11/03/28 13:19:51.28 89PbMkzB
>>847
>
おやさまは、こういわれています。
おふでさき第一号です。
きゝたくバたつねくるならゆてきかそ
よろづいさいのもとのいんねん 6
中山みきは、自分は存命で居ると、主張しています。直接本人に聞いたらどうですか。
そして、中山みきはおふでさきに、知らしてある。こうのべています。
また、おさしづには「刻限」ということも知らしています。
> 予言してるなら、人に教えろよ。
知りたかったら、みきに直接聞くか、おふでさきを「根をほるか」、するのが筋です。
850:基本。
11/03/28 13:35:15.60 89PbMkzB
> 後だしジャンケンは、天理教の得意ワザだもんなー
> あんた・・・こんなことばっか考えて、生活してるの?
これは、私へのご質問ですね。
こんな事ばっか、もうそれしか考えていないくらいで、生活しています。
後出しでは無いことの方が、中山みきの方法です。
「見えん先に説く」のが、天理教の原則ですから。
2005年に当時の「二ちゃん第二宗教板」で、教団の出直しに言及してあります。
長いので、二分割、ご紹介します。
URLリンク(zulu.jog.buttobi.net)
877 名前:基本 ◆./kJ00CA :2005/10/29(土) 21:24
>>874
99年たって皆出直しという、予言があります。
99年たって皆出直しという、その99年目を、教祖が扉開いて、百年目と数えていた人たちは、
「百という時に、白紙にかえる」真柱の言う言葉の意味を理解できなかった。
それは、教祖は、定命115才で、あるべきを、25年縮めていた事に、思いが至らなかったからです。
教祖は、明治20年に扉を開かれていますが、本来は、明治で数えるなら、45年に、うつし身を隠すことでした。
つまり、今の年祭は、教祖の扉を開かれた時から数えていますが、
本来は、25年ずれている。
そこで、扉開いてから、125年を過ぎた、翌年、
126年。(正月26日も126です)に、白紙に帰る旬となるというのが、
基本が一貫して説いている、数理の悟りです。
(続きます)
851:基本。
11/03/28 13:44:00.80 89PbMkzB
>>850
(引用。続きです)
明治22年からカウントして、60年は、立教111年。
この間の整理をしますと、
最初の123、30年、青年会にて、原典中心の信仰。開始。
次の123、60年立教111年、原典の公刊。教理の復元開始。
次の123、90年。教祖伝逸話偏の公刊。ひながたの復元開始。
次の123、120年。講社信仰の復元開始。
と、このような順番になると、容易に予測されます。
これが、123の切りです。
現実に、教祖は親神さまと言う信仰の復元は、今は各大教会が邪魔していますが、
その邪魔も、120年祭限りと言う事です。
それは、「理の親・講社信仰の、掃除と復元」の開始ですから、
五年目には、皆出直しと言う事にる。
126年には、本来の教祖・親神の天理教に戻るということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つまり、「五年目には、皆出直しと言う事にる。 」というのが、125に該当する
今年です。
この二ちゃん第二宗教板「天理教団」「天理教団2」には、地震関連の予言を書いていまして、・・
それが、125教団の皆出直し、126白紙からの出発というのは、地震関連であることは、その以前からをお読みくだされば、
理解して頂けると思います。
852:基本。
11/03/28 14:05:44.97 89PbMkzB
>>847
> 後だしジャンケンは、天理教の得意ワザだもんなー
> あんた・・・こんなことばっか考えて、生活してるの?
> 戦後最大の震災となった今回は、何から数えて43年?
