPGY
「きみが持っている価値観の尺度」を否定している、という話ではなくて
どうして、自分はこれをもっているんだろう、と考えてみませんか?ということね
それにより導き出されたものが、間違っているかどうか、ということについては
「その尺度で測れば、間違っていない」し、「別の尺度で測れば間違っている」になる、となる(当たり前にそうなる)
だから1000も2000も価値観の精度を比較しあうことに意味はない
持ち寄った価値観、尺度 の精度がどれだけ高いか、ではなく
なぜ、自分が、とある価値観の尺度を持っているのか?ということに注目していく
そうあること、それを肯定したるものはなにか、なぜそれはそうしているか と
386:神も仏も名無しさん
11/09/14 19:34:49.15 93JGEWFk
>>384-385
そういうくだらないことは考えるだけ時間の無駄。
ま、知ることが悟りだと思ってるんなら、死ぬまで考え続けたらいいんじゃないすかね。
その手の答えは絶対に出ないけどね(あるいは既に出てる)。
哲学的な問いみたいなのは嫌いなんだよね。知の限界を知ろうとしない。
数学や物理などは、本質的に証明できないあるいは確定できないことを認めたからこそ、
飛躍的な進歩を遂げたわけで。
限界を知らない限り、先はないよ。
387:ama
11/09/14 23:50:03.63 FlscDUEZ
>>317
痛みを避けることは体を守るために役に立つからです。
もちろん必要以上に恐れることは役に立ちません。
そこに葛藤があるかどうか、
自分を苦しめるかどうかで分かれます。
388:ama
11/09/14 23:52:14.83 FlscDUEZ
私が申し上げている幻想というのは、
私が創り出している、という意味です。
私がいるからこそ、その痛みはあるのだ、という意味です。
私は、存在しておらず、同時に存在していますので、
痛みは、幻想であり、同時に現実なのです。
悟りは、観るか観ないかですから、
そこにはレベルはありません。
ただ、選択だけがあります。
気づいていない人は気づきたくないだけなのです。
389:ama
11/09/14 23:58:43.00 FlscDUEZ
>>367
はい、赤ん坊には、自分/自分以外、という区別がないと思われます。
動きとか変化といったものが認識できず、一瞬だけを認識していると思われます。
ですからおっしゃる通り、見えるものは1枚の絵のように見えていることでしょう。
名前も持っていませんので輪郭で区切ることもしておらず、
その絵は意味不明の抽象的なものであると思われます。
390:ama
11/09/15 00:01:14.56 FlscDUEZ
そもそも自分という観念を持っていませんので、
絵の中に溶け込んでいるとも言えるでしょう。
そして、もし、私が、世界をそのように観るなら、
面白いことに気づいたりします。
391:神も仏も名無しさん
11/09/15 00:13:31.25 5mik1+B0
>>386
「そこは問うてはならない」が ない という設定は苦手?
圧倒的にバーリトゥードゥよ?
392:神も仏も名無しさん
11/09/15 00:20:57.59 svlxUL9E
>>389
これって想像で書いてるんだよね?
無意味じゃない?
393:270
11/09/15 00:31:11.28 4jRfUIdY
>>390
もしかしたら、世界が世界を見てる?ですか?
394:神も仏も名無しさん
11/09/15 01:23:30.07 svlxUL9E
>>390
面白いと感じる何かがありますか?
395:神も仏も名無しさん
11/09/15 03:11:58.53 NWXQXM4z
自分なんていない
そのことを理解すれば、自分なんて向こうからやってくるっす
396:神も仏も名無しさん
11/09/15 06:40:18.62 MoC9nNUP
>>388
質問なのですが、
悟った後でもテレビを見たり小説を読んだりするんですか?
あるいは、趣味がなくなるようなことはあるんですか?
普段の生活はどのようなことをなさっているのでしょうか。
教えていただけるとありがたいです。
397:神も仏も名無しさん
11/09/15 08:19:26.23 mRvERCnz
解放された気分です
398:神も仏も名無しさん
11/09/15 11:00:12.08 CpTHl1YV
>>1
多くの人が悟れないのは、
悟ることにより個を超えた大きな苦しみが見えてしまうから
だと思うんだけど、どう思いますか?
399:神も仏も名無しさん
11/09/15 11:14:07.99 ZC+SCyP2
>>398
自分の殻を打ち破るのが難しいからだと思うよ。
400:神も仏も名無しさん
11/09/15 13:00:52.48 oR6vSAUh
>>398
>個を超えた大きな苦しみが見えてしまうから
「個を超えた大きな苦しみ」を「見ている」のは(そうしている主体とは)、過去が構築した自我
今(悟り) において、過去が構築したもの は存在しない
401:神も仏も名無しさん
11/09/15 13:09:48.78 OemGF0mf
>>398
むしろ、個を無くすことを、苦しみとして感じてしまうからではないでしょうか
ほんとうは個が無くなれば、苦しみも消える
個の意識が苦しみを作り出すからです
例えば、寝ているときは、苦しみはないでしょう?
要するに、自分で作り出した苦しみに苦しんでいるのが、人間です
それを、理解するのが、見性
それが理解できると、苦しみは苦しみではなく、成長の糧となっていることがわかる
そうやって、理解が進むと、それは、向こうからやってくる
だから、まずは、自分を知ることです
402:神も仏も名無しさん
11/09/15 13:30:41.97 ZC+SCyP2
>>401
>だから、まずは、自分を知ることです
あなたにとって「自分」とは何ですか?
