悟りを開いたことあるけど何か質問ある?at PSY
悟りを開いたことあるけど何か質問ある? - 暇つぶし2ch150:神も仏も名無しさん
11/09/06 22:59:59.86 3nsJ+6Zo
>>148
真理体験じゃなく真理そのものを語って欲しいわけですよ。

151:偽イルミナティ
11/09/06 23:06:18.81 GEJdfr5O

818 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/02(金) 23:44:18.47 ID:XsTKW2wY
この世界の秘密をしってるよ

君は死ぬとき0になる
過去の記憶、今ある記憶、そして未来の記憶
これらも全て0になる

君というアイデンティティ(君の人生の全ての記憶)は保たれない
あってないに等しい存在なんだよ
目の前に広がる世界は幻と同様で色即是空なんだ

ビッグバンから始まるすべては最初から無なんだよ
なぜなら全て無へと変換され、この星の存在さえも消えて無くなる
夜眠る時に見るビジョンは暗闇ではなく
極限量の強い光の為、精神の許容量をオーバーして認識できないだけだよ
この世界は光の中にあるんだよ

152:偽イルミナティ
11/09/06 23:07:29.08 GEJdfr5O
821 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/03(土) 00:00:54.82 ID:XsTKW2wY
悟りという概念さえも
全て0に等しいんだよ
この世界の全てを知る行為は
この世界の全てが0で構成されている事を体験する事だよ


153:偽イルミナティ
11/09/06 23:08:18.84 GEJdfr5O
942 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/03(土) 22:26:45.54 ID:YHywnt+Q
その全ての理を逸脱した存在って
宇宙の始まる前と宇宙の終わりの間でも消えない存在の事だよ
でもそこにあるのは0じゃない単純に光だよ
ただそれはこの世の全てと同じそんざいで
それがこの世界を構築してる
色即是空の概念を超越した所にある創造主というか
生き物の概念や霊体の様なキャラクターの概念を逸脱した光だよ
その光によって自身や宇宙も構築されていて
光もまた自身や宇宙で構築されている一つの物である事を体験する事が悟りだよ
それは臨死体験時にみる光と同じ種類の物だよ

154:偽イルミナティ
11/09/06 23:12:55.12 GEJdfr5O
947 : 偽イルミナティ [sage] 2011/09/03(土) 23:03:26.24 ID:YHywnt+Q
この世の全ての生命はその存在の消滅によって全て光りに取り込まれ光になる
あらゆる全ての生き物は0と等しくなって悟りを開くよ
自身の存在を保った状態で悟るのはレアケースだと思うけど  
別にそれで何か偉い訳でも特別な意味がある訳でもないよ
ただ悟る事を至上の事だと認識してる人がいるなら
ほうっておいてもその時は必ず来るよ

155:神も仏も名無しさん
11/09/06 23:21:21.21 MYXWZM14
仏教とキリスト教の中途半端な混合のような非常に観念的な思想に見えます。
もうそういうのはお腹一杯。


156:偽イルミナティ
11/09/06 23:22:11.78 GEJdfr5O
科学的にもそのうち立証されるよ

157:神も仏も名無しさん
11/09/06 23:22:29.60 WcilnjU5
世の矛盾を一言で言うと?

158:偽イルミナティ
11/09/06 23:25:55.10 GEJdfr5O
この世の中に消えない物はないよね
この星も同様にいつか消える宿命だよ
地球がくだけ散った空間に、あなたの言うこの世の矛盾が残ってると思う?
仏陀という個人の悟りが残ってると思う?

159:神も仏も名無しさん
11/09/06 23:28:57.13 MYXWZM14
私は声聞だけどそれを恥じない。なぜならちゃんと教学を学ばないと「へんてこ神秘体験」を悟りだと勘違いする危険性がある。
1さんが「悟った」のは悟りの知識があったからだと思います。


160:偽イルミナティ
11/09/06 23:51:13.36 GEJdfr5O
仏陀はどうやって真理を真理と悟ったんだろうね

161:神も仏も名無しさん
11/09/06 23:59:30.43 WcilnjU5
真理を簡潔に説明してください

162:神も仏も名無しさん
11/09/07 00:07:07.65 apE6AF+1
仏陀は真理という漠としたものを求めた訳ではなく「苦を滅却する方法」を求めた訳で、もし瞑想中に「20何世紀に次元が移り変わり‥」とかいうトンデモ思想が去来しても「それは苦を齎す道やな」と一蹴したと思われる。


163:神も仏も名無しさん
11/09/07 00:08:45.66 Z4CZfDSz
苦の定義は

164:小林白蓮
11/09/07 00:30:06.10 +m3UQG0E

※釈迦の出家の理由は主として三つありました。

 ①第一の理由は、内なるささやき、心の内のうずきです。生来の資質、
        天命の予感と言ってもよいでしょう。

 ②第二の理由は、宮中の他の人々は、出家者たちの話に非常に心を打たれ、
        心を動かされていたのですが、ゴータマだけは、彼らの
        話だけではどうしても納得がいかず、「彼らがやっている
        ことは、実際、何なのか。ほんとうの悟りとは何なのか」
        ということに対して、強い哲学的衝動を持ったのです。
        これが、出家の根本の理由です。

  ③第三の理由は、「ひとりになって自分を見つめたい」という気持ちが
        強かったことです。


  以上、「釈迦の本心」経典書籍大川隆法著より一部抜粋しました。

  上記の①から③までの出家の主な動機の理由があって、「本当の悟りとは
  何なのか」納得し、腑に落ちるまで、悟りの真理を妥協なく追い求めた結果、
  納得のできる悟りを開いて、仏陀の悟りを得たと思います。 

165:神も仏も名無しさん
11/09/07 00:30:56.95 apE6AF+1
定義はその時代によって変わると思う。
釈迦以降仏教徒の間では苦とは十二因縁による依存現象であり、私ならばある種の観念や出来事に対する苦痛を伴う生理反応とでもするかな


166:神も仏も名無しさん
11/09/07 00:42:05.37 Z4CZfDSz
悟りの定義は

167:神も仏も名無しさん
11/09/07 00:47:36.87 apE6AF+1
知らなかった法則に気づくということではないでしょうか。


168:神も仏も名無しさん
11/09/07 00:56:43.89 Z4CZfDSz
知らなかった法則って何

169:神も仏も名無しさん
11/09/07 01:02:19.32 apE6AF+1
物事の道理。秩序。

170:神も仏も名無しさん
11/09/07 01:03:24.55 Z4CZfDSz
物事の道理とは

171:神も仏も名無しさん
11/09/07 01:05:46.68 apE6AF+1
ある物事が成立する原因由来のこと


172:神も仏も名無しさん
11/09/07 01:11:39.72 Z4CZfDSz
なぜ釈迦は悟りたかったのか

173:神も仏も名無しさん
11/09/07 01:21:40.86 apE6AF+1
そりゃ本人に聞けよw

174:神も仏も名無しさん
11/09/07 11:29:43.41 aaPOguAe
このスレの問題点はスレ主が、たまにしか来ないことだな。

175:138
11/09/07 12:16:09.73 cVU/3MxI
>>146
そうそう、そういやその先にあともう一個前提がある
それは146の回答と同じっちゃ同じなんだけど
考える、てことね 思考 のこと

これは146の成り立ちとおなじなわけだから、
146分かったらその流れに乗ってその先行きゃ分かると思う

176:138
11/09/07 12:23:44.30 cVU/3MxI
その先というか146の理解の根底 か

177:138
11/09/07 12:30:21.12 cVU/3MxI
つまり 自我の正体 ね
ほんで悟りっつのはその理解があれば、まあスパーンとくるというか
あ、なあんだ、と

でそのあとは1みたいに見た感じ割りと普通に生きてるんだが、
この理解を経た人というのは生きるといううえで根底に自我がこない
(というかこの理解のせいでどうしても持ってこれなくなっちまう)ので、
根本的なところですんげえ楽に生きれる っつーこと

178:神も仏も名無しさん
11/09/07 12:48:04.25 LXB+xPak
>>174
また来年なのか。盲亀浮木だなw



179:神も仏も名無しさん
11/09/07 14:32:46.81 aaPOguAe
>>177
思考よりも意識の方が最後に来ると思うよ。
その、意識が存在していないことに早く気付いたほうがイイよ。


180:138
11/09/07 15:06:13.06 cVU/3MxI
>>179
なんにせよ一番初めの前提 が自我ってやるのはどうなのかなって
その前にじゃあ自我を成立させたものはなんだったっけ、のとこやらないと、と思ってかいた

それは意識(意識したと分かっているなら主体が伴うもの)
思考(そもそも主体がなければ不可能で、主体こそ、そもそも思考の産物でもある)
とかのこと まあなんでもいいんだけど要するに発端になってる発動地点にあるようなそういうもののこと

181:神も仏も名無しさん
11/09/07 15:25:21.58 aaPOguAe
>>180
なるほど、そういう事でしたか。

>発端になってる発動地点にあるようなそういうもののこと
これは「自分」って感覚じゃないでしょうか。

182:138
11/09/07 15:37:00.08 cVU/3MxI
ちとまって、連続規制でかけなかった分ね

そんで そういう主体を持って認識するのをやめて、ただ、みる
みる側に「見ている側の何か」がない状態で、みる
(というか、これは そうしようとして はできない
なぜならそのときは「そうしようとしているもの」(主体)があるから)

よって、「図らずも」「不意に」、それをすることが(してしまった)できたとき、これがわかる
(ただし分かるのはそのときではない なぜならそのとき「分かるもの(主体)はいないから」)
これがどういうもんか 例えば>>71にある1のレスによってかかれている
そこには、ただ ある だけだった という

183:138
11/09/07 15:59:45.20 cVU/3MxI
>>181
>これは「自分」って感覚じゃないでしょうか。
そうなんだけど、その「自分」って、どうやって出来上がっていったんだったっけ?のとこをみてった

すると、意識とか思考とか、はじめんとこらへんが臭うなあ、と
はじめがおかしいから、あと全部おかしくなってるんじゃねえのかな、と
みる でいうなら、みるのやり方を間違うと、自我ができてしまう
そんでその間違ったやり方で出来上がっちゃった「自我」が、
なんぼ「考えて(それ(自我)が出来上がるときにとられた間違ったやり方 それと同じ手法)」
を使って解決したろう とあがいても、そもそもその図がもうおかしいんでないかい?
ということ

184:138
11/09/07 16:04:00.26 cVU/3MxI
ありとあらゆる認識を何度も何度も間違い続けて、どんどん強力に 仮想の存在「自分」を形成していってた
そんで、まずはじめに仮想の存在「自分」という、主体、見る側 を存在させて、
それから「それ」が 見る、考える(とかその他の認識とか)をやっていた、と気がつく

だからどうしたらちゃんとものがわかるんだろう、てとこになって「みる」でいうなら、、、
正しい?(完全な、問題のない)ものの見方は、、、>>71・・・というところになっていく

185:神も仏も名無しさん
11/09/07 16:19:56.00 aaPOguAe
>>183
自分って感覚は五感と皮膚感覚を元に作られているように感じます。
この五感と皮膚感覚がなければ知覚は意識だけになり
世界と自分の境界がなくなるでしょう。
はたして意識だけになった時、それでも自分って感覚は残るのでしょうか?