2011年の43年前は、天理教真柱の、交代三代真柱継承奉告祭。です。
おふでさきの43年前は、親神・みきの登場から数えて、残念を語っています。
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで
第15号 11
いまゝてハ四十三ねんいせんから あしをなやめたこれがしんはい 第15号 24
このもとわ四十三ねんいせんから
ゑらいためしがかけてあるぞや 第15号 41
このはなし四十三ねんいせんから
ゑらいためしがこれが一ちよ 第15号 50
このはなし四十三ねんいせんから むねのざんねんいまはらすてな 第15号 81
「地場での中心、しんの事情から、43年」と数えます。
853:基本。
11/03/28 14:09:07.10 89PbMkzB
歴史の事実です。私がスレ主していたスレから、引用します。
スレリンク(psy板)
792 :スレ主:2011/03/21(月) 23:05:35.01 ID:QSSJnNhp
>>773
ぼちぼちさんのご紹介のページを読みました。↓こんな事実が書いてありました。
URLリンク(www.e-quakes.pref.shizuoka.jp)
(1)プレート境界型地震 (例=1994年三陸はるか沖地震)
(2)浅い場所でのプレート内部破壊による地震 (例=1994年北海道東方沖地震)
(3)深い場所でのプレート内部破壊による地震 (例=1993年釧路沖地震)
(4)地表近くの活断層による地震 (例=1995年兵庫県南部地震)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天災の数理にて確認します。
1993年(平成5年)1月15日午後8時06分07秒 釧路沖地震発生。
→43年以前とは、1950年1月が43年前で、その以前に当たる、前年10月26日。中山善衛を真柱後継者と選定。
1994年(平成6年)10月4日22時22分57秒 北海道東方沖地震
→43年以前とは、1951年10月が43年前で、その以前に当たる、同年4月27日。雛型かんろだい据えかえの儀。
1994年(平成6年)12月28日21時19分21秒 三陸はるか沖地震
→43年以前とは、1951年12月が43年前で、その以前に当たる、同年4月27日。雛型かんろだい据えかえの儀。
1995年(平成7年)1月17日火曜日午前5時46分 1995年兵庫県南部地震
→43年以前とは、1952年1月が43年前で、その以前に当たる、前年4月27日。雛型かんろだい据えかえの儀。
854:基本。
11/03/28 14:15:30.73 89PbMkzB
中山みきの代弁仕立てで申しますと、このよの「しん」の理である「地場」にて、
元の神として立教したが、「しん」の理を「しん」と受け止めない、信者、信者組織・信者代表がいる。
それでは、神の残念が天災として現れても、どうにもならない。
でも、ぢばはこの世のしんだから、きちんと天災の前に、地場の事情として、先に知らせておくよ。
と、言う意味です。
855:基本。
11/03/28 14:20:54.89 89PbMkzB
天理教は、中山みきが親神とは、大多数の信者は信じていませんから、
予言の解読の努力をしないどこるか、予言だとも分かっていなくて、
教会の維持存続や、信者獲得ばかりに追われていて、それで、
親神を自分だというキチガイばあさんに、恥を欠かせないために、うそばかり説いてきた、「山名系川原町系」の教義の悪影響で、
基本が、研究に没頭しているという、情けないじたいですが、今回で。少しは反省すること、期待しています。
856:基本。
11/03/28 17:44:07.26 89PbMkzB
予言の書としてのおふでさきは、音と文字の二通りにて告げられています。
文字としては、
この神の残念と発生の43年の数理は、以下の15号の和歌に書かれています。
あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
857:基本。
11/03/28 18:10:26.52 89PbMkzB
紹介しました、15号のおふでさきには、
10番のお歌で、「明日から働く」とありますね。
13番のお歌で、「さあ今日は」とありますね。
これが、何時の事かと言いますと、これが書かれたのは、第十五号 明治13年1月より 90首 83歳
1880年の1月。
あすからハをやがはたらきするほとに どんなものでもそむきでけまい 10
いまゝでも四十三ねんいせんから をやがあらハれはじめかけたで 11
けふまてハたいてさねんもいくたびも ちいとしていた事であれとも 12
つまり、10番と12番までの間に、43年がある。
そして、13番に、「さあけふハ月日のはらがはぢけたで」とありますから、
神は立腹なのだが「控えていた」「ぢいとしていた」1880年の、翌年1881年から一年、二年と数えて、
その43年後が、
さあけふハ月日のはらがはぢけたで しかゑていたる事であれとも 13