403:神も仏も名無しさん
11/09/15 14:07:41.48 oR6vSAUh
>>401
>苦しみは苦しみではなく、成長の糧となっていることがわかる
苦しみは苦しみ 成長の糧ではない
もし苦しみが苦しみではなく、成長の糧だというなら
その2つの間に 変換を行っている何者かの介在 があることになる
その 介在にとって は、苦しみは成長の糧 となっているのだろうと思う
では、そこに存在している その変換を行った介在 とはなんだろう
また、なぜそれはそこでそんなことを行っているんだろうか
404:神も仏も名無しさん
11/09/15 14:27:54.66 OemGF0mf
>>402
ここで、いう自分は、思考かね
>>403
例えば、苦しみを苦しみとして認識しなければ、乗り越える必要はないよね
苦しみを感じるからこそ、生きる知恵を知る
全て自分で、作り出した苦しみ
その働きは一般的には、自我と呼ばれるものかな?
405:神も仏も名無しさん
11/09/15 14:42:44.49 oR6vSAUh
>>404
>苦しみを苦しみとして認識しなければ、乗り越える必要はない
苦しみを苦しみとして認識 「したとしても」 「乗り越える必要」 が ある のだろうか
なんで 「苦しみ=乗り越えるもの」 という設定がそこにあるのだろう
403でも質問したけど答えてもらってないのが、なんで「そのままのもの(今回は「苦しみ」)」に何か手を入れようとするものがあるのか
そこに存在している その変換を行った介在(手を入れているもの) とはなんだろう
また、なぜそれはそこでそんなことを行っているんだろうか
406:神も仏も名無しさん
11/09/15 15:07:28.35 1q4bokTg
悟りを開くと何が変わるのでしょうか
407:神も仏も名無しさん
11/09/15 15:20:28.97 OemGF0mf
>>405
そうだね、苦しみは乗り越える必要はない
なぜなら、生み出した本人が苦しんでいるのだから
それに気づかなければ、乗り越えたとしても、また、新たな苦しみを作り出す
それは、一生つづく
だから、その設定が、苦しみの元とも言えるね
では、なぜ、そういう仕組みが働くのか?
それは、しらん
もっと、知ってる人に聞いとくれ
その仕組みの名前は、我だと思うが
408:神も仏も名無しさん
11/09/15 15:22:19.24 OemGF0mf
>>406
女にモテモテ
409:神も仏も名無しさん
11/09/15 16:00:03.53 oR6vSAUh
>苦しみは乗り越える必要はない
そうではなく、苦しみに対しての判断が「いかなるものであろうとも」、
「事象a(今回は苦しみ)」 に対し ある何かが、手持ちの尺度を用いて何らかのジャッジを下す、という構造
判断をx、結果をb(成長の糧)とすると ax=b この 構造自体そのもの に対しての疑問だった
a=a では?と そこにおいての介在(判断x)とは何か と
410:神も仏も名無しさん
11/09/15 16:20:03.18 OemGF0mf
>>409
a=aの場合苦しみは生じない
例えば、貧乏=貧乏という認識は、苦しみの入る余地はない
貧乏は、貧乏であって苦しみではない
では、なぜ貧乏=苦しみが成立するのか、と言うと、そこに、自分が介在するから
貧乏×自分=苦しみ
となる
だから、自分というものを知れば、結果は自由自在ということ
成長の糧にするのも、苦しみにするのも、自分しだいってことだ
さらに、その自分というものが、何なのかを見抜けば・・・
おっと、誰か来たようだ。。
411:神も仏も名無しさん
11/09/15 16:46:53.69 oR6vSAUh
>結果は自由自在ということ
しかしこれはあくまで 結果は自由自在ということだ ということに「することができるよ」としている わけで
もとにあるものは 貧乏=貧乏 であること に変わりはない
「貧乏」は、やはり一歩も動かずそこにそのままある
「貧乏」に対し、別の異なる解釈の「介在」を入れてネガをポジに捉える が可能だ ということではなく(ちなみに可能と思う)
そんでその結果が良いか悪いか ということではなく、「そのような構造から出された結果のいかなるものにも疑問」 という場合
その人は、その根本構造 をまな板にのせる のではないだろうか
これは一体全体まとめてひっくるめてどういうことだ、一体なにをしているんだ と
412:神も仏も名無しさん
11/09/15 17:09:18.30 OemGF0mf
>>411
その通りだよ
どうにもできないことがわかったら、
自分をまな板の上にのっけて、食べてしまえばいい
413:神も仏も名無しさん
11/09/15 17:52:46.46 PhFqD6Ys
スレ主は凄いと思います。
感情や思考などの概念による混乱を脱しておられますから。
ですが
>>226
> ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
このあたりに、思考や感情に巻き込まれないのは、もう単純に体にだけ巻き込まれ、
体によって自我というものが形つくられているからではないかと思います。
どちらにせよ大部分の混乱から脱せられ、悩みなくこの世に対処してゆく知恵をユーモアたっぷりに伝えるスレ主の
存在は大変に、美味しいです。心地よいです。
体によって作られた自我というものが無ければ、私に始まりも終わりもないでしょう。
あえて自殺行為しないのは当然ですが、もし死が訪れたなら私のない存在であったなら苦しむ人が不在なのでそこには何もないでしょう。
(これは私の手に余ることなので推論ですが、私がないのに、痛がる怖がる主体がないのに痛みと恐怖があるのはおかしい)
ある大きな束縛が死んだ。私の大部分が死んだ。
でもまだ私が残っているということはある。
更なる気付きにくい前提が残っているということはある。
こんな感じではないでしょうか。
そもそも悟りがあったりなくなったりという正直なお話があるので悟りではあっても
話に聞く光明とは別のものであり、それは完全な自由ではない。
完全ではなくてもすごく自由であるのは確か。
ps私は生きる知恵があんまりないのでいろいろ教えてくださいね。
414:神も仏も名無しさん