186:ama
11/09/07 20:15:33.01 +NLAuH2I
>>117
輪廻転生自体が幻想であるというのは、
目で見て手で触れるものが幻想であるのと同じ意味です。


187:ama
11/09/07 20:16:51.05 +NLAuH2I
>>122
悟りという体験はあくまで私という個体に起こる体験なので、
主語を抜くことはできません。
ところがそれが起こってしまうと、私がいないことに気づくのです。
はじめから私はいなかったのですが、
それに気づくのは私なのです。
この状況を無理やり言葉であらわすと、
「私はいて、同時にいない」
ということになります。


188:ama
11/09/07 20:19:16.11 +NLAuH2I
>>122
悟ると、私があるから世界があることが分かります。
その意味で世界と私は同義であることが分かります。
私しかないのでそもそも私がいなかったことが分かります。
すると、悟りの体験をしているのはいったい誰なのか?
と考えたりもしますが、そのように考えるのは私なんですね。
つまり、考えるのは私であり、体験するのも私なのですが、
同時に私はいないのです。
混乱させてしまったらすみません。

189:ama
11/09/07 20:21:36.02 +NLAuH2I
>>139
寺に入門したことはありません。
普通に生活をしていて悟りました。



190:ama
11/09/07 20:23:21.21 +NLAuH2I
>>142
私は修行にならないものはないと思っています。
生活のすべてが修行だと思います。
どのようなことであれ、そこから何を見出すか?何に気づくのか?です。

191:ama
11/09/07 20:24:51.68 +NLAuH2I
>>142
おっしゃる通り、存在という概念すら取り払ってしまうと、
缶ジュースのビンの本当の姿が見えます。
すると、それはもはや、「それ」としか言いようがありません。
それが未知のものであったことに気づくわけです。
私がそれを既知のものたらしめているということに気づくのですね。
もっと言うと、存在すらしていないわけですから、
いかんとも表現しがたいわけです。
何も無いしすべてがある、
まさに、色即是空であり空即是色なわけです。

192:ama
11/09/07 20:26:39.09 +NLAuH2I
>>142
> すなわち空の思想ですよね。私は空の思想を概念としては理解していますが、このことは、悟りの世界を体験する妨げになるでしょうか。

その概念にしがみつくと妨げになりますが、
しがみつかなければ妨げにはなりません。


193:ama
11/09/07 20:28:39.41 +NLAuH2I
>>142
おっしゃる通り、知識として知っているということと、
体験して知っているということは別なんですよね。
知識はそれに接近するのに役立ちますが、
それを体験するには、一旦手放す必要があります。

向こう岸に渡るのに舟は役に立ちますが、
渡るそのときは舟から降りなければなりません。
そんな感じです。

194:ama
11/09/07 20:30:38.79 +NLAuH2I
>>142
リンゴを食べたことのない人がその味をイメージしても、
それはリンゴの味を味わうこととは別のモノです。
リンゴの味をイメージすること自体は問題ないのですが、
そのイメージにしがみついてしまい、
リンゴの味はこうであるに違いないと決め付け、
実際にリンゴを食べていても、
これはリンゴではないと決め付け続けると、
永遠にリンゴの味が分からないということが起こったりします。

195:神も仏も名無しさん
11/09/07 21:12:20.20 rjcpUSaV
>>1さん
悟るためには具体的にどのような方法を取ればいいのでしょうか
天台仏教に止観瞑想と言うのがあります。
「あらゆる思考を止めて、目の前のものを観察する」瞑想です。
これで十分でしょうか?





196:ama
11/09/07 21:20:11.16 +NLAuH2I
>>144
存在する、という前提です。
あと、悟りのイメージもなかなか根深いですね。

>>157
たとえばどのような矛盾でしょうか?

>>160
真理を悟ったからだと思います。


197:ama
11/09/07 21:22:51.30 +NLAuH2I
>>161
すべては私の創作物。
人は見たいものを見る。
別の言い方をすると作用・反作用と言えます。
「それ」があるから「それ以外」があるわけで、
中心があるから、中心以外があるわけです。
これらは同じことを言葉を変えて言っただけです。
また別の言い方では「色即是空、空即是色」となります。

今日はこのへんで。
ではでは。

198:神も仏も名無しさん
11/09/07 21:39:10.45 LYpPkCPh
悟りたい。
>1さん
三人の美女に同時に告白されてるんだが
残り二人を傷付けたくなくて誰も選べないという事が人生で三回くらいあるんですが
悟れば解決しますか?





199:偽イルミナティ
11/09/07 21:51:20.81 J44qoPDR
見た事すら怪しいな
人間としての因果は応報すると思うよ

200:神も仏も名無しさん
11/09/08 11:29:39.61 AxlsMoSa
「ネットで悟れるか」と言う意見があるが仏典によると釈迦が悟った後、昔の知り合い五人にその話しをしたら「そのうちの一人コンダンニャという男が悟り次第に全員悟ってしまった」とある
ならば1さんの話しを聞いているうちに全員悟ってしまうということもありえるだろう


201:小林白蓮
11/09/08 11:29:40.62 uYLLfTZK
>>108 :amaさん

>自他の区別が無くなる、宇宙と一体になる、ということは、
>「私」という個体が消えるということですよね。
>つまり、死ぬということです。

※ 肉体の「私」という固体が消えて、意識が宇宙に拡大してますります。

 実際に、この世の肉体は消えるということではなく、自己の意識に肉体があるという
 認識は無くなっている、あるいは肉体と思っている意識も消えるということです。

 肉体の認識下にある私の個の意識は、幽体離脱して、この世に個の意識がないので、
 死んでいるという表現となると思います。
 
>「私」という現象が終わるということです。
>「私」が宇宙全体に広がってしまったらぜんぶが「私」です。
>すると、それはもはや「私」と呼べません。
>「私」は、「私以外」があってはじめて「私」なのですから。

※「握一点開無限」のように、肉体の乗り物に乗っている自己から自己拡大
 することは、宇宙に拡大した自己の意識は宇宙と一体になってまいります。

 宇宙と一体になったら肉体を乗り物とした私という三次元的意識は無いけど、
 また、「開無限」から「握一点」に戻る時は、肉体の乗り物の自己の認識に戻り
 宇宙と一体となった状態は、記憶として残り、純粋で透明なクオリティーの
 高い心境によっては、再度、宇宙即我を体験することは可能であります。 

202:小林白蓮
11/09/08 11:36:36.88 uYLLfTZK
>>201 続きます。

 宇宙と一体となることは仏とも一体となれるということでもあります。

 宇宙と一体となる宇宙即我となれば、肉体をまとった自己の認識の「私」
 以外の宇宙と一体となる霊的自己の意識と別のように感じられますが、
 宇宙と一体となる拡大した霊的自己の意識はあっても、地球は捜せども
 見えず、自己の霊体の内と外に銀河の群れが満ちています。

 この世に肉体を持って生きている場合は、肉体と霊体は別のように見えて、
 肉体と霊体は一本の霊子線(シルバーコード)で繋がっています。
 
 宇宙即我の悟りは、大川先生に御指導いただいて悟りを開くことができました。

 大川隆法著「釈迦の本心」・「沈黙の仏陀」・「悟りの極地とは何か」の経典書籍
 に「宇宙即我」の悟りの発展段階と「宇宙即我」について記載されています。

 世界の教師である大川先生は、大悟されて、お釈迦様の本体・本仏として地球の
 危機や人類の危機の救済の使命を知り、世界人類の魂の救済とし日本を中心と
 して幸福の科学を創り、世界的に大活躍なされいます。

203:神も仏も名無しさん
11/09/08 11:40:23.43 AxlsMoSa
小林さん
ちなみに貴方は大川さんに直接指導をしてもらったの?
それとも単に本を読んだだけですか?


204:神も仏も名無しさん
11/09/08 11:53:42.70 AxlsMoSa
小林白蓮さん話しは悟りというより洗脳の可能性が高いな


205:神も仏も名無しさん
11/09/08 12:13:14.72 B8Rt0WGH
新興宗教なんて真剣に祈ってるの?かわいそうに


206:神も仏も名無しさん
11/09/08 13:37:53.91 AA1X5sTR
>>204
本当に、信じてる人っているんだね。

207:小林白蓮
11/09/08 16:28:58.87 /F2qky2c
>>203

>ちなみに貴方は大川さんに直接指導をしてもらったの?

※直接指導ではなく、大きな会場で参加される皆さんと一緒に、
 大川先生の御法話の拝聴をしていました。

>それとも単に本を読んだだけですか?

※大川先生の経典書籍とか、ビデオとかCDとかDVD等の拝読拝聴拝観と
 なります。

 総本山とか、地方正心館で研修を受けたり、仏道成就祈願とか出世祈願等や
 総本山とか、地方正心館の礼拝堂で瞑想したりしていました。

208:神も仏も名無しさん
11/09/08 16:40:30.62 AxlsMoSa
小林さん
このスレでは
人の話しを聞いたり本を読んだ受け売りではなく
直接体験を問題にしている訳です
なので貴方も本を置いて、現象のあるがままを「観る」ことからはじめて下さい。


209:神も仏も名無しさん
11/09/08 18:40:36.35 w2lK1w4p
>>201
大川先生の悟りに興味があるんでいくつか質問してもイイですか?

>実際に、この世の肉体は消えるということではなく、自己の意識に肉体があるという
>認識は無くなっている、あるいは肉体と思っている意識も消えるということです。
>肉体の認識下にある私の個の意識は、幽体離脱して、この世に個の意識がないので、
>死んでいるという表現となると思います。

この場合、残った肉体はどうなるの?

>また、「開無限」から「握一点」に戻る時は、肉体の乗り物の自己の認識に戻り
>宇宙と一体となった状態は、記憶として残り

結局、最終的には元の状態に戻ってしまうの?





210:神も仏も名無しさん
11/09/08 19:02:39.68 AxlsMoSa
幸福の科学信者
自作自演で質問するなよ
そこまで堕ちたか
他人のスレに割り込んでまで信者を増やそうとする真似はやめてくれ
さらに評判が悪くなるぞ


211:神も仏も名無しさん
11/09/08 20:48:19.05 B8Rt0WGH
さとりを求めるのに新興宗教なんて普通の人の感覚ならあり得ないよ
ふつうの寺にでも行ってぷち修業でもしたらどうなの?

212:小林白蓮
11/09/08 22:59:40.07 YHueR5XE
>>209

>大川先生の悟りに興味があるんでいくつか質問してもイイですか?

※大川先生の大悟による仏陀としてエル・カンターレの本仏としての悟りですから、
 私は、大川先生の大悟した悟りは経験がないので、大悟の実感を得ていないので、
 説明する任にはありません。

 私が悟りを開いた経験までは、悟りの実感があるので、大川先生の大悟には、
 はるかに及ばない悟りでありますので、私の宇宙即我の悟りの体験の分かる
 所まではお伝えできます。

>この場合、残った肉体はどうなるの?

※置いて来た肉体は地上にあります。

 肉体ごと宇宙即我の体験をすることはありません。
 
 降魔成道して宇宙即我の悟りの境地が開く前の瞑想の状態のスタイルであります。
 
>結局、最終的には元の状態に戻ってしまうの?

※西暦2000年7月20日の夕方に、背後の力もあって、予定していなかったのですが、
 降魔成道をクリアして、地球が眼下に観えるようになって、光の壁を通過したら、
 いきなり、宇宙へ放り出されたような飛び出す感じで、みるみる地球が小さくなり点
 となって宇宙の細胞の一部みたいになった地球を見失ってしまいました。

 宇宙即我の悟りを体験をして、地球に帰還する方法は知らないままでしたので、
 本当に地球に帰還し地上の肉体に帰還できるかの心配があり、少し心細い感じは
 しました。 

213:小林白蓮
11/09/08 23:13:58.82 YHueR5XE
>>212 続きます。

 それが、心細い気持ちも手伝ってか、地球に置いて来た地上の肉体に帰還する念
 いを持つことで、一瞬に魂自体の霊的意識が地上の肉体に入り帰還してしまいま
 した。

 そうすると、金色のオーラに包まれて、純粋な金色の光がキラキラとあたりに
 直径約2m以上に渡ってオーラが光っていて、至福の悦びと静寂があたりを包
 んでいるようにしばらく沈思していました。

 ◇辞世の句

  「 沈思して 心の内を 眺めれば 宇宙に開く 三千銀河 」

 しばらくして上記の「辞世の句」が出来上がりました。

 正しき心の探究として大川先生の仏法真理の学びと、仏法真理の利自即利他
 の実践とエル・カンターレ信仰を立てて、土台から柱への土台づくりの基礎か
 らやって、仏道修行の努力精進のはてに、悟りを開くということであります。

 ですから、自己流や特別な人間になろうとして、欲心を出して、宇宙即我
 の悟りを求めると大変危険であり、間違った方向にそれて行くことになり、
 霊障になったり、精神異常をきたしたり、廃人になったり、大きな罪を作る
 ことにもなります。

 大川先生のエル・カンターレ信仰のもとに悟りの修行を行なうようにして、
 くれぐれも注意してください。

214:神も仏も名無しさん
11/09/08 23:14:06.46 MpDYO+8x
韓国人、人間をひき殺すも無罪

URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)
 【ソウル共同】韓国検察当局は29日、交通死亡事故を起こしたとして
書類送検されていた韓国の5人組男性アイドルグループ「BIGBANG
(ビッグバン)」のメンバー、テソンさん(22)=日本での活動名はD―LITE
(ディライト)=について、不起訴処分にしたと明らかにした。聯合ニュースが伝えた。

 BIGBANGは日本でも人気が高い。

 聯合ニュースによると、テソンさんは5月31日未明、ソウル市内で乗用車を
運転中、路上で倒れていた男性をひき、その後、男性の死亡が確認された。
警察当局は事故時点で男性は生きていたと判断、テソンさんを交通事故処
理特例法違反の疑いで書類送検した。



215:小林白蓮
11/09/08 23:28:58.33 YHueR5XE
>>211

※普通の寺でプチ修業したら、体力と精神力はつくと思いますが、ぷち
 だけに、悟りの「さ」の字もいかないね。
  
 インドの時代のお釈迦様も最初の釈迦教団は新興宗教からはじまった
 ことを忘れていませんか?

