10/10/22 21:29:57 ST1oaVT7
>日蓮大聖人の見解です
はぁ?違います。説明済みも何も全くの邪義です。
あなたの信心のなさを如実に物語っていますね。学会員全員か。
佐前であれ佐後であれ、末法の御本仏である大聖人にお目通りすることは、その程度の事ではありません。
そして大御本尊にお目通りすることは大聖人にお会いすることと同意です。
仏に会うと言うことを軽く考えすぎです。「会えたから信心頑張るぞ」で功徳倍増って不遜にも程があります。
会いに行く我々衆生が主ではないんですよ。だからたとえ御目通りできなくなっても深刻さが分からないんですね。
>「宗門が正しい信仰を貫いていれば」という大前提があればの話です。
>大石寺に大御本尊があるということと、宗門が正しいというのは違う問題なのです
>大御本尊が謗法の山にあるということも、あり得るのです。
やはりあなたとの議論のズレは大御本尊・大聖人に対する拝し方の違いであると思います。
大聖人が謗法の地に何十年も留まっていると言う事ですよね?御本仏をバカにしてますよね?
だから前にも聞いたじゃありませんか?
「謗法の者の手で奪われる、その程度の力のない御本尊ですか?」
「日興上人が身延離山する必要ありませんよね?」
現証って意味分かってます?あなたは私の言う一つ一つを軽く考えすぎなんです。
だから「大御本尊が謗法の山にあるということもあり得る」とか「御本尊はどれも同じ」とかの大謗法の言動を平気でできるんです。
それを信心がないって言うんですよ。
>時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事
いちいち反応はしたくないですが、逃げてるとかうるさいので
「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事。」です。摧かれたのが学会です。
そしてそれを判断するのは法主です。日達上人の御指南です。以上。