11/09/15 20:39:32.92 MZlJyHwY
死んだら終わりなわけないじゃん、終わりならお盆も信じないで先祖供養もしないし
墓参りだって行かない。命日だってなにもする必要ないし、肉親の3回忌だろうが10回忌だろうが
なにもしなくていいのかい
415:神も仏も名無しさん
11/09/15 20:56:44.90 5OPPhf6y
そういう信仰をもつ奴はすればいい。
無い奴はしない。
むしろそういう信仰は一部だと知れ。
416:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:00:33.98 MZlJyHwY
>>415
神も仏も信じてないお前のような奴が宗教板では一部だと知れじゃないの
417:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:04:32.00 MZlJyHwY
>>415
お盆に先祖供養をする人や自分の親や子の命日に仏壇に祈る人は国民全体でいえば
お前が考えるに一部だと知れになるのね。国民の何割位に相当するのが一部と称されるのか
教えてくれ
418:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:06:17.73 JII/q17N
>>414
よく読んでいけば>>1が「死んだら終わり」と言っている意味がわかるのではないかと。
>>415-417
チベット死者の書だと49日間だけだし
日本仏教(全宗派かどうかはしらんが)は50年くらい供養しろと言うし
大阪のおばちゃんで「死んだら終わりやで」っていう人を見たことあるし
まぁ色々あるってことで
419:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:07:11.20 5OPPhf6y
神なぞ信じてない。
神という実在を信仰する人がいることと、神と名付けたくなるようなものがあるのだろうということは認める。
仏とは仏陀=目覚めたもの、のこと。
420:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:08:33.87 5OPPhf6y
>>417
知るか。w
日本人だけが人間じゃない。
421:413
11/09/16 00:56:35.29 r2357Qfg
>>226
> ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
さて、ここは面白いのでさらに突っ込んで検証してみます。
まず、生命=私という前提があるように思うのですが、生命=私という確実な証拠はありません。
生命と私が別個である可能性はあります。
ブッダ達は別個だと仰いますが、私は実際に別個だと見極めたわけではないのでよくわかりません。
①体が死んでも私は死なない
これは過去生の記憶を持っている人やブッダが証言できる
②体が死んだらどうなるかわからない
これも非常に誠実であり知性的な人間なら発せられる声明です
しかし
③体が死んだら私と私の作った世界は消える
という声明は不可能なのです。
死んだことないのにそれについて論じるのは不誠実ですし、もしこれがその通りなら死んだら帰ってこれないので
実体験した後でこの声明を出すのも不可能なのです。
経験した上での声明ということでしたら①と②の声明しか出すことは不可能なのです。
ゆえにこの声明③は実体験の伴わない思い込みであるほかないのでは。
422:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:20:39.67 nP5ifS/y
>>421
所詮は机上の空論。
全てが根拠のない憶測に過ぎない。
423:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:21:35.85 kSB96hhZ
神がいるとするのなら、神でないものが生まれる
この世一切が神であるとするなら、神はいるのであろうか?
424:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:52:00.16 le/s94fc
仏陀が生命と己が別個だと言ったなんて聞いたことないけど
425:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:56:20.94 le/s94fc
過去世の記憶を持っている人間がいる=過去世の証明になる訳ないじゃん
過去世体験者の体験が夢や思い込みでないなどと言う保証はないのだから
426:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:57:13.73 kTDX+H/Q
仏陀さんこんばんわ。 カップラーメンでは何が好きですか?
427:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:58:37.47 kSB96hhZ
ちきんらーめん
428:神も仏も名無しさん
11/09/16 02:01:27.94 le/s94fc
何故1が死んだら世界も消えると断言するかというと、我々が見ている世界とは幻想だからなんだよ
世界とは私があるから存在する
これは死ななくてもわかる。
我々の世界とは記憶や思考などで成り立っているのだから
記憶や思考をしている私が消えればその世界も消える
これは当たり前の事
瞑想というのは記憶や思考を捨てる事でもあるので、ある意味では死=世界崩壊の体験なんだよ
429:神も仏も名無しさん
11/09/16 02:09:54.60 kSB96hhZ
私もまた、世界があるから存在するのだけどね
430:神も仏も名無しさん
11/09/16 03:22:26.02 kSB96hhZ
私が記憶である、とするなら、
私はあなたでもあり、あの娘でもあり、神でもあり、宇宙人でもあり、放射能でもあり、くっさいおならでもあり、あれでもあり、それでもあり、これでもあり、ということか・・・
記憶される前、たった今には、私はいないということになる
431:神も仏も名無しさん
11/09/16 03:30:43.98 kSB96hhZ
そこにあるのは、、、縁?