216:神も仏も名無しさん
11/09/08 23:57:13.29 B8Rt0WGH
>>215
新興宗教に悟りを求める方が(ブラマヨ吉田敬)どうかしてるぜ

217:神も仏も名無しさん
11/09/09 00:03:44.98 l0DcCDyq
>>215
最高ですかとかいう宗教だろ、あのやり方は集団催眠じゃないか
大川隆法は何故わざわざ新興宗教を開いたんですか?既存のものでいいのあるでしょ
普通の寺が一番いいね
まあ、催眠術が掛かってたらそんな事分からないだろうけど。幸福の科学が世間から
どう思われているのかは気がついといた方がいい。

218:神も仏も名無しさん
11/09/09 00:53:36.56 xKTc4P8U
最高ですかは福永法源だろ


219:神も仏も名無しさん
11/09/09 01:03:23.15 DfJlTDNA
大川は「これでいいノダー」だろ

220:神も仏も名無しさん
11/09/09 06:56:40.86 Fj0epm12
相手するなよ


221:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
11/09/09 12:23:03.85 eeJgw94t
カルトの連中は相手してもしなくても関係なしに書いてくるんじゃないかい?

222:138
11/09/09 12:23:45.36 i1mP6Kvc
ブッダとか1とかがいってんのは、人口構造物(思考の作り上げたもの)のことではない
ブッダとか1とかを 金粉現象やら神秘体験なんぞによって 満足させることは不可能なんだって
建物とか本とかお経とか師匠とか経験とか知識とか、あらゆる人口構造物(思考の作り上げたもの)
を全て廃棄ゴミにしてるスーパークレーマーというか不満の塊みたいな連中を、
一瞬にして黙らせ、「完全に満足させたもの」 の話なわけよ

223:138
11/09/09 12:29:53.00 i1mP6Kvc
いや、満足も不満もなにもないか
下手なたとえ話なんかするもんじゃないわな

224:神も仏も名無しさん
11/09/09 12:50:41.17 JGqYGlMa
>>222
何を言っているのか全然分からない。
ここまでの書き込みで1を悟った人だと断定するのは難しい。
みんな、どこかで聞いたような話だからね。


225:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:14:27.41 i1mP6Kvc
>>224
1が悟ったかどうか
悟ってるなら話を聞く、悟ってないなら聞かない
だからその前に、本当に悟ってるかどうか確認してからにする というのはどうなんだろか

そういうのは、まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、

226:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:20:34.96 ZRrPl5ns
>>223

おっしゃりたいことはよく分かりますが、根本的な部分を理解出来ていない人には、例えになっていることすら分からない文章ですね。


最初から読んでいて、腑に落ちない点。

・ama氏がここまでの境地に達しておきながら、何故「死に対する恐怖=生に対する執着」があるのか。

・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。


この部分だけ私と真逆だったので、よければ説いていただきたい。


227:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:21:08.69 i1mP6Kvc
自分が持ってる答え が正しいから 相手が出すもの がそれにあってるかどうか?

仮に相手が 何も持ってない ならば、その方法でどうやって 真 を確認できる?
方法自体に欠陥がある場合は、方法Aが正しいかどうか確認する方法B が必要だ
しかし 方法Bが問題ない はどうやって確証を得られる?
ならばそもそも、とある 方法 を取って得られるものかどうか ということも疑問になるのでは?

228:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:35:31.71 RwKc8gW6
1さんは言語表現が得意ではなさそうなので私が推測して答えますと
「死」は幻想だと悟りを開いた1さんは当然知っている訳です。
なので子供がジェットコースターで楽しむように
悟りを開いた1さんは幻想にすぎない死の恐怖を楽しんでおられるのではないでしょうか


229:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:49:55.44 PdNpBSML
悟ったヤツなどいない
なに勘違いしてんだか
悟る悟らぬは言語上の仮の表現
悟ったら、それは悟っていない証拠である
悟りの条件は「本人をまじかに見て」納得する以外方法はない
悟った人に出会えば、即、だれでも阿羅漢果をえたり
不可思議な神通力を見たり
無上のこの上ない悟りを求める不退転菩薩の境地が「パッ」とあらわれるはず
修行させるようなグルや宗教指導者は二流、三流もいいとこで
超A級スナイパーゴルゴ13のような
超一流のサッドグルは、出逢っただけで「悟り」を伝授できる
スレ主もそうゆう人なのでしょう

230:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:55:17.01 ZRrPl5ns
「悟り」という言葉にとらわれているから難しくなるんじゃないでしょうか。
そのせいで、悟るには何か決まり事があるかのように錯覚してしまうと思います。

人間の数だけ悟りがあり、それは他と比較するものではないのでは。

自分自身のこと、どれだけ知っていますか。
「自分のことは自分が一番よく分かる」なんてよく言いますが、本当に理解出来ている人がどれぐらいいるでしょう。
自分のことすら理解出来ずに、他の何を理解出来ましょうか。

悟りを外に求めているようでは、いつまで経っても手に入りません。

まずは己を知る。
自分の内側に広がる広大な宇宙を探検してみてください。
そこに貴方が求める悟りがあると思います。


231:神も仏も名無しさん
11/09/09 14:56:14.44 RwKc8gW6
1さんの悟りの内容がどこかで聞いたような話しだからこそ信用できるとも言えます。
それは悟りを開いた先人たちの言葉に叶う悟りであるということだからです。
そしてその中の第一人者である釈迦も、悟りがそんなに難しい事だとは言っていないように思います。
ミカンを意識を集中して食えとか歩く時歩いている事を意識しろとか
要は余計な観念を挟まず今、この瞬間の現実を意識して生きろと言っているように思います。
そしてそれがダイナミックで空なる宇宙の実相を悟る唯一の方法という事なのでしょう
我々は知識としては華厳経を読んだりして知ってる訳だが
そろそろ現実の宇宙を悟りの目で見るという実習期間に入る訳だ
そして1さんはある種、悟り学校の卒業生であり教官みたいな存在だろう。
と勝手に私は位置付けさせて頂いてます(笑)


232:神も仏も名無しさん
11/09/09 15:07:21.90 nGtK39T8
>>226
なんで 既に自分が手持ちを持ってるつーこと に対して なぞめき をもたんの?

徹底的に 相手 と 自分の手持ち をバトルさせるより
徹底的に なぜかもってる「自分の手持ち」の襟首掴んで詰問しつくす をした方がいいんでないの?

233:神も仏も名無しさん
11/09/09 15:15:04.03 ZRrPl5ns
>>232

単純に、彼がその心境に至った経緯を知りたかったのですが、そうですね、愚問でした。


234:神も仏も名無しさん
11/09/09 15:26:22.41 RwKc8gW6
認知科学者の苫米地さんは潜在的な情報量が最高度の認識を「空」だと言っているのだが
要は1さんが悟った時の意識状態だと思うんだな
「スコトーマ」が完全に無くなっている状態ね
という訳でかつて悟った1さんが今も悟りの中に居るのかというと少し疑問がある
それは王さんが今もプロで五十五本ホームランを打っているかという問題でもある
1さんの悟りはスレタイにもあるように「過去形」である
勿論、過去三冠王を取った事がある人は凄いしその経験の価値には変わりないが
最終的には人類は常に悟りの境地にいるように進化するのではないか
また、1さんに聞きたいのですが、いったん悟りの境地に入った1さんは
今もその気になれば悟りに入れるのでしょうか
それとも野球選手みたいに気力体力精神力が充実した一時期だけの特殊な経験になるのでしょうか
出来るにしてもよっぽど準備しないと無理とか
或は今も精進を重ね十年前よりもさらに深い瞑想が出来るようになったのでしょうか


235:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:01:05.52 nGtK39T8
例えば山とか行って大自然あるとする
そんでそれに対して「どうやったらこれを大自然にできるか」
ってブルドーザーに乗ってブオブオふかしながら考え込んじゃってるわけ

おい、おりろよ、と
もうおまえがどうこう考える前に(というかそういうあれこれしなければ)
目の前にパーフェクトのそれがあるで?と

236:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:15:13.04 RwKc8gW6
その転倒して考え込まない為の方法論が瞑想なんだと思うよ。
リハビリトレーニングだな。


237:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:31:15.85 RwKc8gW6
そしてその場合は降りろよと言う人が悟ってることが条件で
ブルドーザーから降りても意識が転倒していることは変わらないから
転倒したことをやりはじめる
その辺の事情はショーペンハウエルの『意志と表象としての世界』という古い哲学書に分析されている。一読して見るとよいと思う。
つまり我々の生存意志が世界を転倒して解釈しているということなんだよ
だから生のままの無邪気な人間性に戻れば悟れるというのは違う
空海なども言うようにトンジンチの塊である無邪気な子供の世界が一番転倒しているのである


238:神も仏も名無しさん
11/09/09 16:44:50.30 RwKc8gW6
俺は悟ってないけど悟ってない世界の分析については1さんより詳しいということは有り得ると思う。


239:神も仏も名無しさん
11/09/09 17:18:05.95 Zlx0D4uV
ブルドーザーから降りる、というのは 局面においての思考というツールとのお別れ をさす
局面において 思考、および思考により構築された物理的精神的構造物
これらに依っていない という状態での 理解とか認識 をさした

この 主体(これは思考による精神的構造物)のない認識 において得た理解 を経た以降、
当事者が「生存意志が世界を転倒して解釈」することは、理解 の中に十分に含まれておりそれは重大な問題とはならない
安心して 年齢相応、社会相応、環境相応の 適切な?トンジンチに身を浸して喜怒哀楽しながら
究極的にはノープロブレム で生きる

240:神も仏も名無しさん
11/09/09 20:40:11.10 b5VNjqbg
>>225
>1が悟ったかどうか
>悟ってるなら話を聞く、悟ってないなら聞かない
>だからその前に、本当に悟ってるかどうか確認してからにする というのはどうなんだろか

誰もそんな事書いてないだろ。
これだけの書き込みで悟っているかどうか判断するのは難しいって言ってるだけで。
自称悟り人はいっぱい見てきたが
書き込みが増えれば増えるほどボロが出てきたりするからね。

自分で悟ってるっていう人は確率的にとても胡散臭い。



241:神も仏も名無しさん
11/09/09 20:45:46.70 b5VNjqbg
ここにいるのは俺以外
もしかして、みんな自作自演なのか?


242:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:02:24.43 RwKc8gW6
悟ったか悟ってないかは
こっちも知識があるからある程度わかるのよ
いわば悟り業界の”目利き”みたいなもんだよ


243:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:13:46.91 WXk4zxO7
「悟っているかどうか判断する」という視点は、おかしい
徹底的に問う において 「ここは問わない」という聖域(自分の考える「悟り像」とかの自分なりの正解肢)
というものを握ってスタート となってるから

今までにえた、知識も経験も礼儀やら態度やら常識やら、ぜーんぶ不要
ぜーんぶ徹底的に洗う っつー作業すっときに、この一個だけは洗わなくても良い は一切なし! なのよ

244:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:27:47.09 WXk4zxO7
答え を持ってる奴ができるのは 探求 じゃなくて 答え合わせ なんですわ

245:神も仏も名無しさん
11/09/09 21:33:37.12 RwKc8gW6
いざ悟ろうと言う場合はそうだろうが
ある人が釈迦伝来のいわゆる悟りを得ているかどうかを第三者が判断するには
判定者に釈迦伝来の悟りの知識が無ければ判断出来る訳がない。
万が一相手の悟りが釈迦を越えた悟りである場合も判定者が最低でも釈迦の悟りを知らなくては判定が出来ない


246:神も仏も名無しさん
11/09/09 22:11:19.65 WXk4zxO7
じゃ一番初めの釈迦はなんで 「釈迦の悟り」を知らない のに あなたにおいて 釈迦は悟った となれてんの
釈迦は 「釈迦伝来の悟り」を悟ったわけではないんじゃないの

釈迦がいつぞやにおいて悟ったことは何だったのか
その何か が
「釈迦の悟り以降にできて積み上げられていったもののこと」とかなら それで良いと思うけど
「その前からずっとそうで、そして今もある何かのこと」 だったときは 局面においては釈迦すら無関係 なんじゃないの?

