10/09/24 01:10:37 C0BAkHHM
>>666
これでしょうか?
[マタイ]
8:21 また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。
8:22 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。
「葬儀をしても死者は戻ってこない。そんなことよりわたし(イエス)に従うことの方が重要で優先すべきだ。」という意味では?
これのどこがどのように2重の意味なのでしょうか。
681:神も仏も名無しさん
10/09/24 01:17:40 xmvAmwZb
>>680
>その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい
前者の「死人」と後者の「死人」が別の意味で用いられていることは
容易に理解できるはず。死人は動けませんから、葬ることはできません。
682:神も仏も名無しさん
10/09/24 01:27:47 C0BAkHHM
>>681
単純に「葬る必用はない」という解釈ではないのでしょうか。
どのような意味なのかわかりません。
683:神も仏も名無しさん
10/09/24 01:32:48 70/XJz3Y
死人とはイエスキリストのことだよ
死はイエスキリストの前にひれ伏した
684:神も仏も名無しさん
10/09/24 01:41:52 xmvAmwZb
>>682
葬儀は普通、一人で行うことはないと思われます。
イエスに話しかけた人物がいなくても葬儀は行われたことでしょう。
あなたが自分の解釈にこだわられるのなら、仕方ありません。
685:神も仏も名無しさん
10/09/24 01:53:42 pYnsVacM
>>680
要するに、イエスは、「人が自分に従う」ことが唯一・最大の関心事
だったのだよ。「自分が、神になりたい、なった積り」という、彼の
精神病の症状としての「誇大妄想」「我のみ良しの、思い上がった独善性」
の結果である。イエスは、自分(イエス)に従うためには家族も捨てよと
要求しているし、従わない者は「死ね」と言っている(「一粒の麦」の
話)。
父の葬儀ににも行かせないとは、イエスの人間性がいかに低劣であるかを
如実に示している。
自分から「愛」などという言葉を口にする人間に「愛」がある者はいない
ことは、社会における経験則である。
686:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:07:54 xmvAmwZb
>>680
この人に聞くしかないね。
URLリンク(www.youtube.com)
687:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:08:48 C0BAkHHM
>>684
>イエスに話しかけた人物がいなくても葬儀は行われたことでしょう。
それはその通りです。
それと「生」と「死」の解釈とどの様にリンクするのかという点がわからないのです。
688:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:09:59 70/XJz3Y
嘘だろ…
何もわかっていない
イエスキリストは死を超越した人物だ
即ち、イエスキリストは十字架で死んだろ?
時間を越えて、主はまだ死んでないのにご自分を死人と例えた。
どこの誰が死のうと=キリスト(メシア)=私に任せなさいと
言ってるんだよ
だから私についてきなさいっていったんだよ。
689:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:12:55 xmvAmwZb
>>685
おまえはすでに死んでいる
690:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:19:49 xmvAmwZb
>>687
キリスト教の深い意味での生を受け入れることができるかどうかにかかっています。
2ちゃんねるには、ひねた人がおおいので話してもしょうがありません。
691:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:25:55 C0BAkHHM
>>688
なるほど。
つまり人の行う葬儀など無意味で「死」は自分が面倒を見る役目なのだからそちらに従えということですね。
しかしよみがえりや永遠の命は仮に手に入れてしまったと仮定してそれは大して魅力がないばかりかかえって厄介な事態を引き起こすことになるように思えます。
692:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:34:37 xmvAmwZb
>>691
↓やっと見つけた。最後までよく見るときっと分かるよ。
URLリンク(www.youtube.com)
693:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:45:10 70/XJz3Y
>>691
やっと理解してくれる奴がいたか
厄介事とは社会的に様々な意味があるね?
でも、一番は自分が魅力を感じていない
確かな根拠が欲しいわな
694:神も仏も名無しさん
10/09/24 02:52:48 PeKqtjDz
>>540
真理が有るとすれば、地道な事実と真実の積み重ね、科学の方法によってしか近づけない。
自虐的修行による錯乱や、根拠なき妄想をいくら組み合わそうがなんの真理にもなり得ない。
真理は、真偽の厳密な実証の先にあるもので、欺瞞に汚染された衆愚の何十億が尊じようと、
イエスの解いたものは似非に過ぎない。
そしてイエスは、その真理とは何か、ピラトに答える事が出来なかった。
尊敬や人格は100万年経っても真理に行き着くことはない。冷徹に真偽を見極める知のみが
それを成すであろう。
695:NAS6 ◆YbjyWDyXSc
10/09/24 03:16:04 56PJ2fxx
キリストは真理は神と身をもって示してるけど?
696:神も仏も名無しさん
10/09/24 03:21:34 3rotu3ER
>>648
絶対的何者の居場所もない
多くの謎で満ち溢れてるこの世界の発生は偶然だ。進化は偶然を含む因果だ。
宇宙の謎なんかをみてると、なるようになったスパゲティが成れの果てで洗練されたものとしか思えない。
697:神も仏も名無しさん
10/09/24 05:01:20 U+4h6QMG
>>694
>そしてイエスは、その真理とは何か、ピラトに答える事が出来なかった。
釈迦は、真理を答える事が出来たよ。
その真理は、あなた方も得ることが出来ると教えた。