と、腹がはじける事態となるとの予言です。確認します。
1880年から、数えて43年、1923年。関東大震災。
関東大震災という、まさに月日のはらがはぢけた震災が、襲ったのは、キチガイ婆さんの予言の数理そのものでした。
キチガイばあさんの言うことでも、予言は予言、的中は、偶然の出来事だと、そういう次第です。
858:基本。
11/03/28 18:52:15.88 89PbMkzB
同じく、偶然そうだったという話題ですが、肝心の立教から43年。
天災の予言を書いたのは、1810年。天理教用語では「立教43年」といいますが、
その年は、43の数理で何がおきているかと言うと、「災害予報のはじまり」にまつわる、災害が起きています。
キチガイばあさんは、天理教内の出来事、それを用語では「道」、世間の事、それを用語では「世界」と言うのですが、
「道と世界は一つ」、「道と世界は鏡」というような、ひながた思想を強く持っています。
そこで、「立教から43」の数理の災害は、これ↓、なのですが、
○明治13年台風災害-暴風警報発信へ(130年前)
1880年(明治13年)10月3日~4日
台風の襲来で近畿地方から関東地方にかけて暴風雨に見舞われた。
特に関東地方南部は3日夜から北西の風雨が強まり、4日未明には最高潮に達した。特に横浜と東京の被害が大きく、横浜で2人死亡、家屋130戸以上が倒壊、東京では120人死亡、家屋全壊638戸、半壊83戸、同床上浸水多数となっている。
この災害を受け、1974年(明治7年)7月から気象観測を行っていた海軍水路局(現・海上保安庁海洋情報部)海軍観象台から、海軍鎮守府
(現在で言えば海上保安庁海上保安本部)、主要造船所及び各艦船へ暴風警報を電報で発信するようになった。
(出典:国会資料編纂会編「日本の自然災害」、神奈川県編「神奈川県災害誌」、内閣府(防災担当)
神も警報をだす。人も国家も出す。「立てあう」。
こういう丁寧なお仕事が、何が何でも、自分が親神だと主張する上の、キチガイ婆さんの、丁寧さです。
偶然です。
859:基本。
11/03/28 21:17:58.42 89PbMkzB
天日スレこんな事を書いておきました。
スレリンク(psy板)
816 :スレ主。:2011/03/22(火) 11:40:29.95 ID:0VAiTS6s
・・・
私の認識を申し上げましょう。批判あったらどうぞ。
日本で最大の震災は、今回です。← しんの理の事情から43年に合致しています。
その前の日本で最大の震災は阪神淡路大震災← しんの理の事情から43年に合致しています。
その前の日本で最大の震災は関東大震災 ← しんの理の事情から43年に合致しています。
その前の日本で最大の震災は濃尾地震 ← しんの理の事情から43年に合致しています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑ これを整理しますと、
三代真柱の真柱職に就任 → 43年 今回の震災。
ひながた甘露台を据える → 43年 阪神大震災。
初代真柱が中山家に入る → 43年 関東大震災。
秀司・小寒 家業に入る → 43年 濃尾地震。
これに、幾つかを加えます。
中山みき月日のやしろに → 43年 台風災害-暴風警報発信へ
二代真柱初めて祭主を勤める → 43年 1968年十勝沖地震
中山みきは、立教の宣言(言葉の理) しんの役割ではない。「しん災」は、「しんの役」の人たち真柱など。
すると、秀司・小寒 初代真柱 二代真柱 三代真柱。
これに、初代真柱の前世は「梶本亀蔵」の、生まれ変わりですが、確かめますと、
亀蔵を真柱にと宣言(1854) → 43年 1897年宮城県沖地震。
→後の初代真柱誕生(1866) → 43年 1909年姉川地震。(江濃地震)
このように、「しん」の理と「震災」は、偶然が一致していると分かります。
860:基本。
11/03/28 21:42:20.07 89PbMkzB
ひながた「甘露台」というものは、「ぢばの中心に立てられる」柱の事です。
にんけんをはじめかけたるしよこふに
かんろふたいをすゑてをくぞや 第17号 9
このざねんなにの事やとをもうかな
かんろふ大が一のざんねん 第17号 58
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
中山みきが、人間に「甘露」を与えたい。
それを受ける台が「甘露台」なのですが、みきは「甘露大」に、「サイズに大の不満」「大の残念」、こういうことも基本中の基本です。
861:基本。
11/03/28 22:00:20.03 89PbMkzB
第3号 66
にごり水はやくすまさん事にてわ
しんのはしらのいれよふがない
Nigori mizu hayaku sumasan koto nitewa
Shin no hashira no ireyo ga nai
Unless the muddy water is purified quickly, there is no way to put in the central pillar.