247:神も仏も名無しさん
11/09/10 01:02:58.30 dsWuVihT
>>243
>「悟っているかどうか判断する」という視点は、おかしい
>徹底的に問う において 「ここは問わない」という聖域(自分の考える「悟り像」とかの自分なりの正解肢)
>というものを握ってスタート となってるから

判りにくい文章だな。
「悟っているかどうか判断する」ことと
「聖域というものを握ってスタート」ことと、どう繋がるんだ?

そもそも何で君は1が悟ってるって思うんだい?
もしかして君の考えと1の考えが同じだったからかい?


248:ama
11/09/10 08:49:12.93 SYDyNs24
>>185
私も五感、特に皮膚感覚が
自我(中心)を存在せしめている根源だと思っていました。
ところがこの皮膚感覚をよく見てみると分かるのですが、
皮膚感覚はただの皮膚感覚です。
それは、ただ、それ、だけ、のことなのですね。
問題は、その皮膚感覚を自我として関連付けている思考にあります。
皮膚感覚を境に内と外に分け、
内を自分、外を世界、と勝手に決め付けているのは誰なのか?
ということです。


249:ama
11/09/10 08:50:54.97 SYDyNs24
>>185
そしてこのことに気づくためには、言葉やイメージ無しに、
それを、ただ、見てみる必要があります。
「誰なのか?」と書きましたが、「誰なのか?」と考えたのでは分かりません。
ただ、「誰なのか?」のような姿勢は必要です。
一切の前提を一旦脇に置いておいて確かめてみるということです。
「私には何も分からない」という姿勢で始めるということです。

250:神も仏も名無しさん
11/09/10 14:07:18.31 K4jgQ1Uh
>>248-249
どうも
おれも185どう答えようかなあって思いながら忘れてた

>>247
>そもそも何で君は1が悟ってるって思うんだい?
いろいろあるだろうけど 差し当たり、少なくとも問うにあたり聖域持ってないから かなあ

これをみて安易に じゃあ聖域持たない=悟ってる なのかよ とはならない
なぜならそういう人は「聖域持たない」を持ってるから
何も持たない は 何も持たない も 持たない
文字も言葉も思考も、目的も努力も意思も知識も ありとあらゆる何もかも を 持たない

251:神も仏も名無しさん
11/09/10 14:19:06.41 K4jgQ1Uh
>「悟っているかどうか判断する」ことと「聖域というものを握ってスタート」ことと、どう繋がるんだ?
繋がるかどうかしらんけどどっちも見えない前提を握ってる

変な前提2つ
1 そもそもこの問いがどういうものなのか分からない時点において その誰かが「判断できる」というものである としている点
2 それをその当事者が、既に発動地点において握り締めていながらも意識ができていない点
(自分自身の判断は正しい という根拠はないのに、暗にそこはセーフゾーンになってる)

252:神も仏も名無しさん
11/09/10 14:28:02.10 K4jgQ1Uh
繋がるといえば 悟る と同義に 今を認識する というのがあると思う
悟るというのは今の認識 のことかなあ と

今 をどうやって認識するか、できるか、ということ
生きる において 常に、そして今後も、今 しかない という中において
だから 今 を認識するということは =生きる とは何か、今を生きるとは ということにも繋がると思う

253:神も仏も名無しさん
11/09/10 15:41:35.00 dsWuVihT
>>252
認識って何だい?
五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけなのに
その刺激から何を認識すればイイの?

254:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:33:35.98 K4jgQ1Uh
>>253
>その刺激から何を認識すればイイの?
「五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけ」なのに
それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう

それはなんだろう、それは本当にあるのか、あるとすればそればなんでそういえるのか
それはなんであるとされているのだろう、いつ、どのようにして出来上がっていったのだろう
それらはどのような特性を持つのか、それらの作用とはどういうものか
どのような影響があるのか、と

そして、こんなあれこれを「考えている」のは 「何」なのか
「考えているもの」が「考える」、「対象としているもの」は、
「考えているもの」とは別のものとしているが、それは「別のもの」といえるのか と

255:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:48:31.35 K4jgQ1Uh
つまり手をつけてしまったこの 問い に対しての対処方法として
向き合った瞬間、無言で即、既にはじめから「問わず」に用いていたツール 「思考」
これに対して、問いに対しての接触→レスポンス(即思考) を根本的に見直すことを求められる
それはそもそも、この問いへの向き合い方として正しかったのか、と

256:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:53:25.06 K4jgQ1Uh
そもそも「思考」(および思考により構築された物理的精神的構造物)
によって(をもって)太刀打ちできる類の問いだったのか と

257:神も仏も名無しさん
11/09/10 16:58:15.27 dsWuVihT
>>254
>それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう

そこまで考えてて、どうして「ある」って信じられるんだろう。

258:神も仏も名無しさん
11/09/10 17:04:21.79 K4jgQ1Uh
まあなんていうか「ある」とも「ない」ともせず
この状況は一体どういうことなのか とみてみる

>そこまで考えてて、どうして「ある」って信じられるんだろう。
「考えて」しまったら「考えているもの」が既にそこに「ある」から、
それはなんだろう、と(考えてみる→?)←このへんが>>254-255のとこ

259:中益マン
11/09/10 17:23:51.48 aQZpHKB8
アポロンは人望がなさすぎて革命家にはむいとらん。
本多正信みたいな参謀だったら力を発揮するタイプだろう


260:神も仏も名無しさん
11/09/10 17:24:32.68 aQZpHKB8
間違えた。失礼

261:ama
11/09/10 21:23:14.62 SYDyNs24
>>195
観察する対象は目の前のものに限定しない方が良いと思います。


262:ama
11/09/10 21:24:16.97 SYDyNs24
>>198
解決します。


263:ama
11/09/10 21:25:29.85 SYDyNs24
>>226
> ・ama氏がここまでの境地に達しておきながら、何故「死に対する恐怖=生に対する執着」があるのか。
死に方によります。
痛いのとか苦しいのとかは嫌ですね。
その意味で死に対する恐怖というよりも、
痛みや苦しみに対する恐怖といった方が正しいでしょう。
そして、今のところ、
痛みや苦しみに対する恐怖は色々役に立っています。


264:ama
11/09/10 21:26:56.41 SYDyNs24
>>226
> ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。
脳が無くなれば、私が存在するという思考がなくなりますので、
世界もなくなります。
そもそも私達が現在認識しているこの世界すら実際には存在していないのに、
死んだら世界が存在するようになるというのもおかしな話ですよね。


265:神も仏も名無しさん
11/09/10 21:34:55.39 dsWuVihT
>>264
脳が無くても、意識や思考がなくても
存在は残るんじゃないの?
まあ、いずれ存在も世界に溶けるんだけど・・・

266:ZERO
11/09/11 00:39:00.19 PCAq5Vts
こんにちは。1さんいつも丁寧にお答えいただきありがとうご座います。

さて、今、歩行禅を意識して一時間ほど外を散歩してまいりました。
しかし、本当に歩行に意識が行ったのはせいぜい15分程度で、何かの拍子にすぐに
観念イメージが生まれ、そのイメージを操作し、さならる観念を生み出し・・・何かの拍子で観念していることに
気がつき、また歩行に意識を戻す。と言うような感じです。
その間、車のライトなどが、道の看板とかに当たり、ピカッと光るのですが、その瞬間がなぜか人間が横切るように見えたりします。
それは幻想なのですが、一瞬人に見える訳です。途中に寺があり、寺の境内で水を飲み、帰ってきたのですが、墓場を横切ると、人が墓場の横に立っており
じっとこっちを見ているようなイメージをしているわけです。もちろんイメージですが、脳はある条件に対してそれに対応したイメージを自然に作り出します。
と言うようなことを考えて、また、歩行から意識がずれて、それに気がつき、歩行に意識を戻します。

これは歩行とは関係ない私の感想です。
歩行の感想の方が多くなくてはならない気がしますが、歩行を始めると観念は何故起こるのかと言うことをつい観念的に考えてしまうようです。

この場合、歩行そのものに意識を集中するべきでしょうか。
「歩行に意識を集中するにはどうすればいいか」とか「何故、観念は生まれるのだろう」と言うような思考も無い方がいいわけですか?








267:ZERO
11/09/11 00:50:29.58 PCAq5Vts
歩行をしていると、その単純なリズムゆえに、変成意識状態になり、幻想世界に入り込みやすくなる。
歩行に意識が集中できないのは、まず、歩行そのものに意識を抽象世界に持っていくような作用があるからだと思う。
それと、観念が生まれて行く過程も観察した。
観念は、まず、自我意識が縁となって生まれる。
例えば、ふと、明日のことを思う、明日の自分を思う。すると他人との関係が思い浮かぶ、その関係に対処している自分が思い浮かぶ。
と言うような形で、幻想世界へといざなわれていく。
自分を意識すると、それに応じた幻想世界が生じる。
「2ちゃんねる」のあるスレの書き込んだ自分を意識すると、それに応じて世界が想起される。
つまり、「自我を意識したときに観念が生まれる」
歩行を意識すれば意識は足先などにある。
しかし、自我を意識すればそれに応じた観念世界が発生してくる。
そういう関係にあることがわかりました。
つまり、自我を意識しなければ、観念は生じないと言うことになります。
自我を意識しなければ「部長」もいなければ「近所の知り合い」も存在しません。
つま先だけ意識していれば、つま先が意識されています。
しかし自我を意識すると、2ちゃんねるが現れたり、同僚の顔が浮かんだり、友達の顔が浮かんだりするわけです。






268:ama
11/09/11 07:05:35.26 ryfF9iYb
>>234
思考モードに入っているとき以外は悟っています。
観ることをやめて考え始めたとたんに悟りから遠ざかります。
鋭敏に観ている瞬間瞬間だけ悟っています。
悟りは、ある意味とても困難であり、
ある意味とて簡単なことだったりします。
分析したり、比較したり、分類したり、
などのようなことを始めると、
それはすぐに遠ざかってしまいますが、
ただ、シンプルに生きるだけで、
それはやってきます。

私の瞑想は普通の生活の中でただ観ることなのですが、
最近は、より鮮明に観えます。


269:ama
11/09/11 08:22:16.61 ryfF9iYb
>>254
> 「五感や皮膚感覚が刺激をただ感じているだけ」なのに
> それ以外のもの(感じている「私」)が、もう既に(問わずの場所に)あるのはなぜだろう
長年の垢のようなものです。
何度も何度も繰り返し慢性的に、
それが自分であると自分に言い聞かせてきたわけですから、
ある日、私はいないと思い込んだところで、
どうしたって自動的に自分があるという結論が出てくるのですね。
普段気づいていない透明な思考のなせる業です。


270:神も仏も名無しさん
11/09/11 09:44:09.60 sWYxeIqu
ama様初めまして。
質問させてください。
無我を体感するためにどんな洞察?瞑想?手法がいいですか?

271:神も仏も名無しさん
11/09/11 09:59:03.45 yCR8GCfT
水が水の中で水に水を説明している

272:神も仏も名無しさん
11/09/11 10:07:58.10 yCR8GCfT
>>269
ども
>何度も何度も繰り返し慢性的に、それが自分であると自分に言い聞かせてきた
そうですね
そのミスりかた(どのように間違うか)は>>184で記してみました

まずはじめに 即(問わずの場所に)、仮想の存在「自分」という、主体、見る側 を存在させ て、
それから「それ」が 見る、考える(とかその他の認識とか)とやってく ので 中々見えにくい

273:神も仏も名無しさん
11/09/11 11:29:31.31 G0P8R4v1
1さんへ
1さんも悟りの境地を犠牲にして時には「考える」訳ですが、どんなときに考えるのでしょうか
そしてそれは精神機能の堕落としての価値しかないのでしょうか
それとも社会が正見、正思と言ってるように
正しく考える事は有意義な事だと言えますか?
また、正しく考えるとはどういう事をいいますか?


274:神も仏も名無しさん
11/09/11 11:30:13.01 G0P8R4v1
社会が→釈迦が


275:神も仏も名無しさん
11/09/11 18:01:25.17 PCAq5Vts
日常生活で、観察をするというのは、動作をいったん停止する必要がありますか?
それとも日常生活の動作を観察すればいいでしょうか?
掃除をしている場合など、ゴミを観察していれば掃除になりませんが、具体的にどのように観察していますか?


