10/10/21 17:26:13 rhvgD80t
舎利弗さん
遅くなりましてスイマセン22です。
御書について
学会の言う「謗法」の御文を全て学会は宗門とし、宗門は学会としています。
それによってどちらでも言うことができ、議論になりません。
正信会でも顕正会でも異流義は同じ事を言います。大差ありません。
あなたと同じでそんな議論は慣れているのです。
個人的には水掛け論で不毛な議論だと思っています。正直うんざりです。
だから現証の話をしています。その部分では話ができませんか?
御本尊は戒壇の大御本尊を根本として、分身散体の御本尊は戒壇の大御本尊を
根本とし血脈の通ずるをもって初めて功徳が生じます。
木の幹と枝葉との如くです。学会も以前は顕正会などにそう言って破折してきましたよね?
お目通りする理由
あなたが上げた「参詣遙かに中絶せり、急ぎ急ぎ来臨を企つべし」とは場所のことをどうと
言ってるわけじゃなく 「会いに来て顔を見せて下さい」と言ってるんですよね。
そういうことです。
あなたは場所を重要視してるようですが、日興上人も大聖人の魂が謗法の地には
留まらないから離れられたんですよね?
31は私ではありませんが、文証が欲しければどうぞ。
日寛上人も大御本尊の存する場所が、本門の戒壇であり、唱える題目が本門の題目になる
と仰せです。
学会の教義など出る幕はありません。過去との自語相違を解決してから出直してきて下さいね。