10/11/17 06:15:04 WHsR1Sga
イエスの福音は開かれた心、謙遜な気持ちで受け入れれば、誰の心にも明確に
神の愛と自由が理解できるでしょう。
原理主義者が悪いのは、教える側に、自分達の益のためにという打算があるからです。
彼らは偽教師であり偽信者であります。
カトリック信徒の聖書理解は、典礼などに偏りすぎていて、聞くだけで行おうとしない。
隣人を愛してもいないのに「主の平和」などとミサの中で挨拶をかわす。
はなはだしい偽善です。初対面の相手ならまだしも何十年も同じ教会に居る仲間同士でも、そんな有様です。
彼らの頭には福音の精神は無く、ただ自分の役職への執着と少しでも皆の上に立ちたい
という欲望だけです。これは、団塊の世代以上の人々に見られる特色です。
神にの御前では、みなが平等であることを忘れ、教会を牛耳ることに奔走している。
社会活動のいそしむ人もそうです。政治に口を出す人もそうです。○○委員会に
所属する人もそうです。彼らはまず、愛を学ばねばならない。なにをするにも愛がなければ
無意味です。現在の日本のカトリックに決定的に欠けているのは、信徒や聖職者の数では無く
愛なのです。愛を知らない人は神を永遠に知る事はありません。