276:ama
11/09/11 19:04:00.08 ryfF9iYb
>>265
物質を体験するためには体が必要ですよね。
何かが存在しているという認識自体が、
思考の産物なのです。

277:神も仏も名無しさん
11/09/11 19:08:13.86 G0P8R4v1
意識抜きに存在はありえないということは科学的にも証明されてるからね

278:ama
11/09/11 19:17:24.17 ryfF9iYb
>>266
歩行そのものに意識を集中すべきです。
どのような思考も邪魔になりますので、
無い方が良いです。

といっても無理に消す必要はありません。
ほおって置くと(気づくだけで)、
自然に消えますので。

歩行に対する観念、つまり解釈やイメージ、判断や結論といったものがあると、
その体験は実際のものとは別のものになってしまいます。
純粋にそれを行為するためには一切の思考が邪魔になります。

279:ama
11/09/11 19:19:32.31 ryfF9iYb
コツは、瞬間瞬間を観ることです。
持続させてはいけません。
時間の経過は思考の得意とするところです。
一瞬一瞬の中に本当のものがあります。

一方、歩行にこだわるとこれまたいけません。
私は、悟るために、座って瞑想するとか、
わざわざ歩きに出かけるとか、
といった作為的な行為はあまりお勧めしません。
悟ることを目的としない行為の中でこそ悟れたりします。

得意先に行くために歩く、
買い物に行くために歩く、
といった生活に密着した行為の方が
悟りにはよっぽど役に立ったりします。

280:ama
11/09/11 19:21:06.81 ryfF9iYb
悟るための方法があると、
それに引っ張られてしまい自由を失います。
私が自由であるときに悟りは訪れます。

ちなみに、悟りの中にあるときは、
悟りという概念も観念もありません。
悟りというもの自体意識していません。
ただシンプルに生きているだけです。

281:神も仏も名無しさん
11/09/11 19:24:08.80 PCAq5Vts
では、それはただ生きているだけと何が違うのでしょうか?
普通に生活すること=悟りだとすると、9割方の人は悟っていることになります。


282:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:08:58.66 6/8bnKxT
おれもさっきメシ後の皿洗いしながら思ってたんだけど
この悟りというのは、一周まわったらもともとの初めの地点に戻ってくる
それで悟ってないかというと、やっぱりそいつは悟ってる
んで悟ったやつと、悟ってない奴と、外面的に、行動的にどう違うんだ? ということだが、特に違いはないと思う
ただ、片方は、根本的なところで 迷ってない ということなのだ

だから悟った奴は超人的な力を持つとか、神通力を手に入れる、などというやつは何か勘違いしている
悟った奴だって、間違うし、解けない問題があるし、貧乏だったりもするし、ギャンブルやったり、女のケツ追っかけてビンタされたりもする
大いに普通の人間だ

283:偽イルミナティ
11/09/11 20:35:21.37 YSgMa9J9
問題はamaって人に明確な体験が伴っていない
もしくは体験そのものを語れていない所にある
肝心な部分を自分自身でもぼかしながらしか話せていない
すんごく詐欺師っぽい

284:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:44:01.69 K1UdWRZA
>>276

>何かが存在しているという認識自体が、
>思考の産物なのです。

「存在」が残ると書いたのは
それ以外に書きようがなかったためで、
認識とは違います。

あなたが語れば語るほど、遠ざかって行くようで
とても残念です。



285:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:51:12.24 dCAJ4IC+
自分の理解や認識に合わないと
拒絶反応を示す人がチラホラ出てくるものですね


286:神も仏も名無しさん
11/09/11 20:51:29.99 6/8bnKxT
まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、(>>227

なんで 既に自分が手持ちを持ってるつーこと に対して なぞめき をもたんの?
徹底的に 相手 と 自分の手持ち をバトルさせるより
徹底的に なぜかもってる「自分の手持ち」の襟首掴んで詰問しつくす をした方がいいんでないの?(>>232

287:神も仏も名無しさん
11/09/11 21:08:02.11 K1UdWRZA
>>286
>まず自分が持ってる「悟り像」と照らし合わせてそれにそぐうものであるかどうか とやってる
>じゃあそのとき指標として既に自分が持ってる「悟り像」とはなんだろか
>その指標 が 正解肢たる真の悟り? と、どうしていえるのか、、、

これって、そのままあなたの事だろ。
自分の「悟り像」と合っていたから、そこまで擁護するんだろ。


288:神も仏も名無しさん
11/09/11 21:44:09.31 6/8bnKxT
合わせる ためには あらなければならない
ない というもの に あわせられない
あわせられるなら、それは ある ものだ
ある というものは ない というものではない

289:神も仏も名無しさん
11/09/11 21:46:25.63 6/8bnKxT
ない というものに よっている というのは
何かに よっている とも よっていない ともいえる(>>282

290:偽イルミナティ
11/09/12 00:00:47.98 YSgMa9J9
説明にならない説明じゃ説明じゃない
東電の対応にも似た悟り観だな

291:小林白蓮
11/09/12 00:04:08.80 D9bJ+1gs

※悟りを開くには、そもそも「お釈迦様のように悟りたい」という高邁な高い志が
 必要なのです。

 「悟りたい」という志のない人は、悟ることは難しかろうと思います。 

292:小林白蓮
11/09/12 00:29:31.88 Q4RP9aV3
※大川先生の教えのお陰で悟りを開くことができたということであります。

  悟りを開くとは、心の解放とは自由自在な心であって、限りなく純粋に
  透明な心の無我なる心境の質を高めてゆくなかに、能動的な心から受動
  的な心で瞬間瞬間の水鏡の純粋で透明な平静なる心の持続の中に至福な
  永遠の今を感じてゆくことになります。

  努力精進の果てに予期せぬときに、悟りを開くことになります。

  降魔成道の魔と配下との水鏡の心の武器で耐え忍んでいるとき、魔や
  配下は消え去り、段々と魂が上昇と自己拡大の中に、今までに味わった
  ことのない感覚をもって宇宙大となったとき、長年「お釈迦様のように
  悟りたい」という高い志が成就した瞬間の悦びでありました。  

293:神も仏も名無しさん
11/09/12 00:35:06.60 yaeLYWHY
ところでお釈迦さんだったらこう言うオカルト系マニアやカルト系信者が来ても論理的に諭して非を自ずから悟らせたようだが
こう言う芸当は1は余り得意じゃないのかね


294:神も仏も名無しさん
11/09/12 00:48:05.56 OHq0gMDZ
>>293
本当に悟っていれば、自分の見ている世界や感覚をそのまま伝えることが
反論や諭しになるはずだけどね。


295:神も仏も名無しさん
11/09/12 10:28:55.69 h2bHg+Yb
説明にならない悟りが悟りって話もある。
至高の体験をして、沈黙を守る。
悟りとはこうだって、前提的な状態を提示すればその観念に囚われる可能性もあります。
だから、釈尊は無記をつらぬいた・・・のかもしれない。

296:小林白蓮
11/09/12 11:05:08.61 C9KDfFc6

※大川先生の教えでは、お釈尊様は、一生涯の間に、八万四千の悟りの法門を弟子
 達に直説金口で説かれています。

 お釈尊様入滅後、口伝の伝承によって弟子から後代の弟子へと伝えていった歴史
 があります。

 「無記」は、修行を放り投げ、心を欲望の自由で怠惰に錆びつかせていた方が、
 お釈迦様に対して質問した内容が「宇宙について」のような質問で、質問した
 相手の心を見れば、光なく穢れていたことを六大通力で瞬時に見抜き、自らの
 仏道修行を放り投げている者に、悟りの奥義は教えるわけにいかないので、
 毒矢の例えとも絡みますが、質問者自らの心を正すのが先であるという意味
 で、お釈迦様はその質問者に対して何も言わなかったということです。

 それが、お釈迦様入滅後、後代の弟子から弟子へ口伝伝承していましたが、
 その後、古代の仏典に「「無記」と書き込まれたように推察いたします。

 ちなみに、大川先生は、経典書籍を700冊以上を超えて、質的な内容にあって
 は、お釈迦様の八万四千の悟りの法門を超えているという推察いたします。

297:神も仏も名無しさん
11/09/12 11:26:23.30 tAoCXWnK
テスト

298:神も仏も名無しさん
11/09/12 12:46:13.95 lpWO7+iN
>>290-294
なんで「そういうもんだ」となってるの?

299:294
11/09/12 13:00:43.31 N+CMgCi8
>>298
小林白蓮と一緒にすんなよ!!

300:神も仏も名無しさん
11/09/12 17:28:09.84 NgcLjrly
「そういうもんだ」=
>本当に悟っていれば、○○になるはずだ

301:本当にあった怖い名無し
11/09/12 18:54:22.13 RCbCHS8s
>1さんへ
・人生で、あらゆる感情は捨てて理性だけで判断し行動すべきだと思いますか?
・悟ると「何が」終わりだと思いますか?
・世の中の苦しみを、自分の内面に常に顧みてしまいますか? 
 その場合、対処されますか? やはりただ観るだけですか?
・悟りを説くことで他人が悟ることは可能だと思いますか?
・悟りの体験の前に非常な「苦痛」はありましたか?
・悟りはある意味危険であったと思いますか?
いっぱい質問してすみません。

302:神も仏も名無しさん
11/09/12 19:40:56.92 4yIi8TT/
基本的になんもないことをなんかあるように説明しろといわれても難しいわな

303:ama
11/09/12 20:33:54.40 vSj/2rRu
>>270
生活の中でありとあらゆるものを観ることです。
自分の思考に気づくことです。
自分の体を感じてみることです。
視覚や触覚などの五感を一切の思考無しに
ただただ感じてみることです。
そためには、鋭敏である必要があります。
瞬間瞬間に意識を向け、とどまらないことです。
一方、手法にこだわらないことも大切です。
鋭敏であれば手法にこだわることもありません。

無我という観念に気づいてみることも役に立ちます。
自分が無我というものにどのようなイメージを持っているかに気づき、
それを手放します。


304:ama
11/09/12 20:47:20.37 vSj/2rRu
>>273
生活をするためには色々考えなければなりませんよね。
「洗剤を買っておかなきゃ」という思考はとても役に立ちます。
その意味で、計画を立てたり物事を比較・分類したりする必要のあるときや、
特に仕事をしているときなどは、たくさん考えます。
また、このスレのようなやり取りでは、
言葉にならないことを無理に言葉で表現しようとするわけですから、
出来るだけ正確に誤解の無いようにと弱い頭を悩ませております。

思考を道具として使う分には精神衛生上の問題はありません。
価値判断などによってその思考に引っ張られ自由を奪われることが問題です。



305:ama
11/09/12 20:48:33.44 vSj/2rRu
自分を楽にする思考は有意義だと思いますし、
それは正しい思考と言えるでしょう。
たとえば、マイナス思考の人がプラス思考に切り替えることに成功して、
見違えるように生き生きし出したとか、
プラス思考でもダメなときに、
ゼロ思考に切り替えて肩の力が抜けたとか、
とかとか・・・。
思考を道具として使いこなせているか、
その思考に引っ張られていないか、など、
つまりは役に立っているか立っていないかが
判断のしどころだと思います。

思考による、精神の開放は、
限界はありますが一定の効果もあります。
そしてこの限界を超えることを
悟りとか覚醒とか言ったりするんですよね。


306:ama
11/09/12 20:54:08.93 vSj/2rRu
>>275
動作をいったん停止する必要はありません。
日常生活の中での動作や思考を観察します。
観察は一瞬です。
ゴミを見つめているときは、ボーっとしているか、
考えているかのどちらかではありませんか?
どちらも観察ではありません。
私の申し上げている観察というのは、
初めて見るような姿勢で言葉無しにイメージ無しに、
一切の前提無しに、それを観るということです。
そして、ゴミを、前提無しに観ると、
とんでもないことに気づいたりします。
ただし、何かを得ようとして観察すると、
得たいものは得られなかったりもします。

307:ama
11/09/12 20:55:56.74 vSj/2rRu
>>281
悟ると生きるのがとても楽になります。
9割の方がそうなら、こんなに素晴らしいことはないと思いますよ。

308:神も仏も名無しさん
11/09/12 21:41:12.15 yaeLYWHY
じゃあ「悟り」よりも場合によっては「思考」の方が凄いというケースもありえる訳ですね
思考には「原子爆弾」を開発したり「宇宙の起源」を突き止めたりすることも可能な訳ですから
すると「悟り」だけではなくて「思考」も同じ位「偉い」のではないか
悟りと思考は同格でありそれぞれを伸ばして行く必要があると
アインシュタインと釈迦どっちが偉いかみたいな話で、どっちも偉いという結論になるわけです


309:神も仏も名無しさん
11/09/12 21:51:17.97 yaeLYWHY
思考の超人アインシュタインと悟りの超人釈迦を兼ね備えた人物が居たら、さらなるスーパー超人ということになりますね
ユングがタイプ論という性格分析の著作を残してますが、それによると釈迦は直観の達人
アインシュタインは直観-思考タイプだと思います。
アインシュタインが釈迦ばりの直観力を持ってたら量子論を超えるような新理論を完成させていたかも知れないし
釈迦がアインシュタインばりの思考力があれば
あの時点で原子爆弾や原子炉が開発され、電気文明が成立していたかもしれない


310:神も仏も名無しさん
11/09/12 22:08:49.45 OHq0gMDZ
>>306
ゴミは前提無しに見ると、そのまんまのゴミじゃないの?

