11/01/28 21:45:08 d7nrkERc
>>708
>日蓮さんは何故に“本来、御本尊には開眼供養など必要ない”はずなのに、富木常忍の
>願い出に
>『伊よ房をもてはたしまいらせさせ給い候へ』と仰ったのでしょうか?
大聖人が弟子に開眼供養させたのは、それが御本尊ではなく「仏像」だったからですよ。
開眼供養されていない仏像は、梵音声と心法が欠けているので、仏になることができないわけです。
それについては、>>79に詳しく説明していますので、ぜひそちらを読んでみてください。
>それと、富木常忍は法華を心得てなかったのでしょうか?
それはどうしてなんでしょうね。
この御書の文だけでは、私も判断しかねますが、
富木殿が「開眼供養はどうやったらいいのか?」と余計な不安を感じることがないように、
弟子を送ったのかもしれません。
>あくまでも、儀式形式じみた開眼供養は必要としなければならないと、日蓮さんは思って
>いたんじゃないでしょうか。・・・どうでしょうか?
それはないと思いますよ。
上でも書きましたが、仏像の場合は開眼供養は必要ですからね。