11/01/28 17:41:15 d7nrkERc
☆開眼供養は法主でなければダメ?
既に、文字曼荼羅である御本尊に、開眼供養が不要であることは述べました(>>79-81)。
しかし、日顕宗の輩は、それでも次の御文を引用して、法主による開眼供養が必要だと言い張ります。
『法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人(ぬすびと)が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し』(木絵二像開眼之事 469ページ)
この御文の中の「法華を心得たる人=法主」と解釈しているわけです。
本来、御本尊には開眼供養など必要ないのですから、こんな難癖は無視してもいいのですが、あえて「開眼供養が必要」という立場に立っても、「法主」による開眼供養でなければいけない、とする考え方は間違っています。
それは「真間釈迦仏御供養逐状(950ページ)」を読めば明らかです。
『仏の御開眼供養の御事はいそぎいそぎ伊よ(予)房をもてはたしまいらせ給い候へ』
つまり、日蓮大聖人が釈迦仏像の開眼を弟子の伊予房に行わせたことが、明確に記されているからです。
はたして日顕宗の人たちは、この釈迦仏像に、鬼神が入っているとでも言うのでしょうか?