311:神も仏も名無しさん
11/09/12 23:01:21.82 yaeLYWHY
ゴミって観念だよ
経済的効用があるかないかで区別されるんだから
例えばよく2ちゃんねるで「おれってカスだな」「死ね屑」とか言ってるが、経済的効用を自分に当て嵌める事に慣れすぎてるんだよ
前提(社会的洗脳)無しに見たら、屑どころか宝石だったということは有り得る訳です


312:神も仏も名無しさん
11/09/13 00:37:53.49 DOmmnVJE
>>311
ゴミは観念だって分かってるけど、
観念抜きで表現するときは何て言えばイイ?
もちろん宝石も観念だよね。

313:神も仏も名無しさん
11/09/13 00:39:58.07 +CXWe88O
「空」だね。
宝石も沢山あれば石ころだしゴミだからね


314:神も仏も名無しさん
11/09/13 00:41:19.92 DOmmnVJE
>>313
君、ユーモアのセンスあるね。

315:神も仏も名無しさん
11/09/13 01:58:19.92 YLJ6LYOY
「偉いかどうか」ではなく「思考には思考のポジションがある」 それだけのこと
むしろ なぜ既に「どっちが上か」という尺度をもってたのか、をみてみては?

316:神も仏も名無しさん
11/09/13 02:25:02.68 SDyXf2Nv
偉いってあくまでも便宜上の表現ですよ。
悟りの方が偉いと言う価値観を批判する為にそう書いている訳

317:神も仏も名無しさん
11/09/13 09:50:54.46 6aj5rXXm
>>1
痛みも幻想と分かってるのに何故それを嫌がるの?
悟りにはレベルがあり、まだ浅いってこと?


318:神も仏も名無しさん
11/09/13 11:11:54.20 MeH3YCQ7
仏陀→悟りを開いた、空海→悟りを開いた、この両者とも悟りを開いた後もただの凡人で有る事は
有りえないと思うしただ自分の気持ちを満たせただけだとは思わない。天満宮で願掛けができたり、
寺では護摩での祈祷が出来たりする事から考えると、悟れば寺などで使う何かしらの力が手に入ると
思ってる、それが悟りだろう。
1さんはまだどんな力も持ってはいないようだから、悟りにはやはりレベルがあるんだと思う。
天満宮や寺に行きときに願掛けをする事があるような人であるならわかるだろう。本物の悟りは寺や
天満宮など祈るところにある。


319:神も仏も名無しさん
11/09/13 11:42:30.52 ozrQ7lTE
結局、意識上の悟りなんだよなあ。


320:小林白蓮
11/09/13 11:52:42.55 rooOP7YY
>>319

>結局、意識上の悟りなんだよなあ。

※形而上の悟りですね。



321:神も仏も名無しさん
11/09/13 13:21:38.36 +CXWe88O
意識上じゃない悟りってどんなんよ
催眠術や夢を見て悟った神秘体験だと言っても
それは催眠術であり夢に過ぎないよ

322:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:13:51.92 ozrQ7lTE
>>321
自己は意識の有る無しに関係なく存在する。
意識の無い状態でも自己は「ある」のです。


分かりにくいのでアンカー付けて下さい。

323:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:24:20.78 ozrQ7lTE
>>320
形而上の悟りについては書き込んでないよ。

324:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:25:59.50 +CXWe88O
意識のない状態の自己をどうやって認識したんだよ
もし体験したというならそれも意識があるからだろよ


325:神も仏も名無しさん
11/09/13 16:27:06.58 +CXWe88O
形而上の意味がわかってないんじゃないの小林は

326:小林白蓮
11/09/13 16:35:31.10 VvvDqlbJ
>>321

※大川先生によれば、肉体にまつわる自己の意識ではなく、霊的認識に
 立つ意識であります。

 多くの悟りを求める方々は、肉体にまつわる自己の意識にとらわれるから
 見当違いになるのです。

 肉体の五感が伴うところの自分という意識ではなく、神仏やあの世や霊を
 実在と直視する霊的認識に立った高次な意識が悟りということです。

 ですから、この世のみに価値観をおいている考え方を捨てなければなら
 ないということです。

 白紙の心で大川先生の教えである仏法真理を学び、仏法真理の実践を
 積み重ねつつ、過去に成した過ちの反省と、未来へ新生する誓いでも
 あります。

 それが、悟りを探究し努力精進する前提となります。

327:小林白蓮
11/09/13 16:38:18.94 VvvDqlbJ
>>325

※あなた様のお考えの形而上の意味とは何でしょうか?

328:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:04:21.49 ozrQ7lTE
>>324
>意識のない状態の自己をどうやって認識したんだよ
認識は意識や思考がするもので、意識のない状態では認識は無いでしょう。
ここで質問なのですが、あなたは自分の存在を自分の認識によって確認しているのですか?
自分の存在は認識しなくても確認できるでしょ。

329:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:26:21.30 +CXWe88O
いや確認出来ないでしょ
確認という作業がそもそも認識能力を前提しているのだから


330:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:33:30.11 ozrQ7lTE
>>329
>いや確認出来ないでしょ
自分の存在が分からないってのは、ちょっと問題ですねえ。

331:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:41:01.00 +CXWe88O
わからない人もいるのさ。それを自己を見ない人。つまり認識を無視する人だな。


332:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:43:03.00 ozrQ7lTE
>>331
何か、良く解らない答えですね。

333:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:45:25.55 +CXWe88O
じゃあ君は自己の存在をどうやって確認したの?

334:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:46:40.90 6vPXwI4L
特に質問は無い

335:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:49:24.08 ozrQ7lTE
>>333
確認するも何も、ここに「いる」じゃないですか。


336:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:53:25.90 +CXWe88O
それは貴方が意識するから「いる」んでしょう


337:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:56:24.23 ozrQ7lTE
>>336
それが不思議な事に意識しなくても、ここに「いる」んですよ。

338:神も仏も名無しさん
11/09/13 17:56:59.09 +CXWe88O
意識してるじゃんw

339:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:04:26.41 ozrQ7lTE
>>338
なんだ、それだけかよ。
センス無いなあ・・・・・・

340:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:08:31.50 +CXWe88O
それだけかよって君全然論破出来てないじゃん
「すいません。私が間違ってました。おっしゃる通り意識抜きに存在はありません」と言えばいいだけの話しだよ
そうじゃないというなら反論を出しなさい。


341:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:14:04.74 +CXWe88O
もし君が人間の意識と無関係に存在者が存在する事を証明出来たら仏教論理も量子力学も崩壊するし
今年のノーベル賞受賞は間違いないだろう


342:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:35:13.89 ZkBnEorI
自己がどうのという議論が続いているみたいだが、ただ単に、
1.意識+無意識=自己
とするか、
2.意識=自己
の違いでしょ。意識を「生きている間」、無意識を「死んだ後」に置き換えてもいい。
どっちが正しいかなんてわかるはすがないよ。
というかおそらく、見方によってはどっちも正しいし、
間違いでもあるってだけのことだろう。

343:神も仏も名無しさん
11/09/13 18:59:19.55 ZkBnEorI
悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言うんじゃないの?
全てを見通せる力(智慧)を持つとか、幸せの状態にあることを言うんじゃないと思うよ。
実は俺もちょっぴり悟ったような気はしてるんだが、たぶん間違いではないと思う。
俺が悟ったんじゃねぇかって思ったのは、骨壺にオヤジの遺骨と遺品を納めたときだな。
ああ、死んだらなんも残らねぇんだなあと。
その瞬間、夢や希望、それに絶望なども全部消え失せたよ。
これがいわゆる空という状態なんじゃね?

いつ死んでもいいという状態になると、基本的に恐怖っつーもんがなくなる。
誰かに殺されようが、あるいは誰かを殺そうがどうでもよくなるんだよね。
ただし、ここで誤解しないでほしいのは、恐怖と苦痛は違うってこと。
恐怖はなくても、誰だって敵に捕まって、自殺できない状態で拷問を受けるようなことになったら、
そりゃー嫌だろうよ。

344:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:10:22.43 DOmmnVJE
>>340
論破しなきゃならない理由がないからなあ。
君の理解が正しかろうと間違っていようと俺には関係ないしね。
君の理解が正しければ君は悟るだろうし
君の理解が間違えていれば君は悟れない。
どっちに転んでも俺には関係の無い話だからね・・・

345:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:35:47.77 MeH3YCQ7
>>343
その瞬間、夢や希望、それに絶望なども全部消え失せたよ。
これがいわゆる空という状態なんじゃね?

虚無じゃないですか?
URLリンク(kotobank.jp)

そのままの状態は健康に悪いから人との付き合いを多くする、友人とコンサートや舞台
ディズニーランド等にいくとか気分転換した方がいいね。ひどいと鬱病にかかるよ

346:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:41:50.26 DOmmnVJE
>>341
>もし君が人間の意識と無関係に存在者が存在する事を証明出来たら仏教論理も量子力学も崩壊するし
>今年のノーベル賞受賞は間違いないだろう

その前に、意識が存在することを証明する方が先じゃない?

347:神も仏も名無しさん
11/09/13 19:54:49.79 PTXnzdOM
量子力学は専門外なので知りませんが
仏教理論はヒンズー教によってすでに
崩壊しています
ヴェーダーンタ派の余裕の勝利宣言です
釈迦も竜樹も過去の人です

348:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:11:41.59 +CXWe88O
つか何で根拠を言わないで勝利宣言だけするんだろうな
ちなみにベータンダ哲学の何が仏教に勝利したの?
根拠は私の信仰ですというのは無しな

349:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:22:24.79 ZkBnEorI
>>345
いや、鬱状態とは完全に違うよ。
別に、悲観してるわけでも死にたいわけでもないし。
望みなんてなくなるんで、望みが叶えられないからといって悲観する必要もないし。
鬱の場合ならセロトニンだかノルアドレナリンなどの不足が原因らしいから、
悟りを開くよりも病院に行ったほうがいいだろうけどね。
空の状態になったからといって、楽しいことが楽しくなくなるわけじゃないよ。
美味しいものを食べたら美味しいと感じるのはごく自然なこと。

とにかくこの感覚はなってみないとわからんと思うよ。
勉強したり、修行をしたからといって得られるもんじゃない。
逆に、何もしてないのに、いきなり「悟る」ことはあるだろうね。
意図的に悟りたいのなら、いつでも死ねる状態を作ればいいんじゃないのかな。
所有物や趣味のこだわりをなくす(つまり捨てる)とか。

350:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:46:33.24 PTXnzdOM
ヴェーダーンタ派の見解を自分で学びましょう
他人に依存はダメです

351:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:54:05.86 +CXWe88O
じゃあ君は仏教を学びなさい。その上で論評しなさい。


352:神も仏も名無しさん
11/09/13 20:57:35.38 +CXWe88O
どうせシャンカラだの二流の哲学者を持ち出してアートマンは永遠だの低レベルなオカルトを述べるのだろうが
それはもう仏教に完全に論破されている


353:ama
11/09/13 21:36:58.44 3Ea0e2C2
>>301
> ・人生で、あらゆる感情は捨てて理性だけで判断し行動すべきだと思いますか?
まったく思いません。

> ・悟ると「何が」終わりだと思いますか?
古い自分が終わります。

> ・世の中の苦しみを、自分の内面に常に顧みてしまいますか? 
常にではありませんが、
世の中の苦しみの原因を自分の中に見つけることはあります。

>  その場合、対処されますか? やはりただ観るだけですか?
自分に出来ることは行動に移します。

> ・悟りを説くことで他人が悟ることは可能だと思いますか?
悟りの説法を聞くこと自体で悟りを得ることは出来ませんが、
それがきっかけになるという意味では可能だと思います。

> ・悟りの体験の前に非常な「苦痛」はありましたか?
精神的な苦痛は通過しました。

> ・悟りはある意味危険であったと思いますか?
特に危険は無いと思います。

354:神も仏も名無しさん
11/09/13 21:38:41.43 MeH3YCQ7
とりあえず、坐禅をしているとアルファ波という、リラックスしている脳波の状態になるということであります。実は、これは非常に難しい。
 この脳波は、「忙しく脳を働かせている状態」と「意識が無くなる状態」の間にある状態であり、長く保ち続けられるものではないのです。
URLリンク(blog.livedoor.jp)

ちゃんと禅が組めてるか測定してみればわかるかもね。
アルファー波についてはテレビで坊さんに実際に禅を組んでもらって測った事もあったけど出てた。

355:本当にあった怖い名無し
11/09/13 21:56:40.77 vCYfjiaJ
>>353
お答えありがとうございました。

356:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:19:22.04 PTXnzdOM
自分の時計だけは正確だと思ってるのがうじゃうじゃいるね
ここもだめだな
釈迦も竜樹も三流弁士だよ
そんなヤツラのたわごとはもう論破されてる
学ぶ気もせんな
ここもだめだな
ここもだめだな(ケラケラ)
史ね

357:ama
11/09/13 22:23:37.76 3Ea0e2C2
>310
前提とは「○○である」のような結論のことを言っています。
つまり過去に得た情報ですね。
ゴミの記憶無しにゴミを見たとき、
それは未知のものですよね。
ということは・・・

たとえば記憶の無い赤ん坊が世界を見たとき、
どのように見えるのでしょう?
物の存在を認識することは出来るでしょうか?
奥行きを認識することは出来るでしょうか?

