10/10/14 17:23:50 8IuTK8vT
唐沢の考える「私の十字架の適用」とはなんでろあろうか
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唐沢の「聖書の基本真理」ページの「十字架」の項に
「一言で言って古い自己と新しい自己を切り分ける働きが
まさに私たちの内側で働く「私の十字架」です。イエスは
「わたしに従う者はそれぞれ自分の十字架を負ってわたしに従いなさい」
と言われました。
日々この十字架を負うこと、それは私たちクリスチャンの特権です。
十字架を負うことは、文学的表現でよく使われる、
自分にとっての宿命的重荷を負うことなどでは決してなく、
むしろ死ぬことです。
死んだ者にあるのは苦悩でもなく、あがきでもなく、焦りでもなく、
労苦でもなく、自己努力でもなく、ただただ安らかな平安と安息です。」
罪の項では
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十字架前は「罪の奴隷」。十字架後は「義の奴隷」とあります。
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ロマ6:18が出てくるわけだが
唐沢さんもいい大人なんだから冷静に考えてくださいよ。
どうやって我々が゜神の義の奴隷になれると言うのだ
なれるのであればそもそも「十字架」は不要だ。
「十字架」によって罪が初期化されたら
神の義を実践できるようになるのかね。冗談もたいがいにされてほしい。
そういう理想をもって働きまくったパウロ自身が。。。