432:ama
11/09/16 06:52:03.08 PG8hUdOt
>>392
はい、これは想像で書いています。
無意味かどうかはそれが役に立つかどうかで分かれます。
433:ama
11/09/16 06:53:32.72 PG8hUdOt
>>390
私が世界ですから、おっしゃる通り世界が世界を見ているとも言えます。
434:ama
11/09/16 07:00:46.56 PG8hUdOt
>>394
私がいて同時にいないということや、
世界が私であるということです。
たとえば「色即是空」であり同時に「空即是色」である、
などということは論理的に破綻しており、
それまでは意味不明だったのですが、
「ああこのことを言っているんだ」と分かったときは、
とても面白かったです。
論理自体がはじめから壊れていたんですね。
435:ama
11/09/16 07:16:04.81 PG8hUdOt
>>396
人それぞれだと思います。
私は、テレビはほとんど見ませんが、
映画や本や漫画やアニメは好きです。
悟って趣味がなくなることはありません。
悟る前と同じ生活をしています。
ただ、悟ると、わざわざ自分を苦しめる選択はしなくなります。
葛藤や薄ら寒さをあえて選びません。
436:神も仏も名無しさん
11/09/16 08:27:31.66 bUJNQa1E
>>432
悟りに関する限り、
想像が役に立つことなど無いと思いますが?
437:神も仏も名無しさん
11/09/16 08:30:09.59 bUJNQa1E
>>435
>ただ、悟ると、わざわざ自分を苦しめる選択はしなくなります。
悟ったのに、まだ選択をしているの?
438:396
11/09/16 09:52:10.51 qEpfwgAp
>>435
ご返信どうもありがとう。
予想通りというか、どうやらあなたは「空」を悟ったわけではないみたいね。
一応、言っておきますけど、「色即是空 空即是色」は間違ってませんよ。
このように二つ並べるってことは、色(ある)と空(ない)が、表と裏の関係にあることを言っているんですよ。
「表は裏である」と同時に「裏は表である」。
要するに、表は、表から見れば表だけど、裏から見れば裏となるってこと。
「表は(裏から見れば)裏である」「裏は(表から見れば)表である」
絶望(苦しみ)があるのは希望があるから。希望があるのは絶望があるから。
望みを叶えることが不可能となれば、希望が絶望に変わる。
絶望の中に光を見い出すことができたら、絶望が希望に変わる。
苦しみをなくすためには、希望や絶望を生む原因となっている煩悩(欲)を捨てるしかない。
欲を捨てたら人生がつまらなくなる(鬱状態のようになる)、と誤解する人もいるようだが、それは正しくない。
欲というのは捨てても、あとからあとから涌いて出てくるものなんだよね。
食欲と一緒。しかし、無欲の状態であれば、粗食ですらありがたいと思うようになるんだよ。
439:396
11/09/16 10:08:04.73 qEpfwgAp
訂正
誤:「表は(裏から見れば)裏である」「裏は(表から見れば)表である」
正:「表は(裏から見れば)裏である」「裏は(裏から見れば)表である」
「表は表から見れば表」
「裏は裏から見れば表」
「表は裏から見れば裏」
「裏は表から見れば裏」
440:神も仏も名無しさん
11/09/16 11:58:19.96 bUJNQa1E
>>438
>予想通りというか、どうやらあなたは「空」を悟ったわけではないみたいね
「空」は悟るものじゃないよ。
悟ると「空」に見えるんだよ。
441:神も仏も名無しさん
11/09/16 13:02:47.87 j7lOgzp0
>>438
「悟る=無欲になる」という「尺度」を握り締めているように伺える
「無欲」というものを持つには、「その反対のもの(貪欲)」がなければならなくなる それは同じものだ
無欲も貪欲も、「尺度」を用いたから発生したものであり、「尺度がない」という理解の下に、いずれも存在しない
>粗食ですらありがたいと思うようになるんだよ。
粗食は粗食 そこに「ありがたい」などない
粗食をありがたがる ためには 「粗食をありがたがるために用いる尺度」 が必要となる
それは、思考の介在 を意味している と思う
442:神も仏も名無しさん
11/09/16 13:53:30.09 j7lOgzp0
これまでもこれからも 今 しかなく、今 の中には、過去(思考)が入り込む余地はない
過去のフィルター(思考、自我など)を介在させて出会うありとあらゆるもの は、フィクション である
それが 良いものであっても 悪いものであっても、「介在があってのもの」ならば、そこに一切の差は ない
というのも、良いも悪いも 介在 が定めたもの(これもまたフィクション)に過ぎないから
「無欲に生きる」ということは、常に「無欲」という「精神的構造物(製作者:過去)」を介して生きることではないだろうか
それは 今に生きている ということではないのでは
より居心地の良さそうなフィクションへの乗り換え、、、
さあどのフィクションで生きようかな、ということ
最良のフィクションを追い求めること これらが 生きる ということだろうか
443:神も仏も名無しさん
11/09/16 14:01:56.40 j1xRAgvT
仏が存在することの無い悟りはこれだから
堂々巡り頑張って
444:神も仏も名無しさん
11/09/16 14:33:02.71 kX+ppy7X
禁煙ってのは喫煙することの代わりに禁煙を持続することじゃなくて
喫煙・禁煙という問題自体がなくなること。
有無の無。
445:神も仏も名無しさん
11/09/16 14:33:37.14 kSB96hhZ
フィクションですら無いとしたら、どうだろう?