,67 皆の者の心を早く澄まさなければ、信仰の中心であるかんろだいを建築し、又、道の中心になる者をぢばに定住させる事が出来ない。
これさえ早く出来たら、この道の基礎が確立するのである。
註 これはかんろだいのぢば定めと、お道の中心となられる初代真柱様をぢばに定住させたいという事を、お急込みになったのである。
(3号八、九註 参照)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ひながたでは、高山に従って「応法の道」「高山の宗教の支配に組み込まれた濁り水」。
宗教家業を開始した「中山秀司」に、「死」。
秀司出直(61才)。5月5日
五月五日、きちんと、残念をしめしたと、それがおふでさきに記された史実である。
中山みきは秀司の「死」にて、若い真柱にて甘露台石普請を開始させています。
断固とした意思。権力に対する毅然とした態度でした。
862:基本。
11/03/29 01:36:58.85 mL5kkwj0
さて、問題は、>>861 の、解説部分です。
「 皆の者の心を早く澄まさなければ、信仰の中心であるかんろだいを建築し、又、道の中心になる者をぢばに定住させる事が出来ない。
これさえ早く出来たら、この道の基礎が確立するのである。」
これは、おふでさき本歌の意味というには、作為的作文になっています。
若い中山 眞之亮が、真柱として中山家に入ったからと言って、それはキチガイ婆さんはそう言っていたという事で、
秀司を中心に信仰組織を形成した、「組」の長たちは、しんをしんとして認めてもいないわけで、
明治政府は、弾圧に出て、甘露台石普請は強制的に中止に追い込まれます。
明治政府に迎合して事を進めようとしていた秀司が死亡して、「高山」との対決姿勢の中山みきは、濁りの水のような信者たちの中、
「しんの柱」を早く入れたいという意志は、
「信仰の中心であるかんろだい」とか「道の中心になる者」とか、そういう認識ではなかった。
そういう認識の思い浮かぶことが、「にごり」である。
ここは、なかなか皆が理解できない、そう思いますが、
信仰そのものでは無い、「信者の組織化」や、「組織の指導者」をイメージするのは、濁りです。
863:基本。
11/03/29 01:59:22.45 mL5kkwj0
> 初代真柱が中山家に入る → 43年 関東大震災。
真柱の入籍から43年、天理教は何をしていたのか、です。
「教勢倍化運動」に着手していました。
天理教事典にはこう記録されています。
「本部は打ち出していませんが、現在400万人いる信徒を、800万人に・・・」
そして、この時の提唱者は、高安初代ですが、全人類を天理教の信者にしようという、目論見を、高座から語り指導しています。
これは、中山みきが嫌っていた「大社化」そのものです。
日本政府は、朝鮮・中国に権益の拡大にはしる。
それと、何も変わらない、「全人類を天理教信者に」。
濁り・・。
震災は、ぢばの、心得違いそのものへの鉄槌であるのは、紛れも無い、理の世界の出来事です。
864:基本。
11/03/29 02:22:10.61 mL5kkwj0
さて、教団幹部たちの誤解と言うものは「甘露台」のサイズ「甘露大」が最後に残った重大な、誤解です。
中山みきは、実数が好きで、おふでさきの予言は実数で、歴史年表もその数字で調べれば、きちんと数字で現れます。
896 名前:基本 ◆./kJ00CA :2005/11/02(水) 11:34
成って来るのが天の理ですから、歴史の事実が示すもの、それが証拠となります。
天理教の立教。 から、九が無くなりてで、49年目、教祖扉を開く
家業の記録、万覚日記から、九が無くなりてで、19年目、秀司出直し。
若き神として取り次ぐから、九が無くなりてで、 9年目、小寒出直し
真之亮天理教会長に から、九が無くなりてで、29年目、初代真柱出直し
お筆先下付・復元。 から、九が無くなりてで、19年目、二代真柱出直し
教祖伝逸話編の公刊 から、九が無くなりてで、19年目、三代真柱執務から退く
親神様は、口でも言わない筆先の責めで、「九が無くなりて」の一言が、こういう歴史を生んでいます。
中山家は「家業第一」であった。
小寒は「若き神」であった。
「伊蔵様と真之亮様」は、北と南の天理教会神一条の人であった。
中山みきが天理教を立教した。
そして、二代真柱は原典を、復元し公刊した。
三代真柱は、「教祖が親神様である」と、理を示し、その教祖の逸話を、ひながたのエピソードを、公刊した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
↑こんな風にです。 実数です。
865:基本。
