10/10/09 11:57:19 PDKbjmNr
>>240
出典(創世記)
6:2 神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。
「神の息子たち」たちとは、信仰の教義内容を指します。これは5章4節で
セトを生んだ後、他にも息子と娘を生んだことから、「息子たち」が教会の諸真理を
現わすことは明らかです。教会の諸真理は、その教義内容です。その教義内容は、
それ自身として真理であった事実は、間違いありません。
「神の子」と名付けたのは、欲望を「人の娘たち」と名付けたのと対比できます。
「人の娘」とは、当時の人のもっている意志、結局は欲望を指します。
すなわち、「息子たち」は諸真理を表し、「娘たち」は諸善を表し、「娘たち」すなわち
諸善は、意志に属するものです。人の性格にしたがって、それなりの理性と、それなりの
意志が決まります。したがってそれなりの「息子と娘」になります。
ここでは堕落した人間について扱っていますから、善の意志は存在しません。意志の代わりに、
その思いは単なる欲望です。
かれらがどんな人間であったか、ここで描くと次のようになります。
つまり教会の神聖な諸真理を自分たちの欲望の中に埋没させ、唾を吐きかけました。
こうして自己過信を原理として徹底させました。
何事かを自己過信的に納得すると、真理と思われるあらゆる事柄を利用し、主の
(みことば)を使って確証します。勝手な憶測で鵜呑みにした原理に固執するため、
あらゆる事柄がそれに賛同するようになります。自己愛が強ければ強いほど、
それだけ自説で心を固めます。
それで、「神の子たちは、人の娘たちが好ましいのを見て、みなの中から自分の
ため妻を選んで受け入れた」の意味が分かります。
つまり、信仰の教義内容が欲望と結ばれたのです。それもあらゆる種類の欲望と
結ばれたことを意味します。