446:神も仏も名無しさん
11/09/16 14:36:26.10 r2357Qfg
>>1
413 422はあなた宛ての力作なのでお相手してくださいな。
レスしていただいた方は答えは既にあるか意味を読み違えているかのどちらかなので
もう一度読まれるのもいいかと。
447:神も仏も名無しさん
11/09/16 14:44:25.72 r2357Qfg
413 421
でも、難しくてよく意味が頭に入らないということならそういうお答えでもいいです。
448:神も仏も名無しさん
11/09/16 15:56:01.61 bUJNQa1E
>>446
意味が判った上で答えているんだが・・・・・
根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
449:神も仏も名無しさん
11/09/16 16:06:33.41 kSB96hhZ
ノンフィクションドラマって、ほんとは、フィクションなんだって知ってた?
脚本作って、役者集めて、撮影する
全ては、作られた世界
ノンフィクションというフィクション
全ては、ドラマ
450:神も仏も名無しさん
11/09/16 16:21:25.63 5+x9sB/T
>>446
たまにだらだらした長文でああだこうだと書いてるのは私で、私は1とは別の人間です
1が書いたレスについての質問は、1が答えてくれると思います
451:神も仏も名無しさん
11/09/16 16:48:26.06 r2357Qfg
≫根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
413は自身の体験の話ですし、421では一切の推論をしていないですよね。
徹頭徹尾推論や実体験の伴わない信念にしがみつくことを否定するような内容になっています。
虚偽から離れるための分析をしているところにいただく言葉としては筋が通りません。
≫根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
そう思っているうちは推論は止まないでしょう。
やめるのであれば結論のためでもなく、推論への反発でもなく、ただやめることです。
推論は否定されるものではなく、自分が行っているそれを理解してゆかねばなりません。
あなたは本来不在である推論と敵対してしまっている。
すると相手の書き込みに対応しないオウムのような批判を繰り返すことになる。
452:神も仏も名無しさん
11/09/16 17:00:38.85 bUJNQa1E
>>451
批判じゃなくてアドバイスのつもりなんだけど。
453:神も仏も名無しさん
11/09/16 17:50:40.03 r2357Qfg
≫根拠のない推論をいくら続けても、
結論にはたどり着かないよ。
これは実体験からくる、そして他者の書き込みに感応したスートラではなく、
単なる知的結論なので知的結論の弊害しかないんですよ。
たとえあなたが実体験していたとしても、この文章は害になります。
実体験してたらこんなこと言わないでしょうし。
百害あって一利なしです。あなたにも、周りにも。
実際の思考の観察、実際にとらわれている思考を看過しそれから自身や他者を解放する働きが大切です。
≫批判
人は目覚めない限り、自分自身の中にある悪い部分やまた仮想の悪を他人に擦り付け、
他者を批判したり、助けようとしたりします。
攻撃的な場合も多いのですが主観として他者を助けてあげたいと思っているケースも多いのですよね。
ちなみに人はそのアドバイスが的確でなければまず批判という印象を持ちますし、
的確だった場合は一部のの誠実な人を除いてもっと批判的にとらえ反撃することでその指摘を
吟味しないようにします。
ありがとう。そうだよね。
一見批判と思われるものの結構な割合は善意のアドバイスなんですよね。
虚偽の2元性という精神の構造としては批判も善意のアドバイスも同じなのだけど。
こちらを理解しないでしかも単品でみても有害な言葉を受けた際普通人はそれを非難と受け取る。
しかし、私に理解があり自我から自由であれば、他者の迷いからくる親切があるだけだ。
私までそれを批判として受け取る必然性はない。
しかしどこでも述べていないことに対して反論やアドバイスを受けるね。
451は批判ではなく助言に書き直します。
そして受け取る側は批判として認識するのでご注意ください。
(まともな人は外れたアドバイスを非難と受け止めますし、普通の人は的確なアドバイスほど批判だと認識します)
454:神も仏も名無しさん
11/09/16 18:14:07.63 gd9WpVLk
今の人間は厳しい受験戦争の末
学問を究めるというよりいかに狡く究めるかの方面に逢着しており
群衆を集めれば人の足を引っ張ることには事欠かない。
455:神も仏も名無しさん
11/09/16 18:29:27.96 kSB96hhZ
未知のものを、既知の領域で説明するのには、限界があるのでしょう
宇宙の果ての事は誰も正確には、説明できない
もし、あなたが、宇宙の果てを見てきて、説明したとしても、それは、宇宙の果てそのものではない
言葉には、限界がある
言葉は、実体に張ったラベルの様なもので、それそのものとは、性質が違う
バナナに張ってある、小さくフィリピンbananaと書いてあるシールは、
バナナを表すがバナナそのものとは違う、食べられない
456:a
11/09/16 21:01:28.97 3VClRxED
