10/08/04 17:54:26 9ruhulET
>>245
あなたがそう思ってるだけです
思い込みでないなら反証してください
江上波夫の騎馬民族説は 原罪のところ定説にはなっていませんが
邪馬台国東遷や王朝交代説はかなり有力です
また以下のような事実もあります
『日本書紀』の中に高句麗の王を「高麗の神子」と呼びかけ、同じ天孫族としての意識が見られること
『続日本紀』に、高句麗の後継である渤海の国王が、渤海と日本の関係を、建国以来の歴史を経て「
本枝百世」になったと表現していること。
『続日本紀』に、渤海の使者に与えた返書の中で、かつて高麗が日本に対し「族惟兄弟(族はこれ兄弟)」
と表現したことにふれていること。
『新撰姓氏録』によれば、新羅国王は神武天皇の兄稲氷命の子孫とされ、皇別に分類される氏族があること
(江上によれば、新羅や任那の支配者層ももとは天孫族であろうとする)
倭王武は、中国南朝宋に対して、使持節都督倭・新羅・百済・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍と
自称したが、ここに秦韓・慕韓など過去の地名が見られるのは、過去にわたった支配権を主張したものと見られ、
事実過去に辰韓・馬韓を統治した「辰王」という扶余系と考えられる支配者が存在したので、倭の五王は
その権益を継承したと考えられること
『魏志倭人伝』に「牛馬なし」と記されている事からも弥生時代には日本にはそんなに馬がいなかったと思われる。
5世紀、6世紀になると、馬の埋葬事例や埴輪の馬が増えてきている。
14世紀の北畠親房の『神皇正統記』に「むかし日本は三韓と同種といふことのありし、かの書をば、
桓武の御代に焼き捨てられしなり」とあること
高句麗語のなかで現在に伝わっている語彙のなかの半分近くが、古代の日本語と似ているとされていること