11/03/29 02:31:41.69 mL5kkwj0
すると、「つとめの人衆」の数は、実数ですから、極めて少ない数を、中山みきは示しています。
10人とか75人とか・・
そして「甘露台」のサイズも、おふでさき九号によれば、
このはなしなにをゆうやとをもうなよ かんろふだいのもよふ一ぢよ 58
このだいもたん/\/\とつみあけて またそのゆへハ二尺四すんに 59
そのうゑゝひらばちのせてをいたなら それよりたしかぢきもつをやろ 60
と、このように実数は小さなものです。が、
ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする 61
甘露台でじきもつは、「この世始めた親に渡する」となっていまして、
この、「このよはじめたをや」のサイズが、一番の問題に、実は、なっています。
「甘露大」の「大」の部分は、ぢきもつの受取人の「中山みき」のサイズの問題と、実は、そうなっています。
866:基本。
11/03/29 02:48:50.44 mL5kkwj0
804 :神も仏も名無しさん:2011/02/05(土) 17:01:20 ID:yG2/Bct4
中山みきは憶病な嘘つきの日和見屋だよ。
口先だけの自分の考えも神の言葉だと錯覚していたただの婆。
さらにいいかげんな教義を加えて、日本にはもはやいらないものね。
① 中山みきは「なんでもない百姓の女」とも自称している。
② 中山みきは「月日の社」とも自称している。
③ 中山みきは「ない人間はじめた元のおや(親神)}とも自称している。
④ 世界をろくぢに踏み鳴らすと、称している。
⑤ ちなみに山名系教義(現在の教団教義)では、「地上の月日」「存命のおや」との説。
①~⑤までの内、①②⑤は、みきのサイズは婆さんサイズ。
婆さんサイズでは、いくらぢきもつ貰っても、世界中の 人間には渡せない。
こりゃ、婆さん怒るで。
「世界一列あまねくわが子、皆たすけたい」という中山みき婆さんは、自分のサイズは「月日」だと、
そう思っている。
なにせ、キチガイ婆さんです。
私一人に全人類に分けるぢきもつが、与えられると、言って当然です。
信じがたい、一筋心です。
867:基本。
11/03/29 02:57:59.90 mL5kkwj0
そこで、宗教で食べていくという宗教組織人たちは、
ぢきもつをたれにあたへる事ならば このよはじめたをやにわたする 61
といわれたって、みきは死んじゃったし、いやいや教祖殿ではご存命でいたとしてもサイズ小さいし、
それよりも、大人数の信者を獲得したら「強制倍化」「末代までの繁栄・天理教会」だと、
天からのぢきもつより、信者からの献金と走るわけで、
中山みきを、「親神」と信じていないのが天理教の信者、幹部のほとんどだから、
それに、信じていますと言ったところで、サイズを「人間大」で信じているだけの、実は信じていないごまかし山名系ばかりだから、
おやさまは、中山みきは、「月日」サイズの証明として、地球規模、宇宙規模で、天災を起こして、踏み均すわけです。
868:基本。
11/03/29 03:18:24.83 mL5kkwj0
誰からもご指摘なかったが、
ひながた甘露台を据える(1951) → 43年 阪神大震災(1995)
これは、明らかなミスであった。
中山善衛(真柱継承者)初・かぐら勤めつとめる。 43年 阪神大震災(1995)
これが、歴史の事実である。
三代真柱の真柱職に就任 → 43年 今回の震災。
真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年 阪神大震災。
初代真柱が中山家に入る → 43年 関東大震災。
秀司・小寒 家業に入る → 43年 濃尾地震。
訂正します。
869:基本。
11/03/29 04:11:59.09 mL5kkwj0
そこで、真柱継承者・かぐら初の勤め → 43年。
この頃の天理教団はどうであったか。
作家芹沢光治良先生の著作に悪影響されて、「二代目教祖」とか「赤衣装伊藤青年」とかの登場で、動揺していた。
天理教信者の、イメージするしんは、ぐらぐらの状態だったわけです。
初代真柱は命名して みき婆さんが真柱の真之亮と定めた。
二代真柱は、口伝にある正善・玉姫の名前の人。
三代なんて、ただの人間じゃないかと言うことで、「しん」はの批判派ばかりの幹部たち。
伊藤青年は、芹沢文学に登場して、じつは3625にて異端証明しましたが、三代真柱の異端と言う認定でした。
そういう、しんへの疑いは、つまり中山みきが、真柱さえも管理できていないという露骨な疑いそのものですから、
43の数理で、震災は、天理教のおつとめでは、
疑っている人の、勤行ですから、「理がない」となります。