阿含経の止息法と「深秘法」 北澤米吉著と
金剛頂ユガ中略出念誦経第三 一切成就三摩耶契の関係の秘密を世界に公開する男
457:ama
11/09/17 06:27:05.14 6wCyD69i
>>398
多くの人は悟れないのではなく、
悟らない、つまり悟りたくないのです。
悟りとは別のものを追い求めているのです。
458:ama
11/09/17 06:37:00.06 6wCyD69i
>>406
精神的な自由を得て、生きることが楽になります。
自分という中心がはじめから存在していなかったことが分かります。
459:ama
11/09/17 06:40:59.71 6wCyD69i
>>421
言葉が足りませんでした。
もう少し正確に申し上げると、
「死んだら終わり」ではなく、
「死んでも変わらない」です。
ただ、そのように申し上げると、
なんだか死んだ後に自分が存在するようにも受け取れるので、
「終わり」と申し上げました。
私は、はじめからいないのですから、
死んだ後も私はいないのです。
その意味で、「私は死んだらどうなる?」の答えは、
正確には「何も変わらない」となります。
460:絶対神
11/09/17 06:44:49.45 L79NeAqH
>>459
「じゃあ、今、この掲示板に書き込んでいるのは誰?」ww
『仏教って一瞬で突き崩されてしまう下らないものだと思うね』(大笑)
「存在もしないものは「書き込めない」よ、当たり前だけどね」
461:絶対神
11/09/17 06:45:53.32 L79NeAqH
「で、変わらないのなら」
『死んだあとも2chに書き込めるんだよね』
「お前は」(大笑)
「小学生も騙せない、嘘いうんじゃないよ、馬鹿!!」
462:絶対神
11/09/17 06:49:12.55 L79NeAqH
「神のごとき絶対的自己がないというだけの話であって」
『自己そのものはあるに決まってんだろ』w
「私、ホントに仏教って下らない宗教だと思う」
争いや憎しみを否定したところからは、何も生まれないと思うよ
何も出来ないし、何も動かない
『現実を否定してもしょうがないんだよ』
463:ama
11/09/17 06:54:06.05 6wCyD69i
>>436
おっしゃる通り、悟る瞬間は極めて体験的な瞬間であり、
確認的な瞬間ですから、一切の想像は役に立ちません。
一方、そこに至る寸前までは、
ありとあらゆる思考を道具として役立てることが出来ると思います。
何が役立つかは人それぞれで、
それが哲学することだったり、祈ることだったり、
議論することだったり、神秘体験をすることだったり、
まあいろいろですね。
464:ama
11/09/17 06:56:37.95 6wCyD69i
>>437
悟っても選択します。
465:ama
11/09/17 06:59:59.28 6wCyD69i
>>446
はい、どの部分にお相手すればよろしいでしょうか?
466:絶対神
11/09/17 07:59:48.53 L79NeAqH
「つまりねえ」
『仏教には、「現実」を「現実」と認識できる「深刻さ」がないの』
「オウムも「この世は幻」っていう仏教の教説を真に受けてあんな事をやった訳」
『幻じゃないの、現実としてあるの、一度やっちゃったら』
「取り返しがつかないの」
仏教ってどこまでいっても、「学芸会」というか「お遊戯」的な要素が抜けきらない
宗教だと思う
『永遠に取り返しのつかない事はこの世界にはあるのよ』
この世を幻なんてうそぶいてよい資格があるのは、「神様」だけだと思うよ
467:神も仏も名無しさん
11/09/17 12:02:05.54 uYM/asah
>>459
「言葉が足りませんでした」じゃなくて「間違ってました」でしょ。
「死んだら終わり」「終わり(がある)」といっておきながら、
そこを突っ込まれると今度は「はじめからいない」「終わり(はない)」。
言ってることが完全に矛盾してますよ。
「悟りを開いた」とかいっておきながら、結局「悟りなんてない」んでしょ?
「私はいない」のであれば「悟りもない」ってならなきゃおかしいでしょ。
それなのに「悟りを開いた(悟りはある)」ってどういうことなの?
468:神も仏も名無しさん
11/09/17 12:37:41.55 uYM/asah
俺はいままで「いつでも死ねる状態」が「悟り」だと思っていたんだが、
もしかしてそれとは別の「悟り」があるんじゃないかって思い始めた。
「絶望をなくすには希望をなくすしかない」「絶望と希望の両方がなくなれば空になれる」
というのは間違ってないと思う。こちらは、いうなれば「無の悟り」であろう。
それと対に成るのはおそらく「有の悟り」。望みがすべて叶うということだ。
「現実の世界」ですべての望みを叶えるのは不可能だが、「夢の世界」ではそれが可能となる。
夢を現実化することができれば、無上の幸せを得ることができるだろう。
それを行うのが、夢見術や瞑想といった類のもの。
つーことで、これからは夢のコントロールに励むことにするわ。
チャネリングもやってみっかな。
469:神も仏も名無しさん
11/09/17 13:34:29.10 WbevEfXN
>>467
おもしろいね。
amaさんがどう答えるか俺も知りたい。
正直に答えるかな、それとも誤魔化すかな。
470:神も仏も名無しさん
11/09/17 14:35:57.19 tfBbgm7Y
何もない ということ理解するのがそんなに難しいんかの?
