10/11/01 21:10:39 zgk3YbrD
>>86
でしたらば、>>69のようなお題の提示は奇妙ではありませんか?
でしたらば、(如来滅後五五百歳始)観心本尊抄送状における
“設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ”
と大聖人自らしたためられた厳戒は、顕教に相応しくないと?
【顕教】
あらわに説いた教え。密教に対する語。
仏の真意を秘密にして説かれた教を密教とし勝れ、教えをあらわに説かれたものを顕教といって劣るとしている。
真言宗で重視する教判で、大日経は密教ですぐれ、法華経は顕教で劣るとたてる。
しかし、これは真言宗の邪義である。法華経こそ釈迦出世の本懐であり、最高真実の教である。
なお大智度論第四に「仏法に二種あり、一には秘密二は顕示なり、顕示の中に仏辟支仏阿羅漢ら皆是れ福田なり…」とある。
(仏法哲学大辞典 第二巻 p120)
顕教だから云々と仰るあなたさまは、何処の宗派の教えを以て仏法を語っていらっしゃるのですか?
少なくとも日蓮正宗では決してありませんよね?