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しかし、次の19節でイエス様は「天の御国の鍵を上げます・・・」と言って
おられます。「天の御国の鍵」とはすなわち「救いの決定権」のこと、
カトリックではこの大変な権威をペテロに与えられた、そしてそれは歴代
法王が受け継ぐもの、すなわち初代ローマ法王がペテロであるとも考えるの
ですが、プロテスタントではその「権威を受け継ぐ」ものであるとは、
どこにも書かれていないと捉えます。実際聖書でここでもイエス様がペテロに
語られたとしか記述されていませんよね。
そしてイエス様が語られたこの言葉の真意は、ペテロに与えられた特別な権威
というよりも弟子たち皆に語られた、そしてそれはわれわれキリストに連なる
すべての者が、イエス様の十字架の購いによってのみ救われるのだということを
人に伝えるのか伝えないのか、つまりどのような方法であっても、私たちが、
福音を伝えることによってのみ、その人の救いが決まるのだというところに
あるのだと、捉えます。
それが「何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれて
おり、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています」の
意味なんですね。福音を伝えるのは神父様や牧師、聖職者のみではないんです、
われわれ救われた者すべての責務、使命なんですね。
人が自分の解釈によって道を逸れてしまうことの恐ろしさを、良かれと思う
ことであっても、神の御言葉に従うよりつい自説を大切にしてしまうことの
過ちを、ここでもすぐ後の23節でイエス様は強烈に戒められておられます。
ペテロは熱心にイエス様のことを思わんばかりに、逆にサタン呼ばわりまで
されたんですよ。笑 そして24節でイエス様は一転、優しく誰でもついて来いと
おっしゃっておられる。
集会でカトリックであれ、あまりに自己主張が過ぎるときは、一度我が身を
振り返られてもいいかと思います。自分に対する言葉でもありますね。