言ってることがあまりにも単純すぎるから、逆に分かりにくいのかな
少し難しい位の方がよく理解できることってあるのは分かるけど
471:神も仏も名無しさん
11/09/17 14:43:56.26 tfBbgm7Y
1、今 しかない
2、今に何もない
これがどう分からない?
472:神も仏も名無しさん
11/09/17 14:52:16.00 WbevEfXN
>>470>>471
アンカー付けないと、誰に対するコメなのか判りにくいよ。
473:神も仏も名無しさん
11/09/17 15:34:37.50 4t+X9zpV
>>459
ふーむ。
ただ違和感としましては、終わりがないなら始まりがないことに言及すべきで、
あなたは終わりがないと言っておきながら始まりがあるような前提を持っているように見えます。
刻々の始まりと生まれの瞬間に目覚めることによって始まりがないということを刻々と体験しているなら
それを言い忘れたりニュアンスに含め忘れたりするだろうか。
始まりもなく終わりもないと祖師は言うので、とりあえず私は始まりと終わりを見逃さないよう努めています。
うーん。スレ主さんの実際の力量は相当のものでそれが伝わってくる流れにも持っていきたいのですが、
どうも自分が得ているものを拡大解釈している気がしてそちらを突っ込んでしまいますねえ。
474:神も仏も名無しさん
11/09/17 15:42:46.50 4t+X9zpV
これは私自身の体験でもなければ、私のタイプに起こる体験でも道のりでもないのですが、
スレ主の過去と未来を指し示しているように感じたのでOSHOのTAO永遠の大河4巻から要約してお伝えいたします。
以下の内容があなたの過去に似ていたり、もしくはここで書いてある次におこることまであなたに起きていたのであれば
あなたなりの言葉でそれについて語っていただけないでしょうか。
ここで描かれている達成と最後の束縛は私のタイプと違うのであんまり詳しく語れません。
どうみてもあなたは目覚めた波動、自我に深刻でない知性とユーモアがあっても、光明の人にある不可思議な響きはない。
無理して以下の内容をを理解しようとしないで道の挑戦として受け取りに光明まで駆け上がってほしい。
死が起こりその中で目覚めを失わなかった。
今までにない目覚めの質とともにあり、また生命エネルギーは滞りなく流れる。
あなたはまったく自由だ。
しかしここにも2つの可能性がある。
人は快楽に、生に同化してしまうのかもしれないのだ。
あなたは家の近くまで来たがもう達成したと思い込む。
最後の瞬間にあなたは生と同化してしまった。
だれが死などと同化したがるだろう。
幸せに満ちた生を送れるかもしれないが至福は起こらない。
至福は原因のない幸福のことだ。
生に同化せず、
生が起こる瞬間に目を見張っていられたならば、人は生をも超越するだろう。
そうしたところに至福はある。原因もなく何の要因もない至福が。
あなたに至福が起こるのではなくそれがあなた自体なのだ。
475:神も仏も名無しさん
11/09/17 16:05:08.60 fJaLHKRH
批判よりどうやったら悟れるか聞いた方がいいよ
せっかく悟った人がいるのだから
476:神も仏も名無しさん
11/09/17 16:22:08.73 WbevEfXN
みんなamaさんが悟っている事は認めているんだね?
477:神も仏も名無しさん
11/09/17 16:29:01.46 fJaLHKRH
1さんへ
質問です。
歩行禅をする場合、歩行のみに意識を集中させるべきですか?
景色とかは他の感覚には気を取られない方がいいですか?
釈迦も修業者に歩く事を進めましたが、そもそも何故歩く事を観る事が悟りに繋がると思われますか?
478:神も仏も名無しさん
11/09/17 16:32:12.46 tfBbgm7Y
>>471
このレスに心当たりある人に対して
479:神も仏も名無しさん
11/09/17 17:20:29.52 fJaLHKRH
黒澤明が自分の映画の事を「写真」って言うんだよね
「いい写真が取れた」と。
一瞬の美を追い求める黒澤監督と悟りの境地とはは何か関係があるような気がするね
画家も何の変哲もない街角や植物の一瞬の美を描いたりしてるじゃん
我々は画家の作品によって「朝顔とはこんな美しかったのか」とか気付くのだが
これも悟りの目と関係があるような気がする
我々は一旦記憶すると、同じ対象を二度と見ないという。
つまり朝顔を見てるつもりでも見てない。
画家や悟った人は「記憶」から自由になっていると言えるのかもしれない
480:神も仏も名無しさん
11/09/17 17:21:38.33 uYM/asah
>>476
俺は認めてないよ。
本人は悟ったと思い込んでるみたいだけど、おそらく偽りの悟りだろうね。
>>434-435、の書き込みでほぼ確定したよ。
481:神も仏も名無しさん
11/09/17 17:28:56.10 fJaLHKRH
21世紀初頭のこの風景も三十年後にスタジオジブリとかがアニメ化したらえもいえぬ風情のある風景なんだろうな
目の前を横切って行く自動車や買い物帰りのおばちゃんやこの夕焼けなども皆、神懸かって美しいのだろう
しかし我々は見慣れ過ぎて美しいと思わなくなっている。
考えてみれば我々一人一人が映画の中の登場人物の如く、この美しくはかない世界の中で今まさに生きているというのに
482:神も仏も名無しさん
11/09/17 17:35:58.77 fJaLHKRH
北野たけしの映画って
例えば「ダンカン」とかが売店の前でしゃがんで
アイスとかを食ってる風景をただ何となしに取ってたりするじゃん
それが何故かフィルムで見ると癒されるんだよね
しかしそれってどこにでもありそうな風景じゃん
しかし映画として見ると凄く面白い。
日常をまさに映画を見るように味わって生きる事が出来たら最高だと思うよね
アイス食ってるだけのダンカンにすら、我々観客は限りない愛情を注ぐ事が出来る訳で、だったら日常生活の全てが楽しくて仕方がないはず
街角でただアイスを食ってるだけで限りない幸せを感じてもおかしくないんだよな
483:神も仏も名無しさん
11/09/17 17:45:01.20 fJaLHKRH
とか書いていると烏が「カァカァカァ‥」と鳴きながら西の空に飛び去って行ったが、こんなシーンも映画で見ると、美しいんだろうな
映画を見ている時は我々は映画そのものを楽しもうとしているが
日常生活では我々はビジネスの事とか家事や育児などを考えて、必要な情報だけを見ている。
つまり烏の存在などどうでもいい訳だ
しかし映画を見ている時は育児や仕事の事を忘れてその映像に没頭している。
だから「アイスを食ってるダンカンってなんて美しいんだろう‥」と思える訳だ
要は悟りとは、日常生活を全て丸ごと味わって楽しむ事じゃないでしょうか
省略せずに
1さんはどう思われます?
