10/09/19 23:42:24 XeNL3BxJ
>>321 :タムさん
☆そんなに深い意味は無いと思います。
人生の苦を体験し続けて狂人になっていったプロセスを見ると、神の真理を
無価値な取るに足らないものとしたところに、神の否定が前提にあります。
そのようなことは、無神論や唯物論のアンチも述べている意見とそう変わら
ないではありませんか。
人は、長らく辛く苦しい苦しみが続くと、まず他の人のせいにしたり、環境
のせいにしたりして、自らの責任人にせず、ついには、神のせいにして、奴隷
のように苦役している者がいれば、いの一番に、神は救済の手を差し出して、
窮地を救ってくださるに違いない。
神がいないかのように、人生の苦しみに甘んじて、奴隷の苦役に甘んじてい
るままで、神の天罰をくだすべき他者は奴隷達を苦役のなかにおく強き者に
たして、神は無力であり、神のもとに統一ある世界となっていないことに、
「神は死んだ」と叫んでいたと思われます。
それで、教会に神はいないので、「隣人愛」や「汝の敵を愛せよ」という
真理もむなしく戯言であると考えていたのであります。
そのような考えは、明らかに間違った考え方をニーチェはしていました。
人生の苦役に喘いで、なにも助けてくれない神に唾をかけるような恨みにも似た
ものがあるのかも知れません。