そしてこのことから私には何が分かるのでしょう?

358:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:25:02.33 PkO7nT+G
>>349
すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。
つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度(強さのニヒリズム、能動的ニヒリズム)。

虚無主義?

359:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:26:24.97 PkO7nT+G
>>356
どこがいいの?

360:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:33:25.30 DOmmnVJE
>>357
知らんがな。

361:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:35:08.18 PTXnzdOM
くだらんな
ブッダ、竜樹、キリスト、マルクス
なんとみごとな糞のかたまりよ・・・
いつまでこんな前世期の遺物から甘い汁を吸おうとしてるやら
全員逝ってよし
こんな俗物どもをいっさい相手としない漢はいないのか?
やはり日本人は死んだほうがよい

362:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:41:23.78 PkO7nT+G
>>343
>悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言う
ちがう
>実は俺もちょっぴり悟ったような気はしてるんだが、たぶん間違いではないと思う。
まちがい
>意図的に悟りたいのなら、いつでも死ねる状態を作ればいいんじゃないのかな。
やくざ
>所有物や趣味のこだわりをなくす(つまり捨てる)とか。
しなくていい

363:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:54:08.18 MeH3YCQ7
>>361
それで師とする人は見つかったのかい?麻原彰晃とか言うんじゃないのか
元オウム信者とか

364:神も仏も名無しさん
11/09/13 22:58:11.01 MeH3YCQ7
>>361
こんな俗物どもをいっさい相手としない漢はいないのか?
やはり日本人は死んだほうがよい

なんで日本人は死んだ方がよいという答えに至るのか唐突すぎてその思考がわからん


365:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:15:59.55 oUSoCd40
良くはわからないけれど
自分への嫌悪感をここにいる人に求めてるんじゃないかな?

366:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:20:25.97 MeH3YCQ7
>>365
自分への嫌悪感をここにいる人に求めてるんじゃないかな?

よくわからないけど、嫌ってあげればいいの?

367:270
11/09/13 23:31:30.33 5W1oZOr1
ama様、ご回答ありがとうございました。
>>357についてですが、赤ちゃんが世界を認識するとき男女の区別とか自分と母の
区別とかしない。
例えば、分娩室で目を開けた赤ちゃんはその部屋の印象を名前で区別せずに一枚の絵の
ように認識する。その風景画には自分も溶け込んでいる・・・
そんな感じのことを仰ってるのですか?

368:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:37:21.81 oUSoCd40
>>366
ごめんなさい なんだか訳のわからない文になっていますね。
>>361
かまってもらいたがっている、そしてかまってもらった人を否定することで、自己を保とうとしている。
とまぁ書き込んでみましたが、なんだかどうでもよくなったのでおいとまします。

369:神も仏も名無しさん
11/09/13 23:49:23.83 PkO7nT+G
>>367
>記憶の無い赤ん坊が世界を見た
これは 今すでに全員そうだ といってる
(270、今あなたも記憶の無い赤ん坊と同じだ、と)

記憶とは何か
記憶とは過去だ、過去とは何か
過去 とは 思考の産物である自我 の「思考」の中にしか存在しないものだ
では今とは何か、今とは常にあって、これからもそれしかないものだ
では今 を 過去の産物である自我 が認識できるか できない
過去の産物である自我 ができるのは 常に 過去(記憶=自我)を介した地点からのアプローチだけだ
では 今 を認識するにはどうしたらいいか

過去の産物である自我 を介すな ということ

370:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:03:05.39 YygdFH4b
記憶の無い赤ん坊 とは 今を認識する人 のこと
今 の中に 過去というフィルターを介さずに ただ 出会ってみたらどうか といってる
そうやってそれを見てみたらどうか と
そのときは、過去を背負ってアプローチしていないので全てが新しい(当たり前)

そういうとき、過去の蓄積である自我 が存在していない
ゆえに、自我が持つ「ツール」であり、「生みの親」だった「思考」もない
ということは、「思考」の作り上げたありとあらゆる精神的構造物(主義、悟り像、記憶、経典、修行、理想、、、)
これらは一切何もない

371:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:06:16.59 YygdFH4b
さかのぼって>>343
>悟りってのは「いつでも死ねる状態にある」というのを言うんじゃないの?
よってこれは間違ってる
「死ぬもの」が ない ので 死ねない

372:270
11/09/14 00:10:24.99 9YXqfksR
>>370
そこらへんは理解しています。
でも、ありがとう。

373:270
11/09/14 00:18:14.33 9YXqfksR
>>371
でも、いつでも死ねる状態であって、マイナス思考がなければ、悟りに近いと思いますよ。
あとは、自分が「誕生した」って誤った見解を打ち破れば預流果には至れるような気がします。

374:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:26:40.57 pjSROAIn
論理的な思考をこねクリ回しても悟りには届かないよ。


375:神も仏も名無しさん
11/09/14 00:41:13.01 YygdFH4b
「いつでも死ねる状態のもの」 とはなんだろうか
なんで そこ に それ があるんだろう

376:神も仏も名無しさん
11/09/14 01:18:27.56 YygdFH4b
>>374
これこれこういう方法だと届く、という「正解肢」があると?
その先で得られるのは、「その正解肢に到るために作り出されたもの」
がいざなった「とある一定の形式により導き出されたもの」では?

それは、「悟りが何なのか分からない人」が、「これが悟りです」といわれて、
なぜか(その「分からない人」が)「そうだその通り、それが悟りだ(「悟りが何なのか分からない人」が答えを決めた)」となり
「その悟り」をより深く知識・体験として構築、「学習」をしている図 では?
(「なぜ」そんなことを自分がしているのか(求めているのか)突き詰めて考えてみるといい、と思う)

しかし、悟りとは何なのか「探求」する場合、そうはならない
なぜなら「悟りが何なのか分からない人」は「分からない」から

377:神も仏も名無しさん
11/09/14 01:42:30.37 pjSROAIn
>>376
悟りを探求している時点で道を間違えているよ。

378:神も仏も名無しさん
11/09/14 02:00:43.05 YygdFH4b
>>377
いわれてみると確かに・・・なんつったらいいのかな?

379:神も仏も名無しさん
11/09/14 06:14:38.17 93JGEWFk
>>375
「いつでも死ねる状態」ってのは、希望・願望や絶望のない状態、つまり、
「やりたいことをすべてやり終えた状態」と一緒でしょ。
ただし、いつでも死ねる状態だからといって、死にたくなるわけじゃないし、
死のうとも思わないよ。

じゃあ、なんで生きてるのかといえば、それは「自分を求める人がいる」、
あるいは「自分を求める人がいるかもしれない」から。
生きているというより生かされてるという表現のほうがいいかもね。
結局、悟りを開いた人の行き着く先は、衆生が求める存在、
つまり神や仏のような存在になるんだよ。

380:神も仏も名無しさん
11/09/14 07:23:28.95 WffvwfNd
>>377
では何が正しい道なのでしょうか


381:神も仏も名無しさん
11/09/14 09:23:39.41 20ERBfNV
>>380
正しい道っていうモノは無いよ。
そもそも、悟りがどこから起こるのかも含めて、
悟りが何かみんな良く分かってないからね。

でも、ヒントとして・・・
自分の外に有るもの(世界・観念・概念・言葉等)の中には自己は無いよ。
自分の中に有るもの(思考・感情・意識・想念等)の中に自己は無いよ。

382:神も仏も名無しさん
11/09/14 09:51:39.19 DN38DgkE
全てを味わい尽したら、もう戻る意味も無くなる。
不毛な争いも必要なくなる、飽きるまで味わえばいいよ。

383:神も仏も名無しさん
11/09/14 09:52:30.74 DN38DgkE
誤爆しました。

384:神も仏も名無しさん
11/09/14 14:00:09.62 PJQWfPGY
>>379
「いつでも死ねる状態とは何なのか、どのような状態のことか」
という質問ではなく
いつでも死ねる状態 「のもの」 が暗に認められているが
なんで そこ に それ があるのか てことね

「自分を求める人がいるから生きてる」?
何かに「求められている」というのは、「求められている」というだけ なのに
それが「だから死なない」とか「生きる理由」 などに変換されているのはなぜだろう?
「他人からの評価やニーズの重要度」を不自然に高めているのはなんでだろう?
人から一切求められていないということは、生きる価値がない ということなのだろうか?
なぜそういう考え方をするような、とある価値観の尺度 を自分は握り締めているのだろうか?

この尺度に基づいた先にある、悟りや神や仏?などは、
やはり、それらを最高潮に成し遂げているスーパースターとして描かれている、、、
それが、「その尺度が描き出す」、「その尺度による答え」となっている
ところでそれはともかく「なぜ」そんなことを自分がしているのか(求めているのか)
突き詰めて考えてみるほうがいい、と思う

385:神も仏も名無しさん
11/09/14 14:11:28.43 PJQWfPGY
「きみが持っている価値観の尺度」を否定している、という話ではなくて
どうして、自分はこれをもっているんだろう、と考えてみませんか?ということね

それにより導き出されたものが、間違っているかどうか、ということについては
「その尺度で測れば、間違っていない」し、「別の尺度で測れば間違っている」になる、となる(当たり前にそうなる)
だから1000も2000も価値観の精度を比較しあうことに意味はない

持ち寄った価値観、尺度 の精度がどれだけ高いか、ではなく
なぜ、自分が、とある価値観の尺度を持っているのか?ということに注目していく
そうあること、それを肯定したるものはなにか、なぜそれはそうしているか と

386:神も仏も名無しさん
11/09/14 19:34:49.15 93JGEWFk
>>384-385
そういうくだらないことは考えるだけ時間の無駄。
ま、知ることが悟りだと思ってるんなら、死ぬまで考え続けたらいいんじゃないすかね。
その手の答えは絶対に出ないけどね(あるいは既に出てる)。

哲学的な問いみたいなのは嫌いなんだよね。知の限界を知ろうとしない。
数学や物理などは、本質的に証明できないあるいは確定できないことを認めたからこそ、
飛躍的な進歩を遂げたわけで。
限界を知らない限り、先はないよ。

387:ama
11/09/14 23:50:03.63 FlscDUEZ
>>317
痛みを避けることは体を守るために役に立つからです。
もちろん必要以上に恐れることは役に立ちません。
そこに葛藤があるかどうか、
自分を苦しめるかどうかで分かれます。


388:ama
11/09/14 23:52:14.83 FlscDUEZ
私が申し上げている幻想というのは、
私が創り出している、という意味です。
私がいるからこそ、その痛みはあるのだ、という意味です。
私は、存在しておらず、同時に存在していますので、
痛みは、幻想であり、同時に現実なのです。

悟りは、観るか観ないかですから、
そこにはレベルはありません。
ただ、選択だけがあります。
気づいていない人は気づきたくないだけなのです。

389:ama
11/09/14 23:58:43.00 FlscDUEZ
>>367
はい、赤ん坊には、自分/自分以外、という区別がないと思われます。
動きとか変化といったものが認識できず、一瞬だけを認識していると思われます。
ですからおっしゃる通り、見えるものは1枚の絵のように見えていることでしょう。
名前も持っていませんので輪郭で区切ることもしておらず、
その絵は意味不明の抽象的なものであると思われます。


390:ama
11/09/15 00:01:14.56 FlscDUEZ
そもそも自分という観念を持っていませんので、
絵の中に溶け込んでいるとも言えるでしょう。
そして、もし、私が、世界をそのように観るなら、
面白いことに気づいたりします。

391:神も仏も名無しさん
11/09/15 00:13:31.25 5mik1+B0
>>386
「そこは問うてはならない」が ない という設定は苦手?
圧倒的にバーリトゥードゥよ?

