10/09/05 23:52:51 sTTCTDgX
罪や悪の汚らわしさが真に承認されないうちは、祈りは何の効果もない。
人が自分の悪からただ免れようとするだけで、内心、「私は悪から免れる
ように唱えさえすれば、罪の許しをうるだろう」と考えているかぎり、その
祈りには何の効果もない、ということが認められた。
罪は、それが心の奥底から真に告白され、ある種の内なる呵責や苦悶を伴って、
その汚らわしさが承認されないかぎり、許されず、こうしたことのうちに、
またそのあとでのみ、祈りは効力をもつのである。
そうでなければ、祈りや秘跡(サクラメント)や外的な儀式にはどんな効果もない
どころか、これは人間に誤った確信をいだかせてしまうのである。
なぜなら、悪から免れるように祈って救いの手段を講じさえすれば、罪は許される
のだ、という考えによって、こうした祈りや儀式は人間の良心をまどろませて
しまうからである。
こうして人間は自分の以前の汚らわしさに戻るのである。ある人が悪から免れるよう
祈ろうとしたが、そのとき、ある霊的な観念によって、この真理が認知された。(霊界日記)