10/12/03 01:40:12 mdpfzfiC
>>328
現代人は、もう科学的思考から逃れられないんだよ
あんただって病気になれば、西洋医学を信じるだろう?
だがその医学も、人間の自然治癒力の補助的手段にすぎない
つまり、信仰を持つ意義は、今も昔もまったく変わらない
しかし、科学は科学として、合理は合理として、認めざるを得ない
天理教が、一個の手段として、科学として、宗教として、合理的だと言えるだろうか?
「陽気暮らし」という目的には誰もが賛同しても、アプローチとしてのそれには、?が付く
中山みきが人類救済の祖であると結論づける合理性はどこにもない
一方、日蓮聖人がそれに相応しいと考える方が、より科学的だろう
両者の履歴や文献を比較すれば分かることだ
天理教は、この科学性の否定に言を費やして来た
一農家の主婦を、キリストや釈迦や日蓮を凌駕する人物に仕立てるため、
ふんだんのレトリックが使われている
それは事あるごとに積み増しされ、みきが90歳で死んだ時、「教祖伝」の執筆をプロの作家に依頼した時、
戦時中の教義の改ざんの時、教会長の不祥事を隠すため、中山家の世襲を守るため、…
レトリックのレトリックによる説明に終始して来た
嘘に嘘を重ねてきた結果、何が真実なのか分からなくなっている
「不足を言うな」「アホになれ」と叫ぶしかできないでいる
それは、科学的思考に生きる我われに、「死ね」と言うのと同じことだ
死ぬべきは、天理教の方だろう