392:神も仏も名無しさん
11/09/15 00:20:57.59 svlxUL9E
>>389
これって想像で書いてるんだよね?
無意味じゃない?

393:270
11/09/15 00:31:11.28 4jRfUIdY
>>390
もしかしたら、世界が世界を見てる?ですか?

394:神も仏も名無しさん
11/09/15 01:23:30.07 svlxUL9E
>>390
面白いと感じる何かがありますか?

395:神も仏も名無しさん
11/09/15 03:11:58.53 NWXQXM4z
自分なんていない
そのことを理解すれば、自分なんて向こうからやってくるっす

396:神も仏も名無しさん
11/09/15 06:40:18.62 MoC9nNUP
>>388
質問なのですが、
悟った後でもテレビを見たり小説を読んだりするんですか?
あるいは、趣味がなくなるようなことはあるんですか?
普段の生活はどのようなことをなさっているのでしょうか。
教えていただけるとありがたいです。

397:神も仏も名無しさん
11/09/15 08:19:26.23 mRvERCnz
解放された気分です


398:神も仏も名無しさん
11/09/15 11:00:12.08 CpTHl1YV
>>1
多くの人が悟れないのは、
悟ることにより個を超えた大きな苦しみが見えてしまうから
だと思うんだけど、どう思いますか?

399:神も仏も名無しさん
11/09/15 11:14:07.99 ZC+SCyP2
>>398
自分の殻を打ち破るのが難しいからだと思うよ。

400:神も仏も名無しさん
11/09/15 13:00:52.48 oR6vSAUh
>>398
>個を超えた大きな苦しみが見えてしまうから
「個を超えた大きな苦しみ」を「見ている」のは(そうしている主体とは)、過去が構築した自我
今(悟り) において、過去が構築したもの は存在しない

401:神も仏も名無しさん
11/09/15 13:09:48.78 OemGF0mf
>>398
むしろ、個を無くすことを、苦しみとして感じてしまうからではないでしょうか

ほんとうは個が無くなれば、苦しみも消える
個の意識が苦しみを作り出すからです
例えば、寝ているときは、苦しみはないでしょう?

要するに、自分で作り出した苦しみに苦しんでいるのが、人間です
それを、理解するのが、見性
それが理解できると、苦しみは苦しみではなく、成長の糧となっていることがわかる

そうやって、理解が進むと、それは、向こうからやってくる
だから、まずは、自分を知ることです

402:神も仏も名無しさん
11/09/15 13:30:41.97 ZC+SCyP2
>>401
>だから、まずは、自分を知ることです

あなたにとって「自分」とは何ですか?


403:神も仏も名無しさん
11/09/15 14:07:41.48 oR6vSAUh
>>401
>苦しみは苦しみではなく、成長の糧となっていることがわかる
苦しみは苦しみ 成長の糧ではない

もし苦しみが苦しみではなく、成長の糧だというなら
その2つの間に 変換を行っている何者かの介在 があることになる
その 介在にとって は、苦しみは成長の糧 となっているのだろうと思う
では、そこに存在している その変換を行った介在 とはなんだろう
また、なぜそれはそこでそんなことを行っているんだろうか

404:神も仏も名無しさん
11/09/15 14:27:54.66 OemGF0mf
>>402
ここで、いう自分は、思考かね

>>403
例えば、苦しみを苦しみとして認識しなければ、乗り越える必要はないよね
苦しみを感じるからこそ、生きる知恵を知る
全て自分で、作り出した苦しみ

その働きは一般的には、自我と呼ばれるものかな?


405:神も仏も名無しさん
11/09/15 14:42:44.49 oR6vSAUh
>>404
>苦しみを苦しみとして認識しなければ、乗り越える必要はない
苦しみを苦しみとして認識 「したとしても」 「乗り越える必要」 が ある のだろうか
なんで 「苦しみ=乗り越えるもの」 という設定がそこにあるのだろう

403でも質問したけど答えてもらってないのが、なんで「そのままのもの(今回は「苦しみ」)」に何か手を入れようとするものがあるのか
そこに存在している その変換を行った介在(手を入れているもの) とはなんだろう
また、なぜそれはそこでそんなことを行っているんだろうか

406:神も仏も名無しさん
11/09/15 15:07:28.35 1q4bokTg
悟りを開くと何が変わるのでしょうか

407:神も仏も名無しさん
11/09/15 15:20:28.97 OemGF0mf
>>405
そうだね、苦しみは乗り越える必要はない
なぜなら、生み出した本人が苦しんでいるのだから
それに気づかなければ、乗り越えたとしても、また、新たな苦しみを作り出す
それは、一生つづく
だから、その設定が、苦しみの元とも言えるね

では、なぜ、そういう仕組みが働くのか?
それは、しらん
もっと、知ってる人に聞いとくれ
その仕組みの名前は、我だと思うが

408:神も仏も名無しさん
11/09/15 15:22:19.24 OemGF0mf
>>406
女にモテモテ

409:神も仏も名無しさん
11/09/15 16:00:03.53 oR6vSAUh
>苦しみは乗り越える必要はない
そうではなく、苦しみに対しての判断が「いかなるものであろうとも」、
「事象a(今回は苦しみ)」 に対し ある何かが、手持ちの尺度を用いて何らかのジャッジを下す、という構造
判断をx、結果をb(成長の糧)とすると ax=b この 構造自体そのもの に対しての疑問だった
a=a では?と そこにおいての介在(判断x)とは何か と

410:神も仏も名無しさん
11/09/15 16:20:03.18 OemGF0mf
>>409
a=aの場合苦しみは生じない

例えば、貧乏=貧乏という認識は、苦しみの入る余地はない
貧乏は、貧乏であって苦しみではない

では、なぜ貧乏=苦しみが成立するのか、と言うと、そこに、自分が介在するから

貧乏×自分=苦しみ

となる

だから、自分というものを知れば、結果は自由自在ということ
成長の糧にするのも、苦しみにするのも、自分しだいってことだ
さらに、その自分というものが、何なのかを見抜けば・・・

おっと、誰か来たようだ。。

411:神も仏も名無しさん
11/09/15 16:46:53.69 oR6vSAUh
>結果は自由自在ということ
しかしこれはあくまで 結果は自由自在ということだ ということに「することができるよ」としている わけで
もとにあるものは 貧乏=貧乏 であること に変わりはない
「貧乏」は、やはり一歩も動かずそこにそのままある

「貧乏」に対し、別の異なる解釈の「介在」を入れてネガをポジに捉える が可能だ ということではなく(ちなみに可能と思う)
そんでその結果が良いか悪いか ということではなく、「そのような構造から出された結果のいかなるものにも疑問」 という場合
その人は、その根本構造 をまな板にのせる のではないだろうか
これは一体全体まとめてひっくるめてどういうことだ、一体なにをしているんだ と

412:神も仏も名無しさん
11/09/15 17:09:18.30 OemGF0mf
>>411
その通りだよ
どうにもできないことがわかったら、
自分をまな板の上にのっけて、食べてしまえばいい

413:神も仏も名無しさん
11/09/15 17:52:46.46 PhFqD6Ys
スレ主は凄いと思います。
感情や思考などの概念による混乱を脱しておられますから。

ですが
>>226
> ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。

このあたりに、思考や感情に巻き込まれないのは、もう単純に体にだけ巻き込まれ、
体によって自我というものが形つくられているからではないかと思います。
どちらにせよ大部分の混乱から脱せられ、悩みなくこの世に対処してゆく知恵をユーモアたっぷりに伝えるスレ主の
存在は大変に、美味しいです。心地よいです。

体によって作られた自我というものが無ければ、私に始まりも終わりもないでしょう。
あえて自殺行為しないのは当然ですが、もし死が訪れたなら私のない存在であったなら苦しむ人が不在なのでそこには何もないでしょう。
(これは私の手に余ることなので推論ですが、私がないのに、痛がる怖がる主体がないのに痛みと恐怖があるのはおかしい)

ある大きな束縛が死んだ。私の大部分が死んだ。
でもまだ私が残っているということはある。
更なる気付きにくい前提が残っているということはある。
こんな感じではないでしょうか。

そもそも悟りがあったりなくなったりという正直なお話があるので悟りではあっても
話に聞く光明とは別のものであり、それは完全な自由ではない。
完全ではなくてもすごく自由であるのは確か。

ps私は生きる知恵があんまりないのでいろいろ教えてくださいね。

414:神も仏も名無しさん
11/09/15 20:39:32.92 MZlJyHwY
死んだら終わりなわけないじゃん、終わりならお盆も信じないで先祖供養もしないし
墓参りだって行かない。命日だってなにもする必要ないし、肉親の3回忌だろうが10回忌だろうが
なにもしなくていいのかい

415:神も仏も名無しさん
11/09/15 20:56:44.90 5OPPhf6y
そういう信仰をもつ奴はすればいい。
無い奴はしない。
むしろそういう信仰は一部だと知れ。

416:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:00:33.98 MZlJyHwY
>>415
神も仏も信じてないお前のような奴が宗教板では一部だと知れじゃないの

417:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:04:32.00 MZlJyHwY
>>415
お盆に先祖供養をする人や自分の親や子の命日に仏壇に祈る人は国民全体でいえば
お前が考えるに一部だと知れになるのね。国民の何割位に相当するのが一部と称されるのか
教えてくれ

418:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:06:17.73 JII/q17N
>>414
よく読んでいけば>>1が「死んだら終わり」と言っている意味がわかるのではないかと。


>>415-417
チベット死者の書だと49日間だけだし
日本仏教(全宗派かどうかはしらんが)は50年くらい供養しろと言うし
大阪のおばちゃんで「死んだら終わりやで」っていう人を見たことあるし
まぁ色々あるってことで


419:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:07:11.20 5OPPhf6y

神なぞ信じてない。
神という実在を信仰する人がいることと、神と名付けたくなるようなものがあるのだろうということは認める。
仏とは仏陀=目覚めたもの、のこと。

420:神も仏も名無しさん
11/09/15 21:08:33.87 5OPPhf6y
>>417
知るか。w
日本人だけが人間じゃない。

421:413
11/09/16 00:56:35.29 r2357Qfg
>>226
> ・生命は死んだら終わりと言い切る根拠。
すべては私の創造物ですから、
私が消えたらすべてが消えます。

さて、ここは面白いのでさらに突っ込んで検証してみます。
まず、生命=私という前提があるように思うのですが、生命=私という確実な証拠はありません。
生命と私が別個である可能性はあります。
ブッダ達は別個だと仰いますが、私は実際に別個だと見極めたわけではないのでよくわかりません。

①体が死んでも私は死なない
これは過去生の記憶を持っている人やブッダが証言できる
②体が死んだらどうなるかわからない
これも非常に誠実であり知性的な人間なら発せられる声明です

しかし
③体が死んだら私と私の作った世界は消える
という声明は不可能なのです。
死んだことないのにそれについて論じるのは不誠実ですし、もしこれがその通りなら死んだら帰ってこれないので
実体験した後でこの声明を出すのも不可能なのです。

経験した上での声明ということでしたら①と②の声明しか出すことは不可能なのです。
ゆえにこの声明③は実体験の伴わない思い込みであるほかないのでは。

422:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:20:39.67 nP5ifS/y
>>421
所詮は机上の空論。
全てが根拠のない憶測に過ぎない。

423:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:21:35.85 kSB96hhZ
神がいるとするのなら、神でないものが生まれる
この世一切が神であるとするなら、神はいるのであろうか?

424:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:52:00.16 le/s94fc
仏陀が生命と己が別個だと言ったなんて聞いたことないけど



425:神も仏も名無しさん
11/09/16 01:56:20.94 le/s94fc
過去世の記憶を持っている人間がいる=過去世の証明になる訳ないじゃん

過去世体験者の体験が夢や思い込みでないなどと言う保証はないのだから




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