10/10/14 01:00:35 8IuTK8vT
>>853
ところがどっこい聖パウロはかく告白します(ビオラ氏より引用)
パウロはうめきを持って言いました、
「わたしは自分のしていることが、分からない。
なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
<…>
そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしのうちに宿っている罪である。
わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。」
(ローマ7:15-18)
神の声に従順した結果見えてるのは「嘆き」です。
理性的には神の霊に従って「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、誠実、柔和、自制」に生きたいと熱望しても
実際は「憎しみ、哀しみ、争い、狭量、拒絶、悪意、虚偽、怒り、放縦」に支配されている私。
パウロが聖パウロである故は根底でこの自覚があったからでありましょう。
「私は神に従っている。」
「見よ、私を。こんなにも愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、誠実、柔和、自制だ!」
という輩は八百長野郎ではないでしょうか