全然関係ないですか?
484:神も仏も名無しさん
11/09/17 22:01:19.69 fJaLHKRH
この世が幻想であることについて1さん語って下さい。
485:ama
11/09/18 09:26:33.92 WsBY1zJ4
>>460
> 「じゃあ、今、この掲示板に書き込んでいるのは誰?」ww
私です。
486:神も仏も名無しさん
11/09/18 09:42:07.00 8u1xzHab
>>485
悟りを開いてなにか所謂霊能力の様な物は手に入ったの?
487:ama
11/09/18 10:10:02.17 WsBY1zJ4
>>467
>>187と>>188で、
「私はいて、同時にいない」と申し上げていますが、
これが矛盾しているというご指摘でしょうか?
死んだら私が終わりますが、
実は生きているときから私は終わっている(つまりいない)のです。
いないものは終われないのですが、
実は、いないからこそ、死によって終われるのです。
もし、私が、存在していれば、死んでも終わることは出来ません。
初めから私はいないのに、
それが終わるというのが奇妙に思えるかもしれませんが、
それが幻想の幻想たるゆえんです。
死んだら幻想である私は終わりますが、
そもそもそれは幻想なわけですから、
死んでも何も変わらないのです。
「私はいて、同時にいない」とはそのような意味です。
488:ama
11/09/18 10:12:11.16 WsBY1zJ4
>>467
> 「悟りを開いた」とかいっておきながら、結局「悟りなんてない」んでしょ?
> 「私はいない」のであれば「悟りもない」ってならなきゃおかしいでしょ。
> それなのに「悟りを開いた(悟りはある)」ってどういうことなの?
私がいないことに気づくことを、悟りと言っています。
489:ama
11/09/18 10:15:52.69 WsBY1zJ4
>>473
こちら>>487が答えになっていますでしょうか?
490:473
11/09/18 11:15:25.46 68gQmhpx
>>489
申し訳ないですが正直質問の方向性や質が異なるのでこれは質問の内容に対応して
お答えいただかなければ答えになりません。
473 続き
≫私は、はじめからいないのですから、
≫死んだ後も私はいないのです。
≫その意味で、「私は死んだらどうなる?」の答えは、
≫正確には「何も変わらない」となります。
はじめからいないのであれば
「死んだらどうなるという質問」には
生まれていないので死ぬこともない
という答え以外ありません。
「死んでも何も変わらない」
って、生まれていないはずなのに何が死ぬんですか。
無意識で活動している自我があるから死ぬという観念を持てるのではないでしょうか。
≫実は生きているときから私は終わっている(つまりいない)のです。
「終わる」とはなんですか。
始まっていなければ終わることはできません。
私はないと口では言いつつ、無意識では私の始まりを意識しており深いところでは私があるということを知っているからでないと
終わるとおっしゃることは不可能です。
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11/09/18 11:16:04.48 68gQmhpx
結局無意識では自分は生まれている自分はあるという思考の活動が進んでおり、
表面意識で自分はいないと思い込んでいるからこういったずれが起きるのです。
(理解しているが、理解したつもりの人がやってしまいがちな間違いをしたという可能性もあるのですが)
不生不滅、ブッダはかつて存在したことがない。
知識の上でもこれは有名な言説です。もちろんこれは実際には違うというのはいいですが、
悟りと言っておきながらブッダに反しておいてそれに言及しないのも変な話。
≫「私はいて、同時にいない」とはそのような意味です。
もうやめませんか。
あなたは事実としてで生きているはなく、「そういう意味をあるがままの世界に与えている」
ということを白状してしまっています。
それは意味を超越した類の事柄です。
思考も私も超越したことにおいての意味を伝えることは害悪でしかありません。
言葉を通じてあるがままの無形なる真理を伝達するならともかく、「意味」
などという個人、私の迷いを伝えてどうするのですか。