10/10/21 12:35:14 jouOU/cz
吉祥寺集会の皆さん!
カトリック以外で新約聖書をいくら読んでいても意味ないんだよ。単に聖句に酔っているか、感激しているだけだからね。
新約聖書は、カトリック共同体の信者の皆さん宛てに、使徒たちが書き記したものだから、 ↑
かれらが相手にしているのは、皆カトリック信者たちだよ! ←ここに注目→(他の教会の信者じゃないから勘違いしないように)
第一福音書、つまりマテオが相手にしているのはユダヤ教から改宗したカトリック信者たち
第二福音書のマルコが相手にしているのは、ローマで布教したカトリック教会の信者たち
第二福音書のルカが相手にしているのは、異教から改心したカトリック信者たち
第四福音書のヨハネが相手にしているのは、高遠なカトリック教会の神性を理解できるカトリックの司教だ。
そして目的もそれぞれちがう。たとえば、ヨハネの第四福音書は、吉祥寺集会のような異端が、早くも一世紀末に出てきたから、(本当の話だ)
カトリック共同体の小アジアの司教からの要請があって、ヨハネがカトリック司教宛に書き送った手紙だ。
その頃のヨハネは晩年だったが、ペトロの後継者がすでに4代目を継いでいる時代に入っていて(ペトロの後継者を選出したのは使徒たち)
カトリック教会は他の教会とは全くちがい、神なる御父と深いつながりがあることを証明し、カトリック以外の異端を排除する目的で、
ヨハネが書き記した書簡だから、ペトロに関して(例、ヨハネ21章15からペトロの首位権について、他 )言及している訳だよ。
我々キリスト者は新約聖書を手にしても、ヨハネの言動、即ちペトロが牧者であることを認めない者は、キリストに従わない反抗者だろう。
ヨハネの第四福音書は他の三福音書とは内容が異なり、求道者や新信者向けには書かれていないこともあって、
すぐには読み取れないこともあるが、他教会の人々は理解不能に陥いるか、あるいは自己流に解釈してしまうかどちらかだから、
決してキリストには近づけず、もし理解しているとなどと思っている人は確実に見当違いのままで、人生を閉じることになってしまう。
それは非常にもったいないことだから、やはり正統なカトリック教会で学ばれたほうが、実り豊かな人生を過ごせるよね。